NHKスペシャル 阪神・淡路大震災25年 あの日から25年 大震災の子どもたち 当時の小中学生に大規模調査…



出典:『NHKスペシャル 阪神・淡路大震災25年▽あの日から25年 大震災の子どもたち』の番組情報(EPGから引用)


NHKスペシャル 阪神・淡路大震災25年▽あの日から25年 大震災の子どもたち[字]


俳優・北川景子が阪神・淡路大震災の被災体験を告白。当時の小中学生に大規模調査。6割が震災体験を「前向き」にとらえていた。そのカギはどこに。子供たちの25年。


詳細情報

番組内容

神戸出身の俳優・北川景子が阪神・淡路大震災の被災体験を告白。番組では社会心理学の専門家と当時の小中学生600人に大規模調査。専門家も驚く結果が明らかに。家族を失うなど大きな被害を受けた人でも、6割近くが今は震災体験を「前向き」にとらえていると答えた。前向きに転じるカギとして「先生」や「近所の大人」など家族以外の「周囲の大人」の存在が浮かび上がってきた。神戸から全国の被災地へ新たな教訓を伝える。

出演者

【出演】北川景子



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NHKスペシャル 阪神・淡路大震災25年▽あの日から25年
  1. 震災
  2. 元気
  3. 自分
  4. 経験
  5. 家族
  6. 大人
  7. 継子
  8. 今回
  9. 体験
  10. 調査
  11. 当時
  12. 変化
  13. 一人
  14. 気持
  15. 幸太
  16. 心境
  17. 年生
  18. 記憶
  19. 言葉
  20. 仕事


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俳優 北川景子さん。

25年前の今日
阪神・淡路大震災で被災しました。

今回 初めて 「震災」をテーマにした番組で
自身の経験を明かしました。

それ以来 震災の経験を積極的には
話してこなかったという北川さん。

そんな自分を変えるきっかけにしたいと
取材を受けることにしました。

今回 番組では 北川さんのように
あの日 子どもだった およそ600人に

初めての調査を行いました。

子どもから大人へ そして 親へ。

25年の歳月を経て 多くの人たちが 今

自らの言葉で
震災の経験を語り始めています。

今回 私も ふるさと 神戸を訪ねました。

当時の子どもたちは 今 震災を
どのように捉えているのでしょうか?

「震災を生きる力に
変えてきた」。

そう答えた
人たちがいました。

「震災を思い出すと つらい。
それでも忘れることはできない」。

相反する気持ちを抱えている
人たちもいます。

小さな胸に悲しみを抱え込んでいた
あの日。

そして 生きる希望をつかんだ あの時。

「大震災の子どもたち」
25年の心の軌跡です。

(汽笛)

去年10月 NHKは
社会心理学の専門家と共に

震災から25年で
初めての調査を行いました。

対象は 当時 小中学生だった子どもたち。

591人から回答を得ました。

震災に対する心境の変化
進学や就職への影響

住む場所の選択への影響などについて
聞いたところ

専門家も予想していなかった
結果が出ました。

心境の変化について聞いた答えです。

震災の体験を前向きに捉えている人が
およそ6割に上りました。

しかも 家族や住まいを失うなど
被災程度が高い人も

同じ傾向だったのです。

震災の経験を
前向きに捉えているという人たち。

なぜ そう思えるように
なったのでしょうか?

「精神的に成長できた」「生きることには
意味がある」といった項目全てに

「そう思う」と答えた人がいました。

長谷川元気さん 33歳です。

この学校に通っていた
小学2年生の時に被災し

2人の家族を亡くした元気さん。

幼い身に 震災は
あまりにもつらい体験でした。

母親の規子さんと

3兄弟の末っ子 翔人くんです。

よ~い よ~い よい!

余計 言ったらね…。

震災の前の年の翔人くん。

撮影したのは 母の規子さんです。

責任感が強く しつけには厳しかった母。

褒めてくれる時の優しい表情が
元気さんは大好きでした。

そして あの日
震災が全てを変えました。

全壊した自宅から 父親 元気さん
1つ下の弟は 外に出られましたが

規子さんと翔人くんは
埋まったままでした。

しかし 当時の元気さんは

張り裂けそうな思いを 一人

その小さな胸に抱え込んでいました。

小さい頃は なすびが好きだということも
知らなかったし…。

父の博也さんです。

震災後
仕事をしながら全ての家事をこなし

子どもたちを育ててきました。

ミートソースは たっぷりです。

おいしそう。

お父さんにも?
お父さんにも はい。

元気さんが 悲しみを
表に出さないようにしていた姿を

博也さんも よく覚えているといいます。

このころ 元気さんが書いた作文です。

自分が助かるまでの状況が
つづられたあと

作文は 唐突なひと言で終わります。

「たつのに
いって
かそうしました」。

母と弟に何が起きたのか

これ以上のことは
書かれていませんでした。

人前では
悲しみを出さずにいた元気さん。

つらい気持ちが抑えられなくなると
校庭の隅に隠れて 泣いていました。

そんな元気さんを
そっと見守っていた人がいます。

当時の担任 酒井久栄先生です。

突然 母と弟を失いながら
悲しみに耐えている 僅か8歳の教え子。

一人で泣いている元気さんを見つけると
そっと近づきました。

震災以降 人知れず抱え続けていた思いを
ようやく打ち明けることができたのは

中学1年生の時でした。

その相手は
テレビ局のディレクターでした。

「そういう 起きたら 何か…
知らんとこにいるみたいな

そんな感じで…」。

大阪の民間放送局に勤める
迫川 緑さんです。

家族の密着取材をしていました。

母や弟の死に向き合いながら
家族の日々を記録していた迫川さん。

映像には 初めて胸の内をさらけ出した
という場面が残されていました。

元気 そんなふうに思ってるのか
って思うし。

少しずつ 気持ちを表に出すようになった
元気さん。

小学校の担任 酒井先生は
その成長をそっと見守り続けていました。

折に触れ 元気さんを気遣う手紙を
届けていました。

家族も傷ついた中

周囲の大人たちの存在が
自分を支えてくれたと

元気さんは感じています。

大人になり 元気さんが就いた仕事は
小学校の先生。

あの時の酒井先生と同じように

子どもたちと向き合う日々を
送っています。

思いやりとは 言葉にすると…。

つらい記憶を打ち明けられなかった
あの時。

今では 少しでも知ってもらいたいと
思えるようになりました。

…というのを ちょっと考えて
ノートに書いてほしいな。

「震災を経験したからこそ
今の自分がある」。

元気さんは 各地で
自らの体験を語るようになっています。

周囲の支えを受けて 震災のつらさを
打ち明けられるようになった

長谷川元気さん。

子どもの頃 同じような経験をした人が
数多くいることが

調査からも明らかになりました。

被災程度が高い人ほど

家族には つらい体験を
打ち明けていませんでした。

そうした人が 心境の変化の
きっかけとして挙げたのが

近所の大人や 学校の先生など

家族以外の大人の存在でした。

一方 調査では 震災の体験を

前向きに捉えていない人が

今も 4割いることが分かりました。

その回答を詳しく分析すると
意外な事実が分かりました。

震災の体験を消し去ってしまいたい
という設問に対し

7割を超える人が
「そう思わない」と

否定していたのです。

今日は よろしくお願いします。
お願いします。

相反する心の内を記した一人

内之宮継子さん 38歳です。

中学1年生の時に被災し
母親を亡くしました。

なぜ つらい体験を消し去りたくないと
答えたのでしょうか?

兵庫県尼崎市の上空です。

25年前のあの日 尼崎市にあった
木造2階建ての自宅は全壊。

母親と4人の子どもたちは
崩れた家の下敷きになりました。

継子さんと きょうだいたちは
レスキュー隊によって

一命を取り留めました。

しかし 母の千寿子さんは

助かりませんでした。

震災から2か月後
仮設住宅で避難生活を送る

継子さん家族の映像が残されていました。

4人きょうだいの長女。

家族の支えにならなければと

母が担っていた家事のほとんどを
引き受けることにしました。

夜が明ける前に起き
家族全員の食事を作る毎日。

母の記憶をたどりながら
作ろうとしますが

思うようにはいきませんでした。

死を意識するほど
追い詰められていた継子さん。

それでも
母の代わりを果たさなければと

自らの心には蓋をして
毎日を過ごしました。

親を亡くした子どもが集う 遺児の会。

ここでも
本音を語ることはありませんでした。

夜中に 一人 家を抜け出し
街をさまようこともあったといいます。

おう。
この間は ありがとう。

あの当時の記憶は 今も
しこりとなっているといいます。

誰の負担にもならず
一人で生きていくことを

意識するようになった継子さん。

戴帽式の日の写真です。

実家を離れ 経済的に自立するために
目指したのが 看護の仕事です。

失礼しま~す。

今日担当の内之宮ですよ~。
お願いします。

よろしくお願いいたします。

覚悟を決めて飛び込んだ 看護の道。

その仕事が
継子さんに変化をもたらします。

重い病気やケガと闘う患者たちと
向き合う毎日。

あ~ 肝臓ね うんうん…。

キャリアを積む中で

指導にあたる後輩たちも
増えてきました。

もう「うちの子たち」みたいな感じなんで。

今回の調査で継子さんは
今の心境について こう記していました。

「人の役に立てる事に
喜びを感じています。

これからも がんばります」。

分からんかな? フフフ…。

これまで独身生活を続けてきた 継子さん。

今も 子どもを持つことは
考えられないといいます。

心の中に震災を抱えて生きてきた人生。

その自分を受け入れながら
これからを歩んでいこうとしています。

子ども時代に震災を経験し

整理のつかない
複雑な気持ちを抱えながら

25年を生きてきた人たち。

今回の調査では 震災の経験が

その後の生き方に どう影響したか
聞きました。

人生の使命とは何かを考えるようになった
という設問に対し

被災度が高い人ほど

「そう思う」と答える傾向があると
分かりました。

震災から25年の歳月。

それは 子どもが大人になり
社会的立場の変化をもたらす

年月でもあります。

今回の調査では
結婚や子どもの誕生によって

震災の捉え方が かつてに比べて
変化している様子も見えてきました。

結婚し 夫や妻になったこと

子どもが誕生し 親になったこと

それをきっかけに心境が変化し

「震災の記憶がよみがえった」

「震災の見え方が昔と変わった」

という人がいたのです。

父を亡くした高橋 朗さん 35歳です。

妻と3人の子どもがいます。

この25年で 朗さんが
最もつらいと感じたのは

震災直後ではありません。

実は
念願の子どもを授かった時のことでした。

父の修さんです。

子どもたちと過ごす時間を
何より大切にする 優しい父親でした。

地震によって起きた火災で
焼け野原となった 神戸市長田区。

父は ここで働いていました。

パン屋を営んでいた父 修さん。

地震で建物が崩れ 下敷きになりました。

火の手が迫る中 父が残した最期の言葉。

それは
「息子たちをよろしく頼む」でした。

震災直後の朗さんです。

当時10歳 この時 朗さんは
自分の気持ちをしまい込み

悲しみに暮れる母のことを
気にかけていました。

えっ ごめん 何?    えっ?
何?

やっぱ 自分で守る…
自分というか あの…。

友達と遊びに行くと言って
出かける朗さん。

母には黙って 父が亡くなった店の跡地を
訪ねていました。

父のことをもっと知りたいと感じていた
朗さん。

しかし 誰にも聞けないまま
大人になっていきました。

今 3人の子の父親となった朗さん。

8×6 48。 8×7 56。 8×8 64…。

長男の幸太くんは

小学2年生になりました。

親になり 新たな苦しみと向き合う日々。

朗さんは 父の知り合いを
訪ねるようになりました。

父と 20年以上の友人
古市忠夫さんです。

自分の知らない父の姿を
教えてもらおうとしています。

失礼します。
俺 ちょっと腰 痛いから…。

いやいや 全然全然…。

ハハハ そうなんや…。

「修 持ってないか?」って言うたら
持っとる。

へえ~。 準備しとるん?

そういうね… さっき 言うたように…

用意周到?
うん そうそう…。

♬~

今 子育て真っただ中の朗さん。

自分の姿を 在りし日の父親と
重ね合わせるようになっています。

幸太くんを度々
海釣りに誘うようになりました。

せやろ 幸太。 全然来うへんやろ?

ハハハ…。

それも含めて 釣りや。

父ちゃんの仕掛けだけ
ちょっと作らせてな。

朗さんは
釣りを 一から父に教わりました。

その優しい姿が
朗さんの心に残っています。

幸太 餌つけるん 見とく? 一回。

父ちゃんが 父ちゃんとやっとる時も
こんな餌つけるんなんか できひんから

王様釣りっていって
餌つけてもらって 投げてもらって

…で 魚が来たら巻くだけっていう

王様釣り よう しとった。

…で それが?          いや 多分

幸太も そうなるんやろな
って思って。

震災から25年。

自らが親になったことで
改めて向き合う 亡き父の存在。

今 父が残した最期の言葉を
かみしめています。

小5 中1 中3
ってね…

あと5年で 父の年齢を越える朗さん。

父が歩めなかった その先を
自分の足で歩んでいこうとしています。

大人になり 親になることで変わっていく
震災への思い。

多くの人が そのことを実感していました。

震災の子どもたちの経験は 今

ほかの被災地でも
受け継がれようとしています。

母と弟を亡くした 長谷川元気さんです。

東日本大震災の被災地を訪ね
遺族と交流を続けてきました。

ご無沙汰しとります。 どうも。

宮城県石巻市に住む
佐藤敏郎さんの家族です。

次女の みずほさんは

震災による津波で亡くなりました。

当時 中学2年生だった
長女の そのみさん。

元気さんが 震災のあと 亡くなった母や
弟の夢を見たと話した時のことでした。

例えば 小さくなってったりとか

どこかに行っちゃったりとか。

そのみさんは 最後に こう尋ねました。

すごくシンプルですが。

いや~ はい フフフ。

そうですね うん。

やっぱり…

まあ でも やっぱり そうですね…

♬~

今回 私は改めて 阪神・淡路大震災と
向き合うきっかけをもらいました。

震災を経験した子どもたち
一人一人が生きてきた 25年の歳月。

その歩みが ほかの被災地の子どもたちの
励みや道しるべになってほしい。

私は そう強く感じています。

♬~

(取材者)そうですね。


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