歴史秘話ヒストリア「法隆寺 1400年の秘密」聖徳太子が創建し、祈りと美と技の粋を集めた「世界最古の木造建築」…


出典:『歴史秘話ヒストリア「法隆寺 1400年の秘密」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「法隆寺 1400年の秘密」[解][字]


大人気の世界遺産・法隆寺。聖徳太子が創建し、祈りと美と技の粋を集めた「世界最古の木造建築」の秘密に迫る。危機と闘い、日本の至宝を守り抜いた人々の波乱万丈のドラマ


詳細情報

番組内容

大人気の世界遺産・法隆寺。飛鳥時代にタイムスリップしたような光景には、波乱万丈のドラマが秘められていた。創建直後、最大の守護者・聖徳太子の死を機に、存亡の危機に直面。明治時代、散逸寸前の至宝を守ろうと、美術界の風雲児・岡倉天心が大奮闘。昭和になると、不慮の火災に襲われたお堂を復元するため、伝説の宮大工が飛鳥の技に挑んだ。危機を乗り越え、「世界最古の木造建築」を受け継いできた人々の奇跡の物語を描く。

出演者

【キャスター】渡邊佐和子


『歴史秘話ヒストリア「法隆寺 1400年の秘密」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

歴史秘話ヒストリア「法隆寺 1400年の秘密」聖徳太子が創建
  1. 法隆寺
  2. 常一
  3. 天心
  4. 日本
  5. 聖徳太子
  6. 太子
  7. 仏教
  8. 危機
  9. 宮大工
  10. 歴史
  11. 仏像
  12. ヤリガンナ
  13. 金堂
  14. 飛鳥時代
  15. 美術
  16. 火災
  17. 道具
  18. 癖組
  19. 五重塔
  20. 国宝


『歴史秘話ヒストリア「法隆寺 1400年の秘密」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK 関連商品

武田≫ありがとうございました。

去年10月に発生した 沖縄・首里城の火災。

ああ!

日本中が 深い悲しみに包まれました。

一瞬の事故や災害で
危機にさらされる文化財。

掛けがえのない遺産を
どう 後世に引き継ぐのか。

人類共通の課題です。

そんな中
あまたの危機を乗り越えてきた

「世界最古の木造建築」が
古都 奈良にあります。

1, 400年の時を超え 飛鳥時代に
タイムスリップしたかのような光景。

その秘密に迫ります。

♬~

美と技と
祈りが詰まった

法隆寺。

長い歴史の中で

幾度も 苦難に
見舞われてきました。

(雷鳴)

創建直後 最大の守護者だった…

寺は 危機に直面します。

その時 寺を救ったのは
生前 太子が説いた仏教の教えでした。

(汽笛)

時は流れ 明治の世。

西洋文化の荒波が 押し寄せる中で

法隆寺が守り伝えてきた宝は
ちりぢりになろうとしていました。

その難局に立ち向かったのは…

失われゆく日本の美を守ろうと

社会に訴えます。

これまでの 日本の歴史を
きちんと踏まえて

日本の社会にあった美術の発展を
目指していくべきなのです。

法隆寺を愛した男の
飽くなき情熱は

時代を動かしていくのです。

(サイレン)

戦後の混乱期。

寺を襲った 不慮の火災。

焼けた お堂を
復元するという

重大な使命が

宮大工たちに
託されます。

その前に立ち塞がるのは 謎に満ちた…

[ 心の声 ] 一体 何が違うんや…。

成功のカギを握ったのは
「幻の大工道具」でした。

宮大工の意地とプライドを懸けた挑戦。

法隆寺を守り抜いた人々の
物語です。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今回の舞台は
世界遺産としても有名な法隆寺です。

法隆寺は
国宝の数も桁違い。

建造物は 金堂や五重塔
夢殿など

18件が
指定されています。

そして 仏像などの美術工芸品は 20件。

合わせて38件の国宝は
全国の寺でも ナンバーワンです。

貴重な文化財の宝庫である 法隆寺。

実は 日本の仏教の黎明期を物語る
生き証人のような存在でもあります。

創建直後の秘話を ご覧下さい。

今も昔も
修学旅行の定番といえば 法隆寺。

見どころは たくさんありますが…。

(鐘の音)

まずは 世界最古の木造建築の魅力を
じっくり お楽しみ下さい。

お堂や塔が立ち並ぶ 伽藍。

至る所に
「飛鳥の技と美」が隠されています。

五重塔の 美しい たたずまいにも
秘密があります。

瓦屋根の大きさを よく見ると
実は 上に行くほど 小さい造り。

一番上の階は 一番下の階の半分です。

この工夫が 目の錯覚を生み
五重塔は より高く見えるのです。

そして 五重塔の隣にある…

こちらは 扉に ご注目下さい。

大変 贅沢な造りをしています。

なんと 樹齢 およそ1, 000年の大木を
くりぬいて出来ています。

継ぎ目がないので
雨風にも強いといいます。

日本古来の英知が詰まった 法隆寺。

実は 創建当初から
危機に見舞われていたのです。

法隆寺の誕生。

それは 飛鳥時代に仏教を広めた
聖徳太子の生涯と

密接に関わっています。

聖徳太子は 幼い頃から頭脳明晰だったと
伝えられます。

大陸から伝わって間もなかった仏教を
いち早く 学びました。

しかし 仏教の受け入れをめぐり
豪族たちの争いが勃発。

聖徳太子は
仏教推進派の蘇我馬子と

命運を共にします。

激しい攻防の末
勝利を収めたのは蘇我氏。

太子は 推古天皇の摂政となり

政治改革を進めます。

そこで打ち出したのが 有名な

「十七条の憲法」です。

太子は 「憲法」という画期的な方法で
仏教を広め

豪族間の争いを 収めようとしたのです。

太子は 日本に仏教を根づかせるため
拠点づくりに乗り出します。

選ばれたのは

飛鳥の都から
20km離れた山里 斑鳩。

ここに
宮殿を造ります。

そして 信仰の中心となる寺院を建設。

この寺こそ 法隆寺の原点でした。

仏教の教えを伝えるため
太子は 難解な お経の読み解きにも没頭。

日本で初めて 「法華経」などの

本格的な解説書を まとめます。

太子の情熱によって 法隆寺は
仏教の聖地となっていったのです。

ところが…。

法隆寺を 存亡の危機が襲います。

聖徳太子が
病で亡くなったのです。

死の間際 太子は説きました。

「この世は仮のもの。

仏の教えのみが 真実である」。

偉大なリーダーを失った人々は
絶望しました。

政治は不安定になり
皇位継承をめぐる争いが勃発。

太子の一族は 滅亡しました。

(雷鳴)

悲劇は続きます。

法隆寺が
炎に包まれたのです。

信仰のよりどころだった伽藍は
全て燃えたといいます。

創建から60年余り。

法隆寺の歴史も
ここで終わりを迎えたかに見えました。

その時 太子の思いを受け継ぐ人々が
立ち上がります。

金堂や五重塔が 次々に再建されたのです。

国宝 釈迦三尊像をはじめ

えりすぐりの仏像が 一堂に会した

金堂の内部。

壁には 世界的な傑作と言われる
仏教絵画が描かれました。

こちらは  蓮の花に座る阿弥陀如来。

泥の中で美しく咲く 蓮の花。

それは 争いの世で悟りを求めた
聖徳太子のようにも見えます。

法隆寺の発展は
奈良時代になっても続きました。

聖徳太子の教えを継いだのは…

女性ならではの
苦悩がありました。

当時は どんなに 世に尽くしても

女性は成仏できないという
考えがあったのです。

その時 出会ったのが
太子がまとめた 「法華経」の解説書。

画期的な教えが説かれていました。

女性でも 極楽浄土に行けるという
教えに救いを見いだした 光明皇后。

より一層 仏教に帰依し

一族に伝わる仏像や秘宝を
寺に納めたといいます。

更に 太子の住まいがあった場所に
八角形のお堂を建てました。

中に祀られた…

聖徳太子の姿を写した仏像だと
伝えられています。

争いを戒め 女性の救済を説いた
太子の教えは

法隆寺を 特別な場所にしました。

聖徳太子の夢と理想が花開いた 法隆寺。

1, 400年の時を刻む文化遺産は
こうして 誕生したのです。

奇跡の伽藍を生んだ 聖徳太子。

その存在は 長く日本人を引き付け
さまざまな伝説が作られてきました。

こちらは 室町時代に描かれた
聖徳太子の生涯です。

お釈迦様になぞらえられた 太子の姿は
まるで スーパーヒーロー。

眉間から 光を放ったり…。

愛する馬と共に 空を駆け回り

富士山も ひとっ飛び。

「戸皇子」とも呼ばれる太子から

イメージを膨らませたのでしょうか。

こうした伝説は 篤い信仰を生み
法隆寺を守る原動力となったのです。

しかし 明治時代になると

法隆寺は
かつてない窮地に追い込まれます。

明治13年 法隆寺を訪ねた男たちは

ただならぬ境内の様子に
がく然とします。

これは…。

門の屋根に注目。

つっかえ棒をしなければ
今にも崩れ落ちそう。

お堂の壁は
無残にも剥がれかけていました。

当時は 仏教を否定する運動が
巻き起こっていました。

仏像が燃やされ 壊される
悪夢のような時代。

それに あらがい
「日本の美」を守ろうとした 男の物語です。

男の名は 岡倉天心。

美術界の風雲児です。

若き日 語学に堪能だった天心は
通訳をしていました。

案内したのは 東京大学で
哲学を教えていた…

フェノロサの影響で

天心は 日本古来の美術に
関心を持つようになります。

各地の寺や 仏像を調査。

その中でも
天心が 心を惹かれたのは

法隆寺でした。

こちらは 天心が残したスケッチです。

描かれているのは
あの聖徳太子の うつしみとされる…

非公開となっていた救世観音を
初めて間近に拝んだ 天心。

その時の驚きと感動を
後に こう語っています。

「一生の最快事なり」。

しかし 天心が愛する法隆寺は
時代の逆風の ただ中にありました。

きっかけは 明治政府が行った…

天皇の権威を確立するため

神道を保護する一方

仏教を抑圧する方針が
とられたのです。

この政策は 仏教を否定する
「廃仏毀釈」の嵐を巻き起こしました。

貴重な仏像が
次々と破壊されたのです。

(汽笛)

文明開化の時代。

西洋から来た新しい文化が
もてはやされ

日本古来の文化は
顧みられなくなっていきました。

法隆寺は 経済的にも
苦しみました。

寺に 米などを納めていた領地が

国に 全て
没収されたのです。

資金不足で修繕も滞り
泥棒が入ったこともありました。

このままでは
貴重な宝が失われてしまう。

法隆寺は それを皇室に譲り渡すことで
急場をしのぎます。

その数 実に300件余り。

引き換えに受け取った代金の利息で

どうにか 寺を維持したのです。

文部省の官僚になっていた天心は
焦りを感じていました。

[ 心の声 ] 現在の風潮は 昔の人々の心を
ないがしろにしている。

今 保存に 着手しなければ

日本の名誉である東洋美術は
数年のうちに散失して

悔いても
取り返しのつかない事態になる。

そんな時…。

天心は フェノロサと共に
欧米視察へ向かいました。

そこで 歴史ある美術を
大切にする文化に出会います。

我が国では
学生は まず 古典美術を学びます。

自国のアイデンティティーを
理解したうえで

新しい芸術や
文化を生み出しています。

古いものがあるから
新しいものが生まれる。

天心は 衝撃を受けます。

更に 当時 欧米では

日本の古美術品が
人気を集めていました。

このままでは 日本の美は
永遠に失われてしまうかもしれない。

天心は 時代と闘う決意を固めます。

日本に帰国後
天心は講演会を開き 聴衆に訴えます。

我々は むやみに西洋化を推し進め

西洋の文化がいいものだと
思い込んでいる。

しかし 西洋の美術は 西洋のものだ。

だから 日本に
そのまま実施すべきではないのです。

これまでの 日本の歴史を
きちんと踏まえて

日本の社会に合った 美術の発展を
目指していくべきなんです。

天心の訴えは 国を動かし

寺や神社の文化財を守るための
団体がつくられました。

更に 天心は
ある法律の制定に情熱を注ぎます。

明治30年に公布された…

文化財保護の歩みで
大きな転換点となった法律です。

歴史ある
寺や神社を

「国宝」などに指定して
守るという

画期的な内容。

法隆寺も 修理の時には

国の資金援助を
受けられることになりました。

この法律によって
法隆寺は 存亡の危機から救われます。

♬~

法隆寺の美を守った 天心。

その後も 第一線で調査を続けました。

ある時は 山を越え
寺や神社を訪ね歩き…。

またある時は
吹雪に凍えながら

美術品の発掘に
情熱を注ぎました。

♬~

(せきこみ)

病に侵された天心が
亡くなる直前に 訴えたことがあります。

それは 法隆寺 金堂壁画の保存。

これが 生涯最後の仕事となりました。

一人の男の執念が
法隆寺の危機を救ったのです。

日本の美術を守り抜いた 岡倉天心。

その情熱は
次の世代へ引き継がれます。

大正時代 法隆寺と聖徳太子をPRする
大イベントが計画されます。

聖徳太子の 没後1, 300年をしのぶ大法要。

その実現に奔走したのは

次の一万円札の顔にも選ばれた

大実業家 渋沢栄一でした。

お札に描かれた 二人の偉人に

こんな 意外なつながりがあったのです。

渋沢は 岡倉天心と親しかった
研究者たちから

法要実現への協力を請われます。

そこで 幅広い人脈から

皇族や 徳川家の当主

旧知の財界人を総動員しました。

資金集めのため 自ら 講演台にも…。

その結果 目標の およそ2倍の
金額が集まりました。

聖徳太子の大法要には
7日間で 26万人が訪れ

法隆寺に
世間の注目が集まります。

前代未聞のPR作戦は

大成功に終わったのです。

あまたの試練を乗り越えた 法隆寺。

最後に ご紹介するのは

世界最古の木造建築を支える
匠たちの物語です。

昭和24年1月26日未明。

法隆寺を
最大級の危機が襲います。

不慮の火災によって

伽藍の中でも 最も大切な金堂が

燃えてしまったのです。

その時 立ち上がったのは
当代随一の腕を持つ 宮大工たち。

飛鳥時代の匠の技に挑んだ
悪戦苦闘の日々に迫ります。

広~い法隆寺の境内を
1日4回 歩き回る男性。

何をしているかというと…。

何かの拍子で…

世界最古の木造建築を守るには
きめ細かいメンテナンスが重要。

境内では 常に 屋根のふき替えや
建物の修繕をしています。

更に 数百年に一度は

建物をバラバラにして
隅々までチェックする

大規模な解体修理も欠かせません。

直近で行われたのは いわゆる…

指揮を執ったのは
代々 法隆寺に仕える宮大工の一門

西岡家。

3世代の棟梁の一人 孫の常一が

大修理のキーマンとなります。

宮大工は
一人前になるまで 20年。

常一は 幼い頃から
現場に連れ出されました。

祖父から
最初に命じられたのは

ノミを研ぐことでした。

これ どうやろ?

あかん。 まだや。

まだって… あと どれぐらいやろか。

分からんようなら
わしの道具箱 見てみぃ。

祖父は 研ぎ方を 一切教えません。

自ら解決の道を探す中で

技術が身につくと考えたからです。

(常一)いてっ! いったぁ…。

常一は 幼い頃の修業の日々について
こう 語っています。

宮大工となるべく生まれてきた 宿命。

心の中で葛藤しながら

常一は成長していきます。

(鐘の音)

学校を卒業した頃 祖父から
棟梁になる心構えを授けられます。

一つ 堂塔の木組は木の癖組。

一つ 木の癖組は 工人等の心組。

口伝で 代々伝えられるのが
宮大工の家の習わしでした。

(常一)一つ 堂塔の木組は木の癖組。

一つ 木の癖組は 工人等の癖組。

あかん 違とる。 また明日や。

正確に覚えられるまで
繰り返し 練習し

難解な口伝を 心に刻みました。

「堂塔の木組は 木の癖組」。

常一は やがて
その真意を悟ることになります。

その現場こそ 昭和9年に始まった
法隆寺 昭和の大修理。

父の指揮の下
お堂や塔を 一度 解体し

修理することになったのです。

先人の技を見られる またとない機会。

そこで常一は あることに気付きます。

じいちゃんの言ってたとおりや。

1, 000を超える部材。

その一本一本には 癖があります。

反ったものや ねじれたもの。

その木の癖を
うまく組み合わせることで

頑丈な建物が出来ていたのです。

まさに…

常一は 飛鳥時代の匠の技を
深く知ることになりました。

常一は 宮大工を一生の仕事と定め
のめり込んでいきます。

そんな時
突然の悲劇が 襲いかかります。

(サイレン)

おい ホース持ってこい! はよ しろ!

はい!
はい!

えらいこっちゃ…!

飛鳥時代に出来た 歴史ある金堂が

不慮の火災に
見舞われたのです。

<1月27日 午前7時ごろ

世界で最も古い木造建築物
奈良・法隆寺の金堂から出火。

佐伯管長などが駆けつけた時には

既に 世界的に貴重な国宝
12面の壁画の大半が

崩れ落ちていました>

幸い 仏像は
別の場所に移されていましたが

建物の多くが焼失。

傑作と言われた壁画は
ひび割れ 穴が開きました。

法隆寺は 重大な危機に直面したのです。

棟梁となった常一は
全身全霊で 修復事業に挑みます。

最大の難関は
新たに作り直すことになった…

飛鳥時代の柱は
独特の木目を現し

滑らかに
削られています。

しかし かつて使われた
匠の道具は

長い歴史の中で 途絶えていました。

幻の道具を復元するため
常一は 手がかりを探します。

中世の絵巻で 柱を削る職人の姿を発見。

しかし 道具の細部までは分かりません。

手がかりとなったのは

奈良・正倉院に納められていた 古の道具。

特徴は 槍のようにとがった刃。

木を薄く削るための…

では お先に失礼します。
失礼いたします。

どうにか試作品を作った 常一。

ところが 何度 練習をしても
うまく削れません。

[ 心の声 ] 一体 何が違うんや…。

何をどうしたら
堂塔の柱のように 滑らかになるんや…。

(ため息)

その時 あるものが目に留まりました。

解体中に見つかった…

常一は ひらめきます。

向かったのは
刃物や道具を鍛える老舗。

♬~

飛鳥時代の釘を溶かして
丈夫な鋼を取り出し

ヤリガンナの刃を
一から 作ってもらったのです。

完成した ヤリガンナで
3年間 練習を重ねた常一は

ついに 待ち望んだ瞬間を迎えます。

♬~

ハァ… これや!

棟梁 やりましたね!
ああ!

これで 金堂を復元できますよ!
ああ!

常一が愛用した ヤリガンナは
今も大切に保管されています。

常一の弟子となり 道具を引き継いだ…

ヤリガンナで削った跡には

特殊な効果が生まれるといいます。

顕微鏡カメラで 確認してみましょう。

電動カンナで削った跡と比べると
表面に違いが…。

拡大すると
ヤリガンナで削った跡は 滑らかです。

よみがえったヤリガンナを
宮大工たちは 見事に使いこなし

急ピッチで 作業が進められます。

悪夢の火災から 僅か5年後。

常一たちが 魂を込めて削った
28本の柱。

ヤリガンナが生んだ
滑らかな曲線美は

今も 柱に残されています。

宮大工たちの ひたむきな努力が
法隆寺の危機を救いました。

数々の苦難をこえ
1, 400年の歴史を紡いできた 法隆寺。

今 未来へ向けた取り組みも
始まっています。

火災に遭った 金堂壁画の研究です。

燃える前の姿が撮影され

ネガとして 残っていました。

記録されていたのは ガラス板。

今 そのデジタル化が
最新の装置で進められています。

読み解くのは 美術や建築 保存科学の
エキスパートたち。

12億画素という
超高精細のデータから

発見が相次いでいます。

一色に塗り潰されているように見えた
阿弥陀如来の 髪の毛が

細かく描き込まれていることが
分かりました。

最新技術でよみがえる 「飛鳥の美」。

間もなく始まる展覧会では

データの一部が
一般公開される予定です。

次の世代へ向けた取り組みは
匠の世界でも。

常一の後を継いだ 小川さんは
弟子の育成に力を入れています。

そうですね。
な?

また来る 大修理のために。
匠たちは 日々格闘しています。

その時に 笑われないように
しとかなくちゃ いけねえわけだな。

1, 400年 守り伝えられてきた 法隆寺。

祈りと美と技は
未来へと受け継がれていきます。

♬~


関連記事