にっぽん!歴史鑑定 謙信が招いた?戦国の勢力図を大きく塗り変えてしまった兄弟げんか「御館の乱」の真相とは!?…


出典:『にっぽん!歴史鑑定▼謙信が招いた?戦国最大の兄弟げんか・御館の乱』の番組情報(EPGから引用)


[字]にっぽん!歴史鑑定▼謙信が招いた?戦国最大の兄弟げんか・御館の乱


謙信が後継ぎを決めずに急死し、二人の養子・景虎と景勝が激突!武田勝頼が金で寝返り?北条氏政は弟・景虎を見捨てた?乱世の勢力図を塗り変えた兄弟げんかの真相とは!?


詳細情報

出演者

【歴史鑑定人】田辺誠一【ナレーター】鈴木順

番組内容

越後の龍と恐れられた上杉謙信が後継ぎを明言せずに急死…。生涯独身を貫いた謙信には実子がなく、いたのは2人の養子…景虎と景勝。謙信が後継者と考えていたのは景虎だったのか?それとも景勝だったのか?やがて、二人は当主の座を争って激突!武田勝頼が金で寝返り?北条氏政は弟・景虎を見捨てた?信長・家康連合軍も絡み、戦国の勢力図を大きく塗り変えてしまった兄弟げんか「御館の乱」の真相とは!?

HP

http://www.bs-tbs.co.jp/kantei

監督・演出

秋山翔太

制作

2020年


『にっぽん!歴史鑑定▼謙信が招いた?戦国最大の兄弟げんか・御館の乱』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

にっぽん!歴史鑑定 謙信が招いた?戦国の勢力図を大きく塗り変えて
  1. 景勝
  2. 景虎
  3. 謙信
  4. 北条
  5. 御館
  6. 自分
  7. 当主
  8. 後継者
  9. 春日山城
  10. 道満丸
  11. 上杉家
  12. 二人
  13. 武田
  14. 上杉
  15. 同盟
  16. 兄弟
  17. 養子
  18. 家督
  19. 勝頼
  20. 援軍


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<時は戦国の世>

うっ… うぁ…

<越後の龍と恐れられた
上杉謙信が>

<突如 倒れ>

<そのまま
目を覚ますことなく>

<4日後に亡くなりました>

<生涯独身を貫いた謙信には
実子がなく>

<いたのは 二人の養子>

<景虎と景勝>

謙信は この二人を
ともに後継者候補としていたのですが

どちらに家督を継がせるのか

明言する前に急死してしまったと
いわれています

そのため

後継者は自分だ!
後継者は自分だ!

ああ…
まあ まあ まあ まあ まあ まあ

二人は一歩も譲らずに対立

御館の乱と呼ばれる

へと発展してしまうのです

そして周辺諸国まで巻き込んで

大きく膨れ上がった この乱は

その後の戦国の勢力図まで

塗り替えてしまいます

そう もし この御館の乱が起こらなければ

あの 信長も秀吉も家康も

天下人には なれなかったかもしれないのです

戦国最大の兄弟げんか 御館の乱とは

一体 何だったのか?

その真相に迫っていくことにしましょう

<謙信が後継者と考えていたのは 景虎か?>

<それとも景勝だったのか?>

<実は 三人目の候補者がいた?>

<そこに秘められた 謙信の思いと>

<綿密な構想とは?>

<戦国最大の兄弟げんかは>

<なぜ起こってしまったのか?>

<その
真の原因を教えてくれるのは>

<当時の落書き?>

<原因は 景勝が>

<戦国版
笑わない男だったから?>

<景虎の援軍に
戦国最強の武田軍が参陣>

<絶体絶命の危機に
景勝が繰り出した>

<驚きの策とは?>

<その歴史の謎 鑑定します!>

<越後国の戦国大名・上杉謙信の養子で>

<義兄弟だった 上杉景虎と景勝>

<兄に当たる 景虎は>

<天文23年 1554年>

<相模国を治める
北条氏康の七男として>

<生まれたといわれています>

<元の名は>

<その頃の北条は 上杉の宿敵である>

<武田と同盟を結んでいたこともあり>

<上杉とは
敵対関係にありました>

<ところが>

<北条氏康は>

<を図り>

<武田との同盟を破棄>

<上杉と手を結ぶのです>

<そして その2年後>

<謙信は 同盟の証しとして>

<北条から差し出された男子を
養子に迎えます>

<それが 当時17歳の三郎でした>

<三郎が謙信の養子に選ばれた
理由について>

<上杉氏の歴史に詳しい>

<乃至政彦さんに伺いました>

元々 北条では当時の当主の

北条氏政の次男を

送ろうと考えていたんです

ただ まだ幼くて5~6歳ぐらい

他国に遣わすには ちょっと

心苦しいものがあるということで

見直されたのが 北条三郎

のちの
上杉景虎だったわけですね

三郎は当時 今でいうと
高校生ぐらいの年齢だったんですけど

ちょうど謙信には 景虎の年齢に近い

姪がいたんですね

で 結婚させれば同盟が
より深く結びつくということで

景虎が選ばれたのだと思います

<こうして 三郎を越後に迎え入れた謙信は>

<すぐに姪の清円院と祝言を挙げさせ>

<自身の若い頃の名前である>

<景虎を与えて>

<上杉景虎を名乗らせます>

元々の自分の名前を与えるっていうのは

謙信が特別扱いをしてるなっていうのが
上杉家でも伝わってくる

で 他国からも ああ
謙信が自分の息子にするんだっていうのが

これが はっきり分かるということ

後継者は上杉景虎だということを

内外に伝える狙いもあったのではないかなと
思います

<そして 景虎は>

<謙信の居城である 春日山城の>

<三ノ丸に住むこととなりました>

結婚の翌年には

景虎と清円院の間に

長男の道満丸が誕生

謙信は初孫の誕生を

とても喜んだと
いわれています

景虎が 謙信の後継者候補の筆頭であることは

誰の目にも明らかでした

しかし

それから数年後 謙信は

もう一人の養子

すなわち 景勝を

景虎に勝るとも劣らない
厚遇で迎え入れるのです

二人の後継者候補が
並び立てば

そこには
もめ事が起こるのは必至

なぜ 謙信は
もめ事の種をまくようなことを

わざわざ したのでしょうか?

きっと 何か事情があったはずです

ちょっと調べてみることにしましょう

<謙信が景勝を もう一人の
後継者候補とした理由>

<それは 景虎の実家である
北条氏にありました>

<景虎が謙信の養子となった翌年のこと>

<景虎の実の父である
北条氏康が この世を去り>

<すでに家督を継いでいた>

<次男の氏政が全権を握ります>

<すると氏政は 上杉と同盟を結んでいながら>

<水面下で武田との関係改善を図り>

<再び同盟を結ぶのです>

<そこには こんな狙いがありました>

謙信が敵対していた
武田と改めて同盟を組むというのは

上杉家と
なにも けんかをしたいわけではなくて

上杉 北条 武田で組んだらいいんじゃないかと
そういう発想をしたんだと思います

お互いに みんな得をするという
考え方があったんだと思います

<しかし
北条と手を組んで>

<武田を討つつもりでいた
謙信にとっては>

<裏切り以外の何ものでもなく>

<すぐに手切れの書状を送りつけて>

<します>

<これに 誰よりも驚き>

<そして嘆いたのが
他ならぬ景虎でした>

<裏切り者の北条の血を引く自分は>

<殺されても仕方がない>

<少なくとも
追放はされるだろうと諦めました>

<ところが 謙信は>

同盟が
これが破棄をすることになってしまった

だからといって 景虎が決めたわけではなくて

周りが勝手に動いたわけですね
景虎は この時点では むしろ被害者に近い

まあ 上杉謙信は一般に
節義を重んじる武将だといわれますけど

この人物を さらに不幸のどん底に追い詰める
なんてことは やっぱり

謙信の良心から考えても
やっぱり よくはない

戦略でいっても やっぱり よくはないですね
イメージ戦略からいっても

で その時 上杉景虎

すでに謙信の姪との間に
息子が生まれてて

これを引き裂くのは
やっぱり謙信としても

よくないだろうという思いが
あったのではないかと思います

<この謙信の情愛に
景虎は心を震わせたようで>

<それまで使っていた北条一門の花押をやめ>

<謙信に倣った花押を用いるようになります>

<という自負の表れでした>

<しかし 北条家出身の景虎が>

<後継者候補であり続けることに>

<不安を感じる家臣も
少なからずいました>

<こうした家臣達の声に 謙信は>

<そんな中>

<景虎の運命を決定づける事件が起こります>

<上杉と北条が
争奪戦を繰り広げていた>

<関宿城が
北条の手に落ちたのです>

現在の千葉県の野田市にある 下総国にあった

関宿城 ここは非常に
戦略的に重要なところ

しかも 利根川の水運の
要所でもある

経済的にも軍事的にも
非常に大切なところだったわけですね

北条氏康も重々知っていて

この城をとることは
一国をとるに等しいぐらい重要だと

主張してたぐらいなんです

で これを奪われてしまうと
大変なことになると謙信は見ていた

で それが上杉と北条の激しい争奪戦の果てに

とられてしまうわけですね

<関宿城が北条の手に落ちたことで>

<謙信は大きな戦略転換を
余儀なくされます>

<それが
景勝を迎え入れることでした>

<弘治元年
1555年生まれの景勝は>

<景虎より 一つ年下>

<元の名を顕景 別名 喜平次といい>

<父は越後国 上田長尾家の当主>

<母は謙信の姉>

<つまり 顕景は謙信の甥で>

<景虎の妻・清円院は妹でした>

<顕景 10歳の時に>

<父・政景が湖で溺死>

<すると 叔父である
謙信に引き取られ>

<我が子のように
かわいがられたといいます>

<十代後半で実家に戻り>

<その後は
上杉家の主力部隊・上田衆の長として>

<様々な戦に参陣>

<そして 関宿城が北条の手に落ちた翌年>

<再び 謙信の養子として迎えられたのです>

<謙信は顕景に
上杉姓を与えて>

<上杉景勝を名乗らせ>

<自身の官職である弾正少弼を譲ります>

<さらに 春日山城の
城主である謙信の尊称>

<御実城様に よく似た>

<御中城様という呼び名を与え>

<その 御中城様を
一門の筆頭に置いた>

<上杉家臣団の名簿を
新たに編さんしたのです>

<これまた>

<ですが>

後継候補は
景虎じゃなくて景勝かもしれないなと思うと

やっぱり戦略上 上杉にとっては有利ですし

周りに対しての安心感にもつながる

景虎が 例えば総大将として
関東へ出陣してきたら

みんな ちょっと
不信感がありますよね

で ここへ景勝を持ってくる

景勝という人は もう十代の頃から

自分の軍団を率いて 関東に
何度も進出しているわけです

北条と何度も戦ったこともある
ということで やっぱり

景勝っていうのは ここで
表に出ざるを得なかったのかなと思います

<つまり 謙信は>

<家臣達の不安を払拭し>

<反北条の士気を高めるために>

<戦の経験も豊富な景勝を>

<もう一人の後継者候補としたのです>

<しかし どちらが後継者候補の筆頭なのか>

<明言はしませんでした>

<こうして 二人の養子を得た謙信は>

<北陸方面を ほぼ平定>

<さらには手取川の戦いで>

<織田信長の軍勢を撃退>

<越後の龍ここにあり と その名を轟かせ>

<関東平定に乗り出そうとしていました>

<ところが>

うっ… うぁ…

<突如 倒れます>

<通説では脳卒中で>

<そのまま一度も
目を覚ますことなく>

<4日後に息を引き取った
といわれています>

<そのため謙信は 後継者が
どちらであるのか言い残すことができず>

<景虎と景勝による家督争い>

<御館の乱が勃発したと>

<いわれてきたのですが>

<謙信は後継者について
どう考えていたのでしょうか?>

<これについては 二人に
家督を分割譲渡するはずだったという説や>

<最後まで後継者を決めていなかった
という説などもあり>

<江戸時代から
多くの研究者達が>

<意見を戦わせてきましたが>

<いまだに定説はありません>

<しかし 乃至さんは こう言います>

私は 謙信は
もう この時すでに後継者というのは

はっきり心の中で決めていたと

最後には後継者を
しっかり自分の言葉で伝え残したと思います

えっ 乃至さん

それは どういうことでしょうか?

謙信が何も言い残せずに

亡くなったっていうのが通説なんですけども

実際には そうではないらしいんですね

謙信が亡くなった病気っていうのが

景勝の当時の書状によると
「不慮之虫気」って書いてあります

「不慮之虫気」っていうと

脳卒中っていうふうに
解釈をしてる方 多いんですけども

どうも そうではないらしい

内臓疾患と
読むのが妥当かな

内臓疾患だったら
脳の病気で

亡くなったのでは
ないわけですから

ちゃんと遺言を残せたはずですね

そうなんですか

謙信の辞世の句は残ってるわけですから

急に倒れて そのまま亡くなってたら

辞世の句なんて絶対 残せないわけですね

謙信は しっかりと自分の意思を

言葉で伝えることができたはずです

なるほど

では 謙信は後継者を誰にすると

遺言したのでしょうか?

というのを

はっきり示したと思います

まあ ただ
景勝は後継者ではあるけども

あくまで中継ぎ
で 最終的な後継者というのは

景虎の息子である道満丸

謙信唯一の男の孫ですから 道満丸は

まあ 後継候補としては もう
これ以上の人はいないだろうと

えっ 景虎でも景勝でもなく

初孫の道満丸ですか?

景勝にしても 景虎にしても
家中が割れる可能性が高いわけですね

で その折衷案というわけではないですけども

道満丸だったら
景虎派も景勝派も

納得できる答えかなと
思うんです

謙信のすぐあとは
景勝が家督を取り仕切る

ということであれば景勝派は納得するだろうと

要は 景虎派の不満を抑えるためにも

そのあとは道満丸だということを

はっきり打ち出しておけば

火種とか問題とかを起こしにくい

そうですよね これなら

景虎も自分が身を引くことで

長男の未来が約束されるのですから

不満はないはずですよね

そうですね

当時の状況を記す史料にも
書いてあるわけですね

まあ 当時は仲よかったわけですから
納得していたっていうのは

間違いないんじゃないかなと
私は思います

でも 道満丸が成長する前に

景勝が結婚して実子が生まれてしまうという
可能性もありますよね

そうなると もめそうですが

謙信は元々 兄の長尾晴景から
家督を譲られた時に

自分は独身を通しますっていう
意思表示をしてるわけですね

兄の息子に家督をいずれ渡すっていうのを

既定路線として これを守ってたわけです

これを景勝も継承したと

自分も生涯独身というのを通すっていうのは
決まってたのかなと思います

なるほど

あっ 乃至さん ありがとうございました

どうも こちらこそ ありがとうございます

でも 結局

兄弟げんかは起こってしまうんですよね

謙信が ここまで心を砕いたのに

二人の間に一体 何があったのでしょうか?

<それは 景勝が笑わない男だったから?>

<平等寺薬師堂は
重要文化財にも指定されている>

<県内最古の木造建築の一つ>

<興味深いのは
非公開となっている堂内です>

<戦国時代から江戸時代にかけて書かれた
という落書きが>

<今も そのままの形で残されているのです>

<中でも注目すべきが こちら>

<なのですが>

<御名代とは>

<幼い当主に代わって
政務を行う後見人のこと>

<つまり 景虎と景勝は>

<道満丸が成長するまでの
後見人>

<中継ぎ当主の座を争って>

<兄弟げんかをした
というのです>

うん? 後見人の座を争って兄弟げんか…

それは おかしいですよね

だって 景虎は

息子である道満丸が

次の後継者となったことで

後見人 すなわち
中継ぎ当主が

景勝であることにも納得

景勝も中継ぎでいいと

これ 双方

うまくいっていた
はずですよね

一体 何があったのでしょうか?

え~っと…

あっ 通説によると

「謙信の葬儀後 まもなく」

「景勝は 春日山城の本丸を占拠し」

「謙信が残した」

「そして 強引に家督の継承を宣言して」

「三ノ丸にいる
景虎への攻撃を開始した」

ということなのですが

中継ぎとはいえ 景勝は当主ですから

春日山城の本丸に入ったのは当然ですよね

これ 占拠ではありません

強引に家督の継承を宣言したわけでも
ありませんよね

景勝は

三ノ丸にいる景虎への攻撃も

これ にわかには信じられませんが

う~ん?

景虎の屋敷を鉄砲で撃った みたいなことが
よく言われるんですけども

現地調査によると
鉄砲で撃ったっていう跡が何もない

例えば 鉄砲玉とかが
発掘されていないんですね

で 当時の手紙を見ると
そんなことは全く見えない

どうも景勝と景虎は 謙信死後

すぐには争ってないんじゃないか
ということは確実に言えると思います

<では なぜ御館の乱は起こったのでしょうか>

<そのきっかけをつくった
といわれるのが>

<盛氏は 非常に好戦的な男で>

<謙信の死後 上杉家に弔問の使者を送りつつ>

<その裏で 越後侵略の準備を進めていました>

<この盛氏の動きに いち早く気付いたのが>

<上杉家の古参の重臣 神余親綱>

<親綱は 三条城で厳戒態勢を敷き
戦に備えますが>

<急を要する事態だったため>

<景勝には報告しませんでした>

<すると 景勝は>

<この親綱の単独行動に
強い不信感を抱きます>

景勝は この時
非常にナーバスだったわけですね

家督を相続したばっかりで

家臣達が 自分に対して
どのぐらい信頼をしているか

というのも分からない状況で
強気に出てしまったわけですね

<あらぬ疑いをかけられてしまった
神余親綱は>

<謀など もっての外 と弁明>

<しかし 景勝は聞く耳を持たず
さらに強気に出ます>

<長年 上杉家に忠誠を尽くしてきた
親綱にとって>

<これほど屈辱的な命令は
ありませんでした>

<憤慨した親綱は>

<自分に全く非はない と
強く主張して>

<すると そうこうしているうちに>

<蘆名盛氏が越後国へ攻め込んできたのです>

<近くにいた上杉軍が すぐに応戦し
蘆名軍を撤退させましたが>

<これで
親綱の判断が正しかったことが証明され>

<景勝の面目は丸つぶれ>

<家臣達の信望を 一気に失ってしまいました>

景勝は 口数が少なくて非常に頑固

自分の考えを決して曲げず

笑ったことも ほとんどなかった
といわれています

戦国版 笑わない男
といったところでしょうか

神余親綱との関係が
こじれてしまったのも

そんな景勝の
性格が災いしたのかもしれません

圧倒的なカリスマだった謙信を
失ったばかりの上杉家は

天下統一に突き進む 織田信長や

武田信玄の遺志を受け継いだ武田勝頼

同盟を破棄した北条氏政などから

いつ攻め込まれるか分からない状況

新たな当主へ向けられる目も

必然と厳しくなります

重臣達は 口々に こう言いました

<とはいえ 当主と重臣が
仲たがいしたままではまずい と>

<謙信の義理の父・上杉憲政などが>

<二人の仲介役を買って出ます>

<しかし どちらも一歩も引かず>

<神余親綱は
景勝のもとから去っていきました>

<仲介役を務めた憲政達も>

<あまりにも頭の固い景勝を見限り>

<代わりの当主を立てようと動き出します>

<代わりの当主とは 他ならぬ景虎でした>

織田と激しくやりあってる時期なんだから

できれば 東国の有力者とは

あんまり敵対しないほうが
いいんじゃないか

ところが景勝は強硬派

家臣に対しても強気で出る

たぶん 外に対してもこれぐらい
強気に出るんだっていうのは

ある程度見えるわけですね

そう考えると 景勝だったら このあと
誰と敵対するか分からないけど

景虎だったら 少なくとも北条は
味方になってくれる可能性が高い

で 武田もおそらく
味方になってくれるだろう

その時に 上杉家の当主は

景勝のままじゃないほうがいいんじゃないかな

と考える人がいても
おかしくはないだろうと思います

<しかし ことは簡単ではありません>

<思い悩んだ末 景虎は>

<景勝に代わって当主となることを決意します>

<こうして
戦国最大の兄弟げんか>

<御館の乱が
勃発することとなったのです>

<窮地に追い込まれたのは 戦上手の景勝>

<そこで繰り出した 起死回生の秘策とは?>

<中継ぎ当主の座をめぐって
ついに争うこととなった>

<上杉謙信の二人の養子 景虎と景勝>

<景虎方には 景勝と決裂した神余親綱や>

<謙信の義理の父・上杉憲政>

<さらに 多くの上杉一門が>

<一方 景勝方には>

<謙信以来の側近や旗本達がつきました>

<両軍の>

<まさに 越後を二分した内乱だったのです>

<そして 謙信の死から およそ2カ月後
戦が始まりました>

<春日山城への入り口にあたる大場で
両陣営が激突>

<景勝方は 春日山城の本丸から>

<景虎のいる三ノ丸へ攻撃を始めました>

<すると>

<景虎は 長男の道満丸と
数十人の家臣を連れて>

<春日山城から4キロほど北東にある
御館に移ります>

<御館は 謙信が
義理の父の上杉憲政のために建てた屋敷で>

<単なる邸宅ではなく>

<堀などを備えた城塞だったといわれています>

<ここを本拠とした景虎は 16日>

<桃井義孝を大将とする およそ6千の大軍で
春日山城を襲撃>

<桃井達は 本丸目がけて
一気に突き進みますが>

<道幅の狭い門の手前で猛攻を受けると>

<進むも退くもできずに 大混乱>

<桃井をはじめ 多くの兵を失ってしまいます>

<景虎は すぐに態勢を立て直し
再び春日山城を攻めましたが>

<結果は同じ 惨敗でした>

これによって景虎の初期戦力は
全部覆ったわけですね

景勝を打ち倒す

これができれば もう
それで一発で終わってたわけですね

ところが春日山城が堅い そうすると
もうこれは長期戦しかない ということで

自分に
軍事力が そんなにあるわけではないから

外交を頼るしかない

自分は北条の出身だということで
北条に助けを求める

<しかし 景虎から援軍を頼まれた
実の兄・北条氏政は>

<援軍を送ることができません>

<そこで 氏政は>

<同盟を結んでいた武田家の当主>

<妹を嫁がせたことで義兄弟にもなっていた
武田勝頼に>

<景虎の援軍を要請します>

<これに応えた勝頼は>

<2万の大軍を引き連れて越後国へ>

<「援軍来たれり」との知らせを受けて
景虎は息を吹き返し>

<さらに>

<これで
兵力の上では景虎の軍勢が勝り>

<圧倒的優位に戦を進められる
と思いました>

<ところが>

<景勝が ある秘策に打って出るのです>

<すると 使者の言葉を聞いた勝頼は>

<侵攻をピタリとやめました>

自分は 上杉家 謙信の跡継ぎとして

まあ 領土もあるし お金もある

そのお金と領土を 勝頼に割譲する
ということで手を打ったんだと思います

お金は 何万両とか いわれてますね

ということは

武田勝頼は金に目がくらみ

景勝の策にはまった ということでしょうか?

まあ 策にはまった と言うよりは

丸く話をおさめたかった っていうのが
強かったと思うんです

もともと
北条から急に頼まれた

手伝い戦ですから

事を荒立てずに話が済めば
一番いいわけです

景勝を無理に倒す必要も
ないだろう と

判断したんだと
思いますね

そうだったんですね

景勝は これを失敗したら終わりかもしれない
という危機感があったでしょうから

打てる手は全部打ったと思うんですね

これをうまくやらなかったら
たぶん御館の乱の敗北者は

景勝だっただろうと思います

なるほど

しかし 景勝への攻撃をやめてしまったら

勝頼は 援軍を依頼してきた
北条氏政の怒りを

買ってしまうのでは
ないでしょうか

だから勝頼としても

北条の意向をできるだけ のんだ形で

景虎と景勝を和睦をさせて

どちらも これ以上争うな
ということを約束をさせたわけですね

和睦だったら 北条に対して顔は立ちますし
無理して景勝を倒さなくてもいい

なるほど 勝頼も考えましたね

<勝頼の仲介によって
一度は和睦した景虎と景勝でしたが>

<勝頼が甲斐国に戻ってしまうと すぐに破綻>

<再び 刃を交えます>

<そして 同じ年の9月>

<北関東での戦いを終えた 北条氏政は>

<景虎の援軍として>

<二人の弟を越後国に派遣>

<北条軍は 景勝方の城を
立て続けに落とし>

<春日山城の支城である
坂戸城にも攻めかかります>

<景勝方も必死で応戦し>

<双方 多数の死傷者を出す激戦となりました>

ここを落とされては あとがない

あと少し あと少し耐えてくれ

<この時 景勝は あるものを待っていた>

<果たして それは?>

<春日山城の支城 坂戸城を>

<景虎の援軍である北条軍に
攻め込まれていた景勝>

あと少し あと少しの辛抱じゃ

<景勝は あるものを待っていました>

<雪です>

<その読みどおり 10月 雪が降り始めると>

<北条軍は 坂戸城を落とせぬまま
無念の撤退>

<間もなく 越後国は深い雪に閉ざされ>

<景虎と景勝は
自らの勢力だけで戦うこととなりました>

<こうなると
地力に勝る景勝方が優勢>

<そして迎えた>

<そう宣言した景勝は>

<二度にわたる御館への総攻撃で>

<景虎方の武将を 次々と討ち果たし>

<ついには 御館の周辺に放火>

<一面 焼け野原となりました>

<景虎方についていた 上杉憲政は>

<景虎の長男・道満丸を連れて
御館を脱出>

<景勝との和議を求めて
春日山城へ向かうのですが>

<その道中 景勝の直臣によって>

<二人とも惨殺されたと
いわれています>

<道満丸は まだ9歳でした>

景虎に勝ったとしても

道満丸がいることによって
新しい火種を生むことになるかもしれない

それまで景勝は独身を通してたわけですけども

ここで菊姫を迎えるにあたり
男子が生まれていくことを見越すと

苦い決断を取らざるを得なかったかなと
思います

<一方 景虎も また
多くの家臣と共に御館を脱出>

<鮫ヶ尾城に
逃げ込んだものの>

<すぐに 景勝方の軍勢に
取り囲まれてしまいます>

(景虎)もはや これまで

<謙信の死から およそ1年後のことでした>

<そして 景虎の死を知った景勝は>

<しかし>

どうも それ以外の思いもあったらしくて

景勝は 景虎の首が持ってこられたのを見て

こんなはずじゃなかったのに と涙を流した
っていう逸話が伝えられているわけですね

ホントは殺したくはなかったかも
しれないけども

やらざるを得なかったんでしょうね

景虎の首を見て

景勝は泣いたんですね

それが真実だとしたら

あまりにも悲しい 兄弟げんかの結末です

こうして 義理の兄である景虎に勝利し

名実ともに上杉家の当主となった景勝ですが

反景勝を掲げる
武将達の抵抗は

その後
1年近くも続きました

そして…

壮絶な この戦国の兄弟げんかは

越後国に深刻な負の影響を及ぼしたのです

<義兄弟の上杉景虎と景勝が>

<中継ぎ当主の座をめぐって激突した
御館の乱>

<双方の勢力が拮抗した内乱だったため>

<上杉家は多くの武将や兵を失い>

<その軍事力は 著しく低下>

<織田信長などの軍事侵攻に>

<苦しめられることと
なりました>

<また 恩賞の配分をめぐっても>

<景勝が 自身の腹心を
あからさまに優遇したことで>

<ついには>

<平定するまでに およそ7年を要し>

<国力の低下に拍車をかけました>

<越後の龍・上杉謙信が築き上げた
上杉家の勢力と威信は>

<謙信が
後継者と見込んだ>

<二人の養子の
兄弟げんかによって>

<失われて
しまったのです>

<さらに 御館の乱は>

<戦国の勢力図も
大きく塗り替えてしまいました>

<武田勝頼が>

<景虎の援軍という
北条氏政の依頼を ほごにしたため>

<間もなくして 北条が
織田 徳川と手を結んだことで>

<武田は 三方を敵に囲まれてしまいます>

<勝頼が頼れる相手は
もはや景勝だけでしたが>

<上杉に
武田を助けるほどの力は すでになく>

<天正10年 1582年>

<織田 徳川 北条の
甲州征伐によって>

<武田は滅亡>

<上杉 武田の脅威がなくなったことで>

<戦国の世に
新たな風が吹くことになったのです>

歴史に 「もし」はありませんが

もし武田勝頼が 景虎を裏切らず

景虎が 御館の乱に勝利していれば

日本の歴史は まったく違うものに
なっていたのかもしれません

景虎が上杉の当主となり

北条 武田と手を結べば

あの信長でも 太刀打ちできなかったはず

そうなれば 信長に仕えていた秀吉が

天下人となることも

信長と同盟を結んでいた家康が
江戸幕府を開くことも

なかったかもしれません

乱世の勢力図まで塗り替えてしまった

戦国最大の兄弟げんか 御館の乱

さすがの謙信さんでも

ここまでは想像できませんでしたよね


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