歴史秘話ヒストリア「サムライとフランス軍人 幕末ラストミッション」徳川方として戦うか、帰国するか、運命の選択…


出典:『歴史秘話ヒストリア「サムライとフランス軍人 幕末ラストミッション」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「サムライとフランス軍人 幕末ラストミッション」[解][字]


激動の幕末。サムライたちとともに戦った外国人たちがいた。その名もフランス軍事顧問団。マーク・パンサーさんが団長を熱演。フランス軍人たちのラストミッションとは!?


詳細情報

番組内容

激動の幕末。徳川のサムライたちとともに戦った外国人たちがいた。その名もフランス軍事顧問団。映画「ラストサムライ」のモデルになった軍人たちで、徳川軍を近代化させるという使命を背負い、来日した。しかし、戊辰戦争が勃発すると、徳川方として戦うか、帰国するか、運命の選択を迫られる。今回、顧問団団長をフランス生まれのマーク・パンサーさんが熱演。激動の日本を駆け抜けたフランス軍人たちのラストミッションに迫る。

出演者

【出演】マーク・パンサー,【アナウンサー】渡邊佐和子


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歴史秘話ヒストリア「サムライとフランス軍人 幕末ラストミッション
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  14. 拠点
  15. 江戸
  16. 士官
  17. 場所
  18. 伝習隊
  19. 攻撃
  20. 合流


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現地からの最新報告です。

突然ですが…

(スタッフ)龍馬?

では 外国人だと どうですか?

(スタッフ)めちゃめちゃ 調べてますけど。
調べてないです。

検索ボックスに

「幕末」「活躍した人物」「外国人」なんて
入れてないです。
アハハッ!

あっ 違う!
ペリー ペリー ペリー。

ということで今回は

遠く 海を越えてやって来た

知られざる
でも すごい外国人を ご紹介します。

2003年に公開された ハリウッド映画…

主人公は
トム・クルーズ演じる オールグレン。

明治維新後の日本にやって来た 軍人です。

彼が出会ったのは
新しい世になり

滅びる運命にあった
サムライたち。

その生きざまに共感し
共に戦う姿が描かれました。

主人公のモデルになったと言われるのが…

幕末の日本にやって来た男たちです。

任務は ただ一つ。

徳川のサムライたちを
強い軍隊につくり替えること。

異国でのミッションに 全力で取り組む
フランスの軍人たち。

その志に迫ります。

♬~

今回 顧問団の団長を演じるのは
マーク・パンサーさん。

マークさんが 150年前のフランス人
その活躍の舞台を訪ねます。

すげえな!

(砲声)

うわああっ!

やがて 顧問団は
時代の荒波に翻弄されます。

明治維新の混乱に巻き込まれ
選択を迫られたのです。

本国の命令に従い 帰国するか。

それとも 日本にとどまり

徳川と共に戦うのか。

近代日本誕生の瞬間に
立ち会いながら

歴史の影に消えていった男たち。

フランス人たちが見た
もう一つの幕末 明治維新です。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今日の主人公は 外国人。

およそ150年前
幕末の日本に やって来た

フランス軍事顧問団です。

彼らが日本に滞在したのは
1867年から1869年。

当時の日本は 江戸から明治へと
時代が移り変わる

動乱の 真っただ中でした。

なかでも 最大の転換点が 戊辰戦争。

旧幕府側と

薩摩や長州など
新政府側との一大決戦です。

実は この時
フランス人たちの中に

旧幕府側について戦う者が現れました。

なぜ 彼らは サムライたちと共に
戦う道を選んだのか。

まずは フランス人と日本人の
最初の出会いから 見てまいりましょう。

徳川幕府に招かれた
15人のフランス人が

港に降り立ちました。

そして 副団長のブリュネ率いる
フランス軍事顧問団です。

顧問団の
最初の拠点となりました。

よいしょ。
(スタッフ)おはようございます。

おはようございます。
今日は よろしくお願いしま~す。

今回 団長のシャノワンヌを演じる
マーク・パンサーさんです。

(スタッフ)今も フランス語
しゃべれるんですか?

実は マークさん
フランス マルセーユの出身。

フランス人と日本人の両親の間に
生まれました。

♬~

2歳で来日。

その後 globeの一員として活躍。

今も 音楽活動を続けています。

そんなマークさんと

横浜に残る 150年前のフランスを
探すことにしました。

こんにちは。
こんにちは。 握手。

ああ どうも。 あの 今ここで
フランスと日本の関係を

いろいろ ちょっと 歴史を
探ってるんですけど 何かご存じ…。

はいはいはい はい。
あれが ありましたよ。

教えてもらった方向に行ってみると…。

こんにちは~。
こんにちは。

ここら辺に 何かフランスみたいなのって
何か あります?

公園が…。
フランス山?

その辺です。                 へえ~。
うん。

えっ 地元の方ですか?

(笑い声)

すぐ近くに 
「フランス山」という場所が
あるそうですが…。

ここの 何が フランスなんでしょうかね?

こんにちは。

Bonjour.

横浜生まれの 林 邦宏さん。
この辺りの歴史に詳しい方です。

どうして ここが 「フランス山」と
呼ばれるようになったんですか?

1863年 この場所に
フランス軍の基地が置かれ

周辺に フランス人が
多く住むようになりました。

彼らは ここを拠点に
フランス本国と 幕府の貿易を仲介。

徳川との関係を深めていきます。

当時 日本では 薩摩や長州といった
勢力が 力をつけ

幕府に対抗する姿勢を
見せつつありました。

そのため幕府は
親しいフランスの力を借り

軍の近代化に乗り出すことを決定。

そして 顧問団が
日本に

やって来ることに
なったのです。

顧問団が 横浜に到着すると
すぐに 訓練が始まりました。

訓練を受けるのは…

幕府が この日のためにつくった
1, 400人余りの軍隊です。

ところが…。

ブリュネは 一体
この格好の 何に怒ったのでしょうか。

日本軍事史を研究している…

当時の幕府兵の格好です。

西洋式の軍隊を目指すにもかかわらず
日本風の格好をしています。

例えば…。

和服をアレンジした軍服。

サムライの象徴 刀。

そして フランス人にとって

形が奇妙だったという かさ。

そこで 服は西洋式の軍服に。

刀は外し
かさは 帽子へと改められました。

続いては 実際の訓練。

当時の日本人には
思いもつかないことが要求されました。

1! 2! 1!

顧問団の訓練について研究している…

はい 頭 起こして。

重視されたのは
統率のとれた軍隊になるための

体の動かし方だったといいます。

1! 2!

腕を回す運動です。

指先まで
一糸乱れぬ動きが
求められます。

1 2! 1 2!

こちらは 一定のペースで行進する訓練。

単純な動きに見えますが
当時の日本人には 一苦労でした。

1! 2!

こうした訓練のねらい。

それは 徳川のサムライたちを

命令に対し
機械の部品のように正確に動く

「兵士」に鍛え上げることでした。

…と思います。

訓練を受けるサムライたちの中でも
重要だったのが 士官。

フランス人と兵士をつなぐ
役割を果たしました。

士官の一人 荒井郁之助。

最も密接に顧問団と関わった
日本人です。

荒井ら士官のために作られた教本。

フランス軍の訓練について

日本語と絵で
分かりやすく説明されています。

プルテボーザルム。

「肩へ銃」は「プルテボーザルム」。

ジゥー。

フランス語を覚えるのも
士官の大事な仕事でした。

(虫の鳴く声)

訓練が終わっても 荒井は

自らの役割に 熱心に取り組みました。

(笑い声)

(ノック)

そして 訓練の仕上げは…。

(一同)おお!

すっげえ!

シャスポー銃は 当時 最新鋭の銃です。

薩摩など 諸藩の主力装備だった
ミニエー銃は

前から弾を込めるため

発射するまでに
30秒ほど かかりました。

それに比べ シャスポー銃は

後ろから弾を込めるため
発射まで 僅か7秒。

敵が 弾を1発撃つ間に
4発も撃てるため

攻撃力は 大幅に増しました。

サムライを
近代軍につくり替えるという任務が

着々と進んでいきます。

そんな折 伝習隊に
実戦の機会がやって来ます。

1867年の末ごろから

江戸で 強盗や放火が
相次いでいました。

背後には 幕府と敵対していた
薩摩藩がいました。

そこで徳川方は 薩摩への攻撃を決定。

士官たちは
顧問団の副団長ブリュネに

どう 攻撃すべきか
相談を持ちかけました。

理由は 薩摩藩邸の立地です。

現在の港区にあった
藩邸の周りには

当時 諸藩の屋敷が密集していたことが
分かります。

もし 周辺の藩に被害が広がると
新たな問題の火種になりかねません。

ブリュネの作戦は

さまざまな砲撃を組み合わせて

薩摩藩邸を攻撃するというもの。

まず 破壊力のある砲弾で
壁や門を破壊。

次に 細かい散弾が
シャワーのように降り注ぐ砲弾で 

敵を 外にあぶり出します。

そして 直接の斬り合いに持ち込み
制圧します。

砲撃を任されたのは…

フランス仕込みの技術が
狙いを定めます。

撃て!

(砲声)

3時間にも及んだ攻撃の後

薩摩藩邸の敷地は

焼け野原になったと
言われています。

異文化の衝突から始まった
フランス式の近代軍づくり。

1年近い訓練を経て

日本人とフランス人の間には
信頼が育まれていました。

徳川軍を近代化させる。

その一大ミッションを成し遂げていく
フランス軍事顧問団。

中心人物の一人が
副団長のブリュネです。

実は 意外な特技が
ありました。

それは スケッチです。

どれも見事な腕前。

ブリュネは 日本滞在中

200枚以上の絵を残しました。

こちらは 徳川慶喜。

写真と見比べてみても そっくりです。

写真が 十分に普及していなかった当時

スケッチは 軍人にとって

見た情報を正確に伝える
必要不可欠な技術でした。

教え子 伝習隊の姿も。

ブリュネは スケッチを通じて

日本や日本人に
親しみを感じていったのかもしれません。

目標に向かって 固い絆で結ばれた
フランス人と徳川のサムライたち。

この後 「明治維新」という
時代のうねりに のみ込まれていきます。

既に 政権を失っていた旧幕府勢力と
薩長を中心とする 新政府の間で

戦争が始まります。

その後の 日本の行方を決めた…

当初 兵力で優勢な
旧幕府軍の勝利は

間違いないと思われました。

ところが…。

旧幕府軍の拠点・大坂城に
顧問団が入った時

意外な事態に直面します。

ここには おられぬ!
既に 船にて 江戸へとお戻りになった。

実は この時
総司令官である…

優勢に見えた旧幕府軍も
指揮官の判断ミスなどが重なり

既に 劣勢に追い込まれていました。

そして
鳥羽伏見の戦いは

新政府側の勝利に
終わりました。

彼らは そのまま江戸に進軍を開始。

絶体絶命の旧幕府側のため
顧問団は ある策を考えます。

旧幕府の陸軍と海軍を連携し

迫る新政府軍を
挟み撃ちにするというものです。

江戸周辺には
顧問団が鍛えた 伝習隊などの陸軍。

そして海には 榎本武揚率いる
国内最強の海軍。

挟み撃ちは
十分 勝ち目があります。

顧問団は この策を持って

旧幕府の陸軍総裁
勝 海舟を訪ねました。

しかし…。

上様のお心は もう決まっておる。
戦はしないよ。

この時 徳川慶喜は
戦意を なくしていました。

話は終わりだ。 行くぞ。

更に 顧問団に追い打ちをかける事態が
起こります。

フランス本国から
徳川に味方するのはやめ

中立を保つよう 命令が下ったのです。

フランスは
日本が内乱状態に陥ったと判断。

決着がつくまで
成り行きを見守ることにしました。

そして 鳥羽伏見から 2か月余り後

新政府への江戸城明け渡しが
決まります。

しかし 満足に戦うことのできなかった
サムライたちは

決定に従いませんでした。

まず 伝習隊が動きます。

活躍の舞台がなかった彼らは

戦いを続けようと
北を目指しました。

更に 品川沖には

榎本武揚率いる
旧幕府海軍の艦隊が

居座り続けています。

その中には 伝習隊の士官だった
荒井郁之助がいました。

榎本と共に
海軍を率いていたのです。

この時 榎本や荒井は

自分たちに合流してくれるよう
顧問団に頼んだと言われています。

顧問団は 決断を迫られました。

徳川のサムライたちと合流するか。
それとも 中立を貫くか。

顧問団の行動を フランスに残る
資料などから分析している

中津匡哉さんです。

(ため息)

なぜ ブリュネは
教え子たちに 力を貸すことにしたのか。

中津さんは ブリュネの行動には

軍人としての冷静な判断があったと
考えています。

…とは思うんですけれども

その覚悟はあったにしても…

ブリュネは この時
シャノワンヌに手紙を残しました。

「これまでの訓練は 無意味だった。

そう思わせるようなことは
絶対に しません。

私は この国の仲間の
役に立ちたいのです」。

ブリュネは 榎本艦隊に合流。

艦隊は 一路 北を目指します。

徳川の勝利を信じて
彼らと戦うことを決意した ブリュネの

新たなミッションが始まりました。

徳川の家臣団と合流し
共に戦うという決断をした ブリュネ。

顧問団を離れるという
軍令違反にも値する行動を

仲間たちは
どう 見ていたのでしょうか。

ブリュネの よき理解者でした。

ブリュネ脱走の報告を
すぐには行いませんでした。

ブリュネが 徳川軍と合流する時間を
稼ぐためだったのかもしれません。

もう一人
ブリュネを支えた人物がいます。

顧問団の団員…

実は 横浜で マーク・パンサーさんを
案内してくれた

林 邦宏さんの曽祖父です。

顧問団の中で 最も 日本語が
堪能だったとされる デュ・ブスケ。

ブリュネが 団を抜けたあとも

政治や軍事についての情報を
送り続けました。

出ていった者と 残った者。

下した決断は 違っていても

なすべき務めへの思いは
同じだったのかもしれません。

そして いよいよ 戦いは最終局面。

ブリュネ 最後の大仕事が始まります。

北海道 函館市。

有名な五稜郭こそ
ブリュネのミッション その最後の場所。

榎本艦隊が 江戸から拠点を移し
決戦に挑んだ地でした。

さあ 函館の五稜郭に
やってまいりました。

え~ 函館 ちょうどですね 今 0℃。

雪も降ってきて
何か 絶好なロケ日和ですね。

ワオ。

五稜郭は ブリュネたちが拠点とする
4年ほど前に

北方防備のために つくられた…

星のような特徴的な形で
敵を取り囲んで攻撃できる

当時 最先端のものでした。

この五稜郭に ブリュネの足跡が
あるというのですが…。

あの方に ちょっと聞いてみようかなと
思います。 こんにちは。

こんにちは。
何か ここら辺に

ブリュネが残していった
足跡みたいなのがあると

聞いたんですけど。
そうですね。

長年 五稜郭の発掘調査に携わってきた…

ブリュネは ここで 意外な
しかし 重要な仕事をしたといいます。

へえ~! これは
じゃあ なかったんですか もともと坂は。

五稜郭をつくった時には
なかった坂なんですね。    へえ~。

ブリュネは…

何だろう?

まあ きっと上で こう鉄砲とか撃つから
鉄砲 いっぱい入れて…

でも それだったら
一人ずつ 持ってけばいいですもんね。

(野村)もっと… もっと重いもの。

(野村)あっ そうですね はい。

大砲だ。 大砲を持ってくために。

五稜郭がつくられた当時
差し迫った危機は ありませんでした。

工事は 外側の土塁をつくって終わります。

そこで ブリュネは

五稜郭を 本来の戦うための
要塞にするところから始めたのです。

この角度的には
まあまあ ありますけれども

これを こう 大砲を押しながら

上から こう引っ張りながら… とか
やったんでしょうね。

もう一つ ブリュネの仕事の足跡を
訪ねることにしました。

向かったのは 五稜郭から
北東に3キロほどの場所です。

結構 走りましたけれど
ここに 何があるんですか? 牧場?

(野村)この林の向こうですね。

ちょっと 何か こう 見えますね。
何でしょう?

林の中に
土手のようなものが現れました。

おお!

何か ちょっと歩いてみると

さっきの あの
五稜郭に似てますね これ。

(野村)そうですね はい。

えっ ここで何をしたんですか?
ブリュネは。

(野村)これを… これをつくったんですね。

あっ これを つくったんですか。
へえ~。

上から見ると 不思議な形。

何という名前だと思いますか?

角が4つある この土手。

名前は…

大事なのは
つくられた場所だといいます。

五稜郭の南側は海なので
船で守ることができます。

しかし北側は 防御が手薄。

そこで 四稜郭をつくり
五稜郭を守る。

ブリュネの周到な策でした。

負けるわけない みたいな感じな
フランス人がいたから

やっぱり 勝算あると思って
やってるわけなんですかね。

箱館を拠点に
戦いの準備を進めていく 榎本軍。

しかし ブリュネには
大きな心配事がありました。

実は 江戸を離れて 半年の間に

嵐に巻き込まれるなどして
4隻の艦艇を失っていたのです。

国内最強を誇った 榎本艦隊。
戦力は半減していました。

追い打ちをかける知らせが
もたらされます。

榎本軍打倒のため

新政府の艦隊が 箱館に向け
出航しそうだというのです。

その中には 新政府軍が
アメリカから購入したばかりの

新型艦「甲鉄」がいました。

並の砲弾では びくともしない
鉄張りの装甲。

ガトリング砲など
最新鋭の武器を積んだ 恐るべき軍艦。

正面から戦って
勝てる相手ではありません。

誰ぞ 「甲鉄」を盗んできてくれんかのう。

「アボルダージュ」とは
どんな作戦なのでしょうか。

岩手県中部の宮古湾。

アボルダージュの
舞台となった場所です。

限られた戦力を 最大限に生かし
敵の戦力を奪い取るという

まさに
起死回生の作戦でした。

ところが…。

あの 漁船が
5~6艘 泊まってますけども

あの辺りが 新政府軍の艦隊8隻に
「回天」が1隻で挑んだ

宮古海戦の現場です。

その日 宮古湾に現れた
榎本軍の軍艦は 「回天」1隻だけ。

何が あったのでしょうか。

榎本艦隊の行く手を阻んだのは
荒れる海でした。

宮古湾を目指すさなか 海が荒れ
1隻が行方不明。

1隻が
エンジントラブルに陥ってしまいます。

2隻で挟み撃ちにする作戦は
既に不可能。

「回天」に乗り込んでいた荒井は
1隻で 作戦を決行することに決めます。

(衝突音)

先頭 一番乗り!

その時 「甲鉄」のガトリング砲が
火を噴きました。

わあああっ!

これまでか…。

退け… 退け~!

アボルダージュは失敗。

荒井たちは 箱館に引き返します。

サムライを鍛えるミッション。
その中で生まれた絆。

そして 勝利のための最後の策。

けれども もう 打つ手がありません。

ブリュネ殿…。

♬~

やがて 新政府軍の総攻撃が始まります。

その時 新政府軍の兵士が残した記録。

♬~

伝習隊 そして榎本軍と
ブリュネと行動を共にした

荒井郁之助。

五稜郭の戦いを生き延び

北海道大学の前身
開拓使仮学校で働き始めます。

その時 荒井が中心となって作った
「英和辞典」。

かつて 西洋の力を借り
日本を導こうとした自らの思いを

明治の若者たちに引き継いでほしい。

荒井の そんな願いが

込められています。

その荒井が 晩年に詠んだ歌が
残っていました。

「高い枝の花も
手が届く枝の花も

良い花の香りに
違いはない」。

荒井は 幕末の動乱の中で
出会った

フランス人との日々を
思い出し

歌に詠んだのでしょうか。

一方のブリュネは
その後 どんな人生を送ったのか。

帰国する船の中。

ブリュネは
本国への手紙に こう 記しました。

「最後に 荒井と別れた時…」。

しかし ブリュネが
再び 日本の地を踏むことは

ありませんでした。

フランス ベルサイユの郊外。

Bonjour.

居間に飾られているのは
なんと ブリュネの肖像画。

帰国後 軍に復帰し
最後には 陸軍中将にまでなりました。

エリックさんが伝え聞く ブリュネは
とても 気さくな人だったそうです。

そして エリックさんは

ブリュネが 終生 大切にしていた
ある品を見せてくれました。

それは 代々 受け継がれてきたという
古いアルバム。

中には 日本での日々を描いた
あのスケッチ。

二度と 日本に来ることがなかった
ブリュネは

しかし 決して
日本を忘れてはいませんでした。

かつて 日本に
ある使命を帯びてやって来た

フランス人たちがいました。

激動の時代。

一瞬だけ交わった
日本人とフランス人の絆は

色あせることはありません。

♬~


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