先人たちの底力 知恵泉 創業者夫婦に学ぶワン・チームの作り方 北条政子~妻編 夫の頼朝が急死した後、幕府を支え…


出典:『先人たちの底力 知恵泉▽創業者夫婦に学ぶワン・チームの作り方 北条政子~妻編』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉▽創業者夫婦に学ぶワン・チームの作り方 北条政子~妻編[解][字]


源頼朝が妻・北条政子とつくった鎌倉幕府。その夫婦の知恵を探るシリーズ。今回は妻編、北条政子。夫の頼朝が急死した後、幕府を支え守った政子の非情ともいえる信念とは?


番組内容

鎌倉幕府の創始者・源頼朝は51歳で急死した。その後を受け、いわば創業の理念、原理原則を守り、武家政権を完成させたのは、妻の北条政子だった。「御恩と奉公」、頼朝がつくった組織の原理。頼朝は御家人たちの所領を保障し、御家人たちは軍役などの奉公で報いる。政子は、創業の理念をないがしろにする者は、わが子でさへ許さなかった。頼朝の後を継いだ二人の息子たちは相次いで暗殺された!母の情をも超える政子の信念とは?

出演者

【出演】外食・デリバリーチェーン会長…淺野秀則,外食・デリバリーチェーン社長…淺野幸子,榊原郁恵,帝京大学講師…佐伯智広,【司会】新井秀和


『先人たちの底力 知恵泉▽創業者夫婦に学ぶワン・チームの作り方 北条政子~妻編』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

先人たちの底力 知恵泉 創業者夫婦に学ぶワン・チームの作り方
  1. 政子
  2. 頼家
  3. 頼朝
  4. 実朝
  5. 御家人
  6. 朝廷
  7. 自分
  8. 頑張
  9. 原点
  10. 幸子
  11. 本当
  12. ピザ
  13. 後鳥羽上皇
  14. 判断
  15. 武家政権
  16. 幕府
  17. 秀則
  18. 夫婦
  19. 武士
  20. 家来


『先人たちの底力 知恵泉▽創業者夫婦に学ぶワン・チームの作り方 北条政子~妻編』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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もし こんな妻だったら
あなたの仕事 きっとうまくいきます。

源 頼朝が 日本初の
武家政権を作った鎌倉で

建久10年1月13日
人々を震撼させる事件が起こります。

なんと 頼朝が53歳で急死したのです。

死因は 落馬ともいわれていますが
はっきりとは分かっていません。

確かなことは

頼朝が打ち立てた武家政権は
まだ盤石ではないということでした。

というのも
頼朝の跡を継いだ長男の頼家は 18歳。

幕府をしょって立つほどの
政治力はなく

次々と 御家人たちと いさかいを起こす
トラブルメーカー。

三代将軍の実朝も
武芸よりも和歌に夢中になり…

…という歌を詠み

ついには
暗殺されるような人物でした。

そして 最も危険だったのが
後鳥羽上皇です。

「承久記」には こう書いてあります。

権謀術策に長けた後鳥羽上皇が

幕府を倒し 朝廷に実権を取り戻そうと
ねらっていたのです。

こうした内憂外患の危機に
幕府を強固なものに仕上げるため

立ち上がったのが…

若い頃 親の反対を押し切り

頼朝と駆け落ちするほどの情熱家だった
政子。

夫や息子たちの死にもひるむことなく
頼朝の夢の実現に邁進。

政子の活躍について
資料には こう書かれています。

一体 政子は どのようにして
女性の身でありながら

御家人たちを統率し
朝廷と渡り合い 武家政権を守り

育て上げたのでしょうか。

その政子の知恵を読み解くのは

日本生まれ 日本育ちの…

1986年 夫の秀則さんと
二人三脚で起業した幸子さん。

同じ時期に日本に進出したアメリカ資本の
デリバリーピザに対抗するため

日本人の味覚に合うピザに こだわります。

そして 1, 000枚近く試作した末 開発した
カレー味のピザが大ヒット。

その後も
照り焼き味やマヨネーズ味のものなど

アメリカのピザと一線を画すピザで
シェアを拡大。

今では…

2010年に 夫の秀則さんから
社長の座を受け継いだ幸子さんは

今も 味の管理を行い

三つ星レストランの味も

日本人の味覚に合うか
チェックしています。

夫と一緒に
次々と外食産業に旋風を巻き起こす

淺野幸子さん。

頼朝の後を受け継ぎ 鎌倉幕府を
成立させた 北条政子の知恵を

どう読み解くのでしょうか。

いや~ すごいぞ~。

今日は 現代の北条政子が来るんですよ。

楽しみですね それは もう…。
楽しみだな~。

そうですよ。
こんばんは。

いらっしゃいませ。          こんばんは。
お待ちしておりました。

どうぞ どうぞ こちらに。
今日 ちょっと あの~ うちの会長が

まだ 仕事で…。
後で来ると思いますけど。

あっ そうですか。
また その時は よろしくお願いします。

お忙しいですね。
あ… すいません。

今 でも… 大きなアレですけど

最初 だって お二人で立ち上げたって
言ってましたもんね。

そうなんです。
もう 本当にマンションの片隅で

ピザをこねまして… やったり
いろいろしてました。

もともと お料理は…。
あっ 全然 得意じゃない…。

えっ!? えっ!?
そうなんですか?

でも やらなきゃいけないと思ったら
頑張ってやったっていうこと…。

じゃ ピザも 一から勉強して?
そうですね。

もう 見よう見まねで。
えっ すご~い!

独学で あれができて…。
独学っていうか… そうなんです。

もう 本当に。
新たな発見が もうね~

いっぱいなんですけど
あの… 先週 ご主人 秀則さんにも

お話 伺ったんですけど
お二人 覚えてます?

あの 秀則さん…。
言いますか? ここで。

すごい ポロッと言ってたんですよ。

幸子さんは 56回お見合いをされて…。
何で そんなこと バラす…。

ですよね~。
はい。

その末に選んだのが
今の秀則さんだったと。  そうですね。

決め手は何だったんですか?
何ででしょうかね?

え~っと まあ まず1に明るかったです。
あ~。

だから まあ このまま ちょっと
よくないような収入であっても

やっぱり楽しく明るく生きれるというのが
一番かなと思ったんですけどね。

すごい単純でした。

でも… ねえ お二人を見てると とても
お二人が対等なお立場で話をされて

そして 仕事に向き合ってるなと
思うんですけど

先生 どうなんですか? 江戸時代って

女性が男性に仕えるようなイメージが
あるんですけど

頼朝と政子の時代っていうのは
どうだったんですか?

やっぱり頼朝の時代とかっていうのは
まだ そうではなくって

夫婦で結婚しましたってなったら
まず そもそも 実は

基本的に 男の人が
女性のところに婿入りするんですよ。

ほう~。                     うん うん。
なので 行った先は妻の実家です。

えっ!?
で その家は 当然

そのまま奥さんの財産であり続けると。

つまり 夫婦で
一つ家に住んでるんだけど ちゃんと…

だから 全然
やっぱり 江戸時代の女性とかと比べて…

はあ~。 だから ちゃんと
女性としての意見を

男性の前で言えるような
そういう男性 女性が

ちゃんと平等でいられたわけですか。
そうですね。

家の中に関しては そうですし…。

まあ 鎌倉幕府を作った頼朝が
死んじゃいましたよね。

はい 死んじゃいました。
で 夫婦で始めました。

頼朝が亡くなりました。
跡を継ぐのは 当然

男の子が 当時は継ぐんですが…

ふ~ん。
そんな政子の人生は

これから どんなことが起こるのか

今日は
見ていこうと思うんですけれども

今日ご用意したメニューがですね
こちらでございます。        楽しみ!

北条政子ですからね
こちらを用意しましたよ。

どうでしょう。
おも… 面白そうですね。

どんなものが出てくるんでしょうか。

社長さんに そういうふうに言って頂くと
ちょっと うれしくない?

そうですよね。 ぜひ食べてみたいですね。
せっかくだから。

いや でも 三つ星レストランの味も
チェックされてる社長ですから…。

厳しいですよ。
ちょっと… まあ とりあえずですね

とりあえず 知恵を見て頂くというふうに
しましょうか。 ねっ。 はい。

頼朝が死ぬと
政子は髪を落とし出家します。

この時 政子は 43歳でした。

静岡県熱海市にある…

ここに
政子が頼朝の一周忌に奉納したものが

大切に保管されています。

それが…

中央にある「阿」の文字は

人の髪の毛を織り込んで作られています。

実はこれ 政子が頼朝の供養のために
自分の髪の毛を編み込ませたそうです。

表舞台から身を引く決心をした政子は

嫡男の頼家が 18歳ということもあり

有力な御家人13人による合議制で
頼家を補佐する体制を敷きます。

ところが これに不服を持った頼家は
お気に入りの御家人5人を執事に選び

こんな命令を出します。

今 名前を言った5人と その家来たちが
鎌倉で狼藉を働いても不問とする。

それから 今後5人以外 特別な場合を除き
わしとの面会は認めない。

以上だ。

あまりにも非常識な命令に
ほかの御家人たちは

がく然としてしまいます。

政子が合議制を敷いた3か月後の7月。

頼家が事件を起こします。

事の起こりは

家来の安達景盛の愛人を
気に入った頼家が

景盛の留守中
愛人を拉致したことでした。

怒った景盛が謀反を起こすのではないか
といううわさが巷に流れると

頼家は 真偽も確かめず…

そこで動いたのが 政子でした。

政子は すぐ安達の家に行き
うわさが偽りであることを確かめた上で

頼家に書状を書きます。

その内容は…

政子の身をていした行動で
合戦は回避されますが

御家人たちの間には
頼家に対する不満が高まります。

そんな中 土地争いの裁定が
頼家のもとに持ち込まれます。

争っていたのは 神社と領主。

判断を誤れば
大きな問題になりかねません。

話を聞き終わった頼家が下した判断は
家来たちを あぜんとさせるものでした。

いちいち人をやり 検地する必要はない。

どちらの土地が多いか少ないかは
運次第だ。

今後 土地争いは こうやって裁定する。

頼家は
お互いの訴えを吟味することもなく

適当に線を引いて 終わらせたのでした。

関東の武士たちが
代々 大切に守ってきた土地。

その思いを ないがしろにした頼家に

御家人たちは
不信感を持つようになっていきます。

何だ これ?

こうした 御家人と頼家の関係に
心を痛めた政子は

頼家が行動をあらためてくれることを
願っていました。

ところが頼家は その期待を裏切り

政子に
究極の選択を迫る事件を起こします。

それは 建仁3年7月
頼家が原因不明の病に倒れ

危篤状態に陥ったことが きっかけでした。

政子は
次第に痩せ衰えていく頼家の姿に

最悪の事態を想定し

後継者を誰にするか 考え始めます。

正当な後継者は
頼家の嫡男 一幡ですが

まだ6歳で 幼すぎます。

そこで思いついたのが

政子の次男 千幡
後の実朝でした。

実朝も まだ11歳でしたが
聡明さは御家人たちの間でも知られ

何よりも 政子の実家の北条氏が
後ろ盾についていました。

悩んだ末 政子が出した結論は
領国を2つに分けて

実朝に関西38か国を 一幡に関東28か国を
譲るというものでした。

「吾妻鏡」には この案を発表したあとの
人々の反応が こう書いてあります。

この世間の不安は 的中します。

それは 頼家が病に伏して2か月後のこと。

死の淵から生還した頼家に

妻の若狭局が 療養中のことを
こう告げたことが きっかけでした。

まことか!?

実は 若狭局は 比企能員の娘で

比企一族は 政子の実家 北条氏と
幕府内の権力を争っていました。

時政め~! 許せぬ!
すぐ そなたの父を呼べ!

「吾妻鏡」には
「頼家が

比企能員と 北条討伐を
相談しているのを

障子越しに
政子が聞いていた」と

書かれています。

政子は考えます。

このままでは 父 北条時政と息子との間で
幕府を二分した戦いが起きる。

それを止めるには

既に家来の信頼を失った頼家を
廃嫡するしかない。

その判断を下せるのは

頼朝と共に ここまで
武家政権を作り上げてきた私だけ。

断腸の思いの末
政子は 父に息子の計画を知らせます。

誰か! 誰か いませんか!

北条時政は すぐに行動を開始。

「屋敷で供養があるので
お越し願いたい」と

比企能員を呼び寄せます。

計画が漏れていることも知らず
平服でやって来た能員を殺します。

当主を失った比企一族は
一幡と共に屋敷に籠城。

その討伐を命じたのが 政子でした。

この戦いで
比企一族の ほとんどの者が討たれ

政子の孫 一幡も殺されました。

捕らえられた頼家に 政子は
迷うことなく出家を命じ

伊豆の修禅寺に幽閉。

政子のもとに 頼家から

「せめて 話し相手が欲しい」と
書かれた手紙が送られてきますが

政子が返事を出すことは
ありませんでした。

そして 翌 元久元年7月18日
頼家は 北条氏の手にかかり暗殺され

23歳の生涯を終えます。
在位は 僅か4年でした。

え~っ!

「え~っ!」ですよね。
「え~っ!」ですよね~。

でも すごい判断をされますよね。

究極の判断ですよね。

じゃあ お父さんをとったように
見えるじゃないですか。

実は その直後に
今度 政子は 自分のお父さんが

別の将軍を 新しいのを立てようと
するのが けしからんということで

今度 自分の父親も
伊豆に引退させちゃうんです。

政子にとっては だから…

それが まず優先順位としては
第一なんだっていうのが

当時の政子の立場なんですよね。

創業者っていうのは そういう
厳しいものなのかなと思うんですが

どうなんですかね? その辺ね。
まあ 同意できますよね。

同意できる。 なるほどね~。
やっぱり そこに携わっている人が

やっぱり 何万人の単位でいれば

その判断は正しいんじゃないかなと
思いますよね。

きっと 幸子さんも
トップとして 組織を守るために

いろんな判断をされてきたと
思うんですけれども

何か これまで
これは大変だったんだっていうような…。

組織っていうよりは
まあ 事業の拡大をしていく時に

外国に仕事を広げていこうというような
話にもなったりして。

アメリカに進出された…。
そうですね。

一応 会長が お約束をして開いてしまった
っていうのもありますけども

結局 やっぱり
システムが違ったり 税制が違ったり

日本と向こうは違ってたものが
随分あって

なかなか 真っ赤っかな状態だったりする
場合がありまして

で そこを じゃあ いつ撤退するか
っていうような話になった時に

これ以上のお金を費やすっていうことは
難しいっていう話をして

やめたりしましたよね。

じゃあ その判断は 幸子さんが…。
そうですね。

会長さんは どんな様子でしたか?

もちろん 納得してもらいました。

もちろん 赤字がいいということは
誰しも思わないですから

その赤字を なんとか
立て直していきましょう

っていうことだと思うんですよね。

その見極めの判断ですよね。
頑張っても…。

でも 数字は もう本当に数字ですから
その数字を きちっと見て

やり直すっていうことは
そんなに難しいことじゃないんですね。

ただ やっぱり…

新しいことを始める時っていうのは

やっぱり
ちょっと考えたりとかするんですか?

それとも 「どんどん やりなさい」
みたいなものなんですか?

基本的には やっぱり
やってみないと分からないし。

ですから やってみますね 大体。

えっ!?
へえ~。

それは 個人的なね
そういうのは よくあるじゃないですか。

「やらないで後悔するよりは
やって後悔した方がいい」とかって。

でも お商売で やっぱり大きな…
社員も いっぱい抱えてる大きな会社で

それでも やはり
やってみなきゃ分からない?

やってみなきゃ分かんないですね。

で やってみた時には
最大限の努力をしますから

失敗しないって信じています。
信じきっています 自分は。

ですから 失敗しないので頑張りましょう。

それで 駄目なところは
どんどん改善していけば

どんどん改善されていきますから。

よっぽど へんてこりんなものを
チョイスしなければ 大丈夫だと思います。

その決断って なかなかできない人の方が
多いと思うんですけど

どうしたら できるんですか?

私が全て責任を取るから
大丈夫ですよって。

へえ~。

自分の失敗を認めたりとか
責任を取るっていうのが

なかなかできない一つの理由として

それをしてしまうと 何だか自分を
否定されたような気分になるところは

あるのが怖いんじゃないのかなと…。

その辺りは
どんなふうにお考えなんですか?

私の… ことは私の場合だけに関しては
責任を取るのが経営者の責任。

よければ やった人の手柄だし

悪かったら 私が責任を取るから
やってきなさいということだと

思うんですけれども。
こういう上司の下だったら

何か頑張れちゃうかもね。

新しいことにも 何か こう… ねえ
応援してもらえそうだし。

さて 政子の人生に話を戻しますと

武家政権を守るために 長男を出家させる
決断までしたということまでね

見て頂きましたけれども

更に大きな試練が襲ってくる
ということなんです。

政子が断腸の思いで退けた
長男 頼家に代えて

将軍の座に据えたのは
次男の実朝でした。

この実朝に 政子は期待を寄せ

弟の北条義時を執権に

武家政権を盤石なものに
しようとします。

ところが
将軍に就任したばかりの実朝に

京都から手を伸ばしてきた
人物がいました。

後鳥羽上皇は
天皇をしのぐ実力者と呼ばれた人物で

「新古今和歌集」を編さんし

自ら刀を鍛えるほど
武芸にも通じていました。

更に 荘園からあがる ばく大な収入で
公家や貴族たちを

意のままに動かすこともできました。

その後鳥羽上皇が
実朝に目をつけ動きだしたのです。

後鳥羽上皇のねらいは 京都と鎌倉に
政権が共存している状態を改め

朝廷が主導権を握る国家体制に
戻すことでした。

そこで 上皇は2つの手を打ちます。

1つ目が…

そのため 上皇は 官位をチラつかせ
在京の御家人たちをスカウト。

更に 身辺警護に必要という名目で
新しい親衛隊を設立します。

そして 2つ目が…

幼い実朝を
意のままに動かせるようになれば

武力を使わずとも
幕府を操ることができます。

こう考えた上皇は いとこにあたる姫を
実朝の妻に与えました。

そして その姫の影響で
実朝が和歌に熱中し始めると

歌の先生にと 京の貴族を派遣します。

こうして 実朝を
京の貴族文化にのめり込ませた上皇は

朝廷の特権である…

10か月の間に 3階級上げて

頼朝よりも高い
右大臣の地位を与えました。

こうした策は見事に当たり
実朝は後鳥羽上皇に心酔。

実朝が編さんし 京都に送った
「金槐和歌集」には

こんな歌が載っています。

…という意味で

実朝が朝廷の家来であると
宣言したにひとしく

頼朝が目指した 朝廷から独立した
武家政権の樹立に逆行する行為です。

後鳥羽上皇の術中に
見事にハマった実朝に

建保7年1月27日
最悪の事態が襲います。

この日 右大臣就任を
鶴岡八幡宮に報告し帰ろうとする実朝に

頼家の次男 公暁が斬りつけ
殺害に及んだのです。

「吾妻鏡」に書かれている動機は

「父 頼家の仇討ち」というものですが

真相は謎に包まれています。

実朝が暗殺されたことで 後鳥羽上皇は
朝廷に権力を取り戻すには

もはや 実力行使しかないと

承久3年5月15日
執権 北条義時 追討の命令を出します。

この追討命令に応えて
鎌倉幕府に不満を持つ武士たちが

京都に参集。

一方 鎌倉では 御家人たちの間で
動揺が起きていました。

追討令とともに 賊軍という汚名を
着せられたからです。

戦意は上がらず 戦うべきか迷う
御家人たちも多くいました。

この鎌倉幕府存亡の危機に
立ち上がったのが

北条政子でした。

政子は御家人たちを集め こう言います。

頼朝が反乱を起こした時に

一人一人の武士と主従関係を結んで

俺とお前は主人であり家来であると

一緒に頑張っていこうぜ
いうところから

武士たちの政権作りというのが
始まったわけですね。

そして その政権というものが成長して

それで 朝廷と渡り合えるところにまで
今 来ていると。

ここで もしも後鳥羽上皇の挑戦
というものに屈してしまったら

また 我々 武士というのは 貴族や朝廷の
言うがままの存在になってしまうぞ

…ということを 政子は
強烈な言葉で言ったわけですね。

だから 言ってみれば 政子は
自分たちの原点は どこにあるんだ。

武士政権の原点というのは何なんだ。
そこに立ち返って

もう一回 考えてみようよ
ということを言った。

そのことによって 武士たちは
今の我々の環境というものを

手放すわけにはいかないと。
そうやって 心を一つにして

賊軍という名前を着ることになっても

朝廷軍と戦おうということを
決心したんだと思いますね。

政子の演説で
原点に戻った御家人たちに

もはや迷いはありませんでした。

そして 心を一つにした鎌倉武士たちは
京都に向け出陣。

その数は 「吾妻鏡」によると
19万とされています。

対する朝廷軍は2万。

承久の乱と呼ばれる この戦いで
朝廷軍は敗れます。

勝利した北条義時は…

朝廷が所有する荘園を接収し
経済的基盤を奪います。

以後 朝廷は
幕府の援助に頼らざるをえなくなり

皇位継承も
幕府の意向が反映されるようになります。

こうして 頼朝が誕生させ
政子が盤石にした武家政権は

明治維新まで 700年近く
続くことになるのです。

はあ~。
政子さんの功績は すごいですね。

先生 どうなんですか? 朝廷から独立した
政権を作ろうとしている

関東の武士であっても 賊軍って
まあ 朝廷に敵対する軍勢ですよね。

そう呼ばれるっていうのは
ダメージのあることなんですか?

まあ 分かりやすく言うと
あいつは謀反人だっていうふうに

朝廷から名指しをされて

あいつを倒したやつには褒美をやるぞって
言われるわけですけど。

そうすると 実は黙ってたけど
北条氏に対して不満を持っていて

そういう命令が来て これはチャンスだと
思って立ち上がる人たちが

出てくるかもしれない。
あるいは 別に不満はないんだけれども

北条氏を倒して 自分たちが
取って代わることができると思う

出来心を起こす人たちも
いるかもしれない。

…という中で やっぱり 幕府の北条政子を
中心とする首脳陣というのは

やっぱり
不安を持ってたということですよね。

逆に そういうリスクがあったからこそ

政子の存在とか
政子の演説っていうものが

どれだけ すごい重要な役割を果たしたか
という話ですよね。

あっ いらっしゃい!
こんばんは。 いらっしゃいませ。

間に合ってよかった。 いらっしゃいませ。
いや~ 遅くなりました。

どうぞ どうぞ どうぞ。 いらっしゃいませ
お待ちしておりました。

会長の秀則さんにも
お越し頂きましたけれども。

酔っ払いすぎちゃってます。
ありがとうございます。

一杯 やってきたんですか?
ちょっと出来上がっていますかね。

幸子さんに ちょっとまず
伺いたいんですけれども

ここの知恵が 「迷ったら原点に戻れ」
ということでしたが

これは どう見ましたか?

それは もちろん
一番重要なことだと思います。

きちっと もう一度 精査するために
一に戻るっていうことは

重要なことだと思いますね。

政子の演説がありましたけど

それは 幸子さんとしては
どんなふうに見てたのかなと。

やっぱり 奮い立ってもらうとか
それを してもらわなきゃいけないとか

みんなを勇気づけるとか
すごく重要な局面に

皆さんが原点に立ち戻っていける言葉を
発するというのは

我々の責務だと思っています。

幸子さんも演説をしたと。
本当に もう 小さいながら及ばなく。

幸子さんが 演説をされたのは
どういうタイミングの時だったんですか?

それは
東日本の大震災があった時ですけども

やっぱり
いろいろな意味で売り上げが下がって

日本中が喪に服したと思うんですね。

いわゆる自粛ムードっていう…。
そうでした そうでした。

その自粛ムードで ピザの一枚も
ちょっと控えようかなって

思われた方も きっと
いっぱい いらっしゃるし

いろんなことを控えられた方が
いらっしゃると思うんですね。

で 我々も やっぱり 15%ぐらい
売り上げが下がったんですけども

売り上げが15%下がるっていうことは
結構な打撃があるわけですよね。

いくら15%下がったからといって
アルバイトの方を切るとか

そういうことは できないわけですから

いわゆる フランチャイズの方々が
不安に思うわけですね。

これが いつまで続くんだろうとか

そういうのを やっぱり
心の中では思ってたんですけども。

フランチャイズの会議をやった時に
申し上げたのは

今なお 売り上げが落ちても
支持して下さってる方はいるんだと。

だから 皆さん
その85%の方を どうぞ大切にして

これからも やっていきましょう
っていうようなお話はさせて頂きました。

なるほど。

ただただですね 皆さん頑張りましょう
っていうことでは

もちろん それは駄目で。
例えば 10円ポテトを作ったり

それから えっと…
もう少し安い価格帯のピザを作ったり

いろんな手を講じて
それで 皆さん頑張って

本当に やっていきましょう
っていうお話を

させて頂いたということなんですけどね。
なるほど~。

奮起させる言葉も ただ頑張れって
いや 頑張ってるよ。

頑張ってるけど
どうしたらいいんだろうっていう。

そういうんじゃなくて 具体的な…。
具体的に

こういうことを していきましょう
ああいうことを していきましょうって

次々と施策を出していった
ということなんです。

すごいな~。

秀則さん
隣で聞いてらっしゃったわけですよね。

ねえ。 どうだったんですか?
いや~ やはり

うちの一つのポイントって
何かっていうと

まあ 二輪車で進んでいるというか。
やっぱり トップが2人いることが

うちの会社の最大のポイントだと
思うんですよね。

なので
もちろん 私もやるわけですけれども。

僕は ピザとか 食べ物を通じて

みんなをハッピーにっていうか
幸せにしていこうっていうか。

温かいものを通じて みんなの喜ぶ顔を
見たいということを発信して。

社長は そういう現実的なことを言って

僕は 先の大きなことを
目標を立てていくという

こういう構図に感じたんですね。

本当 そうです。
二輪車でって おっしゃってましたけど

ねえ 大事な その車が
ちょっと別方向に行こうなんてしたら

その二輪車は成り立たないわけで。

結婚する時に みんな…
お互いに いいなと思って結婚しても

夫婦仲… 何か長いことやっていると
ちょっと バランス悪くなったりとか

何か こうね そっぽ向いちゃったりとか
っていう夫婦も

あったりするでしょうけど
経営者であり そしてまた 夫婦として

こんなに理想的な うまくいってる
パターンってないですよね。

いやいや。
いや 本当に。

やっぱり いつも常に
2人で一緒にいるからこそ

その 何て言うんですか 原点をず~っと
共有していられるというか。

結婚した そのあとに 事業をやっていこう
っていう話をした時に

日本一になりたい…
何か日本一になりたい。

事業として大きくなれるものを
目指そうというのが

いつも原点なので。 ですから 全部 事業に
全てのエネルギーをつぎ込んでいますね。

郁恵さんのところも ご夫婦で 何かこう

何か そういうの ないんですか?

もうね うちは
典型的に趣味が全く違ったんですよ。

だから ないものが相手にあったので

そこがいいなと思って
結婚したわけですよね。

でも だんだん だんだん 何で こうやって
一緒に共通点がないんだろう

何でなんだろうっていう時も
あったんですけど。

それこそ 原点じゃないですけど
いや 待てよと。

最初は 自分にないものを持ってて
この人と一緒にいると

違う自分になるかもしれないとか

自分の何か行動範囲が
広くなるかもしれないと思って

この人と結婚したんじゃないと思ったら

別に何か 同じものを求めたりとか
するとか そういうことなく。

だから いい感じの距離感で。
でも お仕事の話とかすると

ちゃんと耳を傾けてくれたり。 本当 何か
賛同してくれたりとかってすると

エネルギーが ワア~ッと こう
出てきますよね。

郁恵さんも原点に戻ってらっしゃって…。

すばらしい。
原点に戻らないと 時々ね。

ということは
じゃあ やっぱり あれですかね

会長さんは 社長さんが
奥様でいらっしゃって よかったですか?

そうですよね。 リーダーとしての資質と
あとは もう一つは

非常に こう
参謀的な部分も持っていますし

数字にも強いですしね。
何となく分かると思うんですけども

本当に スパスパ もう…
どんな方とでも ストレートに話します。

そういう意味では 時代が北条政子だと。
(笑い声)

どうでしょう 幸子さん 最後にですね

夫婦で起業する極意
聞かせて頂けますか?

たまたま 私たちは 目標が それこそ
何度も言って申し訳ないんですけど

日本一になりたいという
何か漠然とした話だったんですけど

人の まあ それこそ
10倍働けば 2人いるんだし

何十倍にもなるよねっていうような話を
ず~っとしてましたよね。

そう。
もう 本当に 昼夜関係なく

一生懸命 働くということですね。

そこは…

こちらの政権も
六百何年 続きそう…。

まず 100年とは言っている…。

まずは 100年企業にはなりたいと
思っています。 (笑い声)

(焼ける音)

昨日は チャーハン。


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