偉人たちの健康診断「発明王エジソン 驚異のひらめきと集中力の謎」集中力の背景には、近年注目されているある障害が…


出典:『偉人たちの健康診断「発明王エジソン 驚異のひらめきと集中力の謎」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「発明王エジソン 驚異のひらめきと集中力の謎」[字]


蓄音機など数々の発明で知られるエジソンを健康診断!独創的な発想とその発想を形にするまでのすさまじい集中力の背景には、近年注目されているある障害が隠れていた!?


詳細情報

番組内容

生涯で千数百もの発明と技術開発を成し遂げた発明王トーマス・エジソン。発明を実現するまでの集中力はすさまじく、白熱灯開発に際してはフィラメントの素材候補を世界各地から六千種類も集めてひたすら実験を繰り返したという。実は、常人ばなれしたキャラクターの背景には近年注目されているある障害が潜んでいた!?数々の成功を成し遂げる一方、壮大な失敗を失敗とも思わずに突き進む特異な人格の謎に迫る!

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,柴田理恵,【解説】金井正雄,竹内薫,岩波明,【司会】渡邊あゆみ


『偉人たちの健康診断「発明王エジソン 驚異のひらめきと集中力の謎」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

偉人たちの健康診断「発明王エジソン 驚異のひらめきと集中力の謎
  1. エジソン
  2. 白熱電球
  3. 発明
  4. ADHD
  5. 開発
  6. 実験
  7. 電気
  8. テスラ
  9. 関根
  10. 交流
  11. 蓄音機
  12. 交流システム
  13. 集中力
  14. 研究
  15. 自分
  16. 竹山
  17. 発電所
  18. 可能性
  19. 学校
  20. 楽観性バイアス


『偉人たちの健康診断「発明王エジソン 驚異のひらめきと集中力の謎」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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誰もが知る名言を残した…

白熱電球をはじめ
生涯で1, 000を超える特許を取得し

人々の暮らしを大きく変えました。

しかし…

常軌を逸したエピソードが残っています。

(鍵をかける音)

還暦を過ぎても 机の上で
仮眠をとりながら 徹夜を繰り返したり。

部下の忠告を無視して…

近年の研究によると…

…可能性があるといいます。

…ことが知られています。

エジソンの…

…に迫ります。

♬~

健康のヒントは 歴史にあり。

♬~

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

今日はですね エジソンが発明・開発した

さまざまな品をご紹介しながら
進めてまいります。

よろしくお願いいたします。
(3人)よろしくお願いいたします。

エジソンのものなんですけど
まずね こちらの蓄音機なんですよ。

音声を録音できて 再生できるという。

すごいですね~。

竹山さんの じゃあ お声を。
はい はい。

手回しで 回して頂いて。

まず回す? こうかな?

♬「エジソンは えらい人
そんなの常識 パッパパラリラ」

ありがとうございます。

録音するのは ろうでできた筒。

声が溝になって刻まれました。

針を再生用のものに交換します。

(蓄音機・竹山)♬「エジソンは えらい人
そんなの常識 パッパパラリラ」

うわっ。
え~!

(関根)これを考えついたって
やっぱりエジソン 天才だ! 天才ですね。

だって 音が こんな傷で出てくるって
考えられないでしょ!?

私たちの声が。
(関根)僕らは分からないですよね。

(竹山)すごいわ。
(関根)すごいな~。

皆様が あの 発明王エジソンを知ったのは
多分こうした紙芝居とか…。

伝記! 伝記シリーズ!
小学校の図書館なんかで。

これ見たような気がしますもん。
なんか見たことあるような気がする。

なんか 自由な発想で
いたずらっ子だったけど

学校の勉強 あんまり上手じゃなくって…。

なんか そうじゃなかったっけ?
僕ね そこまで覚えてないですね。

学校は勉強しなくていいんだって
思ったもん。
あ そう。

さあ でもですね
今日 ご紹介してまいりますのは

その子ども用の伝記などには
まず描かれない

そういったエピソードも
見て頂こうと思うんです。

科学史にお詳しいサイエンス作家の
竹内 薫さんに加わって頂きます。

どうぞよろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いします。

あの どういう人なんでしょうか?
ひと言でいうと はちゃめちゃですね。

(竹山)ええ~!

で こう ワーカホリックで。   働きすぎ?
そうですね。

で ライバル心が強い。

もう夜も寝ないで働いて
それを従業員に強いる。

まあ 現代では ちょっと許されない
タイプの方ですよね。    (関根)はぁ~!

エジソンはカテゴリー的には
科学者でいいんですか?

いや やっぱり
エンジニアじゃないですか?

(竹山 柴田)エンジニア!
(関根)エンジニアの方ですか。

工学っていうことですか?
工学者ですよね。

ですから あまり考えずに
とにかくもう 何でもやってみる。

で 組み合わせて 失敗を繰り返しながら
最終的に うまくいけばいいやと。

でも考えつくんだから やっぱり
すごいは すごいですよね?

何にもなしじゃ
手当たりしだいにできないですもん。

分かってないとね
いろんなことが。

それでは エジソンの
健康診断をしてまいりましょう。

最初に ご紹介するのは
エジソンの最大の功績

白熱電球の開発です。

エジソンが白熱電球を開発する前

街を照らす明かりとして
普及していたのは

ガスを燃焼させるガス灯。

換気の必要があり 火事の危険もあるため
室内には不向きでした。

電気を使った照明もありました。

炭素棒の間に電気を流して
炭素を超高温で燃焼させるアーク灯です。

目がくらむほど まぶしく
明るさを調節できないのが欠点。

燃焼によって空気も汚しました。

ガス灯同様
室内で用いるには不向きでした。

夜 室内をともすには
中世の時代からずっと

ろうそくやオイルランプが
使われ続けていたのです。

白熱電球の原理は

1802年 イギリス人の
ハンフリー・デービーが発見しました。

その後 多くの科学者が
白熱電球の研究を行いますが

点灯時間を十分にのばすことができず
実用化には至りませんでした。

そこで登場するのが

新進気鋭の発明家として
注目を集めていた エジソンです。

1878年 資本家から資金を集めて
電気照明会社を設立。

白熱電球の開発に取りかかります。

未来への扉を開く 白熱電球。

白熱電球を長時間点灯させるためには
電球の中の酸素を抜き

発光部分となるフィラメントを
ゆっくり燃焼させる必要があります。

エジソンは 真空ポンプを使い
点灯実験を行います。

試したのは プラチナのフィラメント。

しかし すぐに燃え尽きてしまいました。

その後 さまざまな金属を試しますが
実験は失敗の連続でした。

ここに 白熱電球の開発ノートが
保存されています。

「金属は フィラメントに使うには
電気抵抗が小さすぎる」。

そう考えたエジソンは

アーク灯に使われていた
電気抵抗の大きい炭素に注目。

世界中に部下を派遣して
実験に使う素材を

6, 000種類も集めました。

…などです。

これらの素材を
炭焼き窯で炭にして実験。

しかし 点灯時間は思うようにのびません。

「最新の真空ポンプでも
性能が足りない」

そう考えたエジソンは
真空ポンプを自ら改良。

性能を
従来の100倍に高め

100万分の1気圧を
実現しました。

世界最高の真空ポンプができた。

あとは
最適な炭素素材を探り当てるだけ…。

数を試すしかない。

エジソンは 追い込みにかかると
常人離れした集中力を発揮しました。

ほぼ毎日 実験室に泊まり込み…

実験を繰り返しました。

そして ついに大きな成果をあげます。

エジソンは 29番の太めの木綿糸を使って
深夜に点灯実験を行いました。

一睡もせずに電球を見つめます。

フィラメントが切れたのは 40時間後。

エジソンは叫びました。

アメリカでは白熱電球の実用化に
大きく近づいた この日が

エジソンの日となっています。

そして翌年 エジソンは 画期的な
フィラメントの素材と出会います。

竹の名産地 京都・八幡の…

全世界から取り寄せた炭素素材の中でも
抜群の性能を発揮しました。

なんと連続点灯…

開発を始めて2年後の 1880年には

1日1, 000個の白熱電球が
量産されるようになります。

白熱電球の開発と並行して エジソンは
電灯システム全体を発明します。

たくさんの電球を 一斉に
ともすことができるように

改良された発電機。

現在でも使われている
世界統一規格の 電球の…

大量の電気が流れると
電流を遮断して 安全を守る…

料金徴収のために
使った電気の量を計るメーター。

電気が流れると 電極に亜鉛が付着。

その重さを量ることで料金を計測します。

エジソンは発電から送電に至るまで
照明にまつわる全てを

自らの発明で提供しようとしたのです。

そして…

それ以降 白熱電球は
アメリカの大都市で一気に広まり

人々の生活は一変します。

エジソンは 数えきれないほどの
失敗を繰り返しても

なぜ やる気を
失わなかったのでしょうか?

エジソンが人並み外れて 粘り強く
実験を続けることができたのは

脳の ある機能が変化したためだと考える
専門家がいます。

…だと言えます。

…と呼ばれる
発達障害の一つです。

そわそわして落ち着きがない

思いついたら
すぐ行動してしまうなどの特徴があり…

…に見られます。

人間の衝動的な行動を抑制する
大脳の機能が変化することによって

引き起こされると考えられています。

趣味や仕事など

目の前に取り組んでいることが終わるまで
やめられないという

過剰な集中力を生み出すことがあります。

…ということが
しばしば見られています。

エジソンが 答えが見つかるまで
寝落ちするまで研究を続けたのは

ADHDの特徴である
過剰な集中力によるものだった可能性が

考えられるのです。

更に エジソンの発明の原動力となった…

これも ADHDの人の強みだといいます。

ADHDの人は 興味のないことには
集中力を発揮できないため

一般の人に比べて 空想にふける時間が
長いことが知られています。

空想にふけっている時は 無意識に
いくつもの情報をつなぎ合わせ

突然 思いも寄らぬアイデアを
ひらめいたりします。

そのため 商品開発や芸術など

クリエイティブな仕事で
成果を上げやすいのです。

ADHDの可能性が高いエジソン。

類いまれなる才能は
家庭環境によって開花しました。

トーマス・エジソンは
エリー湖のほとりにある

ミランという小さな町で
1847年2月11日に生まれました。

エジソンは8歳で小学校に入学。

しかし 授業中は
ぼーっとして居眠りしたり

ノートに
落書きをしたり

たまに授業に興味を持つと 質問の連発。

困り果てた先生は…。

それを聞いたエジソンは 母親に訴えます。

エジソンの母は激怒。

僅か3か月で学校をやめさせ

自ら勉強を教えることにしました。

学校をやめたエジソンは体重計を使って

小麦の袋と自分の体重の重さを比べて
遊んでいました。

その様子を見た母は エジソンが
好きなだけ実験ができるように

自宅の地下室を
実験室として あてがったのです。

更に母は エジソンが10歳になると

「自然科学の学校」という
初等物理の本を買い与えます。

そこには蒸気機関のメカニズムや
光の屈折のしかたなどが

詳しく紹介されていました。

エジソンは 10歳にして

この本に書かれていた実験を
全て行いました。

その後 エジソンは実験道具を買うために
アルバイトを始めます。

鉄道で移動しながら新聞を売るのです。

14歳の時に 南北戦争が勃発。

はるか遠くで起こった出来事が
その日のうちに記事になっていました。

それを可能にしたのが…

全米に張り巡らされた
ネットワークによって

遠くで起きた事件が
モールス信号で送られていました。

エジソンは このモールス信号を使って

新聞の売り上げをアップさせる仕組みを
考案しました。

新聞の中身を宣伝するために

ニュースの見出しを
モールス信号で各駅に配信し

それを掲示板に掲げてもらいます。

見出しに興味を持った乗客たちは
列車が到着するやいなや

新聞に殺到しました。

エジソンのアイデアは大成功。

…ことが しばしばあります。

企画力をもって ある意味…

ADHDの人の長所は

リスクを顧みず 斬新な発想力を武器に
挑戦できること。

起業家の中には
ADHDの人が しばしば見られます。

モールス信号で
ひともうけしたエジソンは

技術を極めようと
16歳で電信技師になります。

21歳になると 仕事の合間を縫って
電信機器の発明に打ち込みます。

目をつけたのは…

南北戦争の終結以降
アメリカは好景気に見舞われていました。

そして 株価の変動を
遠方まで素早く伝えるために

電信技術が大いに使われていました。

しかし 当時の電信機が
自動的に印字できるのは数字だけ。

受信側で 会社名を取り違える混乱が
度々起こっていました。

エジソンは この混乱に
商機を見いだしたのです。

エジソンは すぐに借金をして
電信機の開発を行います。

開発したのが こちら。

アルファベットと数字が
両方印字できる機械でした。

一体 どのような
構造になっているのでしょうか?

こちらは上からの写真。
キーボードが並んでいます。

このキーボードを打つと…。

印字部分にあるネジが回転します。

ネジには スタンプのように

アルファベットが
鏡文字で刻まれています。

この機械を 送信側と受信側の両方に設置。

キーボードで打った文字が
受信機のテープに印字されるのです。

すると エジソンの発明品を見た
電信最大手から意外な話が…。

今の価値で なんと2億円もの大金。

この大金を元手に エジソンは
大発明家への道を歩んでいったのです。

はぁ~。

お母さんの理解が一番だったんですね。
ね~。

ADHDの傾向があったわけですね。

それ 集中力っていうか…
並外れていますよね。

すごいですよねぇ。 6, 000種類の。

もしね その親戚とかに
落ち着きのない子がいたりすると

「困った 困った 困った」だけに
なりますよね。

もしかしたら何かいいことの
あれかもしれない なんて

絶対思わないでしょ。
はい。

だから こういうの見ると

「うちの子も大丈夫かも」って思うお母さん
いっぱいいるかもしれないなって…。

そうですよね。
僕 友達とか後輩とか…

友達の息子とか子どもも結構そうだし。

意外と ADHDの人っていうのは

その人たちが
世の中 変えていくんですよね。

昔から その傾向があるんですよ。

はい。 それにしても そのADHDというのが
どんなものなのか

知りたいと思いますよね。

というわけで

精神科医でADHDの専門外来をしている
岩波 明さんに ご登場頂き

ADHDとエジソンの発明の関係を
ひもときます。

他の人ができないことをですね
思いつく能力ですね。

それから それを実行する集中力。
まあ 過剰なまでの集中力ですね。

その両方があって初めて
こういった成功を収めたんだと思います。

あと でも
そういう能力っていうことを

「すごいね」って周りで こう
フォローしてあげるっていうか

そういう人がいないと
やっぱり できなくないですか?

彼の場合は まあ
そういうのがあったってことですね。

エジソンの天性の能力とADHDの特性が
相乗効果を生むために

欠かせなかったのが 母の教育。

そういったお子さんに対してはですね…

まさに…

やはり 集団にですね 適応が難しい
ADHDのお子さんには

そういった個別の教育が必要であると。

ただ まあ もちろん
そうでないお子さんもいるので

全てのADHDの方に
適応するわけではありませんけど。

研究室 与えるのがすごいですよ。
難しい本あげてね。

(関根)やっぱり母の愛ですよね。
ねぇ。 子どもを信頼しているというかね。

愛があるから
「私の子は変ではありません」って

「私がやります」っていう。
そういえば竹内さんは 確か

ホームスクーリングを主催して…
やってらっしゃるんですよね?

ホームスクーリングの学校を
やってるんですけれども

やっぱり個性を大切にする教育が
大切だと思うんですね。

欧米とかでは 現在 ホームスクーリング
非常に普及しています。

それが まあ 公教育と同じように
政府が認めるんですね。

日本はね なかなか そこまでいってなくて
結構 画一的な教育で

みんなで同じことをやりましょうと。

そうなると やはり
個性のあるお子さんとか

結構 天才タイプのお子さんっていうのは
退屈でダメになっちゃうんですよね。

(一同)ああ~。
じゃあ日本は もっともっと そういう

ホームスクーリングみたいなことが出れば
いろんな天才 出てくるかもしれないし

その落ちこぼれみたいに
「学校行けないや」っていう子も

減るかもしれないってことですよね。
(岩波)ほんとに そのとおりで

今 問題になってる
いじめの問題とか 不登校の問題

やっぱり そういうところから
変えていかないといけないと思います。

もったいない もったいない!
宝がいっぱいいるかもしんないのに。

もったいないんだ。
ほんとに… はい。

さあ エジソンの強すぎる執着心は

時に 残念な結果を
招いたこともあるようです。

画期的な電信機の開発で 4万ドル

現在の価値で
およそ2億円の大金を手にしたエジソン。

その全額を投入して
生産を請け負うための工場を建設します。

エジソンは 大金を投じた工場で
馬車馬のごとく働きます。

部下たちにもハードワークを求めました。

常軌を逸したエピソードが残っています。

急ぎの注文を受けてつくった相場印刷機が
予定どおり動かなかった時のことです。

(鍵をかける音)

エジソンは腹心を実験室に集め
こう言い放ちました。

中には 夫が帰らないことを心配して
訪ねてくる妻もいました。

しかし ドアが開きません。

うう~っ!

窓から
食べ物を差し入れようとしますが

どうにもならなかったといいます。

ひどすぎるわ~!

エジソンと部下たちは…

発明王は しばしば部下たちに
不眠不休の過重労働を強いたのです。

ミスが増えたりだとか
そういったことが推察されます。

あと…

決して そのエジソンと一緒に働くのは
簡単なことじゃなかっただろうと。

電信機器の生産で 十分な資金を
稼ぐことに成功したエジソンは

製造から離れて 大好きな発明だけで
生計を立てようと考えました。

29歳の時に

ニューヨークの南西50キロほどの
小さな田舎町 メンロパークに

研究所を開設します。

ここから
白熱電球をはじめとする

数々の発明品が
生み出されていくのです。

最初の発明品は蓄音機。
きっかけは全くの偶然でした。

モールス信号を紙に記録する装置を
いじっていた時のことでした。

(穴が開く音)

紙には 信号が穴となって刻まれます。

巻き戻してみると…。

(巻き戻し音)

この音が エジソンには
「早口で話す人の声」に聞こえたのです。

ならば
人の声も機械に刻むことができないか?

人の声は 振動となって伝わります。

その振動は 針を使って記録できるはず。

反対に
記録した音も再生できるのではないか?

こうして出来上がったのが

円筒にスズの膜を巻きつけて
音を記録する初期型の蓄音機。

エジソンは ビジネス向けの
ボイスレコーダーとして発売します。

しかし
操作に手間がかかり 音質が悪いうえ

録音時間が たった1分と短かったので
普及しませんでした。

白熱電球の研究を開始します。

そして1888年 蓄音機に戻ると

エジソンは 3日間の完全徹夜作業で
音質を改良した新型を開発します。

♬~

音楽鑑賞に十分堪える音質です。

渾身の力作を自画自賛する
エジソンの肉声が残っています。

しかし エジソンの前に
強力なライバルが立ちはだかります。

1889年 エジソンとは方式の異なる
円盤型蓄音機で特許を取得します。

円盤型の蓄音機には 長所がありました。

プレスするだけで いくらでも
簡単に量産することができるのです。

一方 エジソンの円筒型は複製がしにくく
簡単に量産することができません。

録音時間も短く4分でした。

しかし
円盤型蓄音機にも弱点がありました。

それは…

円盤の外側と内側では
記録する溝の長さが異なります。

針が内側に近づくほど
記録する長さが短くなり…

エジソンの蓄音機のポスターです。

キャッチコピーは「リアリズムの極み」
音質に対する自信がうかがえます。

斧を持った子どもが
あまりに音がリアルなので

中にバンドが入っていないか
探し出そうとしています。

しかし エジソンの円筒型レコードの
販売額は伸び悩みます。

一方 円盤型は 1909年に円筒型を超え
その後 売り上げは うなぎ登り。

消費者は 円盤型の録音時間の長さや
量産による価格の安さに

軍配を上げたのです。

劣勢に立たされたエジソン陣営。

部下は ライバル会社との互換機を
発売しようと エジソンに提言しますが

かたくなに拒否。

顧客が求めているのは 音質だという
信念を曲げず 独自規格にこだわり…

思い込んだら どこまでも…。

エジソンは
蓄音機の規格争いと並行して

もう一つの規格争いでも
ライバルと激しい火花を散らしました。

それが 巨万の富をかけた…

直流と交流

電流システムの規格をめぐる
天才 テスラとの戦いです。

白熱電球を開発したエジソンは

発電機の改良にも成功し
火力発電所を建設。

電気産業で
支配的な地位を占めようとしていました。

エジソンが採用したのは直流システム。

当時 直流は送電の途中で
電圧を変えることができなかったため

エジソンは家庭で使う 110ボルトという
低い電圧で発電所から送電していました。

しかし 電圧が低いと
電流は遠くまで届きません。

電気を送ることができるのは
発電所から半径3キロの範囲だけです。

そのため 数多くの発電所を
造る必要がありました。

人口密度の少ない地域では
採算が合いません。

エジソンは
電気を送る地域を都市部に限定します。

このような状況を一変させる一人の青年が
エジソンの会社に入社しました。

テスラはエジソンとは
全く違うタイプの発明家でした。

人並み外れたイメージ力を持ち

数学の問題を見ると
計算式や図形が頭に浮かび

ペンをとらずに
答えを導き出すことができたといいます。

テスラは エジソンが
採用していた直流システムではなく

交流システムに
大きな可能性を見いだしていました。

交流は直流と違って

変圧器により 簡単に電圧を上げたり
下げたりすることができます。

そのため高電圧で発電所から電気を送り

電圧を下げて
各家庭に電気を送ることができるのです。

高電圧を使う交流は 発電所から
数百キロ先にまで 電気が届くため

1つの発電所で
広い地域をカバーできます。

交流システムを使えば アメリカ全土に
電気を送ることが可能なのです。

しかし 交流には
技術的な壁が立ち塞がっていました。

多くの研究者が
取り組んだにもかかわらず

誰も 交流で動くモーターを
開発することができなかったのです。

そんな中 天才科学者 テスラは
エジソンの元を訪れる2年前…

この理論を使って

交流システムを世界に広めるのが
テスラの夢でした。

エジソンの会社に就職したテスラは
交流システムの採用を提案します。

しかし エジソンは既に直流による
発電機を発売していました。

エジソンは テスラの斬新なシステムに
驚きつつも 提案を退けます。

I'm finished!

失意のテスラは エジソンの元を去ります。

テスラは 発明に対する
エジソンのアプローチを批判し

こんな言葉を残しています。

エジソンの元を去ったテスラは

新興の電気システム会社
ウェスティングハウスと提携を結び

交流システムの開発に
力を注ぎます。

数か月もたたないうちに
25件の注文が舞い込みました。

しかし エジソンは 高電圧を使う交流は
危険な技術だと考えていました。

どうすれば
交流の勢いを止めることができるのか?

思いも寄らぬ
恐ろしい実験をひらめきます。

これは エジソン社の実験ノート。

なぜか交流システムが かかれています。

電線を示す線の先には Gの文字。

その横に書かれた説明には
G Dog 犬です。

なんと交流による高電圧電流を犬に流して
世間に その危険性を訴えたのです。

エジソンが…

そういう法律をつくらせようとした。

それによって交流システムの
最大のメリットを潰そうとしたわけです。

エジソンは そういう戦略をとったという。

動物を犠牲にしたエジソンの訴えは
受け入れられず…

1896年 大規模な交流の発電所が
ナイアガラの滝に造られます。

35キロ離れた都市の家々に明かりをともし
市電を走らせました。

交流システムの勝利は
誰の目にも明らかになりました。

それでも エジソンはめげません。

エジソンは 時代の流れにあらがい

円筒型蓄音機と直流電流システムに
こだわり続けたのです。

人間の行動と脳の仕組みを研究する

人間脳科学の専門家 杉浦元亮さんは

エジソンが
正しい判断ができなかったのは

自分に都合の悪い情報を無視したり

過小評価したりする 楽観性バイアスに
よるものだと考えています。

例えば あなたは
将来 ガンになってしまいますかとか

あなたは将来 離婚してしまいますかと
聞かれた時に

いや 自分に そんなことは起きない
自分は大丈夫だと

そう思い込んでしまうのも
楽観性バイアスの一つです。

恐らく…

未来を現実よりも明るく考える
楽観性バイアスは

思考や創造性を担う脳の最高中枢である
前頭前野で生まれると考えられています。

個人差はあるものの 人間誰しもが
楽観性バイアスを持っています。

行く先に何が待ち構えているか分からない
大海原に繰り出したり

鳥のように空を飛びたいと願い
危険を顧みず 空に飛び立ったり。

しかし 強い楽観性バイアスは

無意識にネガティブな情報を
遠ざけるため

時に 手痛い大失敗を招きます。

白熱電球と蓄音機の発明によって
生きる伝説となっていたエジソン。

バイタリティーあふれる発明王の独断は
誰にも止めることができなかったのです。

う~ん… まあ 楽観的なのは
悪いことではないけど 頑固ですよね。

やっぱ プライドがあったんでしょ。

だけど やっぱ私は あのワンちゃんは
ダメ 実験にしちゃ。

あれはダメだよね。
あれ ダメだよ。

かわいそうですよね。
かわいそうですよ 自分の理論が

正しいんだとかっていう あの頑固な
あれのために犠牲になるんだもん。

それにしても あの 40年 その後
守り続けましたみたいな 蓄音機。

あれ 聴いてみたいと思いません?
あるんですか?

こちらは 1913年製造の
エジソン社の…

これ 本物 見たことありますか?
いや ないですね。

お触りになって下さい。
最初 竹山さんが録音されましたね。

あれは ろう。
それが最初の頃なんですけどね。

それから 樹脂に変わってですね。

(竹山)40年やってたってことは
こだわって こっちばっかり

買い続けた人がいるんでしょうね。
中には いらっしゃると思いますね。

だいぶ進歩はしてるんですか? これで。
(金井)結構 進歩はしてますね。

針にこだわりましたから。

♬~

(関根)無声映画の… 出てくるような。

チャップリンを思い出しますね。
(柴田)ああ そうですね。

♬~

いくつか 今日は
ご紹介頂けるっていうことなんですが。

こちらですか?
何でしょう? これは。

(関根)これ 何?
(金井)木の箱ですけど。

なんか 箱…。

(関根)あっ! ガリ版だ!
(柴田)ガリ版印刷だ。

(金井)そのとおりですね。
瞬間で分かりましたね。

だって 小学校の時 やってたもん これで。
やってた。

こうやって ローラーで こうやって…。
そうそう そう。

ろう紙に鉄筆で絵や文字を書き

ローラーでインクをのせて
わら半紙に刷り上げる

ガリ版印刷機。

エジソンの発明だって ご存じでしたか?

懐かしい黒電話。

電話を発明したのは
グラハム・ベルですが

マイク性能が低かったため
通話距離は1キロ程度でした。

そこで エジソンは
送話器に炭素を使った…

こちらは エジソンが
63歳の時に発明した家電製品。

何だか分かりますか?

トースターです。

熱いパンに触れずに
裏返すことができる すぐれもの。

「エジソンさん 何でそんなに
いろんなもの発明できたの?」

みたいなところを
記者会見で質問されてですね

彼はですね…

だから… みたいなところで
自分で このトースターを

トップセールスするというね。
宣伝してたんだ。

なるほど。
でも エジソンさんみたいに

頭よくなりたいから 食べなさいって。
このトースターで。

ああ~!
うまいですね。

それでは エジソン晩年の活躍ぶりを
ご覧下さい。

電流戦争に敗れたエジソンは 晩年まで

ここで さまざまな研究に打ち込みました。

エジソンの愛用した机が
当時のままの姿で展示されています。

エジソンは ここで 映画のカメラや

太陽の動きに合わせて回転する
撮影スタジオなどを発明しました。

(警報ベル)

研究所内で…

火元はフィルムの貯蔵庫。

フィルムと化学薬品が燃え上がり
大爆発を起こしました。

しかし エジソンは決して落ち込まず
息子を呼んで こう言いました。

建物のほとんどが燃え
焼け跡だけが残りました。

しかし エジソンは転んでも
ただでは起きません。

この火災からも
発明を一つ 生み出したのです。

夜間に火災現場で作業する消防士を見て
発明したといいます。

濃い煙も貫ける強力なライト部分に
使用されているのは

20インチのエジソン社製 白熱電球。

挫折の中から
新たな可能性を見いだしたのです。

還暦を過ぎても エジソンは
研究所に泊まり込み

ハードワークを続けました。

こちらは…

仮眠の姿。

この年 成功の秘訣を聞くファンレターに
こんな返事を書いています。

82歳になる頃には…

エジソンは アップルパイが大好物で
偏食だった可能性があります。

運動不足 睡眠不足とあわせて
全てが当てはまります。

エジソンは…

全身の衰弱が見られるようになりました。

ウォール街で株価が大暴落。

世界恐慌の引き金となる…

その4日後
かねてから販売不振に苦しんでいた…

街には職を失い 家を失った人があふれ
ついには餓死者まで現れました。

どん底の不況が続く中 エジソンからの
メッセージがラジオで流れます。

エジソンは 衰弱した体にムチを打って
民衆を励まし

命のともしびを
人生最後の発明のために燃やします。

自動車の急速な普及で
不足していたゴムを

国産の植物から取り出すというのです。

自宅の周りに数百種類の植物を植えて
実験を繰り返しました。

妻 マイナがこう語っています。

84年の生涯でした。

84年 生きて 多分 このじいちゃん
幸せだったんだなと思いますよね。

(関根)幸せでしょ。
幸せなおじいちゃんの
亡くなり方っていうか。

だって ず~っと
好きなこと やってきたんだもん。

それで 落ち込まなかったっていうのが
一番幸せだと思うんですよ。

すごくいい人生じゃないですか。
トータルでね。

いや 楽観性バイアス? いいですね。

途中で ちょっとダメかなと思ったけど
やっぱりいいなぁ いい!

しかし あんなに寝なくてね
84年 生きられるんだから

体 強いですよ。
(柴田)強い 強い。

アップルパイ食べても糖尿病になっても
84年は生きてるんだから。

戦前にね すごいです。

あの 岩波先生 ご覧になってね
いかがでした?

そうですね あの やっぱりどんな状況でも
前のめりになって

楽観的に物事を進めてくと
なかなか まねはできないですけど

どっかね 見習いたいとこはあるのと

やっぱり非常に ADHDって観点から見ると
アップダウンの激しい人生ですよね。

頂点までいくけど
ある時 奈落の底まで落ちる。

だけどまた もう一回盛り返す。

こういった激しさは ADHDの人に
よく見られるものだと思いますね。

でもなぁ 十分だよね。
だって 自分のほら あの交流とか

あれで負けちゃって 普通だったら
もう あそこに閉じ籠もって

もう私は…っていう そこで火事でしょ?

普通 あれでもう ほんとがっくりですよ。
普通 あれで引退なんですよ。

そうそう。
けどあれ 引退… もう一回やるんですよ。

もう一回 あのサーチライト
考え出すっていうのが すばらしい。

転んでも ただじゃ起きない。
最後 ゴムですからね。

そこがやっぱり もうけたいとか
稼ぎたいって思いが

全くないとは思えないけれども
それ以上の 何か意欲が…。

一つは 遊びでやっているので
とことん それを突き詰める。

だから とことん改良していく。

それが恐らく 人々に受け入れられると
うれしいんでしょうね。

それが原動力だったんじゃ
ないでしょうかね エジソンの。

なんか また魅力的なね 人物が…
分かりましたね。

だから 時期 時期にああいう方
必要ですね。

ですね そう
人類の進歩と発展には必要な人ですよ。

ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

発明王の晩年の様子を知る人物がいます。

ひ孫の デイビッド・スローンさんです。

エジソンの遺品を見せて頂きました。

エジソンは 糖尿病が悪化して

食べ物をほとんどとることが
できなくなっても

研究をやめませんでした。

手帳の最後のページには
これから行う予定の

実験の数値が書かれています。

エジソンの絶筆です。

エジソンの葬儀が行われたのは
亡くなった3日後。

くしくも エジソンが
白熱電球の開発に成功した

10月21日 エジソンの日でした。

葬儀にあたり 時の大統領のフーバーは

国民にエジソンを
盛大に送り出すことを提案します。

午後10時 アメリカ中の電灯が
一斉に消えました。

それは 類いまれなる才能と集中力で
世界を変えた

国民的ヒーローへの 哀悼の意でした。


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