英雄たちの選択「逆転人生に賭ける!~関東武者 新田義貞の挑戦~」倒幕で一躍英雄となったものの、足利尊氏と後醍醐…


出典:『英雄たちの選択「逆転人生に賭ける!~関東武者 新田義貞の挑戦~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「逆転人生に賭ける!~関東武者 新田義貞の挑戦~」[字]


鎌倉幕府を倒した武将、新田義貞。倒幕で一躍英雄となったものの、足利尊氏と後醍醐天皇、時代を揺るがす猛者たちに翻弄され、過酷な選択を迫られ続けた悲運の生涯を追う。


詳細情報

番組内容

百年以上続いた鎌倉幕府を倒したのは、北関東を拠点にした武将・新田義貞。「太平記」には足利尊氏のライバルとして描かれるが、近年の研究では、両者の実力や身分に大きな差があったことが指摘される。新田義貞は、はたしてどんな逆転人生を狙ったのか?気鋭の歴史家らと、動乱の南北朝時代の真相をひも解く。倒幕で一気に時代の中心へと駆け上った義貞だが、そこに待ち受けたのは一族の運命を左右する困難な選択の連続だった。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】呉座勇一,高橋源一郎,島田久仁彦,【語り】松重豊


『英雄たちの選択「逆転人生に賭ける!~関東武者 新田義貞の挑戦~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「逆転人生に賭ける!~関東武者 新田義貞の挑戦~
  1. 義貞
  2. 尊氏
  3. 新田義貞
  4. 選択
  5. 後醍醐天皇
  6. 鎌倉幕府
  7. 後醍醐
  8. 自分
  9. 新田
  10. 幕府
  11. 足利
  12. 武士
  13. 天皇
  14. 高橋
  15. 呉座
  16. 一族
  17. 鎌倉
  18. 普通
  19. 北陸
  20. 意味


『英雄たちの選択「逆転人生に賭ける!~関東武者 新田義貞の挑戦~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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1333年 100年以上続いた武家政権

鎌倉幕府が滅亡した。

幕府を倒したのは

北関東を拠点にしていた武士…

義貞の討幕で 時代は大きく転換する。

倒幕後 政治の実権を握った
後醍醐天皇は

「建武の新政」と呼ばれる

「天皇親政」を実現する。

これが「南北朝時代」と呼ばれる

日本史上まれに見る動乱の時代を
呼び込むことになる。

鎌倉幕府の崩壊から南北朝の動乱を
ダイナミックに描いた

一大軍記物語…

「太平記」の中で 新田義貞は

後に 室町幕府を創設する
足利尊氏のライバルとして

熾烈な争いを繰り広げている。

だが 近年の研究では

当時の義貞の立場に
疑問が投げかけられている。

従来だと ライバル関係で
横の激突だと思うんですが

最近の見方だと…

足利のトップと
足利の下ということになってくると

上下関係の激突だということに
なってきますので

従来の横のライバルの戦いではなくて

下克上の典型だ
というふうに思いますし

まさに
南北朝時代っていうのは 実力主義。

実力をもって
天下を取っていく時代なので

まさに その走りというのが
まあ 新田であり

次の時代を
切り開いていった

ということに
なるんじゃないか

というふうに
思いますね。

実力の時代を切り開いた
新田義貞の真の姿とは…。

うちは
そもそも八幡太郎義家だから…

…っていう選択が
ここから始まっていくんですよね。

巨大な歴史の渦に巻き込まれ

過酷な選択を迫られ続けた武将
新田義貞。

果たして その選択の結末とは…。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は 鎌倉幕府を倒した
新田義貞を取り上げます。

鎌倉幕府を倒したと聞くと
ものすごいことだなと思うんですが

そのわりにと言ったら
失礼かもしれませんが

何ていうか
あまり知られていないような…。

僕は… 子どものころ
ヒーローでしたけどね。

ヒーローですか!
はい。 しかし 新田義貞というのは

子どものころ読んでた雰囲気と
自分が歴史学者になってからでは

随分 イメージが違う。

今の時点では どういうふうに
ご覧になっていますか?

その選択が大当たりしたものもあれば
間違ったときもあるし…。

いや 時として 義貞さんの場合は
選択してないんじゃないかと。

さあ それでは 新田義貞が

歴史の表舞台に登場するまでを
ご覧いただきます。

いきなり 義貞の人生を左右する
重大な選択を迫られます。

新田氏が治めた
群馬県南東部の街 太田市。

かつて「新田荘」と呼ばれた地域には

地名に「井」の文字が
数多く残され

各所に水源があったことを
物語っている。

今も市内で湧き出す
清らかな地下水。

多くの水源は 新田荘を潤し
豊かな実りをもたらした。

これにより 新田氏は
北関東で大いに力を蓄えていった。

新田義貞が生まれたのは

今から およそ700年前の
1300年ごろといわれている。

当時 鎌倉幕府の実権を握っていた
北条氏の権力は

揺るぎないものに見えた。

ところが 近畿地方で異変が起こる。

後醍醐天皇が
政の実権を幕府から取り戻そうと

河内の土豪 楠木正成らを動かし

討幕の のろしを上げたのだ。

義貞は 幕府軍の一員として
制圧に向かった。

しかし ゲリラ戦を展開する
楠木たち後醍醐方に苦戦を強いられ

戦いは 長期戦の様相を呈した。

戦のさなか 義貞は新田荘に帰郷する。

一説には このとき 後醍醐方から

討幕の指令を受けていたとも
いわれている。

一方 畿内で苦戦する幕府は
戦費調達のため

裕福な新田荘に
臨時の税を課し

2人の使者を
取り立てに差し向けた。

このとき 事件が起こった。

なんと 義貞は
幕府からの使者の一人を斬首。

残る一人の身柄も拘束してしまう。

日本の中世を研究する谷口雄太さんは

義貞にとって 幕府の使者を殺したのは

大きな選択だったと考えている。

もう 負ければ終わりですから。

どうしても 鎌倉幕府っていうのは
最末期 腐敗していて

衰弱… 弱体化しているっていうような
イメージがありますけれども

最近の研究の例によりますと
まあ そうではないと。

むしろ 組織としては盤石になっていて

最盛期を迎えている
っていうふうにもいわれていますので。

そうした かなり…

戦が続く畿内でも 大きな衝撃が走った。

幕府方の有力者 足利高氏が
後醍醐方に寝返り

鎌倉幕府の京都監視機関
六波羅探題を攻め落としたのだ。

新田荘の義貞も
これに呼応するかのように

反幕府軍として挙兵した。

挙兵の地と伝わる 旧新田荘…

古くから 地元の信仰を集めてきた
この神社には

義貞が挙兵の際に 幟を立てたと伝わる
巨木が保存されている。

このとき 神社に集まった義貞軍は
僅か150騎。

義貞は この少数で

鎌倉幕府に
戦いを挑もうというのか。

たとえ 僅かな手勢でも

ここは
鎌倉で権勢を振るう北条を相手に

一戦 交えねばなるまい。

鎌倉からの使者を
斬り殺してしまった以上

いつ幕府から討たれるやもしれぬ。

先手必勝。

幕府が 畿内に
多くの軍勢を割いている今が

絶好の機会だ。

我ら新田が立てば
幕府に不満を抱えている御家人たちが

必ずや参戦するに違いない。

義貞は
幕府本拠地 鎌倉への進軍を開始した。

途中 鎌倉を脱出した

足利高氏の息子 千壽王も合流。

大軍勢となった義貞率いる反幕府軍は
鎌倉で北条方と激突する。

義貞は
一族に犠牲を出しながらも奮戦し

北条氏の多くを自刃に追い込む。

1333年5月

鎌倉幕府は義貞の攻撃によって滅亡した。

これまで無名の存在だった新田義貞は
この勝利で

足利高氏と並ぶ討幕の功労者として
都で その名を知られることとなる。

新田義貞が鎌倉幕府を倒すまでを
ご覧いただきました。

この時代は激動ですね。

我々はですね
鎌倉幕府が滅亡するという

結果を
知っておりますので

もう 鎌倉幕府は
衰えてきて

ガタがきてて
衰退しているというような

そういうイメージがあると
思うんですけれども。

見た目は 鎌倉幕府って

非常に むしろ 何か強くなっているように
映ってたはずなんです。 そうなんですか。

これ 一つ大きいのは 蒙古襲来といって

モンゴルが日本に攻めてきますね。
2回攻めてきます。

2回攻めてきて
我々は 2回って知ってますけど

当時の人たちは また来るんじゃないかと。

なので 鎌倉幕府 特に北条氏は…

なので 鎌倉の後ろのほう
末期のほうっていうのは

北条氏に非常に権力が集中する。

だから 非常に
北条氏が強くなっていくわけですね。

島田さんは この義貞の幕府への反乱

その選択
どのように ご覧になりましたか?

ただ そこをやった
理由の一つが

無理難題を ずっと
鎌倉から言われてる。

あれ? この時点で
金の無心に来たぞという点でですね

恐らく 鎌倉幕府
北条氏の力だとか

特に…

これが同時に 自分の中にあった
もやもや感と不満にも火がついたので

実際 戦うことになったんだろうと。

高橋源一郎さんは 作家として

義貞は どのような人物だと
考えますか。

えっとね 僕 まず

後醍醐天皇に興味があって
来たんですよ 今回は。

で 後醍醐は
すごい面白い。

で もう 非常に革新的。

まあ スティーブ・ジョブズみたいな
言ってみれば。

…と ほかの人は
巻き込まれちゃうんだよね。

義貞は 普通の関東武者。 もう 典型的な。

で 要するに…

もう とてつもない
ブラックホールみたいな。

…に 近づいてしまった人の悲劇みたいな。

義貞 見てると 本当に まあ 多分…

いわば 普通の武士。

「あっ これは すごい」というようなとこは
ほぼないんですよ。

義貞って わりと普通の人なんですよ。

ただ一つ違うのが… 普通の人でないのが
やっぱり 血筋がいいというのがある。

それで… 鎌倉幕府自体が

八幡太郎義家の子孫だってことで
頼朝が輝いてたわけで。

その頼朝の家系が絶えたあと
足利と新田という2つが

足利のほうは北条氏にさんざんに尻尾を…
強い者に尻尾を振って

「北条さん お嫁さんください」って。

だけど 新田のほうは

「俺たちは
あんな北条になんか尻尾を振るか」と。

それで むしろ 何か 義理と人情と筋目
みたいなことを言いながら

恐らく 極めて…

血筋と情の文化みたいなのがあって
親分子分の関係で。

(呉座)北関東だしね。
そう 北関東の頼みある。

もう「頼む」って言われたら
「よっしゃ~!」っていう…。

そうそう そうそう…!
あの文化なんですよ。

「うちは そもそも八幡太郎義家だから
汚えことなんかできねえんだ」みたいなね。

「強え者にも
すぐ言うこと聞かねえし」って

「困ったやつがいたら俺んとこ来な」
みたいなさ。

で 子分が きっと言うわけですよ。

「もう北条 駄目だ 親分 行きましょう」
って言うと

「これは死ぬかもしれませんよ」って
言ったら

「そんなことで 死ぬも何もあるもんか!
行こう!」というような

そういう家風な可能性ありますね。
ああ…!

でも 鎌倉幕府を倒したことで

義貞 一躍 こう…
全国的には有名になりますよね。

確かに 高氏は
六波羅探題をやっつけたんで

すごいってことになったんですけど。

そのあとに そういう…
新田義貞とかいう訳の分からないやつが

鎌倉幕府をやっつけたって話が
出てきたんで

これは すごくインパクトがあったと
思うんですよね。  そうですよね。

だから めちゃくちゃ有名になっちゃう。
ちょっと…

彼は 本当に 現場主義…
現場監督に向いてたと思うんだけど。

ところが これ 政治をやらなきゃ
いけないんですよ こうなってくると。

偉くなっちゃって…。
偉くなっちゃうとね。

勢いに乗って世に出た義貞ですが
さらなる選択を迫られることになります。

義貞や高氏の働きで
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は

幕府も院政も否定し
天皇自身への権限集中を実行した。

年号が「建武」に改元されたことから

この政治体制は
「建武の新政」と呼ばれている。

義貞は 討幕の恩賞として
播磨の国司に就任し

新田一族の多くが
都の警察に相当する

「武者所」の要職に就いた。

さらに新田氏は 北陸地方
越前 越後の国司などにも任命され

後醍醐政権の中枢を担うことになる。

もう一人の討幕の功労者 足利高氏は
さらなる地位を築いていた。

武蔵 常陸 下総など
東国の国司に任じられただけでなく

天皇の諱
尊治から一字をもらい

「尊氏」へと名を改める。

全国の武士への指揮権も与えられた
尊氏は

後醍醐政権の侍大将ともいうべき
地位に上った。

鎌倉幕府滅亡の2年後。

東国で 北条氏残党による反乱が起こり
尊氏は鎮圧に向かった。

ところが 乱の収束後も
尊氏は鎌倉を動こうとしない。

天皇の上洛命令にも従わないという
不可解な行動に出る尊氏。

その背景にあったのは
討幕の恩賞への不満とも

征夷大将軍や幕府をめぐる考えの相違とも
いわれている。

後醍醐天皇は 尊氏の行動を
反抗と受け取り

討伐を決意する。

その大将に指名されたのは
義貞だった。

義貞の負けられない戦いが
始まる。

「太平記」では 義貞も尊氏も

共に「源氏の嫡流」とされ

2人で
「武家の棟梁」を争ったと語られている。

しかし 近年の研究では 
当時 新田氏と足利氏は

同格のライバル関係ではなかった
という説が提唱されている。

実際は 足利 新田っていうのは
全然レベルが違う家で…

一方で 新田っていうのは
そうではないわけです。

無位無官であったり

幕府の中でも
そこまで高くはないということは

こういうふうに下になってくる。
実際は 足利と新田…。

で さらに 最近の研究で
分かってきているのは

切り離されてる一族ではなくて
まさに上下関係で

同じ一族の中の縦と

上と下とであるということに
なってくるので。

新田にとっては 足利を打倒する…

それは かなりビッグチャンスですよね。

ビッグチャンスなのか ピンチなのかは
ちょっと分からないんですが。

本来は足利につくという選択肢も

あったと思うんですが…

我ら新田と足利は

共に源氏の流れをくむ氏族。

されど 足利氏は
先の幕府では重職に就き

武士たちからの信頼も厚い。

足利の長である尊氏に刃を向ければ
源氏内での争いとなり

多くの源氏一族を
敵に回すことになるやもしれぬ。

だが 今のままでは

いつまでも 新田は
足利の下に甘んじなくてはいけない。

今こそ 尊氏を倒し

この新田義貞が
武家の棟梁となる千載一遇の時なのだ。

義貞は 鎌倉に向かって出陣した。

だが 尊氏の反撃に撤退を余儀なくされ

逆に 京都を奪われてしまう。

後醍醐天皇は 京都を逃れ

比叡山 山麓の東坂本

現在の滋賀県大津市の
日吉大社に籠もった。

義貞らは 東北からの援軍を受け 反撃。

今度は 尊氏を
九州に追い落とすことに成功する。

(鬨の声)

しかし 僅か3か月後

西国の武士たちを従え
大軍勢で攻め上ってきた尊氏に

義貞は惨敗。

再び 尊氏に京都を奪われ

またしても 後醍醐天皇と共に
比叡山に撤退することとなった。

義貞は 天皇の命令に従って
足利尊氏と戦うことになりました。

(高橋)この ちょうど3人 出てるんで
見ると

後醍醐天皇と尊氏は
リアリストだと思うんですよ すごく。

困ったのは義貞で。

この中で 僕
リアリストじゃないと思うんですよ。

それは 彼の中で
ある種の名分みたいなのがあって。

まあ やっぱり…

リアリスト2人に囲まれて
この ある意味…

武士の本能で生きている義貞が
そういう…

…っていう感じがするんですよね。

情とか理とかを
通してったっていう… 悩みながらね。

だから…

ここでも いい人が出てしまった。
(高橋)ここでも いい人だねっていう…。

呉座さんは
この義貞の選択 どうですか?

やっぱり 基本的には
当時の武士の考え方に沿うと

そうなるだろうなって思いますね。

この時代の武士って ひどい主君にも
我慢して仕えるっていう感覚はない。

主君がひどければ
まあ… 反抗してもいいんですけど

ただ…

なので そうすると
新田義貞っていうのは

後醍醐から
最も恩を受けている武士っていうことで。

その新田義貞が 後醍醐を裏切る
っていうことになったら

やっぱり それは
武士の世界の感覚としても

ちょっと 恩知らずの…

武士の風上にも置けないやつ
っていうふうになってしまう。

でも これは ある意味
後醍醐が意図的に そうした部分も

あるんじゃないかと私は思って。
つまり 義貞が…

自分から離れられないように
自分を裏切れないように

あえて 恩賞を
がっとあげた可能性もあるわけですね。

もともと 足利と新田っていうのは
同格でしたけれども

鎌倉時代 150年のうちに

どんどん差がついてしまってですね…

足利一族の中の新田氏って形に
なってるので。

そこで 後醍醐は
その上下の関係にあるはずの新田を

尊氏の同格に近い 互角に近い部分にまで
引き上げたわけですね。

やはり ずっと昔から
俺のほうが正統なんだと… 源氏の。

というのがあって…

両方を うまく…

後醍醐天皇 面白いのは

「これまで 北条の下で嫌だっただろう」と。

「あの幕府なんていうの 俺も嫌だし
みんな 大体 割を食ったはずだ」と。

「だからこそ 今こそ 天皇家による

直接政治をしたいんだ。
どうだ? お前」っていうときに

「そのとおりでございます」って
ちょっと 心酔してしまう。

なので「俺が考えてる政をやるためには

足利が邪魔なんだ。 あいつ 俺に盾ついた」
みたいなことを言いながら…

ここで 一つ 問題になるのが
足利尊氏と新田義貞と

力の差は やっぱり
尊氏のほうが上なわけですよね。

だから 普通に…

ところが 今…

尊氏は 天皇に逆らう朝敵であると。

反乱軍であると。

新田義貞のバック… 後ろには
天皇がいるという状況。

これなら勝てるんじゃないかという…。

今しかない…?
(呉座)逆に 今しかない。

つまり… 例えば じゃあ 新田義貞が

「いや ちょっと 私 自信がないんで

考えさせてください」みたいなことを
言ったとすると…。

(高橋)次はないですね。
(呉座)次がない。 そうなんですよ。

後醍醐は じゃあ
新田義貞が行かないんだったら

もう 尊氏 倒すの無理だから

尊氏と妥協するしかないな
っていう話になる。

それで…

そうですね。
ただ 新田義貞自身

もう少し ずるかったら
よかったのかなと思うのと

後醍醐の気持ちっていうのを

この辺りから
疑ってほしかったんですよね。

やっぱり 後醍醐って
ものすごい 超一流の政治家。

そうでなければ
天皇 やってられないんですが。

僕ら まあ あとから見るから…
気付けよと。

でも「これで やめます」って言ったときに
起こることを考えたら

要するに 自分の部下たちに対する信頼が
失墜されてね

もう 地位すら
なくなってしまうとなったら

これは もう…

(呉座)未来は やっぱり未確定なんですね。

つまり それは負けるかもしれないし
勝つかもしれない。

でも ここで 後醍醐の命令に
従わないということになったら

その時点で
今 築き上げたものを失うわけですよね。

無位無官からスタートして
すごい厚遇されてる。

だから この地位を…

わざわざ それを全部捨てることが
できるだろうかって話ですよね。

あと 何か 駒だと分かっていても
もう 天皇の駒になっているなら

本望であるって
考えたかもしれないですよね。

(高橋)だから その辺が 僕も ちょっと
実は分からないところで。

尊氏は たぶん そんな気は
さらさらないと思うんですね。

つまり リアリストの武士だから。

尊氏って どう見ても…

だけど それ以外の人は持ちえない。
持ってる軍団っていったら…

僕 よく 玉ねぎに例えるんだけど

二重構造になってて
いざ 戦になったら

もう 玉ねぎの中に… むかれていくと

こんな小さいパチンコ玉が入った状態の
軍団なわけですよ 新田の側は。

要するに 譜代の…
一生涯 最期までついてくる人たちは…。

(高橋)少ない…。
うん 少ない。

一方 足利尊氏は 軍団自体が強いうちに

玉ねぎ むいたら
中に ボウリングの球みたいなのが

入ってるわけですよ 大きいのが。

結局 新田義貞みたいなやつが
家来に大勢いるという状況です。

尊氏軍というのは。

さあ このあと 義貞は
またしても厳しい選択を迫られます。

琵琶湖を望む比叡山 東山麓。

京都を尊氏に追われた後醍醐天皇は

ここ近江国 東坂本の
日吉大社に籠もったと伝わっている。

古来 天皇家の崇拝を受けてきた
日吉大社は

比叡山延暦寺と共通の境内を
所有していた。

織田信長 明智光秀に
延暦寺が焼き払われたとき

日吉大社も灰燼に帰した。

ここに 一枚の絵が残されている。

焼き打ち前の社殿や建物の配置を

精巧に再現した貴重な絵図である。

日吉大社の神職 矢頭英征さんに
境内を案内してもらった。

今 現在地が この橋の所 手前でして
ちょうど このお山ですね。

この山が この正面の
あの お山になっていまして。

参道から ず~っと この先に

「山王鳥居」という鳥居が
あるんですけども

まっすぐ ず~っと行きますと

「西本宮」のほうに
行くという形になっております。

ちょうど そちらにですね
門が見えてきましたけれども

この図でいうところの
こちらなんですね。

これが西本宮
旧称「大宮」といいますけども

…の楼門になっています。

で 歴代の天皇さまが お越し…
行幸されましたときには

ここにですね これは
「大宮の彼岸所」といいますけれども

この場所に
お泊まりになられてたということが

記録上 残っておりますので。

大体の場所的には この辺りに
その彼岸所はあっただろうということが

推測をされるということですね。

この山王21社の中に
彼岸所 いくつもあるんですけども

その中でも やっぱり
大宮の彼岸所というのが

一番 格が高い場所ですので
位の高い方が お越しになられたときは

こちらに お入りいただくというのが
昔の決まりになっていたそうですね。

ここぞというときに やっぱり なんとか
神仏の力を得て 再興したいというか

立て直したいという思いは
あったかもしれないですね。

義貞 尊氏は
共に散発的な攻防を繰り返すが

双方 戦局を打開できずにいた。

季節は 秋から冬へ向かおうとしていた。

こう着状態を打開しようと
尊氏は一計を案じた。

ひそかに後醍醐天皇に使者を送り
和睦を持ちかけたのだ。

「義貞らが
帝のお怒りにかこつけ

我ら足利への日頃の鬱憤を
晴らそうとしたため

このたびの乱が
天下に及ぶこととなりました。

我らは 帝を惑わす義貞一族を
滅ぼそうと存ずるのみです。

帝が 都に
お戻りになられましたら

政のすべてを
朝廷に返上いたします」。

後醍醐天皇は 尊氏からの申し出を

誰に諮ることもなく
受け入れることに決めた。

後醍醐方の指揮官でありながら

義貞は このはかりごとを
知らされることはなかった。

新田一族の武将…

鎌倉討幕戦以来
義貞と共に戦い続けてきた堀口は

不穏なうわさを聞きつけ
天皇のもとに向かった。

そこで目にしたのは

今まさに京都に向かおうとする
後醍醐天皇の姿だった。

堀口は 涙ながらに
義貞はじめ新田一族の忠誠を訴えた。

鎌倉幕府を倒して以来

帝に尽くしてきた我ら新田一族を見捨て

帝に背いた尊氏につこうとなさるのか!

帝への義を
重んじてきた我らは

これまで 一族の多くを死なせながらも
お仕えしてきたではありませんか!

そこに3, 000余りの兵を引き連れ
義貞も駆けつけた。

尊氏との和睦を決めた後醍醐天皇。

一族の思いを語る堀口。

両者の間で 義貞は厳しい選択を迫られた。

堀口の言い分は至極もっとも。

帝が尊氏と和睦するのは

命懸けで忠誠を尽くしてきた我らに対する
裏切りにほかならない。

このままでは 一族の結束が保てぬ。

あくまでも武家の棟梁を勝ち取るため
尊氏と戦い続けなくてはいけない。

鎌倉討幕以来の合戦で
新田一族は多くの命を失ってきたが

ここは残った者たちと戦い続けようぞ。

しかし このまま 帝が尊氏方にいかれれば
我らは 朝敵 賊軍となってしまう。

それを避けるためには 帝と山を下り
尊氏に服従を誓うしかないのか…。

ここは 一旦 耐え忍んで
尊氏を蹴落とす機会を待つのだ。

帝と尊氏の友好関係が
長く続くはずはない。

首尾よくいけば 足利に代わって
新田が武家の棟梁の座に就けるのだ。

義貞は その人生と一族の運命を懸けた
選択を迫られた。

磯田さん 私はですね

先ほどの あの和睦を申し出たところで
2人がつながるところ。

…って ひと言 まず出ちゃったんです。

しかもね 「太平記」では
あれ 堀口っていう義貞の部下が言って

義貞自身は 最後まで

こういう当然のことも
天皇に向かって言えてないんですよね。

(高橋)黙ってる。
うん 黙ってるの。

だから こう 自分では言えない 義貞の…
まあ 不器用というか

純な性格を表しているんじゃないかなと
僕は思うんですよね。

さあ 義貞の選択肢

皆さんが
義貞の立場なら どちらを選択しますか?

島田さん どちらでしょうか?

私が義貞ならば

2の「尊氏に服従する」を選びます。

服従。
まあ 気分的には

もう絶対 1のですね
「死ぬまで戦いを続ける」なんですが

この辺りは やはり
少し賢くならなきゃいけないだろうと。

…を率いていて 帝の御前に来ている。

私であれば 戦う意思を ずっと秘めつつ
そこは折れておきながら

3, 000いるわけですから この兵力で…

そういったことにしていくことによって
尊氏に殺されることもないでしょう。

後醍醐天皇を持ってますから。

兵力は温存 もしくは…

そうなれば

自分がトップに立つチャンスが
あるだろうというのがありますよね。

高橋さんは どちらを選択しますか?

選択1の「尊氏と戦い続ける」なんですが…

ただ これね…
自分で これから理由 言いますけど

これを考えたときに 何かね

二・二六の蜂起した兵士みたいな
気分になっちゃう。

完全に そうだと思いますよ。
つまり これ 要するに…

で もう 全部取り上げて…

これは もう
だから 建武の新政をやらせるわけです。

まあ ある意味…

尊氏の所に戻ってしまうと
要するに時間が戻るんですよね。

鎌倉幕府が 要するに

尊氏の幕府に
代わるだけっていうことになる。

まあ もし 明治維新で言ってみれば

江戸幕府が 違う幕府に戻るのと
同じことだったんで

これは ある意味
千載一遇のチャンスだった。

これは 後醍醐天皇を拉致して
錦の御旗を掲げるしかなかった。

そのことに まあ 願望も込めて
気付いてほしかったですね。

さあ 呉座さんは どちらを選びますか?

私も
1の「尊氏と戦い続ける」を選びますね。

まず お二方も言われたように
まず 新田義貞は

後醍醐から離れてしまうと
極めて不利な状況になるので

やはり 後醍醐を
確実に手元に抱えておく必要がある。

つまり このまま 和睦交渉 講和交渉が
進展していった場合

当然…

斬首するっていう形になるはずです。

で 後醍醐は
そういう状況になった場合…

なぜかというと 実際 後醍醐は

新田義貞に 何の相談もなく

尊氏との和睦交渉を
始めているわけですね。

ということは これは もう後醍醐は

この時点で すでに
新田義貞を切り捨てているわけですよね。

新田義貞が死んじゃっても

まあ それはそれでしょうがないよね
というふうな形で思っているわけです。

そうすると 強引にですね 半ば…

うんうん
そうですね。

さあ 皆さんの選択 分かれましたけれど
磯田さんは いかがでしょうか?

僕は もう難しいんだけど 2。

「尊氏に服従する」を
選ばざるをえないと思います。

引き続き…

要するに 足利が欲しいものは

武家の棟梁の地位なので
もう それをあげる。

自分は もう
「身の程を知りました」と言うしかない。

僕だったら こう言うね。

「源氏にはさ 尊氏さん
1個 欠点があるよね」って言って

「内紛でみんな殺してきた」と。

例えば 頼朝が義経を殺したりとか。

それで 「結局 俺たちの先祖は
あれで北条に奪われたんだ」と。

「俺は もう あんたの一族の…

足利一族の最上座に置いてくれさえすれば
実際の権力もいらない」と。

「一緒に もう一回 幕府やろう」と。

「それで うちの子孫にも言っとくから
尊氏の子孫が将軍になるんだ」と。

おっしゃるとおり。

証文も書くし 自分の野心は捨てるって。

そういう交渉術だったら
多分 願いはかなえられますけど。

信用してくれるかな 尊氏が。

実際に足利を脅かしているのは新田ですか
後醍醐天皇ですかっていうところに

気付いてくださいって言うと
実利的な足利家は

ある程度 交渉の余地があると
見抜くんだが それでも難しいでしょうね。

難しいと思いますね。
多分 尊氏が幕府を開いたって

すべての武士が満足するってことは
やっぱり難しいんですよ。

不満を持つ武士たちが…

尊氏の立場にとっては
何があっても新田義貞はやっちゃうよね。

尊氏は もう 新田義貞こそが
諸悪の根源であると言い続けて

戦いを続けてきたわけですよね。

そこで 新田義貞を許すって話になると

えっ じゃあ 今までの話は
何だったんだっていう話になって…。

尊氏は 天皇に対して
戦ってるっていうことが

言えないものだから 天皇の代わりに…。

(呉座)「君側の奸」っていうやつでね。

だから 二・二六だって 君側の奸を討つ…。
(高橋)必ずその論理になるから

そういうふうに考えると
やっぱり 選択肢…

つまり 尊氏の立場があるので
1になっちゃうんです。

(呉座)だから そうなんです。

これ 1を選択すれば

新田義貞の未来が開けるかっていったら
別に そんなことはないんですけど。

ないんだけど でも 2が無理だから
1にいくしかないという。

もう 何か 服従した場合でもね
義貞も出家しないと難しいね。

許してくれるかな?
討たれそうだな。

だって それこそですね
頼朝は伊豆から始まったわけですからね。

(高橋)そうなんだよね。

伊豆で父親の菩提を弔ってたんですよ。

でも ここで 義貞の あんまり
能力がなさそうな感じが役に立つ。

「僕 そんな 頼朝公と違うでしょ」って。
ああ…。

「そんな能力あるように見えます?」って
言えるかも。

いや でも それ
部下の前で その姿 見せられます?

言えないね 言えないね それは。
(高橋)それは できないところ…。

自分が助かりたいだけだったら
できますよ 多分。

そういう性格だったんだったら。
違いますよね。

(高橋)部下のこと考えてるからね。
大将だもの そこは。

義貞が 鎌倉討幕のため
ふるさと 新田荘を出てから

3年がたとうとしていた。

後醍醐天皇は
独断で尊氏との和睦を決めていた。

多くの兵を従えた義貞に
けおされたのか

口を開いたのは後醍醐天皇だった。

義貞よ 尊氏と和睦するのは
いっときの はかりごとにすぎず

巻き返す時が来るのを待つつもりなのだ。

事前に知らせなかったのは 事情が
漏れることを恐れたからにすぎない。

だが 堀口の恨みを聞いて
自分が誤っていたことに気が付いた。

義貞を朝敵にするつもりはない。

こうなったからには
皇太子に天皇の位を譲るので

共に北陸へ向かい 態勢を整えて
再び朝廷のために働いてほしい。

義貞は これを聞き 覚悟を決めた。

後醍醐と離れて 北陸を拠点に
尊氏と戦い続けることを選んだのだ。

義貞は 北を目指した。

冬が すぐそこまで来ていた。

一旦 尊氏方に下った後醍醐も
その年の暮れには 京都から吉野に脱出。

京都と吉野
それぞれに朝廷が立った。

南北朝の始まりである。

皇太子を立てて 北陸へ向かった義貞は
尊氏方の激しい追撃を受け 苦戦していた。

翌年3月 越前国 敦賀の戦で

ついに皇太子を尊氏方に奪われ
苦境に立たされる。

しかし 義貞は戦いをやめなかった。

尊氏方の追撃をかわしながら
各地の兵を糾合して

翌年には
北陸で地盤を固めようとしていた。

では なぜ 義貞は

吉野で南朝を開いた後醍醐天皇に
合流しなかったのか。

北陸を拠点にして

越前や越後なりで
基盤を固める。

あるいは 北関東にも一族はいますので
北関東なり北陸地帯で

まさに北国といわれる地域で
拠点を固める。

一つのブロックを形成していくと。

こういった目的が
義貞にはあったんではないかと思います。

やっぱり 実力でなんぼなので。
実力がなければ認めてくれないので。

逆に…

…っていうのが一番重要なことなので。

それは
選択肢としては正しかったと思いますね。

かつて「越前国」と呼ばれた福井県福井市。

義貞が北陸へ下って
すでに2年近くがたっていた。

尊氏からの執拗な攻撃は続いていた。

義貞は 尊氏方が立て籠もる城の視察に
50騎の兵を連れて向かった。

だが その途中 偶然 敵方300騎と遭遇。

攻め立てられた義貞は

泥田に追い落とされ
あえなく命を落とした。

義貞が最期を迎えたと伝わる地は
現在 公園として整備され

その一角には
ささやかな祠が建てられている。

♬~

新田義貞は
鎌倉討幕戦で新田荘を出て以来

清らかな水に満たされたふるさとの地を
一度も踏むことなく

その生涯を終えた。

(高橋)かわいそう。
かわいそうだなという感じですが

義貞は 頼みの皇子を
取り返されたあともですね

戦いをやめませんでした。
北陸で地盤を固めつつあって

後醍醐天皇とは
合流しなかったということなんですが

この辺りは
島田さん どう思いますか?

もう完全に 今回の和睦の件を
自分の背後でやられたっていうところで…

だから 新田義貞は 一体 何を
この時点で したかったのかですよね。

もし 新田を生かしたいということを
考えてるんだったら

まあ 北方で… 北国でですね

自分の第三極を築く。
どんどん仲間を集めていく。

そのときに
今まで 後醍醐がやってきたことを…

彼が戦略家だったらですよ
できたはずなんですよ。

さあ どちらが私のとこに来ますかと。

目的も はっきりさせないまま…

もしかすると その場対応 その場対応に
なったのかもしれないですね。

「第三極を目指す」っていうワード
出てきてますけど

呉座さんは
これについては どう…?

ここまで「英雄たちの選択」と言いつつ

実は 新田義貞が 本当に自分の意思で

きちんと
主体的に積極的に選択できたのは

実は ここの時点ではないかと。

つまり
後醍醐とか南朝に従うんではなくて

第三極を作ろうっていうのは…

これは 非常に大きな選択ですね。

これが 結局 武士が地方に割拠して
自分の国を作っていくっていうのが

その後 後に
応仁の乱以後 戦国時代になって

戦国大名が 日本全国に

割拠するっていう形になっていく。

ある意味 その先駆けともいえるかなとは
思いますね。

僕 実は 北陸 行ってからの義貞
結構 好きで。

ここで ちょっと…

つまり 後醍醐のように
自分をコントロールするんじゃなくて…

北陸王朝っていうことになってきますね。

それは 一つ 新しい可能性が
あったと思うんです。

これ 日本の政治って
天皇をめぐる… 実は 歴史なんですよ。

それが あるときに出てくる。

だから ある意味
歴史的に ものすごくレアな

重大な季節に
そこの横にいたのが すごく普通の…。

だから 本当は すごい転回点だったはず…
可能性もあったのに

まあ ある意味 普通の…

しかも 突然 スポットライトを浴びた
っていう人間の運命みたいなもの。

だから 僕 何かね…
いい人っていうよりも普通の人。

ただ その最期の瞬間には
僕は気付いてたと思うんですね やっと。

彼は 言葉で学ぶ人ではなかったので

経験しながら 政治っていうのは
こういうものなんだっていうことで

一種の王朝的なものを
作っていくっていうことを

何となく考えながら やってて
道半ばで死んじゃったっていう…。

でも さんざんに
裏切りに遭ったように感じていて。

もう 親分子分 家の子郎党と主君との
関係だけで生きていくと。

俺たちは
どんな権威があろうがなかろうが

力を根拠に生きていくんだ
っていうところだけは…

在地 土地にいるから
割拠するんだという…。

だから 図らずも そういう先駆的な

戦国大名がたどったような道を
見せたのかもしれない 一瞬。

ただ 思ったんですけど…

素人目からすると。

私自身は紛争調停とかしてるときに
私の亡くなったボスからも言われたのは

大体 今の歴史というものは
勝者の目から書かれている。

だけれども 世界の全体図…

実際 一体 何があったんだろうか
というものを俯瞰して見るためには

敗者 弱者の側から語られる
歴史っていうのを

見なきゃ駄目だよというのを
教わったんですよね。

今回 この新田義貞のお話を
見てきたときに

「ああ こういうことかな」と。

ですから…

(島田)もろもろあったんですが
私が やはり 感じているのは

美しかったなと思うんです。

呉座さんは どうでしょう?

新田っていうのは
足利一門というくくりなので

足利一門の中にいる新田が…

その後も やっぱり 足利一門が

反乱を起こしたりっていうのが
出てくるんですけど

やっぱり それは
新田義貞の影響はあると思うんですね。

「新田義貞がやってるから
俺らもやったろう」という感じになって

次々と挑戦していく…。

先ほどの 地方に割拠っていうのも
そうですけど

結果的に…

…部分っていうのは結構あるので。

「失敗したから駄目」というふうに
一概に言わなくてもね

試みたことそのもの…

そうですね。

やっぱりね
「英雄」っていわれるような人たちは

なかなか すごいシャープな目を持ったり
すごく遠くまで見通せる。

でも この番組で珍しく
意外と すごい親近感が…。

選択してるように見えるけど
ほとんどの選択って

もう ほかに余地がないんで
…っていうふうに

ちょっと思わされるっていうか
気が付かされる感じがしますよね。

だから 僕 こういったときに…

…っていうふうに言ってたんですけど。

僕ら 今もね
この瞬間に 何か選択っていって

あとから
「何で ばかな選択したんだ」とか

「あんな歴史の転換点に」って…
そんなこと言われてもねって。

…っていうふうなことを
ちょっと考えさせられちゃう。

今も もしかしたらね
まあ 建武の中興的なものがあって

僕は義貞でね
ばかな選択してるかもしれないな

っていうふうなことを

ちょっと
思わされるところがありましたね 今回。

今日も じゃあ
義貞が この議論を聞きながら

「いや でもさ…」って。
(高橋)「あんた やってみなよ」って。

(呉座)「結果が分かってるから
言えるんだろ」みたいなね。

さあ 磯田さん いかがでしたか?

いやあ… 僕 思ったんだけど

古文書の調査をね やると
江戸時代の古文書に

結構 新田義貞の偽者や子孫を名乗る
おうちっていうのは多い。

だから
僕ね 日本人の「愛されキャラ」に

後世 なっていたことは間違いない。

考えてみれば…

こんなに日本人が好きなタイプはいない。

不器用ですね。
不器用なんですけど。

だけど 義貞自身のことを考えてみると

帝が第一… 忠臣って
やってたんですよ 最初は。

それで 最初は「武家の棟梁の血筋は…」
とかしてたんだけど

結局 都で いろいろあって

それで…

そこで 僕 新田義貞の墓の前に
10年 住んだ男に

影響を与えていなかったかって思う。

新田義貞の墓の前に

10年 住んだ男こそが麒麟ですよ。

明智光秀。
へえ~!

だから 彼は
最後は 自分の力だという価値観を

恐らく
義貞の生涯… あれほど知的な男なので

見つめ続けていたはずで。

最終的に それが
本能寺の変までつながる可能性が…。

でも 何か 皆さんとお話ししてたら

本当に 日本人の義貞好きというところが
何か 分かりましたし

いろいろなことが分かりました。

本日は 皆さん ありがとうございました。
どうもありがとうございました。


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