アナザーストーリーズ「ペルー 大使公邸人質事件 強行突入!その裏で」日本政府とテロリストの間で続けられた交渉とは…


出典:『アナザーストーリーズ「ペルー 大使公邸人質事件 強行突入!その裏で」』の番組情報(EPGから引用)


アナザーストーリーズ「ペルー 大使公邸人質事件 強行突入!その裏で」[字]


南米ペルーで起きた大使公邸人質事件。突然の武力突入の裏でいったい何が!「マリアは病気だ」という謎めいた言葉、そして日本政府とテロリストの間で続けられた交渉とは?


詳細情報

番組内容

1996年12月、南米ペルーからのニュースが日本を震撼させた。首都リマにある日本大使公邸がテロリストに占拠され、多くの人たちが人質になったのだ。127日後、ペルーの特殊部隊が強行突入し、テロリストを全員射殺、人質は解放された。作戦の鍵となったのが「マリアは病気だ」という謎めいた言葉。しかし武力突入しか方法はなかったのか?作戦決行の裏で、日本政府とテロリストの間で続けられたギリギリの交渉とは?

出演者

【司会】松嶋菜々子,【語り】濱田岳


『アナザーストーリーズ「ペルー 大使公邸人質事件 強行突入!その裏で」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

アナザーストーリーズ「ペルー 大使公邸人質事件 強行突入!その裏で
  1. テロリスト
  2. 人質
  3. セルパ
  4. フジモリ
  5. 事件
  6. 取材者
  7. 銃声
  8. ジャンピエトリ
  9. 爆発音
  10. 突入
  11. ペルー
  12. 言葉
  13. 合図
  14. 酒井
  15. 当時
  16. 突入部隊
  17. 二階
  18. 日本人
  19. 日本大使公邸
  20. 武力突入


『アナザーストーリーズ「ペルー 大使公邸人質事件 強行突入!その裏で」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK 関連商品

(サイレン)

この日 ペルーの首都 リマは
大混乱に陥った。

(銃声)

日本を震撼させた大事件の幕あき。

南米ペルーのラジオ局などの
情報によりますと

ペルーの首都 リマで 武装グループが

日本大使公邸付近で
爆発物を爆発させたあと

日本大使公邸に逃げ込んで
立てこもっている模様です。

突然のニュースに 日本中が騒然となった。

日本人24人を含む 72人の人質が

テロリストによって 日本大使公邸内に
4ヶ月間も拘束された 空前の事件だ。

現場の建物は 今はもう跡形もない。

事件の幕引きは
始まり以上に衝撃的なものだった。

(爆発音)

ペルー特殊部隊がテロリストの不意をつき
武力突入を強行したのだ。

(爆発音と銃声)

(爆発音)

(爆発音)

なんと 地下トンネルを内部まで掘り進め
三方向から攻める驚きの作戦。

突入部隊が次々と人質を解放していく様を
世界中が固唾をのんで見守った。

そして 突入から40分後。

(ニュース音声)「ただいま 公邸の中から
歓声が上がりました。

大勢の人たちが
一斉に歓声を上げています。

ほぼ 中を制圧したものとみられます」。

日本人全員を含む 71人を救出。

時のペルー大統領 アルベルト・フジモリは
高らかに勝利を宣言した。

(拍手)

日本でも新聞各紙が号外を打ち
世紀の救出劇をたたえた。

しかし 救出された者たちは
意外な言葉を漏らした。

結果だけを見れば
成功したんだなと思いますけど ただ…

どうなるか分からなかったという。

いつ解放されるのかと。

(銃声と爆発音)

人質の命を危険にさらした強行突入。

あれから23年たった今 その裏で起きた
知られざる攻防が明らかになる。

♬~

運命の分岐点は…。

1997年4月22日 午後3時20分。

ペルー特殊部隊が
突入を決行した瞬間です。

事件の舞台となったのは
リマにあった日本大使公邸。

その中には 14人のテロリストと
72人の人質がいました。

うち24人は日本人です。

特殊部隊は三方向から突入。

激しい銃撃戦の末 人質救出に成功します。

この時 人質は全員
ニ階に閉じ込められていました。

その多くが民間人でした。

第1の視点は…

当時 食品会社の支店長として

家族と共に
リマで暮らしていました。

事件の始まりから終わりまで
127日間を体験した人物が語る

衝撃のアナザーストーリーです。

酒井芳彦は あの事件の人質の一人。

救出された直後の写真を見せてくれた。

無事に… これがあれですね。

(取材者)脱出した その直後?

(酒井)脱出して 病院に行って…。

やつれた その姿を見た会社の同僚は
こう言った。

しょうがないよ…

捕らわれの身となった男は
何を目撃したのか?

始まりは…

日本大使公邸では 天皇誕生日を祝う
パーティーが開催されていた。

日本とペルー 両国を代表するVIPや
各国外交官が1, 000人以上 集まった。

この時は まだ テロリストの襲撃など
夢にも思わなかった。

大手食品企業の
リマ支店長だった酒井も

妻と共に参加。

開始から1時間ほどたった時…。

そしたら…

(取材者)そうだったんですか。

「きれいな花火」。 「そうじゃないよ」…

メイン会場は この日 中庭に立てられた

大きなテントの下。

午後8時3分。

ここに 隣家の壁を壊して 完全武装した
テロリストたちが飛び込んできた。

ともかく 流れ弾 あるいは
撃たれないようにということで

私は伏せてましたけどね。

ただ 実際に いわゆる…

(銃声)

すぐさま異変に気付いた警察と
銃撃戦が始まった。

(銃声)

激しい撃ち合いが続く中 テロリストが
交渉のために引きずり出したのが

当時の日本大使…

お前が日本大使か? って言うから
そうだって言ったんですよ。

青木は 警察に「撃つな」と叫んだが
なぜか攻撃は止まらない。

そしたらね 後ろから 私の背広の裾を
引っ張るやつがいるから 見たらさ

さっきのテロリストでね…

覆面をかぶって襲撃してきたのは
一体 何者か?

その正体に気付いた者がいる。

当時 一等書記官だった…

ペルーの治安問題や国内情勢に通じていた
小倉は

仕事柄 襲撃者を冷静に観察していた。

まず やたら…

貧富の差が激しいペルーで

格差是正と政権打倒を叫ぶ
左翼武装組織の一つだ。

その手口は 無差別テロではなく

要人誘拐など
身代金目的の犯行が多かった。

それは…

当時の大統領は
日系のアルベルト・フジモリ。

国民から絶大な支持を受け
白人以外で初めて その座に就いた。

フジモリが掲げた最も重要な公約は…

それまでペルーでは
一般市民を巻き込んだ…

フジモリは 徹底的な取締りを断行。

次々と反政府組織の幹部を検挙し

僅か5年で ほとんどの組織を
壊滅へと追い込んでいった。

そんなフジモリに対し 土壇場の反撃を
虎視眈々とねらっていた男

それが 事件の首謀者…

MRTAのリーダーだ。

事件当日 夜9時

セルパの要求が
地元ラジオ局に伝えられた。

メンバーは 14人。

セルパを筆頭に 幹部が4人。

その下に 10人の構成員がいた。

人質たちは この構成員に驚いたという。

全員が男とばっかり思ってたらば

結局…

それも…

セルパたちの襲撃は

600人以上の人質を拘束するという
成功を収めた。

だが 彼らは
犯行直後 予想外の行動をとる。

なんと 女性と老人を中心に
200名以上の人質を解放したのだ。

しかし それは
彼らの慈悲からの行動ではなかった。

中には まだ400人ほどの男たちがいた。

長期戦となることを想定し

人質として価値のない者を
早い段階から切り捨てたのだ。

この事態に
当時の日本政府も すぐに動いた。

時の首相は 橋本龍太郎。

人命保護を最優先するよう
フジモリ大統領に申し入れた。

人質がおかれた状況は どうだったのか?

もう だから こうやって…

こういう感じで。

ですから 大体 日本だと…

もう だから…

一刻も早い解決を願う人質たち。

しかし 4日目。

その期待は
フジモリの言葉で打ち砕かれる。

フジモリ テロリスト 日本政府。

三者の綱引きは 以後4か月もの間 続く。

先の見えない暮らしが続く中
人質は何を心の支えにしていたのか?

酒井の手に その答えがあった。

これがね 一番最初に
私が家族宛てに書いた

いわゆる メッセージです。

12月19日から。 これが第1通目です。

ですから 中から書いたメッセージは

まず 中でテロのチェックを受け
それで 外に持ち出されて

国際赤十字の事務所
あるいは 日本赤十字の事務所で

結局 家族が受け取ると。

許されたのは 週に2通まで。

スペイン語で書く。
テロリストの名は伏せる。

枚数も制限される。

その条件で多くを伝えるために
こんな工夫をした。

ちょっと漫画チックに描いたんですけど

朝起きたらば
歯を磨いて コーヒーを飲んで

ラジオ体操して
本を読んで マージャンをして

で これ ロウソクなんですが…

絵文字に託して伝えた 中での暮らしぶり。

家族との絆が酒井を支えた。

この事件 長いですけど やっぱり

最初の1週間と 最後の突入の時は
やっぱり 今でも忘れませんよね。

(取材者)
やっぱり 武力突入が怖いから…?

そう そういうことですね。

そんな中 酒井は奇妙な音を聞いた。

それは 地下でトンネルを掘る音だった。

武力突入の準備が始まっていた。

(銃声)

立てこもるテロリストに対して

ペルー政府は ひそかに
武力突入の準備を進めていました。

作戦の鍵となった一つの言葉があります。

この謎めいた言葉が
作戦決行の合図になりました。

第2の視点は

人質になった…

なんと この人物が
中から作戦開始の合図を送ったのです。

でも 一体 どうやって…?

テロリストたちの目をかいくぐって
命懸けで やり遂げた

信念のアナザーストーリーです。

突入のまさに直前 公邸の中から
発信された音声が残されていた。

合言葉を発信したのは この男…

捕らわれの身だった彼が 外の突入部隊に
向けて 作戦開始の合図を送っていた。

さまざまな条件が全て満たされたと
私が判断した時 最後に言うのが

「マリアは病気だ」という言葉。

それが突入の合図になっていたんだ。

世紀の救出作戦は
いかにして行われたのか?

リマから郊外へ およそ15キロ

その男は 築100年を超す大豪邸で
使用人と共に静かな余生を送っていた。

元ペルー海軍中将。

15歳で入隊してから50年 海軍一筋。

勲章が彼の長年にわたる功績を
裏付けている。

事件当時は退役していたが 日本政府から
パーティーに招かれ 偶然 巻き込まれた。

かつて テロリスト撲滅を指揮した
ジャンピエトリ。

襲撃犯を どう見たのか。

彼らには戦闘経験があった。

テロリストは
人質の武器 携帯電話を没収し

軍や政府の関係者などを
二階に移して隔離した。

その中に ジャンピエトリの姿もあった。

彼は この時から
早くも行動を開始していた。

二階の部屋に
アルファベットで
暗号名を付けた。

居場所を正確に
把握するのが
軍隊の鉄則だからだ。

捕まったら逃げる

それを軍で たたき込まれた。

そのために あらゆることを考え抜くんだ。

必ず始まると確信した
人質奪還作戦に向けた準備の一つだった。

事実 ペルー政府は
驚きの計画を開始する。

隣にある民家から
地下道を掘って

公邸に
攻め込もうというのだ。

高さは およそ1メートル50センチ。

国営鉱山から ひそかに集められた
労働者が

事件直後から 8時間交代で掘り進め

作業の状況が逐一
作戦本部へ伝えられていた。

掘る音にも 対策が講じられた。

♬~

それが この巨大スピーカー。

大音量で音楽を流し
武装した警察隊を行進させた。

なんと これが意外と効果があった。

(取材者)
それ ず~っと昼間 鳴ってるんですか?

ええ…

テロリストたちは
この大音響を警察の挑発と思い込み…。

(銃声)

装甲車を銃撃。

緊迫の事態となったが 幸い
トンネルに気付かれることはなかった。

このころ ジャンピエトリは
外との連絡手段を探していた。

他の人質にも分からぬように
ひそかに行動し始めた。

その理由は…。

こういう時は 隠しマイクが仕込まれる。

だから 私は
差し入れの携帯用のトイレだとか

あらゆるものに
こっそり話しかけていたんだ。

(報道関係者)あれは魔法瓶か?
魔法瓶。 ポットですね。

ペルー政府は 赤十字を通じて
差し入れられる日用品などに

隠しマイクを取り付けていた。

これは 突入作戦後に
回収されたギター。

ジャンピエトリ宛てに
妻が送ったものだ。

そこにも隠しマイクが
仕掛けられた。

マイクは ケースのほうにあった。

この金具の中だよ。

私の声が聞こえたら

あした 「ラ・クカラーチャ」を
スピーカーで流してくれと頼んだ。

そうしたら 曲が流れたんだ。

隠しマイクは使えると確信したよ。

(取材者)青木さんたちには お祈りを
ささげてるようにしか見えなかった?

テロリストにも そうとしか
見えなかったでしょうな。

ジャンピエトリは
祈りをささげたのではなく

聖書に隠されたマイクで
情報を送っていたのだ。

使われた暗号も
聖書にちなむものが多かった。

一階は「地獄」 二階は「天国」

突入隊員は「天使」などだ。

これで 中の情報は発信することができる。

あとは外からの情報を どう受け取るかだ。

難しいと思われた この問題も
一人の兵士が解決した。

なんと この兵士
ポケベルを隠し持っていたのだ。

身体検査の時 私は とっさに

ポケットにあったポケベルを
股間に寄せて守ったんです。

そこだけが触られない場所だったからね。

電池は 大胆にも
テロリストの部屋から盗み出していた。

一回に送られてくるメッセージは 50字。

それを書き写して
ジャンピエトリに渡していた。

このことは
限られた者しか知らなかったのだが…。

ある時 私がトイレでメッセージを
書き写しているところを

他の人質に見られてしまったんです。

その時は 「危険すぎる
すぐ捨てるべきだ」と言われました。

でも 「それは違う。 これを守ることが
我々が生き残る道だ」と言いました。

地下トンネルも順調に掘り進んでいた。

ところが この日
思わぬ事態が巻き起こる。

僕ら 二階にいたんですけどね。

(取材者)そのテロリストたちが?
うん。 行ってみたらさ…

(取材者)亀裂が入ってたんですか?

この日のテロリストの無線通話でも…。

トンネル作戦がバレた! …かに見えたが。

テロリストは この時
重大なミスを犯した。

一階にいた日本人たちを
二階へ上げてしまったんだ。

これは致命的だった。

実は作戦上
最大の懸案となっていたのが

一階に寝泊まりしている
日本人だった。

彼らがいては
床を爆破することはできない。

テロリストは トンネルの穴から
人質を奪われることを恐れたものの

爆破の可能性までは考えなかったのだ。

このころ リマ郊外の陸軍施設では
突入部隊が訓練の仕上げに入っていた。

これが 23年前の その現場。

現れたのは なんと日本大使公邸。

これは当時 造られた
日本大使公邸のレプリカ。

大きさも 使われた
建材も 全て同じもので出来ています。

フジモリは 武力突入を見越して

事件勃発直後に
大使公邸の設計図を取り寄せ

ここに全く同じ建物を造り

訓練を開始させたのだ。

ホルヘ・イスキエルドは
ここで訓練を積んだ突入部隊の兵士だ。

陸海空 三軍から選ばれた精鋭149人が

3か月間 訓練を重ねた。

この部屋は
突入作戦の最終テストを行った場所です。

大統領の他 諜報部 作戦本部長など
現役の軍幹部は皆 参加していました。

ジャンピエトリからの情報で
午後は いつも この部屋で

テロリストたちが
サッカーに興じることが分かった。

その時を狙って 床下を爆破。

二階の人質に被害が出ないよう
爆薬の量を調整した。

さまざまな条件が全て満たされたと
私が判断した時 最後に言うのが…

それが突入の合図になっていたんだ。

何かあれば 床に押し倒され

銃を頭に突きつけられ

次は殺すと脅されていた。

作戦が決行されれば 人質の3割ほどが
死ぬと考えていたが

その時の思いを 今は口にはできない。

ジャンピエトリは ひそかに遺書を書き
死ぬ覚悟を決めていた。

それは今も 開けられぬまま手元にある。

事件発生から127日目 運命の日を迎えた。

突入部隊は既に
2日前からトンネルに待機し

ジャンピエトリからの合図を待っていた。

その日の2時ごろ 私が階段の上から
テロリストを見張っていると

案の定 下で8人がサッカーを始めました。

上にいた見張りは 1人だけでした。

そして 午後3時20分。

この音声記録は 作戦決行の合図を送った
ジャンピエトリ自身の声だ。

彼は 合言葉を発した。

(爆発音)

(銃声)

突然 ドーン!

次々にドーンドーンドーンと 違う所の…
仕掛けてあった爆薬が爆発して。

酒井たちは 鉄格子付きの窓を破り

二階から飛び降りたところを
部隊に保護された。

テロリスト殲滅
人質救助に要する時間は

5分と想定されていた。

私は ここから
下をのぞき込んでいたんですが

階段を駆け上がってくるテロリストが
見えて

急いで向こうの部屋へ飛び込みました。

(爆発音と銃声)

正面玄関を突破した
イスキエルドの部隊は

螺旋階段で リーダーのセルパと遭遇

射殺した。

ペルー人の人質1人と

突入隊員2人の命と引き換えに

日本人24人を含む 71人が救われた。

「中を制圧したものとみられます」。

テロリストの旗が降ろされたのは 40分後。

ジャンピエトリは
幸運にも無傷で救出された。

別に私が勇敢だったから ああした行動を
とったというわけではないんだ。

テロリストに
この国を潰させるわけにはいかない。

それが私の生き方なんだ。

作戦は成功し
日本人の人質は 全員が救出されました。

しかし
犠牲者が出なかったわけではありません。

そして テロリスト14名が全員死亡。

事件の解決には 本当に武力突入しか
方法はなかったのでしょうか?

塀の外で力を尽くした
人物の視点に立つと

もう一つの可能性が見えてきます。

第3の視点は

メキシコ大使だった 寺田輝介。

現地に乗り込み 最後の最後まで
平和的解決の道を探り続けました。

テロリストと直接交渉した人物が
23年後に初めて明かす

アナザーストーリーです。

ここで 時計の針を巻き戻してみよう。

武力突入の3か月ほど前。

実は この時 事件の行方を左右する
重大なシーンがあった。

♬~

大音響を警察の挑発と勘違いし
テロリストが銃撃した場面だ。

(銃声)

トンネル作戦を知らされていなかった
日本政府は

一触即発の事態を引き起こした
ペルー政府に 強い懸念を抱いた。

急きょ 橋本首相自らがトロントへ飛び

今後の方針について
フジモリ大統領と話し合うことになった。

(カメラのシャッター音)

日本側は
テロリストとペルー政府の間に

保証人委員会という第三者機関を置き

平和的解決へ向け
対話することを提案した。

この時 名指しで保証人委員会に
送り込まれたのが

当時 メキシコ大使だった…

(取材者)今回 初めてですか。

(笑い声)

寺田は これ以前から
フジモリとは親交があり

その性格や考え方も よく知っていた。

とすると…

もちろん…

公邸の外から人質の命を
守ろうとした男の戦いとは?

保証人は 寺田の他に

カトリック教会のシプリアーニ大司教と

ヴィンセント カナダ大使。

三者で対話を進めることになった。

これが 予備的対話した時の
最初の第1回の時の私が取ったメモです。

テロリスト幹部たちの印象が
記されている。

この日の相手は
セルパの右腕だったロハス。

「革命の闘士とのイメージから遠い
かなり学生臭いところがあり」。

彼らの要求は2つ。

1つは 刑務所にいる仲間の釈放。

2つ目は 自分たちの
亡命先の確保だった。

だが あのフジモリが
仲間の釈放に首を縦に振るはずがない。

そこで寺田は 亡命の可能性から考えた。

キューバ あるいは
ドミニカ共和国であると。

で やはり…

キューバ革命を理想とする
セルパたちにとって

この国を治めるカストロは いわば英雄。

この提案に フジモリも乗った。

3月3日
電撃的にキューバを訪問すると

カストロに セルパたちの受け入れを
じか談判したのだ。

カストロは 平和的解決を条件に
セルパたちの受け入れを認めた。

我々は ゲリラ側に言ったんですよ。

いくら何でも君たち…

手紙を書けと。 それが これなんです。

幹部4人が連名で記した その手紙には

カストロへの感謝と敬意が
込められていた。

平和的解決への道筋が かいま見えた。

しかし その場合でも…

寺田たちは1か月以上 交渉を重ねた。

その中でセルパは
意外な言葉を漏らしたという。

かたくなだったテロリストが
徐々に心を許し始めた。

寺田にとっても予想外の反応だった。

同じ頃 公邸内でも日本人の人質と
テロリストの関係に変化が起きていた。

差し入れで届けられる
日本人用の和食弁当に

テロリストたちが
興味を示すようになった。

よいしょ。

リマで46年 のれんを守り続けている
和食料理店のオーナー 深澤宗明は

その弁当を作っていた料理人だ。

やっぱし…

もう動けないんだろうから。

深澤の他に 後輩 小西紀郎の店も
弁当を提供した。

二人は 人質が少しでも
食事を楽しめるように

メニューに工夫を重ねた。

牛肉のグリーンアスパラ巻きに
デザートの大福を添える日も

冷やし中華を作った日もあった。

さまざまな味わいに富んだ
深澤たちの弁当は

人質だけでなく テロリストまで喜ばせた。

他にも 若者たちが特に驚き
気に入ったのが…。

若い子の中にはね…

更に 食べ物以外にも…。

例えば…

(取材者)それ貸してくれ みたいな?
貸してくれとは言わない。

なんと 平仮名や片仮名を
読めるようになった者までいた。

読んでやると とても喜んでね…

ですから…

終わるのかと。

そして セルパは ついに
仲間の釈放についても本音を話し始めた。

ナンシーは セルパの妻で組織の幹部。

1年前に捕まり
終身刑の判決を受けていた。

寺田ら保証人が
この事件の落としどころと見たのは

人質全員とナンシー1人を交換し
テロリストをキューバへ送ること。

これで誰一人 命を落とすことはない。

もちろん…

ただ その時 やはり…

この日も
頑として釈放を許さないフジモリ。

それに対し 保証人の一人
シプリアーニ大司教は

粘り強く説得を続けた。

しかし この時
既に突入部隊が準備を終え

トンネルに待機していることを
保証人は誰一人 知らされていなかった。

そして…。

(爆発音)

突入が強行された。

(爆発音)

127日間。

気の遠くなるような長い監禁生活を
耐え抜き

ついに解放の時を迎えた人質たち。

日本で報道を聞いた誰もが
ホッと胸をなで下ろしました。

しかし 当事者一人一人の目には
事件の結末が

少しずつ
違って見えたようです。

体験した者でなければ分からない
その言葉に耳を傾けてみましょう。

突入部隊が訓練した大使公邸のレプリカ。

押収されたテロリストの武器と共に
今は一般公開されている。

もし あの時 テロに屈していたら

今のペルーは 国として存在していないよ。

やっぱり許されない手段と思ったけれども
しかし 人質の皆さんが全員

無事に解放されたと。 その点
やっぱり評価しないといけませんね。

確かに アルバイト気分でね
罪の意識も何にもなくて

事実 我々 誰一人として傷つけていない
子供たちをね

ああいう目に遭ったのは気の毒だけども
悪いのは向こうのはず セルパです。

(取材者)来たんですか。
えっ でも 撃たなかったってこと…?

直後に そのテロリストは射殺された。

結果だけを見れば
成功したんだなと思いますけど

ただ極めて無謀な作戦だったと
思いますよ。

どうなるか分からなかったという。

(取材者)あっ そうなんですか。

人質生活の中で 酒井は
テロリストにピアノを教えていた。

こう 私が下弾くと 上… テロのほうが…。

♬~

…って こう弾くわけ。

そういう だからコミュニケーションが
早い段階から そのテロのね

セルパを除くやつとはできたわけ。

だから 非常に だから最後の突撃の時に
テロが我々を撃たなかったと。

やっぱり人間だもんね。

リマ市内には
今も日本大使公邸の跡地がある。

扉には あの時の戦いの激しさを物語る
銃弾の痕が刻まれたまま。

23年前 ここに日本大使公邸があった。


関連記事