SWITCHインタビュー 達人達(たち)「さいとう・たかを×山中俊治」ゴルゴ13劇画家・デザインエンジニアの…



出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「さいとう・たかを×山中俊治」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「さいとう・たかを×山中俊治」[字]


50年以上連載が続く「ゴルゴ13」を世に送り出す劇画家・さいとう・たかを。人とモノを結びつけるデザインエンジニアの山中俊治と、未来のものづくりを語り合った。


詳細情報

番組内容

「ゴルゴはなぜ今も現役なのか」、自らも大ファンだという山中は、時代を超えて読者をひきつける秘けつをさいとうに問いかける。ゴルゴの名ゼリフの向こうに見えてくる、時代を的確に捉えるさいとうの“目”とは?後半は山中の研究室をさいとうが訪問。私たちが何気なく使っている製品に、「デザインとは設計」と語る山中の技術が隠されていた。人間と製品の関係を探り続ける山中のことばから、将来の社会が見えてくる。

出演者

【出演】劇画家…さいとう・たかを,デザインエンジニア…山中俊治,【語り】六角精児,平岩紙



『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「さいとう・たかを×山中俊治」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「さいとう・たかを×
  1. デザイン
  2. 山中
  3. 義足
  4. 本当
  5. 世界
  6. 漫画
  7. ゴルゴ
  8. 仕事
  9. 意味
  10. 開発
  11. 機械
  12. 今日
  13. 人間
  14. 大根
  15. 彼女
  16. 練習
  17. カード
  18. ハハハハ
  19. 椅子
  20. 最初


『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「さいとう・たかを×山中俊治」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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その男は 必ず眉から描かれていく。

一度 目にした者は忘れない この顔つき。

最も危険で 最も非情。

正体不明のA級スナイパー ゴルゴ13。

(銃声)

その生みの親…

連載開始から52年目を迎え
単行本の発行部数2億冊以上。

生み出されたエピソードは
596話。

月に2度の雑誌連載は
半世紀にわたり 休載がない。

83歳を迎えた さいとうは

今も
月100ページ以上の量産体制を継続中だ。

そんな さいとうに
会いたいと願ったのは

私たちの生活を陰で支えてきた人物。

何気なく利用している IC自動改札機
開発のキーパーソン。

人とモノとの
幸福な関わり方を探求してきた。

手がけたデザインは多岐にわたる。

未来的ながら 懐かしさも感じる
コンパクトカメラ。

樹脂を使い 手になじむ携帯電話。

さらに義足に至るまで

素材と
利用者の心理についての深い理解が

山中のデザインを支えている。

このデザインも 人の心理を
見抜いたところから生まれたのだという。

現在は 東京大学の生産技術研究所で

学生たちと共に
デザインの新たな可能性を開拓している。

実は 山中にとって
さいとうは「長年の憧れの人」。

その感じとか
すごい 何か 衝撃だったんですよ。

そのものが 何か…

孤高の男を描く さいとうと

デザインを通して 未来の社会を見る山中。

二人の意外な接点とは?

…っていうのは ず~っと考えてます。

そうですか。
ハハハハ…!

私らみたいに…

…よく おっしゃるんですけどね。

♬~

東京 中野。

「ゴルゴ13」の数々の伝説は
ここから生まれた。

すごいな。

早速 この人も お出迎え。

こんにちは。
いらっしゃい。 しばらくでした。

どうも しばらくです。
ご無沙汰です。

本当に… 今日は お招きいただいて
ありがとうございます。

いいえ。 どうも。
何か 本当に もう…

よく言いますよ。
汚い所へ ようこそ。

ああ そうですか。
今日は 本当に うれしいです。

過酷な世界を生き抜く男たちを描いてきた
さいとう。

そんな主人公の代表といえば
もちろん…。

「ゴルゴ13」。
またの名を「デューク東郷」。

年齢 国籍 本名の一切が
謎に包まれた男。

依頼人の要請と高額な報酬を受け

不可能とも思える狙撃を神業でこなす
孤高のスナイパーだ。

(銃声)

山中が案内されたのは…。

こちらが…

武器庫…。

これね…

全部 モデルガンなんですね。
はい。

本物を…。
でも 確かに これがないと

なかなか描けないですよね。
そうなんですよ。

いろんな角度から
描かなきゃいけませんから。    すごい!

こんなに いっぱい。

アーマライトも こんなに たくさん…。

アーマライトの ここの三角形
かっこいいですよね これ…。

ああ そうですかね。
うん。 ハハハ…。

私は 武器のことは…

そうなんですか!?
全然 もう任せきりなんだ この世界は。

今日は もう…

これね

考えたら あれなんですよ。
もう…。

私より 1つ上という設定のやつで
始まったんですよ。

ハハハ…!
ハハハ…!

まだ現役で。 もう 本当に
年取らないキャラクターになりましたね。

実はね 今日…。

おやおや…。
3冊 持ってきたんですよ。

僕がお気に入りのやつを
3冊 持ってきたんですよ。

大体 こう… 「ゴルゴ13」の回で
人気があるやつっていうと

ヒューマンドラマのやつに
なるんですけど 僕が好きなのは

ひたすら どっから撃つんだっていう
話だけで終わる 短~いお話なんですよ。

この
「ハリウッド・シンデレラ」っていうのも

ビルの屋上から…

むちゃくちゃな話ですよ。

そう。

いや~ そのね 何か…。

あと これも好きでした。

…っていうのを。
はいはい。

…という陰謀を…

そういう 何か
すごい…

ああ そうですか。

それは やっぱり…

そうですかね。

ストーリーと併せて
読者を ひきつけるのは

「ゴルゴ13」ならではの世界観だ。

どんな権力にも なびくことなく

みずからのルールにのみ従い
冷静沈着に仕事を完遂する。

善悪や常識の枠外で行動する男は

時に人間社会がはらむ
矛盾を突きつける。

(銃声)

基本的に アウトローですよね
先生が描かれてる…。

ちょっと はみ出しですからね。

完全に もう…

子どものころに
学校教育っちゅうのを認めませんでね

勉強しなかったんですよ。

そら もう えらい違いですよ

山中さんなんかとは…。
いやいや…。

もう 本当にね…

教えるっていうことは

どうして考えるかという考え方を
教えるべきでしょう?

まあ そうですよね。
ええ。

それを もう 丸暗記でしょう?
言うなれば。

なるほどね。

…なんちゅうようなことを
ほざきましてね。

そりゃあ すごい。 徹底してますね。

それは…

そうなんですね。 だから 全然違う…
もちろん 人物描いてるつもりだし

そういうドラマを
描いてるつもりなんだけども。

私のものの考え方っちゅうんですかね。
そんなものは どうしても入ってきますね。

だから よくね
ゴルゴの人間性 聞かれたときに…

それで振り返って歩こうとしたときに

足元に1匹のアリがいたら
慌てて またぐかもしれない。

つまり
彼にとって 命の存在っていうのは…

そういう形で描いてきたんで

これを考えたら 私自身の考え方ですね。

誰の命も そう。 本当に…
「誰も」っていうか 生き物の…

そうなんですよね。

いや 「ゴルゴ13」見てて

僕も 若いころ まだ世界中になんか
全然行かれなかったころに

世界中にギャングはいるし

悪い政治家はいるし
ろくでもないチンピラはいるしって

どこの世界へ行っても
そういうアウトローな人間… それから

ちょっと
アウトローとは違うかもしんないけど

本当にひどいやつっていうのは
山ほどいるんだなっていうのを

延々と描かれてる感じはして。
そうですね。

それは 何か…

はい。

割と子どものうちにね

人間が地球上で一番

地球に還元してない…
何にもしてない。

壊すばっかりで何にもしてない生物だな
っちゅうことに気が付いて。

それ以来 ちょっと
人間不信に陥ったんですよ。

なるほどな。

ハハハハ…。

そのときにね…

誰にもらったわけでもないのにね。

だから それを持ってて
何も壊すことないなという。

なるほど。
それに気が付いたんですよ。 だから…

はい。

僕もデザインする…
ものをデザインするときに やっぱり…

やっぱり 種を植えて
農業を始めたときから もう自然…

反自然なこと始めてるわけですよね。

それで そうやって
自分に都合がいいように環境を改変して

生き延びることを選んで
それを革新的に

どんどん どんどん進めてる
っていうのは

大前提としては 僕も思っているので。

ただ 僕がやってることの…

だから ああいうこと…
アイデアが出るんですよ。

そういう感じなんですけど…。
本当にもう 驚くばかりですわ。

そこは少し 何か こう… でも

だからこそ 片っ端から殺したい感じも
分からなくはない。        ハハハハ…!

「それは確かにそうなのか~」って。

何に共感するのかって
何か分かった気がします それは。

1936年 五人兄弟の末っ子として生まれた
さいとう。

幼い頃 父が家を離れ
明治生まれの母親に 厳しく育てられた。

悪童として恐れられる一方
空想癖があり

絵が大好きな少年だった。

私…

まあ 絵を描くのは好きでしたけどね
漫画そのものは好きでも何でもなかった。

そうなんですか?
はい。

私 ものすごい…

できれば
映画の世界 入りたかったんですけどね。

ところが
あのころの映画の世界っていうのは

大学出でないと採らなかったんです 絶対。

そういう世界だったんです。
今は随分変わってきましたけどね。

中学校3年のときに…

そうですね。 あれは 本当に
そういう感じを持ってますね。

そのときに もう
鳥肌立ちましたね 自分で。

僕はリアルタイムじゃなかったですけど
やっぱ そう思いました。

このときから…
それ以前の漫画と全然違いますよね。

そうですね。 それで
「これしかない」と思うたんですね。

さいとうさんが 誰か

影響を受けた先生に当たる人とか
先輩に当たる人とか

直接に会った人とかでは
どんな方いらっしゃいました?

割と 何ちゅうか
人に恵まれてんですね。

これはね 私がね…

最初 担当になったときにね…

そしたら その白紙の答案用紙持って
私の席へ来ましてね

私の机の前へ置きまして

「これをね」…

…って言われたんですよ。

これはショックだったですね。

…いうことを教えられまして。

結局 その先生が「東郷先生」…
「東郷マチオ」っていいましたけどね。

その「東郷」を取ったんですよ。
ああ そうですか。

中学校を卒業すると
家業の理容師の道へ。

しかし さいとうは
仕事のかたわら 独学で

夜な夜な 漫画を描きためた。

126ページの長編を出版社に持ち込み

19歳でデビュー。

さいとうにとって漫画は

みずからの生計を立てるための
手段でもあった。

ああ~ なるほど。

…と思うたの。

だから 仕事という感覚で
最初から入ってきたもんで。

なるほどね。

私が最初やりだしたのは…
貸本屋があったでしょ。

はい。
出版社で…

…って言ったんですよ。

そしたら 「何で そんなとこ
行きたがんねん?」っちゅうから

「いや 製作工程を見ときたくて」って
言ったら…

その社長…
オートバイの後ろに乗せられて。

それは すばらしい。
それで見に行って

ほいで 帰ってきたときに

「貸本屋の読者は どんな読者ですか?」
って聞いたらね

その社長がね キョトンとした顔してね

「そんなもん 貸本屋に来る人に
決まってるやろ」って言うんですよ。

えっ こんな世界なのかと思ってね。
いや それはデザインですね。

僕も必ず その工場へ行くんですよ。

カメラ使ってるシーン見るし
カメラのお店も見るし。

だから それ
どういう人が使ってんのかなってんで

部屋… うちの中では
カメラ どこに置かれてるのかなとか。

そういうのを 全部調べてから
デザインにかかるんですけど。

まさに そこなんですね。

それは… これは仕事やる者は
当たり前のことでしょう。

ねえ…。

それが60年前っていうとこが
すごいですね。

あの ちょっと…。

だから…

デビューから3年 同世代の仲間と上京。

「劇画」という言葉を旗印に
劇画工房を立ち上げた。

それは 若者も楽しめる
骨のある物語作りを目指すものだった。

さいとうは
斬新な物語と抜群の構成センスで

青年たちからの熱烈な支持を
獲得していく。

しかし 劇画工房は1年で解散。

そこには 作品作りに対する
さいとう独自の考え方があった。

…おっしゃってましたよね。

そう そう… そういうふうに
おっしゃってましたよね。

キャラは 得意なもんが描いて

シナリオはシナリオで
得意なもんがやって 背景は…。

映画作るみたいに作ったらいいって
最初から おっしゃってましたよね。

その当時の 一緒にやろうとしてた
劇画作家さんたちとは

意見が合わなかったっていうことを
おっしゃってたんですけど。   そうです。

私が いくら説明しても
分かってもらえないんですよ。

みんなね 邪道だっちゅうんです
私の考え方が。

だから 誰もついてきてくれなくって。

ほんで 劇画工房の中の
石川フミヤスっちゅうのがね

私の言うことに ついてきてくれて。

これと 結局60年
一緒にやりましたけどもね。

もう先に 逝かれてしまいましたけど。

だから うちにスタッフで来た者に
必ず 最初 言ったのはね…

花火が ドンと打ち上がったときに…
打ち上げたときに その…

…って言うたんですけどね。

だから ましてや…

…っつってね 言うてたんですよ。

さいとうは 一人の天才に頼らない
作品作りを実現させるため

プロダクションを設立。

1968年に連載を開始した「ゴルゴ13」は

その挑戦の舞台となった。

ヒントにしたのは…

一人の作家が すべてを担うのが
当然とされた時代

先駆的な方法だった。

脚本 構成 作画と
別々のメンバーが得意分野を担当し

一つの作品を作り上げる
分業システム。

現在でも その手法は

作画の細部に至るまで
貫かれている。

それぞれのエキスパートの力で

作品が成立している。

では さいとうはといえば…。

お邪魔します。
はい どうも。

作品全体の設計図に当たる ネーム作りや
主人公の作画が主な担当だ。

感情を表に出さないゴルゴ13の表情を
熟練の技で描き分ける。

一人一人の才能を結集した
天才に頼らない作品作りは

漫画ビジネスそのものの裾野も
大きく広げた。

やっぱり眉から描かれるんですね。
そうですね。

でも 下書きっていうのは

ほとんど もう
このアタリだけなんですね。

私 描くのが速いように思われてんですよ。

でも 別に速いことないんです。

皆さん ちゃんと
下書き描いて やるでしょ。

それ やらないで…

そうそう抜かせられるもんじゃない。
一工程 抜かしてる。

顔の向きって 右向きでも左向きでも
もう それは自由?

むしろ 私は 右向きの顔のほうが
描きやすい感じですね。     そうですか。

左向きだと かえって ちょっとね
狂うときありますね。

私は いつも言うんです。
この天才っちゅうのは

どんな世界でもいますわね。

でも この世界の…

だから…

…今まで。

でも 私は もう ずっと ひらがなの…

…よく おっしゃるんですけどね。

イチローさんもそうだし。
そうなんです 案外。

50年以上もの間
新しいファンを獲得してきた

「ゴルゴ13」。

時代が激しく移り変わる中
なぜ 「ゴルゴ」は生き続けているのか。

そこには 成功体験に甘んずることなく

シビアに社会を見据える
さいとうの確かな「目」がある。

こっから先 どうなっていくんですかね。

この世界そのものは…

メディアとしての書籍。
はい。

なぜかと言いますとね
日本の建築家屋と合ってないんですよ。

重いでしょ 紙っていうのは。
はい。

アパートの床 抜いてまいよった
っちゅうの いましたよね。

はいはい はいはい…。
そういう存在なわけですよ。

だから 本自身は衰退していくだろう。

しかし…

それのほうが

「今度は 我々の世界が移っていく」
っていうことを言ってたんですね。

漫画も どんどんデジタル化してますよね
今ね。

あれ そう。

デジタルって思ったわけじゃないけど
本の 何か 重さとか存在感とかが

もう未来は 合わなくなるんじゃないかと
そう思ってた?    そう思ってたんです。

大体 この我々の作品がね

本屋で売ってるうちは
駄目だっつってたんです 昔ね。

なるほど。

…我々の世界では。
漫画にとっては。

漫画は いわゆる…

そうです。

収まらないというか…

なるほど。

だから コンビニ出来たときにね…

すばらしい。

「コンビニ狙え」っつってね
言ったんですよ。

その話も すごいですね。
それは すごい先見の明というか 何か…。

何か 本質的に だから漫画っていうのは
こうあるべきだっていう

それが… 何か 既存の枠に
それもアウトローなのかもしんないけど

何か 既存の本っていう
フレームに収まって

きちっとしてる姿が

しっくりこなかったんですね きっと。
そうだね。

そういう 何か こう…

僕なんかも 時々思うことあるんですけど
すごくいいものが出来たり

いい話が出来たり
いいストーリーが出来たり

いいシリーズが出来たりしたときに
次は もう

これ 超えられないんじゃないかなと
思ったりはすることあります?

そういう不安みたいな。

不安だったのは 作品のことよりも

常に あの…
まだ使ってもらえるんだろうかという。

70近くまでね…

そうですか。

打ち切られると。
ええ。

「スタッフ どうして食わすんだ!」って
目 覚めましてね。

その不安は ず~っとある?
このごろ ないですね。

このごろ なくなった?
ええ。

80… それこそ近くなってから
70過ぎてからでしたかね。

もう 万歳したって
みんな納得してくれるだろうというね。

ああ そうですか。
それは なくなるんだ。

それは まあ じゃあ
僕も待つことにしよう。

(笑い声)

では 前半はここまで。

東京大学 駒場リサーチキャンパス。

山中の研究室に
さいとうが やって来る。

(取材者)東大いらっしゃったのは?

…思いませんでしたよ。

こんにちは。
どうも どうも。

ありがとうございます。
この間は ご苦労さまでした。

ようこそ
東京大学まで いらしていただきました。

山中が手がけてきたデザインは
幅広い。

腕時計や携帯電話といった
工業製品から

鉄道の車両に至るまで。

これは 小児まひの人のため

教え子と共に開発したキーボード。

ゲームコントローラーのように持ち

親指だけで文字入力できる。

ニューヨーク近代美術館に
永久収蔵品として収められた。

そして 山中の名を広めた
IC自動改札機の開発。

山中が提案した このわずかな傾き。

これが全国普及の決め手となった。

今日ね あの…
山中さんに聞かなきゃいけないことをね

一応 書いてきたんです。
ああ そうなんですか。

要するに 山中さんのデザインの仕事とは
具体的には何をするのかという…。

「デザイン」っていう言葉が
日本で いろんな意味で使われますよね。

「デザインがいいね」って言うと 普通は

色がいいとか 形がいいとかのことを
言いますよね。

でも まあ グランドデザインとか

都市をデザインするとか
日本を どうデザインするとか

「計画する」っていう意味で
使うときもありますよね。

そもそもは あの…

ああ~ そうですか。
英語で「デザイン」なんですよね。

戦後になって ファッションデザインが
入ってきたときに 改めて

ああ… デザインって そういう意味も
あるんだっていうことに気が付いて

外来語のデザイン…

いいデザインといわれるものっちゅうのは
何だろうということなんですけどね。

やっぱり こう…

本質的には
そういうことなんですけどね。

えっと 一つ こう…。

これ 以前 僕がデザインした…。

それは… それは驚きましたね。
大根おろしなんですけどね。

要するに
デザインの良さというだけじゃなしに

便利さを… あれしたものでしょう。
はい。

これの… あっ さいとうさん
大根 おろされることありますか?

ありますよ それは。 ありますし

独りの生活 長かったですからね
結構やりましたよ。

あれは 大根の刃っていうのを
機械で作ると 一定で作っていくんで。

ざ~っと並んだときに…

実は これは
昔の職人さんが作ってる大根おろし。

銅に一つ一つ 刃が生えてる
高級品の大根おろしがあるんですけど

あれでは起こらないんです。
何でかっていうと

人が 一個一個 目立てして作るので…

適当に乱れるんです。 今だったら それ

できるじゃんっていうふうに
思ったんです。

なるほど。
で コンピューターの上で

その刃を一個一個 並べるんだけど
ちょっとずつ ずらしてやれば

ずらっと並んでる状況じゃなく
できるんで。

で 意図的に そういうふうに作った刃が
これなんですけどね。

なるほどね。 これ
使ってみたことはないんですけども

本当に デザイン…。
これをやると 従来のものに比べて

1.5倍ぐらいの速度でおろせる
っていうのを実験して確かめて。

角度も変えてるんですね。
で まあ もう一つ 大根おろしって

取っ手のあるものも
いろいろあるんですけど

実際 観察してみると みんな
縁を押さえて こうおろしてますよね。

なかなか…

だから 安定する場所…

こういうゴムの…。
ただのデザインじゃありませんね。

そういうことをした。

で まあ そうすると
ちょっと でかくなるので

一応 こう…
こうやって置けるようにもしたとか

いろいろ工夫をしたんですね。
なるほど…。

これやったおかげで…

そうですか!
僕も まさか…

ハハハハ…!
いやいや すばらしいですよ。

本質的な「おろす」っていう機能から

部屋の中での置き方から
手の添え方からっていうのを…

東京 六本木。

第一線のデザイナーたちの制作過程に
光を当てた 展覧会が開かれている。

中でも ひときわ目を引く
山中のスケッチ。

山中にとってスケッチは
デザインに欠かせない思考のツールだ。

実は 山中 東京大学で過ごした学生時代

漫画家の道を考えるほど
絵を描くことに没頭していた。

山中さんがね 漫画 描こうとした…

「五月病」っていう言葉が
東京大学にあるんですけど

で 五月病っていうのは

入学した学生が
5月になると目標を失って

だんだん やる気なくして
勉強しなくなることを言うんですけどね。

僕は5月よりも
ずっと遅かったんですけど

1年ぐらいたってから 何か こう…

本当に何していいか
分かんなくなっちゃったっていうときに

昔 描いてた落書きは好きだったなと
思いながら

落書きを こう
ちょっとし始めたんです。

野球漫画が大好きで。
野球漫画 すごいと思って

それをまねするところから
始めたんですけど。

そのうち 人体 描くのが
すっごく楽しくなって

勉強もしないで
漫画ばっかり描く生活になって

2回も留年してしまうんですけどね。

それで 漫画家になるっていうことも
すごく こう 本気で思ったんですけど。

それは当然ですわね。
これだけ… あれだけ描けて。

おっしゃるほど…。 そうなんですよね。

本当に漫画家になろうと
思ったときもあったんですけど…

機械の外観を考える人で

かっこいい車 作ったり
かっこいい家具 作ったりするのは

そういう人たちがやってるって。

山中は 自動車メーカーの
カーデザイナーとして歩み始める。

漫画と機械工学のはざまで揺れた末
出会った仕事だった。

たまたま 自動車会社の あるデザイン…
自動車会社のデザイン部長さんが

面白いやつがいるっていうんで
会ってくれただけだったんですけど。

で そこに…

漫画しか描いたことないんだけど…

…っていうふうに交渉してみたら まあ

「じゃあ 2週間あげるから

車 一台 デザインして
持ってきてごらん」とか…。

そこから 慌てて 車 いろいろ調べて。

車の絵 描いて
持ってったりしてるうちに

採用してくれたんですけどね。
もう 本当に 私なんか

うらやましいというより

ああ… そういう
伸びていき方もあるんだなという感じで。

スッとは いかなかったですよ。

だから カーデザイナー始めて

それは 車のデザインやれるって
最高じゃんって思って

始めたはずだったんだけど…

つまり
「これ以上 大きくしてはいけません」

「これ以上
ちっちゃくしてはいけません」っていう

幅5cmぐらいのゾーンが
作られてるんです。

その中でデザインしろって。

それより飛び出してもいけないし
縮めてもいけないっていうね。

…と思いました でも。

それはそれで すごい幸せな時間でも
あったんですけどね。

でも 何か じゃあ 機械工学は
ここは関係ないのかなって 逆にね。

機械ではあるんです。
作ってるのは機械ではあるんですけど

機械工学の担当者は別にいて

「お前は この上をきれいにしろ」って
言われてるって感じが

すごいしたんですよね。

それが こう
ちょっと違うかなと思ったのは…

30歳のとき
山中はフリーランスとして独立。

さまざまなデザインを手がけた後

ICカードを使った
自動改札機の開発に関わることになる。

例のSuicaの…。
はいはいはい…。

あの改札機の開発
どういうふうに関わったのか。

また どんなふうな形で
あれを考えたのか。

これ 最後に作った…

まあ 模型なんですけど

これも ごく初期の模型なんですけど。
はい。

我々 今 いろんなとこで
カード 使ってますから。

Suicaに… 乗るときもそうだし

それから セキュリティーゲートみたいなものも
ありますよね。

それから買い物もできますよね。

そのときに カード 近くに持ってかないと
反応しないっていうのは

当たり前のこととして知ってますね。

それから
ちょっと待たないといけない。

バッとやっただけじゃ駄目だっていうのも
知ってますよね。

これ もう 体感として
我々 もう 身についているので

近くに持ってって
ピッていうまで待つんですけど。

はいはい はいはい。
誰も持ってなかった…。

何とか ここのアンテナ…
このぐらいの

おわんを伏せたぐらいの
このぐらいの範囲の中に

カードを0.2秒。

短いようでも さっとやっちゃうと
0.1秒ぐらいしか… ないんです。

だから…

…っていう話がきた。

どういうデザインにすれば

誰もが0.2秒触れるようになるのか。

アンテナ面が内側に傾いたもの。

くぼみのあるもの。

さまざまな形を試作。

それを 実際の駅に設置して
改札を通る人々を観察し続けた。

いろんな形のもの 作って

それにカード…

それを 実際 田町の駅ですね。

そこに昼間にセットして

田町 うろうろしてるお客さんに
声かけて

「ちょっと 通ってみてください。
これ 新しい機械なんで」っていうんで

カードを渡して
通ってもらうっていうのを…。

まず 気をつけなきゃいけないのは
その技術が分かってる人は駄目なんです。

それが分かってる人は…。
それはそうだね。

分かってる人は
使い方は こうだって知っちゃうんで

それ 分かってない人を集めるの
意外に大変なんですけど。

それを集めて 実験してみたんですね。

案の定 こう 縦にかざしたり いろんな…
いろんな人いて

遠くから見せて通ろうとする人なんかも
いたりして。

定期券みたいに こう
見てくれるんじゃねえかって…。

いやあ 見てくんねえなみたいな人も
いたりして

なかなか大変だったんですけど。

実は この95年 96年に
これをやる前までの僕は

割と 何ていうか…

少しは それ以外のことも
考えてたんだけど

やっぱりメインは きれいな形を
考えることだと思ってたので。

ですけど…

直感的に すぐ分かります。

観察の末 山中は

ある結論にたどり着いた。

それは この傾斜。

13.5度の傾きだった。

結局 ちょっと手前に傾いてると

人間って 不思議と 何か
早めに目につくせいもあるんですけど…

このデザインが
すばらしいと思うんですよ。

それから…

光る矢印とか
いろいろランプとかつけると

そっちへ かざすんですよね。
ああ…!

これ そのものを
光らせなきゃ駄目だっていう…。

なるべく こういう… 値段が出たり
駄目ですよとかっていう表示は

ここから遠い所に置かなきゃいけない
っていうのも発見したんです。

それまで…

ちょっと それ 斜めにするだけで

だいぶ手前から分かりますからね。
そうなんですよね。

ちょっと斜めにするだけで
人間 不思議と止めてくれるんですね。

それまで真っ平らな所は
スーッと通すんですけど

こうなってると スーッと通せない。

通しちゃいけない感じが
するんでしょうね 何か…。

止めてくれるようになって。

…と思いました。

これが使えるっていうことが
認められたんで

今 全国… 日本全国 これ…

この13.5度傾いてるのが
共通になってるんで そういう意味では

僕がデザインしたものの中で
一番 ユーザー多いんですけど

8, 000万人ぐらいいるって状況では
あるんですけど。

それに対する自己評価は
とても低かったので

しばらくは
ほったらかしといたんですけど

デザイナー仲間の人に

「いや そんな大事な仕事を発表しない手は
ないだろう」っていうんで

「いや 実は こんなことをやったんですよ」
っていう展覧会を

2005年ぐらいかな…
2005年か2006年にやったら

すごい評判になって。 それから 何か…

ハハハハ…!

人間と技術をつなぐ
デザインの大切な役割を知った山中。

ある映像に くぎづけになる。

2008年 北京パラリンピック。

劇的な逆転劇を演じて優勝し

「ブレードランナー」と呼ばれた
義足走者の姿だった。

北京パラリンピックに出たときの映像を
見たときに

こんなに…

…シーンって そうそうないよなって
思ったんですよね。

それがね…

「義足」っていうのを
グーグルで引くところから始めて

だんだん調べていったんですけど。

そのうち こう… 義足のアスリート
義足の人たちが

練習… スポーツをやってるクラブの
存在なんかも知って

そういう所を訪ねていって
話を聞いたりしてるうちに

実は 一つ 気が付いたのは

義足って ちゃんとデザインしてる人が
いないやっていうことだったんですね。

実際 これ こういうものって

やっぱり 足を失った人が
本当に これで歩けるようになるのには

短くて3か月
長いと半年かかるんですよね。

だから 本当に自分の体が
これに適応するのに

長い練習が必要だし
喪失感から立ち直るのも必要…。

そういう 何か
本当に 苦しいところから

徐々に その一体感っていうのを
手に入れるんだっていうのも

それから勉強して
知ったことなんですよね。

そう なまやさしい世界じゃないな
っていうのも そのころ学んだし

それから デザインされてない理由は
すごいシンプルで。

つまり たくさん作るから商売になる。

その 義足っていうのは 一個一個…

そうすると そこで だから

一つ一つ デザインしなきゃ
いけなくなっちゃうんで…

なるほど。

山中は 「美しい義足」プロジェクトを

当時 赴任したばかりだった慶應大学で
学生たちと始めた。

義肢装具士や義足メーカーの協力も得て

美しさと機能を兼ね備えた

義足の開発を目指した。

山中の思いに共鳴するパートナーも
現れた。

後に
ロンドンパラリンピックにも出場する…

義足アスリートたちと意見を交わし

プロトタイプを作っては
試行錯誤を繰り返した。

足をはめるソケットから

板バネへ
しなやかにつながったフォルム。

改良の末

走る際の
身体のメカニズムと一体化された

新たな義足が生み出された。

高桑さんっていうのは
高校生のときに僕らと出会ってて

そのときには
まだ 足を失って1年半ぐらいで

ようやく
走り始めたばっかりだったんですけど。

そのころに出会ったときに 僕が…

…みたいなことで 絵 描いて見せたり

模型を見せたりしたら

彼女は すごく
その思想に賛同してくれて。

そのあと 一緒に作るように
なるんですけどね ずっと。

その結果 2012年 2013年には

一回 すごくきれいな義足っていうのを
作ることができて

それで 彼女は世界大会にも出てるし
日本の大会でも優勝するんですけど。

それに4年かかってるんですけど。
その4年の間に 彼女も

何か 頑張って練習して 僕らも
それは期待以上だったんですけど

4年間…

彼女が言った言葉で
すごい印象的だったことがあって。

「先生 この新しい義足… 先生たちが
デザインしてくれた義足をはいて

練習に行くようになってから
がらっと変わったことが 一つあります」。

彼女は 慶應大学の競走部って…
陸上部ですね。

…で 普通の走るアスリートたちと一緒に
ふだん 練習してて

彼女だけが義足っていう
状況だったんですけど

それまで いつも練習のあと
バックヤードとかで雑談してて

自分は その人たちの目の前で
義足を外したり

調整したりしてるんだけど

誰も見えないかのごとく
義足の話をしない。

で その…
まるで目に入ってないかのごとく

スルーされてたんだけど

新しい… かっこ良くデザインされた
義足をしていった途端に

「それ どういうふうにくっついてるの?」
とかね

「左右重さ違うのに
よくバランス取れてるよね」とか

そういう 何か 義足のことを
具体的に話してくれるようになる。

そんな感覚でしょうね。
それがね だから新鮮でしたって。

なるほどって… デザインするのは
本人のためだけじゃないんだなって。

周りの… 結果的には
本人のためでもあるんだけど…

…っていうふうには
それで思いますね。

デザインが社会を変えることもある。

山中たちは スポーツ用義足だけでなく

日常用義足の
コンセプトモデルも
製作する。

人工的な金属の美しさを見せながら

人体のシルエットを引用したデザイン。

着脱式の
すねと ふくらはぎのパーツには

服を着たときに 足の形を
きれいに見せる工夫が施されている。

大体 このデザインなんか
どういうとこから考えられました?

一般的には 日常生活で使うやつは
足そっくりに作っちゃうんですけどね。

プラスチックで 軟らかい素材の
ゴムみたいなもので成形したものと

それから
スポンジみたいなもので削って

足そっくり
肌色のものに作っちゃうんですけど。

いや いっそ機能的に…

日常生活でも優れた機能なんだけど…

なお でも この外形… 大体の外形…

立ったときの姿は美しい
っていうのを目指してるのが

この義足のような気がします。

今 山中の研究室からは

未来のモノ作りの種が
続々と生まれている。

基本的に これ 引っ張っていくと
指が まっすぐのまま動きますよと。

何か ここの部分が
ものにぶつかったときに

こう ぐっと回り込んで
つかんでくれますよと。

その輪を広げ 次世代に伝えていくのも
山中が大切にしていることだ。

新しい研究の種を
さいとうも見せてもらうことに。

これは…

こういうものが
ピョンっとこういうふうに…。

そうですね。 あれと…

…っていうのは すごいなって話ですね。

こうやって触っていただけると

手の中で もこもこ動いているのが
分かると思います。 そ~っと…。

ああ 本当だ。 へえ~。

こういう 何か
不思議な面白いものを作って…

一つは 我々の体の一部を
機械にしていくっていうのは

足 失っている 失ってないとか
かかわらず

未来は 自然な流れになるんだろうなとは
思います。

そういう世界になっていくときの
モノ作りの方法の研究でもある。

それから
人間の体にフィットするもの…。

ちなみに
座ってらっしゃる その椅子は

僕がデザインした椅子なんですけどね。
ああ そうですか。 ええ…。

まあ 椅子なんかのデザインも 僕は

とても体にフィットするって
どういうことっていうのを考えながら

デザインするんですけど。
そのときに想定してるのは

平均的な使用者なんですよ。

だから 僕が設計するときに想定した
170cmの男子だったとしますよね。

体重65kgぐらいの
普通の日本人男子だとすると

それ以外の人っていうのは
実は ちょっと小さかったり

ちょっと大きかったりするわけですよね。
はい はい。

だから さいとうさんにとって これは

もしかしたら
ちょっと大きい椅子かもしれないし…。

幅は ちょっと足らないかもしれない。
いや あの… 座り心地はね

もう ぴったりですね。
そうですか。

ただ ちょっと足が短い…
僕が… 届きが ちょっと…。

それは高さ変えられるんです 実は。
高さ…。 これは しかし ここで

調節できるようになってるんでしょ?
そうそう 調節…。

でも そういう意味で だから
量産品っていうのは 実は

それにフィットしてない人が
実は たくさんいるのを

みんなが我慢してる世界なんですよね。

そういう意味では あらゆるものが…

そうですね。
でも それは

今の社会でやると すごく複雑になる。

こういう椅子が
とても複雑な機構を持ってるのは

いろんな人の体形に
合わせようとするからですね。

シンプルじゃなくなる。 安く…。

高級にもなるっていうものを だから…

…っていうことは
これからのモノ作りの

一つの重要なターゲットだと思います。

…だとも思っています。
ああ なるほど。

これは
新たな技法で製作された義足。

山中は高価な義足を
より多くの人に 安く届けるため

設計や製造の技術も開発中だ。

最近始めたのは これで…

足を直接に計測して

そこから
ある程度 コンピューターを使って

自動的に この最適化された
軽くて丈夫な形っていうのを

コンピューターに
アシストしてもらいながら作るんですね。

照明みたいなものですね。

何か そういうものを当てて
バアーって こうするだけで…

へえ…。

そうすると 僕がひな型として
こんなパターンでいこうっていうのを

決めるだけで…。
ああ なるほど。

そのパターンが いろんな…
これが すごく長い人も短い人もいる。

これとこれとの距離が
遠い人も近い人もいるんですけど

そういう状況の中に 一つ一つ対応できる
っていう状況を作ろうとしてます。

これが まあ その…
「マスプロダクション」に対して

「マスカスタマイゼーション」
っていう言い方するんですけど

一つ一つ違うものを
安く作るための方法の研究にも

これから つながっていくんですけどね。

これ お土産に持っていってください。
ありがとうございます。

これ ファンなんですよ。
奥様にも ぜひ使っていただきたい。

ありがとうございます どうも。
本当に 今日はどうも

ありがとうございました。
ありがとうございました。 どうも。


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