ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中井貴一×舘野晴彦 2歳の時この世を去った父・佐田啓二について…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中井貴一×舘野晴彦』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中井貴一×舘野晴彦


デビューから40周年!2歳の時この世を去った父・佐田啓二について、消えゆく時代劇への想い、人生の師である高倉健との絆…他では聞く事のできない貴重な話が満載!


詳細情報

番組内容

1961年、東京都生まれ。父親は昭和の銀幕を彩ったスター俳優・佐田啓二。中井が2歳の時、交通事故で佐田が他界。亡き父の背中を見つめてきた中井の思い、支えてくれた厳格な母の言葉とは?1983年、一世を風靡したドラマ「ふぞろいの林檎たち」で生真面目で不器用な青年を好演。その舞台裏とは?1988年、NHK大河ドラマ初出演にして主役の武田信玄を演じる。平均視聴率39.2%は、30年以上経った今でも大河ドラマ歴代2位の記録だ。

番組内容2

2003年の映画「壬生義士伝」では、家族のために人を斬る新選組隊士・吉村寛一郎を演じ、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。中井にとって、時代劇には譲れない熱い想いがあった。また、映画「ヘブン・アンド・アース 天地英雄」撮影のため、中国で4カ月間暮らした経験を持つ中井が、その背景にあった高倉健の恩恵を語る。そのほか、些細な悩みからテレビで話したことのない初出しトークも!?中井貴一の新たな素顔に迫る。

出演者

【ゲスト】中井貴一(俳優)

【インタビュアー】舘野晴彦(編集者)

次回放送予定

次回2月15日(土)は、フリーアナウンサーの古舘伊知郎に、テレビ朝日スポーツコメンテーターの宮嶋泰子が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、テレビ朝日映像


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中井貴一×舘野晴彦』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中井貴一×舘野晴彦
  1. 自分
  2. ホント
  3. 映画
  4. 時代劇
  5. 日本人
  6. 親父
  7. 中井
  8. スタッフ
  9. 貴一
  10. 高倉
  11. 人間
  12. 俳優
  13. 言葉
  14. 息子
  15. ハハハ
  16. ハハハハ
  17. 仕事
  18. 中国
  19. 棒読
  20. 舘野


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中井貴一×舘野晴彦』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓テレビ朝日 関連商品

(舘野)こんにちは。
こんにちは。

どうも はじめまして。
中井と申します。

舘野です。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

かっこいいですね やっぱり。
何 言ってるんですか。

やめてください。
ちょっと 背も 180以上…。

180です。 はい。
180ですか はあ~。

あっ まずは お座りください。
ありがとうございます。

お邪魔します。

こういう番組 でも あまり…
珍しくないですか?

そうですね。 あんまり あの…。

普段は 得意ではないと言ったら
変なんですけども

あんまり あの
役じゃないもので出るのは

あまり少なくはしてる…。

どうしても 映画の宣伝とかには

お邪魔させて頂く事が
多いんですけど

それ以外では
あんまり やらないですね。

ですね。
はい。

ただ
うちのディレクターたちがですね

せっかく出て頂いたので

初めての話も
ちゃんと伺ってくださいと…。

わかりました。
なんかあれば どうぞ。

そのためにですね 僕
共通のテレビプロデューサーとか

いくつか色々ネタを…。
ホントですか。 怖いな。

今日は
役者人生を振り返って頂いて

また そういうお話…
プライベートなお話も

ちょっと 伺いたいので
ぜひ よろしくお願い致します。

よろしくお願いします。

♬~

〈数々の名作に巡り合い
鍛えられてきた男は

デビュー40年を迎えた〉

〈深みと渋みを身に付けて

今や 国民的俳優の一人と
いっていい〉

〈この1月には
映画 『記憶にございません!』で

ブルーリボン賞
主演男優賞を獲得〉

あっ ちょっと…。

〈公開中の新作でも

コミカルな芝居を
達者に演じている〉

銀繕い…?

はたか… はたかけ!?

はたかけ!?

はたかけ…。

え~と 古田織部が
本阿弥光悦に贈ったとされる…。

〈なんでも聞いてくれと
中井は言った〉

〈2歳の時に死別した父

名優 佐田啓二の事〉

〈時代劇に寄せる 熱い思い〉

〈くじけそうな心を
支えてくれた人

高倉健との思い出〉

え~ 本日は
どうも ありがとうございます。

〈人生を語るにふさわしい貫禄を
漂わせ

時にユーモアを交えて振り返った
歩みには

えも言われぬ味があった〉

♬~

♬~

♬~

でも 16 17 18 19って

今ほど そんな 視聴率については
言わなかったですけど

毎週 なんかが貼り出してあって
パーセンテージが。

その意味も よくわかってないの。
そうしたら…。

ハハハハ!
えっ ホントに…。

えっ 誰? っていうふうに…。

このぐらいの落差があるんですよ。

♬~

で 日本人の魂というか

日本人の美しさみたいなものが

やっぱり どこかに こう
受け継がなければならないし

俳優っていう仕事は

僕は 伝承芸能ではないと
思うんですけど

唯一 時代劇というものは

伝承されていくべきものだ
っていうふうには

自分がやってきて 思うので。

♬~

僕の場合は 知らない父の息子だと
言われて

その事を 一番最初に高倉さんが
「つらいよな」って。

「それは ホントにつらいよな」って
言ってくれた時

俺 もう
涙が止まらなくなったんですよ。

その なんか 自分が ず~っと
心の中にしまってたものを

急に言われた感じがして。

それで…。

改めまして
よろしくお願い致します。

実は同じ年で…。
はい。

昭和36年 1961年。

天才の多い年ですね。
天才… 多い…。

天才って
「天の災い」じゃないですよ。

「天の才能」のほうですけど。
才能のほう。 それは三谷…

同じ年の三谷さんが
おっしゃってたりするんですよね。

まあ 1961年は ひっくり返しても
1961年になるって

こういう年っていうのは
天才が多く出るっていうのを。

そうですか。
僕と… 僕 三谷さんと

「え~ 誰だろう?」なんつって
「じゃないの?」なんて

2人で話してたんですけど。
ハハハ…。

そしたら
オバマさんが当選したんですよ。

ああ そうか。
オバマだった…。

あっさり持ってかれたところが。
うん 持ってかれた。

あとは あれですよね
カール・ルイスとか。

あ~ カール・ルイスも
同級生ですか?

ジョージ・クルーニーも
そうですよ。

あっ ジョージ・クルーニーは同級生ですね。
同級生ですよね。

同級生って…。
ハハハ…。

まあ 同級生ですね。

50後半になって

色々 体調とか

ガタがきたりしてませんか?
正直。

うん あの~
ガタっていうよりも

なんか こう
深く眠って 朝起きて

なんか「すげえ寝た!」っていう

ああいう感覚は
なくなってきたな

っていう感じはしますね。
わかりますね それ。

なんか もう 昔は
とにかくクタクタになって

なだれ込むように
布団の中に入って

朝 気が付いたら11時で

やべって言いながら
疲れ取れたみたいな

そういう事が だんだん
なくなってくるっていうのが

悲しいなと思います。
少しずつ ズレて…。

ズレていくんですね。
ありますね。

だから…。

ハハハハ…。
フフフフ…。

イテテテ イテテテテっていうのが
なんか…

昔は ホントに痛い時に出てた
合いの手みたいなのが

普通の時に出るっていうのが
悲しいなと思ってますね。

それがもう常態っていうか
常になんでしょうね。

そういうふうなものを抱えながら
生きていくっていう…。

それが なんか まあ 俺は
人間の面白さっていうんですかね。

だから それって
ネガティブでは 実は なくて…

ホント よくここまで

イテ イテってなるぐらいまで
頑張ってきたなっていうふうに

自分は思うんですよね。

捉え方次第ってとこ
ありますもんね。 じゃないと

ちょっと やっていけないところも
ありますもんね。

やっていけないですよ そんなの
いちいちなんか こう

「はぁ 年取ったな」とかって
思っていたら

この先
もっと年を取るわけですから。

そうですよね。
ホントはつらくなるだけなので…。

分が悪いですよね。
分が悪いです。

〈1961年 中井は
東京 世田谷に生まれた〉

〈父 佐田啓二は
『君の名は』などに主演した

戦後日本映画界の
二枚目スター〉

〈貴一の名付け親は

両親が深く慕っていた

あの小津安二郎だった〉

〈恵まれた環境にあった
貴一は…

しかし 2歳で父親を失う〉

〈佐田啓二 交通事故で夭逝〉

〈37歳だった〉

〈運転手の居眠りが原因だった〉

お父様は もちろん
国民的なスターで…

3歳直前ぐらいに
お亡くなりになったっていう…。

僕は 知らないんですよね
父親を。

だから 昔 あの… めいっ子がね

うちの父の仏壇のとこで
僕が こうやって拝んでたら

めいっ子が… まだ子供だった頃の
めいっ子が来て

俺の横で こう 手を合わせて…
「ありがとな」って言ったら

「おじいちゃんって
どんな人だったの?」

っていうふうに
僕 聞かれたんですけど…

答えられない自分が
そこにいて…。

もう完全に
一つの記憶の断片も…?

ないです。
ないですか。

その お父様が亡くなった分
って事ではないんでしょうが

お母様が 相当厳しかったって。
半端じゃなかったですね。

どのぐらいですか?

男意識を すごく強く
僕は植え込まれたというか。

まあ
物心ついた時から…

うちは
掘りごたつだったんですけど

父の座っていた席に座らされ

それで 何かがあると

「男なんだから
あなたがやりなさい」

っていう事を
幼稚園の頃から

割と植え付けられてきた
感じはします。

家の大黒柱というか?
そうですね。

何か その 下で音がした。

何かがいるかもしれない。

「男だから見てらっしゃい」
っていうふうな事も

言われましたし。

なんで俺が? って

一番小さいはずなのに
っていうふうに…。

お姉さんですもんね。
はい。

思いながら見に行った記憶とかも
ありますし。

その 母が亡くなった時に

ホントに 僕は
その 母に感謝したのは…

父の死について
まあ 交通事故で…

運転をしてくださる方がいて…

一番後ろの 安全な席に
父は座っていたんですけど

4人同乗していて
父だけが亡くなって

他の方は かすり傷というか…
だけだったんですね。

でも その事について

一切 恨み節を
子供に言わなかったし…。

何度聞いても…。

としか言わなかったんですよ。

ですから 父の死の原因が
誰かのせいだっていう事は

多分
姉も僕も思わずに生きてきた。

ですから

人を恨むっていう事をせずに
生きてこれた。

すごい判断ですね
お母様の その…。

だから それが
教育だったんだと思います。

だから あとになって
「あんたが 通知表もらってきて

“明朗快活"って
書かれてる事だけが

私の勲章だった」って
言ってましたけど…。

その割に「勉強しろ 勉強しろ」って
言いやがったなって…

とは思いますけどね。
でも なんか そういう

学校に
教育を委ねるんではなくて…

学校というのは
教養をつける場であって

教育をするというのは 家庭の中で
教育をするっていう事を

明確に あの人は

僕たちにしてくれたって
いうんでしょうか。

〈中学で始めたテニスは
大学に進むと

全国大会に出るほどに
なっていた〉

〈この頃 思いがけない話が
舞い込んでくる〉

〈映画 『連合艦隊』の主役を
探していた

松林宗恵監督の目に
留まったのだ〉

〈当時の中井には

俳優になるつもりなど
全くなかった〉

その後 貴一さんは 役者さんに
なっていくわけですけど

そんな体質というか

雰囲気では
なかったわけですよね?

役者さんになろう…。
全然。

大体 業界との接点が
なかったんですよ。

あっ でも お父さん もう
きら星のごとく…。

はい。 もう でも
親父が亡くなって…

ホントに面白いもんで

人間って みんな
そういうもんだと思うんですけど

仕事をしてる時は たくさんの人が
いらっしゃいますけど

多分 仕事がなくなったら
みんな来ないもんなんですよ。

うちに
唯一来てくださってたのが

笠智衆さんと三井弘次さん
っていう俳優さんで。

必ず 親父の命日
8月の17日なんですけど

うちに来て…
お線香あげに来てくださる。

だから このお二人には

お世話になったって言うのも
変ですけど…。

僕は
刀が大好きだったんですよね。

父が持ってきてくれた
小道具の刀で…

なんで覚えたのか
わからないんですけど

「赤城の山も今宵限り」
っていうのを

やってたらしいんです。

素質があるんじゃないですか?
わかんないですけど。

で 「可愛い子分の手めえ達とも

離ればなれになる首途だ」
っつって

刀をプッて下ろすと

笠さんが
懐からティッシュ出して

刀を こうやって
拭いてくれるんですよ。

その 笠さんの思い出は
すごく強くあって…。

すごく贅沢な思い出ですね。
はい。

それで 斬ると うまい具合に
死んでくれるんですよ。

すげえうまく死んでくれるなと
思ってたのが

笠さんだったんだなと思って。

貴重だ。 へえ~。
思いますね。

じゃあ 演じる事に…

えっ 最初は何歳ですかね?
『連合艦隊』の その…。

19歳です。
19歳。

その時は じゃあ もう
少し意識もあって

飛び込んでみようという…?

いや 全くなかったです。

いや 大体ね 基本的に
親父の法事の時に…。

僕 テニスをずっとやっていて

それで 全国大会なんかが
あったんです 8月。

で 試合 終わって
遅れて お墓行ったんですよ。

8月の17日でしょ 屋外でしょ…。

僕 人よりも
メラニン色素が多いんで

異常な黒さだったんですよ。

焼けてね。
焼けて。

それで その
親父のところに行ったら

ちっちゃいおじさんが…

「あんただ!」って
言われたんですよ。

映画みたいです。
なんだ? このおじさんと思って。

そしたら その
松林監督だったんですけど

実は 今度
自分は戦争映画を撮ると。

それに若い青年将校が
出てくるんだけど

あんたみたいなのが欲しいんだ!
なるほど。

で その
古くさい日本人の顔してて

色が黒くて…

あの方も 兵隊にいらした事が
あるんですけど

こういうのなんだよっていう事を
突然 言われたんですよね。

興奮されてるぐらいの
感じですか?

それで…
そしたら 急におふくろが

「どうすんのよ?」って。
へえ~。

「どうすんのって なんだよ」って。

「だから
やんの? やんないの?」って

「やるわけねえじゃねえかって
やんねえよ」。

「じゃあ 1人で断っといで」
って言われて

私は… もう あんた 大学までは
私は 義務教育だと思うけど

大学から先は
あんたの人生だって

私は 知らないからって言われて。

1人で 松林さんのところに
行ったんですよ。

で 前に座らされて
「どうだ? やってくれるか?」

「答えをちゃんと聞かせてくれ」…。

やってみますかね… っていう…。
人がいいですね。

いや ホントに その2秒ぐらいで
人生が変わったんですよね。

で それは ちょっと伏線はあって

大学に入った時に

就職面接っていうのが
あったんですよ。

それで あなたは
将来 何やるんだっていうのを

事務の人と話をする時に

急に自分の将来の事を
考え始めたんです。

それで…。

ですから
そこに生きてるというだけで

子供の選択肢を与えてる。

親父みたいになりたい
親父みたいにはなりたくない。

どちらにもって事ですか?
うん わかります。

この選択肢があるかないか
っていうのは

すごく子供にとっては
大きい事なんですが

僕にとっては
それがなかったので

「えっ 将来 何やったら
いいんだろう」っていう事を

はたと考えていた時期も
あったんです。

それで その時に
話を聞いてる時に

一回だけ同じ事をやってみれば

その 父親の背中を感じる事が
できるのかもしれない

っていう思いが
どこかに出てきて…。

なるほど。

やってみたほうが

自分のチョイスの
選択肢になるのかな

っていうふうに思って

やってみますっていうふうに
答えたような気はします。

やっぱり その
一つのキーポイントは

お父様にもあるって事ですよね?
そうですね。

そしたら
やたらに祖母が喜んだんですよ。

へえ~。

「へえ~ そうかい よかったね」
って言って。

「なんで? よくねえよ」って…。

「俺 なんで言っちゃったんだろう」
って言ったら

祖母が 「あんたが生まれて
あんた」…。

僕 4000グラムあったんで

とっても
丸々とした子だったんです。

で みんな
佐田啓二さんの息子だと思って

見に来るじゃないですか。

そうすると
言葉を失うっていう…。

褒め言葉が…

だから みんな
佐田啓二さんの息子さんですから

「まあ シュッとしたね~」
っていうのを…

言葉を用意してくるのに…。
はい。

言葉を失う感じだったんですね。

それで 「お元気そうな… ねえ
息子さんで」

って言ってった
っていうぐらいだったので。

母が検診に行った時に

祖母と父親だけになった時に

そのベッドに寝てる
俺を見て

父親が

「この子は 俺の跡取りになるよ
おばあちゃん」

って言った
って言うんですよ。

祖母は 「どこが?」って
言ったらしいんですけど

でも その…
親父の その言葉が

祖母は
ずっと忘れられないでいて

でも 僕は 育ってくる中で

芸能界にも
興味もなかったですし

芝居のほうにいくっていう感じも
なかったんで

でも その返事をした時に

初めて それを
僕に 伝えてくれたんですよね。

それは いい 素敵な話ですね。
伝わってくる。

なんか とっても…

それは 親父が
やれっていうふうに

俺の事を きっと 押したのかなあ
っていうふうに

その時は思いましたね。

いざ やって…
初めて役者さんというものは

現実的に ご自分に
どうだったんですか?

フィットするとか?

僕 赤面症で
あがり症だったんですけど

初めての映画の時に
カメラの前に立った時だけ

顔が 赤くならなかったんですよ。

なんか もう
無我夢中っていうんでしょうか。

必死っていうか…。

何を どう 自分が
蓄積してったらいいのかっていう

蓄積の仕方もわからないですし。

殊に 自分で仕事を始めた時に

自分一人で
事務所を始めたんですよね。

ですから その 周りから
アドバイスをくださる先輩や

社長さんもいなかったので

自分で
色んな事を そしゃくしながら

進むしかなかったっていう。

すごい事ですね それは…。
必死でしたね。

〈あの名作ドラマに抜擢された時

中井は 21歳だった〉

〈1983年に放送が始まった
テレビドラマ

『ふぞろいの林檎たち』〉

〈リアルな青春群像の一角に

21歳の中井貴一がいた〉

〈生真面目で不器用な青年を
演じて

同世代の大きな共感を集める〉

〈まだ ほとんど無名の中井は

デビュー3年にして

突如
人気俳優の仲間入りを果たした〉

『ふぞろい』は
もう どんどん どんどん

視聴率や騒ぎも
大きくなっていって

生活も
変わったんじゃないですか?

あの~
最初 ロケ現場でロケしてたら

おじさんが こう
自転車で通りかかって…。

(舘野の手をたたく音)
はい。

「何やってんの? これ」
ってなって。

「あっ テレビの…
テレビのロケです」。

「誰が出てるの?」って言われて…。
ハハハ…。

「あっ えっと…

柳沢慎吾さんと時任三郎さんが
出てます」って。

「誰? それ」。
「いや 誰それって言われても…」。

「それだけ?」って言うから

「はい それだけです」って。
ハハハハハ。

ちょっと
自分が出演者だっていう事を

恥ずかしくて言えなくて。
奥ゆかしい。

それで 「はい それだけです」
って言って 「へえ~」って。

「じゃあ 頑張ってって伝えてね」
って言われて

「はい 伝えます」って
言った覚えがあるんですよ。

それが一番最初の

オンエアになる前の
ロケだったんですけど…。

すごいリアルですね。
はい。 それで

初回が放送になって

多分 初回 15パーセントぐらいで
視聴率が始まって。

でも お客様が
何を面白いと思ってるんだかも

わからないぐらい必死なんですよ。
ああ~。

でも 16 17 18 19って

今ほど そんな 視聴率については
言わなかったですけど

毎週 なんかが貼り出してあって
パーセンテージが。

20 21 22みたいに
なっていくんですよ。

「これ 上がってったほうが
いいんですか?」とかって

「上がってったほうが
いいんだよ これは」

とかっていう会話ですよ。
はい。

そしたら 街 出ていくと

女子高生の下校時間とかに
ばったり合うと

「キャー!」って
女の子たちが来るんですよ。

ハハハハ!
えっ ホントに…。

えっ 誰? っていうふうに…。

このぐらいの落差があるんですよ。
わかります。

だって 「誰が出てるの?」って
聞かれてたんですから。

そこからね 数週間…。

で 「キャー」なんて言われる
筋合いがないじゃないですか。

だから
その時のギャップっていうのは

すごくビックリしましたね。
ビックリされたでしょうね。

ただ ホントに共感するというか

風俗店へ行って
パンツ一つになって

泣きだすじゃないですか。
はい。

もう たまらないです。
今 思い出しても。

そして あの時
脱がされたパンツは

トランクスだったじゃないですか。

はい トランクスです。
時代ですよね。

時代です。
みんなトランクスでしたよね。

もう あの時も
高橋ひとみさんもデビューしたて。

で テレビも やった事ない
2人とも緊張して 口も利けない。

で あのシーンですから。
あっ そうなんですか。

それで ADが来て

あの 一応…。

ねっ? 「周りが
見えないようになってます」。

で 「ちゃんと大丈夫ですから」
って言って。

「あっ わかりました」っつって
あのシーンを撮って。

終わって出てきて

ああ 終わったと思ったら
他のスタジオにいるヤツらから

「すごいの撮ってたね!」
って言われたんですよ。

えっ? 囲ってあるって
言ってたのにって…。

テレビ局って
全館に流れるんですよね

撮ってる収録のところが。

全員がモニターで見てたっていう。

ハハハハ。
そこは囲ってあったけど…。

なんだよ 最悪じゃねえかと
思ったけど

まあ そうやって
あの時間は過ごしましたね。

〈1988年には

大河ドラマ 『武田信玄』で
主人公 信玄を務めた〉

〈平均視聴率39.2パーセントは

歴代2位の好記録だ〉

〈1994年
映画 『四十七人の刺客』では

高倉健の大石内蔵助に敵対する

米沢藩の家老で

〈2003年の映画

『壬生義士伝』で演じた
新選組の隊士でも

アカデミーの最優秀主演男優賞に
輝いた〉

〈意外にも思えるが 中井は 今

時代劇というジャンルが
滅びない事を

切に願っているそうだ〉

時代劇に対する 特に強い思い

そういう思いが
やっぱり ありますかね?

はい。 あの~

大嫌いだったんですよ 時代劇。
そうなんですか。

見るのも… う~ん やるのも。

あの 支度も大変ですし

実は あんまり
好きではなかったんですけど。

その 日本って 実は

題材になるものが
とっても少ない国なんです。

ドラマにするのでも。

それは 当然
軍隊も持たない国ですし

それは 今 格差社会 格差社会と
言うけれども

世界に 僕たちが
色んな国に行って 撮影した時の

貧富の差って

もっと とんでもない
貧富の差があって

そこに物語が生まれてきたりする。

これだけ便利が充満した
日本の中で

ホントに ドラマにできるものが
少なくなってきて

ここで その時代劇っていうものが
なくなりでもすれば

じゃあ 何をやっていったら
いいんだっていう事にもなるし…。

そうか そういう事…。
はい。

それに 大事なのは スタッフが

時代劇の認識が ちゃんと
あるかどうかっていうのが

俳優よりも大事な事であって。

昔は 先輩たちと
小道具さんや何かが

「お前 冗談じゃねえよ」

「そんな持ち方するんじゃねえよ
これ」って。

「なんだと思ってんだよ」とか。

そういう事を教えてくれる
先輩がいた スタッフがいたって。

それも 意識が
どんどん なくなっていくと

なくなっていってしまうっていう。

っていうところっていうのは

やっぱり
あるんだと思うんですね。

僕は 今の時代っていうものが

その パワハラとかセクハラとか
っていう時代だったり

その… 働き方改革と
いわれるものだったりするものが

う~ん。

僕はですよ?
はい。

いい結果を生まない
っていうふうには

僕は 思っているんです。

確かに それによって営業成績が

良くなったりしてる会社も
あるでしょうけど

それは やっぱり 人間ですから
ケース・バイ・ケースを見ながら

みんなを
一辺倒にするんじゃなくて

そうじゃない世界も
あるべきだと思うし

やっぱり
職人の世界なんていうのは

その… 作っていかないと。

やっと… 変な話ですけど
舘野さんと僕たちが

作れる世代にきたじゃないですか。
きましたね。

そうすると 今までは
あてがわれる世代だったものが

作れる世代にきていて

やっぱり 後輩には
正しいものを残してやりたい。

俺らが 何をここに残していったら
いいのかっていう事を

やっぱり 考える。

そういう事も含めて

時代劇というものは
とにかく続けるっていう。

で 日本人の魂というか

日本人の美しさみたいなものが

やっぱり どこかに こう
受け継がなければならないし

俳優っていう仕事は

僕は 伝承芸能ではないと
思うんですけど

唯一 時代劇というものは

伝承されていくべきものだ
っていうふうには

自分がやってきて 思うので

それは 今

やらなきゃいけない事かな
というふうには思いますね。

新しい人たち どうですか?
やっぱり 伝わる その…。

でも 意欲は
すごくあると思います。

ああ そうですか。
で 要するに

俺らの頃みたいに 当たり前に
時代劇がある時代ではないので

逆に 少なくなってる分

時代劇をやってみたいと
思ってくれる

若い俳優さんは とっても多い。
多いですか。

でも ただ 所作だとか
そういうものがわからない。

もう それは その

覚えれば財産になりますからね
自分の。

そういう意味では
俺が伝えられる事

俺が先輩から受け継いだものは

伝えようかなというふうには
思いますけどね。

〈39歳で出演した映画
『ヘブン・アンド・アース』では

単身 中国に渡り

4カ月に及ぶ
過酷な撮影に耐え抜いた〉

(刺す音)

ヤアー!

〈文化や言葉の壁を覚悟の上で
飛び込んだ 困難な現場〉

〈一体 何が
中井を駆り立てたのだろう?〉

まあ 中国から お話を頂いて

で それはハリウッドと中国の
合作映画だったんですけど

その中に日本人が出てくると。

それで ちょうど

親父が死んだ年を
超えた時だったんです。

それで まあ

なんで役者になったんだろうとか
そういう事を考えた時に

このまま 普通にやっていって

それなりに生きてく事は
できるだろうけど

それなりに生きてくために
役者になったわけではない

っていうふうに
自分で はたと思って。

まあ 今の その

発展した中国の
ちょっと前でしたから

とても撮影も大変だという噂も
入っていたし

そしたら その時に 高倉先輩に

ご相談 申し上げたんですよ。

そしたら
「俺は中井貴一という俳優が」…。

って言われて。

それで… でも
高倉さんにお会いした時に

何も僕は
ひと言も言わないんですけど

自分が抱えていた
その 父の息子だと言われる事。

要するに 僕の場合は

知らない父の息子だと言われて
二世扱いされ

やっかまれてきたんですよね。
ああ~。

その苦しみって でも

俺は 自分は後輩で
てめえが選んだ道だ

っていうふうに思ってきたんで

奥歯をかみしめるように
芸能界で生きてきたんですけど

その事を 一番最初に高倉さんが
「つらいよな」って。

「それは
ホントにつらいよな」って。

「なんにも知らないのに
親父の息子だと言われ

この世界に入ったら

いい生活をなさってたんでしょ
って言われるだろ」って。

「そんな事が どうやったって

できるわけがないんだよ
いい生活なんて」って。

「でも 周りは そうやって
やっかむ事を楽しむんだ」って。

「つらいよな」って
言ってくれた時に

俺 もう
涙が止まらなくなったんですよ。

その なんか 自分が ず~っと
心の中にしまってたものを

急に言われた感じがして。

それで

その中国の話をした時に

「いいか?」って。

「誰かが
打ち砕いてくれるもんじゃない」。

「自分が苦しい目に遭い
もがき苦しんでいく」

「その中に…

周りの人間たちが見る目が
徐々に変わってくしかない」。

「人を説得して
変えられるもんじゃない」。

って言われて
「わかりました」って。

「先輩 ありがとうございました」

「でも これで自分の気持ちが…
決めました」っつって

中国に行かせて頂いて

仕事をさせて頂いたんですけど。

とてつもなく過酷だったという…。
そうですね。

新疆ウイグル自治区で
4カ月間 撮影だったんですけど

そのロケ現場まで入るのに

日本から3日間かかるんですね。

それで 一応 ハリウッド契約
みたいになってるので

ここの期間は日本に帰る

1週間は帰れるみたいなの
あるんですけど

よくよく考えてみたら
往復で3日かかるので

中1日なんですよ。
ハッハッハッハ。

なんだこれと思いましたけど。

でも やっていく中で

まだ 当時 反日の感情も
とっても強い時期でしたから

自分が 日本人1人
ホントに1人だけで

スタッフ200人いて

で 輪に入ろうとすると

全員が こう
クモの子散らすように散っていく。

1人だけなんですか?
1人だけです。

で 僕が
40歳の誕生日を迎えた時に

あの… 誕生日を
やってくれたんですけど

ケーキを持ってきた時には
もう 誰も席にいなかったです。

ああ… つらい。
だから…。

ろうそくって 1人で消すの
寂しいなと思う経験…。

でも こういう事が

ホントに 僕にとっては
大事だったと思います。

なんか あの…
なんていうんですかね。

別に 彼らは

差別をしてるつもりは
ないと思うんです。

区別はしてるとは思うんですけど。

何か その 差別はいけない
区別はいけないっていう事に

自分がされた事がない人間は
やっぱり 説得力がない。

僕 あの時期を過ごす事ができて

それは やっぱりダメだよ
っていう事に

自分の中で説得力が持てたので

とってもいい経験って
思わされたし はい。

それと同時に やっぱり
高倉健さんっていうのは

素敵な すごい人ですね。

半端じゃないです。

だって 砂漠に
電話かかってきたんですよ。

ハハハ。 砂漠に。

俺ね ちょっと ホント こんなね

あの なんていうんですかね。

自分の なんか こう ちょっと
スター性みたいなのを作ろう

みたいな人いるじゃないですか
策略で。

ここで ちょっと 俺 なんか
ひと言 怒鳴っておいたら

語られんじゃね? みたいな。

で やっぱり ホント 本物は

そういう事をしない
考えないんですけど。

ケンカしたんです ちょっと

向こうのスタッフと。
スタッフとね はい。

で 早く来い 早く来い
早く待てって言って

10日ぐらい
撮影がなかったんですよ。

それで
「いや 待つのは いい」って。

理由を教えてくれって言っても
理由を教えないって言うんですよ。

そんな理不尽ねえだろ。

こんな理不尽ねえだろと思って
「もう 帰るぞ」っつって

ホント 荷造りしてたんですよ
荷造り。

さすがの貴一さんもね。
はい。 もう ホント 荷造りしてた。

で… 今でも忘れねえ。

洗面所 行って
洗面道具 片付けてたんですよ。

そしたら
部屋の電話が鳴ったんですよ。

そこって 衛星電話しか
繋がらない所だったんですけど。

「ウェイ?」って出て。

そしたら
「貴一ちゃん」って言うんですよ。

「はい?」。 「貴一ちゃん」。

「はい。 えっ? 誰ですか?」
って言ったら

「高倉です」。
フフフ…。

どの高倉か
わかんないじゃないですか それ。

すごすぎる。
だってさ

自分も どこにいるのかも
わかんなくなってる。

高倉? 高倉? って。

「貴一ちゃん 元気か?」。

「えっ? 高倉さんですか?」。
「そうだよ」って。

「なんで この電話番号が
わかるんですか?」って言ったら

まあ 事務所に電話をして

滞在がここだっていうのを
聞いてくださったらしくて。

それで 「どうだ?」
って言われたんで

「ダメです。 これは もう

やっていけないと思います」
って言ったら

「貴一ちゃんはさあ
そこに何しに行ったんだよ」って。

「はい。 何しにって
映画を撮りに来ました」。

「だよな」。

「途中でやめて帰ってくるほど
かっこ悪い事ねえよな?」。

「はい ないです。
ホント ないです」。

「そうだよな。 絶対
自分のプラスになると思えよ」…。

「帰ってきた時 会えるの
楽しみにしてるから頑張れよ」。

ガチャッて。

さっ 荷ほどき。
アハハハ!

全部荷ほどきですよ 簡単に。

洗面道具なんて
きれいに並べちゃって。

アハハハハ…。
ハハハハ…。

だから そういうカリスマ性とか

そういうものは
作るんじゃないんだって

こういう人って もう
こういうタイミングに

電話をするのが
なるんだっていうのが

その時の もう 率直な。

じゃあ 耐えたんですね そのあと
その環境に。

全然 楽勝にこらえましたよ。
アハハハ!

もう 全然 楽勝ですよ。

何があろうと 別にいいんじゃね?
みたいな感じでした。

長い事やっておられるんですか?
ええ。

〈今年 デビュー40年〉

〈中井貴一は

最新作のコメディー映画
『嘘八百 京町ロワイヤル』で

骨董商を演じている〉

はあ? 20年ほったらかしといた…
これ中古だろ?

〈共演は 佐々木蔵之介〉

あんたに言われたないわ。

あ~ わかった わかった…
わかったって。 5万でいいだろ。

7万円。

6万が限界だ。
せっこいわ~。

せめて 65や。

どっちがせこいんだよ…。
62だよ。

65。
62。

あかん。 65。

理想的な俳優像というか
役者像みたいな

こうありたいみたいなものは
何かございますか?

僕が 今 目指してるのは

棒読みです。
棒読み? はい。

どういう事ですか?
棒読みっていうのは

できない人がやる事を
棒読みっていうんですけど…。

っていう事が 僕は大事だと
実は思っていて。

その ピカソが写実的なものから

最後に ああいう抽象的な

子供が描くようなものにいく
っていうのの

意味が
わからなかったんですけど

自分で40年やってくると

いかに棒読みの中に

お客様が感情を
読み取ってもらえる気持ちを

出せるかっていう事が

僕は 究極の役者像だっていう気が
するんです。

すごい領域ですね。
だから あの

小津安二郎の映画なんかを
見た時に

全員が ある意味でいえば
棒読み…。

ああ 確かに。
…なんです。

「いやあ どうだい。
元気にしてるかい」

「ああ。 元気だよ」

「奥さん やってるかい?」
「やってるよ」

っていう やり方…。
なんか得した感じがします 今。

この距離で…。
でも こういうやり方が

その人たちの生活がにじんで

余計な事をしないけど

そこに お客様が想像できる
何かができる。

僕たちが 今 芝居をしてるの
っていうのは

お客様に これだというものを
限定させる芝居をしてるんだと

思うんですね。

でも…。

っていうのが

一番の究極なのかな
っていうふうに思っているので

そこを目指したいなとは
思いますけどね。

〈中井は
『ザ・インタビュー』のために

誰も知らない とっておきの話を
教えてくれた〉

あの 会社のお昼ご飯も
作ってらっしゃるんですか?

スタッフの飯ですけど…。

男の料理って趣味でしょ?

まあ そうですね。
ねっ。

僕の場合は 趣味じゃないんです。
生きるための料理なんです。

ハハハ…。
ですから 冷蔵庫にあるものを

いかに捨てないかっていう
料理なんですよ。

どういうもの 作られるんですか?
だから 例えば

スタッフがいて
飯になるじゃないですか。

1人で食うの
感じ悪いじゃないですか。

ホントは
1人で食いたいんですけど…。

スタッフ みんないるのに
1人で感じ悪いじゃないですか。

だったら もう
みんなで食えばいいやと思って。

で みんなの分まで
作っちゃうって事ですか?

「おい 冷蔵庫に何があるんだよ?」
って言うと

「ニンジンとキャベツと…
なんかがあります」。

じゃあ
タンメン作ろうかとか。

それから…

お肉 頂いてあったな
とかって思うと

うち 京都なので
白みそなんですよ。

割と 白みそを
よう使うんですけど。

白みそのみそ汁
作って

ほいで ご飯と肉を…

今日は じゃあ
こういう味にして

焼いてやるよっつって
焼いて食ったりとか。

評判いいんですね? それ。
意外と…

食ってんな? うん。
ハハハハ…。

強制的には
言わせてないですけど。

〈中井貴一は しばしば

人生を山登りに例える事が
あるらしい〉

今 何合目ですか?

7合目ぐらいですかね?

下りの7合目? 登りの7合…。
いや 登りの7合目。

ああ~ 僕も
そのぐらいのような気がする。

ですよね。
っていうか

人間って 絶対 可能性があると
思うんですよ。

俺ら セリフ覚えるでしょ?
はい。

どんどん入るスピードが
速くなるんですよ。

ああ~。
使ってると。

今の年になっても

最初 覚え始めは
本一冊 覚えるのに

20分かかっていたとする
じゃないですか。

8話目ぐらいの時は
5分で覚えられるんですよ。

すごいですね それ。

このぐらい 人間の脳って
使ってやれば成長するんですよ。

だから
可能性はあるんですよ まだ。

いい話を聞きました。
ハハハ… はい。

だから 僕たちは まだ これから
未来があるんです 舘野さん。

頑張りましょう!
頑張りましょう!

人間は まだまだ成長できると

限りがないという事も
改めて教えて頂きましたし

それから 今
やらなきゃいけない事が明快で

そういう事に基づいて
戦っているというのが

よくわかったんで。
今後 映画の見方が

また変わってくるな
というふうに思いました。

〈俳優 中井貴一が
今 大切にしている言葉〉

「日本人の美しさ」

日本人が
今 失ってしまいつつあるものは

自分たちの持ってる
美しさのような気がするんですね。

なんか とても
世界に迎合する事っていうのは

もう 経済的には
やむないのかもしれないけれど

精神までは 迎合してはいけない。

日本人の持ってる美しさを

これから ますます
大切にしなきゃいけないし

残していく事が
日本人が生き残る事だと思うので

この事は 伝えていきたいなと
いうふうに思っています。

〈この達筆に

ただならぬ説得力を
感じてしまう〉


関連記事