英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」11代将軍・徳川家斉。大奥通いで子供は53人…



出典:『英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」[字]


江戸の最盛期に君臨した11代将軍・徳川家斉。大奥通いで作った子供はなんと53人。それを次々と大名家の跡継ぎや正室に送り込んでゆく。色好みの裏に隠された目的とは?


詳細情報

番組内容

18世紀末から19世紀前期、江戸は人口100万を数え最盛期を迎えていた。その時代に50年も君臨したのが11代将軍・徳川家斉。外国船が近海に出没し、不穏な気配が漂い始めているにもかかわらず、遊び好きで色好み。大奥に入り浸り、53人もの子供を作った。その子供たちを大名家に跡継ぎや正室として莫大な金とともに送り込む。まるで全国の大名家を自分の血筋で染め上げようとしているように。子だくさん将軍の真意とは?

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】浅野妙子,大石学,鹿島茂,【語り】松重豊



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英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」
  1. 家斉
  2. 将軍
  3. 尾張藩
  4. 尾張
  5. 時代
  6. 大名
  7. 大名家
  8. 藩主
  9. 尾張徳川家
  10. 養子
  11. 将軍家
  12. 世継
  13. 幕府
  14. 吉宗
  15. 正室
  16. 大奥
  17. 家格
  18. 血筋
  19. 全国
  20. 代将軍


『英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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出来上がったのは

まさに このころのことなのだ。

だが この江戸の最盛期に君臨した
徳川将軍が誰か

皆さんは答えられるだろうか。

答えは…

ところが 教科書に出てくる将軍 家斉は

「大奥」が代名詞。

40人を超える側室を持ち
産ませた子どもは なんと53人。

子作りばかりに励む放蕩将軍だ。

実は 家斉は 子どもの多くを
全国のおもだった大名家に

次々と
跡継ぎや正妻として送り込んでいる。

その数…

まるで 日本中のおもだった大名家を
自分の血筋で埋め尽くし

一大ファミリー化を図っているようにも
見えるのだ。

この大名ファミリー化には
一体 どのような目的があったのか。

スタジオには
さまざまな分野の専門家が結集。

家斉の大名ファミリー化計画に
大胆に迫っていく。

血縁の論理っていう…。

…だったんだなというふうに思いますね。

永遠にあるって。

(銃声)

追跡の中で見えてきたのは

幕末動乱にまで関わってくる
将軍家と大名家の意外な関係だった。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回 取り上げるのは とてつもない権力を
持っていた将軍が主人公です。

こちら。

江戸幕府…

磯田さん 徳川の将軍は

何人か取り上げていますけど

実は
家斉を取り上げるのは初めてなんですね。

そうですね いけませんね。
「いけません」?

だって 家斉は 将軍が…
50年間やったので歴代最長ですね。

こんな平均寿命が短いときに
たくさんやった人を取り上げなきゃ

江戸時代 分かったことにならない。
おお~。

しかしね これほど
いろんな人物像で イメージで

捉えられている人 少ないですね。

まず 大体 これまでは 放蕩将軍とかね

大奥が大好きで 入り浸ってて

贅沢三昧で
子だくさんとかいうわけですよ。

で この 子だくさん将軍として
知られていますけど

どのくらい 子どもがいたかというと
こちら。

ずら~っと。
多いですね。

53人。
そうですよ。

早死にした子もいるけれども
圧倒的でしょう。

こんだけいますからね。

…だから
何で こんなに作ったのかってことは

やっぱり 考えなきゃいけない。

全国の大名家に養子縁組みさせて

ある種の徳川ファミリー化計画
みたいなことを考えてたかもしれない。

ほかの将軍にはないような
政治的な意味があるような気もすると。

まさに この番組でしか聞けない観点で
見ていくということですね。

では 11代将軍 徳川家斉は

どのように 子どもたちを
大名家に送り込んだのか ご覧ください。

徳川家斉は 安永2年

8代将軍 吉宗の孫である…

7歳のとき 10代将軍 家治の跡継ぎが
急死したことで

次期将軍への道を歩みだす。

家斉の父 治済は
なんとしても家斉を次期将軍にしようと

時の老中 田沼意次に接近。

ほかの候補者を退け
家斉を将軍家の養子にさせた。

そして 天明6年 将軍 家治が病死。

同時に 父 治済の工作で 田沼意次が失脚。

老中となった
松平定信のもとで

寛政の改革が始まった。

しかし 家斉は将軍となって6年後

定信を退け
みずから政治を行い始めている。

当時の家斉の様子が
「徳川実紀」に記されている。

家斉は 早朝から日が高くなるまで

怠けることなく政務をこなし

真剣に政治に取り組んでいた。

しかし やがて 遊び好きの本性が現れる。

趣味は…

関東中の狩り場に足しげく通い

鴨を捕らえるだけでは飽き足らず

猪や鹿狩りまで行っている。

江戸湾に
16mもの巨大な鯨が現れると

目の前で見たいと
浜御殿の池に引き入れさせ

泳ぐ姿を見て楽しんだという逸話も。

そんな家斉を 最も特徴づけるのが

「色好み」だ。

15歳から大奥通いを始め

次々と女中に手をつけ

40人を超える側室を持ったとも
いわれている。

最初の子が生まれたのは 17歳のとき。

生涯で
53人もの子どもを もうけたとされる。

大奥に入り浸っていたのである。

さらに 家斉は 生まれた子どもたちを

全国の大名家に 世継ぎや正室として
次々に送り込んでゆく。

その結果
全国のおもだった大名の多くが

家斉の息子や娘婿となっていった。

その方法は 大名たちの弱みにつけ込む
実に巧みなものだった。

その一つが…

徳川将軍家を研究する
横山則孝さんは こう語る。

それから あと 何でしょうかね…

当時の大名たちは 参勤交代や
お手伝い普請などで借金を抱え

どの藩も財政難にあえいでいた。

それが
家斉の子どもを受け入れることで

借金を免除され
金銭的に支援を受けるなど

さまざまな恩恵を受けられたのだ。

その金額は ばく大なものだった。

例えば 御三家の一つ
水戸徳川家は

家斉の娘を正室に迎えたことで

幕府に借りていた19万2, 000両の返済が
免除されることに。

今の金額にして およそ200億円もの借金が
帳消しになったのである。

100万石の大名
加賀 前田家も

家斉の娘を正室に迎えた。

そのとき
正室のために作られた御殿の門が

現在の…

将軍の娘を迎えることで
大名も出費がかさんだのだが

家斉は 娘の化粧料として
毎年1万8, 000両

18億円もの財政支援を前田家に行った。

中には 世継ぎがいるにもかかわらず
廃嫡し

家斉の息子を
跡継ぎにもらい受けた藩もある。

明石 松平家。
これにより 2万石を加増され

10万石格の大名となった。

家族化の波は
外様大名にも及んだ。

徳島 蜂須賀家は

家斉の23男を
跡継ぎに受け入れ

仙台 伊達家や
長州 毛利家も

家斉の娘を
正室として迎えている。

こうして 将軍 家斉のファミリーとなった
大名家は

全国で21家に及んだ。

こうした縁組みにかかる
ばく大な費用を

家斉は どうやって工面したのだろうか。

その秘密は 貨幣の改鋳という
錬金術だった。

それまで流通していた…

金の含有量が少ない小判に
造り直させたのだ。

浮いた金の分が 幕府の利益になった。

家斉の貨幣改鋳は
小判以外の通貨にも及び

15年間で 1, 550万両近い利益があったと
いわれている。

いわば 強引に作り出した
潤沢な資金をもとに

子どもたちを 大名家に
跡継ぎや正室として送り込んでいたのだ。

さらに もう一つ
家斉が利用したのが「家の格」。

子どもを受け入れた大名たちを優遇し
「家格」を上げたのである。

実は 江戸城では この家格によって
すべてが区別されていた。

特に 大名が控える部屋は

家格により 7か所に分けられている。

最上位とされるのが

松之大廊下に面した 大廊下の一室。

御三家に 御家門

そして 加賀 前田家のみが使用できた。

主な譜代大名には

黒書院溜之間と帝鑑之間が用意され

10万石以上の外様大名や
官位の高い大名は

大広間が控えの間となった。

それ以外の大名155家には

3つの部屋が与えられている。

家格が低ければ
将軍に謁見する場合も集団で平伏。

立ったままの将軍に
目通りすることしか許されていない。

家格の差は歴然だった。

そんな下位の部屋から
大出世を遂げたのが

僅か6万石の大名だった…

家斉の20番目の息子を
養子に迎えることに成功。

すると 大部屋から

帝鑑之間 大広間を経由し

大廊下へと3段とびの大出世。

家紋も
三つ葉葵の紋の使用を許されるという

破格の扱いを受けることになった。

将軍 家斉の権力を
いかんなく誇示したともいえる

家格の上昇。

そのことを如実に伝える史料が
秋田県に残されていた。

こちらが…

これは出羽 久保田藩の藩主 佐竹義厚が

家格を上げるため
鉢植えの松や 置物代として

老中や側用人などに
折々に200両以上を贈ったという記録。

その中に…。

ここにですね

「五百両 大御所様へ 御内献上 御庭石代」
というふうに書かれております。

なんと 義厚は
家斉にも 直接 金を贈り

官位を
買おうとしていたのだ。

運動は2年にわたり 総額で4, 841両。

実に 5億円近い金を
将軍家と幕府に納めている。

その結果 藩主 義厚は

少将という朝廷の官位に就き

家格上昇に成功した。

金と家格を巧みに使った
大名支配と子ども送り込み。

果たして 家斉は
ただの贅沢三昧将軍だったのか。

磯田さん こうして見ると
家斉は大胆ですし

結構 したたかな将軍という印象ですけど。
そうですね。

ある意味 スケールが大きい 何か…

ヨーロッパでいうと…

大体 前近代の王様や
こういう権力… 君主っていうのは

平和な時代は 血でいきますよね。

これは もう
血縁関係を 非常にうまく利用して

自己の勢力拡大をしたと。
はい。

今回も さまざまな分野から
ゲストをお招きしています。

よろしくお願いいたします 皆さん。

まずはですね 番組初登場の
脚本家の浅野妙子さんです。

よろしくお願いします。
お願いします。

浅野さんは 映画やドラマの「大奥」の
脚本を書かれていらっしゃいますが

将軍 家斉というのは
どういう人物だと考えますか?

そうですね やっぱり

50年ぐらい君臨していて

その間に すごく大きな出来事もなく

子どもを
たくさん作ったっていうことで

何となく 私の中では こう…

何か いろんな将軍を 今まで書いてきて

必ず こう 苦悩を背負った人の姿を
書いたんですけど

やっぱり 家斉は 何となく こう…

そんなイメージがありますね。
ああ そうですか。

その時代の大奥っていうのは
どういう印象でしょうか?

その時代の大奥はですね
あの… 緩い。 やっぱり。

50人近くの子どもを… 産んだ
ということが分かってるだけでも

それだけの側室がいて

さらに 手をつけた人は
もっといたと思うんですね。

その手をつけた人は
大奥 出られないわけですよね。

何ていうのかな…

一回しか そういうことがなかったのに
ずっと大奥にいるわけですから

何ていうのかな
うっぷんも いっぱいたまっていて

そういう人たちが外へ出ていって…

お寺に お寺参りをして そこで

イケメンのお坊さんと
何か よからぬことをするっていう。

ある種 退廃した大奥の姿は
おもしろいと思います。

鹿島さんは どうですか?

フランス文学という異分野から見ると
この家斉という人物。

家斉はですね 例えば

ルイ15世っていうのが
一番よく似てるんですよ。

時代的にも 大体…

ほぼ同じと言っても
いいので。

ルイ15世はね
子どもが23人。

似てる部分もあって。

しかし 家のですね…

ああ そうですか。

ヨーロッパは キリスト教社会ですから…

それから…

(鹿島)だから 家斉が 例えば

養子とかね 子を送り込むでしょ
こっちを廃嫡して。

ああいうことは 絶対できないです。

それは フランスでは ない?
ないんです。

大石さんは まさに
この時代の専門家でいらっしゃいますが

家斉というのは
どういう将軍だと考えますか?

家斉自身は
いろんな評価があるんですけれども

50年ずっと 将軍として
やっていたっていうのは

単なる ぼうっとした人
じゃなくて

意外と冷静に

表の政治を見れた人かな
っていう気がしますね。

血脈の問題というのは
大きくて。

徳川の血を
要するに家族としてですね…

(大石)そして ファミリー化っていうのは
やっぱり 考えられてたとは思いますが

ただ それは
家斉一人で考えたかっていうと

やっぱり 老中をはじめとする
幕府の官僚たちが

合意してないとできないことですよね。
ええ。

そういう意味では 幕府の政策として
見ることができると思いますね。

この家斉って 不思議なのは…

だから 神君 家康を
本当に敬ってたかっていうと

50年やって
日光へお参りに行かない将軍。

だから…

…と僕は考えている。

なるほど。
いかがですか? 大石さん その考え方。

ちょっと考えたことなかったんですけど
言われてみると

彼は 8代将軍 吉宗は
だいぶ意識してるんですけどね。

だから その先の その吉宗が
とても尊敬していた家康化を狙う。

それは あるかもしれないですね。

歴代将軍で 一番 家康を尊敬してたのは
家光で。

一番 恐らく尊敬してなかったであろう

何か違う世界を目指してただろう…
僕は家斉だと思ってるんですよ。

全国の大名家を 血筋で
一つにまとめたかった家斉。

その背景には 当時の幕府が抱える
危機感がありました。

18世紀末から19世紀

家斉の統治した時代には

日本をめぐる環境が
大きく変わろうとしていた。

外国船が
日本近海に現れるようになっていたのだ。

寛政4年 ロシアの使節 ラックスマンが

根室に来航して
通商を求めたのを始まりに

イギリス船が長崎港に侵入するなど
外圧が高まっていた。

当然 家斉の耳にも その知らせは入る。

幕臣の記録によると…。

通商を求めるロシア船の来航に
家斉が頭を悩ませ

外国船への対策を たびたび議論したと
伝わっているのだ。

しかし 外国船対策を
幕府の指示のもと 一元的に行うには

当時の幕藩体制は適していなかった。

それぞれの地域を支配しているのは
大名で

中には 外国と密貿易を行うものもあり

足並みをそろえるような状態では
なかった。

そんな中 家斉の子どもたちで

全国の大名家をファミリー化すれば
結束が高まり

将軍の命令に従いやすい状態が出来たとも
考えられる。

さらに もう一つ 問題があった。

徳川一門の結束である。

緩みが出ていたのだ。

家斉が特に注目したのが…

尾張藩は…

徳川家康の9男 義直を
初代藩主に頂く名門だ。

尾張藩が位置する場所は

西国で反乱が起きた場合
幕府を守る盾になる重要な拠点でもある。

そんな尾張徳川家だが
初代 義直の血筋が8代続き

将軍家とは
すっかり血縁が薄くなっていた。

さらに 8代将軍の座を
尾張藩を差し置いて

紀州藩主の徳川吉宗が
勝ち取ったことで不仲となり

尾張藩7代藩主となった宗春は
吉宗と対立。

宗春は 蟄居謹慎させられ

その後も
将軍家と尾張の間には緊張が続いていた。

そこで家斉が考えたのが
娘を送り込むことだった。

尾張徳川家に娘を嫁がせ
跡継ぎが生まれれば

その子は家斉の孫。
ファミリーになれる。

家斉は 5歳になったばかりの
長女 淑姫を

尾張の世継ぎと婚約させた。

しかし 同じ年
その世継ぎが病死。

家斉のもくろみは
あえなく ついえてしまった。

その3年後
空いていた尾張の世継ぎに

家斉は
生まれたばかりの4男を

養子として送り込んだ。

しかし その4男は
僅か1年で病死してしまう。

だが 家斉は諦めない。

1年後 今度は
弟の子を

尾張藩主の世継ぎに
送り込み

その子に
自分の10歳になった長女を

嫁がせるという
ウルトラCで

尾張徳川家を
ファミリー化しようとする。

家斉は 養子に入った弟の子に

斉朝という名前を与えている。

そして 翌年 斉朝は
尾張藩10代藩主となり

ついに
家斉の尾張ファミリー化は成功する。

たび重なる家斉の子ども送り込み工作。

尾張徳川家の歴史を研究する
原 史彦さんは

尾張藩も最初は
将軍家からの養子を歓迎していたと言う。

しかし 順風満帆は続かなかった。

3人目に送り込んだ斉朝は
順調に尾張藩を統治するものの

淑姫との間に世継ぎが出来なかったのだ。

いってまいります。

家斉は 夫婦の養子として

19男の斉温を送り込む。

このとき 家斉 50歳。

あくまでも尾張徳川家を

ファミリーの中に
つなぎ止めておこうとしたのである。

斉朝を継いで
尾張藩11代藩主となった斉温は

天保9年
江戸城 西の丸が大火で焼失したとき

父 家斉のために 見舞い金として

9万両もの大金と 大量の木曽檜を
献上したという。

「家長である家斉を

大名家を継いだ子どもたちが
助けてくれる」。

それこそが 家斉の目指す
「ファミリー」だった。

というわけで 家斉が 尾張徳川家に対し

執ように自分の子どもを入れようとする
様子をご覧いただきました。

大石さん それにしても
この家斉の時代には

異国船の来航や
諸大名の統治の引き締めなど

結構 幕府にとっても
いろんな課題が山積していたんですね。

そうですね。
後に やがて 水戸の斉昭という人が…

「内憂外患」と よく言いますけれども

内の憂いと それから
外の患いですけども

これは初発的な形で ここで見えてきたと
言っていいと思いますね。

家斉だけではなくて 幕府官僚たちも

対応せざるをえない状況に
追い込まれていたことは

間違いないと思います。 はい。
ロシアは迫ってくるし

イギリスの軍艦も ちらほら現れて
という時代ですよね。

問題なのは 日本は島国なんで
日本の海岸線は つながっていると。

つながってて ばらばらだと
海岸防御ができないわけですね。

それを 何となく
血のバンドで もう一回…

竹が 節があるから まとまるように

あるいは たるのバンドを巻くように

広がり過ぎたものを
もう一回 締めるという。

血筋のバンドを締めるっていう役割は
随分 やったとは思います。

で その中でも
こと尾張徳川家に対しては

かなり執着して かなりこだわって

ずっと つながっていたいという
印象ですが。

じゃあ 「なんとしてでも尾張は」って…。

徳川内野党の尾張を もう なくすると。

だから 家斉一強の状態を作る
ということなんですよね。

浅野さん どう ご覧になりました?
えっとですね…

8代将軍の吉宗のときから すでに…

将軍 吉宗になる前に
尾張にいた候補が次々倒れて

そのときも暗殺まがいのうわさがある
おかしな死に方をして

吉宗に お株が回ってきて。

その尾張家っていうのは 何か こう…

自分たちが寝首をかいて そこに…

将軍になってきたっていう
歴史があるから。

この人たちに
何か 裏切られるんじゃないかという

何か 恐怖があったんじゃないか
っていうふうに思います。

だから そこを懐柔するための
何か 作戦なのかなっていう。

水戸は 石高でいうと半分なんですね。

何かあったとき…
「御三家」っていうんだけども

両極の… この二つ
二家が勝負なんですね。

みんなは尾張だろうと思ってたのに
紀州がなったっていうんで

やっぱり
それ以来の因縁っていうのはあって。

だから 紀州系にとっては
やっぱり 尾張っていうのは

大変な… 最強の脅威だったと思います。

鹿島さんは どう考えます?
皆さんの話を…。

ブルボン家を例にとると

ブルボン家にとっての 親藩というのは

オルレアン家と それから コンデ家という
2つあるんですね。

この2つの…

例えばね ルイ14世の若いときに
内戦があったんですね。

その内戦で敵方に立ったのはコンデ家。

コンデ家のグラン・コンデが
うまくやってれば

あそこで王家のチェンジがなっただろうと
いわれてるんですね。

それから オルレアン家というのは

宮廷内で やはり 陰謀は
年中 渦巻いてるんです。

その陰謀が渦巻くときに
よく担がれるんですね

オルレアン家の当主というのはね。
ああ そうなんですね。

尾張の紀州化っていうのが
当時の将軍家にとっては

もう 念願だった。
「念願だった」。

尾張徳川家にとっては
若干 迷惑な感じだったんですかね。

…かもしれませんね。
最初は期待したでしょうけどね

次から次へと死んじゃあ
また来る また来るでね。

しかも かなり ウルトラCを使って。
そうそう…。

ライバルという感覚は
すごく強かったと思うんですけど。

家斉のころになると たぶん その…

御三卿とかも出来ちゃって

自分のところが将軍になる
っていうふうには

あんまり考えなかったかも…。

そこが だから 分かれ目で…

そっちのほうにいってたんじゃないかな
とは思いますけどね。

尾張の中も たぶん
いろんな考えがあって。

たぶん 吉宗と争ったころ辺りから

もし 徳川将軍家と天皇家が
戦争になるようなことがあったら

間違いなく「天皇側につけ」みたいなことは
藩主が言って

書物に残してるような状況が
生まれていて。

非常に 尾張は 紀州なんかより
格上だっていう意思が強いので。

(浅野)じゃあ どっかで もう
恨み 許すまじみたいな…。

だから ひょっとすると…。
心の中では。

これは
歴史学者が言っちゃいけないんだけど

本当に あんなに…
5回も押し込まないと

そのたびごとに
次々に死ぬっていうのは…。

だって お膳を出すのは家来ですからね
尾張家の。

「何にもやらなかったって
本当に言えるのか?」と言われると

やっぱり 僕は忍者の研究を
尾張 してますから もう これ…

そうとは言わないけど
調査は継続したいと思いますね 捜査は。

確かに 想像力は かきたてられますよね。
かきたてられる。

しかし 家斉の この政策ですが
思わぬ落とし穴がありました。

そして 選択が待ち構えることになります。

4回にわたって
世継ぎや正室を送り込まれ

家斉のファミリーとなっていた尾張藩。

11代藩主となった斉温は

天保7年に
公家 近衛家の姫 福君と結婚した。

この婚儀は 尾張藩に
ばく大な費用を強いることになった。

その婚礼道具が
徳川美術館に残されている。

婚礼道具は…

…と呼ばれる。

黒漆に金銀の粉をまいて研ぎ出した
総梨子地。

精巧な細工の中には 徳川家の葵紋と

近衛家の抱き牡丹紋が
あしらわれているものも。

大体…

福君の婚礼調度品は

化粧道具や文房具 飲食器など
210点に及ぶ。

まさに 贅を尽くした婚礼調度品だった。

当然 福君の出立の準備も
すべて 尾張藩が手配した。

京都から江戸へ下向する福君の行列は
1, 000人を超え

これにもまた
巨額の費用がかかったといわれている。

ところが 婚儀から僅か3年後

斉温は21歳の若さで急死してしまった。

跡継ぎがいなかったことで
尾張藩内は混乱する。

藩士たちは
たび重なる 家斉の子の受け入れが

藩の財政を圧迫したとし

次こそは 尾張藩初代の血筋の分家から
次の藩主をと期待するようになっていた。

このとき 家老に出された意見書には…。

「たび重なる世継ぎ受け入れは
天下の嘲りを受け

将軍家の乗っ取りに怨念を持つ者や

御国の恥と嘆く家臣が大勢いる」と
書かれていた。

このとき 家斉 67歳。

空席となった尾張の藩主の座を
どうするか。

家斉の心の内に分け入ってみよう。

今や 親戚中を探しても

養子に送り込める子や孫はいない。

しかし 尾張藩の中から
不平不満の声が上がっているありさまは

将軍家離れを意味するものでもあり

今 手綱を緩めるのは危険だ。

養子に出せる子どもがいないのなら
考え方を変えればいい。

ここは よその大名家を継いだ息子を
一旦 将軍家に戻し

尾張藩へ 改めて 世継ぎとして
送り込むのが上策では?

いやいや 男子は手元にいないものの
女子なら まだ 手元にいる。

夫と死別し 出戻った 21歳の永姫か

婚約しているものの まだ13歳の泰姫。

ここは
尾張藩の親族から新藩主を迎えさせ

そこに
どちらかの娘を正室として送り込もうか。

子どもが生まれれば

我が血筋が跡を継ぐことになる。

しかし それまでには
何年もの月日がかかってしまう。

わしも もう67歳。

待てるか?

いや 誰も送らないという道もある。

将軍家に あくまで
忠誠を尽くすとさえ誓わせておけば

あとは 尾張藩の好きにさせるのも
いいかもしれない。

そうすれば いらぬ反発もされずに済む。

尾張藩を手放さないためには
どうすればよいのか

家斉は選択を迫られていた。

尾張徳川に対し
5人目の子どもを送るかどうか。

このとき 考えられる選択肢は3つです。

選択1が
ほかの家を継いだ息子を引き剥がし

新たに
尾張徳川家に送り込むのか。

それとも
尾張徳川家が親族を藩主としたところに

娘を嫁に送り込むか。

子どもがいない以上
尾張徳川家の自由にさせる。

しかし 将軍への忠誠を
何らかの形で約束させるか。

皆さんが家斉と同じ立場であれば

どうするのか聞いていきます。
まずは 浅野さん。

私は「2」ですね。

理由はですね まず

それだけ すごい反発を
受けているっていうことは

他家から男子を引き抜いて

まず そこで
その他家から すごく…

その大名家からも
反発がありますよね。

だったら
女子を出すほうが より自然だし

あと その女子が子どもを産めば
そこに血が入ってくるわけだから

それは尾張の親戚… 親戚というか
尾張の子になるわけだから

そっちのほうが 何か マイルドな
政策なんじゃないかなと思いました。

大石さんは どちらを選びますか?

私は 無理をしても
男子を尾張徳川家に送るのが

ベストだと思いますね。
はい。

この状況は いわば…

お互いに エゴのぶつかり合い
なんですけれども。

この当時
藩が自立化しだすんですよね。

自分のところで特産物を作って

全国に売りに出したり…

そういうときに 尾張が 真っ先に
そういうことを許してしまうと

今度は 尾張にいる人たちは
そういうことが連鎖する可能性があって…

そういう意味では
男子を きちっと入れて

そして 徳川化していく
ファミリー化していくっていう。

これが ベストだと思いますね。

鹿島さん いかがでしょう?
僕は やはり

忠誠を誓わせて誰も送らないという。

ブルボン家でね
百年戦争以前にですね

「親王」「領土」…

これ 「アパナージュ」って
呼ばれるんですけども

親王に… つまり 王の弟たちに
領土を与えちゃったんですよ。

百年戦争のときにね。

すると それが独立して
王家に反乱を起こすんですね。

だから
ブルボン家になってからは

親王… つまり 王の弟たちは
それぞれ 領土を与えない。

お金だけ与えて宮廷にいさせる。

結構…

ああ なるほど。

しっかり それは もう
忠誠を誓わせておけば

子どもを動かしたりする必要はないと。
…ということですね。

磯田さんは 皆さんのお話を
聞いたうえで…。        僕は選択1。

選択1?
もう 絶対に

男の子を無理やりでも尾張に入れる。

一番の親戚が尾張家なんですよ。

さあ それでは
家斉がとった決断をご覧ください。

家斉は決断を下した。

御三卿の一つ
田安家の当主になっていた12男の斉荘を

亡くなった藩主 斉温の末期養子とし

尾張藩12代藩主を継がせたのだ。

これには 尾張藩士の不満が爆発する。

押しつけ養子であると
批判の声が上がった。

家斉は 尾張藩をなだめるため

当時 日本有数の商業地で
10万石相当といわれた

近江八幡を加増する。

さらに 8代将軍 吉宗と対立し
蟄居謹慎させられた

7代藩主 宗春の罪を許し
官位も元に戻す。

家斉は いかなる代償を支払ってでも

尾張藩を身内にとどめようと
決めていたのだ。

斉荘が尾張藩主になったことを見届けた
家斉は

2年後に世を去る。

69歳だった。

だが 尾張の問題は終わらなかった。

家斉の死から僅か4年後 斉荘が病死。

再び 尾張藩主の座が空席になってしまう。

家斉の息子の12代将軍 家慶は

なおも親しい身内を
尾張藩主にすることにこだわり

家斉の弟の子ども…

新藩主となった慶臧に

兄である越前福井藩主の松平春嶽は
手紙を送り

尾張国内をなだめるように指示している。

手紙には

「家臣から
気に入らないことを言われても

決して とがめだてしないこと。

仁心をもって接すること」と記されている。

しかし その4年後

慶臧は14歳で亡くなってしまう。

跡を継ぎ
14代藩主となったのは

初代藩主 義直の流れをくむ

美濃高須藩
松平家の徳川慶勝だった。

ついに 尾張藩は
家斉ファミリーではなくなった。

家斉の死から27年後の…

旧幕府軍と新政府軍の間で…

このとき
新政府軍の中心となっていた長州藩。

藩主 毛利家は かつて
家斉の娘を正室に迎え入れたが

子どもは生まれず
家斉の血筋とはならなかった。

家斉の子どもを送り込まれた21家の中で

家斉の血筋が当主となっていたのは

加賀藩 前田家と
徳島藩 蜂須賀家

鳥取藩 池田家
そして

姫路藩 酒井家の
4家のみ。

しかし この4家が
旧幕府側につくことはなかった。

そして 尾張藩藩主となっていた
徳川慶勝は

新政府の要職に就き

江戸攻めの進路にあたる大名たちを
新政府側につくよう説得する。

江戸無血開城の受け取り役も
尾張藩が務めた。

家斉が50年かけて行った
大名ファミリー化計画。

それが幕府を支えることはなかった。

というわけで 家斉の養子縁組みは
幕末のころには

だいぶ その効果を失いかけていた部分も
ありましたが。

大石さん 改めて考えると
この 子だくさん政策というのは

失敗だったんでしょうか?
成功だったんでしょうか?

ちょっと こう…
いわゆる ロマンチストで

現実離れしていた政策かなと思いますが

気持ちとしては
分からないことないですね。

日本を 一つの大きな共同体
家族にしてしまおうっていう。

一つ言えるのは…

…っていう気がしますね。

なぜかっていうと 家臣たちが
官僚として どんどん成長していって

今みたいに 誰が来ても
その藩主は いらないんですよね。

藩主は 結局 権威はあるけれども
権力は持てない。

もう 藩っていうのは
自立性が だんだん出てきて

軍事力 経済力 政治力がついてきた
段階での藩主の力っていうのは

もう 江戸初期とは違ってきている
っていうふうに考えるべきですね。

このころになるとね 藩主はね
たぶん 自分の側用人とか

側近職に対する人事権は
かなり振るえるんですけど

奉行だとか 家老会議をやってる
閣僚たちの人事権は ほとんどない。

4年くらいで死んじゃったら

全く藩政の掌握ができないんです。
はっきり言うと。

浅野さん この家斉の
子だくさん政策っていうのを

今まで見てきて
どう ご覧になりましたか?

そうですね やっぱり 何か

こんなに時代が動いているのに…

…っていうふうに思いますね。

外から来る荒波を避けて
一致団結するとかっていうふうに

もし 思ってたとしたら

そんなわけないよねっていうふうに
ちょっと… そうですね。

だから その時代の はざまが ちょうど…

近代化みたいなことに

ついていけなかったんじゃないのかなと
思います。

どっか…

そんな気がします。

まさか このあと 幕末にかけての
激動のことが起こるとまでは…。

思ってなかったんじゃないかなっていう
気がします。

家斉の
徳川ファミリー化政策っていうのは

徳川体制の強化を目指したんだけど

実は 逆説的に…

…面もあると僕は見るんですよ。
それは なぜかっていうと

将軍のお婿さんになったり
将軍の子どもを養子に取ると

それまで…

しかも 家斉は 婿になったら

天皇からもらう官位を上げてやる
ということをやるから

大名たちは…

…という意識を一層 増すことになる。

そうすると 将軍へのすり寄りではなくて
天皇へのすり寄りになっていくと。

「将軍っつったって 結局 人間だよね」と。

「俺たちも競争できるよね」と。

「天皇のほうへ いこう」というふうに…

…気もするんですよ。 意図とは反対して。

リスペクトする対象として
徳川… 将軍っていうのが

消えてってしまうんですね。 なるほど。

でも 今回はね
その徳川ファミリー化計画という

大胆仮説を番組独自に立てて
お送りしましたが

改めて 子だくさん将軍であった
家斉の物語

皆さん どんなことを感じたのか。
鹿島さん どんなことを感じましたか?

子どもたちを配るっていうので これ…

でも 本来…

つまり 有能な人間から 全国支配で

官吏としてですね… 官僚として
地方に言うことを聞くですね…。

しかも 土着を王族化しないっていう。

その2つを制御しないと
中央集権化はならないんですよ。

だから 血脈中央集権っていうのは

ちょっと無理があったんじゃないかな
という気はしますね。

最終的には時代に乗り遅れちゃったのかな
という感じがして。

でも ある意味
何か 幸せな感じもしますね。

つまり 本当の外憂…
アメリカが来るとか

幕末… その志士たちが立ち上がって
ひっくり返されるっていう

本当の危機は 彼が死ぬまでは…
端緒としてはあったけど

やっぱり そこまでいってないから 何か…

ぼんやり思いながら
死ねたんじゃないのかなっていう…。

幸せな人だった…。
やっぱり お花畑で遊んで

幸せに亡くなったのかなというふうに
思います。

まだ このころは 外国船って
長崎のほうだとか

北海道だとか 北茨城だとかに
捕鯨船が来る程度の話で

本当に フル装備の軍艦が
ペリーのように

江戸湾に入ってくるというほどの
あれはないので

この執行猶予があったわけですよ。
なるほど…。

似てるなって感じるのは 例えば 私…

平成の30年間って
その前の20年 30年に比べると…

文化的な面でも ものすごく大きな変化が
あるっていう感じじゃなく

みんなが その… 何ていうのかな?

何となく 先が あんまり見えない…。

でも 何か とりあえず
楽しく暮らしていけてる感じっていうか。

さあ 磯田さん
今日は この家斉を通して

子だくさん政策 この時代のことを
見ていきましたけれど

どんなことを思いましたか?
いや おもしろかったですね。

…っていうふうに話してきましたけどね。

何か やっぱり
家斉の時代って ちょっと…

…のような気がしますね。

祭り酒じゃないかなと思うんですよ。

そのときは やってて 楽しいんですよ。
ほろ酔いなんですよ。

だけど 考えてみたら…
その場は よかったんですけど

だんだん やってるうちに
ボディーブローのように効いてきて

遅効性… ゆっくり効く幕府弱体化
っていう問題には ちょっと なって。

根本解決には なってなかったかな
という気もするんですよね。

でも やっぱり ちょっと
こういう 長い目で見たときに

これは どうなるのかっていうのを

「おもしろうて やがて 悲しき花火かな」
じゃないですけど

ちょっと おもしろい… 何とか…
よく先が見えない時代っていうのは

これ 続けたら
どうなるのかなっていうことを

やっぱり 考えるほうがいいのかな。

ただ でも

不幸せではないですよね この時代は。
人間が。

ここ 大事なことで。

不幸せではない時代だと
そういうことを思いましたね。

でも 先は見なきゃいけない。

先は
見なきゃいけないのかもしれませんね。

さあ 今日は 番組独自の視点で
家斉について 見てきました。

皆さん 今日は ありがとうございました。
ありがとうございました。


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