NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」長谷川和夫さん(90)が、自らも認知症であることを公表し…



出典:『NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」』の番組情報(EPGから引用)


NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」[字]


認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90)が、自らも認知症であることを公表した。その姿を一年に渡って記録。専門医が当事者になって初めて気づいた大切なものとは。


詳細情報

番組内容

自ら認知症であるという重い事実を公表した医師がいる。認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90)。「長谷川式」と呼ばれる早期診断の検査指標を開発、「痴呆」という呼称を「認知症」に変えることを提唱するなど、人生を認知症医療に捧げてきた。認知症専門医が認知症になったという現実をどう受け入れ、何に気づくのか。誰もが認知症になりうる時代。長谷川さんの姿を通して認知症を生き抜くための手がかりや希望をつむぐ。

出演者

【語り】吉岡里帆



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NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」長谷川和夫
  1. 長谷川
  2. 認知症
  3. 取材者
  4. 瑞子
  5. 大丈夫
  6. 取材
  7. 先生
  8. 認知症医療
  9. 父親
  10. 進行
  11. 第一人者
  12. 日本
  13. 年前
  14. Where
  15. カレンダー
  16. ダメ
  17. デイサービス
  18. ピアノ
  19. 家族
  20. 五線紙


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認知症医療の第一人者…

2年前 自ら認知症になったことを
公表しました。

先生 こんにちは。

日本で初めて 認知症の早期診断を
可能にした長谷川さん。

私たちに こう言いました。

違うよ。

(まり)違うよ。

(まり)違う…。
(笑い声)

(取材者)そうなんですか?
うん。

死のうかと思ったんだって。
(取材者)えっ?

日々 進行していく認知症。

え~っ。
(拍手)

予想外の行動をとる長谷川さんに
家族は 葛藤を抱え続けていました。

(笑い声)

それでも 失われるものばかりでは
ありませんでした。

認知症を生きていく上で
大切なものは 何か。

長谷川さんは 見つけようとしていました。

♬~(歌声)

誰もが認知症になりうる時代。

認知症になった第一人者が
自ら発するメッセージです。

♬~

取材を始めたのは 2018年の夏。

(チャイム)

お暑いところ…。
こんにちは。 はじめまして。

長谷川さんは
妻の瑞子さんと2人で暮らしています。

お邪魔します。 お邪魔します。

(取材者)ピアノがあるんですね 先生ね。
そう。

認知症と診断されたのは
この取材の1年前。

始まりは 曜日の感覚が
あやふやになったことでした。

普通のカレンダーのほかに

日めくりカレンダーが
欠かせなくなりました。

(取材者)2つあるのは
どうしてなんですか?      何?

(取材者)2つ カレンダーがあるのは
何でなんですか?

よいしょ。

長谷川さんの認知症は…

調子がいい時は
自宅の書斎で 一人研究を続けています。

(取材者)すごい。

300冊ぐらいかなあ。

(取材者)戦場ですか。
戦場。

(取材者)おお~。 ここで何を…
どんな戦いをするんですか?

だから…

長谷川さんの医師としての歩みは
日本の認知症医療の歴史そのものです。

戦後間もない頃 精神科医となり
40代で認知症を専門にした長谷川さん。

認知症は 当時 痴呆と呼ばれ
差別や偏見の対象となっていました。

具体的な診断基準すらなかった時代。

自ら開発したのが
記憶力などをテストする…

日本で初めて
認知症の早期診断を可能にしました。

認知症の人の尊厳を守るため

病名を 痴呆から
「認知症」へ変更することを提唱。

86歳まで診療を続けました。

どうも ありがとう。
はい 失礼します。

認知症医療の第一線に立ち続けて半世紀。

この日 訪れたのは
名誉教授を務める大学でした。

(まり)うちから持ってきてない…。

認知症になった今も
各地で講演活動を行っています。

それから 確かさが はっきりしない。

長谷川さんには 認知症への理解を深める
原点となった出来事があります。

五線紙に思いをつづっていたのが…

長谷川さんが主治医を務めていました。

50代でアルツハイマー病を発症。

健さんは 亡くなるまで

その胸の内を明かすことは
ありませんでした。

唯一 残していたのが
この五線紙に書かれた言葉でした。

「僕には メロディーがない
和音がない 響鳴がない

帰って来てくれ
僕の心よ 全ての思ひの源よ

再び 帰って来てくれ

あの美しい心の高鳴りは
もう永遠に与えられないのだろうか」。

長谷川さんは 健さんが亡くなったあと

妻の裕子さんから
五線紙のことを打ち明けられました。

認知症の人の心に寄り添い
診療を続けてきた長谷川さん。

しかし 自身が認知症と分かった時
想像以上の不安に襲われたといいます。

認知症になって初めて分かる
当事者の胸の内。

長谷川さんは それを忘れないために
日記をつけています。

「僕の認知症も確かなものと自覚した。

『3時ごろ こちらに来る』という伝言を
すっかり忘れ

そのことも自覚しないという点で

立派な認知症と思った」。

「昨日 池袋駅で
JR山手線の乗場が分らず

人にきいたりした」。

「僕の認知症 少しづつ進行している」。

確かさ。 確かさっていう生活の観念が…

はい 行ってらっしゃい。 気を付けて。

(まり)ポケットに入ってた?

日々 失われていく確かさ。

長谷川さんは それにあらがうように
できるだけ外出し

これまでと同じ日常を
送ろうとしていました。

毎日のように訪れる お気に入りの喫茶店。

認知症医療の第一人者だった長谷川さんを
支えてきたのが 妻 瑞子さんです。

夫の薬を
朝 昼 晩と分けるのが日課になりました。

(取材者)えっ 何で ダメなんですか?

飲んだ気になっちゃうみたい。

あっ 帰ってきた。 は~い。

症状が進行していく中 瑞子さんの負担は
日に日に大きくなっていました。

持病の腰痛が原因で
自らも要介護認定を受けている瑞子さん。

靴下 脱ぐ。

夜 眠れないことが増えた長谷川さんに
深夜まで付き添うようになりました。

いい いい いい いい。

うん いい いい。
いい?

大丈夫。
大丈夫?

おやすみなさい。
はい。

2人が結婚したのは 60年前。

3人の子どもに恵まれました。

仕事一筋で生きてきた夫。

家事や育児は
瑞子さんが一人で担ってきました。

そして 今
認知症になった夫を支える日々。

それは ようやく訪れた
夫婦2人だけの時間でもありました。

♬~

「僕の体や精神 心のすべてに
瑞子がいてくれる。

この感覚は 始めてだ。

なんというのだろう。
いつも瑞子と共にいる感じだ。

幸せだと思う」。

♬~(ピアノ)

それで…

はい チーズ。

今 長谷川さんの講演活動や
研究を支えているのが

娘の まりさんです。

この日 新たに出版する本の
打ち合わせに臨んでいました。

多くの医療機関で使われるようになった
認知症の簡易検査「長谷川式スケール」。

正しい使い方を伝えたいという
父親の希望をかなえるためです。

その途中のことでした。

長谷川さんは 打ち合わせとは
関係のない話を次々と始めます。

僕は やっぱり
2つ 特別な体験をしてると思うんだよね。

一つは キリスト教の信仰に
ぶつかったっていうことが

一つ あると思うんだ。 これは…。

娘のまりさんは 話を戻そうと
つい 口を挟んでしまいます。

先生に いろいろ 今日
お願いしたいと思って…。

明日 やれることがあったら
もう 今日 手をつける。

だから… そうそうそう。

あ~ ごめん…。

分かりました。 どうぞ どうぞ。

東條英機が… 軍閥が
日本をしっかり握ってた時には…。

認知症の父と どう向き合えばいいのか
不安が募っていました。

この日は 主治医との面談でした。

僕の感じではね 確かさっていうのが
あやふやになってきた。

確かさ。

具体的に言うと 例えば…

じゃあ そちらで。
じゃあ さっきの待合室…。

まりさんは 悩みを打ち明け始めました。

すいません 今日…。
いえいえ。  ありがとうございます。

ちょっと伺いたいことが…。

そうですか…。

認知症医療の第一人者である父親が
認知症になった。

その現実を まりさんは
受け入れることができずにいました。

取材を始めて半年。

長谷川さんの症状は
少しずつ進行していました。

このころ 口数が少なくなっていました。

日記には 複雑な心の内が
英語でつづられていました。。

「Where are you? Where am I?
Where is Mizuko?」。

おはようございます。

長谷川さんは
日帰りで さまざまな介護を受けられる

デイサービスに
通うようになっていました。

妻 瑞子さんの負担を減らすためでした。

(一同)あっぷっぷ。

実は 長谷川さんは およそ40年前

認知症のデイサービスを提唱し
実践した一人です。

家族の負担を減らし
認知症の人の精神機能を活発化させる。

利用者が一緒に楽しめる場所の
重要性を訴え続けてきました。

よ~い スタート!
あっ 長谷川さん… 長谷川さん!

投げて下さい 投げて下さい
投げて… 投げて 投げて。

よいしょ! 5 4 3…。

利用者全員で行うゲームに
参加することになった長谷川さん。

しかし この日 笑顔はありませんでした。

かつて 自ら提唱したデイサービス。

そこで感じた 孤独。

もちろん そうかもしれないけど…。

♬~

(取材者)そうなんですか?
うん。

死のうかと思ったんだって。
(取材者)えっ?

死にたくなっちゃったんだって。
(取材者)それで どうしたんですか?

だからさ…

(ため息)

このころ 認知症の人が陥りやすい
気分の落ち込みを経験していました。

(瑞子)眠そうね。
(まり)大丈夫かな…。   これだもん。

この日 町内会で講演を控えていた
長谷川さん。

まりさんは うまく話ができるか
心配していました。

えっ?
変なこと。

変なことなんて 俺 どこでも
いつでも言ったことないよ。

軍歌?

町内会の会議が終わったあと
長谷川さんの出番がやって来ました。

(拍手)

え~っ。
(拍手)

(まり)ちょっと待って! ちょっと…。

先に お話 して。
いい 大丈夫。

紙 配ってないの。
じゃあ ちょっと配ります。

すみません。
いや~ね。

♬~(「ふるさと」)

講演の最後に予定していた歌を
突然 最初に歌い始めたのです。

♬~(「ふるさと」)

そうか。

何で 初めに歌うの?
(まり)何で初めなの?

(まり)そうね。

(まり)ふ~ん。

まりさんは
父親の思いを受け止め始めていました。

♬~(「ふるさと」)

父親の心に
どう寄り添っていけばいいのか。

(取材者)結構 ばんそうこうが…。

まりさんは けがで
家に引きこもりがちにならないよう

長谷川さんを
外に連れ出すようになりました。

まりさんには 気付いたことがありました。

分からない。
えっ 分かんないの?

うれしい。 やった。

(笑い声)

昔から 家族を楽しませることが
大好きだった父親。

その人柄は
今も決して変わらないということでした。

(取材者)お邪魔します。

取材を始めて1年。

(取材者)あっ 寝てて大丈夫ですよ 先生。

長谷川先生。 フフフフッ。
本当に寝ちゃうの。

ちょっと。

ねえ。 死んじゃったの?

体調のすぐれない日が増えていました。

今後に備え 長谷川さんは

有料老人ホームの利用を
考え始めていました。

2泊3日の体験宿泊です。

♬~

(取材者)我慢になりますか? やっぱり。
うん。

「帰りたい」と漏らす長谷川さん。

ある思いを 何度も口にしました。

帰宅して 真っ先に向かったのは
論文を書き続けてきた書斎でした。

長谷川さんには かつて先輩医師に
言われた ひと言がありました。

♬~

♬~

じゃあ ご苦労さん。

こっち 「ありがとう」って言わなきゃ
ダメでしょう。

こっちの人に
「ありがとう」って言わなきゃ。

ありがとう。

ありがとう。
ハハハハハッ。

あったかそうでしょう?
うん ありがとう ありがとう。

高かったでしょう? あったかそうだ。

瑞子じゃないよ。
ちょっと。

えっ 私 誰?               え~っと…。
え~ ちょっと…。

まりか。
そうよ 嫌だ~。

大丈夫?
大丈夫。

認知症とは何か。

長谷川さんは 今 こう言います。

長谷川さんが
認知症と向き合い続けて2年。

取材の最後に 聞きたいことがありました。

(取材者)先生にとって 今…

♬~(ピアノ「悲愴」)

♬~

いいよ いいよ。 今 よかったじゃないの。
ダメなの。

フフフフフッ…。

あ~あ ねっ。


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