にっぽん!歴史鑑定「戦国の女たち 信長の正室・濃姫」濃姫スパイ説の真相とは!?謎に包まれた濃姫の最期にも迫り…


出典:『にっぽん!歴史鑑定「戦国の女たち 信長の正室・濃姫」』の番組情報(EPGから引用)


[字]にっぽん!歴史鑑定「戦国の女たち 信長の正室・濃姫」


信長の正室・濃姫。マムシの道三の娘・濃姫はなぜ、うつけ者と呼ばれた信長に嫁ぐことになったのか?濃姫スパイ説の真相とは!?謎に包まれた濃姫の最期にも迫ります!


詳細情報

出演者

【歴史鑑定人】田辺誠一

【ナレーター】鈴木順

番組内容

常識にとらわれない大胆な発想で戦国の世に君臨した革命児、織田信長。その破天荒な人生を陰で支えた女性たちがいました。その一人が、下克上で大名となった斎藤道三の娘として生まれ、信長の正室となった濃姫です。濃姫はなぜうつけ者と呼ばれた信長に嫁ぐことになったのか?濃姫はスパイだったのか!?さらに、近年の発掘調査で明らかになった信長と濃姫の絢爛豪華な御殿!そこで濃姫たちが討ち取った敵の首にしていたこととは!

番組内容2

?戦国武将の妻たちの驚くべき役目にも迫ります。信長が最も愛したのは側室の生駒吉乃だった!夫の心を奪われた正室・濃姫の思いとは!?史実から忽然と消え、謎に包まれた濃姫は信長と共に本能寺で死んだのか!?濃姫の後半生にも迫ります!

HP

http://www.bs-tbs.co.jp/kantei

音楽

Sinon「my tomorrow」

制作

2019年


『にっぽん!歴史鑑定「戦国の女たち 信長の正室・濃姫」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

にっぽん!歴史鑑定「戦国の女たち 信長の正室・濃姫」濃姫スパイ説
  1. 信長
  2. 濃姫
  3. 道三
  4. 美濃
  5. 女性
  6. 本能寺
  7. 吉乃
  8. 正室
  9. 側室
  10. 御台所
  11. 織田家
  12. 義龍
  13. 織田信長
  14. 尾張
  15. 斎藤道三
  16. 家臣
  17. 花嫁
  18. 会見
  19. 斎藤家
  20. 真相


『にっぽん!歴史鑑定「戦国の女たち 信長の正室・濃姫」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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<常識にとらわれない
大胆な発想で>

<戦国の世に君臨した革命児
織田信長>

<その破天荒な人生を
陰で支えた女性たちがいました>

<その1人が
下克上で大名となった>

<斎藤道三の
娘として生まれ>

<信長の正室となった
濃姫です>

<夫・信長は うつけ者?>

<濃姫は なぜ
そんな信長のもとに嫁いだのか?>

<濃姫 スパイ説の真相とは?>

<近年の発掘調査で明らかになった>

<戦国武将の妻たちの驚くべき役目>

<討ち取った敵の首にしていたこととは?>

<信長が最も愛したのは>

<側室の生駒吉乃だった?>

<夫の心を奪われた>

<正室・濃姫の思いとは?>

<濃姫は
信長とともに本能寺で死んだ?>

<謎に包まれた
濃姫の後半生にも迫ります>

<その歴史の謎 鑑定します>

さて 今回は戦国の風雲児

織田信長が
愛した女性たちが主人公です

信長には正室と8人の側室がいたと
いわれているのですが

今回 中心として取り上げるのは
この方

信長の正室である
濃姫です

濃姫は 信長をどう支え
どう生きたのか

まずは
濃姫と信長の出会いから

見ていくことに
しましょう

<天文4年 1535年
濃姫は>

<美濃国で生まれたと
伝わっています>

<父は 「美濃のマムシ」と恐れられた
斎藤道三>

<母は 美濃の名門 明智家出身で>

<道三の正室だった 小見の方>

<濃姫の本名は
分かっていませんが>

<「帰蝶」と名付けられたとも
いわれています>

<その名のとおり 美しく育った娘は>

<信長に嫁ぐことになるのですが…>

<実は 濃姫にとって信長は>

<2度目の結婚相手でした>

<最初の夫は 土岐頼純>

<土岐家は
美濃を治めてきた守護大名です>

<濃姫の父・道三は 一説には>

<油売りの商人から調略を重ね>

<仕えていた主人を裏切ることで>

<武将に成り上がったといわれる人物>

<そうして 土岐家の重臣にまで上りつめ>

<稲葉山城を手に入れたのです>

<さらに 守護職を務めていた
土岐頼芸を>

<美濃から追い出すことに成功>

<実質的な 美濃の支配者となりました>

<そして>

<頼芸の甥である頼純が>

<新たに守護職に就くと>

<道三は 娘の濃姫を頼純に嫁がせ>

<自らの立場を>

<盤石なものにしようとしたのです>

<このとき 濃姫 13歳>

<最初の政略結婚でした>

<ところが 結婚の翌年…>

<夫・頼純が 24歳の若さで>

<病により亡くなったのです>

<濃姫は 父・道三のもとへと戻ります>

<すると その矢先のことでした>

<道三にピンチが訪れます>

<越前の朝倉家と
尾張の織田家が>

<南北から美濃に
侵攻してきたのです>

<道三は 両軍相手に
戦うことは難しいと判断>

<織田家と
和睦することに決めます>

<そして その証しとして 娘・濃姫を>

<織田家の嫡男・信長に>

<嫁がせることにしたのです>

<しかし この頃の信長といえば…>

<派手な湯帷子をまとい>

<髪を茶筅髷にし>

<人目もはばからず ちまたを闊歩するなど>

<相次ぐ奇行により 「大うつけ」と>

<家臣や一族たちから
疎まれていました>

<そんな信長と濃姫の縁組を
どうしても実現させたかったのが>

<信長の傅役だった平手政秀でした>

<一体 なぜなのか?>

<戦国史に詳しい
小和田哲男さんによると…>

信長は お母さんであります
土田御前

あるいは 土田御前ともいってます

その彼女に
ちょっと嫌われてるということで

織田家の後継者として まあ…

家中では
ちょっと疑問を持たれていた

そんな空気をですね
平手政秀は察しまして

信長に家を継がせるためには

やっぱり 後ろ盾として
斎藤道三の力を借りようと

で まあ 縁組をすすめたという
側面があります

<濃姫は 信長に嫁ぐことになったのです>

<2度目となる 濃姫の政略結婚>

<嫁ぐ前に 濃姫は 父・道三から>

<1本の懐刀を渡され
こう告げられたといわれています>

信長が本当の
うつけ者だったら

この刀で刺し殺せ

<これに対し 濃姫は…>

分かっておりまする

でも もしかしたら…

この刀は 父上を刺す刀に
なるやもしれませぬ

わっはっはっ…

よく申した
それでこそ 我が娘よ

<隙あらば尾張を乗っ取ろうと
もくろんでいた>

<父・道三の狙いを理解しながらも>

<信長につくほうが得策となれば
父を裏切る>

<濃姫は まさに
マムシの道三の娘でした>

<こうして>

<濃姫は 尾張の織田家へと嫁ぎます>

<濃姫 15歳 信長は16歳でした>

信長との結婚は
再婚だったんですね

いや それにしても10代で

二度の政略結婚を経験するとは

戦国の世の習いとはいっても

やはり 大変だと思ってしまいます

さて 尾張へと輿入れ
することになった濃姫

父・道三は 祝儀にと

国境にあった尾張の村に

美濃から田んぼの水路を引いたとか また

婚礼の儀は
とても豪華だったとか

いわれているのですが

いや~ 戦国時代の結婚式

一体 どんなものだったんでしょうね

<まず 吉日を選び>

<婿側の家が嫁を迎えにいく>

<「嫁迎えの儀」が行われます>

<婿側から選ばれた2人の使者が>

<先方に婚礼の挨拶を
述べにいくというもの>

<それが終わると
花嫁は両親に別れを告げ>

<嫁入り道具とともに輿に乗って
家を出ます>

<婿方の家につくと 花嫁を乗せた輿は>

<そのまま
屋敷の中の座敷まで担ぎ入れられ>

<「輿寄せの儀」を行います>

<こうして ようやく祝言の準備です>

<花嫁が着る白装束は 純潔無垢を表し>

<嫁ぎ先の家風に染まることを意味する
といわれています>

<婚礼の儀式は 夜になってから>

<まず 花婿と花嫁
そして 侍女たちだけで>

<三つの盃で三度ずつ酒を飲み干す>

<「式三献」と呼ばれる酒宴の儀が行われ>

<夫婦の固めの盃が交わされます>

<そして 身を清めてから寝所に入り>

<「初夜」を迎えるのです>

<婚礼の儀式は 3日間におよび>

<その最終日に
花嫁は色物の衣装に着替える>

<「色直し」を行い>

<このあと 婿方の家族や家臣たちと
初めて挨拶>

<正式に嫁として迎えられるのです>

<かつての 敵のもとへ嫁ぐことも
多かった戦国時代>

<幼い頃から
花嫁教育が徹底されていました>

斎藤家とか織田家関係の
この資料はないんですけれども

北条早雲ですね その三男

幻庵が嫁いでいく
北条家の娘のために記した

「幻庵覚書」という資料があるんです

それによりますとね
冒頭 第一条には

というようなことも
書かれてます

う~ん… そこからですか

小和田先生 これ
どう呼べと書かれているんですか?

まあ 夫は「上様」 それから

舅は 「御屋形様」などですね

「親類関係 屋形号で呼ぶように」
というふうに書かれています

そうなんですか それは言われないと
分からないですもんね

他には どんなことが
書かれているんでしょうか?

祝言などですね 儀式は

嫁ぎ先の様式に従うように
という意味で

「実家では どのようにしなさいと
言われていますか?」と聞かれても

「いや 覚えてません
というふうに答えなさい」と

そこまで書いてあります

う~ん 相手に恥をかかせたり

機嫌を損ねたりしないように

「郷に入っては郷に従え」
というわけですね

そうですね まあ 他にも

年中行事の進め方など
それこそ「微に入り細を穿った」

花嫁教育が行われていたってことを
うかがわせます

ああ… これ 面白いですね

先生 ありがとうございました

さて こうして
美濃から尾張の

織田信長のもとへと
嫁いだ濃姫ですが

実は 最初に「濃姫」と呼んだのは

信長だったといわれています

「美濃から来た姫だから」と

では その2人の
結婚生活なのですが

濃姫 あることに悩んでいたようです

<濃姫は 「うつけ者」と呼ばれた
夫・信長の奇行に>

<悩まされました>

<濃姫が 織田家に嫁いでから
3年がたった頃>

<信長の父・信秀が病により
この世を去ります>

<その葬儀のときのことでした>

<信長は 遅刻してきたばかりか
いつものように>

<茶筅髷で袴も着けずに やってきたのです>

<そして ずかずかと霊前に進むと>

<焼香のための抹香をつかみ…>

えいっ!

<父・信秀の位牌に投げつけたのです>

<父とは確執があったといわれる
信長ですが>

<それは 父への憎しみだったのか>

<信長なりの悲しみだったのか…>

<しかし この奇行により>

<信長は また
評判を落としてしまったのです>

<濃姫が信長の行動を
父・道三に密告!?>

<濃姫 スパイ説の真相とは!?>

<夫・織田信長のうつけぶりに
悩まされる濃姫に>

<また 悩みが>

<今度は 信長が夜な夜な家を出ていき>

<明け方に戻るようになったのです>

<不審に思った濃姫は…>

上様に伺いたいことが
ございます

何じゃ? 申してみよ

上様が 夜ごと
お出かけになるのは

どなたか別の女子の所へ

通っておられるから
なのでしょうか?

何… そのようなことではない

実はのお 美濃の家老で
わしに内通する者がおるのじゃ

そやつらに 舅の

と言ってあっての 毎夜

その狼煙が上がってないか
見にいっておるのじゃ

それは まことでございますか!?
まことじゃ

狼煙が上がれば 美濃に攻め込む

<これを聞いた濃姫は>

<父・斎藤道三に密書を送り>

<危険を知らせました>

<知らせを受けた道三は すぐさま>

<信長と通じているという家老たちを見つけ>

<斬り殺すのです しかし…>

<実は これは信長の策略でした>

<濃姫が 美濃側のスパイとして>

<必ず情報を伝える
と見抜いていた信長は>

<それを逆手に取り
嘘の情報を濃姫に伝え>

<美濃の内紛を画策した
というのです>

<さて この逸話の真相とは?>

うん? スパイ? 内通者?

小和田先生
この話の真相は

どうなんでしょうか?

まあ 他家に嫁いだ姫がですね

折に触れて 嫁ぎ先の様子を

実家に報告するっていうことは
よくあったんです

しかし 私はこのエピソードは
後世の創作だというふうに見てます

えっ まったくの創作ということですか!?

その理由というのは…

まず 一つ目はですね

この時期の信長の居城は
那古野城ですので

那古野城から
稲葉山城で上がる狼煙は

距離的に これは
絶対見えないと思います

な~るほど
もう一つは この時点で

斎藤道三の家老がですね

誅殺されたという事実はありません

それと 道三と信長がですね

敵対する必然性もないんですよね

なるほど~

先生 ありがとうございました

<道三と信長は
強い信頼関係を築いていました>

<きっかけとなったのは>

<濃姫が信長に嫁いだ4年後の>

<こんな出来事>

<道三は 信長が
本当に うつけ者なのかを知るため>

<直接会って 確かめることにしたのです>

<会見の場所となったのは>

<美濃と尾張の国境にあった寺院>

<しかし 道三は
会見の前に信長を見定めようと>

<道沿いの小屋に忍び
信長を待ち受けます>

<やがて
行列を率いてやってきた信長は>

<相変わらずの茶筅髷に
派手な色の着物と>

<奇抜な虎皮の袴をつけていました>

<ところが
会見の場で相対した信長は…>

う~ん…

<いつの間にか 髪を結い直し>

<正装に着替えていたのです>

<道三は このたった一度の会見で>

<信長が
ただ者ではないと見抜きました>

美濃を手に入れるためには
手段を選ばなかった道三と

それから 「うつけ」と呼ばれても

自らのスタイルを崩さなかった信長

2人とも当時から見ると ちょっと

常識外れな部分が多かったんですね

ですから 既成の秩序を壊し

新しいものをつくり上げる
改革者であった

そういった意味では
似た者同士が

引き合って 認め合うのは

私は必然だったんじゃないかと思います

<互いに持つ
たぎる野心を感じ取り>

<認め合った道三と信長>

<そんな2人の強い信頼関係が分かる
出来事が起こります>

<会見が行われた翌年>

<駿河の今川義元が尾張に侵攻>

<織田方の
緒川城の近くにある>

<村木村に
砦を築いたのです>

<しかし 村木砦の攻略に兵を出せば>

<信長の居城 那古野城が
がら空きになってしまいます>

<困った信長は
美濃の戦国大名となっていた>

<濃姫の父・道三に 援軍を頼みました>

<すると すぐに>

<信長の居城 那古野城の周囲に陣取り>

<防備を固めたのです>

当時 戦国時代ですから
本拠地をですね

他国の軍隊に守らせるっていうのは
異例なんですよ

これは たぶん 道三と信長の関係が

まさに 濃姫を通じてですね

固く結ばれていたからとも
いえると思います

<これにより 背後を固めた信長は>

<熱田から海を渡り緒川城に入城>

<当時としては まだ珍しかった>

<鉄砲を用いて 砦を攻略>

<今川方を
降伏させることに成功したのです>

<こののち 道三は>

<家督を息子の義龍に譲り>

<出家しました>

<そして 鷺山城で>

<ゆっくりと隠居生活を
始めようとしたのですが>

<その矢先>

<義龍が実の弟たちを
殺害するという>

<暴挙に出たのです>

<道三にかわいがられていた
弟たちが>

<自分に取って代わるのでは
と恐れたためでした>

<これに激怒した道三は
挙兵>

<鶴山付近に布陣し>

<息子・義龍と相対します>

<しかし>

<美濃を強引に乗っ取った道三に>

<不満を抱えていた家臣団が義龍を支持>

<義龍軍 1万2000の兵に対し>

<道三のもとには2000ほどの兵しか>

<集まりませんでした>

<道三は死を覚悟したのか>

<こんな書状を書き残します>

<道三の危機を知った信長は
すぐに挙兵します>

上様

どうか父上をお助けください

うん

<信長は美濃の大良河原まで
進軍しましたが>

<義龍軍に行く手を
阻まれてしまいました>

<そのため
道三は劣勢をはね返すことができず>

<首を落とされ この世を去ったのです>

<父・道三の非業の死を知った濃姫は>

<悲しみにくれました>

<百か日法要の際には>

<父・道三の肖像画を描かせ>

<美濃にある斎藤家の菩提寺に>

<寄進したといわれています>

<そんな道三の死から 4年>

<27歳となった信長は>

<桶狭間の戦いで 駿河の今川義元を討ち取り>

<三河の徳川家康と同盟を結んで>

<背後を万全にすると>

<いよいよ 美濃攻めに
乗り出します>

<このとき 美濃は斎藤義龍の病死によって>

<息子の龍興が治めていました>

<信長は まず斎藤家の重臣たちの一部を>

<調略によって味方につけると>

<稲葉山城を攻め落とし>

<念願の美濃を手に入れたのです>

<稲葉山城に入った信長は>

<城の名を岐阜城と改め>

<ここを
天下取りの拠点とします>

<戦国武将の妻たちの驚きの役目>

<濃姫が討ち取った首にしていたこととは?>

<織田信長が天下取りの拠点とした岐阜城>

<そのふもとで平成20年 2008年に>

<発掘調査が行われ>

<瓦の破片が見つかりました>

<分析の結果 表面に金箔が施された>

<直径28センチもある
飾り瓦だったことが判明>

<そんな豪華な瓦を用いた建物とは>

<どんなものだったのか>

<ここを訪れたポルトガル人宣教師
ルイス・フロイスが記した>

<「日本史」によると>

つまり 信長が濃姫のために

金箔を施した御殿を
建てていたと

考えられているのです

贅を尽くした信長らしい

実に豪華なものだったんでしょうね きっと

濃姫のような
武将の妻たちは

普段は こうした御殿で
暮らしていました

しかし 戦乱の世

いったん戦が始まると 妻たちも天守にこもり

戦いに備えたといいます

合戦中の妻たちの役目とは

一体 どのようなものだったのでしょうか

<信長の出陣中 濃姫は何より>

<夫の無事を
神仏に祈りました>

<しかし それだけではありません>

<合戦で夫たちが城を出て行けば>

<当然 夫が城にいるときにやっていた仕事を>

<代わりにやらなければなりませんでした>

<その一つが>

<戦国大名
北条早雲も>

<家訓の中に
こう記しています>

<「夕方になったら
台所や中居など」>

<「火の置いてあるところを
見回り」>

<「火の用心を
しっかりするように」>

<女性たちが集まり>

<炊事などで火を使う台所と中居は>

<特に火事の火元になりやすい場所でした>

<また 籠城戦になると>

<女性たちは
男たちと共に>

<を行いました>

<当時の火縄銃の弾は>

<鉛を溶かして丸く固めただけで>

<女性でも作ることができたからです>

<さらに
女性たちが任されたのが>

<何と 首化粧>

<天守に集められた敵将の首を水で洗い>

<その首に 誰々が誰々の首を討ち取った
などと記した札を>

<つけていきました>

<これは のちに褒美を与える論功行賞の際に>

<誰の手柄かを はっきりさせるためでした>

<このとき その首に>

<お歯黒を塗ったといいます>

当時 男の人もですね
大将クラスになりますとお歯黒してるんですね

ですから これは 身分の低い侍を

身分の高い侍の首に見せるために
お歯黒を施した

これはですね 手柄を決める論功行賞のときに

高い評価を夫たちが
受けられるようにするためだったんです

<戦国時代後期になると 戦は熾烈を極め>

<女 子供を含め 城中皆殺しという例が
増えていきました>

<そうなれば 自ら身を守らなければならず>

<日頃から
なぎなたなどの訓練も行ったといいます>

<戦国の女性たちは 常に>

<嫁いだ家と運命を共にする覚悟を持って>

<生きていたのです>

う~ん やっぱり大変ですね

戦国時代は戦に出ている男たちだけではなく

女性も常に命をかけ

戦っていたんですね

天下布武を掲げ
まい進する信長の正室ともなれば

日々 神経は消耗してしまう

そういったところでしょうね

そんな中 濃姫には さらにもう一つ

課せられた役目がありました

それは 世継ぎを産むということ

しかし 何年たっても
待望の世継ぎを授かることはありませんでした

そこで信長は 側室をとることにします

<信長が最も愛したのは側室の吉乃だった>

<その時 正室・濃姫は?>

<信長と正室・濃姫の間に>

<子供はできませんでした>

<そこで 信長は
側室を持つことにします>

<生涯 8人の側室が>

<いたといわれますが>

<信長から
最も寵愛を受けたのが>

<生駒吉乃でした>

<吉乃は享禄元年 1528年>

<尾張国の有力豪族>

<生駒家の娘として生まれます>

<成長した吉乃は 一説には>

<信長の母の甥にあたる>

<弥平次と結婚>

<しかし 29歳のとき
その夫が戦死してしまったのです>

<未亡人となり
実家に戻っていた吉乃を見初めたのが>

<信長でした>

<信長より6歳年上の吉乃は>

<色白で優しく>

<控えめな性格だったといわれています>

<側室となった翌年には 長男・信忠を出産>

<このとき 信長は
子ができない濃姫をはばかり>

<城の外でひっそりと産ませたと
いわれていますが>

武家の女性にとって
どっちかっていうと

嫉妬は はしたないことっていう
意識があったために

内心はともかくとしてですね 表面上

正室と側室がぶつかり合うことは
なかったと思います

<信長の寵愛を受けた吉乃は>

<その後も次男の信雄
長女の徳姫をもうけますが>

<産後の肥立ちが思わしくなく>

<床に伏せってしまいました>

<これを知った信長は
吉乃の生家 生駒家に こう命じます>

<信長は吉乃を>

<完成したばかりの小牧山城の
奥を取り仕切る>

<御台所 すなわち正室の待遇を>

<与えることにしたのです>

<病を押し 何とか小牧山城に移った
吉乃だったのですが>

<御台所となってから わずか2年で
この世を去ってしまいます>

<39歳でした>

吉乃を失った信長は
男泣きしたといわれています

吉乃が残してくれた息子・信忠は こののち

濃姫の養子となり

正式な世継ぎとして 天正4年 1576年

信長から織田家の家督と
美濃東部と尾張国の一部を譲られ

岐阜城主となります

ということは 分かっているのですが

実は 信長が美濃を手に入れたあとの
濃姫の記録が

ほとんど残っていないのです

これ 一説には
利用価値のなくなった濃姫は

信長に離縁された

または すでに亡くなっていた
などとも

いわれているのです

謎に包まれた濃姫の後半生について

調べていくことにしましょう

<織田信長と交流のあった公家
山科言継の日記に>

<信長の美濃攻略から
2年後の>

<こんな逸話が
記されています>

<信長は斎藤道三の息子
義龍の未亡人に>

<所持する名品のつぼを
差し出すよう命じました>

<すると 義龍の未亡人は こう答えるのです>

<「戦乱のさなか
つぼは紛失してしまいました」>

<「それでもなお
差し出せとおっしゃるのなら」>

<「もはや自害して果てるしかありませぬ」>

<これを知った信長の本妻と呼ばれる女性が>

<擁護します>

<「もし 義龍の妻を自害させるのなら」>

<「私も自害いたします」>

<さらに 斎藤家の旧臣たちも>

<これに連なり抵抗>

<大事件に発展してしまいました>

<さすがの信長も本妻の意見を聞き入れ>

<未亡人を許したといいます>

<では
この日記に書かれている信長の本妻とは>

<誰なのか>

<義龍は濃姫にとっては 母違いの兄>

<この時期 織田家の中で>

<義龍の未亡人をかばうことができたのは>

<濃姫以外には いません>

<つまり
信長が美濃を手に入れた2年後の>

<と 考えられるのです>

<そんな濃姫が本能寺の変で>

<信長と共に戦死していた!?>

<その真相とは>

<織田信長の配下には
濃姫の故郷である美濃出身の武将が>

<多く仕えていました>

<明智光秀も その一人です>

<濃姫の母・小見の方は>

<光秀の叔母にあたり>

<濃姫と光秀は>

<いとこ同士だったといわれています>

<こうした縁もあってか>

<光秀は信長に気に入られ>

<様々な任務を任せられるようになり>

<信長の躍進に貢献しました>

<しかし>

<早朝>

<光秀が
京都・本能寺に滞在していた信長を襲撃>

<信長は49歳で命を落としました>

<信長の家臣 太田牛一が記した>

<「信長公記」には>

<本能寺の変の際
信長が>

<そう言って女性たちを逃がした>

<と書かれています>

<このことから 本能寺には
信長の世話をしていた女性たちがおり>

<その中には正室の濃姫もいて>

<本能寺で信長と共に戦い 亡くなった>

<と いわれているのです>

<岐阜市不動町にある>

<本能寺の変で亡くなった濃姫の遺髪を>

<家臣が持ち帰り
この地に埋めたといわれています>

<では 濃姫が本能寺で亡くなったというのは>

<本当なのでしょうか>

戦国時代の女性がですね
合戦に参加しなかったというと

そうではありませんで

実際に戦場で男並みの働きをしたという
女性もいます

しかし 残念ながらですね 濃姫が

本能寺の変で死んだという話は

史料的な裏付けはなくて

たぶん 後世の創作だと思います

ですから 後世の人々は濃姫に

勇敢な女性像を
あてはめたかったのかもしれませんね

<濃姫が本能寺の変で
亡くなっていないのならば>

<それを知る手がかりの一つが>

<信長の家臣だった蒲生氏郷の功績を記した>

<「氏郷記」>

<そこには 本能寺の変の際>

<信長公の
御台所を>

<安土城から
近江の日野谷へ避難させた>

<と あるのです>

<また 安土の>

<にあるとされる
織田家の過去帳には>

<信長の正室が慶長17年>

<78歳で亡くなったと記されています>

<これが事実ならば 濃姫は本能寺の変ののち>

<30年ほども
長生きしたということになりますが>

いずれの史料にもですね

御台所としか
記されていないので

その御台所 イコール 濃姫と

断定することは
ちょっとできないんですね

ですから私は
濃姫は本能寺の変より前

だいぶ前です 天正元年 1573年には
亡くなっていたんではないかというふうに

考えております

<その根拠としているのが>

<濃姫の実家である
斎藤家とゆかりのあった名僧>

<快川紹喜が残した「法語」>

<そこには 濃姫とみられる女性が>

<側室・吉乃の死から8年後の天正元年>

<1573年に亡くなったと記されているのです>

<つまり 本能寺の変の9年前に>

<濃姫は すでに亡くなっていたと>

<では 本能寺の変の際に登場する 御台所とは>

<誰なのか>

本能寺の変の頃に

信長の最も寵愛を受けていたという女性が
お鍋の方なので

私は彼女が御台所といわれていた可能性は
高いとみてます

<信長の葬儀の際に>

<羽柴秀吉から信長の位牌を受け取ったのも>

<お鍋の方といわれています>

<また 岐阜の崇福寺には>

<信長の位牌所を この寺にするように
という指示を出した>

<お鍋の方の書状が残されています>

<これらのことから
正室・濃姫が亡くなったあと>

<本能寺の変の頃には お鍋の方が>

<織田家を取り仕切る御台所になっていたと
推測できるのです>

なるほど 最愛の側室・吉乃のことも

御台所として 新たな城に迎え入れていた
織田信長

最後に最も寵愛を受けていた側室
お鍋が このとき

御台所と呼ばれていたとしても
不思議ではありませんよね

<戦国の乱世 マムシの道三の娘として生まれ>

<織田信長に嫁いだ濃姫>

<夫の最期をみとることは
できなかったかもしれません>

<しかし 若き信長が>

<天下人へと駆け上がっていく
最も大切な時期を>

<身近で支えた女性だったことは
確かなのです>


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