SWITCHインタビュー 達人達(たち)「加藤登紀子×小林エリカ」歌やペンで時空を超える2人が願う、未来とは…


出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「加藤登紀子×小林エリカ」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「加藤登紀子×小林エリカ」[字]


デビュー55周年を迎えた、シンガーソングライター草分け的存在・加藤登紀子と現代アーティストとしても注目の気鋭の作家・小林エリカ。運命を巡る深い話で響きあう


詳細情報

番組内容

前半は小林が加藤のコンサートで、人生の哀歓に満ちた“おときさんワールド”を堪能。その後の対談では、加藤の歌手としての信念や、学生運動の闘士だった夫との獄中結婚など波乱万丈な人生について聞く。後半は小林の作品にハマッているという加藤が六本木のギャラリーを訪問。小林のテーマである、放射能など「目に見えないもの」や歴史と個人史のジグゾーパズルに思いをはせる。歌やペンで時空を超える2人が願う、未来とは。

出演者

【出演】歌手…加藤登紀子,作家・マンガ家…小林エリカ,【語り】六角精児,平岩紙


『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「加藤登紀子×小林エリカ」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「加藤登紀子×小林エリカ
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  2. 加藤
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  11. マンガ
  12. 大切
  13. 藤本
  14. 日本
  15. 夫婦
  16. マダム
  17. 一緒
  18. 気持
  19. 最初
  20. 作家


『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「加藤登紀子×小林エリカ」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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♬「今日は帰れない」

言わずと知れた

日本のシンガー・ソングライターの
草分け的存在。

今年 デビュー55周年。

その深みのある声は衰えを知らない。

1960年代 学生運動が吹き荒れる中

東京大学在学中に歌手デビューした加藤。

時に 反体制のシンボルと見られることも
あった。

私生活では子ども3人を産み育て

波乱万丈の人生を送ってきた彼女と
今回 対談するのが…。

「目に見えないもの」をテーマに
表現し続けている。

中でも 10代のころから一貫して
「放射能」や「核」に着目。

小説「マダム・キュリーと朝食を」は

放射能への欲望と恐れに揺れる
人間を描き

芥川賞候補となった。

マンガ「光の子ども」シリーズは

核兵器が生まれる原点に
スポットを当て

絵解きしていく。

人の記憶や時間 心など

「目に見えないけれど確実にある何か」を
モチーフに

現代アートにも挑戦する小林。

加藤に会って聞きたいこととは…。

そういう…

何か その辺りを
ぜひ お話 聞いてみたいし。

ここです。

今回 初対面になる2人。

小林は 加藤の父親が創業した

老舗のロシア料理店を訪ねた。

入ります。

どうも はじめまして。 小林エリカです。
はじめまして。

ようこそ。
お会いできて うれしいです!

本当に ありがとうございます!

ありがとうございます!
ようこそ。

歌とペンで 時間 空間を飛び越え

世の中に問い続ける2人。

発明と破壊を繰り返してきた社会に
最も大切なものは何か。

…と思うんですけれども。

…しか たってないんですね。
60年っていうのは。

うちは…

ハハハ…!
そういう うちだったんだからね。

そのことが
何か 大きな引き金になってるんですね?

事故のあと…

…みたいな議論ばっかりで。

一文の答えを求められちゃうことが
すごく多いけど でも…

♬~

令和元年の年の瀬

熱いファンが会場に押し寄せた。

47年続いている「ほろ酔いコンサート」。

加藤の好きな日本酒を
一杯 引っ掛けながら 歌に酔いしれる。

乾杯!

♬~

幕が上がると あっという間に
おときさんの世界に連れていかれる。

この日 小林は 初めて
加藤の生の歌声を体感した。

(拍手)

なんだけど もうちょっと その…
その辺の顔を見ながら もう一曲だけ。

(拍手)
予定にないんだけど

「時には昔の話を」を ちょっと…。

コンサートの最後

加藤は
予定にはなかった ある曲を歌うことに。

この歌で 加藤を初めて知ったという
若いファンも多い。

それは…。

1992年公開

宮崎 駿監督の映画「紅の豚」。

加藤は
美しく聡明なマダムの役を演じた。

マルコ
今に ローストポークになっちゃうから。

私 嫌よ そんなお葬式。

飛ばねえ豚は ただの豚だ。

☎ばか!
(電話を切る音)

映画のエンディングに花を添えたのが
加藤の歌声だ。

♬「今でも同じように」

主人公が かつての男友達と昔を語り合う。

世代を超えて共感を呼ぶ この歌を

当時 映画館で聴いた小林。

心を震わせた。

(拍手)

まず コンサートが 本当に すばらしくて。

あの… やっぱり 人生って 生きてると

いいことばっかりじゃなくて
つらいことあるし

世界も いいことばっかりじゃないけど
何か それも含めて

一緒に生きていこうよっていう
エネルギーを もらったような気がする

本当に すばらしいコンサートでした。
はい ありがとう。

やっぱりね 木も そうですけど…

それで最初はね あの…。

途中で… 人生長いでしょ。

途中で 何か…

…するのが すごく嫌だった時期が
ありましたね。

やっぱり…

なんだけど…

そういうのが だんだん だんだんね
こう うせていくのがね

嫌だった時期があるんですよ。

だけど それが だんだん して…
今度は また 子どもたちも…

いつも 大きな荷物みたいに
そこらじゅうにいた人たちも

みんな独立していって。

で 一人になって もう一度ね その…

…みたいなものが すごく こう

自分の大切な土台だっていうことは
逆にね すごく それ

私を支えてくれてるっていうのが
分かってきて。

最近は「太いでしょ?」って。
「どう? この太さ」っていう この…。

何か こう… 言えるようになったかな
という気がします。

何か そのエネルギーなんですかね?

やっぱり その…

それは 登紀子さん自身の作られた歌も
そうだし

それを聴いて歌ってた人がいるっていう

何か その全部を含めて
お歌いになるから。

この符合…
いろんなことが符合していったり。

この…

…みたいなね。
まあ 見えない 赤い糸っていう…。

「…ような気がする」みたいな

そういう こう… 地下でなく…

…っていうことを感じる意味では

やっぱり 私は ちょっと…

一般的なことは
ちょっと分からないけれども…

何か違うっていう…。

1943年 戦時中
旧満州のハルビンで生まれた加藤。

その記憶のためか
日本にやって来たあとも 心には ずっと

ユーラシア大陸への深い郷愁が
あったという。

フランスへの憧れを胸に

東京大学在学中
シャンソンコンクールで優勝し

レコードデビュー。

時は 学生運動が盛んな60年代。

デモやストライキが日常だった。

♬~

歌手活動のかたわら
正義を信じる同志たちと過ごした日々が

その後 加藤が生み出す歌の原点となった。

…っていうふうに書いてらしたのが

ああ そのとおりだなと思って。

あらゆる国境も超えるし

あらゆる時間だったり場所を飛び越えて

それが 一つの登紀子さんの声に
乗せられて 届くっていうのが

本当に すごいと思って。

…っていう そういう図式が
ずっと あったんですよね。

まあ 当時は… 学生時代も

フランスからの影響って…
ボーボアールとかサルトルとか。

演劇でも 映画でも もう 全部…

私たちのころは。 だから その…

いつも そっちから吹いてくる風を

気にしながらいたっていう意味で言うと

そっちで生まれてるんだっていう。
海の向こうの…

だから 地面がつながってる感じはね
すごくね するんですよね。

登紀子さんが学生時代の…

…と思うんですけれども。

まあ ある程度…

うちの兄も ずっと
大学生で やってましたし。

あのね…

何か もう… 大好きだったんですけどね。
うちの兄の友達なんかでも…

わくわく どきどきして…。

ハハハ…!
そういう うちだったんだからね。

それで みんなね 楽しいんだけど。

大学時代に やっぱり… やっぱり 私…

「大変ね…」っていう。

何が「大変ね…」って思うかというと…

それは
そのくらいのことができないと…

この裏と表の… 大変さっていうの?

これは 私は すごく…
もう 本当 兄も見てましたし

大学時代に見てましたから

それが すごく いとおしいですね
人間として。

ああ… 人間って そうやって
生き抜いていかなくちゃいけないという。

だけど そこを… いとおしさをね…

ぶつかっている こっちも こっちも
見ている。

この間を見ている。 両方 見ている。

そして…

私は…

政治的なことから…

…と思った理由だったんですね。

だから このところをね…
死守してきたっていうか。

誰もが知るシャンソンの名曲「愛の讃歌」。

加藤が この曲を歌うとき
ある人物の姿を思い浮かべるという。

17年前に亡くなった夫…

歌手デビューしたばかりの加藤は

当時 学生運動のリーダーだった藤本と
出会う。

やがて 公務執行妨害罪などで
服役していた藤本と 獄中結婚。

世間を驚かす。

旦那様である藤本さんと出会われて

本当に…

ちょうど…

私は 彼が入って2週間で

赤ちゃんが出来てるということを…
気が付いたんですね。

誰にも言え… 相談できずに
もう諦めていたんですよね。

結婚も諦めてましたし。

そしたら 私の親しい医者が

「あなた 絶対 産んだほうがいい」って
言ってくれたの。

そのときに もう 本当に泣きましたよね。

そうだ…! って。
もう それ以外の答えはないのに

どうして悩んだんだろう? って。

もう そうだ…! って思って。
もう うわ~…!

うれしくて…
飛び上がるほど うれしくて。

それで 結婚することを決めて。

その 一歩先が 何が起ころうと…

決めたんですよ。 会いに行けるしね。

だから 本当に
結婚してよかったと思ってる…。

だけど やっぱり
彼は 古めかしい男だから…。

彼が 出所してきて
私が 一生懸命 子育てして

家も準備して 旦那様を迎えて

一生懸命 奥さんしていたんだけど…

どんな闘いが?

「だから 自分 生活は」…

そうなんですか?
うん。

「ぜひ そうしてほしい」ということと…

「だから ついてきてくれ」と。

「子ども3人連れて ついてきてくれ」と。

「2人でゼロから始めよう」っていう。

彼なりの すごい大きな…
立派なね 構想だったんですね。

で そのときに もう
すごく かっこいいわ! と思ったのね。

かっこいいけど あの…

私は できないのと思って
そのとき 一回…

だけど ずるずる ずるずる
それをサボりました。 お互いに。

で 結局 鴨川に彼が行って

どんどん始めてるうちに あの…

両方に 2つ 家があって
家族は 行ったり来たりしてる。

この行ったり来たりしてるの
っていうのは

なかなか便利だな
っていうことになりまして。

彼は 半年ぐらいで…

離婚… 卒業。

だんだん それから…
そのことが起こってから…

それが80年の初めごろだったので

20年ぐらいが
私たちにとって…

千葉県 南房総の鴨川市。

今も 古き良き日本の原風景が
残っている。

夫・藤本敏夫と加藤が
1981年に立ち上げた。

現在は
次女・八恵さん夫婦が運営を引き継ぎ

無農薬 有機栽培で
果物や野菜を作り続けている。

すごくおいしそう。
よかった よかった。

(八恵)ああ いいんじゃない?
この辺 いいんじゃない?

うわ~! おいしそうだ。

都会では手に入らない 自給自足の豊かさ。

うん。
おいしいね。

藤本が他界したあと
加藤は ここを定期的に訪れ

自然の中に身を置く時間を
大切にしている。

うちの夫が 娘たちに

「お前たちは 故郷が欲しいか?」と
言ったと。

…と彼は思っていて。

「お前たちも故郷が欲しいだろう」。

…って言ったと。

それで あの… 守ってくれて。

私が ついていかなかったので
彼が そこを仕切って

彼の母が 一緒にいてくれましたけど。

だけど 彼がいなくなってから
そこを 私が守る決心をしました。

それで どんどん 守ろうということで
お掃除もしましたしね。

台所を初めて 自分で こう 磨いて

床を磨いて 掃除してるときに
本当 泣きましたね。

だから 夫婦らしい…
夫婦らしいことっていうのかな。

だから こういう結婚生活だって
いいんじゃない? って思ったし。

最後まで そういう距離みたいなものを
保ちながら

すごくいい夫婦だったと
思ってるんだけど。

でも あの…

…っていうのをね 感じましたよね。

夫婦として30年。

共に歩んだ藤本の死が
加藤の歌に 重く のしかかったという。

藤本さんが亡くなられてから…

…っていうのを ご本で読んで。

「愛の讃歌」は…

…っていうふうに歌ってるから

すごい ぎょっとしちゃうっていうかね。

私は…

そういう感じを持っちゃったんですよね。

でも それから 3年っていう時間が
かかったんですけど

「あなたと一緒に行くわ」っていう意味は

別に「あなたを追いかけていく」
っていうことじゃないけれども…

…みたいな そういう感じを

やっと持つことが
できるようになったんですよね。

そうだわ~! って思ったのね。

これから病気になる心配もないし
死んじゃう心配もないし

貧乏になる心配もないしね いいわね
みたいな

そんな感じで向き合えるっていうかね。

そういう 何か こう… 果敢な

ぐわ~! って そうだ~! って…。

輝かしいほどの 何か こう…
喜びみたいな 愛っていうものが

永遠であるみたいなね。

そういうものを「愛の讃歌」から
感じるようになりましたね。

今 すごく うれしいです。
そういう思いで歌える。

デビュー以来 さまざまなジャンルで
ヒットを飛ばし

そのレパートリーは500曲以上。

半世紀以上が過ぎた今 加藤は改めて思う。

「歌には
あらゆる対立を乗り越える力がある」と。

今 もう 50年以上 歌い続けていらして…

ましてや 学問の道に進むとか…
東京大学にいらしたりとか。

何か それが 全然 もしかすると…

…もあって そこは…。

そうね。

いつも どうして…

…っていうのは
みじんもないわけよね。

男の人が大好きなわけよ。

だから あるとき… 私たちの近くに
フェミニストの人たちがいたんだけど

あるとき…
歌手になってからなんだけど

つかつかつかって来てね…

ええ~!
それで 「あなたね どうして」…。

私は どっちかっていうと…

こう ぐっと つかんだりする歌 好きなの。

「あなた どうして いつも
そうやって 男の側につくか?」って

怒られたことあるわけよ。
「だって あなたは」…

「あなた どう思ってるの?」って
言われたから

「私 全然 男に いじめられたこと
ないんだけど」って言ったら

ぶん殴られそうになったんですよ。
あなた どう思います? そういうの。

どう思う?
ひどいと思ってる? 男の人を。

登紀子さんを もう 前にすれば…

いや あの 私はね…

(笑い声)

だから…

だから 私は 男と女がね
対立してるんじゃなくて…

一緒にね 「あらあら…」と思いながら
「嫌だよね こういうことは」って。

それはね とても大切で。

男がね 嫌なやつだから
私たちは怒ってるんじゃなくて

男が置かれている社会も…。

男も… だから これはね 南アフリカの
マンデラが言ったことですけれども

黒人が抑圧されて 白人に圧迫されている。
差別されている。

じゃあ 白人が悪くて
黒人が不幸なのかっていうと

そうではなくて…

南アフリカ共和国初の黒人大統領
ネルソン・マンデラ。

不屈の精神で
人種隔離政策を撤廃させたように

加藤は 歌で人々の分断を埋めたいと願う。

生まれたときから…

誰かを支配し 誰かを抑圧するために
喜びを感じる人は誰もいない。

でも そのように…

人々は 心の中に憎しみを持ち
抑圧する側に立ってしまう。

だから 自分は そういう…

生まれたときから…

そういうふうに
人々が生きていける社会を

作りたいんだっていうふうに
言ったわけよ。

私は もう それがね
すごく 本当に正しくて…。

だから セクハラとか何とか…
パワハラとか

あらゆる意味で もちろん
闘わなくちゃいけない「人」「事」は

いっぱいある。

だけど 根本的にね…

人々を分断する…

…を作りたいって おっしゃってたのが

本当に 心から伝わるっていうか…。
うん。 そうなんですね。

この尺度で生きようみたいなのが
嫌なんですよ。

だから それは もしかすると

すごく誤解されてる部分も
あると思うんだけど。

自分…

…と言ったほうが いいかしらね。

だけど もしかして どっかに
大きな尺度 あるじゃないですか。

イデオロギーとか
そういうのもあるんだけど。

それに…

やっぱり 登紀子さんのすごさは

本当に 遠い場所とか遠い時間も
すぐここに あるように見せてくれて

そして 何か 人を
やっぱり 裁かないっていうところが

本当に すごい。

やっぱり 「いい」「悪い」じゃなくて。

…っていうところが
すごくあると思うんですけれども。

そうなんですね。

自分が なぜ こうなのかも分からない。

どうして 私は
こうなんだろう? っていう。

どうして 今
ここにいるんだろう? みたいな。

そういう…

…っていう感じなんです。

後半は 舞台をスイッチ。

「目に見えないもの」を表現する
小林エリカ。

型にとらわれない小説やマンガを発表し
注目されている。

史実とフィクションで
放射能の歴史をひもとくマンガ

「光の子ども」は
前代未聞の作品として話題を呼ぶ。

放射能への憧れや恐れを描いた
小説「マダム・キュリーと朝食を」は

2014年 芥川賞候補になった。

表現手段は 小説やマンガにとどまらない。

映像 写真 彫刻 ドローイングなどを
手がけ

去年は それらで構成される
インスタレーションを実現。

時間や記憶など
目に見えない世界を表した。

最初の対談から1週間後 今度は
加藤が六本木のギャラリーへ。

いやあ すごいすてきね。

え~っと…。
(取材者)右です。 入っていただいて。

入っちゃう? ここでいい…。
ああ! こんにちは。

今日は ありがとうございます。
まあ すばらしい!

ありがとうございます。
すてきな所ですね~。

いらしてくださって うれしいです。
お久しぶり。

1週間のお久しぶり。 ハハハ…!

このギャラリーには

核兵器や放射能をモチーフにしたアートが
展示されていた。

これは…

へえ~!           実際 このサイズで

これは アメリカの…

立体なんですけど
本当は。

こちらのほうが…

これ 実は…

紫外線… 太陽の光でもなんですけど

こういう感じで 本当に 発光するような。

暗い部屋だと
もっと蛍光なんですけれども。

ここには…

本当に…

19世紀 ウランは
ボヘミアンガラスなどの原料に使われ

その妖艶な光が人々を魅了。

その後 核燃料に使用される
可能性があることから

簡単には扱えないものになった。

これも 岡山県にある

「妖精の森美術館」っていう所に
お願いして

ウランガラスを手に入れて
作ってもらったものになって…。

日本のってことですか?
これは日本のになります。

えっと そうですね。 はい。

…のウランガラスになります。
すごい話です。 ハハハ…。

もうね…

本を 全部 読ませていただきまして。
ありがとうございます。

うれしい!
「ジグソーパズル年表」っていうのはね…

ジグソーパズルだから
あるっていう年表で。

あなたにプレゼントします。
ええ~! うれしすぎます。

リポートね。
すごいです。

加藤の著書で書かれる
「ジグソーパズル年表」。

歴史上の大きな出来事と
個人史を

年代順に並べたものだ。

実は
小林の作品でも

年表は
重要なモチーフだ。

年表を作り 個人と歴史が密接に
つながり合った過去を見つめることで

新たな発見があるという。

あなたのジグソーパズルの年表はね

とりあえず
「マダム・キュリーと朝食を」という

あなたが 残念ながら
芥川賞をとれなかった…。

本当に残念ですね。

その小説の書き出しから
年表が始まってます。

すご~い。
それは…

今 あなたが説明してくれた
ボヘミアンガラスの中の…

えっと… 光るウラン。

…という
1ページから この最初があって…。

いろいろ年表にしてきたんですけど…。
すご~い。

まず 皆さん まだ この…

読んでらっしゃらない方も
いらっしゃるかもしれないけど

その「光の子」?

この最初の…。
「光の子ども」。

ここから私は あなたに入門しました。
ありがとうございます。

あなたは この「光の子」?

この 2014年に書いてらっしゃる…
本にしてらっしゃるんだけど

それ 2011年の…

それが 実は そのもっと前から…

もう 2007年の時点で行っていて。

どうして 私は そうやって こう…
関心があるんだろう? と思って

すごく…

よくよく考えてみたら 私 あるとき…

…っていうのを見たことがあって。

それ 彼女が
実験ノートとして使っていた

本当に すてきな
布張りのノートなんですけど。

キュリー夫人として知られる
放射能の名付け親…

ノーベル賞を2度も受賞する
天才物理学者の

貴重な研究ノートが残されている。

見ると 普通のノートなんですけど…

「それは どうして?」っていうふうに…

図書館の希少図書のコーナーにあったので
伺ったら…

彼女の…

…って言われたときに

すごくびっくりして。

…っていうふうにいわれてるので。

…と思ったら
そこに すごい興味をひかれて。

…っていうのはあります。
なるほど。

小林は…

精神科医だった父のもと

4人姉妹の末っ子として
大切に育てられる。

イギリスの作家
コナン・ドイルに魅了された両親は

シャーロック・ホームズ研究家でもあった。

棚に びっしり詰まった本に囲まれ
読書三昧の幼少期を過ごす。

お父さんが シャーロック… お母さんも

シャーロック・ホームズが好き?
夫婦で。
そうすると いっぱい

その時代の本があったということでしょ?

時代の本がっていうか 私…

…っていうふうに
自分で言ってるんですけれども。

あの~ えっと 本当に…

私 父 母と
あと4人姉妹なんですけど

もう 家で こう…

…みたいな子ども時代だったので。

はい。
もう 練馬区なんですけど まあ 本当

ザ・日本の おうちの中で話すことは
ビクトリア朝だったっていう。

…みたいなもんですよね
家の中は ハルビンだった。

はい。 それと同じ感じで
うちは もう ホームズっていうか

19世紀ロンドンっていう
おうちだったので。

そもそも 私…

子どものときに。
それが 最初なんですね。
そうです。

何か 10歳ぐらいのときに
「アンネの日記」を読んだら

すごく感動して。
で まあ 10歳のときに

13歳の ちょっと年上のお姉さんの日記
みたいな感じで読んで。

アンネ・フランクが…

…っていうふうに書いてあって。

それを 子どものときに読んだとき…

…と思ったのが すごく衝撃を受けて。

大人になったら 作家になりたい
っていうふうに思って…。

ホロコーストの犠牲となった少女が残した
日記に感銘を受け

23歳のとき 作家デビュー。

その後 小林は

アンネ・フランクの人生を遡る旅に出た。

病死した強制収容所

アムステルダムの隠れ家

そして フランクフルトの生誕地まで。

その体験は

旅行記「親愛なるキティーたちへ」に
まとめられた。

作品の最大の特徴は「アンネの日記」と

アンネと同じ年に生まれた
父・小林 司の日記を交錯させていること。

たまたま 父が80歳の誕生日のときに
実家に帰ったら

父の 16歳から17歳 要は…

そもそも 父が
自分より若かったときがあったなんて

すごく衝撃で。
まあね。

やっぱり…

何か あの… でも そんな気持ちを
一度も聞いたことがなくて。

こんなに親しくて…

…っていうことが
すごく 自分の中でショックで。

であると同時に…

…っていう気持ちが すごくあって。

それで…

…っていうことが初めて気付いて。

この中で これは 本当にリアルな…。

これは 本当の…。  そうです 本当の日記
ドキュメントで。

お父さんの日記と
アンネ・フランクの日記を並べて。

何か そのときに…

…っていうことを初めて気付いて。

そうなんです。

でも やっぱり 小説も 私の中では…

…って信じているところがあって。

もっと…

…の言葉を読みたかったっていうふうに
切実に思ってたっていうのが

結構 大きな
自分の作家としてのきっかけもあって。

東京都内のアトリエ。

小林は今 マンガ「光の子ども」シリーズの
新作を描いている。

和紙に手描きすることで
独特の味わいを出す。

「目に見えないけれど
確実に存在する何か」を伝えてきた小林。

ラジウムなどの元素や
巨大な力を持つ放射能。

その表現方法も進化を続ける。

この本のあちこちに出てくるのは

そこに光が見えたって…
そこでも光が見えるでしょって。

でも 目に見えない人たちのほうが
ほとんどだと。

でも そこに…

あなたが見たいと思っているという
表現…。                   そうですね。

何か「見たい」についても 私 その…

本当に 10年以上
トリニティサイトに行ったり

まあ その
アウシュヴィッツにも行ったり

何かを見たいと思って行くんですけど
もちろん…

行って…

…みたいなことがあって。

何か 2017年に…

で 構内に行ったら…

はいはい…。
あっ どっか書いてあったね。

で 何か ああ~… と思って。

何か 私 これまで 十何年間

「放射性物質は目に見えないよ」
っていうことをテーマに

書いてきたにもかかわらず やっぱり…

イコール…

やっぱり…
でも そこに コンビニがあって

それは 私の近所のコンビニと
すごく そっくりで。

何か やっぱり それは…

…っていうことを すごく反省して。

じゃあ がれきです
草が生い茂っていますっていうので…

世界とは別世界なんだっていう…。
っていうふうに

どこか思ってたんじゃないかと思って
すごく反省して。

以来 何か やっぱり…

…っていうのを すごく考えてます。

小林の作品中
加藤の心に残った 一文があるという。

小説「マダム・キュリーと朝食を」の
クライマックスに現れる

このフレーズ。

一行 すごく あなたの言った言葉の中で

「怖がらなくていいのよ。

理解しようとすることが大事だ」って
書いてるじゃないですか。

あれがね 私はね すごくね あの…

この間…

…って あなたが言ってくださって。

まあ 私は そのように…
そんなふうに はっきり 自分の中で

自分を決めてたわけではないけれども

どっちを選ぶのか。
「私は こっちの立場をとります。

こっちは否定します」みたいなことを
言ってしまうと

本当のことが
分からないままになってしまう。

本当に大事なのは つまり…

叫びたいほどね それを思うわけ。

そういうことを だから あなたが…

ありがとうございます。
やっぱり その…

特に 事故のあと…

…みたいな議論ばっかりで。

でも ちょっと…

何か そこを すごく思ったことと

あと 私 ロシアの アレクシェービッチ
っていう作家が すごく大好きで。

その彼女が… それは たぶん

「セカンドハンドの時代」だと
思うんですけれども。

…っていうふうに書いていて。
それも…

…っていうふうな言葉を読んだときに

あっ それで よかったんだと思って。

やっぱり どうしても 小説を書いたり
マンガを描いたり 展示をしたりしても…

「いいんですか? 悪いんですか?」
みたいに…

でも 「裁くのは私の仕事じゃない」
っていうのを

その文章を読んだときに すごく思えて。

あっ それでいいんだと思って
書いてきた部分があります。

でも… でもね…

どっちですか? っていう。

私は…

…部分もあるよね。 だから…

だから…

それは 自分で自分自身をも裁ききれない。

このことに対しても じゃあ
それを恐れてしまうと何もできなくなる。

「親愛なるキティーたちへ」で

アンネ・フランクが亡くなったところから
生まれたところまで

遡るように旅をしながら
まあ その「アンネの日記」と父の日記

同じ日の日記を読んでたんですけれども。

じゃあ もしかして…

すごくショックを受けて。 やっぱり…

歴史は抽象的なものじゃないんですよね。

でも 何か それを知ったときに…

誰かの…

…っていうのを
すごく本当に切実に感じて。

そうですね。
私も その…

やっぱり 今の社会って…

…ってことですよね。

…っていうことで
今の社会が築き上げられていて。

…っていう気持ちって
絶対あるなと思っていて。

そこを 今 もっと書きたいと思うし

もっと理解したいって
すごく思っています。

最新小説…

オリンピックに沸く
2020年 夏の東京を舞台に

「見えないもの」の怒りを背負った
テロリストを描く。

小林は 人間が持っている
本能「性」と向き合い

踏み込んだ描写を
重ねている。

生理の話とか それから
ほかの本のほうに

セックスのシーンっていうのが
すごく多くて。

それが 結構 重要な場所に…
ものに感じられてね。

それは そこまで言わなきゃ
いけなかったのかなとも思うんだけど

全部読んでみると
あそこがあったから伝わってくることが

いっぱいあるなっていうのは
ありますよね。

血について考えることが
すごい たくさんあって。

女の人って 月に一回
生理で血を流してるんだけれども

やっぱり 何か…

…ときがあって。 やっぱり この…

…みたいなのが
すごい怖い時期があって。

私 子どもを
3年前に産んだんですけれども

産後1年ぐらい すっごい体調が悪くて

何か 仕事ができなくなったときがあって。

まあ 作品も全然書けなくなって。
もとから家事とか めちゃくちゃ苦手で。

で 子育ても得意だったらいいのに

何か 母乳も全然出なくて。
で 何か そうなったときに

私 自分が もう
すごい無価値な人間に思えてきて。

すごく落ち込んだ時期があって。

でも それ ちょっと元気になってから

「あっ それは すごく間違ってたな」と
思って。

…っていうものを

自分自身も そう感じてしまって
いたんじゃないかなと思って

すごく反省して 何か それをきっかけに

「トリニティ、トリニティ、トリニティ」
っていう作品を書いて。

やっぱり そのときに…

どんな形であれ そこにいるという。
価値があるし

本当に大切なものなのに
何で 私は今まで

それに気付いてなかったんだろうと
思って

何か そこに
すごく衝撃を受けたことがあって。

何か それもあって…。
それを もっと

語れる者になったほうが いいですよね。
そうですね。 何か やっぱり だから

本当 生理の話についても
セックスの話についても

もっと普通に もっと書きたいと思うし

もっと語って…。
そうですよね。

もっと話し合いたいって…。

歌手として 作家として

時空を超え 人間社会を伝えてきた2人が
見据える未来とは…。

自分が子どもを産んだとしても
産まなかったとしても

こう 脈々と続いていく何か…

例えば すれ違った人に
覚えていてもらうとか

例えば…

そういう人たちの…

…かなって思っていて。

もっと大きな… まあ…

許し合う関係というか
受け入れていく…

そして 間違いなく
本当に こうですねっていうことを…

…かなと思いますね。

どうしたら できるんでしょう?
それは そうしようというふうに

願い続けることが…。
でも 本当 そうですね。

ありがとうございます。
(取材者)ありがとうございました。

感激でした。
本当に 年表にも… 本当に感激したし

こんなふうに お話 たくさんできたのが
すごく うれしかったです。

でも まだまだ語り足りなくて
ぜひ もっと お話ししたいと思いました。

もう どこまでも一緒に歩いていける
パートナーを見つけたような感じですね。

もちろん
娘の世代なので 何となく こう

母親的な気持ちに
なるかと思ったら 全然そうじゃなくて

何か 同じ瞬間を
見て 生きてるっていう感じがしましたね。

すごく心強い気持ちで いっぱいです。

もう…
ありがとうございました 本当に。

♬~


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