あしたも晴れ!人生レシピ「亡きあなたと、共に生きる」東日本大震災から9年。大切な人を失ったり、ふるさとを奪われ…


出典:『あしたも晴れ!人生レシピ「亡きあなたと、共に生きる」』の番組情報(EPGから引用)


あしたも晴れ!人生レシピ「亡きあなたと、共に生きる」[解][字]


東日本大震災から9年。今を生きる人たちを取材。大切な人や故郷を失った悲しみを吐き出すことで自分を取り戻した人、夢で亡き妻と再会することが生きる力になっている人。


番組内容

東日本大震災から9年。大切な人を失ったり、ふるさとを奪われたりしながらも、今を生きる人たちを取材。★悲しみを吐き出すことで自分を取り戻した人。語り部として、自分を形作った両親やふるさとの尊さを訴える。★夢で、亡き妻と再会することが生きる希望になっている人。夢日記をつけ、共に今を生きる。研究者が注目する夢の意義とは。★宗教者による移動式の喫茶店。ボランティアで、被災者の悩みに耳を傾ける。物語の力。

出演者

【講師】上智大学グリーフケア研究所所長…島薗進,【司会】賀来千香子,小澤康喬,【語り】山根基世


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あしたも晴れ!人生レシピ「亡きあなたと、共に生きる」東日本大震災
  1. 亀井
  2. 高橋
  3. 言葉
  4. 震災
  5. 宏美
  6. 再会
  7. 両親
  8. 島薗
  9. 遺族
  10. 一人
  11. 仕事
  12. モンク
  13. 金田
  14. 時間
  15. 自分
  16. 女性
  17. 年前
  18. 本当
  19. カフェ
  20. ケア


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いつも そばにいた あなた。

慣れ親しんだ ふるさと。

当たり前の日常が 断ち切られた現実。

最愛の妻と娘を亡くした男性。

生きる力となったのは 夢での再会でした。

妻から言葉をかけられます。

両親と ふるさとを奪われた女性。

その悲しみと怒りを
命の「語り部」として伝えています。

人それぞれの9年の年月。

被災地の今を見つめました。

♬~

「あしたも晴れ!人生レシピ」。
東日本大震災から9年がたちました。

大切な人や ふるさとをなくす
ということは

私たち 誰にでも起こりうることです。

かけがえのない存在を亡くしてから
いかに生きていくのか 考えます。

賀来さん あれから9年です。
何を思われますか?

実際に被災された方々は
本当に時を動かそうとしても

なかなか動かせない方
一歩二歩 踏み出した方

いろいろ
それぞれだと思うんですけれども

今日 少しでも向き合わせて頂ければと
思っています。

そうですね。 私も発生して
すぐに現地に入りまして

以来 度々 被災した方たち
取材してきたんですけれども

ただ 最後の現地取材というのが
実は もう5年前なんですね。

それから時間がたって 今 皆さんが

どんな思いを抱えているのか
知るというのは

非常に大きな意味があると感じます。
そうですね。

まずは その被災地からの声に
耳を傾けましょう。

東日本大震災で 死者・行方不明者が
最も多かった宮城県石巻市。

あゆみ野地区は 復興住宅や震災後に
新築された一軒家が並ぶ 新しい町です。

ふるさとを追われて身を寄せた
新たな住民たち。

その絆を深めようと
町内会のイベントが開かれました。

僧侶や牧師などが
避難所や仮設住宅を回り

ボランティアで開いてきた
移動式の喫茶店です。

参加者たちには
お茶やケーキが ふるまわれます。

口にしづらい悩みや愚痴を
吐き出してもらおうというのです。

店の名前は「カフェ・デ・モンク」。

「モンク」とは 英語で僧侶や修道士のこと。

売り文句は…

店のマスター…

とあるお寺の住職ですが

ここでは
「ガンジー金田」と名乗っています。

突然 泣きだした こちらの女性。

2年前 夫を病気で
亡くしたのだといいます。

夫が亡くなったのは この復興住宅で

夫婦 新しい暮らしを楽しもうという
やさきのことでした。

金田さんは教えを説いたり
考えを押しつけたりはしません。

ひたすら相手の話に耳を傾けます。

沈黙の時間も大切に。

この姿勢を「傾聴」と呼んでいます。

金田さんが「カフェ・デ・モンク」を
始めたのは 震災の2か月後。

これまで開催は 360回以上。

そうした中 心が癒やされたと
常連になる参加者も生まれています。

店が開くのを心待ちにしている一人
横山彰子さんです。

仕事を休んででも駆けつけます。

この日は 参加者たちの世話を
買って出ていました。

横山さんは 娘が一時期 避難所から
行方不明になったことがあります。

悩みを一人 抱え込み
なかなか口に出せずにいた横山さん。

そんな時 金田さんの方から
声をかけてくれました。

今は孫も生まれ 娘との関係も
うまくいっているそうです。

この日 金田さんには
気にかかる女性がいました。

「カフェ・デ・モンク」を今回 招いた
管藤さんです。

4年前 同居していた母親を亡くしました。

その悲しみから立ち直ろうと

町内会のイベント担当を引き受けた
管藤さん。

しかし 新たなつながりを作ることは
思っていた以上に 大変な役目でした。

ありがとうございます。

いいですか?
はい。

管藤さんにとって
心強い駆け込み寺ができました。

では ここで もう お一方
加わって頂きます。

上智大学グリーフケア研究所
所長の島薗 進さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

島薗さんは 悲しみと共に
どう生きていくのか

そして その支え合いのあり方について
研究していらっしゃいます。

島薗さん 震災から9年たちました。

その心のケアということで言えば
9年たった今の課題というのは

何だと思われますか?

震災の時に どんな つらいことが
あったかということも

もちろん あると思うんですけれども
それから長い年月がたって

仮設住宅に住み
今は復興住宅にいるわけですよね。

そうすると とても うちは立派になって
住みやすくなったけれども

しかし 横のつながりは
すごく作りにくくなってる。

みんな ますます孤独になり
場合によっては孤立する。

どこにも出られないような人もいる。

これは復興が進むってことが かえって

つらさを増している面もあると
言えるかもしれませんよね。

建物だけを見ると 何か 私たちは つい
「あっ 復興してるんだな」って

ひとくくりで思ってしまった自分が
いたかもしれなかったんですけど。

心のケアというと とても悲しい
つらい思いをした

その悲しみ つらさというのを
むしろ ずっと なくなるはずがない。

それと共に生きていく。

立ち直れないというような人もいると
思います。

時間の中で悲しみが深められていったり
清められていったり

その中には 怒りみたいなものが
入っていたり

いろんなものが入ってると
思うんだけれども そういうのは

心が一生懸命 仕事をしている。
「喪の仕事」って言葉があるんですがね。

「喪」というのは 人が亡くなった時の
喪中とかのね。

喪の仕事というのを 人間は やっている。
それは とても大事なことなんで

そういうふうな思いで
共に悲しみを分かち合うというかね。

これが 心のケアっていうこと
もし あるとすれば

そういうことなんじゃないかなと
思います。

次に見ていきますのは
両親と ふるさとを失いながら

思いを吐き出すことで
自分を取り戻していった女性です。

太平洋をのぞむ…

災害危険区域に指定され
住居を建てることはできません。

復興祈念公園の工事が進められています。

この地で生まれ育った…

高橋さんは 実家で暮らしていた両親を
津波で亡くしました。

両親との思い出が詰まった
ふるさとの面影は 今はありません。

ここに5年前 建てられた
震災の伝承施設「南浜つなぐ館」。

見学に訪れた東南アジアの学生に向けて
震災体験を語ったのは高橋さんです。

高橋さんは これまで
170回ほど語ってきました。

震災の「語り部」と呼ばれる人たち。

石巻市では 公益社団法人などから
認められた 50人以上が活動しています。

そんな高橋さんですが 数年前までは
自宅に ひきこもっていました。

それは 両親を助けられなかった
という罪悪感からでした。

石巻の実家に たどりつけたのは
震災3日後のこと。

石巻には震災当日に向かったものの
道路が陥没し

引き返さざるをえなかったのです。

ようやく たどりついた実家は倒壊。

両親を捜すと1階の奥で 母・博子さんが
泥にまみれて

小さく うつ伏せに倒れていました。

博子さんは まるで眠っているかのような
穏やかな表情で

頬は まだ柔らかくピンク色でした。

そのことが 高橋さんを苦しめます。

わらにもすがる思いで
「グリーフケアの集い」に参加します。

遺族の悲しみや喪失感と向き合う会が
仙台で開かれました。

しかし その会に出たことが

かえって 心を閉ざすきっかけに
なってしまったのです。

傷ついた高橋さんは
自宅に ひきこもるように。

夫と息子と同居していましたが
一人きり ソファーに伏せる日々。

つけっぱなしのテレビからは 繰り返し

「あなたは一人じゃない」という
メッセージが流れていました。

高橋さんは ティッシュの箱を
テレビに投げつけます。

転機が訪れたのは 震災から3年後のこと。

震災体験を語る
スピーチコンテストへの出場。

主催者が偶然 高橋さんの話を聞きつけ
声をかけてきたのです。

高橋さんは 手を差し伸べてくれる人が
いても かたくなに拒否していました。

この時も何度も断りました。

しかし 主催者から言われた ひと言が
心を動かします。

両親も ふるさとも失った高橋さん。

消えゆく思い出を
スピーチに込めることにします。

テーマは「今を生きる」。

そのスピーチは
こんな言葉から始まりました。

ありがとうございました。

震災後 初めて自分の存在価値を
見いだすことができた高橋さん。

自ら「命のかたりべ」と名乗り
生きていくと決めました。

「あしたがあることは奇跡なんだ」って
おっしゃって

確かに 本当に震災が起きた直後は
こういう当たり前のことが

「幸せが当たり前じゃないんだよね」なんて
たぶん もっと言ったと思うんですけど

9年たって そういうことを何か 私たちも
忘れてはいないんですけど

言わなくなってしまったなと思って 今…。

高橋さんは ふるさとをなくしたことも
語っていらっしゃいました。

このふるさとを失う苦しみというのは
どんな苦しみだと考えられますか?

ふるさとというと
豊かな自然と共にというか

やっぱり人 親 家族 土地の人たち 友達
こういうもの全部入ってると思いますね。

そして そこで覚えた言葉。

自分が生きている力の元に帰ってくる
というふうな

高橋さんが 命の語り部って
おっしゃってたと思いますよね。

それは たぶん 高橋さんには
ピッタリの言葉で

語り部となることによって

ふるさと そのものは
なくなってしまったんだけれども

ふるさとのイメージというかな

これは新たに
また呼び覚まされたんじゃないかなと。

彼女の心の中で 言葉の中で そして
あの語り部の空間の中でね

そういうことが起こってるような感じを
持ちました。

次は遺族にとって あることが生きる力に
なっているというケースです。

それが眠りの中で見る夢です。

亡き人と夢で再会することで生きる希望を
見いだした人を取材しました。

東北学院大学の金菱ゼミです。

東日本大震災の直後から
被災地での調査を続け

さまざまな視点から
研究を進めてきました。

「私の夢まで、会いに来てくれた」。

「夢は死者とつながるツール」
という観点から

遺族が見た夢を聞き取ったものです。

「神様が ちょっとだけ時間をくれた」。

小学6年の息子が夢に現れ
成長した姿を母親に見せに来ました。

11歳で亡くなった妹と 夢で遊んだ姉。

膝の上に乗ってきた妹の肌の温かさ
体の重みを

はっきりと感じ取れたといいます。

31歳で逝った息子と夢で会話した母親。

宮城県山元町に暮らす亀井 繁さんは
夢から生きる力をもらった一人です。

津波で 妻・宏美さんと
1歳だった次女・陽愛ちゃんを失いました。

当時 亀井さんは介護士として
高齢者の避難に追われていて

自宅で待つ2人を
助けに行くことができませんでした。

亀井さんが撮った思い出の一枚。

いつも一緒で 友達のような家族でした。

亀井さんは 2人が現れる
夢の記録をつけています。

夢での不思議な再会は 2人を
だびに付した夜から始まりました。

その夢を描いてもらいました。

2人は真っ暗な闇の中

砂嵐に覆われているようなシルエット姿で
現れました。

宏美さんは マスクをして しゃがみ

その隣で陽愛ちゃんが
手を振っていました。

半月後 宏美さんは再び シルエット姿で
夢に現れます。

その時から言葉を投げかけてくるように
なりました。

宏美さんとは 働いている介護施設で
出会い 意気投合。

何でも話せる親友であり かわいい妻。
そして 立派なママでした。

夢で再会できたとはいえ
悲しみから立ち直れずにいた亀井さん。

仕事にも日常生活にも
身が入らなかったといいます。

そんな時 明け方 うつらうつらしていた
亀井さんに

宏美さんが呼びかけてきました。

助かった長女のためにも
しっかりしなくてはならない。

亀井さんは 気持ちを入れ替えました。

それから4年後
生きる力となる決定的な夢を見ます。

宏美さんは言葉を続けます。

そして2人は
再会を約束する指切りをしました。

そのころから 亀井さんが安心したのを
まるで見届けたかのように

2人が夢に出てくる回数は
減っていきました。

2人に見守られ 共に今を生きる。

亀井さんは 新たな一歩を踏み出します。

自費で開いた 遺族サロン・スタジオ。

遺族が集まり 悲しみを分かち合える場を
作りました。

ここを開いたのには
もう一つ 理由がありました。

学生時代から
バンド活動を続けていましたが

震災以来 ギターを手にする気には
なりませんでした。

再び音楽を楽しむ拠点が
欲しかったのです。

練習していたのは 宏美さんが
大好きだった「やさしい気持ち」。

♬~

♬~

去年3月11日
ここでも生きる力をもらいました。

その時 不思議な出来事が。

妻・宏美さんの時計を見つけました。

震災から8年。
思いもかけない再会でした。

亀井さんは これからも
妻と娘と共に生きてゆきます。

本当に魂の絆ですね。

亀井さん ずっとずっと 奥様と お子様と
つながっていらっしゃると思うし

奥様と お嬢さんが
ずっと エールを送ってるというか。

時計のね 話なんて 嘘みたいって…
ごめんなさい。 もう すごいなと思って。

これからも また夢だったり
いろんな発見が きっとね ありますね。

きっと亀井さんにはね。

夢での再会と共に 亀井さんご自身が
前を向かれていくっていうね 姿が

本当に よく分かりましたよね。
はい。

遺族が見る夢の意義というのは
島薗さん 何でしょうか?

そうですね。 人間の力を超えたものが
やって来るという。

私 「命の恵み」と言ったりしますけども。

そういうものが あってこそ
人間は生きてる。

つらいことがあっても そういうものに
出会うことができるというね。

なかなか そう願って授かるもんでは
ないんだけど。

あ~ 夢の力って すごいなというのがね。

絆は死なない。
絆は いつまでも あるんですね。

そして また それが
また会えるというね

そういうふうな希望にも
つながってるという。

島薗さん これまで研究を
続けて来られてですね

人というのは 悲しみと共に
生きていく力というのは

それは持っているものなんでしょうか?

そういうふうに思いますね。

何で悲しい つらいかというと そんなに
大事なものが あったからなんですね。

そんなに尊いものがあったから。

愛があり かけがえのないものがあった
ということですよね。

悲しみがあるからこそ それが分かる。

ですので 悲しみを共に表現し
分かち合うということを

人類は大事にしてきた。

悲しみの容れ物 悲しみの器というふうな
言葉があるんですけども

この今の亀井さんの夢のお話というのは
それを聞くことで

みんな 気持ちをそこに集めていける。
共感できる。

そういう力を持ってる お話ですね。

今日 出て来られた方
みんな そういう力を持ってた。

これは 私は一つの文化的な
創造じゃないかなと。

つまり文化が新しい力を持っていく。

そういうふうな作用と
言っていいのかなと。

私たちもね 共に歩んでいくという意識は
持ち続けていたいですね。

島薗さん どうもありがとうございました。
ありがとうございました。


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