ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ BEGIN×石原正康 デビュー30周年!石垣島出身の幼なじみで結成した…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ BEGIN×石原正康』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ BEGIN×石原正康


デビュー30周年!石垣島出身の幼なじみで結成したBEGINが、意外な覚悟やデビュー当時の葛藤など…その軌跡を、バンドが誕生した思い出の場所で、名曲と共に振り返る!


詳細情報

番組内容

1968年、BEGINの3人は沖縄県石垣島に生まれた。学生時代は音楽に熱中し、その後、それぞれの夢に向かって上京した3人は、東京でバンドを組むことに。きっかけは、比嘉がバイト先で経験したある出来事だったという。勝ち抜きを達成するとメジャーデビューできるオーディション番組に出演。東京になじめない中、勝ち抜いた当時の心境とは…?1990年、「恋しくて」でデビューし、大ヒット。だが、そのまま続くはずはなかった…。

番組内容2

車1台で全国のライブハウスを巡る日々の中、アメリカに滞在した時のある出来事をキッカケに「島唄」を歌うことを決意。デビュー10周年に、初めて島唄のアルバムを出す。その当時の意外な覚悟や葛藤を振り返る。そのほか、毎年6月末に沖縄で開催する「うたの日コンサート」への思い、ブラジルと日本の架け橋になるようにと生み出した「マルシャ・ショーラ」についてなど、デビュー30周年の軌跡を名曲と共にたどる。

出演者

【ゲスト】 BEGIN(ミュージシャン)

【インタビュアー】石原正康(編集者)

次回放送予定

次回3月28日(土)は、ワハハ本舗社長で演出家の喰始に、作家の吉永みち子が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、テレビ朝日映像


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ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ BEGIN×石原正康 デビ
  1. 沖縄
  2. 自分
  3. 一五一会
  4. 一同
  5. ホント
  6. BEGIN
  7. マルシャ
  8. 音楽
  9. バルーン
  10. 島袋
  11. 楽器
  12. ハワイ
  13. ブラジル
  14. 上地
  15. バンド
  16. 笑顔
  17. 地方
  18. 島唄
  19. イーヤーサーサー
  20. デビュー


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〈今日 3月21日で ちょうど

〈石垣島出身の3人で結成された
BEGIN〉

♬~「この空を」
(一同)イーヤーサーサー!

〈彼らにゆかりの店が
横浜にある〉

〈プロになる以前

アメリカンテイストにあふれた
このダイナーで

はるかな夢を
語り合っていたそうだ〉

♬~

はじめまして。 石原と申します。

ああ すいません。

えっと…
30周年 おめでとうございます。

(3人)ありがとうございます。

お花を まず…。

うわっ すごい。

ああ 頂きます。
ありがとうございます。

お酒は どちらが…?

ハハハハッ。
お~ すげえ!

お酒まで頂いて。
ありがとうございます。

ありがとうございます。
おめでとうございました。

(拍手)
ありがとうございます。

ありがとうございます。 すごい。

僕 生まれが新潟なんで
新潟のお酒も 色々考えてて。

でも 「やっぱり シャンパンだな
お祝いは」って持ってきました。

ありがとうございます。
今日は よろしくお願いします。

♬~

〈ボーカル 比嘉栄昇〉

〈ギター 島袋優〉

〈ピアノ 上地等〉

イーヤーサーサー!

〈幼なじみの3人は

ふるさと 沖縄のメロディーや
言葉を大切に

独自の世界を開いてきた〉

バルーン! バルーン!
バルーン! バルーン!

〈最近は ブラジルや
ハワイの音楽にも注目し

商業主義に流されない気骨と
伸びやかさを見せている〉

♬~

〈けれど BEGINの世界観は

一朝一夕に
生まれたものではない〉

〈唯一無二の個性を
確立するまでには

混迷の時期があった〉

♬~「笑顔のまんま」
♬~(一同)「笑顔のまんま」

♬~「笑顔のまんま」
♬~(一同)「笑顔のまんま」

♬~「そうさ人生 生きてるだけで」

♬~「まるもうけ OH!!」

♬~「笑顔のまんま」
♬~(一同)「笑顔のまんま」

〈人は皆
自分以外のものには なれない〉

〈そう気づいた時に
全ての歯車が回り始めた〉

♬~

♬~

沖縄のために やるぜって
なったんですけど

いざ やるとなると…。

…っつったら
優にめっちゃキレられて。

♬~「手をふるのはきっと
ひ~ぃ ひ~ぃ じーちゃん」

♬~「目指す港はサントス港」

になるような事をしなさい
みたいな。

始まった以上?
ハハハハ…。

実験的に じゃあ まずは15分とか

そのぐらい続けてやってみようか
から始まったんですけど…。

だから もうホントに 俺らが…。

♬~

こう 同じ島で育った その…

なんていうのかな…。

もしかしたら

まあまあ… 外に伝えていっても
いい時期なのかな

っていうふうには
自分的には思ってて。

わかんないですけど。

〈BEGINの3人は

同じ1968年
沖縄の石垣島に生まれた〉

〈10代半ばで
比嘉と島袋がバンドを結成〉

〈上地も別のバンドで
音楽に熱中していた〉

〈1987年 上京した彼らは

美術学校や音楽学校などに進む〉

〈程なく 3人はバンドを組んだ〉

〈この時期は

ブルースを演奏していたという〉

ここは もう 3人にとっては
大変ゆかりのある場所で…。

そうですね もう
始まりの場所でもありますし。

等が もう まさに ここに…

ここの辺りに住んでたもんね。
そう。

まあ 優もだけど 僕と優が
すぐ近くに住んでたんですよ。

まあ 栄昇も
遠くはなかったんですけど。

すぐ近くに住んでて

なんとなく… なんとなく

「BEGIN どうしようかな」
みたいなのが

フワ フワってあった頃に

この店に来始めて

ここで なんか こう
「よし 3人でやろうか」

っていう思いを決めたのが

ここの店の始まり…
僕らにとっては。

3人…
栄昇さんも入れて 3人 揃って。

(上地)そう 3人 揃って。

これも なんか
自分では不思議だったんですよ。

まさか 自分が また
歌を歌うなんていうふうには

想像を
全くしてなかったんですけど

でも 東京に出てきて

あれ? これ…。

っていう そういう扱いの時が
多々ありまして。

しかも まあ 僕は 日雇いのバイト
ばっかり行ってたので。

「なぜ 外国人の集まりに
僕は入っているんだ?」みたいな。

分けられるんでしょ?
日本人と外国人って。

「あれ? 俺 外人じゃないけどな」
みたいなのがあり

もう 自分でも ホントに

「自分って何人なのかな?」
みたいな。

これは ちゃんと…。

って なんか そういう気分に
なったんですよね。

で そうやって バンドをやり…
また やり始めて。

その当時 栄昇は
よく 俺たちにも なんか

「どのバンドよりも
きれいな発音で

日本語を歌う」って
ずっと言ってました。

宣言してたんですね。

ずーっと言ってました なんか。

「誰よりも きれいな日本語で
歌うぞ」っつって。

「日本中に届ける」みたいな…
「沖縄の人も

ちゃんと日本語しゃべるんだ」
みたいな。 ハハハハ…。

今考えたら ちょっと
焦ってたんだろうな やっぱりな。

〈自分たちが
沖縄と本土との架け橋に〉

〈比嘉には
強い思いがあったそうだ〉

〈1989年

伝説のオーディション番組
『イカ天』で

5週連続 勝ち抜きを達成〉

〈グランドチャンピオンに
輝いた〉

〈翌年 『恋しくて』でデビュー〉

〈これが CMにも起用され

たちまち 大ヒットとなった〉

♬~

〈作詞作曲 BEGINとして
知られる『恋しくて』〉

〈メロディーは 島袋が書いた〉

あの頃は まあ 自分なりの…

自分たちなりのブルース
っていうふうに思って

曲書いてると思うんですけど

なんか やっぱり
80年代に聴いた

流行り歌って…
まあ ポップス 歌謡曲の影響は

すごく受けてるのが

出たんじゃないかな
っていう気はしますね なんか。

ちょうど だから この辺に

等と住んでる時に
できたのが『恋しくて』で

なんか すごい…。

車の中で…
等の車で 俺 後ろに座って

ちょっと 東名が見えるとこが
あるんですよ。

東名高速が見えるところに
車止めて

そこで 2人に聴いてもらったの
覚えてます。

優さん 後ろの席で。
後ろの席で。

2人 前に座って。
前に座って。

「こういう曲できたんだけど」
みたいな。

それで 『イカ天』に
やがて出ていくわけですけど

まず1週勝つんですよね。
はい。

そうした時 どう思いました?

もう みんな… あれ
誰もが見てた番組ですからね。

そうですよね。
どう? どうでした?

いや もう なんかね あの…

よく覚えてるのが…

僕の車で行くんです。
車で行って。

銀座でした スタジオが。

銀座で その帰りが
もう深夜なんですよね。

2時とか… 深夜の2時ぐらいに
帰るんですけど

あの… 青山通りを
ずっと抜けて帰るんだけど

やっぱり その頃
まだ東京に来て3年目で

なんか 東京という街に…
なんちゅうの…

なんか コンプレックスというか。
ああ まだ…。

なんか こう… なんか…
負けてるような

なじんでないような感じが
あったんですけど

その時の帰りの

その青山通り…
真っ暗な青山通りを

運転…
3人で乗って 運転してる時に

なんかね この… 錯覚ですけどね

ビルが なんかね
温かく感じたんですよね。

ビルが?
うん。

優しい… もう 「やっと
認められた 俺たち」みたいな。

拒まれていたんだけど…。

なんか そんな感じで…。
それ 伝わってきますね。

ビルが温かく感じた。
そうそう。

なんか嬉しかったです それ。

割と
デビューまでは すぐでした?

すぐでした。
もう あっという間でした。

もう考える間もなく。

89年の9月が
『イカ天』だったんですよ。

それで もう 翌年の3月には
デビューだったんで。

あっ なんか ネオ・アコースティックバンド
とかって言われたんですけど

さっぱり意味もわからず。

(上地)そうそう。
なんだろうって思いましたよ。

優なんか
アコースティックギターの弦も

替えた事ないから…。
ずっと?

あの… アコースティックって
弾いた事なかったんですよ。

デビューして初めて弾いて。

弦が古いから替えようと思ったら
弦の替え方 全くわからんくて。

栄昇に聞いて
「栄昇 これ どうやって

弦 替えるの?」っつって。
そんなバンドですよ ホントに。

素朴ですね~。

アマチュアの頃は
なんていうんですかね

こう 世間知らずというか

なんか 自分のギターに
すごい満足してたんですけど

周りが あまりにも すごすぎて

デビュー当時は なんか もう

すごい打ちのめされてました
毎日毎日。

毎日ね ホントに。

〈デビュー曲こそ大ヒットしたが

その後は 不振にあえいだ〉

〈スタッフも去り

車1台で
全国のライブハウスを巡る日々〉

〈レコーディングを兼ねて
アメリカに滞在した時

立ち寄った店で

転機となる出来事があった〉

お店の なんか… 店長かなんか…。
偉い人がね。

来て 「お前たち ここで
ライブやっていいぞ」みたいな。

「1曲やっていいよ」みたいに
なったんだよね。

そうそう そうそう。
「1曲いいぜ」みたいな感じなのは

ちょっと気に入らないな
みたいなので

「30分やらせてくれるんだったら

やってもいいぜ」みたいな事
言ったら

「ダメだ」って言われて。
「でしょうね」みたいな。

(一同 笑い)

かわいい話だったですね。
ハハハハ…。

でも ホントに
あの時の あの瞬間に

自分の中では
セットリストを組んだんですよね。

その時に

あっ やっぱり この…

自分たちの歌っていうものが
ないなっていう…。

そこで やっぱり 島唄…

昔 じいちゃん ばあちゃんに
教わった…。

例えば 『てぃんさぐぬ花』とか

『月ぬ美しゃ』とか

そういう歌が セットリストで
浮かんだんですよね。

それね すごいですよね。
その時に

「あっ やっぱり 俺ら 違うな。
やっぱり…」。

体の中に流れてるもんが違うな
って感じですね。

そうです そうです。 なんか…。

そんなん 思いましたね。
なるほど。

〈ルーツに根ざした歌を〉

〈デビュー10年目で
初めて島唄のアルバムを出す〉

〈だが 島唄を歌うには

覚悟も必要だった〉

いや~ もう…。

沖縄のために やるぜって
なったんですけど

いざ やるとなると…

三線を弾くって

もう ちょっと怖くなって

「三線の教室に通ってみようかな」
っつったら

優に めっちゃキレられて…。
ハハハッ。

「なんで
お前が三線習いに行くば?」

みたいな感じで。 ハハッ。

でも それは正解だったと
思うんですけど。

その やっぱり あの…

なんか こう かしこまった

やっぱり 沖縄の古典民謡とかって
いうところではない

いわば 遊び唄って…
遊び唄って よく言うんですけど。

新曲ですっていう事で

なんか それで喜んでもらえて。

で 真っ先に

沖縄で受け入れられたな
っていうのを実感するのは

結婚式の余興で
使われるかなんですよ。

結婚式の余興があって

そのあとに
運動会に回っていくんですけど。

その両方を制覇したんです。

そういう流れがあるんですね。
ハハハハッ。

その時は 「来た!」みたいな。

みたいな気分になりましたね。

スタンダードになりつつ…。

エイサーで踊ってもらえる。
エイサーで踊ったりね。

〈2002年には

『島人ぬ宝』で

『紅白』初出場を
果たしている〉

♬~「知っているんだろう」

♬~「輝く星も」

どうやって
作っていったんですか?

すごくいい歌ですよね。

『島人ぬ宝』は あれは あの…

僕らの同級生の
石垣史昭っていう同級生が

ちょうど 中学…

中学2年生の担任をやってて

中学生に あの…。

「島への思い」か。
「思い」。

「思い」… というテーマで こう…

作文というか こう…。

アンケート…。
そうですね。 短いやつでしたけど。

なんか
そういうのを頼んだんですよ。

で そこから

歌詞をみんなで作ろう
という思いで作ったんですけど。

色が白くなりたいとか

なんか そういう思いが
色々書かれてる中で…

ヤギは おいしいとか
そういう… 書かれてる中で

やっぱり こう あの…

すごいなと思ったのは 僕らが
感心したのは

やっぱり あの…。

なんか
「宝」っていう言葉があって

その言葉は 素晴らしいなと。

中学2年生で。

すごいですよね。
そう感じてるんですもんね。

なんか もう…。

すごいなっていう思いがあって。

そこから その曲を

発展して作っていった…

作っていきましたね。

♬~

(一同)イーヤーサーサー!

(一同)イーヤーサーサー!

♬~

〈BEGINのメロディーに

あの森山良子が歌詞をつけた
『涙そうそう』〉

〈森山は
早くに亡くなった兄をしのんで

歌詞をつづったという〉

〈ステージで使われていた楽器
「一五一会」は

BEGINがギター会社と
共同開発したものだ〉

一五一会って作られて

すごく魅力的な楽器だなと思って。

指一本で

こういうふうに押さえるだけで

大体の歌が歌えるんですよ。

難しいコードじゃない限り
複雑なコードじゃない限りな。

よかったら弾いてください。
弾いてみてください。

まずは まずは…。

まずはお手本を。

お手本も何も…。
ホントに ちょっと こっち

僕の場合
数字振ってないんですけど

丸付いてるのが
2と3と4 5なんですよ。

で 何も押さえないのが「1」で…。

(一五一会)

で 「4」。

(一五一会)

これだけで成り立つんですよ。

例えば 『涙そうそう』だったら

「古い」で 「5」 「アルバム」。
(一五一会)

「4」 「めくり」。
(一五一会)

「ありがとうって」 「2」で…。
ホントだ。

「つぶやい」… 「5」
っていうふうに

これ 1本だけで弾けるんですよ。
すごいですね。

それが だから 面白いな。
この楽器はな。

ちょっと よかったら
触ってみないですか? これ。

じゃあ すいません。

これは じゃあ…。

(島袋)なんも押さえないのが「1」。

こうですか?
(一五一会)

(島袋)丸が… 丸が「2」。
(一五一会)

「3」 「4」 「5」です。
(一五一会)

じゃあ 「1」からいきますね。

「1」 「古い」 「5」。
(一五一会)

「5」です。 「5」です。
♬~「古い」

(島袋)「4」。
♬~「アルバム」

(島袋)「1」。
♬~「めくり」

「4」。
♬~「ありがとう」

「1」 次 「2」。
♬~「って」

(島袋)「5」。
♬~「つぶやいた」

これ1本でできるんですよ。

簡単ですね。

これ 結構 割と
すぐできるんじゃないですか?

そうです。
そうなんです そうなんです。

弾いた事ない…
楽器を全く触ってない方でも

パッと弾けたら笑っちゃうんすよ。
みんな あ~って。

押さえられればいいんですもんね。

(島袋)楽器の面白さが こう。

面白いよな この楽器はな。
うん。

♬~『涙そうそう』

♬~

って こういう ちょっと
こういうのも弾けるんです。

いいですね。
(スタッフの拍手)

お酒が飲みたくなってくる。

(一同 笑い)

やる方からしたら
入りやすいですもんね。

そうですよ。 そうです そうです。

なんか
ホントに思ってるんですけど

次は もう 歌を作る時代なんだと。

今 音楽が こう CDから
また 配信になってとか

ダウンロードしてとかって
言ってるけど

次は やっぱり もう
なんていいますか

音楽を自分で作って 歌えば

そんな事もいらないぞと。

だから 一五一会なり楽器を
始めましょうよっていう事は

前々から… ちょっと前から
言ってるんですね。

だから よく ギター始める方に
聞かれるんですけど

なんか もう 30ですけど
ギター始めるには遅いですか?

とかいうふうに聞かれたりすると

いや そんな事 全然なくて

もう いくつからでも…。
やればいいって。

やってほしいなっていうふうに
思いますね。

〈3人は ライブで
いつも そう心掛けている〉

♬~

沖縄は踊りがメインなんですよね。

地方っていって

地方の人は もう 三線弾いて
歌うだけなんですけど

地方は
舞台からも見えないんですよね。

あ~。
幕の後ろで…。

裏にいるんですか。
はい 裏で…。

で 地方の方は 何を見てるかって

踊りの方の足の動きを見て

太鼓の人も ドンドンって
こう 合わせたり

っていう事をやってるんですよね。

自分たちとしては
気持ち 地方の…

お客さんがメインですから
俺らは地方ですから

っていうのが
一番しっくりきてるのと

ホントに こう 自分たちとしては

結婚式の余興というか

あの感じが ちょうどいいなって
常々 思ってまして

やっぱり こう 暮らしの中で

どこか 息苦しいので…。
そうだよね。

その感じを取っ払って

この会場内だけは もう
自由にいてほしいと思いますし

だから どうにか お客さんの
その かしこまった感じを

どうやったら取れるか
みたいなのばかり

僕は考えてましたね。

〈毎年 6月末の沖縄は

BEGINのライブ
「うたの日コンサート」で

沸き上がる〉

〈スタートは
沖縄をテーマにし始めた

2001年だった〉

「うたの日コンサート」 あれは
元々 どうして始めたんですか?

なんか きっかけは
やっぱり いくつかありまして

で その中でも やっぱり
さだまさしさんが

「夏 長崎から」っていう
コンサートを

広島に原爆が落とされた日に
長崎から歌を歌うっていう事を

ずっと やられてて

そのコンサートに
僕らも何度か呼んで頂いて

その時に… 味わった事がない
会場の雰囲気

歌が とにかく
伸び伸びしてるんですよね。

ああ これが音楽だよな

歌だよなっていうふうに
すごく感じて

やっぱり 僕らも

歌について
もう一回 考えるべきだと…。

で 沖縄の場合は 6月に入ると…

6月の23日に慰霊の日があって

それに向けて
子供たちが 作文 書かされたり

かなり残酷な写真を見せられて

もう 給食も食べれないとか
すごく重いんですよね。

でも それは もう 「これを
ちゃんと知っておかないと

あんたたちは
もう二度と戦争をしない

っていう約束のために
見せてるから」みたいな…。

大人の… 本気だなっていう目も
わかるし…。

そんな中で育った自分たちなので

じゃあ その6月は
いつまで我慢すればいいのかと。

だったら
6月23日までは頑張って

「戦争は もうしないぞ」

「家族でこうやって暮らせる
っていう事は

どんだけ大事な事かって
みんなで考えよう」と。

でも その代わり
6月23日が終わったら

歌が解放された
っていう事なんだと。

沖縄で戦争が終わったあとは

とにかく 歌える事 踊れる事が
嬉しかったと。

赤ちゃんも… 泣いてる赤ちゃんの
口を押さえるほど

つらい事はなかったとかって話も
聞いたりとかして。

赤ちゃんも泣いていいんだと。

じゃあ

…って思いたいと。

戦争があったから
今があるんじゃなくて

解放されたあの瞬間の思いが

今の沖縄をつくったんだ
っていう事を

僕らは プラスの方を伝えていこう
っていう事で…。

歌自体に
ありがとうって言った事がないな

っていう事なんで じゃあ…。

♬~「僕が生まれた」

〈「うたの日コンサート」は

今や すっかり 地元に根づいた
沖縄の祭り… かもしれない〉

♬~「知っているんだろう」

(一同)イーヤーサーサー!

〈2005年のコンサートからは

会場で
募金を呼びかけるようになった〉

〈ハワイに
550個の楽器を贈るための

「ブタの音がえし」〉

〈戦後 深刻な食糧不足の沖縄に

ハワイの移民たちから
550頭のブタが届いた〉

〈その恩を忘れまいとする
試みだ〉

「ブタの音がえし」ですね
これもまた面白い話で…。

これは…

色んな テレビとか新聞を通して
呼びかけて

数を集めたいわけではないんだと。

550本届くまで繋がってられる
っていう事が大事だから

もう 「うたの日」の会場以外では
募金は…。

しなくて?
はい 頂かなくて。

さっきの一五一会なんかを
贈られてるって聞きました。

そうです そうです。

実際にハワイに行った際に
県人会の方々にお聞きしたら

三線はあるし…。

でも 一五一会は

沖縄の島唄もできるけど
ハワイアンも演奏できるから…。

簡単ですしね。
うん 簡単ですし。

だから そっちの方がいい
っていう事になり

今は メインで一五一会を…。

もう 今まで
何本ぐらい贈られたんですか?

それ でも まだまだだよな。

全然だよ。

(島袋)まだ5分の1もいってない。
(上地)ホントだ。 5分の1。

まあ 俺らの時代では無理ですね。

続くのが一番ですね。
そうです そうです。

〈ハワイの移民へ感謝を込め

ハワイのフラと沖縄のエイサーを
ミックスした

『ウルマメロディー』も
制作している〉

♬~

〈かつて海を渡った
日本人たちとの繋がりは

ハワイにとどまらない〉

〈ブラジルにも
数多くの日系移民がいる〉

(女性)どうも。
ハハハ…。

〈2011年から 3人は
コンサートなどを通じて

交流を深めてきた〉

〈ブラジルに古くからある
2拍子のリズム

「マルシャ」を知り

自分たちの音楽にも
取り入れている〉

♬~「いつしか忘れられた」

♬~「オジーの形見の三線」

でも マルシャって
すごく踊りやすいっていうか

2拍子で…
いつまでも踊ってられる感じで。

そうなんですよね。

マルシャっていうものを
教えて頂いたのは

横浜出身の坂尾さんっていう方が
いらっしゃって

もう ブラジルに ずっと
お住まいになってるんですけど。

急に…
ブラジルに行った帰りですよ。

もう 空港で…。

「ブラジルは 日本からの移民が
世界で一番多いところなんだ」。

「なぜだか わかるか?」と。

やっぱり…。

で 「それをよく表してるのが

このマルシャっていう
音楽なんだ」と。

今からもう100年以上前に

笠戸丸に乗って
神戸港を出港した

第1期の移民の方々が…。

今は サンバとかが
メインだと思いますけど

あの頃は
マルシャが流行歌として…

マルシャのリズムがあった
というんで

君たちは これをやって…。

になるような事をしなさい
みたいな。

一つ 約束として

「君たちは 一度始まったら
リズムを止めちゃいけないぞ」

って言われたんですよ。
始まった以上?

わかってると思う これは。
ハハハハ…。

で 「続けるから疲れる
っていうのは 大きな間違いで

止めるから疲れるんだ」と。

実験的に じゃあ まずは15分とか

そのぐらい続けてやってみようか
から始まったんですけど

だんだん
自分たちが演奏してるうちに

こう ゾーンに入っていく感じが
わかるんですよね。

あれ? なんか…。
勝手に動いてる…。

気持ちいいかもしれないぞ
みたいな。

今度… 起こった現象が

子供たちが 急に なんか こう
スイッチが入ったみたいに…。

動きだす?
踊りだすんですよね。

なんか ハイに…
テンションがめっちゃ上がって

好きに楽しんでるっていう…。

だから 2年間ぐらい
マルシャだけやったんで…。

ハハハ…。 だから もう ホントに

俺らが ファンクラブの方々に
どう おわびをしていいのか…。

(一同 笑い)

またか! みたいな感じだったと
思うんですけど…。

ウン ドイス せーの…
バルーン! バルーン!

バルーン! バルーン!
バルーン!

〈このマルシャに

八重山諸島の方言で
「しようよ」を意味する

「ショーラ」を繋げたリズムが

BEGINならではの
マルシャショーラ〉

♬~

♬~(一同)「赤い風船」

♬~(一同)「青い風船」

♬~(一同)「舞い上がれ」

♬~

オブリガード!

♬~

ありがとうございました!
もう一回 オブリガード!

(拍手と歓声)

マルシャにしても フラにしても
あと 島唄にしても

その土地から
生まれてくるものじゃないですか。

土とか 山とか 風景とか 海とか

やっぱり そこは
共通したものってあります?

沖縄は やっぱり

チャンプルー文化って
よく言いますよね。

だから
ミックスするっていう事…

混ぜ合わせるって事だと
思うんですけど…。

やっぱり 沖縄は
色んなものが こう混ざり合って

なんか こう
形になっていくんですけど

沖縄で生まれた者としての
大切にしてる部分が

僕の中に一つあって…。

…っていう事を思ってるんですよ。

だから マルシャをやるにしても
島唄 フラをやるにしても

自分たちが持ってる
最も大事なものを一回差し出して

そこで混ぜていくっていう…。

マルシャであれば

日本人が一番大切にしている
流行歌っていうものを差し出して

混ぜる事によって こう
ブラジルの方々に対しても

気持ちが伝わるんでなかろうか
みたいな事を思いますね。

30周年は
これから また 活動は さらに…。

はい。 どんなですか?

いやあ なんか やっぱり…
まあ 3人とも 50超えて

で 30年 音楽やってこれて

なんか やっぱり 個々に こう…
なんていうんですかね

やりたい事も…
まあ BEGIN以外で。

音楽以外の面白いとこも
なんか もしかしたら…

まあまあ… 外に伝えていっても
いい時期なのかな

っていうふうには
自分的には思ってて。

例えば 等だったら
ゴルフと料理が趣味なんで

料理本 出したりとか…
わかんないですけど。

出したくない それ。 出しません。

出しますか?
(上地)プレッシャーかけんな。

お前の事だけ言えよ。

でも まあ ホントに
住んでるところも違うですし

で それぞれの家庭も
あったりもするので

やっぱり こう
個性が出てきてもいいと思うしね。

でも やっぱり…
こう 同じ島で育った その…

なんていうのかな…。

これだけは もう…
絶対 なんかあって。

これは もう
しょうがないんですよ これは。

なんか だから もう…

なんか これからも
BEGINでやりながら

音楽を作る… 腐れ縁に
なるんだろうなっていうのは

やっぱり すごく感じますよね。

30年やらせて頂いて
なんか 今 言える…

今なら言ってもいいな
っていう事は…。

…っていうのを声高らかに
僕は言いたいんですよね。

アーティストに
なりたかったわけでもないんだと。

ただ 日本人ですっていうのを
言うために歌い始め

自分自身はですけど
職業としてやってるんだと。

だから 修理工のおじちゃんとか

散髪屋さんとかと同じ職業として

僕は歌を歌ってるだけだから

何も特別な事はなく…。

僕の思う音楽っていうのは
やっぱり

暮らしの中に職業としてある
っていう事を

30年経って なんか
自分で表せたらなとは思いますね。

30年以上も一緒にやっていて

で 余計… 生まれ故郷に対して
思いを持っているのが

印象的でした。

で やっぱり
人間は その土地に生まれて

やっぱり
どこかしら その土地の文化を

もらって生きてると
思うんですけども

民族の文化と結び付いてく
ってのは

スリリングだと思いました。

〈BEGINの3人が
大切にしてきた言葉〉

はい これです。

「やーならいどぅ ふかならい」
って言いますけども

これはですね
沖縄の方言なんですけど

「家での行いは 外にも出るよ」
っていう事なんですよ。

だから 多分 外で格好つけてても
家で なんか…

なんていうんですかね
だらしなかったら

結局 そういう人間になっちまうよ
っていう…。

なんか
まあ 教訓っていうのかな?

もう よく
子供の頃から言われましたね。

『イカ天』の時の なんか
好きな言葉っていうので

インタビュー受けてるんですよ
僕ら。

それでも これ言ってるんだよな。
(上地)これだな これ書いた。

進歩ねえな おい。
進歩ない。 30年 31年…。

本読め お前。 本。
進歩ねえ。

という事でした。
ありがとうございます。

〈悩んだら
原点に返れ〉

〈全ての答えが
そこにある〉


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