100分de名著 ハヴェル“力なき者たちの力”(4)「言葉の力」劇作家でもあったハヴェルは、生涯「言葉の問題」を…


出典:『100分de名著 ハヴェル“力なき者たちの力”(4)「言葉の力」』の番組情報(EPGから引用)


100分de名著 ハヴェル“力なき者たちの力”[終](4)「言葉の力」[解][字]


言葉は、ある時は真実を覆い隠し人々を「見せかけの世界」に埋没させる恐ろしさを持つが、一方で、動かしがたい強固な現実をずらし、人々を真実の生へと解放する力をもつ。


詳細情報

番組内容

劇作家でもあったハヴェルは、生涯「言葉の問題」を追究し続けた。イデオロギーとして働く言葉は真実を覆い隠し、人々を「見せかけの世界」に埋没させる恐ろしさを持つ。その一方で、言葉は、動かしがたい強固な現実をずらしていくことで、人々を「真実の生」へと解放しゆく、市民たちの武器ともなりうる。第4回は、この著作と合わせて、戯曲や「視覚詩」なども読み解き、言葉のもつ「闇」と「可能性」を浮き彫りにしていく。

出演者

【講師】東京大学准教授…阿部賢一,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】池内万作,【語り】小口貴子

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『100分de名著 ハヴェル“力なき者たちの力”(4)「言葉の力」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

100分de名著 ハヴェル“力なき者たちの力”(4)「言葉
  1. 言葉
  2. ハヴェル
  3. 自分
  4. 作品
  5. 非常
  6. 大統領
  7. ガーデン
  8. パーティ
  9. フゴ
  10. 意識
  11. 意味
  12. 言語
  13. 社会
  14. 文章
  15. 平和
  16. 本当
  17. 阿部
  18. 儀式化
  19. 戯曲
  20. 真実


『100分de名著 ハヴェル“力なき者たちの力”(4)「言葉の力」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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反体制活動家として
権力に問いかけ続けた

ヴァーツラフ・ハヴェル。

彼の言葉は
自らが 国のトップとなってからも

変わりませんでした。

第4回は
ハヴェルが残した「言葉」の数々から

悩み 問い続けることの大切さを
学びます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

今月は チェコの名著
「力なき者たちの力」を読んでいます。

今回は ハヴェルが残した
さまざまな文章を読んでいきます。

戯曲家ですからね。
はい。            はい 楽しみですよね。

教えて下さるのは
チェコ文学者の阿部賢一さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。

阿部さん 今回は ハヴェルの
どんな側面に注目されますか?

はい。
今回は ズバリ「言葉の力」ですね。

で まあ 実は私
最初に ハヴェルの文章を読んだ時

ある種の戸惑いを覚えたんですね。
ええ。

これは 何かというと

政治家が発する言葉というのは
力強いものが多いんですけれども

彼の場合は ある種の
とても ためらいが

言葉の中に込められていた
ということです。

あと もう一つは政治の世界では
なかなか聞かない 真実であったり

愛であったり 人間性といった言葉が
非常に よく彼は使っています。

ですから まあ今日は
ちょっと そういったですね

非常に いろんな顔を持っている
ハヴェルの言葉の側面を

いろいろと紹介していきたいなと
思っております。

で まあ特に 1960年代に彼が残した
「視覚詩」というのがありまして

視覚的な工夫をした詩
ということですね。

これは とても ほんと面白い ユーモアで
機知に富んだものになっていますね。

さあ それでは まず
ハヴェルの「視覚詩」をご覧頂きましょう。

1964年 ハヴェルは
タイプライターを使って 制作した

「視覚詩」を集めた詩集
「反-記号」をまとめます。

自在に配置された「文字群」が
図像的に意味を成し

見る者に訴えます。

「障壁」と題された作品です。

「私」と「あなた」の壁として

「言葉」が立ちはだかっています。

(キーをたたく音)

こちらは
「人間」という単語が一文字ずつ分解され

数字の中に閉じ込められた作品。

言葉という単語の単数形が

複数形に取り囲まれて
身動きできなくなっている作品。

そのタイトルは 「言葉」。

文字の図像を生かして

言葉による
表現の可能性に挑んでいたのです。

ふ~ん 面白い世界ですね。
日本語と相性が良さそう。

例えば 書道って
いろんなスタイル ありますけど

例えば 「笑」っていう字を

いかにも 笑顔みたいな形で書くみたいな
表現あって。      ありますね。

面白い世界ですね。
はい。

そのハヴェルの一つの作品
「戦争」ですけれども

「平和」を意味する言葉である
「mr」という言葉が

「mr!」と
連呼されていくうちに

何となく 爆弾に見えるという
作品になってるんですね。

あ~ 空爆みたいに。 はいはい。

「mr!」
「平和! 平和!」と連呼してるうちに

この感嘆符 びっくりマークが

だんだん 爆弾のように見えてくる
という作品ですよね。

この当時というのは 冷戦時代ですよね。

非常に軍拡競争が どんどん
お互いにエスカレートしていくという

時代ですから それが そういった
歴史的な背景というのが 一つあるのと

もう一つは やっぱり これは「平和」という
言葉が 「戦争」に変わってしまう

「言葉の変容性」を
視覚的に描いた作品だと思いますね。

確かに 戦争って ある意味
平和のためにやってるから みたいな。

そういうことですね。
ちょっと皮肉なところも。

先ほどね 伊集院さんも言ったように
我々 日本語 漢字を使っていると

表意文字なので
大体 意味っていうのは

文字にあるというのを
意識してるんですけど

ヨーロッパ系の人たちは 表音文字
アルファベットを使ってますよね。

ですから そうした時に
こういった音を持っているものが

こう 図像的なものに
変わっていくというのは

非常にショッキングな驚きがあったと
思うんですよね。

そうか。 ちょっとした発明だな
このジャンルは。    いや そうですよね。

よく思いつかれるなというのも
あるし ユーモアもあるし。
そうね。

こういうことを 何か政治的なね…

それと その過去の回で
勉強したところで言うと

割と きれい事のスローガンに
何が入ってんの みたいな。  そうですね。

そして 文字面みたいなことの
信用できなさとか

思いみたいのも
ちょっと感じますね。  はい そうですね。

あの 次はですね
ハヴェルの 戯曲家としてのデビュー作

「ガーデン・パーティ」を見ていこうと
思うんですけれども

これは どういう作品ですか?
はい。

「ガーデン・パーティ」という作品も

言葉の問題が
大きく取り上げられています。

とりわけ コミュニケーション不全の
問題であったり

言葉が儀式化していくという問題が
テーマとして なっています。

非常に まあナンセンスな戯曲です。
はい。

では その「ガーデン・パーティ」の一場面
ご覧下さい。

ある日の午後 プルデック家のもとに
一通の電報が届きます。

差出人は
今夜 プルデック家に招待されていた

カラビスという人物からでした。

電報には 「精算処理局で
ガーデン・パーティがあるから

行けない」とありました。

そこで 一家の息子であるフゴが

清算処理局に
様子を見に行くことになります。

そこにいたのは 上滑りする
官僚的な言葉を話す役人ばかり。

初めこそ
ガーデン・パーティの詳細を知るべく

普通の会話をしていたフゴですが

徐々に彼自身も 彼らと同じような言葉を
使うようになっていきます。

家に帰った頃には
別人のようになっていた フゴに

父親は尋ねます。

「あなたは 一体 どなたですか?」。

すると フゴは答えます。

「こんな単純化された方法で
質問出来ますか?

こんな質問に
どんな風に答えても

どんな場合も 真実を
全体にわたって述べられず…」。

もったいぶった表現ばかりで
中身は全くない 空虚な言葉。

フゴは 役人的言葉に
とらわれてしまったのです。

「現在我々はAがしばしば 同時にBであり
Bが同時にAであり得ること…」。

う~ん…。
はあ…。

まあ よくできた戯曲
ねえ 皮肉なコント。      ほんとですね。

でも 日本にもあるかもしれないと
思いませんか?

たくさん しゃべってるけど
伝わらないっていう。

僕ら 打ち合わせしてる時に

ものすごい横文字の入ってくる人
いるじゃない。                  ああ!

(笑い)

まあ ほんと フゴが発しているのは
ほんと もったいぶった

それらしい言葉が ずっと羅列されている
というだけですよね。

でも逆に 中身は何もないという
非常に空虚な文章になってますよね。

でも ちょっと面白かったのは
会社と家っていう その2つの真ん中に

実は その中間の そのサード・プレイス
いるよねという理論で言うと

役所の言葉と 家の立場みたいなのの
中間ぐらいのものがないと…。

実は 何にもならない。 ましてや 家の
関係性が侵されていく感じとかは

何か 3夜目に言ってたことと

実は あの堅い あの話と
共通性あるなって思って。

まあ あとは
ほんと 彼が書いた作品には

他に こういったものに
似たのがありまして。

1965年に書かれた
「通達」という戯曲があります。

で まあ こちらも同じように
役所が舞台になってるんですけれども

そこでは 架空の人工言語
「プティデペ」というのがありまして

その言語をめぐる
不条理コメディーになります。

で その中ではですね
その言語というのが とても難しいので

翻訳が必要になるんです。
うん。

ただ 翻訳をするには許可が要る
という設定になっていまして

その許可を得るために
こういう会話がなされるものなんですね。

という 延々 この会話が繰り返される。
なるほど。

ループしちゃう。 まさに不条理劇。
不条理劇になってるんですねえ。

役所で 我々もありますけど 窓口を こう
たらい回しにされるというような感覚。

で まあ ほんと
これ 先ほどの「ガーデン・パーティ」も

あるいは
この「通達」も そうなんですけれども

まあ特徴的なのは お互いに いろんな人が
いろんな言葉を話してるのに

言葉が かみ合わない。

そして 言語の儀式化が まあ
行われてしまっているということですね。

今 阿部さんがおっしゃった
言語の儀式化なんですけれども

これについてはですね
ハヴェルが ある会議の演説で

語ったことがありますので
朗読でお聴き頂きます。

ほんと もう 言葉…

これは 本当に…

うん。
あの 不倫会見の時にさ。   ええ ええ。

かみさんに 「すいませんでした」って
言うのは 分かんなくもないんだけどさ

「ご心配をかけまして」みたいなやつ
あるじゃん。   ありますね。

あれ 言う決まりだよね何か。
言う決まりだけど

えっ 俺は心配してないけど
それ聞いてていいのかなとか。  ハハハ!

ああいう構文で言わない人は
反省していないってことになるし

あの構文で言った人は

とりあえず謝罪をしたってことになる
みたいのって 変は変ですよね。

とりあえず 定型句さえ まあね
それを言えば どうにかなるみたいな。

上滑りをしてますよね それでね。
そうですよね。 はい。

まあ あの言語の儀式化と
ありましたけども

ハヴェルは それを考えるのに なぜ
戯曲という形をとったんでしょうか?

そうですね はい。

まあ その答えを探すヒントというのは
ハヴェルが刑務所にいた時に

妻のオルガに宛てた
書簡集というのがありまして

そこの中に ヒントはあると思います。

その書簡の中でですね
特に 演劇と社会の関係というのに

ある種 3つの領域レベルがあると
彼は言っています。

はい。
「演劇と社会の関係」の「3つの領域」です。

演劇を見るという 一つの共有体験が
少しずつ 場を作っていくわけですよね。

で 更に ある劇を見ることによって
違う「生」を

生き方を意識するんですよね。

そして 徐々に自分に振り返ってきて
自分も変わっていくチャンスになる。

そして また それは自分だけではなく
社会に広がっていくという

可能性を持っていたと
彼は捉えているわけですよね。

ですから これは まあ あの前回の
「並行構造」に少し似てまして

違う生き方を意識するようになる
というのは

とても 恐らく大事なところで

そういった姿勢というのは

彼が言う 「ディシデント」の姿勢とも
つながってくるものですね。

ディシデントの姿勢とつながるというのは
どういうことですか?            はい。

この社会全体 全ての人たちをめぐる
関心と共にあると

ハヴェルは 「力なき者たちの力」の中で
書いております。

劇場へ行くと 要するに
自分とは違う人が演じている

あるいは 自分とは違う人が
その演目を見ているということで

違う「生」を意識するという場だと
思いますよね。

いや すごく よく分かるのは
落語も

僕は 学歴社会から
ドロップアウトしかけてた時に

落語と出あって 寄席に行くんですけど
あの寄席っていう異空間に行く。

で 目の前で
人が しゃべってるっていうことは

本で読んでるのとも違う
すごく あと 人に聞くのとも違う。

ちょっと 学校に行かなきゃいけない
みたいなとこから ちょっと離れるのと

昼間の寄席に 似たような
行き場のない人が いっぱいいるんだよね。

そういうものは…
まあ 3番まで 大げさなことにね

その 「社会の精神に介入すると
社会を変える」までは分からないけども

でも 似た関係性ですよね これって。
そうですね。

本当に 2番まではね
ある程度 納得すると思うんですが

でも 今 おっしゃったように
本当に これは要するに

義務じゃないってことですよね。

学校とかと違って
ほんと 好きな人が行って

好きな時に帰っていいという
そういうような

ある種 非常に自発的な場で
あ こういう人 いるんだというのを

知るだけでも
全然ね 違うと思うんですよね。

さあ では続いて ハヴェル本人が
言葉そのものを どう捉えているのか

書かれた文章を読んでいきましょう。

ビロード革命直前の 1989年10月。

旧西ドイツのフランクフルトで行われた
国際書籍見本市で

「平和賞」を
授与されることになったハヴェル。

出国できない彼は 「言葉についての言葉」
という演説原稿を託しました。

「言葉」は奇蹟となりうる一方
偽りともなります。

その二面性を強調して
鋭い警告を発したのです。

その後 間もなく
ハヴェルは大統領に就任します。

年が明けた…

う~ん いきなり かましましたね。

すごい パンチのある
ひと言ですよね。
うん。

この あいさつというのが
公的に 彼が大統領になって

公的になって
初めて発したスピーチなんですよね。

で まあ これは
彼が一番初めに 何をしたかというと

嘘をつかなかったということだと
思うんですよね。

で これは現実として 今 我々の国は
危機に直面しているということを

はっきりとした形で
明言したということですよね。

嘘をつかないというのは
非常に簡単なように見えますが

特に 一国の大統領が
嘘をつかないということは

非常に難しいことだと
思うんですよね。

ですから ある種
彼が ずっと叫んでいた「真実の生」の

一つの具体的な表現だったとも思います。

何か ほんとのことを言う人が来た

ごまかさない人が来たって
思うんじゃないかな。

少なくとも
彼に投票した人にとっては 希望かな。

だから これは本当に 今までの言葉は何か
それらしいことを言ってるんだけど

ほんとに中身がない
上滑りする言葉だったけれども

逆に この人は何か…

その後 1993年に
チェコとスロバキアに分離したので

ハヴェルは 最後の
チェコスロバキア大統領となりました。

ああ そうか そうですね。

その後の新生チェコ共和国でも
大統領となって

2期10年の任期を務めます。

政治家としての その評価というのは
どうだったんでしょうか?        はい。

まず まあ 一番ショッキングな出来事
というのは

彼が大統領になって 間もなく

チェコスロバキアという国が
なくなったということですね。

チェコとスロバキアを
分離させた人物として

一部の人たちは
大きな批判を 彼に加えます。

それから また
NATOに 99年 加盟するんですが

その直後に ユーゴ空爆があるわけですね。

そのユーゴ空爆も
彼は支持をするということで

あの 人道的なハヴェルが
こういう空爆を支持するということで

一部の人からは
批判の声が上がったわけですね。

現実の難しさみたいなものには
対峙するんですね。    そうですね はい。

ただ まあ一貫して
変わらなかったというのは

恐らく
先ほどのスピーチにもありましたが

今日 まん延してるような…

まあ 今日 ほんとに分かりやすい

「ワンフレーズ・ポリティクス」というのが
よく使われているわけですけれども

彼は ず~っと 大統領になる前
あるいは なってからというのも

どういう言葉を使うべきか
どういう言葉が

本当の真実の言葉なのかというのを
徹底的に探求していた。

ハヴェルが 大統領になってからの
スピーチの一つに

「約束する人は信じるな」ということを
言うんですね。

ほ~。
へ~ いいこと言いますね。

ですから 「これができます。
私に投票して下さい」と言う人は

一番 危ないということを
彼は言っていて

逆に いかに問いかけをすることの方が
大事かということを言ってましたね。

こんだけ 言葉の力を持ってるんだから
「言葉は無敵だ」って言いそうなものの

真逆の 「嘘にまみれることがあるんだ」
ってことを言ったりとか

派手な話をしない人なんですね。
そうですね。

常に 自分にも
ブレーキかけてるような感じもしますね。

自分も多分 疑ってるのかしら。
そうですね。

そこの部分の ためらいというのは
常に彼は 言葉に発する…

さあ では最後に 「力なき者たちの力」
結びの一節を読んでいきたいと思います。

最後 「どうなのだろうか?」。

「どうなのだろうか?」
というのは

これは 読み手の側に
問いを投げかけているわけで

これは まあ ほんと
彼の問いかけというのは

当然ながら 読み手が どう受け止めるか
というのは自由なんですけれども その…

で ここの「遠い『あそこ』」という言葉

これは
この当時の東欧の世界にしてみると

西側というのを意識するわけですけれども
そうではないということですよね。

未来を探すためには 盲目で弱いがために
実は 自分の足元ですよね

自分たちの周囲 内部を見たりすることが
できないだけだったら

どうするのかということですよね。

「あそこ」ではなくて
「今、ここ」にあることの大事さですよね。

自分の足元を見直すということ
大事なのではないかという問いかけが

この中には
込められていると思いますよね。

あと これから読んでみようという方
いらっしゃると思うんですけど

阿部さん 何かメッセージありますか?
はい。

答えが 一つ書いてある書物では
ないんですね。

でも ほんとに いろいろと悩ませる文章も
あると思うんですが ある種の…

もやもやというのは 「何だろう」って
考える きっかけだと思うんですよね。

まあ そういった もやもやから
ハヴェルが よく言う 「今、ここ」

要するに 自分の文脈で置き換えてみたら
どうなのかなということを

考えてみるということですよね。

そういう意味じゃ この4回の放送で

僕が 一番 引っ掛かって
もやもやしたところは

空気を読むのは いいことなの
悪いことなのってところは

ずっと考えてたんですね。
ああ。

でも 4夜やって
僕の行き着いた答えは

空気を読むなら そのつど そのつど
自動的にじゃなくて 徹底的に読もうと。

その辺りは
ずっと考えてるかもしれないです。

ですから この
全部読んでもいいんですけど

ほんと 1文2文でも
どこか自分の心惹かれるところを

ちょっと立ち止まって
自分の文脈に引き付けて 考えてみると

自分の 違う「生」の在り方というのが

見えてくるかもしれないかなと
思ってます。

阿部さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~

おはよう。


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