歴史秘話ヒストリア「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた」鉄が伝わった弥生時代、暮らしは劇的に変化し…


出典:『歴史秘話ヒストリア「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた」[解][字]


鉄が伝わった弥生時代、暮らしは劇的に変化した。ものづくりが発展し、鉄を通じて交易が盛んになった。古墳時代、鉄は権威の象徴に。新時代を切り拓いた鉄の歴史をたどる。


詳細情報

番組内容

日本に「鉄」が伝わった弥生時代。中国や朝鮮半島で作られた鉄製品が、長崎・壱岐などを通じて列島にもたらされると、暮らしは劇的に変化した。鳥取の弥生遺跡からは、鉄の工具によってモノづくりが発展した様子が分かる。また、鉄を求めて列島各地の交易が盛んとなり、朝鮮半島との結びつきも深まっていった。古墳時代になると、鉄は権威の象徴となり、ヤマト王権の勢力拡大に力を発揮する。新時代を切り拓いた鉄の歴史をたどる。

出演者

【キャスター】渡邊佐和子


『歴史秘話ヒストリア「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

歴史秘話ヒストリア「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた
  1. 日本
  2. 弥生時代
  3. 工具
  4. 集落
  5. 朝鮮半島
  6. 遺跡
  7. 弥生人
  8. 出土
  9. 鳥取
  10. 管玉
  11. 道具
  12. 発見
  13. 加工
  14. 交易
  15. 当時
  16. 技術
  17. 古墳
  18. 鉄器
  19. 建物
  20. 村上


『歴史秘話ヒストリア「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK 関連商品

躍進の背景にあったのは
作り手たちのしたたかな戦略。

スイーツの裏にある
ビターな物語を味わいます。

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

ここは 長崎県壱岐市にある
弥生時代の集落を復元した公園です。

突然ですが 皆さん。

弥生時代の人々は
どんな暮らしをしていたと思いますか?

ちょっと
タイムスリップしてみましょう。

まず 住まいはこちら。

教科書でも よく見るタイプの
住まいですよね。

そして 着ていたのは
麻などで織られた…

更に使われていた土器は…

凝った装飾が少なく
シンプルなデザインが特徴です。

稲作が広まったのも
弥生時代でした。

ところが今 そんな弥生時代の
イメージを覆す新発見が

相次いでいるんです。

カギとなるのは こちら。

鉄が 日本に伝わってきたのも弥生時代。

これが
伝わってきたことで

暮らしや社会が 劇的に
変わっていったのです。

♬~

今 全国各地で進む発掘調査。

さまざまな出土品が物語るのは

鉄が進化させた
弥生時代の暮らしです。

重たいやろ。
めっちゃくちゃ重い。

特に 暮らしを大きく変えたのが
おのや のみなどの…

鉄を使えば
木の伐採や加工も なんのその。

なんと 10mを超える巨大な建物が
次々と造られるようになります。

こちらも 鉄の工具。

まるで 耳かきのような
この小さな工具によって

生み出されたのは…。

華麗な…

弥生時代の素朴なイメージから
かけ離れた 緻密な細工は

まさに ものづくり日本の原点。

これも 鉄の登場によって

可能になりました。

「もっと 鉄が欲しい」。

人々は 大海原に こぎ出します。

向かった先は 朝鮮半島でした。

韓国の ある集落では

数百点の弥生土器が
見つかっています。

鉄の交易で結び付いた人々。

今に続く…

その後 鉄は 権威の象徴へと

役割を変えていきます。

有力者たちは 多くの鉄を集め

その鉄を配ることで

勢力を拡大していきました。

私たちにとって
欠かすことのできない金属 鉄。

知られざる 「始まりの物語」です。

♬~

「鉄」といえば 硬くて頑丈。

用途に応じて 自在に姿を変えられる

まさに 万能の金属。

その特性を生かし 人は鉄を
建物や乗り物 生活の道具など

あらゆるものに使ってきました。

2020年を迎えた今も
鉄に支えられている私たち。

実は 考古学上では
現在も 「鉄器時代」が続いているそうです。

その始まりが 弥生時代でした。

朝鮮半島と九州の間に
浮かぶ島

長崎県 壱岐。

弥生時代
この島には いくつもの集落があり

にぎわっていたといいます。

その原動力となったのが
鉄だったと分かってきました。

島の北東部 標高80mほどの
小高い丘にある…

はい あとは もっと こっち側
きれいに 形を出しましょう。

弥生時代の暮らしを明らかにするため
毎年 発掘調査が行われています。

この日は 集落を囲むように
掘られた溝の中から

あるものが見つかりました。

この 黒くなってるところ

まあ 鉄を作るとなると
かなり高温になりますので

熱を この石が受けて
色が変色したものと思われます。

この遺跡では 砥石の他にも

鉄を加工するための鍛冶炉が
6つも見つかっています。

(鉄を打つ音)

鉄の板などに 熱を加えながら

石でたたいたり 削ったりして

簡単な加工が行われたと
考えられています。

鍛冶炉の周辺からは

鉄の破片や 加工された製品が
多数 見つかっています。

しかし こうした鉄は全て

朝鮮半島や中国で生産されたもの。

当時 日本にはまだ
材料である鉄鉱石から

鉄を作る技術は
ありませんでした。

そうした中 壱岐には

朝鮮半島や中国の鉄が
入るようになっていました。

いわば 日本への 鉄の玄関口としての
役割を担っていたのです。

…というふうに考えられます。

弥生人は なぜ
こぞって 鉄を求めたのでしょうか?

これも丸いじゃん ちょっと。

あんま とがらせると
すぐ パキパキいっちゃって。

30年以上にわたり
人類と鉄の歴史を研究する…

この日は 鉄の持つ力を確かめる
実験をしました。

用意したのは 鉄のおのと
鉄が入る前から使われていた 石のおの。

木の表面を削るのに
どれほどの差が出るのか 比べます。

まずは 石のおのから。

≪早っ。
≪もう既にか。

≪21です。
(笑い声)

石のおのは このとおり

先が欠けて
使えなくなってしまいました。

続いては 鉄のおのです。

木の繊維を鋭く断ち切る 鉄のおの。

一度に削れる量も多く
みるみる 作業が進みます。

鉄は 刃が折れることなく

木の表面を
きれいに削ることができました。

それまで 石の道具に頼っていた
弥生人の暮らしは

圧倒的な威力を持つ鉄によって
様変わりしていきます。

その変化が詳しく分かる
遺跡が

日本海に面した
鳥取市にあります。

弥生集落の跡が出土した…

その広さは
なんと 東京ドーム7つ分です。

この遺跡は 「地下の弥生博物館」と
呼ばれています。

適度に水分を含んだ土が
真空パックのような役目を果たすため

当時のものが腐りにくく
大量に発見されているからです。

20年以上にわたる発掘調査で
出土したものは 数十万点。

通常 さびて
なくなってしまうことが多い鉄製品も

400点以上 見つかりました。

この発見から 弥生人が
鉄を どのように使っていたのかが

明らかになりました。

これまで 鉄は

主に 農具や武器に
使われていたと

考えられてきました。

しかし 遺跡から出てきた
鉄器の8割以上が

ものづくりに使われた
工具だったのです。

おのや のみなど

木の伐採や加工に使われる道具が
鉄に代わると

人々の生活に
大きな変化が現れます。

これは 弥生時代の遺跡から出土した
建物の柱。

長さ7.2mもあり

当時のものとしては最長です。

細い柱ですが 工夫の跡がありました。

鉄の工具で 「貫孔」と呼ばれる

四角い穴が
開けられていたのです。

別の木を通し
補強することができました。

こうした技術によって 細い木でも

大型で 頑丈な建物が
造られるようになったといいます。

この柱で建てられたのは…

高さは
なんと10m以上。

4階建ての建物に
相当します。

舟の製作にも
鉄が使われました。

出土した舟の一部から推定される

丸木舟の長さは 8m。

木を くりぬくのに

鉄の工具が
力を発揮したと考えられています。

更に 15m以上ある大型船も登場。

波よけの板が取り付けられ

より安全に 長距離の航海が
できるようになりました。

♬~

日本列島に稲作が広がり
人口が増えていくと

鉄の工具が
住居や倉庫を建てるために大活躍。

船を使った漁や交易も盛んになり

人々の生活を
豊かなものに変えていったのです。

「地下の弥生博物館」と呼ばれる
鳥取の遺跡には

他にはない
珍しい工具も見つかっています。

調査したのは 愛媛大学の研究チーム。

初めて見る 工具の形が
研究者たちを驚かせました。

(村上)ここに柄があって

この刃先のところだけ
ちょっと細くなってますけれども

これなんて…

長さ12cm。

棒の先が 耳かきのように曲がった
鉄の工具は

何に使うものだったんでしょう。

この謎を解くカギになったのが

同じ遺跡から見つかった
1, 000点もの木製容器です。

巧みに木を削り出した 華麗な装飾。

卓越した技術で
複雑な形を 見事に生み出しています。

なかでも ひときわ目を引くのが

「花弁高杯」と名付けられたもの。

その名のとおり
皿の裏に 6枚の花びらのような模様。

繊細な曲線。

現代の工芸品にも 見間違えそうです。

♬~

この線…。
(田中)実物を…

すごい忠実に…。
この線が すごいなあ。

村上さんたちは
「花弁高杯」を見て…

…と推測しました。

そこで用意したのが…。

(村上)これはですね…

耳かき状工具の複製を作り

「花弁高杯」の細工と
照らし合わせてみたのです。

(田中)花弁の模様などを
こう 浮き彫りにするのには

こう やっぱり 耳かき状の工具なんかが
非常に適してると思います。

緻密な加工は 鉄の工具によって
作り出されていました。

遺跡からは 他にも

用途に合わせた多彩な工具が
数多く見つかっています。

この集落には
「ものづくりの職人集団」がいたと

考えられています。

よりよいものを作りたいという
彼らの情熱によって

鉄は 芸術品を生み出す道具としても
進化していったのです。

あ~ ありました。
おっきい船ですね。

あの 弥生時代の船で
約10mほどあると思いますけれども。

日本の船では このスタイルが

ずっと何百年も
続いていくわけですね。

ですから 船の祖型と言ってもいいか
分かりません。

もとになったような。
はい。

船の表面に こう 一つ一つ
削られた跡があるんですけれども

これも 工具が使われてたっていう。
そうです。

須藤さん この立派な船

何のために使われていたと
考えられてますか?

弥生時代は 壱岐を中心にして…

(須藤)中国大陸とか 朝鮮半島の品々が
発見されてます。

例えば 中国の鏡とかですね 貨幣とか
ガラス玉 等々。

かの地との交流が もう
ものによって証明できる。

さあ 続いては

鉄を求めて 大航海に乗り出した
日本人の秘話に迫ります。

中国の歴史書…

ここに 朝鮮半島の鉄についての
記述があります。

朝鮮半島にある国が
鉄を生産し

倭 つまり
日本の人々が

鉄を
手に入れるため

訪れていた
というのです。

朝鮮半島や 中国から
鉄が伝わった日本は

その すばらしさに
魅せられました。

鉄の需要が高まる中で

弥生の人々は 鉄を求めて
日本列島を飛び出していったのです。

韓国南部にある ヌクト。

ここは かつて
交易の拠点として栄えました。

発掘調査からは 日本の弥生時代と
同じ時期の集落が出土しました。

その中で 海を渡った弥生人の
痕跡が見つかったのです。

遺跡の調査を行った
考古学者のキム・ムジュンさんに

案内して頂くと…。

あちこちに
土器のかけらが残されています。

その中に ある特徴を持つ
土器を発見しました。

ヌクトでは 数百点の弥生土器が出土。

弥生人は
確かに この島を訪れていました。

更に 驚きの事実も明らかに!

弥生人が 儀式や祭祀に
用いたとされる つぼです。

短期間の滞在なら必要ない
こうした道具の発見から

鉄を取りに来た 弥生人が

この地に住み着いたことが
分かったのです。

その中には 弥生人と
朝鮮半島の人々の間をつなぐ

仲介役がいたと考える研究者もいます。

弥生人が
交易で手に入れた鉄は

主に 朝鮮半島の東南部で
作られていました。

そこには 鉄の生産を行う集落があったと
考えられています。

この 巨大な送風管は 鉄器を作る時

炉の中へ風を送るために
使われました。

ここで 大量生産された鉄器が

各地に流通していきました。

その中の一つが 長さ30cmもある…

弥生人には 作ることができなかった

質の高い 強靱な鉄です。

考古学者の村上さんが
調べたところ

同じ材質の 鉄のおのが

日本各地で発見されていることが
分かりました。

しかし 日本で見つかる 鉄のおのは

朝鮮半島のものに比べて

小さいものばかり。

一体 なぜなんでしょう?

(村上)もともとは
こういう感じで ついてるんですね。

で 木を伐採するわけです これで。

ところが 短くなってくると

今度は なかなか 木を切るのに
刃が 中に及びませんから

そうすると…

それほど貴重だった鉄を 弥生人は

どうやって 手に入れたのでしょうか。

物々交換で取り引きをしていた
この時代。

日本から持っていったものとは?

最近 有力だと言われているのが こちら。

鉄が 工具だけでなく
農具にも使われるようになると

開墾が進み
日本の生産力は高まりました。

交易が盛んだった 北部九州では

輸出用に コメを増産したと見られる
集落も見つかりました。

(北條)…ということが分かってまして。

一方 朝鮮半島側から見ても
日本のコメは 貴重だったようです。

当時 日本や朝鮮半島を含む東アジアは
寒冷化に襲われました。

しかし 朝鮮半島に比べて
温暖な日本は

その影響が少なかったと
考えられています。

日本で 豊富にとれるコメは

鉄を得る
重要な交換物資だったのでしょう。

鉄とコメ 互いに足りないものを
補い合って 深まっていった関係。

今も続く 日韓交流の第一歩は

鉄の交易によって
生まれたのかもしれません。

海を渡り 日本にやって来た鉄。

このあと 各地の集落に
広まります。

どのようなやり取りが
行われていたんでしょうか。

その手がかりが

数多くの鉄器が出土した
鳥取・青谷上寺地遺跡にありました。

実は 私 渡邊は
3年前に この発掘現場を訪れていました。

そこで 偶然 発見したものが
鉄のやり取りに関係していたんです。

ちょっと色が変わって…

緑色ですね。

見つけたのは 「管玉」と呼ばれる
石の加工品。

細長い円筒形で
中央に 穴が開いています。

弥生時代 この穴に ひもを通し
アクセサリーとして 身につけました。

鳥取の遺跡からは 管玉の材料を切ったり
研いだりする道具も出土。

ここは 一大生産地だったのです。

実は こうした管玉。

鳥取から 400km以上離れた
北部九州でも見つかっています。

当時 有力者の墓に
副葬品として納められた こちらの管玉。

分析の結果 鳥取で作られたものだと
分かりました。

(北浦)あったんじゃないかな
というふうに考えています。

鉄と交換されていた 管玉。

ところが 材料となる原石は
鳥取では採れません。

一体 どこから入手したのでしょうか。

実は そこにも 新しい
ネットワークが生まれていました。

鳥取から東へ およそ200km。

石川県 小松市です。

ふだんは 撮影が許されていない
特別な場所へと案内してもらいました。

あっ ありました。 碧玉です。

これも そうですね。

管玉の材料として使われた石…

弥生人を魅了したであろう
鮮やかな緑色。

岩盤から剥がれ落ちた原石を
拾い集めて使ったと考えられます。

この成分を分析したところ

鳥取で出土した管玉と
一致しました。

管玉の原石は
小松から調達されていたのです。

交易でつながった 鳥取と小松。

そこで取り引きされたのも 鉄でした。

こちらは 小松市の遺跡から
発見された 「鉄の工具」。

柄の先端に 鉄の刃が付いた
木を削る道具です。

他にも 鉄の工具で加工した跡が残る
板が出土。

ここ 小松で
多くの鉄が利用されていたことが

分かってきました。

貴重な鉄を得るために
日本各地で 特産品が流通しました。

鳥取の「管玉」の他

瀬戸内は「塩」
新潟は「ヒスイ」。

そして
あの「花弁高杯」も

鳥取の特産品として
使われたと

考えられています。

鉄の取り引きを通じて

集落と集落が結び付き

日本列島に広がっていった
ネットワーク。

人とものが行き交う

新しい弥生の社会が
生まれました。

な~んていう会話が
繰り広げられていたんでしょうか。

こちらは 弥生時代の集落を
人形で再現した展示です。

よ~く見てみると 生き生きとした
当時の暮らしぶりが想像できますよねえ。

そんな中 こちら ご覧下さい。

勇ましい姿をした人もいます。

武器を持って 村を守っているんです。

鉄がもたらされたことで
弥生の集落は 豊かになりました。

しかし そうした集落を狙う
勢力も現れ

各地で 激しい争いを
引き起こしていったと

言われています。

そして 弥生時代から
古墳時代に移る中で

鉄は 新たな役割を担うようになります。

平成から令和へ。

新たな時代を迎えた日本。

天皇の即位に伴う儀式で
用いられたのが

大切に 箱に収められた…

「世界の平和を 常に願い…」。

この三種の神器は

鉄が 新たな役割を

担うようになったことを
示す

手がかりだと
分かってきました。

大阪府 八尾市の遺跡で

古墳時代初めの鉄器が
見つかりました。

長さは およそ60cm。

鉄が ぜいたくに使われています。

柄の部分は 鹿の角で作られた
豪華な鉄剣でした。

鉄剣と一緒に見つかったものにも
注目が集まりました。

鏡と勾玉。

鉄剣と合わせて まさに
あの「三種の神器」と同じでした。

これらが出土したのは
4世紀後半の地層。

近畿地方では 古墳がつくられるように
なった時代です。

こうした古墳を つくったとされるのが…

複数の有力者がまとまり

日本の広大な地域に
勢力を拡大していました。

このころ
鉄の役割は大きく変わります。

工具や農具とは別に

祭祀の道具や 墓の副葬品に

用いられるようになったのです。

鉄剣も まさに
権威の象徴となりました。

去年 世界文化遺産に登録された…

ヤマト王権の強大な力を示すという
この古墳には

大量の鉄が 納められていました。

こちらです。

古墳の中を再現した展示です。

埋葬されていたのは
2, 000点を超える鉄器。

その多くが 矢じりや刀などの武器。

大量の鉄を使い
自らの力の大きさを誇示していました。

別の古墳には 鉄の甲冑が
11も埋められていました。

朝鮮半島の鉄を使い
薄い鉄板を 鋲でつなぎ合わせる

当時の最先端の技術が
取り入れられています。

こうした 鉄の武器や武具は

ヤマト王権の中心地から
遠く離れた場所でも

見つかっています。

鉄板を 鋲で留めた甲冑は

ヤマト王権から この地を治めた有力者に
配られたものだと考えられます。

同じような鉄の甲冑が
埋葬された古墳は 全国に500以上。

ヤマト王権は 鉄を支配するだけでなく

分配することで

地方の有力者を取り込み
勢力を拡大。

鉄は 日本の統治者にとって

力の源泉になったのです。

岡山県 新見市で
鉄に関する実験が行われました。

(一同)押して引いて 押して引いて…。

古墳時代の後期

日本で ようやく
鉄が作られるようになりました。

それが 後に
「たたら製鉄」と呼ばれる技術です。

愛媛大学などの学生 20人が
地元の人たちの力を借り

この 日本古来の鉄作りに
挑戦しました。

はい。

原料は 砂鉄。

質の良い砂鉄が 豊富に採れる
日本の強みを生かした

独自の技術です。

砂鉄を入れて 6時間。

まず 真っ赤な不純物が
出てきました。

炉の中で 鉄が出来ている証しです。

(2人)押して 引いて。

火を絶やさぬよう
作業は 夜通し続きました。

翌日。

いよいよ 鉄を取り出します。

♬~

丸2日をかけた この実験。

「鋼」と呼ばれる頑丈な鉄を
作り上げることができました。

1, 000年以上にわたって続いた
「たたら製鉄」の時代。

明治になると 製鉄所がつくられ

日本の鉄鋼業は
急速に発展していきました。

戦後復興のシンボル 東京タワー。

夢の超特急 新幹線。

そして 高速道路や高層ビルなど

鉄は 日本の風景を変えていきました。

弥生時代から 現在まで

私たちの暮らしや社会を支えてきた 鉄。

ここからまた 鉄と共に生きる
私たちの歴史が続いていきます。

♬~


関連記事