歴史秘話ヒストリア「隠された震災 昭和東南海地震」大きな被害にも関わらず、ほぼ報道されず、「隠された震災」とも…


出典:『歴史秘話ヒストリア「隠された震災 昭和東南海地震」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「隠された震災 昭和東南海地震」[解][字]


太平洋戦争中に起こった「昭和東南海地震」と「三河地震」。当時、ほぼ報道されなかったことから「隠された震災」とも呼ばれる巨大地震の実像を、当時の史料をもとに描く。


番組内容

1944年の「昭和東南海地震」は、大きな被害にも関わらず、ほぼ報道されず、「隠された震災」とも呼ばれる。その理由は、太平洋戦争の最中だったこと。政府や軍部は、戦争に対する国民の士気が下がったり、敵に弱みを握られることを警戒。その結果、被災地への支援が遅れ、直後に起きた「三河地震」への警戒も不十分になった。国の思惑を史料から探り、天災と人災が最悪のかたちで融合した震災の実像を描き出していく。

出演者

【キャスター】渡邊佐和子


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神戸の中心街です。

ビルが傾いています。

巨大な災害の その直後。

号外 出てま~す!
号外が出てます! どうぞ~!

被災地の情報は
テレビや新聞 ネットなどによって

世界中に伝えられます。

現代の社会で それは当たり前の姿。

ところが…。

今から 80年ほど前。

報道されなかった
巨大災害があったことを

ご存じでしょうか?

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今日 取り上げるのは…

80年ほど前

その被害が
詳しく報道されなかったことから

「隠された震災」とも
呼ばれています。

昭和東南海地震が
起こった当時

日本は 太平洋戦争のさなか。

開戦から 既に3年。

戦局が 悪化の一途を
たどっていた時期に
あたります。

しかも この地震は

現在 最も警戒されている
「南海トラフ巨大地震」と同じものでした。

巨大地震は なぜ隠されたのか。

まず 地震発生までの
日本国内の動きを見ていきましょう。

鳥取市 鹿野地区。

この場所に

東南海地震発生 1年3か月前の
ある出来事の痕跡があります。

それが こちらの水路。

元は まっすぐでしたが

その出来事のせいで
折れ曲がってしまいました。

ここで 要するに
断層が こうありますと…

大体 約… ここからですと…

1943年9月に発生した
巨大直下型地震。

震源に近い
鳥取市中心部では

木造家屋の
ほぼ全てが倒壊。

死者は 1, 083人。

負傷者も
3, 000人を超えました。

翌日から この地震は

盛んに報道されます。

そのことで 全国から義援金が集まり

いち早い復旧が行われました。

このころまでは
隠されていなかった震災。

しかし 兆候がありました。

国会で 鳥取地震の復興に関する質疑が
行われた この日。

質問に立った貴族院議員 大河内輝耕は

直前に 被災地を視察していました。

今回の鳥取市における震害。

これは まことに
非常な 大きな災害でございます。

ただ 幸いなことは 火事が少なかった。
この点は…。

≪本席上において

ご意見を賜ることは
結構でありますが…。

突然 大河内議員を遮る声。

政府といたしまして

次のような考慮を
持っていることだけを

お考え願いたい。

目下 戦争中でありまして

国内におけるところの震災
その他 災害というものを

敵側としては
誇大に これを取り扱っている。

速記が 直ちに
外に出るということのないように

ご注意願いたい。

議員の発言を 総理大臣が妨げるのは
議会の規定に違反する行為です。

東条は なぜ
そんなことをしたのでしょう。

…と思います。

国家が
災害情報をコントロールする動き。

それは 研究機関にも
及ぼうとしていました。

日本の地震研究の中心…

当時 助教授だった萩原尊礼は

鳥取地震の時
次のような経験をしました。

「現地調査から
帰って…」。

「ところが…」。

「このことが
あってからは…」。

更に同時期 所員たちは

陸軍所属という扱いに
変えられます。

地震観測の技術を応用し

アメリカ軍が投下した機雷を
探るといった研究に

従事しました。

そうした中 迫りつつあった
昭和東南海地震。

一人のベテラン研究者が
その気配に いち早く気付きます。

「地震の神様」と呼ばれた…

今村は 論文で

中部地方の測量データをもとに

衝撃的な事実を述べています。

「静岡県西部の海沿いで
過去数十年で

30~40センチにも及ぶ
地盤の沈下が見られる」。

更に 今村は 江戸時代に
この地域で起きた巨大地震の時も

同じ異変が見られたことを
現地調査などから 突き止めました。

…だと思いますね。

しかし 今村の論文は

国を挙げて 戦争を優先する中
ほとんど注目されませんでした。

東京への本格的な空襲が始まりました。

♬~

当時 日本軍は
南太平洋の島々で次々と敗北。

そこに アメリカ軍が 日本を
爆撃するための基地を建設しました。

昭和東南海地震は

苦境のさなかの日本に

襲いかかろうと
していたのです。

戦争への協力を求められた
日本の地震研究者たち。

実は当時 世界でも
トップレベルでした。

測量データを検証し
東南海地震の兆候をつかんでいた

地震学者の今村明恒。

実は この20年余り前

あの「関東大震災」についても

警告していました。

関東大震災をきっかけに
設立されたのが…

地震の専門家はもちろん

建築 物理といった
幅広い分野の人材を招き

地震の総合的研究が進められました。

また 現在の気象庁にあたる
中央気象台は

地震計を 全国110か所に設置。

世界にも例のない
地震の一大観測網でした。

そうした地震研究にも
戦争の影が…。

そこに 昭和東南海地震が
発生します。

(3人)3。

抜かし~。

(3人)4。

1 2 3 4。

じゃあ 次 わしじゃ。

(山下)なんや?

うわ~っ!
ま~ちゃん!

立つこともできない 激しい揺れ。

震度6強 東南海地震の発生でした。

山下正寿さんは 現在82歳。

その日の恐怖が
今も 心に焼きついています。

山下さんが
住んでいたのは

三重県南部の
紀北町 島勝浦。

入り江の奥にある漁村です。

自宅から海岸までは 僅か50m。

家に逃げ帰った 山下さんの耳に
慌てた声が聞こえました。

訳も分からず 父親に手を引かれ
高台へと急いだ山下さん。

そこで 生まれて初めて

津波の恐ろしさを
目の当たりにしました。

集落の家々が
押し寄せた水に のみ込まれていきます。

更に その直後…。

(スタッフ)え? ないようになった
っていうのは 何がないんですか?

マグニチュードは 7.9。

静岡県西部から
紀伊半島東部までの沖合の

広い範囲が震源となり

8つの県で 震度5以上の
強い揺れが観測されました。

三重県では 地震と津波による被害で
1万2, 000の建物が倒壊。

死者は およそ400人に上りました。

その時 愛知県庁の一室では
会議が開かれようとしていました。

出席者の中心は…

日本の軍需産業の一大拠点だった
東海地方で

それを指揮監督する立場に
ありました。

激しい揺れが 2分ほどでおさまると…。

(ノック)

報告します。

半田の中島 南区の三菱は
工場建物 数棟が全壊。

工作機械等も
多数 故障あり。

現在 作業を中断している
とのことであります。

急ぎ 視察をする。
はっ!

被害は
多くの軍需工場に及んでいました。

1年前に
操業を開始したばかりの

中島飛行機 半田製作所。

多くの建物が潰れ

勤労動員の生徒など
153人が犠牲になりました。

岡田は 地震発生から
3日間かけて

工場の被害を調べています。

全壊1, 731 半壊1, 281

津波による流失 81。

東海地方の軍需産業は

壊滅的な打撃を受けました。

震源から およそ300キロ。

東京では
ゆったりとした揺れが

10分以上
続きました。


揺れがおさまって しばらくすると
各新聞社の電話が鳴ります。

新聞などの検閲を行う
内務省からの連絡。

その内容が 記録に残っています。

「災害現場の写真を
掲載してはならない」。

「軍需工場や 鉄道の被害など

戦力低下の推測につながる事柄を

掲載してはならない」。

こうして 国による

昭和東南海地震の隠ぺいが
始まりました。

報道を制限された新聞は

地震発生の翌日
何を報じたのでしょうか。

一面には 軍服姿の昭和天皇の写真。

各紙 いずれも
同じです。

地震の翌日 12月8日は
太平洋戦争開戦 3年目の日。

そのため こちらの新聞は

全紙面にわたって
戦意高揚の記事を掲載。

一方で 地震に関する記事は僅かです。

被害の数などは 一切 触れていません。

東海地方の軍需産業を預かる
岡田中将に 訪問客がありました。

この時 藤原が 何を話したのか。

直後の藤原の文章から
ある程度 推測できます。

「今後も 大きな地震が発生することへの
警戒が必要です。

当局者は 十分 注意すべきです」。

地震の専門家から
次の地震への警戒を説かれた 岡田。

しかし…。

翌日 午前10時。

岡田は 工場などに動員されている若者に
訓示を行いました。

「日々の職場の御奮闘
ありがとう。

また この度の震害により

学友中に
犠牲者を出された方は

まことに お気の毒だ。
お見舞い申す」。

記録によれば 岡田は
生徒たちを ねぎらったあと

こう 続けました。

「今回の地震は

昨夜 来訪された藤原博士の
明言するところでは

遠州灘の西方海中に
震源を有するものであって

若干の被害があったのである。

しかしながら 当地区内
大多数の工場には

生産に及ぼす影響なく

被害皆無の工場すら
少なくないのである。

自己の工場に
被害を受けた人々には

相当の衝撃を与えたらしいが

しかしながら 大局に見るならば
さしたることはない」。

昭和東南海地震について 岡田は

被害の全容や 学者の警告を
承知していたはずです。

にもかかわらず
「さしたることはない」と述べました。

あるいは こう…

このあと 岡田は
速やかな工場再開のため

突貫工事を命じます。

被災地に配備されていた
軍の部隊も 復旧作業に動員。

あらゆる人員 資材が
軍需工場へ振り向けられたのです。

内務省の通達による
震災報道の制限。

軍需産業復旧のための 被害の黙殺。

こういったことから
昭和東南海地震は 隠されました。

厳しい制限の中

事実を記録するために
被災地を歩き回る人々がいました。

地震研究者たちです。

直後に作成された

3つの調査報告書が
残されています。

地域ごとの倒壊家屋や 犠牲者の数
津波の到達時刻や高さ。

被災者への
聞き取りまでを含む

昭和東南海地震の…

調査を行った一人
地震研究所の宮村攝三は

大きな被害のあった工場などの

「地盤」に注目。

すると ほぼ例外なく

「泥質沖積層」と呼ばれる
軟らかい地盤の上の埋め立て地に

建てられていました。

その場所の被害を
台地などの固い地盤の上と比べると

差は歴然でした。

宮村は 埋め立て地に建つ
軍需工場などについて

提言をしています。

「あたかも 爆弾の落ちる所の決まっている
爆撃のようなもので

そこへ わざわざ
重要施設を持っていくという愚は

何としても避けなくてはならない」。

しかし こうした研究者たちの言葉を
政府が顧みることは ありませんでした。

調査報告書は
そのまま捨て置かれたのです。

地震6日後の 12月13日。

被災した名古屋に

追い打ちとなる災難が 降りかかりました。

空襲です。

それまで 東京方面に多く飛来していた
B29が

地震後の混乱を狙うかのように
現れたのです。

爆撃目標は 軍需工場でした。

日本政府は 躍起になって隠しましたが

アメリカは
既に 地震を知っていました。

「震源は 日本の東岸から100マイルの
日本海溝の可能性がある」。

全く無駄だった 地震の隠ぺい。

その一方で 政府が顧みなかった危機が
迫っていました。

いにしえから
日本は 無数の地震に襲われてきました。

現代のような防災対策などが
なかった時代。

それでも 人々は
できるかぎりの策を講じました。

それは…。

地震の規模や 得られた教訓を
後世に伝えることです。

三重県 常福寺の
石碑には

江戸時代の「安政東海地震」のことが
記されています。

「村に達した
波の高さは

7丈5尺だった」。

大阪市内には 「安政南海地震」での教えが。

「これらの内容を
後の世に伝えるため…」。

地元の人たちは 今も 石碑に従い
教えを心に刻んでいます。

こうした
「自然災害伝承碑」は

国土地理院の調査で

全国に 400ほどが
確認されています。

ところが…

昭和東南海地震のものは
1つだけです。

大地震にもかかわらず 戦時中
ほとんど知られることのなかった震災。

これで終わりではありませんでした。

1945年1月。

東南海地震の被災地は
再び 地震に見舞われました。

被害は およそ15キロ四方という
狭いエリアに集中。

しかし その猛威は
東南海地震を上回りました。

愛知県東部を中心に

工場や役場 学校などの
大きな建物が

屋根だけを残して 潰れた光景が
あちこちで見られました。

愛知県 蒲郡市の…

境内に 今も 三河地震の
痕跡があります。

こちらは
地震が起こる前の境内です。

中央の本堂と 左のお堂は
同じ高さで並んでいました。

ところが…。

三河地震は 活断層が
総延長28キロにわたって動いた…

ひと月前の 昭和東南海地震に
誘発されて起きたと言われ

犠牲者は
2, 306人に及びました。

防災心理学を研究する 木村玲欧さんは

15年ほど前 2つの地震について

500人ほどの体験者に
聞き取り調査を行いました。

すると 体験者は
初め 思うように話せなかったといいます。

証言からは

情報統制がもたらした
弊害も浮かび上がりました。

愛知県 安城市の…

2つの大地震で

壊滅的な被害を
受けました。

聞き取り調査に答えた…

地震当時から ここに住んでいます。

東南海地震が起こった時 17歳でした。

東南海地震で傾いた家。

しかし 母一人 子一人の岩瀬さんに
修理は困難でした。

行政からの援助も…。

避難の指示もなく
ただ 壊れた自宅にいた岩瀬さん親子に

三河地震が襲いかかります。

岩瀬さんは 地震の衝撃で
家の外へ投げ出され

奇跡的に助かりました。

しかし…。

母親が 倒壊した家の下敷きになって
亡くなったのです。

既に 父親も亡くしていた岩瀬さん。

他に家族はなく 一人になりました。

本当の話が。

さまざまな理由によって

東南海地震が 隠ぺいされなければ

救われた命が あったかもしれません。

そういった…

三河地震の10日後
名古屋市で空襲があり

127人が 命を落としました。

名古屋での空襲の犠牲者は
既に 1, 000人を超えていました。

その翌日
岡田 資 陸軍中将が訪れた場所。

ふだん ニュースを放送する夜7時。

岡田は マイクに向かいました。

まず 戦局の厳しさを語ったあと
こう 続けます。

「勝利は 最後まで
勝利を確信しつつ

工夫創意を忘れず

しかも 所信を
断行するものに帰すと

信じている」。

どんなに
厳しい状況でも

戦争遂行に
まい進するよう

国民に訴えた 岡田。

更に 東南海地震直後に会った
勤労動員の若者たちを思い出したのか

こう 述べました。

「今なお 進学だの 試験だの
頭脳を悩ましている者があるのは

いかがなものでしょうか。

立て 青年よ」。

その時 17歳の青年だった 岩瀬繁松さん。

岡田がいた放送局から
30キロほどの場所で

前に進もうと もがいていました。

壊れた家のガレキを
一人 朝から晩まで 片づけていました。

まあ 今 92まで生きとって

あの地震よりつらいことは… ないですな。

まあ いくら つらいって言ったって

あの三河地震の時の あの つらさは

それこそ まあ 一番 人生でつらくて

惨めになった時かなって思いますよ。

(玉音放送)

昭和東南海地震から 8か月余り後
戦争は終わりました。

♬~

戦後 日本は
高度経済成長の時代に入ります。

それから 40年。

昭和東南海地震を上回る震災は
起こりませんでした。

歴史的にも珍しい この平穏な時期に
日本経済は 大きく発展。

戦後日本の繁栄を 大地が支えました。

しかし 1995年1月。

2011年3月。

私たちは 地震と 向き合わざるをえない
という現実を突きつけられています。

そして現在 最も懸念されている…

昭和東南海地震と震源域が重なります。

地震学者の武村雅之さんは

来るべき巨大地震に
どう備えたらよいのか

昭和東南海地震から
見つけ出そうとしてきました。

当時の震度分布や
被害状況などを分析。

現在の状況と重ね合わせて
対策に つなげようとしています。

もととなった情報は

厳しい制限の中 調査に当たった
研究者たちが残したものです。

(鈴の音)

去年12月7日。

三重県 尾鷲市では

昭和東南海地震の津波で
亡くなった人々の

慰霊祭が行われました。

私もね これ 大きい地震と津波ね
体験しとるもんでね

これを やっぱ 死ぬまでな
伝えていきたいと思っております。

かつて 震災があった。

そのことを語り継いでいく。

それが 未来の人々の命を守ることに
つながるはずです。

♬~


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