再会 ~今だから言える、聞ける、話せること~ 平成のプロ野球界を彩ったレジェンド達が「再会」を果たした時…



出典:『再会 ~今だから言える、聞ける、話せること~ 平成のプロ野球界』の番組情報(EPGから引用)


再会 ~今だから言える、聞ける、話せること~[字]


平成のプロ野球界を彩ったレジェンド達が「再会」を果たした時、知られざる本音と真実が明らかに…。松井秀喜×高橋由伸、上原浩治×阿部慎之助、岡本和真×吉田正尚


詳細情報

番組内容

【松井秀喜×高橋由伸 上原浩治×阿部慎之助 岡本和真×吉田正尚】

ドラフト1位としてプロの世界に入り、日本を代表する選手という選ばれし地位を築いてきた選手達。平成から令和に時代が移り行くのと同じように彼らの野球人生も1人、また1人と岐路を迎えてきた。指導者として歩む者。野球界から距離を置いた者。引退を決断した者。レジェンドの系譜を受け継いだ者。

つづき①

それぞれがそれぞれの立場となった時に実現した「再会」。戦友、相棒、同級生、ともに戦い、絆で結ばれた彼らだが、共通して口にすることがある。ユニフォームを着ている間はどうしても言えないこと、聞けないこと、話せないことがある。それがプロ野球選手という道で成功した男達に共通する矜持。

つづき②

だからこそ野球人生の岐路を迎えた時、彼らは長い間心に留めていた本音をさらけ出すことができる。転機を迎えた男達再会を果たした時、知られざる本音と真実が明らかに…。

出演者

 松井秀喜×高橋由伸

 上原浩治×阿部慎之助

 岡本和真×吉田正尚



『再会 ~今だから言える、聞ける、話せること~ 平成のプロ野球界』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

再会 ~今だから言える、聞ける、話せること~ 平成のプロ野球界
  1. 自分
  2. 松井
  3. スタッフ
  4. 慎之助
  5. ホームラン
  6. 巨人
  7. 上原
  8. 年目
  9. ピッチャー
  10. 監督
  11. 気持
  12. 球場
  13. 日本
  14. ホント
  15. 阿部
  16. 選手
  17. ジャイアンツ
  18. チーム
  19. 成績
  20. 一緒


『再会 ~今だから言える、聞ける、話せること~ 平成のプロ野球界』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓テレビ東京関連商品

ニューヨーク。

夢追い人が行きつく街。

ニューヨーク生活…。

松井秀喜が
この街に暮らして18年。

現役を退いて もう7年がたつ。

なんとなくですかね。
もう なんか

忘れられない人たちがいる。

共に戦った仲間。

しのぎを削ったライバル。

未来を託した後輩たち。

時を重ねた今だからこそ
言えることがある。

今夜 明かされる

7人の男たちの胸の内。

心の奥底に眠らせてきた

本音を聞こう。

昔話も悪くない。

あの日があるから 今がある。

久しぶりに ゆっくり話せたので
いい時間でしたね。 私としては。

でも また
彼がユニフォーム着てないときに

会ったのも初めてですし。

昔のまま いろいろ話せたんで
よかったなと思いますね。

摩天楼の玄関口に
あの男の姿が。

(スタッフ)お疲れさまです。
おはようございます。

巨人軍前監督
高橋由伸。

松井との再会を彼は望んだ。

伝統の巨人軍。

共に中心選手だった2人。

それゆえに…。

火花散る第一線を離れて

静かに湧き上がってきた思い。

松井にとって
自分はどのような存在だったのか。

それを確かめたい。

再会の舞台はヤンキースタジアム。

球団発足から120年。

数多くのヒーローを生んだ球場は
10年ほど前

ばく大な資金を投入して
生まれ変わった。

そのころ…。

高橋にとっては

初めて足を踏み入れる
ベースボールの聖地。

あ~ やっぱ いい球場ですね。
すごいな。

やっぱり どこも広いようで
近いからいいんだろうね。

すごい近くない?
違うのかな 一緒なのかな。

すごい近く感じる。

5万2, 000人を飲み込む野球場。

客席は広く快適で プレーも見やすい。

お待たせ どうもどうも。
ありがとうございます。

わざわざ はるばる遠くまで
ありがとう。

いや~ でも すごいですね。
いい球場だよね。

いい球場ですね。

きれいだよね。
芝生も きれいだし。

でも 昔の球場 だいぶまねて
造ったんじゃないかな。

雰囲気は似てる感じなんですか?

似てるけど でも 違うとこは
やっぱ違うよね。

もっと やっぱ近代的…
なんていうんだろうな。

もっと ゆったりした感じ。
昔もっと… タイトだった。

大きかったんだけど もっとタイト。

(スタッフ)ヤンキースタジアムで お二人
再会されたっていうのは

いかがですか?
この場所で再会。

不思議な感じだよね。
なんか… あれですね。

改まっちゃう。
(笑い声)

たぶんね ヤンキースの松井秀喜
っていう あれは

ほとんどないですから。
彼の中ではね たぶん。

なんか ここでやってたんだろうな
って言っても

イメージ湧かないんじゃないかなと
思って。

ちょっと僕の知ってる松井秀喜と
違う松井秀喜に

思えちゃうかもしれないです。
松井さんに。

なんか そんな感じは
するかもしれないですね。

いつも会うのも東京でしか
会わないですし。

ヤンキースタジアムといえば
忘れられない あのホームラン。

ホームランね。
えっ? どんなホームランですか?

最後のホームランですか?

フィリーズとのワールドシリーズ第6戦。

ノーアウト ランナー1塁。

松井は先制のツーランホームランを放つなど
6打点を挙げ

チームを世界一に導いた。

そして シリーズMVPを獲得。

今は ホントに もう最高ですね。
それ以外 ないです。

ジーター。
ジーター…。

ジーターのミドルネームがサンダーソンなんて
初めて知った。

(笑い声)

ここはヤンキースタジアムの
バックスクリーン前にあるモニュメント・パーク。

ルー・ゲーリッグやベーブ・ルース。

伝説のプレーヤーたちのモニュメントが

120年の歴史を今に伝えている。

松井さん ないんですか?
あるわけないじゃん。

(笑い声)

こっちが永久欠番。

これは こっちに入ってる人と
永久欠番。

あそこにあっても
永久欠番でない人もいるんだよ。

ヤンキースの永久欠番は
メジャー最多の21個。

ちなみに一桁は0以外
すべて永久欠番となっている。

2人の話は高橋の入団まで遡る。

読売1位 高橋由伸。

21歳 外野手 慶應義塾大学。

1997年。

高橋は逆指名していた巨人に
1位指名され入団した。

大学時代に放った
通算23本のホームラン記録は

いまだ破られていない。

大学屈指のホームランバッターは

プロの舞台で
一つ年上の松井と出会う。

大学から入って…。

一番最初に見た選手が松井さんで。

やっぱり それ以来…。

以降 いなかったですね。
やっぱ松井さんが一番 怪物…。

かわいそうに。 いつも怪物と
一緒にいたんだね じゃあ。

かわいそうに。 フフフッ。

でもね 最初に出会えて
僕は よかったです。

最初に そういう人が
横にいたっていうのは

どうしたら この世界で

プロ野球の世界で生きていこうか
っていうときに

やっぱり一番最初に そういう人に
出会えたっていうのは

僕は幸運だったなと思うし

ジャイアンツに入って正解だったなと
思いましたね。

(スタッフ)松井さんの どんな部分が
怪物だなっていうふうに…。

当然ね バッティング…
野球自体もそうですけど

僕は
よくも悪くも動じないというか

一喜一憂しないというか

常に変わらない強さというのを
僕は横で見てて感じてて

プロ野球 毎日あるんで
僕もそうやってやってくことで

この世界で生きていくというか

お手本というか
そうやっていかないと

だめなんだなというのは
感じていたんですよね 横で。

僕は だから彼が入ってくる
5年間プロでやってたんで

年は1個しか違わないですけど

多少 1個しか違わないふう…。

もっと感じたと思うんです 彼は
入ってきたときはね。

もちろんプレーぶりだとかね
バッティングとか見てて

実力は…。

もう うわさどおり。
それは すぐ思いましたね。

打つことに関しても
守ることに関してもね。

それは すごい感じましたね。

(スタッフ)それが脅威だな
というふうに感じる部分は…。

あんまり そういうふうに
最初は思わなかったです。

チームメート。
普通にチームメートっていうね

感じでやってましたけど
彼が2年目かな。

2年目から
開幕から打ちまくったんですよ。

とんでもなくね。

なんか あっという間にね
自分より とんでもない成績

上にいっちゃったんで
「あ~」と思って。

そこから なんとなくね やっぱり
刺激を受ける存在なんだなって。

そのとき 初めて気付きましたよ。

入団1年目から
活躍した高橋は

2年目に
更なる進化を見せる。

(歓声)

開幕から
3試合連続ホームランを放つなど

4月の成績は打率 4割3分3厘。

8本塁打 29打点。

月間MVPを獲得。

5月には巨人の
第66代4番打者に指名される。

シーズン終盤 けがで失速したが

打率 3割1分5厘
34本塁打 98打点を記録。

プロ2年目でベストナインに選出された。

あの年の由伸って

とんでもない選手だな
って思いましたよ ホントにね。

あんときは 偶然ね なんか…
よかったんですよね。

僕 正直 初めて もしかしたら
勝負できるかもしれない

と思ったのは事実で。
自分はね どっちかっていうと

いつもスロースターターなんですよね。
だから 一気にバーッて由伸が

ホント 打線を引っ張ってたんで
自分自身もね

チームへの貢献度という面も
そうですし

近い存在の由伸がね あそこまで

すごい成績 残してる
っていうことで

そこからね 刺激を受けて
自分も やらなくちゃいけない。

もっとやんなくちゃいけない。

そういう気持ちが出たとは
思いますけどね。

でも その次から
どんどん… 離されていく。

あれ? ここにいたのに…
あれ あれ…。

全然 届かなくなっていく
みたいな感じでね。

って思ってる間にね
ニューヨーク行っちゃったから。

(笑い声)

ここにいた? 気が付いたら。

気が付いたらニューヨーク
行っちゃったよ みたいなね。

全然 話 変わる…。
僕ね 今回 来たら

現役のときに もっと若いころに
こういうの見てたら

もしかしたら
僕も そういう気持ちが

芽生えたかもしれないと
思ったんだけど。

それはね あると思うよね。

僕は なんで ヤンキースに
行きたいと思ったかっていうと

1999年に その年 ジャイアンツ
優勝できなかったんですよ。

で オフに…。

あんとき オフになったらレギュラーは

1週間か10日ぐらい
休みだったでしょ。

ちょうど ヤンキースがプレーオフやってる
っていうの わかって。

ちょっと ヤンキース
あのころ黄金時代だったんでね。

見たいなと思って
バーッて飛んできたんです。

昔のヤンキースタジアムでプレーオフ見て
相手もボストンだったんですよね。

その試合 見たときに

あ~ すげえと思って。
なんなんだろ この興奮。

今まで味わったことない。

球場 入っただけで もう… 違う。

ヤンキースとボストンの試合 見て
ファンの熱気を見て

「あ~ なんなんだ? これは」と
思って。

その時点で もしFAとって

メジャー行きたい
っていうことになったら

俺は ここで やりたいと
思ったんです 僕はね。

もう ここで やりたいと。

そんとき まだ行く行かない
もちろん決めてなかったけど

もしなったら ここでやりたいと
思ったんですよね。

で FAとって あんときね
最後 日本一なって終わって

さぁ どうしようかと
思ったときに

やっぱり その記憶が
消えなかったんだよね。

やっぱり ここに来たい
やっぱ行きたいと思って。

2003年 松井は ニューヨーク・ヤンキースへ
3年契約で移籍。

4月 本拠地デビュー戦。

まさに ゴジラの一撃。

今 思うと…。

由伸は おもしろかったんじゃ
ねえかなと思いますけどね。

まず外野手である
っていうことと

彼のバッティングスタイル。

彼 やっぱ広角に打てるんで。

ある程度
対応できたんじゃないかな

っていうふうには思いますけどね。

2年目のときに もしかしたら
勝負できるんじゃないか

追いつけるんじゃないかと
思って

そのあと どんどん
届かなくなっていく

っていうのを感じてたから
そう感じてる自分が

いったってっていうふうに…。

あと現実的に
大学から来てるから

フリーエージェントまで
だいぶ時間あったでしょ?

年齢的にもね。
松井さんが行った時期から

まだまだ だいぶ先の話っていう。

そういう可能性があったとしても。

だから あんまり現実味が
なかったんですよね。

松井さんは偶然
あと2年 3年っていうね

ちょっと目に見えてね
っていうのは

あったかもしれないですね。

巨人時代 同じユニフォームを着て
戦った5年間で

最も印象に残る試合とは?

挙げれば
いっぱいあると思いますよ。

僕は 一番 印象 残ってるのは…。

2000年の日本シリーズですね。

いよいよ 始まるなというのが
今の正直な気持ちです。

そうですね きたな
っていう感じですね。

長嶋茂雄率いるジャイアンツと
王貞治率いるダイエーのON対決。

そのときに 彼が
1~2戦 打てなくて

打順 変わった…。
変わった 下がったんですよ。

3番の高橋は1~2戦で打てず
チームも連敗。

第3戦で打順は6番に降格。

そこで
いきなりホームラン打ったんですよね。

あ~ さすがだなと思いましたよ。

(歓声)

2回 先制の2ランホームラン。

第3戦に勝利した
巨人の逆襲が始まった。

(松井)彼は やっぱ
闘志っていうのは

見えないタイプなんで
内に秘めてるタイプ。

どちらかというとね。

それは やっぱりね
あのとき思いましたね。

結局 あのあと また打ったよね。
そうですね。

第5戦でも先制ホームランを放ち

日本一に王手をかける。

これ MVPいけんじゃねえかなと
思ったら

そのあと また打ったんですよ
松井さんがね。

最後ね。
いいとこで打ったんだよね。

いつも そういうとこなの。

最後に ちょろっと
打っちゃうっていうね。

(歓声)

第6戦 松井は逆転2ランを放ち

勢いに乗った巨人は日本一に。

計3本のホームランを打った松井が
MVPに輝いた。

宙に舞った気分は いかがですか?

巨人で共に戦った5年間。

僕のこと どういうふうに
見てたかなっていうね。

そうですね いろいろありますね。

もちろん 一番近いチームメートであり

いっときから
ライバルという側面もあり

何ていうのかな
安心感があるんです やっぱりね。

そばにいるとね。

守備なんか 僕 右中間いったら
追わないですから。

もう はっきり言って。

僕ね レフトには
気をとられるんだけど

ライトには気をとられないの。

一瞬ね パーンって フライ 上がるでしょ
一瞬 目が合うんです。

で こっち そらしちゃう。

(笑い声)

僕はね ずっとね
刺激というよりも

さっき言ったね なんとか
くっついていこうというかね

なんとか しがみついてでも
というようなね

ずっと思ってたし。

その中で いっときでもね
思ってくれたのはね あれですし。

でも 僕はね
ジャイアンツで一番よかったの

最後の3年間ですよ。
2000年から2002年まで。

それは やっぱり 1999年の
彼が2年目だったのが…。

彼の大活躍があったからだと
思うんですよ。

2000年からの3年間で

松井は円熟味を増してゆく。

この年 初めて
本塁打王のタイトルを獲得。

2001年には初の首位打者に。

連続試合出塁の
セリーグ記録も樹立した。

そして 2002年。

史上8人目。

巨人では 王貞治以来
25年ぶりの50号。

再びタイトルを手にした。

由伸もいるけど 自分がジャイアンツを
引っ張っていかなくちゃ。

っていう火をつけてくれたのは
間違いないですね。

そういう存在であったことも
間違いないよね。

2人は 松井行きつけの店へ。

メジャーリーガー松井の胃袋を
満たしてきたレストラン日本は

創業1963年という老舗。

どうもどうも…。
どうもどうも…。

何回 挨拶したか わからない。
(笑い声)

いいね 昼間からビール飲んで。

僕らの若いころって

あんまり…
選手は誰かと行くとかって

あんまり
なかった時代じゃないかな。

先輩に連れられて
じゃあ行こうかみたいな

そういうのはね
あんまりなかったし

僕自身あんまりそういうの…
あんまり好きじゃなかったんで。

グラウンド外でもね 選手たちとね
行ってっていうのはね。

グラウンド外は会わなかったですね。

(スタッフ)一緒に自主トレをしよう
みたいな気持ちには

ならなかったですか?
その発想はなかったね!

あのころ そんな みんな…。
別々やってましたよ。

合同自主トレもなかったしね。

ある程度の年齢なるまで

誰かと一緒に自主トレやる
っていう感覚なかったですもん。

我々がいたころ
個性派ぞろいだったんで。

いい意味でも悪い意味でもね。

目立つっていうのが
ありましたけど。

今は もっと
落ち着いてる感じはしますよね。

でも 何か
コソッと見ちゃいましたけどね。

監督のやつ?
そう。

ドア開けたら…
開けたらいけないな みたいな。

でも なんか
コソッと見ちゃいましたけどね。

監督のやつ?
そう。

ドア開けたら…
開けたらいけないな みたいな。

高橋が
のぞいてしまった

東京ドームで いつも監督と
素振りしてたんで。

それをミーティングルームで
やってたんですよ。

(スタッフ)それは
すぐ閉めちゃうんですか?

のぞいて 何してる…
何 言われてるのかな みたいな。

なんか見ちゃいけない雰囲気が…。

独特の空間というか。
う~ん… そうだね。

由伸 何回か やってんでしょ。
監督の素振り。

(スタッフ)それ どういうことを
言われるんですか? 技術論…。

技術論というか 僕は そんな

何回も やったわけじゃないんで
あれですけど

僕がやったときは 音をすごい…。
バットの音は いつも言いますよ。

監督はね。 空気 切る音ね。

(スタッフ)ちなみに
素振りっていうのは

だいたい どのぐらいの時間
やられるんですか?

時間は そんな長くないですよ。
どうだろう。

どうだろう
15分か20分ぐらいですかね。

それで
何本ぐらい振ってんだろうな。

100も振ってないですよ。
あれ100振るの結構きついですよ。

きつい。

僕 まめが できやすいんですよ。

まめだらけになっちゃった。
一回 呼ばれて…。

それだけ気持ち入れて
振っちゃうからね。

監督いるからね。
あと 音 聞くから 結構…。

さっきも言ったように
100本も振れないっていうのが

結構 目いっぱい振らないと。

音が いい音しないから。

(スタッフ)それは あらかじめ
その日 球場に入って

「ちょっと」
って言われるんですか?

僕なんか急…。
松井さんはね いつも…。

毎日やってたから。
僕は 急なので。

調子が悪かったりしたら…。

僕ね ドームでやったことないです。

遠征先とかでしょ。
遠征先 はい。

基本的には
僕は日課だったんで もう。

メニューに組み込まれてたんで
僕の場合。

素振り。

最後の何年間 毎日やってました。

2015年10月。

高橋由伸は40歳で
現役生活の幕を閉じ

監督に就任。

卓越したバッティングセンス。

期待に応える勝負強さ。

けがに苦しみながらも
18年間プレーし

選手として 確かな足跡を刻んだ。

(スタッフ)相談とかっていうのは
されたんですか?

相談っていうか電話しましたね。
電話は すぐきた。

相談するも何も だって…。

バタバタのまま監督になった
みたいな感じだったでしょ。

おめでとうって言うのも変だし
何かね。

もちろん
おめでとう なんでしょうけど。

引退は引退で
また 寂しいことだしね。

ご苦労さん で 監督…。
まあ 同時ですからね。

だから 非常に声が…。

なんて声かけたら
いいんだろうみたいな。

でも やっぱり
まず現役 お疲れさまですよ。

それですよ。 監督は またね
新たなスタートですけど

そこに 間がなかったんでね。

声かけるほうとしては
難しい部分は

なんとなく
あったような気がしますけど。

でも 律儀にちゃんと
すぐ電話くれましたよ。

監督時代… ただ
応援してるだけですよ 本当に。

中のことまで
僕は わかんないんで。

由伸が監督になってから
とりあえず勝ってほしいですね。

そういう気持ちだけで
見てましたね。

こっち朝だから だいたいね。
朝 起きて

朝 起きると まだ試合が終わるか
終わんないかぐらいなんですよ。

勝て!

日本に来るたんびにね
球場にも来てもらったり

監督室でも ちょっと話ししたり。

愚痴も いっぱい言いましたけど。

そっちのほうが
おもしろいんだけどね。

(笑い声)

松井が野球人生で

最も衝撃を受けた選手は
誰なのか?

チームメートだと…。

やっぱ A・ロッドとかになんのかな。

ジアンビも すごかったですけど
やっぱ A・ロッドかな…。

うん… A・ロッドかな。

アレックス・ロドリゲス。

メジャー通算696本塁打を
記録しているスーパースター。

パワー違います やっぱりね。

僕なんか 日本ではね かなり
飛ばすほうの部類でしたけど。

一緒にフリーバッティングしてると
結構 寂しかったですね。

自分がね。 日本にいると

逆の立場だったんだろうな
みたいなね。

っていうのは ありましたね。
弾道が違いますね。

真上に上がったような感じ
バーンって打つんですけど。

着地したらスタンド中段ぐらい
いってるみたいな。

そういうイメージ ホントに。
A・ロッドは すごかったな。

思いますね。
リーグが違ったんですけど

バリー・ボンズは
やっぱ すごかったですね。

やっぱ すごかったですか?
バリー・ボンズはね…。

ちょっと違うね あれはね。
あれは もう…。

本物の怪物だよね。
スイングなんか見えないんだもん。

外野 守ってても。

動いたと思ったら
ボール飛んできてるみたいな。

桁外れのパワーを持つ
メジャーリーガーの中で

松井自身にも変化が生じたという。

役割は 自然と変わるな
と思いましたね。

自分が どうしてもね。

そこまで日本にいるときみたいに
ホームラン打てるわけじゃないし。

そこまでホームランに こだわる必要も
もうないかなっていうふうには

思ったよね。
どうやって生き残る…。

まず どうやって ここで自分が

生き残っていくか
っていうことね。

考えたときに それは
ホームランじゃないっていうことはね

すぐには わかりました。

だから自分のバッティングを
変えるんじゃなくて

多少 意識というか。

ピッチャーのタイプによって
意識は変えるっていうね。

ちょっと逆方向 意識したりとかね
それは増えましたね。

徐々に慣れてきて

そこで また多少は
意識が変わりましたよね。

もう少しホームランのほうを
意識しても大丈夫かなみたいなね。

最初は やっぱ
それを思いましたよね。

(スタッフ)由伸さんが入団したころと
同じような…。

うん そうですよね。
だから僕が入団したときも そう。

バッティングは そんなね
変わんないんだけど

でも 意識はね
生き残るためにっていう。

戦友であり
ライバルでもあった松井と高橋。

ユニフォームを脱いで
初めて語り合った時間を

2人は どう感じたのか。

わからなかった部分っていうのは
お互い ちょっとね。

特に野球に関しては。

もう20年ぐらいたってるけど

初めてかなって感じするよね。

こういうふうに言われないと
話さないですよね たぶん。

今更 お互いの現役時代を
一緒にやってたときのことをね

話さないよね 会っててもね。

どっちかっていうと
今の話をしちゃうから。

そういう意味では
いい機会だったと思います。

(スタッフ)いつの日か
2人で また同じユニフォームを着て

グラウンドに立ちたいなみたいな
気持ちっていうのは…。

草野球で
まず着ようかなと思ってます。

チーム作ろうって。

(スタッフ)すごいチームですね それは。

現役復帰… ね。

ありがとうございました。
はい ありがとう。

カメラが捉えた ゴジラ松井の
意外な姿をご覧いただこう。

店に入るときだった。

どうもありがとうございます。

こんなに腰が低いとは。

ともあれ 次に再会する2人を
松井は こう評した。

入ってきたときから

ピッチャーとしては とにかく
すばらしいピッチャーでしたね。

コントロールいいし 欲しいときに
三振が取れるっていうね。

試合を壊すことは
まず なかったんで

先発ピッチャーとしては
私は一緒にプレーしたときは

もう ジャイアンツの大エースという
存在でしたよね。

そして もう一人。

選手 阿部慎之助には

もう すばらしいキャリアだったね
っていう もうね。

すばらしい選手生活だった。

バッティング うまいなとは
思いましたけど

ここまで
ホームラン打てるバッターになるとは

最初 わかんなかったですね。

数少ないね 自分の やめるときを
選べる選手の一人ですよ。

もちろん
上原も そうなんですけど。

ほとんどの人は やりたくても
やめさせられて

終わるわけですから。

彼はね
自分が 一番いいと思う時期に

やめられたっていうのはね。

それが彼の偉大さじゃないですか。

巨人の2軍監督に就任した男が

あのエースと再会する。

巨人軍 黄金のバッテリー。

並び立った2人は
チームと時代を輝かせた。

しかし もう2人は現役ではない。

奇しくも同じ年にユニフォームを脱いだ。

まぁ フランクにいこうか。

あの人 アメリカ人だから。

上原がチームを去った去年5月以来

7か月ぶりの再会。

(スタッフ)お二人で そろって
みたいなのって…。

ないね。

失礼します。

お願いします!
監督 お願いします。

監督だからね。

慎之助 もう一年
待ってくれ と思ったな。

俺の引退が全部 消えたもんな
あれで。

早いもん だって。
ビックリするぐらい消えたな。

4月の…。
5月の終わり。

5月の終わりに引退発表して
「えっ!?」みたいになって。

「飯 行こうな」みたいになって
言ったら

周りに聞いたら
もう帰ってるしみたいになって…。

「おい!」 みたいになってさ。

「早っ! 帰んの」って
言ってたもん。

そんなん引退して
日本におっても しゃあないから。

そうっすね。

やめて… やめて どうですか?
っていうのを

聞いてみたいと
僕 言ったんですけど。

やめて どうですか? って
お前も そうやんか。

でも お前も道があるから。
考えんで ええもんな。

別に来年どうしようとか。
考えてますよ 一応 いろんなこと。

まぁ 自分の仕事。
俺 なんもないからね…。

たまに 「あれ?
練習しなくていいのかな」

みたいな思うじゃないですか。
僕 思うんすよ。

「あれ… 体重 増えてきたな。
走ろうかな…。

あっ やめてんだ 俺」みたいな。
走んないでええねんもんな。

どうなのかなと思って。
やめて まだ2か月?

そうですよ。
2か月ぐらいですね。

俺は5月やったから
半年ぐらい たってるからね。

全然 違います? やっぱ。
まったく動いてないけどね。

動かなあかんなとは
思ってるけど

なんのために
動くんだろうと思うし。

それ僕も思いました。
「あれ? やんなくていいや」…。

我慢してたこと
我慢せんでいいわけやし。

お酒にしても そうやけど。

飲んでもいいし
食べるもんも食べていいし。

幸せっていうか
楽な生活になってきてるね 今。

ゴルフ行ったりっていうのが…
しかないんすか?

しかないんでしょ。
しかないね。

優雅だな… 優雅。

来年だって
なんも決まってないからね。

どうしようかな…。

メジャーにも足跡を残したエースと
巨人史上最高のキャッチャー。

年は上原が2つ上。

2人の記録は すさまじい。

上原は日米通算100勝
100セーブ 100ホールド。

阿部は捕手として
史上2人目の2000本安打と

400本塁打を達成している。

上原の引退は去年5月。
シーズンのさなか。

阿部は
リーグ優勝の翌日に引退を決断。

なぜ あの引き際だったのか。

もういいやと たぶん思いました?
やっぱり。

俺? いいやっていうか
もう気 遣われてるのが

丸わかりやったから
それが まず嫌やったし。

たぶん その気持ちだろうなとは
僕は思ってたんですけど。

自分で なんか いいかなとか
思った瞬間に

僕 もう やめるって
決められたんで 僕は。

もういいやと思った時点で
もう そこで…。

気持ち 切れてますもんね。
そこまで思ってなかったけどね。

だけど あれですよ。
シーズン最終打席が申告敬遠ですよ。

それ もう いい思い出じゃないの。

ハワイで小川さんに会ったけど。

小川さん 大先輩だから 大学の。
「悪かったな」って言われて。

いや… 一応 球史に

また珍しい記録を
残させていただいたんで

ありがとうございましたって。

俺… 覚えてないもん。
1軍やったら 覚えてないもん。

最後 なんやったかも
まったく覚えてないし。

でも 一番 最初の出会いって
あれちゃうの?

日の丸の…。
そうですよね。 たぶん。

どこ行ったときだっけ あれ。
イタリア。

イタリアか。

細かったな 慎之助。
あれ 僕じゃないから。

誰や?
弟。 弟。

楽しかったな あれ。

そっからプロやもんな…。

ともにドラフト1位。
鳴り物入りで巨人に入団。

阿部のプロデビューは
上原との開幕バッテリーだった。

彼がルーキーで いきなり
開幕スタメン 入ったときも呼ばれて。

「開幕は慎之助でいくから」
っていうことを言われて。

3日前から熱ですからね…。
3日前から熱 出てました。

フフフ…。
点滴 行ってたもん。

あまりの… たぶん 緊張。

点滴を受けながら
出場したデビュー戦で

阿部は2安打4打点。

新人キャッチャーの開幕戦先発は
チーム23年ぶりだったが

上原を勝ち投手に導き
守りのほうでも及第点を得た。

僕 絶対
「初球 何 いきますか?」とか

絶対 聞いてると思いますけどね。

たぶん 俺も 「慎之助のサインで
投げるから」って言うてたと思う。

ほぼ 首振ってないと思う…
振ってたかな。

すごい活躍だったですね。
あの開幕したときは。

まだ あのね ルーキーのときさ
初ヒットの… あるじゃん。

ライトスタンドが 「浦安の星」
ってなってた。

まだ浦安だったからね。

(スタッフ)お互いバッテリー組むのは
楽しかったですか?

俺 楽しかったですよ。

名古屋ドームとかでね
投げるとき

早くていいのよ
最終で帰れるから。

3つ目 上原浩治だと
絶対 帰れるっていうね。

それが うれしかったのよ。

ピッチング褒めろよ!
「帰れるから」って…。

だから テンポがよくて
っていうことじゃないですか。

テンポよくて…。

こう 言ってくれてたからさ。

「こうやって構えて」とか
「膝 ついてくれ」とか

「膝ついて低く こうやって…
やってくれ」みたいなさ。

っていうのも 要望があると
キャッチャーも 逆に やりやすいよね。

「そうすればいいんだな」とかさ。

その慎之助の構え方とか
僕 好きなんで。

キャッチャーによって 構え方が
やっぱ 好き嫌いとかあるんでね。

慎之助に
「ちょっと小さく構えて」…。

小さく構えて
低く小さく構えてくれるから

慎之助の構え方
僕は すごい好きだったんですね。

やっぱ 楽しいって。

ほとんど くるからね そこ
構えたら。

上原の精密なコントロールは

阿部のキャッチャー人生を大きく変えた。

マスク越しに感じたのは
プレッシャーだったという。

それで打たれると
やっぱ 「あちゃ~」みたいなさ…。

「あ~ あそこ
ちょっと違ったかな」とかさ

思わしてくれるよね 俺にね。

そこ投げてくれるからさ。

だから 自分で 「もっと学ばないと
いけないな」と思ったよね。

いいピッチャー 取れたから。

いいピッチャー 取れたから

俺が頭 使って
いい配球すれば

絶対 勝てるなと思ってたから。

今 あんま キャッチャー
言われないじゃないですか。

僕 ボロカス言われてましたもん。

1年目 結構 言われてたね。

「阿部しゅんのすけ」とか
書かれてました。

シュンってなってるから ホントに。

マスコミ不信になるしさ俺も。

一緒に飯 食いに行ってたやつが
翌日 たたいてたとかさ。

そんなだからね。

放るのも出すのも
イップスになったよ。

(スタッフ)それ 上原さん
感じられてました?

投げるのは ちょっと イップス気味に
なったときがあったね。

だけど この お父さんが

「いいよ もう この辺
投げてこいよ」みたいな感じで

言って なんか救われた部分も
あるんだよね。

「あっ そっか」
みたいなさ。

深く考えると そこ どつぼに
はまるときって あるから 絶対。

でも サイン 出すときとかも
たぶん 考えるじゃないですか。

「あれ… これ いって この前
こうやって打たれたな」とか

ずっと考えてるじゃないですか。
そうすると サインとか

出てこなくなるんですよ。 たまに
こんなんなってました。

「なんだ? これ」みたいな。
自分で…。

で なんか 自分で サインミスっぽく
バンッとか やるじゃないですか。

自分では
ストレート出してるつもりなのに

試合 終わって…
呼ばれて 見たら

「カーブ 出してる…」みたいな。
記憶が違う。

順調な船出から一転

背負う重圧から
イップスにまでなった阿部。

救ってくれたのは
上原のことばだった。

一回 「どういう感覚で
投げてるんですか?」って

言ったら 聞いたら
なんて言ったと思う?

「ん? なるようにしかならん!」
って言ったから。

(笑い声)

「あっ こういう大投手でも

そう思って投げてんだ」と
思いながらさ

「なるようにしかなんねえんだな」
みたいなさ。

それは なるようにしかならへん。
そうそう。

だから それは 僕の その…
ためになりましたよ ホントに。

「死ぬわけじゃねえしな
なるようにしかなんねえな」

みたいなさ
っていうようなのは やっぱ

使わしてもらいましたね。
でも その中で

そこまで練習 ちゃんとしてるから
そうやって思えるっていうか

思うだけであって 何も
練習してへんやつが じゃあ

「なるようにしかならん」
って言ったら 絶対

なんもならへんと思う。
そこまで ちゃんと練習してきて

いろいろ考えてる人が
行きつくとこは

そこでいいと思うし。

巨人に黄金バッテリーあり。

年々
存在感を増していった2人には

評価を固めた
忘れられない試合がある。

僕 慎之助との
思い出っていうのは

僕は やっぱり 開幕と2002年の
日本シリーズの初戦ですよね。

慎之助が セカンドに送球して
さしたっていうね 初回の。

もう あれは僕の中で
すごい鮮明に覚えてますね。

2002年 日本シリーズ。

原監督をして
「コンプレックス」とまで言わしめた

天敵 西武との初戦。

先頭の松井稼頭央にヒットを許し

不穏な空気が漂う中
そのプレーは生まれた。

で あの日も
「初球 何いきます?」っつって…。

まっすぐいったら コンッ コンッて
いきなり初球

稼頭央が打ちやがって。

そう そのあとだったからね。

「あちゃ~」と思ったけどね 俺も。

俺も思った。
「振ってきたか」みたいなさ。

「あ~あ」と思いながら
俺も…。

でも あれはね あの初回を
0点に抑えたことによって。

あれ ビッグプレーでしたね。

その当時の日本シリーズの

奪三振タイ記録ぐらい
だったんじゃないの? あれ。

(スタッフ)そうですね。
そうでしょ?

で 僕が7回ぐらいで
ふくらはぎが つって

ちょっと危なかったけど。

テーピング ぐるぐるに巻いて

最後まで投げた
っていうことですよね。

ピッチャーって すげえなと思うよ。

その初戦が シリーズの流れを変えた。

巨人は球団史上初めて
4連勝で日本一になる。

この年 2人は
最優秀バッテリー賞を獲得した。

松井 高橋 上原 阿部。

4人がそろった
最初で最後のシリーズ。

先輩たちの背中が阿部を育てた。

俺は もうライバルとか
全然 そんな あれじゃなかった。

もう リスペクトだね。
しかなかったね。

上原さんも大学時代
自分で野球 見に行ったりさ…。

由伸さんもね 早慶戦
見に行ったりしてたし 自分で。

そういう すごい人を見れたから

「俺も やんなきゃ」って
思わせてくれたよね。

お前と
あの2人が練習するからね。

そういう姿を
やっぱり 見てきたから。

「あ~ この人でも こんなたくさん
練習するんだ」と思うから。

だからこそ 自分も 「一緒の量
やってたら だめだな」って

たぶん 感じられたからね。

だからこそ たぶん 若いころね

嫌なときも たくさんあったと
思うけど できたんだろうね。

まぁ 野手ですけど
由伸っていうのは 僕の中では

ライバルとして
自分が勝手に思ってましたから。

去年も そうですし
あいつが監督だったから

僕は 帰ってきたわけだし。

あれが慎之助やったら たぶん
帰ってきてないでしょうし。

帰ってこねえんか!

いや そうやってね
いろいろ言える間柄ですよ。

これが慎之助じゃなかったら
他の後輩やったら

こんなこと
言ってないかもしれないし。

慎之助ですよね
特別 年下の中での

存在っていうか。

その後 2人は そろって
北京オリンピックに出場するなど

日本球界をけん引するバッテリーに。

しかし 2009年。

上原が夢を追い
海を渡ったことで コンビは解消。

上原は ワールドシリーズ
胴上げ投手になるなど

メジャーで大成功を手にする。

その姿を
阿部は どんな目で見ていたのか。

「あ~ 羨ましいな」と
思ったのがさ

ワールドシリーズ勝ってさ

なぜか 息子さんが
インタビュー受けてるっていうね。

あれが すごい
無性に印象に残ってるんだよね。

ワールドシリーズとかさ
夢舞台じゃん 俺らからしたらさ。

そこで投げてるし
おっさん みたいなさ。

そんな感じだったから もう。
「すげえ!」みたいな。

息子さんが
もう 向こう育ちだから

なんか 羨ましいなと
思ってるとこがあって。

英語 しゃべれたら やっぱね
世界が広がるじゃないですか。

僕も英語 しゃべれたら

メジャー やっぱ
行ってみたかったですもん。

行きたいと思ったやつが
行くべきだよ。

挑戦してみたかったな
挑戦すれば よかったな。

見たかったからな お前の
現役の その いいときの…。

ときに 行ってたら
どうなってたかね。

行けば よかったな。

俺が行ったのだって…。
そうですよね。

僕 その辺が もう…
元気なときだったんで。

俺は もう完全に思い出作りで
行くつもりやったから。

2年で終わるつもりで
行ったからね。

たぶん 行って楽しかったですよね
やっぱり。

楽しいだけじゃないけどね。
厳しいですけど…。

例えば 球場だってさ

30球団あって 全部
行ったか わかんないですけど。

行った 行った。
行きました?

いろんな球場があったり
僕ら WBCとかで

何か所かしか行けないけど
やっぱ 感動するじゃないですか。

そういう意味では
球場に行く楽しさっていうのは

9年間いたけど 一回も
嫌やなって思ったことはない。

どこの球場 行くのにも
すげえ楽しみやったし。

成績 別としてね。
日本って なんか もう

どこも
似たような球場ばっかりやから。

ただ 球場が全部
狭くなってたのはビックリしたね。

メジャーですか?
日本。 ソフトバンクとかロッテとか

ラッキーゾーンじゃないけど
なんか あんなの作ったでしょ。

あれ バッテリーからしたら
ちょっと 酷ですね。

「どんだけ ピッチャーに不利なルール
ばっかり作るねん」と思う…。

日本シリーズは
ちゃんとスタンド 入れましたから。

僕 入りましたからね。
入ったね 見てた。

これが 阿部慎之助の
現役最後のホームランとなった。

(歓声)

あそこから 怒とうのインサイド攻めが
始まったからね。

すごい クシャクシャになっちゃったから
これで。

でも それが できんのが
パ・リーグやと思うねんな。

それができないのが
セ・リーグやと思う。

もう 徹底してるもんね やっぱね。

徹底してたからさ そういうのも
自分が経験してから

若い子たちに
やらせてみようかなと思ってる。

それぐらい徹底してたっていうね。

それぐらい徹底して やっぱ
いけばいいだろうし

そういうのも学んだよね。

おととし 上原の復帰で
2人はチームメートに戻る。

しかし 10年の月日は
阿部からキャッチャーミットを奪っていた。

それでも残されていた信頼関係。

一回 ファーストで
ファーストから こうやっていったら

「どうしたらいい!?」とかってさ
俺に聞いてきたからさ

「いや これは基本に戻って
インハイ アウトローしかないでしょ!」。

覚えてる それ 覚えてる。

勝負するか 歩かすかって
いったときに

慎之助が来てくれて

「どうしよう?」って言ったよな
お前にな。

上原がピンチを招いた場面だった。

ファーストを守っていた阿部が
一人 マウンドへ。

10年の月日も
2人の絆は奪えなかった。

「インハイでいいんじゃないですか?」
って言ったから

「わかった」っつって
初球 インハイ 投げたらデッドボールや。

(笑い声)

「しょうがないでしょ」っつって。

どう思う? って。
テンパってんだろうなと思ってさ。

これは ちょっと 一回
行ってあげたほうがいいなと

思って 行ったら
「どうする…?」とか言って。

いや 俺も迷っててん あのとき。
歩かして 次 勝負するかとか。

「ここは たぶん 俺でも迷うな」
とかさ 思ってたの。

「インハイ いったれ!」って。
そうしたら ゴンッ 当ててた。

デッドボールや。

いや それでも
しかたないよねっていうさ

配球しか ここは ないんじゃ
ないかなと思ってたから…。

でも ちゃんと
次のバッター抑えて

ゼロやったからな よかった。

こうなるから
ふって こう 思わせるための

間なんだよね。
たぶん キャッチャーが行くとかさ。

っていうのも
やっぱ 学んでほしいよね。

なんか こういうとき
来てほしいなとかって

あるじゃないですか
ピッチャーって 絶対 たぶん。

まぁ そういうときに
ぱってね

「あっ 来てくれた」みたいな
思ったりしたら

やっぱ そこはね
信頼関係できるだろうし 無言で。

上原浩治 東京ドーム最後のマウンドが
この登板だった。

いや だけど 俺は ホントに

慎之助に ずっと投げてきてたから
ジャイアンツ入ってね

慎之助がルーキーのときから。

ホント 僕の中でのキャッチャーは
慎之助なんで。

誠司ではないので。

ジャイアンツのキャッチャーといえば
僕は もう慎之助ですから。

一番 長いですからね
バッテリー組んでる中で。

でも 慎之助が引退するときにね
キャッチャーの思い出って

なんか マシソンとか言ってたので…。

「俺じゃねえのかよ」と思ったのは
すごい…。

引退会見とき思ってました。

言おうと思ってたんだけど

今 現時点でいる人って
言われてたから

そうやって言うしか
なかったよね。

あ~ そんなもんかって思ったのは
覚えてますね。

俺が慎之助 引退するときに
すげえ 開幕の思い出を

語ってたのが
バカらしくなってきた。

結局 この2年 彼らが
バッテリーを組むことはなかった。

この先は
別々の道を歩むことになる。

こういう立場になったらね
すげえ わかりますもん やっぱ。

すげえ考えてますよね。
思った以上に。

全部 そういうのも見てるから。

今年 どうしようじゃなくて
先のことまで考えてるやろ。

それは すごいなと思う。

「お前も勉強しろ」っつってて。

次も慎之助なのかな?

やっぱ きちんと
生え抜きでいれば

そうやって道ができるんですよ。

俺みたいに どっか行ったら
もう道が閉ざされるんですよ。

おかしいな 松井さんも
道 それたはずやねんけどな。

ジャイアンツからオファー…。
これ 何? 人格か?

なんだろうな…。

そこは なんとも言えないな 俺。
なんとも言えねえよ。

いいよ はっきり言ってくれて。

だけど 松井さんとかは
やっぱ たぶん…。

ニューヨーク 僕も
行かしてもらいましたけど

たぶん 松井さんの立場だったら
僕 もう帰ってこないですね。

やっぱね。
向こういたら… ねぇ。

インタビューしてて 取材してても

通りがかった人は気付くけど

「イエーイ!」みたいな って言って
ピューッて行くし。

食事しててもね
「写真 撮ってください」とかも

ほぼ ないからね。

隠し撮りするわけでもないし。

そういうことが やっぱ なくて
そういう ストレスがないから

戻ってこないのも あるんじゃ
ないんですか? って

僕 聞きましたからね。

「それは あるな」っつって。

日本だと
どこも行けないですもんね。

松井さんクラスになったら
無理やろな。

家族 持って 子ども生まれて
っていったらね…。

子ども連れてたら
子どもまで撮られちゃうもんね。

選手から指導者へ。

巨人の2軍監督を
仰せつかった阿部には

旧友に
聞いておきたいことがあった。

ピッチャーは何をさしたら
いいと思います? じゃあ。

例えばですよ 夜間のとき
ピッチャー休んでもいいんですよ。

夜間は もう だから…。
いや 雨の日ですよ。

だから けがしないように
もう体幹とか…。

あ~ そういう系ですね
強化ですね。

走り込みとかは
もう 昼間のほうがいいし。

動かずに鍛えられることって
いっぱいある。

なんか シャドーとかって
意味あるんすか?

僕は よくわかんないですけど。
俺もやったことないから…。

じゃあ 別に やらせなくていい。

だから そうやったら こう
インナー アウター 地味なトレーニングを

チューブ使ってやるとかさ。

ピッチャー やること少ないですもんね
基本的に だから。

ピッチャー だから
夜間やんないですけど

野手メインで1時間半ぐらい
ノンストップで打たしてる。

走り込み やらしてやって…。
ピッチャーですか?

あと バントさせといて。
バッティングやらな あかんやろ?

そうっすね。

やっぱ 自分 ファームいたから
わかるじゃないですか。

なんで こいつら こういうこと
しねえんだろうなとかって

思うこと
たくさんあったじゃないですか。

僕も ファーム けがしてとかしか
行ったことないけど

なんか
学校の授業みたいな感じなんで。

そういうのを もう がらっと
全部 変えようかなと思って。

考えて 用意 ドン で言ったのは

「考えて動きましょうね」
っていうのは言ったんですよ。

考えて 動いて 動いて
また 考えましょうねっていう。

こっちから
強制することないかなって。

自分たちで考えて どうしたら
うまくなんのかなっていうのも

考えなさいって言ったし。
そういう…。

だから学校って言ったんだけど。
変えていこうかなと思って。

なかなか
厳しい指導者になりそうやね。

それを どう浸透させようかな
っていうのも

僕も勉強っすよね。

なかなか 今の
ゆとり世代の子たちは難しい…。

いいんじゃない? もう
きついこと言ったりして。

手は出せないんで。
そうだよな。

そこだよな 難しいな。

だから 僕が来年 注意するのは
コンプライアンスです。

(笑い声)

いや もう… 納会で 「ぬるい」を
4回 言ってしまったんで。

もっと言ってもいいんじゃない?
ぬるい。

「とにかく ぬるい」って
4回 言っちゃいました。

2軍選手に対して?
そうです。

「2軍は読売ジャイアンツじゃねえ」
っつって。

「読売巨人軍だからな お前ら」。

「軍だぞ お前! 軍!」っつって…。
軍隊のように動け!

軍隊は あんまりね
好きじゃないけど

そうしなきゃいけないとこも
あるのかなってのが あって。

たまたまね 沖縄で興南高校の…
我喜屋さんだっけ。

あ~ 興南高校。
会ってね お話ししたら

沖縄の子って
のほほんってしてる子が多くて。

興南高校って
めちゃくちゃね 軍隊なんだって。

「なんで そうされてるんですか?」
っつったら

「いや
そうしないと だめだ」っつって。

人間教育も そうしないと
できない子が多すぎて

っていうので わざと
やりたくないけど

やってるっつってね…
っていうのを言ってたから まぁ。

それは沖縄の子… 今の子たちに
言えることですよね。

じゃあ
厳しく言っていいんじゃないの?

キャンプ 来てくれるんでしょ?
もちろん。

2月やろ?
遊びがてら。

2月… 2月か。
あ~ 2月 アメリカやな。

いやいや いいから もう。
いいから。

YouTubeで見とくわ。
(笑い声)

来てくださいよ。
グランドホテル 1か月いるんだから 俺。

まぁ けど
結構 気にしてくれてるからね。

見てるからね。
見てるよ ちゃんと。

(スタッフ)将来的に
指導者の道っていうのは

ご自身の中で考えられて…?

まぁ 可能性は
なくはないじゃないですか。

実際ね 終わってから
ジャイアンツ以外の

他の球団からも誘いがあったんで。
断りましたけど。

俺は道がないんだよね 今。

歩むにも
まず道を作らないことには。

だけど やっぱ
メジャーとか経験した人が

日本野球の定義を
変えてもらえるっていうのは

僕は思ってるから。

そういうのに 少しでもね。

今はね メジャー経験した人たちが
コーチとか

中に入る人が
多くなってきたんでね。

だから お互いの 日本とアメリカの

いいとこ取りして
やっていったほうが

いいと思うんですよね。
伝統って すごい大事ですけど。

悪いものは省いていっていいと
思うんですよ。

いらないものは。

いいものだけを残していって
指導していって。

していけば いいんじゃないかなと
思うんですけどね。

やっぱね 日本も…。

たぶん 日本…。
アメリカのいいところとかって

僕も全然
まったく わかんないから。

そういうのを
吹き込んでもらえるだけでも

ありがたいし。

それが やっぱ
日本の野球のためにもなるし。

教えてくれたら
ジャイアンツのためにもなるし。

っていうのでね
力 借りたいよね やっぱね。

だから 「2月 来てくれ」って
言ったけど

「アメリカだ」とか言うしね。
(笑い声)

やっぱ 個人事業主じゃない
みんな。

っていうのも 2軍の選手は
教えないといけないのかなって

思って すごくね。

結局 自分が やったら
自分 かえってくるからっていう。

なんか もう チームに ただ属して

ついていくだけみたいな感じに
受け取れる子が多いから。

自分が頑張って 自分に
かえってくるんだよっていうね。

っていうのを もっと教えて
こう… なんていうんだろうな。

やっぱ 若いから こうしちゃ
いけないんじゃないか

みたいなのが多いじゃないですか
やっぱり。

そういうのも全部 度外視して。

自分だったら 2007年から
キャプテンとか やったけど

もっと自分で もっと自分を
出せばよかったかなとか

もっと前に。
っていうの やっぱ感じるから。

そういうのを若い選手に
浸透させたいなとは思うよね。

もっと自分で…
自分で殻を割って

自分をもっと
出しましょうよっていう。

だから 上原さんも アメリカ行って
ホントに それが出て みたいな。

もっと前から やっとけば
よかったなって

思うことじゃないですか
それってね。

やってましたよ たぶん。

「よっしゃ!」とかって
やってたけど

あそこまで激しくは
してなかったわけじゃないですか。

やっぱり どっかで
そういう遠慮とかあったり。

なんか
言われんじゃねえかなとかさ

そういうのがあって
できなかったと思うんだよね。

やっぱ
そういう殻を破らせることで

それが それこそが

厳しく練習してとか
そんなんじゃなくて。

それが やっぱ 巨人の底上げに
なるんじゃないかなって

僕 考えてるんですけど。
結構 真面目に考えてるっしょ。

うん。
アハハハ!

カットしておいて。
(笑い声)

せっかく ちゃんと言ったのに
真面目なことを。

だから そうしていかないと
やっぱ強くなんないっすよね。

やっぱりね。

(スタッフ)また いつの日か2人で
同じユニフォームを着てっていう

気持ちっていうのは
いかがですか?

俺が ジャイアンツのユニフォームを着ることは
たぶん ほぼゼロだから。

(スタッフ)最後に お互い
今日 会って話されてみて

いかがでしたか?

もう 完全に
指導者の顔になってるな

っていうのは
すごい感じましたね。

ちょっと二日酔いですけど
すいません。

考えとかね そういうのも
ちょっと楽しみですよね。

もう楽しみって
言ってくれるからね。

ジャイアンツの1軍を気にするよりも
2軍を気にしておきます。

じゃあ 2月は来てくれる
っていうことで また。

テレ東が くっついて。

プライベートジェット出して。
(笑い声)

(スタッフ)また いつの日か2人で

同じユニフォームを着てっていう
気持ちっていうのは

いかがですか?

俺が ジャイアンツのユニフォーム着ることって
たぶん ほぼゼロだから

ないんじゃない?
それは わかんないですよね?

草野球でも いいんじゃない。
それは わかんない。

来年 しれ~っと 85番とか
つけてそう。

(笑い声)

でも なんか こうね
由伸とか松井さんとか

みんな同じユニフォーム着たら
楽しいやろな

っていうのは思いますけどね。

立場は変わっても
関係は変わらない 男には…。

それが うれしい。

松井に聞いた。
あの若手をどう思う?

成績は大して変わんないと
思うんですよね たぶんね。

一番 違うのは 彼は
4番を打ってるってことですよ。

僕は4番じゃなかったから
そのときね。

そういう意味では やっぱり彼が

背負おうとしてるの
巨人の4番をね。

ちゃんと務めてるっていうことが
一番 大きな違いですよね。

だから それは
僕にもできなかったことだからね。

期待しております。

巨人の若き4番打者 岡本和真。
23歳。

彼が再会したい人物とは?

打率もホームランも。 そのバッターとは?

(スタッフ)気になる?

ゴジラを見下ろす高層階。

都会のバーが再会の場所。

おはようございます。
こんにちは。

これ プレゼント。

プレゼントを手に現れたのは…。

気持ちがいいまでのフルスイングが
最大の魅力。

身長173cm
野球選手としては小柄だが

そのバットはホームランを量産する。

お~っと!
これも ライト方向に上がった!

もう ライトの足が止まりました。

入りました! ツーランホームラン!
今日 2本目です。

これ 開けていいですか?
はい。

かっこいいと思いますよ。

渋いです。
めっちゃ かっこよくないですか。

これ
僕 欲しかったやつなんですけど。

そうなん? よかった。

日ごろから仲がいいという2人。
お互いの呼び名は?

僕は マサさんって。
僕は かずピーだったり

「ゾウ ゾウ」って呼んだりするし。

いろいろ 適当に。
適当に その日 浮かんだことを

言ってますけど。

マサさんと かずピー。

リーグを超えて
親しくなった きっかけは?

そもそもの出会いは…。
宮崎の…。

そう 宮崎か。
で ごはん。

嫁同士が
仲いいっていうのもあって。

宮崎で まだ…。

フェニックスリーグやったかな? あれは。
たぶん そうっすね。

そこで初めて ごはん食べて… が
出会いでしたね。

とはいえ
岡本は知り合う2年前から

吉田の存在が
気になっていたという。

1年目のNPB選抜と
大学ジャパンのときに…。

やばいバッター おるんだけど。

2015年 ソロ1年目の岡本は

侍ジャパン 大学選抜の一員だった
吉田と対戦。

その試合で
吉田は西武の高橋から

右中間に特大のホームランを放った。

一方の岡本も
ランナーを2塁に置いた得点機に

バッターボックスへ。

打球はレフト前へ。

「よっしゃ ヒットや」と思って。
「1点 入ったわ」と思って。

レーザービームでホーム アウトにされた…。
いいアピールになった。

(笑い声)

レフトにいた吉田が…。

好返球で得点を許さなかった。

3歳差の2人。

吉田が見た岡本の性格は?

性格… まぁ…。

結構 きれい好きか?
めちゃめちゃ。 意外と。

たまに家とか行くんですけど

積極的に掃除もしてるし
きれい好きやなと思いますね。

スイッチが入ったら。
A型やろ?

A型っす。 ロッカーとか
めちゃめちゃ汚いんすけど

ふと きれいにします。

一方の吉田は…。

やっぱり でも なんか
あまり周りに何も

特に気にしないですよね。
まぁ そうですね。

人に あんまり興味を
持たないっていうのもありますし。

あんまり何も気にしないんで。

僕の家に来たら
ずっと寝てますよ。

(笑い声)

ソファーも寝心地よくて。

ソファー変わったんですよ。
変わったん? あれから。

昨日。
また今日 寝に行きます。

(笑い声)

高校卒業後 ドラフト1位で
巨人に入団した岡本。

しかし プロ1年目からの3年間

1軍での出場は
ほとんどなかった。

全然 打てないんで
もう どうしようかなと思って。

早く ちょっとでも同じ舞台で
野球をやりたいなと思いながら

やっぱり思ってましたね。

なかなか結果が
出ないんですとか

たぶん焦りもあったでしょうし。
それから やっぱ見ていたので。

高校でね 1位指名を受けて
入るっていうことは

やっぱり
素材 もちろんいいですし。

だから そういう面で
自信持ってやれっていうのは

言ってたんですけどね。
絶対 自分を信じて。

練習は やっぱり センターに大きいの
打つイメージでっていうのを

マサさんに言われたんで。
それをやるようになりましたし。

そうしたら 徐々に 勝手に
レフトにもいきますし。

全体的に打てるようになった
なりましたね。

2018年 開眼した岡本は開幕スタメン。

(歓声)

打率は3割を超え
5月までに9本塁打を記録する。

6月からは4番に座った。

オリックス戦でしたね ちょうど。

あれ 初めてか?
そうっす 初めてです。

ホームラン 打ったな。
ホームラン 打ちましたね。

山岡やった?
山岡さんっすね。

吉田のいる オリックス戦。

初の4番で先制ホームランを放った。

この年のシーズン最終打席。

この一打で
プロ野球史上 最年少での

3割30本100打点を記録。

若き主砲は覚醒した。

(歓声)

昨シーズンも ホームラン31本。

チームのリーグ制覇に貢献。

(歓声)

クライマックス・シリーズでは大爆発。

セ・リーグ最年少で MVPに輝いた。

やっぱ
すごく うれしかったですし。

結果 出したっていう。
この若さで巨人の4番を打って

活躍して今年 優勝してますし。

チームの中心選手として
やってるっていうのは

やっぱ すごいなと
思ってますけどね。

右 左 違いますけど

やっぱ 率も残せる。
ホームランも打てる。 打点もある。

フォアボールも多いとか。
打撃出塁率もそうですし。

打撃部分 やっぱり
全部 上位でいるんで

僕の中では すごい理想ですね。
映像は よく見てますね。

ちょっと打てへんな
マサさんの動画 見よう みたいな。

リーグトップクラスの打撃成績を
残している吉田。

バッティングへの こだわりとは。

フルスイングって よく言われるんで
よく勘違いされやすくて。

ぶんぶん振ってね とりあえず
振ればいい

っていうわけじゃなくて
すごいコンタクト…。

ボールをコンタクトする
っていうのを心がけてますね。

コンタクト率が やっぱり見てて
三振する気があんまりしないんで。

パチーンって やっぱ合わせますし。

時には…
基本 フルスイングなんですけど

なんていうんですか
うまいバッティングとかもあったり。

やっぱり そのフルスイングの中で
高確率に捉えているんで

すごい 僕の中では

理想に近いバッティングをしてるのが
マサさんですね。

では
日本を代表する2人の打者が

最も衝撃を受けた
日本人打者とは?

最近だと やっぱり
プレミアで一緒になった

鈴木誠也選手とかね。
やっぱり たぶん

ホント 今のプロ野球選手の中でも
頭 1つ 2つ抜けてるぐらいの

結構 衝撃ありましたけどね。

広島カープ 鈴木誠也。

(歓声)

走 攻 守 3拍子を兼ね備えた
パーフェクトプレーヤー。

パフォーマンスの全部の能力
走 攻 守で。

魅力のある選手だなと思いますね。

そうっすね。 すごいっすね。

同じ右バッターやしな。
トータル 率も残せますし。

ホームランも打って 長打も打てますし
打点も稼ぎますし。

出塁率もいいですし
OPSが すごいですね。

うん 高いね。

すごいなと思いますね。
走れるしな 羨ましいな。

走れるんで すごいなと思います。

結構 スパイクに こだわるんすよね。

足 速ないのにね。
そうそう 走らないんですけどね。

スパイクに めっちゃ
こだわってるんですよ。

(スタッフ)なんでですか?
なんでかな… 滑ると嫌ですし。

確かに足元って
すごい大事ですよね。

やっぱり履くものって
大事やと思います。

自分が使うものなんで

なるべく ストレスをなくして
使いたいっていうのは

一番ですけどね。 いいものを
使いたいっていうのと

あんまり 僕は やっぱり
好きな色とかも正直なくて。

色もなんか 例えば 今だったら
チームカラーが紺と金とあれなので

それに合った色を
使いたいなっていう。

ただ 紺と黒は
僕の中で合わせたくないので

あんまり黒の手袋とかは
着けたくないとか。

僕は赤なんですよね 試合は。
試合は赤じゃないと嫌なんで。

緑 好き言うやん。
緑も好き。

確かに緑よりは赤のほうが
なんか いいな。

緑は落ち着くらしいんすよ。
落ち着いたらあかん。

そうそう。
落ち着いたら だめなんで。

赤は なんか… 燃えるらしい。
だから赤にします。

岡本には 吉田に
改めて聞きたいことがあった。

やっぱり あんだけ振れて
率も残せれるし。

どういう意識なのかなと。

難しいっすけどね。
なんて言っていいのかが。

頭では わかってるんですけど
口で うまく説明…。

そういう成績を
出したいっていうこと?

やっぱり率を残したいんですよね。

やっぱ それには フォアボールとか
絶対 必要じゃないですか。

見逃し方とか見てても。

やっぱり目付けの位置とか。

追い込まれたら
どういうふうにしてるのかとか。

目付け?
いつも どこに目付けるん?

僕は わりと…。
インコース? やっぱり。 外甘?

外甘とか…。
ピッチャーによるんですけど。

そうやね ピッチャーによるね。

追い込まれてからのツースリーが
苦手なんですよ。

ツースリー。

「ツースリーこそ謙虚に」って
よく言うもんな。

そこでさ シチュエーションによってはさ

ここ歩かしてもいい場面も
あるわけやん。

そんときって やっぱり
ボール球を振っちゃうとかあるから

そこを状況判断 まず見て。
ツーアウト2塁とかで点差あったら

たぶん 1塁 空いてるから
振ってくれたらラッキーで

低めの変化球とかあるから
そこ見逃せたら大きいよな。

それを がっつり
いっちゃうときもあるし。

一番もったいないのが
ノースリー ワンスリーとかを

がっつり いっちゃうんすよ。
打ちにいくっていうこと?

そんで 引っかけられるとか?
あ~ ミスショットが多いんやな。

そこを減らせば
自然と率も上がるやろし。

あと そうやな…。
意外に大事なのは ほら

3打席 凡退してての4打席目。

1打席目と4打席目って
やってたらわかるけど大事やん。

1打席目 ヒット出るか。
フォアボールでもいいし出るか。

最後の4打席目に
例えば 3タコしてて

そこで1本出て 4の1か4の0で
終わるか 全然 違うやん。

いくら点差 離れても
どの打席でも

同じ気持ちで入れるように
しとかんと。

俺は
常に一緒の気持ちで入れるから

そこは大事かもしれんな。
僕はムラが多いかもしれないですね。

気分がな やっぱり あるから。

っていう感じかな?
ありがとうございます。

ハハハ…。
ありがとうございます。

このあと
2人が語る東京オリンピックへの思い。

あと半年あまりで開幕する
東京オリンピック。

活躍が期待される2人の思いとは。

なかなか
日本での開催なんていうものを

たぶん 僕が現役の間では
ないと思いますし。

結果を残して選んでもらえたら
いいなと思います。

まぁ 行きたいって言ってもね
選んでもらえるような成績を

出さないといけないので
今年は やっぱり

開幕から しっかり活躍をして。

選ばれたら やっぱり
金メダルっていうところを目指して

やっていきたいなと思います。

そして もう一人 気になる選手が。

ここ数年間
ホント すばらしい成績 残してるし。

今は もうね
慎之助のあとのね チームの中心

大黒柱でしょうね。

すばらしい働きだと思いますけど。

去年 キャプテンとして チームをけん引。

5年ぶりのリーグ優勝と自身のMVPを
同時に手にした坂本。

阿部慎之助は
引退会見の席で こう語った。

坂本は去年 キャリアハイとなる
40本塁打を記録。

チーム三冠王の成績を残した。

その陰にあった大きな出会いとは。

プロ生活の出だしは順調だった。

2年目でレギュラー 3年目に打率3割。

4年目には31本のホームラン。

そして 6年目。 23歳で

最多安打のタイトルを手にした坂本。

だが そこから伸び悩んだ。

2013年からの3年間 成績は低迷。

そんなとき 松井と出会った。

4年前の宮崎キャンプ。
松井は巨人の臨時コーチに就任。

坂本は報道陣から離れ

極秘裏に
松井からアドバイスを受けていた。

その教えで目覚めたという。

その年 坂本は復活。

首位打者のタイトルを手にした。

守備の負担が大きいショートとしては
セ・リーグ初の快挙。

坂本から恩人の松井へ。

思いを語ったビデオレターが届けられた。

当時 そのときに
聞いたときは

いや それは俺にはできないな
っていう感覚だったんで。

それが今はね すごく わかる
っていう感じがあるんで。

人の感覚って そんなにね

変わることがあるんだなって
思いました 僕は。

何十年もね
同じ感覚でやってたのが

この4年
すごく変えてみたんです。

数字も変わる。

僕は だって 松井さんに
会ってなかったら たぶん

この4年間の数字っていうのは
たぶん ないと思う。

でも そうやって…
なんていうのかな。

松井は何を思う。

でも そうやって…
なんていうのかな。

どこまで思ってくれてるかは
別としてね

実際に そうやって
そうやって縁があって

ふれあって
成績が上がったっていうのはね

関係なくても うれしいですよ。
ほっとします。 なんか。

松井がいって もっと悪くなった
って思われると嫌なんで。

松井が関係なくても
松井が行って よくなった

っていう結果が出れば
あっ よかったなっていう。

それだけです ホントに。

自分の中では
正しいと思うことをね

もちろん伝えたつもりですけど

それが 彼らに
ホントに どこまで影響を与えたのか。

彼らが どこまで
それを意識したとかね。

それが どう結果につながったって
わからないですけど。

成績が よくなったっていうことで
それは自分自身 ハッピーですよ。


関連記事