偉人たちの健康診断「平清盛 体から黒煙?怪死の真相」栄華を誇った平清盛を突然襲った謎の死。体から黒煙が上がる…


出典:『偉人たちの健康診断「平清盛 体から黒煙?怪死の真相」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「平清盛 体から黒煙?怪死の真相」[字]


栄華を誇った平清盛を突然襲った謎の死。体から黒煙が上がるほどの高熱で亡くなったというその病の正体は、海外からもたらされた当時の「新型」感染症だった可能性が…。


詳細情報

番組内容

「おごれる平家」の暴君のイメージから、近年、再評価が進む平清盛。武士の時代の先頭に立った清盛が目指したのは「栄華」だけではなく「清潔」な環境だった!?都で疫病が大流行する中、清盛が追い求めた「清潔ライフ」を最新の発掘調査などをもとに探る。さらに、体から黒煙が上がるほどの高熱で亡くなったという清盛の謎の死。その原因は海外からコンテナ船でもたらされた当時の「新型」感染症だった可能性が…。

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,石野真子,【解説】本郷和人,植田美津恵,【司会】渡邊あゆみ


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  11. 熱帯熱マラリア
  12. 武士
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  14. 寄生虫
  15. 京都
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  17. 福原
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時は 平安。

雅な貴族の世で 華々しい出世を果たし
権力を握った もののふがいました。

平家の棟梁…

「平家にあらずんば
人にあらず」と

言われるほどの
栄華を極めた清盛。

しかし その権力の絶頂期に

清盛は 謎の病に
襲われます。

清盛を死に追いやった その病の
驚くべき症状が記録に残されています。

「あまりの高熱で…」。

この謎の病の正体を 現代医学の観点から
検証すると 浮かび上がってきたのは…。

海外から もたらされた未知の病
当時の「新型感染症」の可能性です。

更に 清盛が実践した
さまざまな感染症から身を守る対策。

その実態にも迫ります。

♬~

健康のヒントは 歴史にあり!

♬~

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

今日ご一緒して頂くのは こちらの皆様方。
どうぞよろしくお願いいたします。

(一同)よろしくお願いいたします。

さて 本日は 平清盛の健康診断
ということなんですけれどもね

どんなイメージを
持ってらっしゃいます?

「驕る平家 久しからず」とかいうね。

何か 傲慢だったのかなっていうね
何か そういう感じが。

そうですね あまり
いいふうには言われないので

栄華を極めた人なのに
どうしてかなっていう。

正直言って よく分からないですよね。
何か 物語っていう感じで

本当に こいつ いたのかな? って
感じですよね。

教科書にも出てくるから
名前は とにかく有名。

(関根)まあ 有名ですね。

でも 実像は
よく分からないのではないかと。

そうなんですよね。
ええ。

本日はですね
このようなものを用意してみました。

こちら。

「平家物語絵巻」といって
清盛の生涯を描いているものですね。

どこにいるかというと…。

この おじいちゃんですか?
そうなんです。

(竹山)え~ イメージ違う。
本郷先生 これは どういう場面?

パッて見て頂いて 注目して頂きたいのは
畳が敷き詰めになってるんですよ。

当時は板の間が基本で 座るところだけ
ちっちゃく正方形に畳とか。

(関根)あ そうだったんですか。
これは相当 金持ちっていう意味なんです。

そこがね。
(関根)へ~。

周りにいる女性たち
豪華絢爛の服を着てますよね。

(関根)すごいですよね。

(本郷)これは まさに清盛が
非常に栄華を極めているよっていう

「我身栄華の巻」っていうとこなんですね。

「平家にあらずんば 人にあらず」っていう
言葉を

みんな 何かで聞いたことありますよね。
すごい言葉ですよね。

そのぐらい権力を全部掌握したってこと?
そういうことですね。

でも そういうふうになれる
何というか システムっていうか。

どうして それが うまくいったのか
ということについては

平家は 何しろ 最後は壇ノ浦で
ドボンドボンと みんな滅びてしまいました。

それで 謎が 非常に今もって多い
ということになります。

早速 清盛の健康診断を
始めてまいりましょう。

平安末期 応保元年。

京の都は
大混乱に陥っていました。

高熱に うなされ
道端に次々と倒れる人々…。

「疱瘡」。
天然痘の大流行です。

その被害は
あまりに深刻で

元号を変えるまでの
事態に。

そんな悲惨な状況の
最前線にいたのが

武家出身の平清盛でした。

そのころ 政治の実権を握っていたのは
貴族たち。

武士は 貴族のボディーガードに
すぎませんでした。

そんな武士たちに課せられていた
任務の一つが 死体の処理。

当時 都の治安維持を担う

検非違使別当に
任命されていた清盛は

まさに そうした「汚れ仕事」を請け負う
武士たちを束ねる立場だったのです。

天然痘は 天然痘ウイルスを
病原体とする感染症で

死亡率が 20~50%と
極めて高い危険な病気。

飛沫感染や
発症者に 直接 触れることで感染し

患者の脱ぎ捨てた衣類や
倒れていた場所も 感染源になるなど

感染力が非常に強いのが特徴です。

日々 死体の処理に明け暮れた
武士たちもまた

次々と 病に倒れていきました。

まるで捨て駒のように 危険な仕事に
身を投じざるをえない武士たち。

貴族との間には その命の重さにも
歴然とした格差があったのです。

このころの平安京では こうした
天然痘の大流行が 度々起きていました。

更には 赤痢や

「あかもがさ」と呼ばれた
はしかなど

さまざまな疫病も蔓延。

なぜ そんなにも頻繁に
疫病が流行したのか?

そのヒントとなるものが この黒い粒?

なんと これ 平安時代の
貴族の屋敷跡から出土した 昆虫の化石。

これらの化石には
ある 興味深い特徴があるといいます。

下水道などのインフラがなかった
この時代

人々は 道端で排せつを行うのが
当たり前でした。

華やかな都というイメージの 平安京。

しかし それは
貴族が暮らす宮中の世界の話。

一歩 外に出ると
コガネムシのエサとなる排せつ物が

そこらじゅうに転がるような
不衛生な環境でした。

こうしたことが 疫病の原因となり
武士や庶民たちを苦しめていたのです。

更に 貴族と武士との格差は
家を建てる土地にも及んでいたことが

発掘調査から 明らかになっています。

平家の武家屋敷跡が
見つかったのは

都の中心地から離れ
鴨川を越えた

六波羅周辺です。

貴族に比べ 身分の低い武士出身の
清盛たち平家一門は

疫病の感染リスクが高い
都でも 特に不衛生な場所にしか

住むことができなかったのです。

(清盛)いつか 俺も権力を手にし

疫病と隣り合わせの こんな生活から
抜け出してみせる!

現代とは違い
ワクチンなどがなかった この時代

ひとたび 天然痘などの疫病にかかると
有効な治療法はありませんでした。

病気の原因は
怨霊や もののけだと考えられ

神仏に祈る加持祈祷しか
頼るべきすべは なかったのです。

このような状況では

疫病から 身を守るためにできることは
限られているといいます。

アメリカ・カリフォルニア大学の
研究によると

睡眠時間が 5時間未満の場合に比べ

7時間以上 睡眠をとった場合では

感染症のリスクが
およそ半分になることが分かっています。

十分な睡眠をとることで
免疫力が上がり

ウイルスの撃退に
つながるのです。

清盛が いかに睡眠を大切に考えていたか
こんなエピソードが残されています。

ある朝 早く目覚めた清盛。

ふと見ると 護衛役の部下が
うつらうつらと居眠りをしています。

護衛役にもかかわらず 寝こけて
清盛が起きたことに気付かないなど

打ち首にされても おかしくないような
大失態!

ところが 清盛は…。

「居眠りしてしまうほど
疲れているのだろう」。

部下の睡眠にも気を配る 清盛は

疫病対策における 睡眠の重要性に
気付いていたのかもしれません。

更に 当時の史料からは

清盛が 日々の生活の中で
現代にも通じるような

疫病対策を行っていた可能性が
読み取れるといいます。

こちら 貴族の日記に残された
清盛の自宅の見取り図です。

建物内部の構造や 調度品の位置などが
詳細に描かれています。

実は ここに 清盛の健康に
深く関わるものが描かれているのです。

それが この建物の真ん中にあるもの。

「泉」です。

建物の中に泉とは 一体
どういうことなんでしょう?

当時の貴族の家にも 庭に池があることは
珍しくありませんでした。

しかし 清盛の家は 庭ではなく

建物の床下に 泉があったというのです。

ということは
泉の水の上に浮かんでいる家?

そんな建物 あるんでしょうか?

あるんです!

こちら。
世界遺産 安芸の厳島神社。

海に浮かぶように建てられた 社殿。

一説には 清盛が
もともと陸地にあった神社の

周辺の土地を掘り下げ 水を引き込み

現在のような形に改築したとも
いわれているんです。

そんな清盛であれば 自宅も同じように

泉の上に浮かぶように建てても
おかしくはありません。

そして まさに この泉の水が

不衛生な環境から
清盛を守っていたと考えられるのです。

水が よどんだ ため池などと違い

床下の泉から
絶えず湧き出る清潔な水が

疫病の原因となる汚水を
流し去っていたというのです。

そして この泉に囲まれた住宅環境は

天然痘のみならず さらなる疫病にも
効果を発揮したと考えられます。

それは 「しはぶき」。

現在で言う
インフルエンザです。

平安京で この
インフルエンザにより

多くの死者が出たという
記録も残されています。

このインフルエンザが はやる
大きな原因が 乾燥です。

インフルエンザウイルスは
水分を含んでおり

この水分が 乾燥した空気にさらされ
蒸発すると ウイルスは軽くなり

私たちの身の回りを 浮遊し始めます。

また インフルエンザウイルスは

湿度が50%以上になると激減するという
研究結果もあります。

このようなことから 空気が乾燥する
冬場に インフルエンザが はやるのです。

泉に囲まれた清盛の家なら
当然 湿度が高かったと考えられます。

実際に水に囲まれた環境が
どれほど 湿度に影響を与えるのか

測定してみました。

清盛が 安芸の厳島神社の神様を
この地に呼び 奉った神社です。

水辺から離れた場所の
この日の湿度は 41.6%。

一方 清盛邸と同じように
水に囲まれた場所で測定してみると…

49.3%。

インフルエンザが激減する目安
50%に近い湿度です。

周囲に水のある環境では
実に およそ8%も湿度が上がるのです。

清盛邸も 泉の水の加湿効果で

インフルエンザ予防に
大きな効果を発揮したことでしょう。

更に 清盛の家には
単に湿度を上げるだけではなく

その湿度を保つ機能までありました。

それが
見取り図に ずらりと並ぶ黒い点。

「柱」です。

そういうメリットも持ってる。

見取り図をもとに再現した 清盛邸です。

清盛は 無数の柱を使い

ふすまで狭く仕切った
いくつもの小部屋で生活していました。

これが 湿度を保つうえで
重要な役割を果たすといいます。

それは 他の貴族たちの家と比較すると
よく分かります。

当時 貴族など 権力者が暮らしたのは
寝殿造りの建物。

広い部屋を使い 儀式などを行うことを
主眼に建てられていたため

ふだんは その広い部屋を
すだれや屏風などで仕切り

生活していました。

こうした造りでは
室内の湿度が上がりにくいだけでなく

外から 乾燥した空気が吹き込んで
部屋全体が乾燥してしまいます。

しかし 部屋を ふすまで狭く仕切った
清盛邸なら

乾燥した空気も入り込みにくく
湿度を保つことができたでしょう。

加湿器完備 更に その湿度を逃さない
構造まで取り入れた清盛邸は

インフルエンザも寄せつけない

まさに 健康マイホームだったのです。

これも それもですね…

いつ疫病にかかっても おかしくない
過酷な環境に追いやられながらも

泉殿に暮らし
生き延びることができた清盛。

この環境から抜け出すためには

歴然とした貴族との身分の差を
埋めなければならない。

富も家柄もない武士が 貴族の世で
のし上がるには どうすればいいのか…。

清盛がとった方法は…

娘たちを有力な貴族のもとに次々と嫁がせ
宮中での地盤を着々と固めていくのです。

こうして 武士でありながら

異例とも言える出世の階段を
駆け上がっていった清盛。

その裏には 健康な生活を追い求める

清盛の切実な思いが
あったのかもしれません。

はあ~ 科学者でもあったわけですね。
合理的に。 その家の造りですよね。

でもね どこまで まあ清盛が それを
知ってたかは 分かんないですけどね。

当時の都を考えると
ちょっと驚きません?     そうですね。

やっぱり ちょっと想像を絶するもんが
多分 あったんじゃないですかね。

臭いとかもそうだし ねえ やっぱ
菌とか そういうのもそうでしょうけど。

しかも 盆地じゃないですか。
(関根)はい。

ですから あの何ていうのかな
そういう まあ 汚いものが蓄積したら

どっか行かないんですよね。
どんどん たまってっちゃう。

清盛さんがですね
どうも お住まいを見ていると

いろいろなことから感染症の代表例として
考えられる インフルエンザ

それに強い生活をしていたのではないか。

で 清盛さんに学ぼうというわけですね
インフルエンザ対策。

平清盛流 インフルエンザ対策。

まずは こちら。 「湿度を保つ」。

床下から湧き出る泉で 湿度を保った
清盛の泉殿。

ポイントは 常に新鮮な水が
湧き出ていることにあるんだそうです。

泉殿っていうのは あれは
絶えず湧いていたから いいのであって

水も よどんじゃうと かえって いろんな
微生物やボウフラが わいちゃうから

絶えず こうやって湧いていたというのが
ポイントだと思うんですね。

何か やってらっしゃいます?
お肌のためにも大事ですよね。

リビングも寝室も 加湿はしてます。
楽です やっぱり 息を。

鼻の中が痛くなったりするんですよ
冬は 乾燥して。

僕も加湿器ですよね。 冬は ず~っと
つけっぱなしにしてますけどね。

加湿器もいいんですけれども

注意しないと
加湿器の水を そのままにしておいたり

フィルターを洗わなかったり あと
超音波式の加湿器は 加熱しないので

そのまま いろんな菌が死なないままに
空気に飛散する おそれがありますから

メンテナンスだけは ちゃんとやらないと。

メンテナンスをよくやるということ。

続いては こちら。

「よく食べて よく眠り よく笑う」。

寝ることはもちろん…

僕の場合は その よく笑うっていうのは
職業柄 バラエティーとか多いので

面白い人 多いんですよ 会うと。
(笑い)

それと今 孫が4歳で
すごい面白いんですよ 孫といると。

笑えますね それはね。
ええ 笑います。

植田先生 やっぱり こういう
「よく食べ よく眠り よく笑う」。

そうですね。 笑うと
ナチュラルキラー細胞といって

がんを克服するって
よく言われますけれども

インフルエンザにも
やっぱり大事なので

笑うということは
すごく いいことだと思います。    へ~。

笑うについては
すごく有名なエピソードがあって

清盛の心の温かさを表現する
エピソードでもあるんですけど

清盛って 部下が
面白いこと 言うじゃないですか。

ところが それが すべっていても
必ず笑ってあげた。

(関根)偉いなぁ!
(石野)いい方。

関根さん 清盛
いいMCになりますよね。
なるねえ。

必ず… そういう人みたいですね。
優しいんだ。

それに やっぱり あの平家一門…。

源氏って もう ともかく
一族で殺し合い やるんですよ。

だけど平家は それ ないんです。
みんな 仲良しなんですよ。

だから そういう意味でいうと
笑いは絶えなかったのかもね。

そして
「家族が感染したら別々の部屋で生活」。

せきや くしゃみなどで飛んだ…

その飛距離は 1m以上と言われ

患者と一定の距離を保つことが
重要なんだそうです。

そうですね インフルエンザって やっぱり
聞いちゃうと もう離れていきます。

ご本人を隔離しようという感じでね。

妻が インフルエンザになった時も
初めのうちは看病しなきゃいけないんで。

一回 ちょっと いろんな防護するものを
ちょっと持ってたもので

一回 大げさに もう全部 はめて
寝室に入ろうとしたら

さすがに ちょっと妻が
ちょっと嫌な感じになってましたね。

やりすぎもね。
(竹山)やりすぎもね。

本郷先生 さっきの あの家は
小間が いっぱいありましたもんね。

そうですね。 昔の建物というのは
柱がないと 屋根を支えられないんです。

それで うまく まあ その力学っていうか
そういうものを考えた結果として

柱を抜いても
屋根が きちんと のるような形で

建物は発展してってるんです。

だから 広い部屋があるというのは
言ってみれば

これは 優れた建物なんですよ
というのの 象徴なんです。

ところが 清盛は
あえて また柱を立てたんですね。

で 一部屋一部屋 狭くして
個室をつくったわけですね。

だから まあ 何だろうね
平家一門は 仲はいいんだけど

プライベート プライバシーは
大事にしてたのかもしれませんね。

最高の一族ですよね。
そうですね。

だから 病気になったら
「はい 部屋の中へ入ってて」って言えば

それは うつらないですね。
ねえ。

本当に はい 清盛に ちょっと学んで
心掛けましょう。

さあ 清盛の人生の大きな転機となったと
思われる ある病に注目してみました。

身分の低い武士出身ながら
貴族と血縁関係を結ぶことで

権力の基盤を築いていった 清盛。

そして 清盛51歳の時
決定的な出来事が。

清盛の妻 時子の妹 滋子と

後白河上皇との間に
生まれた子が

高倉天皇として即位。

清盛は 天皇の伯父と
なったのです。

清盛は 次々と平家一門を
政治の要職に就け 権力を掌握。

「平家にあらずんば
人にあらず」と言われるほど

清盛率いる
「平家の世」となったのです。

ところが…。

この権力の絶頂期にあった まさに その時
清盛に 思わぬ悲劇が襲いかかります。

「清盛は 危篤に陥った」。

突然 病に倒れ 食事も喉を通らず
生死をさまよう事態に…。

一体 清盛の身に
何が起きたのでしょうか?

貴族の屋敷跡から発掘された 当時の
華やかな暮らしを伝える遺物に混じり

清盛の病の原因と見られるものが
見つかっています。

それは
寄生虫の卵。

不衛生な当時の京では こうした
寄生虫に感染する危険性が高く

長さ12mを超す寄生虫が
発見されたという

記録も残されています。

清盛の病の原因は 「寸白」

現代で言う 寄生虫だったのです。

実は この時 清盛は
この寄生虫の治療に際し

加持祈祷などの旧来の治療法だけでなく

最先端の医療を受けていた
可能性があるといいます。

それは 当時の中国
宋から伝わった最新の薬。

宋では 疫病の大流行により
医学が飛躍的に発達。

寄生虫への対処も含め さまざまな
漢方薬の開発が進んでいました。

そのころの日本は 遣唐使廃止以来

300年近く 公式には
中国との貿易を行っておらず

そうした薬は 博多などの商人が
細々と取り引きするだけでした。

そんな中 清盛は 玄関口となった
博多港を整備するなど

宋との取り引きに力を入れ 最新の薬にも
注目していたと考えられるのです。

最先端の宋の薬が 功を奏したのか

発病から1か月後
清盛は 何とか 一命を取り留めます。

しかし 更なる悲劇が
清盛を襲うのです。

「治承3年 嫡男 重盛が
病に倒れた」。

突然の息子の病に際し 清盛がとった
行動が 「平家物語」に記されています。

清盛は そのころ 宋から
来日していた高名な医師に

重盛を診察してもらおうとします。
しかし 重盛は…。

「異国の医師に診てもらうなんて
国の恥だ」。

そう言って
診察を拒否するのです。

重盛の方が…

長年にわたる 中国大陸との断絶。

知識人階級の貴族たちは
プライドに とらわれ

清盛の合理的な思考を
理解しようとしなかったのです。

そして…。

な なんということだ…。
うううう…。

重盛は 治療を受けることなく
帰らぬ人となったのです。

清盛の絶望する思いを
「平家物語」は こう伝えています。

不衛生で 疫病や寄生虫が はびこり

それを合理的に治療することすらできない
京の都。

もう こんなところには いられない…。

そして清盛は 大きな決断をします。

翌年 63歳の清盛は京を捨て
都を移すことを決意するのです。

新たな都の場所は 福原。

現在の神戸にあった
小さな漁村です。

都を移すことによって
古くさい慣習を 一掃し

既得権益を打ち壊そうとした 清盛。

それにしても なぜ 福原のような
辺鄙な漁村を選んだのでしょうか?

今回 健康診断を進める中で
意外な理由が浮かび上がってきました。

清盛が 足しげく
通った寺です。

「平清盛公の御前水の井戸」と申します。

清盛が この水を使い 茶を飲んだと
伝わる井戸です。

その水源地 六甲山を訪ねてみました。

こちらは 締切堰堤といいまして
六甲山の表流水を集めてくるところです。

この六甲山を水源とした水を調べたところ
あることが分かりました。

有機物の含有量が
他の水道水に使われる

代表的な河川に比べて
非常に少ないのです。

水が腐る原因となる微生物が
繁殖しづらいという 六甲の水。

実際に 細菌の様子を
他の河川と比べてみると…。

京都の桂川や
大阪の淀川に比べ

確かに 六甲の水は
細菌が繁殖しづらいということが

よく分かります。

この清潔な六甲の水の秘密は
神戸の地形にあるといいます。

背後に六甲の山々 前面には海が広がる
神戸・福原の地形。

この 傾斜の多い地形を流れる
急流が生んだ 容易に腐らない水。

京都の不衛生な汚水による
疫病に苦しめられてきた 清盛には

この清潔な水は
何よりも 魅力的に思えたことでしょう。

更に この地形は 水だけでなく
土壌をも清潔に保つと 専門家は言います。

これは とっても大きなことでして…

盆地で 汚物などの汚れが堆積した
京都に対し

急な勾配が
汚物を海に流し出した神戸。

腐らない水と 清潔な土壌を兼ね備えた
福原に

清盛は 誰もが病におびえず 暮らせる

いわば 「健康都市」を築こうとしたのです。

新しい都は 疫病に苦しめられ続けてきた
清盛の夢が詰まった理想郷だったのです。

すごいですね 清盛さんね。
ねえ。

やっぱり 先見の明があるというか
すてきですね。

地元兵庫県 この海の方 神戸の辺り。
(石野)ええ。

懐かしいなと思って
今 見てましたけど。

健康都市っていう視点は
僕は 今まで持ったことがなかったので

すごく 何か説得力あるなと思って
見てたんですけどね。

やっぱり 自分が生きるの死ぬのっていう
大病をしたうえに

頼りにしていた長男が
亡くなっちゃったということになると

京都は ちょっと
体に良くないんじゃないかと言って

遷都するというのは分かりますね。

で その福原という地を選んだもとが
お水だったということです。

石野さん やっぱり
六甲山のお水は いかがですか?

おいしかったですよ。

子どもの頃は 本当に
ペットボトルもないですし

ほとんど水道水でね
お水 飲んでましたけれども

灘の酒とか やっぱり お水 おいしいから。

お酒はそうですね 水が良くないとね。
(石野)そうですね。

ということでですね
どのぐらい お水がおいしいのか

ここで 皆様方に
ちょっと飲み比べをして頂こうと。

分かりました。
へえ~!

ということで 用意したのは
神戸・六甲山の水と 京都・伏見の水です。

いずれも 名水として名高い2つに

違いはあるのでしょうか?

(竹山)やわらかい感じ。
(関根)ああ 違いますね。

違いはありますか?
あ~ 全然違う。

あ 何か
石野さんが ちょっと自信ありげ。

Aの方が
ちょっと まろやかな感じはしました。

生まれ育った土地のお水の感じがします?
そうですね はるかな記憶をたどると。

僕 Aが六甲だと思う。

まろやかなんですよ。
そうです まろやかなんです Aの水。

共通する 「まろやか」というのは
じゃあ 当たってるということ…。

これ まろやかですよ A。
まろやかな水。

雑味がないんですよ。 ほんとに
デビュー当時の綾瀬はるかさんみたい。

(笑い)

皆さんが まろやかだと感じた
Aが 神戸・六甲の水。

実は まろやかさには
理由があります。

急流で 有機物が溶け込みづらい
神戸の水は

ミネラルの含有量も少ない 「軟水」。

ミネラルが多く ほのかな苦みを感じる
「中硬水」の 京都・伏見の水に比べ

まろやかだと感じるのです。

清盛も この まろやかな六甲の水が
お好みだったのかもしれませんね。

さて 福原の地に新たな都を築こうとした
清盛ですが

このあと 謎の死を遂げてしまいます。
その真相に迫ります。

300年以上 都のあった京都を捨て
福原に移った清盛。

しかし その強引な行動は
大きな ひずみとなり

貴族たちとの間に 軋轢を呼びます。

平家の勢力増長に
不快感を持つようになっていた

後白河法皇をはじめとする院政勢力が
清盛に反発。

院政勢力についたライバル
源氏との戦いに発展します。

いわゆる 「源平合戦」です。

都は 大混乱に陥り

清盛は 敵対勢力の軍事制圧のため
京都に都を戻さざるをえなくなります。

こうして 近代的な医療の都…

そして その戦いのさなか
清盛64歳の時のこと。

う… うう… 熱い。
体が焼けるように熱い…。

清盛は 突然 高熱を発して
倒れてしまったのです。

その発熱の壮絶な様子が
絵巻に描かれています。

そして清盛は 回復することなく
帰らぬ人となります。

「平家物語」には 「清盛は あつち死で
亡くなった」と書かれています。

これほどまでに壮絶な…

現代医学の目線で 「平家物語」を見直すと
いくつかの手がかりが見つかりました。

「清盛は ひどい高熱により
発病より 僅か5日後に亡くなった」。

また 「同じ頃に側近として
行動を共にしていた 藤原邦綱も発病し

清盛の後を追うように
死亡した」。

こうした記録から考えると 清盛は

ある高熱を伴う感染症にかかった
可能性があると 専門家は言います。

まあ そういうような記録が
残っているわけですから…

熱帯熱マラリアは マラリア原虫という
寄生虫が引き起こす感染症。

40℃にも及ぶ
体の震えを伴う高熱が出ます。

更に…

多臓器不全 脳症
重症貧血などの

合併症により
死に至ることもあります。

蚊を媒介とする感染症であれば

同じ蚊に側近が刺されることで
感染することは 十分考えられます。

また 当時64歳という
清盛の年齢を考えると

発病から 5日程度で
亡くなることも

ありえるといいます。

熱帯熱マラリアの症状は

確かに 清盛の「あつち死」に
合致していると言えそうです。

しかし…

いにしえより 日本に存在した

症状の軽い いわゆる
三日熱マラリアと違い

熱帯熱マラリアを媒介する
コガタハマダラカは 日本には生息しておらず

主に 南アジア インドシナ半島などの
南方の熱帯地域に生息しています。

当時 日本とは
交易のなかった地域です。

清盛が 熱帯熱マラリアで
死亡したとするなら

日本から遠く離れた 南方にいる蚊に
どこかで刺されたのでなければ

つじつまが合わないのです。

この当時
そんなことが ありえるのでしょうか?

しかし近年 その謎を解く鍵となる
可能性があるものが発見されたのです。

京都駅前に 昨年オープンしたホテルの
建設工事中に

地中より 多くの遺物が発掘されました。

精巧な装飾を施された
美しい陶磁器や工芸品。

日宋貿易により
当時のブランド品産出国であった

宋から もたらされた お宝です。

こうした遺物にまじり
ある 特徴的な陶器が発掘されました。

高価な陶磁器と比べてみると

明らかに簡素な作りの粗製陶器。

日宋貿易の際 商品をしまうために使った
ツボなどの実用品で

いわば コンテナのような
役割を果たしていたものです。

実は これこそが 熱帯熱マラリア感染の
謎を解く鍵だと考えられるのです。

清盛の貿易先だった宋は 当時
東南アジアや インド洋一帯の国々とも

「南海貿易」と呼ばれる交易を
行っていました。

その交易先の多くは

熱帯熱マラリア発生地帯と 一致しています。

こうした地域の 熱帯熱マラリアを
媒介する蚊が コンテナに紛れ込み

直接 東南アジアの国々と交易のなかった
日本にも

中国を経由して 伝わってしまったと
考えられるのです。

清盛の死を引き起こした熱帯熱マラリアは
当時の日本では いわば 新型感染症。

その 未知の病を呼び込んだのは
グローバル化という最先端の発想で

清盛自らが推し進めた 日宋貿易でした。

時代に先駆けた男の
あまりに皮肉な最期でした。

何か 小さな 一匹の蚊によって
世の中 変わってくっていうのも

何か 皮肉なもんですけど。

熱帯熱マラリアと… ねえ。
(関根)はい。

当時 平家の人がかかる

日本人が かかるなんて
考えられないもののようですもんね。

他に有名な人で
ああいう形で亡くなった人 いませんね。

だから まあ 逆に言うと

あんな何かね 「水が あっという間に
熱湯になりました」みたいな

あんな 何か描写は
ほんとは ありえないわけですから。

まあ 彼らにしてみれば
珍しかったんでしょうね。

あんまり日本では もうほとんど
患者さんは いないんですけれども

海外へ行って 海外で感染して
帰ってくるっていう方は

年に数十人 いらっしゃるんですね。

世界中で やっぱり マラリアって
すごく重大な問題で

1年間に感染する人が 2億人以上。

亡くなる人が 1年間に43万人以上。

ええ~!
そんなに。

ですから 私たちも そういうところに
行く時は 決して ひと事ではないので。

予防の薬があるんですけど
そういうのを飲んだり

あと やっぱり蚊が怖いですから
夜 出歩く時は 必ず長袖とか。

まあ 確かにグローバル化というと
いろいろな病気が これから入る可能性。

今年は この冬場に あのコロナですか?
(植田)コロナウイルスの肺炎とか。

初めての感染症というのは
免疫もなければ ワクチンもないし

全く 治療も予防も
なかなか おぼつかないので。

常日頃から そういうものがあるんだよ
ということを意識しながら

基本的な うがいだとか
手洗いだとかということが

いつも 忘れちゃいけないな
というふうに思いますね。

それにしてもね 国のトップだった彼が

一匹の蚊が入ってきてっていうことかも
しれないわけでしょ?

何ていうかなぁ
グローバルな視点を持っていたから

死に方も グローバルだったっていう
そういう形ですかね。

さあ皆様 健康診断してまいりました。
いかがでしたでしょうか?

清盛は 非常に聡明な人で
全然 驕ってた人じゃないと思う。

周りが 驕ってたんだと思う。
(笑い)

先見の明があるというのか
本当に合理的に考えて

その当時を 健康ということも
本当に真剣に考えられてた方なのかな。

本能的にも考え
ピンとこられる方だったのかなとか。

全然 イメージが変わりましたね。 はい。

何か やっぱり 自分が考えてたよりも
すごく いい方というか

すごく よくできる方で。

平清盛側から見ると 今 頼朝とかが
憎く思えますよね。 源氏が憎いと。

清盛は 海を見て グローバルに
そういう国家をつくろうとしていた。

だから もし清盛が長生きして
平家が滅びなかったら

日本の国の形が
変わっていたかもしれない。   ああ~。

そうか。
なるほどね。

そうすると もっと早く
国際化してたかもしれない。

開いてたかもしれないですね。
国際化してましたねえ。

ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

♬~

清盛が 「健康都市」を夢みた港町 神戸。

兵庫県の港から 清盛にまつわる遺物が
見つかっています。

一面に びっしりとお経が書かれた石
経石です。

清盛は 新しい都・福原の玄関口として

大輪田の泊の大規模な改修を行いました。

当時は
こうした工事の安全を祈願するため

「人柱」を埋めることが 一般的でした。

しかし清盛は 無益な殺生を避けようと

こうした石に お経を書いて 積み重ね

人柱の代わりにしたと伝わっています。

疫病の蔓延する京の都で あまりに多くの
人々の死を目の当たりにしてきた清盛が

何よりも大切にした 人の命の重み。

そして清盛は
改修した 大輪田の泊を拠点に

医療先端国 宋との貿易に力を入れます。

当時 宋との貿易により 輸入された品々の
記録が残されています。

そこに並ぶのは
今も 漢方薬として

使われている
薬の名です。

「人々の命を守るためには
最新の薬が必要だ」。

そのために 清盛が行ったのは

単に 薬を取り寄せることだけでは
ありませんでした。

清盛が 中国から手に入れた書物
「太平御覧」。

宋で編纂された百科事典です。

そこに書かれているのは
宋の薬と その使い方など

当時の最先端医療の情報です。

もともと中国医学に対する関心というのは
日本人も持ってるわけですけども

日本人が 中国の文化を取り入れる時に
必ず タイムラグがあって

必ず ちょっと古いものに
なってしまうんですね。

清盛は そこをアップデートしようとした
ということは言えると思います。

薬を取り寄せるだけでなく

学問として 最新の医学を学び
日本の医療全体を アップデートする。

その清盛の思いは 着実に実を結びます。

こうした 中国から もたらされた
最新の医学情報をもとに

その後 日本でも独自に内容を発展させた
オリジナルの医学書が

次々と作られていくのです。

誰もが健康に暮らせる
新しい世の中をつくりたい。

清盛の思いが
日本の医学の礎を築いていたのです。

♬~

♬~


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