NHKスペシャル「原発事故は防げなかったのか~見過ごされた“分岐点”~」膨大な内部文書と関係者インタビューで描く…


出典:『NHKスペシャル「原発事故は防げなかったのか~見過ごされた“分岐点”~」』の番組情報(EPGから引用)


NHKスペシャル「原発事故は防げなかったのか~見過ごされた“分岐点”~」[字]


史上最悪レベルの原発事故に至る道のりの検証。見えてきた複数の重大な「分岐点」。具体的な津波対策を実施できなかったのか?膨大な内部文書と関係者インタビューで描く。


番組内容

史上最悪レベルの原発事故に至るまでの数年間の道のりを検証する。浮かび上がってきたのは複数の重大な「分岐点」だ。当時新たな知見が出ていた巨大津波をめぐって、規制当局、電力会社、研究機関、地元自治体などの間で行われていた詳細なやりとりが分かってきた。具体的な津波対策を実施することはできなかったのか?原発の安全審査に関わっていた中人的人物などのインタビューを交えて描く。

出演者

【語り】柴田祐規子


『NHKスペシャル「原発事故は防げなかったのか~見過ごされた“分岐点”~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

NHKスペシャル「原発事故は防げなかったのか~見過ごされた“分岐点”
  1. 東京電力
  2. 保安院
  3. 津波
  4. 貞観津波
  5. バックチェック
  6. 対策
  7. 津波対策
  8. 電力会社
  9. 原発
  10. 事故
  11. 安全性
  12. リスク
  13. 担当者
  14. 福島県
  15. チャンス
  16. 可能性
  17. 確認
  18. 取材
  19. 長期評価
  20. 福島第一原発


『NHKスペシャル「原発事故は防げなかったのか~見過ごされた“分岐点”~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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9年前の あの日。

巨大津波に襲われた
東京電力福島第一原子力発電所。

全ての電源を失った3つの原子炉で
核燃料が溶け落ちる

メルトダウンが発生しました。

(爆発音)

世界最悪レベルの事故は なぜ起きたのか。

シリーズ「メルトダウン」では
その真相に迫り続けてきました。

今回検証するのは
事故が発生した2011年よりも前。

巨大津波の可能性に気付き
備えを強化することは できなかったのか。

電力会社に加え
国の規制機関や立地自治体など

100人を超える関係者に取材。

更に 入手した膨大な内部文書を
分析しました。

浮かび上がってきたのは

被害を抑えられたかもしれない
いくつもの分岐点。

なぜ チャンスは見過ごされたのか。

その背景の一つに
電力会社の横並び体質がありました。

更に 原発の安全性を監視すべき国も

電力会社との なれ合いともいえる
関係性の中で 役割を果たせませんでした。

メルトダウンから時間を遡ることで
見えてきた事故への道のり。

その全貌に迫ります。

私の後ろ およそ6kmの所に
福島第一原子力発電所があります。

40年にも及ぶとされる廃炉作業が
今も続いています。

そして 4万人を超える人々が

いまだに
ふるさとに戻ることができていません。

東京電力の旧経営陣3人の
刑事責任が問われた去年の裁判では

無罪が言い渡されました。

この裁判は 2審の東京高裁で
改めて審理されることになっています。

私たちは これとは別に
組織や業界全体として

津波対策の在り方に問題はなかったのか
取材を続けてきました。

そして 見えてきたのは

事故の前に 対策につながる

2つのチャンスが
あったことです。

これらを生かすことができていれば

少なくとも 事故の規模を
小さくできたのではないか。

関係者は そう語ります。

そのチャンスの一つは
事故の4年前の2007年。

当時 電力会社は 将来起こりうる
巨大地震と津波の新しい研究に

注目していました。

そして もう一つのチャンスは2008年。

過去 実際に東北地方を襲ったとされる
大津波に関する最新のリポートが

発表されたことでした。

では 一体なぜ こうしたチャンスを
生かすことはできなかったのでしょうか。

福島第一原発を
15mを超える巨大津波が襲います。

津波は 高さ6mほどの防波堤を
一気に乗り越え

原発の重要な設備を
次々と水没させました。

もし 津波への備えが
より強固なものであったなら

ここまでの被害には
至らなかったのではないか…。

事故から遡ること3年余り。

実は 対策を進める1つのチャンスが
ありました。

それでは よろしくお願いします。
(一同)お願いします。

2007年12月。

東京電力など各社が 当時注目されていた
ある研究成果について

協議していたのです。

その研究とは 第一線の専門家たちが

地震の発生確率を予測した長期評価です。

この予測では

三陸沖から房総沖にかけての
日本海溝沿いで

マグニチュード8クラスの
巨大地震が

どこでも
起きうるとされました。

巨大地震が 過去に
確認されていない場所でも発生し

巨大津波のリスクが

広範囲に及ぶ可能性を
初めて示したのです。

国は こうした研究成果を基に

安全性を より厳しく審査する仕組みを
作っていました。

通称 バックチェックです。

これは 最新の研究を踏まえて

電力会社自らが
原発の安全性に問題がないか確認。

国は その報告を受け 審査します。

評価結果が公開されることで

電力業界全体の
安全対策の向上につながると

期待されていました。

東京電力など 各社による協議は

地震の発生確率を予測した
長期評価を巡るものでした。

今回 NHKが入手した議事録によると
参加していたのは 日本原電 東北電力

JAEA そして 東京電力。

太平洋沿岸に
原子力施設を持つ
4社でした。

議事録と取材を基に
その時の様子を再現します。

東北電力とJAEAは
長期評価の予測を取り入れることに

慎重な姿勢を見せていました。

こうした姿勢の背景には 長期評価に対し
異論が出ていたことがありました。

一部の専門家は

過去に巨大地震が起きていない場所でも
起きうるとした部分の根拠が

弱いとしていたのです。

また 電力会社にとっては

長期評価の予測を反映すると

従来の津波の想定を

大幅に
見直さざるをえなくなり

対策に巨額の費用が

必要になる可能性も
ありました。

ところが 前向きな姿勢を見せていた
会社がありました。

東京電力です。

安全性の評価 バックチェックによっては
原発停止につながる可能性もあり

最大限の対策が必要と考えていたのです。

協議を経て 東京電力では

津波対策を担当する部署が
具体的な検討を進めていきます。

社長以下 幹部に向けて提出された
内部資料です。

福島第一原発では いくつもの津波対策が
必要になると 現場は訴えていました。

「非常用海水ポンプの機能維持」や

「建屋の防水性の向上」などが
挙げられています。

長期評価の予測を基に計算した
津波の高さは

最大 15.7m。

それまでの想定 5.7mを
はるかに上回るものでした。

建屋のある敷地の高さ
10mを越えるため

非常用の発電機など
安全上 重要な設備が浸水します。

メルトダウンに至る可能性を
示唆するものでした。

しかし 2008年7月。

東京電力で
突然 方針転換が決まります。

そのきっかけは
原子力部門のナンバー2

武藤 栄副本部長の発言とされています。

津波の対策を検討していた担当者たちから
計画を聞いた武藤副本部長。

長期評価には
一部の専門家に異論もあるとして

それに基づいて対策をすぐに進めることは
保留。

代わりに 別の専門家グループにも
意見を聞くよう方針を示したのです。

取材からは 社内に
別の見方もあったことが分かりました。

元幹部は 当時の社内の空気について
こう語ります。

「上層部の頭から 福島のことは ほとんど
抜け落ちていたんじゃないかと思う」。

社内全体の意識が

そもそも福島第一原発に
向いていなかったというのです。

今 炎が見えました。

このころ 東京電力は
新潟県中越沖地震によって

柏崎刈羽原発が停止する事態に
直面していました。

損害は数千億円に上っていました。

「世界最大規模の柏崎刈羽が全部停止し

パニック状態だった。

経営に響いていたこともあり
全社 再稼働に頭がいっていた。

他のことには労力をさきたくない
というのがあったと思う」。

福島第一原発の
津波対策が提案されたのは

そうした時期でした。

新たに防潮堤を築くとすれば

費用が数百億円規模になると
見られていました。

結果的に先送りとなった津波対策。

これが 一つの分岐点だったと
別の元幹部は振り返ります。

「あのとき 誰かが指摘をして
最低限の緊急時の対策を検討していれば

何らかの対策をとれた可能性は
あったのではないかと思う。

しかし あの頃の あの状況で

本当に津波のリスクを切迫感を持って
考えられていた人はいるのか」。

方針転換が決まった直後

東京電力の担当者から各社に
1通のメールが送られていました。

ほかの会社にも 歩調を合わせることを
求めるような内容でした。

「現実問題での推本 長期評価
即採用は 時期尚早ではないか」。

「関係各社の協調が必要」。

1週間後。

東京電力の依頼で
再び4社の協議が行われます。

議事録には 東京電力に足並みをそろえる
との発言が記録されていました。

実は 参加していた中に 長期評価を基に

既に津波対策の実施を決めていた会社が
ありました。

東海第二原発を持つ日本原電です。

津波の影響を抑えるための盛り土や

原子炉建屋などの防水対策を進めました。

しかし 日本原電は こうした対策が
長期評価にもとづくものだと

公表することはありませんでした。

電力各社が
足並みをそろえる背景について

電力会社の元幹部が語りました。

東京電力の方針転換から数か月後

津波対策を進めるチャンスが
再び訪れます。

過去 実際に東北地方を襲った
巨大津波の最新研究が発表されたのです。

具体的なリスクの警告に
つながるものでした。

2008年に発表され
専門家の間で注目を集めた研究リポート。

分析したのは 古文書に記された貞観津波。

平安時代の869年に
東北沿岸を襲ったとされる巨大津波です。

当時 津波によって運ばれた
砂などの堆積物の調査によって

研究が大きく進展していました。

この研究リポートを作成した
東京大学の教授 佐竹健治さんです。

地震の正確な規模や発生場所が
特定できていませんでしたが

重要な知見になりうると考えていました。

佐竹さんは 堆積物などを基に
津波をシミュレーション。

宮城県沖で
マグニチュード8クラスの地震が起き

巨大津波が発生していた可能性を
指摘しました。

その結果は 将来 東北地方が

再び巨大津波に襲われるリスクを突きつけ
大きく注目されたのです。

この研究を知った東京電力は
内部で検討を始めていました。

安全性の評価 バックチェックの
対象になる可能性があったからです。

貞観津波を基に分析すると

福島第一原発で想定される津波は
7m以上。

原子炉の安全性に関わる
重要な設備の一つ 海水ポンプは

高さ およそ6mにあり
水没する可能性があります。

ただ 研究が途上で 地震の正確な規模や
発生場所も確定していないとの理由で

東京電力は この時点で バックチェックの
対象にはならないと判断していました。

ところが 貞観津波を
バックチェックの対象にすべきと

考えていた電力会社がありました。

女川原発を持つ 東北電力です。

これは 担当者が準備していた

バックチェックの津波に関する
報告書案です。

貞観津波のシミュレーションを
行っていました。

東北電力の動きを知った東京電力から

状況を知りたいと 問い合わせが入ります。

それに対する
東北電力の担当者の返信です。

「貞観津波について。

バックチェック報告書には

記載することで
報告書を完成しております。

当社が記載することについて
不都合ありますでしょうか」。

すると 東京電力は

ここでも 足並みをそろえるよう
ほのめかしたのです。

「869年津波
福島サイトへの影響が大きく

御社が バックチェックで報告する場合
当社の方針と異なり

再度 御社の方針を
ご確認させていただきたい」。

東北電力の内部文書には

東京電力から 次のような提案があったと
記されています。

「歩調を合わせるという観点から

東北電力のバックチェック報告書への
記載については

『参考』的な位置付けで記載できないか」。

その後 東北電力の担当者は

バックチェックの報告書案を
修正していました。

修正案には 貞観津波にだけ

「参考」の文字が書き加えられています。

東京電力のニーズを満足するものだと
担当者は記しています。

一連の経緯について
東北電力に取材したところ

修正したことは認めた上で
次のように回答しました。

一方の東京電力。

「個別の訴訟に関するため

回答を差し控える」と答えました。

業界のリーダーだった東京電力。

各社が足並みをそろえる中

津波対策は
広く知られることはありませんでした。

結果的に
東京電力の津波対策の先送りに

つながったと言えます。

このように お互いに足並みをそろえる

電力会社の関係性。

発電のノウハウなどを共有し
電気の品質を向上させることには

有効だったと言えます。

しかし 起きるかどうか分からない
自然災害に対しては

あだとなってしまいました。

では 原発の安全を規制する 国は

新しい知見に どう向き合ったのか。

バックチェックなどの仕組みを作り

原発の安全規制を行っていたのは

経済産業省の中にある
原子力安全・保安院でした。

しかし 保安院も また

貞観津波の新知見を 津波対策に
つなげることはできませんでした。

国の規制機関として
原発を止める強い権限も持っていた

原子力安全・保安院。

しかし 事故を防ぐことができず
廃止されました。

今日は よろしくお願いします。
どうぞ よろしくお願いします。

9年以上にわたり
保安院の中心にいた人物が

今後の教訓につながればと
取材に応じました。

保安院のナンバー2を務めた
平岡英治さんです。

平岡さんは 安全性の評価
バックチェックの仕組みを

生かせなかったと語りました。

保安院が作った
バックチェックの仕組みです。

新たな研究成果に基づいて

電力会社に
原発の安全性を再確認させるものでした。

当時
緊急性の高い設備の耐震性については

中間報告させ
専門家と共に審査。

津波などについては

最終報告での審査となっていました。

事故から遡ること2年。

当時 保安院が
バックチェックで審査していたのが

福島第一原発でした。

東京電力から提出された

福島第一原発の中間報告に関する審査。

一人の専門家が声を上げます。

貞観津波についても考慮すべきだとの
意見でした。

この指摘を受けて 保安院は

東京電力に 貞観津波の検討状況を
知らせるよう求めます。

東京電力の内部では
貞観津波の分析が続けられていました。

以前 7mとされていた津波は

更なる検討で 8m以上になっていました。

これが 東京電力から保安院に
内々に報告されました。

当時の津波対策では不十分であることを
示すものでした。

ところが 保安院の担当者は

特に急ぐ必要はないと考えました。

東京電力から 「貞観津波のモデルは
未確定なもので

今後 必要な調査を行う」という説明を
受けたからだといいます。

「いずれ 津波の安全性を
確認すればよいと思っていて

この時 東電に対応は求めていなかった」。

津波に切迫性を感じず 最終報告での
審査でよいと考えていたのです。

しかし その最終報告

期限は 電力会社に委ねられていました。

東京電力は 地震で被害を受けた
柏崎刈羽原発の対応に追われる中

最終報告の期限を示していませんでした。

その後 保安院では

「貞観津波を考慮すると
対策が必要になる可能性がある」と

上層部に伝えられます。

しかし 対策は 期限が決められないまま

結果的に先送りされたのです。

「東電の試算をもとに対策をとっても
事故を防げたか わからないが

あの時 最終報告の期限を明確に決めて

貞観津波の知見に向き合っていれば
何かしらできたのかもしれない」。

事故の1年前。 2010年4月。

保安院が 貞観津波を巡って
再び チャンスを見過ごしていたことが

取材から明らかになりました。

保安院に提出された ある独立行政法人の
報告書を入手しました。

「貞観津波を 想定津波の1つとして
検討する必要がある」と

別の原発で指摘していたのです。

この報告書を作成したのは

安全性の評価 バックチェックで

科学的視点から 保安院に助言を行う

JNESです。

はい どうぞ。

JNESで理事まで務めた 蛯沢勝三さんです。

分析には関わっていないものの

報告書の内容は
貞観津波を多角的に検証した

重要なものだと指摘しました。

この報告書を作成した担当者が

津波の検討の必要性を指摘した理由を
明かしました。

「貞観地震津波については
不確かさも含め

解析条件に取入れることが
できる段階にあると考えました」。

「施設の安全性を判断するために
必要と考えられます」。

しかし 切迫性を感じていなかった
保安院の担当者は

こうした報告を確認していなかったと
いいます。

「報告を受けたかどうかも分からず
中身を見ていない。

いずれ 最終報告の議論で
確認すればいいと思った」。

再び 津波対策は見送られたのです。

規制機関でありながら

なぜ 保安院の対応は鈍かったのか。

背景の一つに
電力会社との関係もありました。

大変恐縮です。
本日も よろしくお願いします。

当時 保安院と東京電力の幹部は
週1回の頻度で 会合を重ねていました。

柏崎刈羽原発の再稼働について話し合う
通称 朝会。

人員を取られてまして…。

取材によると 東京電力は

福島第一原発の津波対策を求められる
最終報告は

すぐに提出するのは難しいと
説明していました。

分かった。

保安院も
ほかにも多くの審査を抱えていたため

せかすことはなかったといいます。

そもそも 保安院は
規制を行う組織にもかかわらず

原発を推進する
経済産業省の下にありました。

規制する側の保安院が

推進側に 歩調を合わせるように
なっていったのです。

保安院の元幹部は さまざまな場面で
非公開の協議が繰り返された結果

電力会社との緊張関係が失われていったと
指摘します。

保安院で規制の中心にいた
平岡さんです。

平岡さんは 事故前から
海外のトラブルなどを受けて津波を懸念。

勉強会を立ち上げ
検証を進めさせていました。

しかし どこまで そうしたリスクを
組織の中で共有できていたのか

じくじたる思いを語りました。

スピード感をもって対策を進めることが
できなかった背景には

規制する側と される側の
なれ合いともいえる関係 そして

来るかどうか分からない津波に対しての
切迫感の欠如がありました。

安全の砦たる保安院は
バックチェックの仕組みを生かせず

結果的に
事故を防ぐことはできなかったのです。

次々にリスクを見過ごしていった
東京電力と保安院。

しかし 今回 彼らに

津波対策を促すことができた
もう一つのチャンスがあったことが

分かってきました。

鍵を握っていたのは
原発が立地する地元自治体 福島県です。

震災の ちょうど1年前

原発が立地する福島県が

国に対し
安全対策を求める機会がありました。

佐藤知事が経済産業大臣に
耐震安全性の確認 いわば

特別なバックチェックを
求めたのです。

本来 自治体がバックチェックに
関わることはありません。

しかし この時 福島県には
特別に要望する状況が生じていました。

当時 東京電力は 福島第一原発3号機で

特殊な核燃料を使った プルサーマルと
呼ばれる発電を目指していました。

これに対し 福島県は
プルサーマルを受け入れる条件として

国に 耐震安全性の確認を
特別に求めたのです。

この時 福島県で
国との交渉役を務めた元職員が

初めてテレビ取材に応じました。

福島県で 30年以上にわたり
原発対応に関わってきた

小山吉弘さんです。

小山さんは 貞観津波に関する最新研究に
早くから注目していました。

しかし 東京電力が 保安院に
内々に報告した貞観津波の分析は

知らされていませんでした。

もし 具体的な数字を聞いていれば

対策を求めていたのではないかと
言います。

2010年4月。

福島県と国との交渉が行われました。

国側の窓口は
経済産業省の資源エネルギー庁。

県側の窓口は 小山さん。

福島県さんとしては
どちらを要望しますか?

国が探ろうとしたのは 福島県が求める
耐震安全性の確認の中身でした。

中間報告までで いいですか?

小山さんによれば 国の担当者は

中間報告の評価でよいか
何度も尋ねたといいます。

中間報告の
審査項目には

津波対策が
入っていません。

その中間報告と 津波を含む最終報告

どちらを福島県が求めているのかが

国にとって重要でした。

東京電力が プルサーマル発電のために
核燃料を交換するとすれば4か月後。

津波を含めた最終報告を求められると
それ以上の時間がかかり

プルサーマルが大幅に遅れます。

国は このスケジュールを
意識していたのです。

国の担当者は 貞観津波を
差し迫ったリスクとは思わず

話題にしなかったといいます。

一方 貞観津波については
認識していた小山さん。

対策は 国や東京電力が
きちんと検討するはずだと

考えていました。

実は 福島県にも

プルサーマル発電の受け入れを
遅らせたくない事情がありました。

県は 原発が立地する4つの町から

プルサーマルの実施に関する要望を

受けていたのです。

当時 福島第一原発では
原子炉の増設が計画されており

プルサーマルの実施が
その実質的な前提条件でした。

増設工事が始まれば 地元自治体には
100億円以上の交付金

その後も 巨額の収入が見込めます。

最終的に 国は
地震に対する安全性だけを確認し

津波については検討しませんでした。

結局 津波対策を進める
いくつものチャンスが

見過ごされていきました。

そして 2011年3月に至ったのです。

いまだに 帰れない場所が存在し
多くの人の生活を一変させた原発事故。

原子力発電所には 安全を
最優先にする姿勢が求められています。

しかし 業界全体を見ますと
自然災害という不確かなリスクに対して

国 電力会社
自治体

それぞれが
それぞれの
事情にとらわれ

安全対策を 積極的に進めることが
できなかった姿が見えてきました。

事故後 保安院は解体され

推進官庁の経済産業省から独立した
原子力規制委員会が

新たに作られました。

最新の知見を踏まえた
新しい規制基準に合格しなければ

再稼働はできなくなりました。

規制委員会には
こうした取り組みを継続できるか

厳しい目が向けられています。

一方 原発の立地自治体
産業が限られる中

再稼働による経済効果に期待する声が
続いています。

そして 東京電力を中心とした

電力会社の横並びの意識。

今回の取材からは

十分な変化を
見いだすことはできませんでした。

あの原発事故から9年。

私たちが学ぶべきこと それは

起きるかどうか分からない
不確かなリスクに どう向き合うか

ということではないでしょうか。

もちろん
これは簡単なことではありません。

取材から見えてきたヒントの一つは
情報の透明性です。

どんなリスクがあって
それが どこまで分かっているのか。

広く共有し 議論を進めることで
対策の在り方が見えてくるはずです。

そして もう一つ 意識の持ち方です。

「起こらないだろう」ではなく
「起きるかもしれない」。

そう考えることで 先手先手の対応が
初めて可能になるのではないでしょうか。

二度と原発事故は起こさない。

私たちは 今後も検証を続けていきます。

小山… 小山さんと?

福島県庁を退職した小山さん。

月に1度
ふるさとの大熊町に通っています。

小山さんが住んでいた地域は
今も立ち入りが制限されたままです。

事故を防ぐために
できることがあったのではないか。

自らに問い続けています。

東京電力福島第一原子力発電所。

廃炉に向けて 終わりの見えない作業が
続けられています。

私たちは 社会に潜む不確かなリスクに
どう向き合っていけばよいのか。

メルトダウンに至った道のりが
突きつけています。

♬~


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