日経スペシャル 私の履歴書【金融界の偉人・安斎隆】バブル崩壊後の金融業界に身を置く安斎氏の生きざまを通して…


出典:『日経スペシャル 私の履歴書【金融界の偉人・安斎隆】』の番組情報(EPGから引用)


日経スペシャル 私の履歴書【金融界の偉人・安斎隆】[字]


日本長期信用銀行の破綻処理に奔走した金融界の偉人・安斎隆。バブル崩壊後の金融業界に身を置く安斎氏の生きざまを通して激動のニッポン金融史をひもとく。


詳細情報

番組概要

日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」の映像化。偉人を取り上げ、本人インタビューを軸に深く掘り下げる。こだわりを紹介する「私の逸品」も。

ナレーション

長谷川博己


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日経スペシャル 私の履歴書【金融界の偉人・安斎隆】バブル崩
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  10. 投入
  11. リップルウッド
  12. アメリカ
  13. セブン銀行
  14. 企業
  15. 公的資金
  16. 小渕総理
  17. 当時
  18. 日銀
  19. 年前
  20. コンビニ


『日経スペシャル 私の履歴書【金融界の偉人・安斎隆】』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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私らが悪いんであって
社員は悪くありませんから!

20年前 日本を奈落の底に
突き落とした金融危機。

なかでも 日本長期信用銀行
通称 長銀の破たんは

世界恐慌を引き起こす
危機とまでいわれました。

そこに立ち向かった男がいます。

長銀の破たん処理という
困難な仕事を担った

元頭取の安斎隆です。

バブルの塔と やゆされた
長銀ビルは取り壊され

すっかり様変わりしていました。

批判も覚悟の

誰もが就くことを ちゅうちょした
頭取のポストでした。

長銀の職員だった
国会議員の階猛が

裏事情を語ります。

金融危機は 大勢の逮捕者と
自殺者も出しました。

破たんした

粉飾決算の疑いで
有罪判決を受けます。

(スタッフ)それも全部自分で?

2018年 安斎隆は

日本経済新聞に
『私の履歴書』を連載。

これは 日本の金融が
生まれ変わる時代を書き留めた

戦いの記録です。

ハッピーエンドのない悲痛な任務。

長銀破たん処理の裏で
いったい何が起きていたのか?

新たな銀行の誕生。

コンビニの生みの親が
安斎に託した思いとは?

金融危機を乗り越えて。

安斎隆の生まれ故郷

町を見下ろす二本松城は
明治維新のとき

新政府軍との
激しい戦いの舞台になりました。

城の跡地には 5代目藩主

丹羽高寛が残した
石碑があります。

そこに…。

安斎の人生訓となった

4句16文字の歌が
刻まれていました。

「爾の俸 爾の禄 民膏 民脂なり。

下民虐げ易きも 上天欺き難し」
って書いてある。

1941年
農家の次男として生まれた安斎。

子どものころから
勉強がよくできて

東北大学に進学。

在学中 司法試験に合格しました。

しかし 就職先は
日本銀行を選びます。

安斎は 1963年
東京オリンピックの前の年に

日銀に入行しました。

時は 高度経済成長の真っただ中。

池田首相の施政方針演説。

池田勇人が打ち出した
所得倍増計画で

日本の国民総生産は
10年で4倍に。

そんな中 安斎は結婚。

支店勤務を重ねて
経験を積んでいきます。

そして 安斎が44歳のとき

日本経済を揺るがす
大きな出来事が。

1985年9月。

先進5か国の大蔵大臣らが集まり
プラザ合意が発表されました。

ドル高が是正され

円相場は
2年余りで

1ドル=240円台から
およそ120円に。

これが
日本が バブル経済に突入する

きっかけになった
といわれています。

余ったカネが不動産に注がれる。

跳ね上がる地価を担保に
資金を貸し出す銀行が

全国各地で急増していったのです。

このころ 安斎は
本店で金融機関の資産と

経営内容をチェックする
考査役に就きます。

危機に気付いたのは
そのときでした。

安斎の指摘にもかかわらず

無理をしてでも業績をあげろ
という経営の声は

収まりません。

そして バブルは崩壊。

上がりきった地価と株価が

一気に暴落。

企業の返済が滞り

銀行は多額の不良債権を
抱え込んだのです。

1996年。

事態が
更に大きく変わります。

ジャパン イズ ベリー インポータント…。

金融市場開放を迫る
アメリカに押され

橋本政権は
金融ビッグバンと呼ばれる改革を実施。

護送船団方式といわれた
国が銀行を守る仕組みが消滅し

金融の自由化が加速しました。

このとき 安斎は日銀ナンバー3。

理事のポストに上り詰め

アメリカの脅威を
じかに感じていました。

そして 1997年。

これだけは言いたいのは

山一證券や
北海道拓殖銀行などが

相次いで破たん。

翌年 ささやかれたのが
長銀の破たんでした。

世界恐慌の引き金になると
懸念されたのです。

日本長期信用銀行は

日本が朝鮮戦争特需に沸き始めた
1952年

企業への長期融資を
専門にする銀行として誕生。

安定した高度経済成長を
支えてきました。

しかし
業績好調な企業が増えると

需要が減って
長銀は融資先に苦しむことに。

活路を求め バブル期に
不動産融資に のめり込み

多くの不良債権を
抱え込んでしまったのです。

国会議員の階猛は
かつて長銀に勤めていました。

破たん前
行内の雰囲気はどうだったのか。

安斎は経済への影響を防ぐため

長銀への公的資金

つまり税金の投入などの
手だてが必要と考えていました。

1998年 任期満了に伴う
参議院選挙が行われ

橋本政権が惨敗
退陣に追い込まれます。

いろいろ
長い間 ご苦労をかけました。

次に総理になったのが
小渕恵三でした。

直後に開かれた国会では
金融再生が最大の争点に。

通称 長銀国会ともいわれました。

長銀を含めた金融危機の収束。

そこに日本の未来が
かかっていたのです。

当時 安斎が大胆な公的資金の
投入を訴えたのは

苦い経験があったから。

1998年3月。

政府は大手銀行に
およそ11兆円ともいわれる

多額の公的資金投入を
準備したものの

銀行側は世論の批判を恐れ

受け入れを渋り
1.8兆円の投入にとどまります。

これが機能しなかったことで

野党から反発が起きていました。

当時
参院の過半数は野党が占めて

国会は ねじれ状態に。

安斎は与野党を越えた
大胆な公的資金投入の決断を

政治家に訴えます。

そんな中 新たな動きが。

若手議員らが
与野党を越えて協力し

金融再生の法案を
作り上げたのです。

後に民主党政権で
経済財政担当大臣となった

古川元久。

政策新人類と呼ばれた
若手の一人でした。

修正 起立いたしました。

安斎の努力も実り
公的資金を投入できる法案が成立。

同時に経営難の銀行を

一時国有化する法律も通りました。

そして 長銀は…。

こうして 長銀は国有化され

破たん処理が
進められることになります。

新たな船出となった
長銀の目下の課題は頭取探し。

難航していました。

そして 安斎が官邸に
呼び出されることになるのです。

待っていたのは
小渕総理と野中官房長官でした。

東京千代田区 内幸町 長銀ビル跡地。

1998年 長銀の破綻は
その規模と影響力から

世界恐慌の引き金になるのではと
懸念されていました。

当時 頭取として
破たん処理に奔走したのが

日銀出身の安斎隆です。

そういう意味でね…。

国有化された長銀の
不良債権などを どう処理するか。

その かじ取り役である頭取を
引き受ける人は

なかなか見つかりません。

そこで 白羽の矢が立ったのが
安斎でした。

日銀の総裁室に呼ばれ…。

安斎は覚悟を決め
その日の午後 会見を開きます。

日銀のナンバースリーという立場を捨て

あえて 火中の栗を
拾いに行ったのは なぜなのか?

頭取に決まった翌日
安斎は総理官邸に呼ばれます。

待っていたのは
小渕総理と野中官房長官。

言葉は厳しいものでした。

金融危機を引き起こしたのは

日銀の責任だと
叱責してきたのです。

安斎は食い下がります。

「そうだよ」 立ち上がってね。

これはもう ホントに

こうして
頭取としての仕事がスタート。

しかし 大きな問題が。

かつて 3, 700人いた職員が
2, 700人にまで減り

同時に
賃金カットも追い打ちをかけます。

疲弊していく長銀行内で
安斎が重視したのは

職員とのコミュニケーション。

食事や 一斉メールなどを
積極的に行い

考え方を共有するように
心掛けたのです。

いちばんの課題は

ひん死の長銀を引き受けてくれる
買い手さがし。

安斎は
日銀時代の人脈をフル活用して

大手銀行を回りました。

そこで アメリカの金融グループ
ゴールドマン・サックスに

買い手さがしを依頼します。

すると
アメリカの投資会社 リップルウッドが

買収を検討しているとの情報が。

しかし 外資への売却には
反発が起こりました。

弱った日本の企業を
安く買い叩く

ハゲタカファンドではないかとの懸念が
強かったのです。

安斎は リップルウッドの
コリンズ最高経営責任者と面会し

率直に ぶつけました。

売却先は リップルウッドに決定。

長銀の破たん処理に
投入された税金は およそ8兆円。

対して リップルウッドの購入額は
僅か10億円でした。

仕事を終えた安斎は
頭取退任の会見を行います。

事実 この長銀の処理には
反対意見が相次ぎました。

あのときに そんな…。

瑕疵担保条項とは 買い手に
予期せぬ損失が出た場合

国が損失をカバーするという
優遇措置。

リップルウッドとの契約には

この瑕疵担保条項が
付けられていたのです。

重い国民負担に
安斎率いる長銀への非難が殺到。

っていうことは
反発するっていうのは

それはね
そのまま 処理するっていうか…。

実は 安斎の判断を支持する動きも
出ていました。

迅速な長銀の処理が
日本発の金融恐慌への不安を

ふっしょくしたと
いわれています。

その一方で 金融界は深い傷を
負うことにもなりました。

長銀では 粉飾決算や
虚偽の報告などの罪で

大野木元頭取ら
旧経営陣3人が逮捕されます。

長銀と同じく破たんした
日本債券信用銀行。

当時 頭取を務めていたのが
東郷重興です。

日銀出身で安斎の3期後輩。

逮捕され 無罪を勝ち取るのに
12年もの歳月を費やしました。

瞬間的に思いました。

しかし
投入された公的資金の一部は

いまだに返済されていません。

傷は まだ癒えていないのです。

2000年3月に 長銀の頭取を
退任した59歳の安斎。

故郷 福島に向かっていました。

新たな就職先を探しながら

久しぶりに
実家に戻っていたときのこと。



人生を変えた1本の電話が。

相手は あの人でした。

8月の終わり
帰郷した安斎が訪れたのは…。

中に入ると…。

「安斎隆さん。 ようこそ!」って。

安斎を出迎える
「ようこそ!」の電光掲示板が。

向かった先は 市長室です。

申し訳ありません
こんにちは お忙しいところ…。

ありがとうございます。
なんか こんなね

大げさなことになっちゃって。
ようこそ おいでいただきました。

ありがとうございます。

安斎は 4年前から 二本松市の
地方創生アドバイザーを務め

会合にも積極的に参加しています。

これ 今年の案内状です。
あ~ そうですか。

この日は 10月に行われる
提灯祭りの打ち合わせ。

今年 日本語版のガイドと

それから英語版…。
英語? 国際的だな。

英語でね 二本松の祭りをね

紹介するように
なってきてるんだね。

安斎について 三保市長は…。

安斎の実家は 町の中心部から
車で およそ15分。

上川崎地区にあります。

どうぞ いらっしゃい。

(スタッフ)お邪魔します。
はい。

入りますよ。

はい どうも ホントご無沙汰でね。
いやいや どうも。

皆さん どうも
ありがとうございます。

こんな田舎に来てくださいまして。

出迎えてくれたのは
義理の姉 ケイ子さん。

今は 兄家族
3世代が住んでいます。

(スタッフ)あ~ そうですか。

20年前
破たんした長銀の処理を終え

頭取を退任した安斎。

しばらく 実家に
戻っていたときのことです。



ある日 1本の電話が。

最初に受けたのは
ケイ子さんでした。

あなたが言ってたよ
カンテイって なんのカンテイ…。

なんのことか わかんないわね
田舎者 なんにも。

激務を終えた安斎を
気にかけていた

小渕総理からの電話でした。

小渕総理の口添えは
ついに かないませんでした。

と心に決めた安斎。

すると長銀退任から4か月。

意外な人物から声がかかります。

コンビニを日本に定着させた

日本初の銀行を
つくろうと考えていました。

破たんした 長銀の処理を終え
再就職先を探していた安斎隆。

意外な人物から声がかかります。

セブンイレブンの元社長 鈴木敏文。

ATMに特化した日本初の銀行を
立ち上げようとしていました。

金融の本流を歩んできた男が一転。

コンビニがつくる新銀行のトップ就任。

それではどうぞ。

セブン銀行は2001年
銀行免許を取得し

営業をスタートします。

ところが現実は甘くありません。

セブン銀行の収益源はATMの手数料。

提携先が増えなければ
利用件数も伸びず

赤字となります。

安斎 自ら 各銀行を回り
頭を下げました。

更に 想定外のトラブルも。

ATM使用中に落雷で停電。

利用者のカードが
飲み込まれたままの事態に。

安斎は停電対策のバッテリーを搭載した
ATMの開発を指示。

処理速度も向上させます。

そのATMの力が
あの東日本大震災で

証明されました。

相当 起こったんですね。

震災後に実施された計画停電で

ATMが使えなくなる中

セブン銀行のATMだけが
普段どおりに使えたのです。

創業から18年。

セブン銀行は 現在

ATMの設置台数 25, 000台。

年間8億件もの
利用件数を誇ります。

2018年 安斎は
銀行の経営から身を引きました。

激動の金融業界を生き抜いて55年。

今 何を思うのか。

78歳 意外な場所で

安斎のチャレンジが
始まろうとしています。

銀行マンの経験を大学経営に
生かそうとしています。

あなたは何学部?
私は文学部の教育学科に…。

あぁ そうか 今度 教育は
教えることだけと思いきや

違うんだ 学ぶことが先だよ。
そうですね。

キャンパスで学生と触れ合う ひととき。

そこに金融危機に
奔走していたときの

厳しい表情は ありません。

20年前 日本の未来のために
身を尽くした男は

今なお この国の未来のために
走り続けています。

安斎隆 「私の履歴書」。


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