偉人たちの健康診断「江戸の健康革命」江戸の面影を残す下町を旅しながら、食や生活習慣など人々の暮らしを…


出典:『偉人たちの健康診断「江戸の健康革命」江戸の面影を残す下町』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「江戸の健康革命」[字]


太平の世の江戸時代、日本人の健康長寿に大きな影響を与えた「健康革命」が起こった。江戸の面影を残す下町を旅しながら、食や生活習慣など人々の暮らしを健康面から探る。


詳細情報

番組内容

高齢者が元気に暮らしていた町・江戸。日本人に健康長寿をもたらした秘密を「食」と「生活習慣」の歴史からたどる。今ではおなじみの「江戸前ずし」がもたらした画期的な健康食材との出会いとは?江戸時代に一般化した「1日3食」と「驚異の識字率」の意外な関係とは?さらに、「銭湯文化」がもたらした意外な健康効果まで!今回はスタジオを飛び出し、江戸の風情を残す下町を訪ね、日本人の暮らしと健康の歴史を旅する。

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,【司会】渡邊あゆみ


『偉人たちの健康診断「江戸の健康革命」江戸の面影を残す下町』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

偉人たちの健康診断「江戸の健康革命」江戸の面影を残す下町を旅しなが
  1. 江戸
  2. 関根
  3. 庶民
  4. 竹山
  5. 本郷
  6. 銭湯
  7. お酢
  8. 健康
  9. 当時
  10. 江戸庶民
  11. 閻魔様
  12. 江戸時代
  13. 日本
  14. 菜種油
  15. 寺子屋
  16. 糖質
  17. 富士山
  18. 人気
  19. お寺
  20. グリコーゲン


『偉人たちの健康診断「江戸の健康革命」江戸の面影を残す下町』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、以下バナーから各社のラインナップを調べてみるのもいいかもしれませんね。


AbemaTV





徳川家康が礎を築き
その後 260年余り続いた…

政治と流通の中心である江戸の町には
豊かな庶民文化が花開きました。

世界的に注目される和食が
形づくられたのも この時代です。

今回は 江戸の下町を旅しながら

江戸庶民が生んだ健康の知恵を探る…

江戸の発明…

ここで人々が初めて出会った
あるスーパー健康食材とは?

江戸で大ブームを巻き起こした銭湯!

これこそが日本を世界有数の
長寿国に押し上げた?

そして 人々の生活を劇的に変えた…

現代にもつながる
江戸の健康革命に迫ります!

健康のヒントは歴史にあり。

「偉人たちの健康診断」。

まずは庶民が健康祈願のお参りをした
江戸の人気スポットにやってきました。

今日は江東区のですね
法乗院さんというお寺に来ております。

是非 ご覧頂きたいものがございます。
分かりました。

江戸時代に非常に はやった
お参りの場所だそうです。

どうぞ そちらへ。
(竹山)そんな昔から はやってたんだ。

そうなんです こちら。

どうぞ。

(関根)あぁ~。
はい これ。

(本郷)きれいですね。
こちら 閻魔大王様でございます。

江戸時代から庶民が
無病息災だとか厄よけを祈願して

非常に人気のお参りの場所だった
ということなんですね。

(関根)そうですか。
閻魔様って地獄の門番みたいな…。

ねえ だからちょっと怖い感じしますね。
(竹山)今でいうラスボスですよね。

地獄の大王として
怖いイメージのある閻魔様ですが

実は健康と深~い関わりがあります。

なんといっても閻魔様は
人の寿命を管理する神様。

長生きしたければ
閻魔様にお願いするのが最適です!

江戸時代には 無病息災を願う
閻魔信仰が大流行。

江戸市中だけでも 閻魔様を祀るお寺が
なんと60か所以上あったといいます。

この法乗院は深川えんま堂と呼ばれ
江戸庶民に親しまれた由緒あるお寺です。

当時 閻魔参りといえば
ちょっと変わったものを

お供えする習慣があったといいますが
一体 何だか分かりますか?

何をお供えしてお願いするんでしょうか?

使い古した茶わん。
(本郷)えぇ~っ!? それは その心は?

このお茶わんでいっぱい ご飯頂きました
閻魔様 ありがとう。

ちょっと違うと思います。
なんか閻魔様って舌抜くんでしたっけ?

そうですね。
そうです 嘘つくと。

そう そう。
だから ちょっと

礼儀正しくないようだけど
え~って見せるんじゃないですか?

見せる いい線いってます。
正解はですね その舌を

直接差し上げるわけにもいかないので
舌に似た物ということで

はい こんにゃく。
こんにゃくを!

こんにゃくか。
(本郷)そうなんですよ。

こんにゃくを舌の代わりに閻魔様に。

(竹山)お供えするんですか?
そうです。

というのは ここだけじゃなくて
どうも閻魔様っていうと

こんにゃくって くるみたいですよ。
(竹山たち)へぇ~!

江戸時代の庶民に倣って
閻魔様に こんにゃくをお供え。

手を合わせるんですか? 閻魔様には。

仏様ですので ですから手を合わせて…。

お祈りをする 無病息災。

健康祈願したところで
早速 江戸の健康革命を探りましょう!

1603年 徳川家康が江戸幕府を開きます。

江戸は 参勤交代で各藩から来た武士や

その武士のために
物を売る商人の町として栄えました。

ところが これが…

(半鐘の音)

日本史上最大の火災ともいわれる
大火事です。

3日間にわたって燃え続けた火は

江戸市街のおよそ60%を
焼き尽くしました。

江戸城までが西の丸を除いて
焼失したと伝わります。

諸藩から人足を集めて復旧を急ぐのじゃ!
はっ!

幕府は各藩から1万石ごとに
100人の人足を募り

江戸の復旧作業に乗り出します。

これによって 江戸には
力仕事をする男たちが大量に流入。

江戸は たちまち若い独身男性が多い町に
変貌するのです。

1721年に幕府が初めて行った
人口調査によると

江戸の町人は 50万1, 394人。

そのうちの およそ⅔を占める
32万人以上が男性だったといいます。

来る日も来る日も力仕事に精を出し

疲れきって
おなかをすかせた独身男性たち。

家に帰ってもご飯を作る人はいませんし
料理を作るのも面倒くさい…。

そんな彼らのために
流行したものがありました。

こちら 歌川広重が描いた高輪の様子。

人通りの向こうに
屋台がずらりと並んでいます。

手軽に食べられる屋台が大繁盛!

やがて そんな屋台から画期的な
食べ物が生まれることになります。

それが…

というわけで4人は 東京・江東区にある
おすし屋さんへやってきました。

こちら 江戸の伝統的なすしを
握って下さるというお店なんです。

こちらにお入り頂いて。
はい すいません じゃあ。

(関根)どうも。
いらっしゃいませ。

(関根)よろしくお願いします。

ごめん下さい… 皆さん
大将 お連れしました。

おいしそう。
おいしそうだな。

こちらは おすし一筋59年
江戸時代のおすしにも詳しい…

ここまできたら やっぱり頂きたい?
頂きたいですよ そりゃ。

何が江戸っぽいネタになりますか?

江戸っぽいのは
やっぱりコハダでしょうかね。

ああ いいですね!
いいですね コハダ!

コハダの握り お願いします。
(三ツ木)かしこまりました。

早速 江戸の伝統的な
にぎりずしを握って頂きました。

(竹山)めちゃくちゃでかい!

(三ツ木)大体 昔でいうと50グラムぐらい。
(関根)あら!

(三ツ木)今の握りは うちの握りでもって
15グラムぐらいですから。

(本郷)3倍ぐらいですね。

シャリと これは
昔のシャリなんですけど

色が全然違いますよね。

(関根)これはお酢が違うんですか?
(三ツ木)そうですね。

これが 江戸庶民が食べていた
にぎりずしの特徴なんです。

にいさん 1つもらうぜ!

どれも うまそうだな。
あったりめえよ!

当時のにぎりずしは
1つ100円~200円と値段も安く

おにぎり感覚で手軽におなかを満たせる
ファストフード。

瞬く間に人気となります。

江戸時代の風俗が記された
「守貞漫稿」には こう書かれています。

およそ118m四方の一町ごとに

1~2軒のすし屋があるほどの
大ブームに!

こうして庶民に広まった にぎりずしは

江戸を代表する食文化として
根づいていきます。

実は このにぎりずしブームが

江戸の人々の健康長寿に
大きな影響をもたらしていた可能性が。

天保5年に行われた
幕府の役人を対象とした調査によると

70歳を超えても現役で働いていた人は
なんと50名にも上っていたといいます。

文化人でも葛飾北斎や歌川国貞
曲亭馬琴など

平均寿命を大きく上回る人が
元気に活躍していました。

まさに江戸は ご長寿大国だったのです。

一体どんな関係があるのでしょう?

鍵を握るのは…

江戸時代中期までは
お酢といえば米酢が主流でした。

当時は米で造った米酢が
主だったんですけれども

お米で酢を造るということは
やはり

米自体が高価なものなので
ぜいたく品でしたね。

当時の記録によれば
幕府への献上品にも

米酢が含まれています。

庶民が簡単に買えるようなものでは
なかったことがうかがえます。

そんな中 酢を安く造ることを
考えた人がいました。

尾張国 半田 現在の愛知県半田市で
酒造りを営んでいた中野又左衛門です。

又左衛門は酒かすを熟成させて造る
かす酢を発明したのです。

かす酢は 酒を造ったあとの
残りかすが原料。

元手は一切かかりません。

熟成させた酒かすで造る 値段の安いお酢。

それが 赤い色をした かす酢です。

この安価な かす酢が発明されたことで

お手軽価格の屋台飯 にぎりずしが生まれ
庶民に広まったのです。

にぎりずしの登場は 江戸庶民にとって
お酢との出会いでもありました。

それまでほとんど とっていなかった
お酢を食事に取り入れるようになった。

これこそが まさに
江戸の健康革命だったのです。

歴史上の偉人の史料をひもとくと
その多くが

中風という病にかかっていることが
分かります。

…など 多くの人が
この中風で亡くなっています。

これは
脳卒中のことだと考えられています。

その原因として考えられるのは…

漬物や みそ汁を中心とした
日本の伝統的な食事は

塩分が多いため高血圧になりやすく

それが…。

脳卒中を引き起こす
大きな原因の一つであることが

明らかになっています。

そうした食生活を送っていた江戸の人々が
出会ったのがお酢です。

大手食品メーカーの研究によると

血圧が高めの人が15ミリリットルのお酢を
毎朝 続けて飲んだところ

最高血圧 最低血圧ともに低下。

お酢には血圧を下げる効果があるという
結果が出ました。

にぎりずしブームによって
お酢をとる習慣が広まったことは

江戸の人々の健康長寿に
貢献していたといえそうです。

江戸風のにぎりずしは醤油をつけず
特製のタレを塗って食べます。

果たして お味は?

ちょっと江戸庶民になった気持ちで。
でかいですね。

一口じゃ無理かな いただきます。

食べ慣れてないですね。

ちょっと でも口の中に
シャリが多いって思いますよね。

そうですね。
一口で食べられない。

(笑い声)

「大将 昔のやつ 全部握って下さい」って
言えばね。

(本郷)すごい うまい!
今日は江戸を 江戸を楽しみにきた。

江戸を楽しみにきたって若手に言って。

にぎりずしによってお酢と出会った
江戸庶民にとって

もう一つ うれしい効果がありました。

それは お酢の…

体の疲れ…

体内に貯蔵された
グリコーゲンは…

このグリコーゲンの原料となるのは
糖質ですが

実は糖質だけを摂取するよりも

お酢と一緒にとった方が
効率的なことが分かってきました。

名古屋大学などの研究によると
糖質とお酢を一緒にとったマウスと

糖質だけをとったマウスの
グリコーゲンの量を測定したところ

糖質とお酢を一緒にとったマウスの方が…

…という結果が出ています。

つまり 糖質と一緒にお酢をとると
グリコーゲンが効率的につくられ

疲労回復につながると考えられるのです。

糖質とお酢を兼ね備えた にぎりずしは
江戸で力仕事をする男たちにとっては

理想的な食べ物だったと
いえるかもしれません。

庶民に大人気だった にぎりずしは
浮世絵にも数多く描かれています。

よく見ると…
おすしに何か刺さっています。

こちらの絵にも…。

刺さっています。

一体どういうこと?

つまようじみたいなんですが。

今 握って頂いたように
1個が大きいじゃないですか。

だから多分 つまようじ1本だと
持っていけないんですよね。

力が分散する。

だから3本で刺せば
持てるんじゃないかなと。

ちょっと三角になって。
(関根)はい はい はい。

(本郷)そういう考え方ありますね。
(関根)僕は今 そう思いました。

(竹山)あと あれは?
おしろいとか塗ってるから

触りたくないんじゃないですか?

だから3本 つまようじで
食べてたんじゃないですか?

2~3本使って。
これ 結局分かってないんですよ。

えっ そうなんですか?
分かってないんです。

要するに これを食べたあとに

ようじで歯をきれいにしましょうっていう
ことなのか

あのようじがないと
おすしが崩れるのか

その辺りは分かってないんです。

このつまようじの正体は
今なお解明されていない歴史の謎。

皆さんは どう思いますか?

これこれ 江戸の食べ物といったら
うなぎを忘れちゃいかんぞ。

土用丑の日にうなぎを食べるといい
っていうのは

一説には わし 平賀源内が
考えたともいわれとるんじゃ。

うなぎにタレを塗った蒲焼きは
江戸で生まれた調理法。

ちなみに関西では うなぎをさばく時
腹を切って開くが

江戸では背中を切って開くんじゃ。

江戸は武士が多い町なもんで

腹を切るのが切腹を連想させるから
敬遠されたといわれとる。

それにしても うまそうじゃのう。

続いてやってきたのは…

江戸庶民の生活空間を
再現している施設です。

これは井戸ですか?
そうですね 奥にあの雪隠 トイレが。

トイレがあって。
時代劇で よく見ますよね。

で あの こちらのお宅 ちょっと
今日 お借りしようかなと思いまして。

貝殻から外して むき身を売っている
政助さんっていう…。

政助さん。
どうぞ 22歳 独身だそうで。

こちらは長屋暮らしをする
江戸庶民のお部屋。

実は この部屋に 庶民の生活習慣を
ガラリと変えた道具があるんです。

それはこちら。 あんどんです。

江戸時代 家の中で使う
照明器具といえば あんどん。

燃料として使われたのは 菜種油や
イワシなどの油を絞った魚油でした。

当時 菜種油は生産量が少ない希少なもの。

庶民は もっぱら魚油を使っていました。
ただ この魚油には…。

難点が!

臭い!
臭い!

ちょっと あんた
そんな臭いの つけないでよ。

何を大げさな そんな臭くねえだろ お前。
たまんないよ こんな臭い…。

俺が臭いみたいじゃねえかよ ええ?
分かったよ。

臭い上に 煙がすごかったのです。

(いびき)

庶民は臭~い魚油をあまり使うことなく

日の出前に起きて…

そんな中 西摂津 現在の兵庫県で
革新的な技術が発明されます。

それまで人力で絞っていた菜種油を…

…が開発されたのです。

これまで1日5人体制で 2石の油を
絞るのが やっとだったものが

水車を使うことで 3石6斗もの油を
絞ることができるようになりました。

大いに手間が省け
大量にとれるようになった菜種油は

江戸で広く流通し始めます。

天秤棒を担いで油を売り歩く
油売りによって

庶民にも菜種油が広まっていくのです。

あっ…。
(2人)臭くない!

菜種油は臭くないんだね。

そうだな! ほぉ~ こりゃいいなあ。

こうして 江戸の庶民が
日常的に あんどんを使うようになると

もう日暮れとともに寝る生活とは
おさらばです。

あんまり でも 夜は起きてると
総合的には ろくなことしないですよね。

(笑い声)
活動としてはね う~ん。

まあ 外に出なければ 本読んだり。

その 楽しいこともあるんだろうけど
やっぱり起きてると当然のことながら…。

ぐぐぐぐ…。
あっ 腹が減る!

おなかが減りますね。
食べるでしょ?

(竹山)夜中 食べる。

あぁ それで3食なんですか!
(本郷)そうなんですよ。

江戸時代初期の生活パターンは

日の出前に起きて 仕事をしてから
朝10時頃に朝食。

そして夕方 日が暮れる前に夕食を食べる
1日2食が一般的でした。

ところが 菜種油が普及すると…。

そう あんどんを使うようになったことで
起きている時間が長くなり

現代と同じような
1日3食になったのです。

この1日3食への変化は
江戸の人々の健康に

大きな影響を与えたと考えられます。

1日3食は何がいいのか?
慢性疾患に詳しい山村さんに聞きました。

そうですね…

血糖値は食事をとると一時的に上がり
2~3時間で正常値に戻りますが

問題は この上がり方です。

これが頻繁に起こることで
動脈硬化や脳梗塞を招く危険があります。

更には…

さまざまな病気の
原因となってしまうのです。

これは 食事によって血糖値がどのように
変動するかを計測したデータです。

1日1食の場合 食後
血糖値は急激に上昇しています。

2食でも
かなり急激な上昇を示しています。

それが3食になると 上昇は緩やかです。

健康を害する急激な血糖値の上昇を
防ぐことに つながっているのです。

つまり 1日2食から3食への変化は

人々の健康長寿を支える大きな要因の
一つになったといえるのです。

更に もう一つ
1日3食がもたらしたものがあります。

それは…

幕末の日本にやってきたプロイセン海軍の
艦長は こう記しています。

外国の人々を驚かせたのは 江戸庶民の…

これを支えたのは
寺子屋だといわれていますが

実は1日3食による脳への影響も
大いに関係している可能性があるのです。

脳のエネルギー源となるグリコーゲンを

絶やさないようにすることが
ポイントです。

これは脳の栄養として…

昼食を抜いた1日2食の生活では

1日の中で脳の栄養が不足する時間帯が
長くなってしまいます。

1日3食にして
栄養補給の回数を増やすことで

この問題を解消できるのです。

江戸の高い識字率。

それは1日3食によって学習効率や
記憶力が高まったことも

一因だったといえそうです。

脳にも体にも
さまざまな健康効果をもたらした

1日3食への変化。

これこそ まさに
江戸の健康革命だったのです。

では 栄養満タンの脳になった
当時の子供たちは

どんな勉強をしていたのでしょうか?

それを探るため 寺子屋を再現している
博物館にやってきました。

唐澤博物館。
はい 博物館です。 二宮金次郎もそちらに。

あら いた 二宮さん。
(竹山)久々見たな。

(本郷)今 それやるとね あの
ながらスマホで怒られる。

今 みんな座ってるらしいですね。
(本郷)あっ そうなんですか。

各小学校に一つずつあったもんですよね。
昔はね。

では皆様 どうぞお入りくださいませ。
(竹山)洋館ですよね? でもね。

これ自体は洋館で。
2階行けばいいんですね?

はい ちょっと階段が急です。
(竹山)結構急ですね この階段。

手すりのとこにも
すごい彫刻が施してある。

そう これも明治の小学校で
使われていたそうですよ。

(竹山)えっ この階段ですか?
はい。

こちらは
寺子屋の教室を再現したスペース。

実際に座ってみると
どんな感じなんでしょうか?

皆様の前にいろいろ 当時
使われていたものがございましてですね。

これは知恵板と呼ばれる知育玩具。

(関根)これ パズルだ。 えぇ~っ 難しい!

これは あれですね 本当に触感とか
視覚とか全部 立体的に学べますね。

(関根)これ 何が入ってるんですか?
(本郷)文箱ですね。

(関根)硯… 紙ですね。
はい。

(竹山)これ 僕…
これ 間違いなんですか?

いやいやいや あの 結局 だから
紙が まだ貴重品なんですよ。

だから 使い捨てではなくて
そういう形で ほんとに字の練習を。

あいてるところの上に書いていくんだ。
(本郷)そうなんです。

どんどん どんどん書いていくから
真っ黒になるまで書いて…。

あっ そうなんだ!
(本郷)その結果として 今度は

要するに落とし紙
トイレで使う紙にするんだそうですよ。

えっ これをですか? 最後?
(本郷)うん 紙は貴重ですね。

あっ そうやって使ってたんだ!

でも 炭はね あの 臭いとりますから
ちょうどいいですよね お尻拭くのに。

活性炭で!
(本郷)それは! それはすごい。

これは 当時の寺子屋の様子を
描いた絵です。

生徒の机にご注目!

みんな バラバラな方向を
向いていますよね。

ここに寺子屋の先進性があるんです。

例えば 渡邊先生が
「さあ皆さん 今から授業ですよ」って

いうような形ではないんですよ。
(関根)あっ そうなんだ。

(本郷)だからもう
みんなマンツーマン 基本的に。

一斉授業じゃない?
(本郷)一斉授業じゃなくて。

先生が一人一人に「どうだ? ここ
分かんないところあるか?」って

そういう感じで教えてくれた。

今でいうところの
個人の塾みたいなことですか?

(本郷)そうです そうです。

そう 寺子屋は子供が就く職業に合わせて
一人一人 教科書を使い分ける

個別学習の専門学校のような
側面がありました。

当時 寺子屋で使われていた教科書が…

「往来」とは手紙のやり取りの意味。

古くは手紙の模範例文を束ねたものを
教科書にしたことからこう呼ばれました。

いろんな往来がありましてね
商売往来とか 商人の家に

なんていうかな
丁稚に上がる子どもには商売往来。

大工さんのところに あの まあ
奉公にいく子は番匠往来。

番匠っていう言い方をしたんですね
大工さんのことを。

(関根)やっぱり その職業によって
もう学べたんですね。

この番匠往来は
大工になる子どものための教科書。

象鼻 拳鼻 などの
お寺の建築で用いられる彫刻の種類や

木造建築の継ぎ方など

大工に必要な建築用語や知識が
具体的に書かれています。

生徒たちは将来 役立つことを
個別に自分のペースで勉強できたのです。

そういうふうに いってみれば
気軽に勉強できたので

結局 日本の識字率は
世界一だといわれるようになるんですね。

それは ローマとかヨーロッパとか
アメリカから比べたら

これは早かったんですか?
めちゃめちゃ早いです。

(竹山)早いんすか!
早いです。

要するにあの 教育っていうのが そういう
ローマだとかなんだとかっていうのは

いってみればエリートだけが
受けられるわけじゃないですか。

庶民がそういう形で あの 本当に
読み書きができる そろばんができる

そういうのは日本は もう本当に…。

だから底上げが
すごかったんですね日本は。
(本郷)そういうことです。

さて 1日2食から
3食に変わったことで

庶民のおかずにも
バリエーションが生まれました。

それが伺えるのが こちらのおかず番付。

庶民に人気のおかずを 相撲の番付風の
ランキングにしたものです。

相撲の東と西に倣って
魚類方と 精進方に分かれています。

ということで江戸の庶民に人気の
魚類方おかずランキング!!

第5位! 前頭2枚目は…。

第4位 前頭1枚目は…。

第3位の小結は…。

第2位の関脇は…。

これはアサリなどの貝と
切り干し大根の煮物です。

そして栄えある…

当時は横綱ってありません。
(関根)そう 大関が最高位ですよね。

ですから1位は大関 分かります?

(関根)めざし…。
そうです。

(関根)めざし… い?
イワシ。

(竹山)めざしいわし?
(関根)あっ めざしいわし。

つまり目刺ですね。

お好きですか?
いや 好きですけど今 番付作ると多分…。

ベスト10入んないよね。
ベスト10というか
十両にもなれてないですよね。

当時 庶民に最も人気が高かった食材が…

1位の
「めざしいわし」以外にも

「たたみいわし」と「いわしの塩焼き」。

10位以内に3つもランクインしています。

江戸湾で最も多くとれた魚 いわしは

貧しい庶民が日常的に食べることができる
身近な魚でした。

おい いわし買ってきたぞ!

(3人)やった~!

安くておいしい いわしは 庶民の味方。

江戸時代に出版され始めた料理本には

いわしをさまざまな調理で
味わい尽くそうとする

庶民の工夫が見て取れます。

例えば いわしを 醤油と酒と
おからで煮込んだ…

いわしをだしで仕立て
大根やミョウガを添えた…

ご飯を炊く時に
いわしを入れて蒸らし

炊き上がったら 身をほぐして
だし汁と薬味をかける…

おいしそうですね!

ちなみに こちらは おかず番付の精進方

肉や魚以外の1位から5位です。

豆腐や油揚げなど 大豆の加工品が

多くランクインしています。

これら 江戸庶民に人気の料理を

管理栄養士の方に見て頂いたところ…。

魚料理は 青魚が多く
オメガ3系の油 例えば

EPAですとか DHAといったものを
豊富に含んでいますし

魚も丸ごと食べる料理が多いため

カルシウムですとか鉄など
不足しがちな栄養素が摂取できます。

植物性タンパク質の大豆製品も

豆腐 油揚げなど
加工品が多くなっていますので

保存とともに 消化 吸収に
よい形態になっていると考えられます。

太平の世 江戸時代は 健康的でおいしい
バラエティー豊かな料理が

庶民の間に広まった時代でも
あったのです。

このおかずばっかり ずっと食べとけば

人間ドックのあと
先生に怒られないですよね?

(本郷)そうですね ほんとね。
(竹山 関根)これ いいですよね。

江戸庶民の憧れの魚といえば
かつおじゃ。

特に 夏の初鰹を食べるのは
江戸っ子の自慢。

「女房を質に入れても初鰹を食う」
なんて言葉もあったくらい

みんな こぞって食べたんじゃ。

当時は 生姜醤油ではなくて

からしみそをつけて
食べてたんじゃぞ。

逆に 庶民が
見向きもしない魚だったのは

なんと まぐろじゃ。

トロなんか 売れないから
肥料にしておったくらいじゃ。

今では信じられんじゃろ?

近海では とれないうえに
冷蔵技術もなかったから

腐りやすかったんじゃな。

これを どうにか
おいしく食べようとして

「漬け」にするなどの工夫が
編み出されたんじゃよ。

続いてやって来たのは
東京都北区にある 昔ながらの銭湯です。

うわ~!
見て下さい このたたずまい。

いや~ 歴史あるな!
いい感じじゃありません?

(関根)ざっと100年ぐらい
たってんじゃないですか?

そうです 90年です。
(本郷)えっ?
ほんとに そんなにたってんですか。

(関根)90年! うわ~ 懐かしいなぁ。

こちらの稲荷湯は…

宮造りと呼ばれる
お寺のような外観の建物は

昭和5年に建てられたもの。

2019年…

おお~ 懐かしい!

(竹山)ああ~ 銭湯ですね。

(関根)懐かしい 懐かしい。
(本郷)こういう感じでしたね。

(関根)ここにね 番台の方いてね。
(竹山)ああ 番台ね。

(関根)これ 懐かしいや。

小学校から 29歳まで入ってましたから。

銭湯 行かれてた?
(関根)銭湯に ええ。

(竹山)今も たま~に僕行きますけどね。

あれも昔… それから 籠ね!
あっ この籠 使ってた!

(竹山)これだ!
(関根)使ってたよ!

これ取ってね。
(関根)これ やってた!

自分で シャンプーと せっけんとタオル
持っていくんだよね。

(竹山)常連になると あそこ
預けられるんですよね。
預けられんだ!

あれ 預けてる人いますね。
(竹山)常連です。

実は…

これも 江戸庶民の健康に
大きく関わっていたのです。

記録に残る
江戸最初の銭湯が出来たのは

徳川家康が江戸入りした翌年のこと。

「慶長見聞集」には こう書かれています。

江戸は 海が近く風も強いため
ほこりが立ちやすい土地柄でした。

それゆえ この銭湯は繁盛しました。

しかし その銭湯 今とは随分
様子が違ったようです。

蒸気がすごく
目もあけられないほどの風呂。

そう 当時の銭湯は…

日本では 古来
温泉につかって湯治するなど

お湯につかる文化は
ありましたが

それは 一部の地域や特権階級に
限られていたものでした。

庶民は どうしていたのか

庶民文化を研究する
町田 忍さんに聞いてみると…。

特に…

井戸を掘るにしても 浅い掘り方では

海水を含んだ塩水しか出てきません。

真水をくみ上げるには…

しかし これを掘るには 200両

現在の価値で およそ1200万円もの大金が
必要だったのです。

幕府は 市中に上水道を引きましたが
あくまでも生活飲料水のためのもの。

お風呂に使うなど もってのほかでした。

江戸最初の銭湯が蒸し風呂だったのも

水を潤沢に使うことが
できなかったためだと考えられます。

そんな江戸の街に…。

大阪から 画期的な井戸掘りの方法が
もたらされるのです。

江戸中期の随筆 「塵塚談」には
こう記されています。

「あおり」とは 鉄製のおもりのこと。

それを高く組んだ足場の上から

引き上げては落として 岩盤を砕き

井戸を掘ったのです。

従来は このおもりに竹を使っていました。

鉄製のおもりの方が
効率的に岩盤を砕けるので 値段も安く…

この「あおり掘り」と呼ばれる方法は
水不足の江戸で急速に広まりました。

大量に水が使えるようになったことで…

それまで 行水で済ませていた庶民が

銭湯で初めて「お湯につかる」体験を
味わうことになったのです。

ウヒョー! あったまる~!

最高だな!

おらぁ今日から 毎日へぇるぞ! ヘヘッ!

お湯につかる気持ちよさを知ってしまった
庶民の間に

銭湯は瞬く間に広がっていきます。

幕末には 江戸市中に

620軒もの銭湯が
あったと記録されるほど。

どこでも つかれるような
移動式の銭湯も登場!

こちらは 船の中に浴槽を設けた
その名も 文字どおり…

街頭に一人用の浴槽を置いて客を入れる

「辻風呂」なる商売まで現れました。

江戸の銭湯から庶民に広まった…

実は 近年の研究で これが健康長寿に
関わっていることが分かってきました。

千葉大学が…

…という結果が出たのです。

血液の流れは とっても大事。

特に 全身の血管の99%を占める
毛細血管は

年齢とともに 血流が悪くなります。

酸素と栄養を体の隅々まで届けて
老化を防ぐためには

毛細血管を広げて血流を良くする
入浴が効果的。

お風呂に毎日つかる人の
要介護リスクが低いのは

そのためだと考えられるのです。

日本が名だたる長寿国になったのは

江戸の銭湯で「お湯につかる」文化が
根づいたおかげなのかもしれません。

皆様 お湯加減は いかがですか?

いやぁ いいっすね。
いいですね。

昼間にね いいですね。
気持ちいいね。

(本郷)大学の先生なんだけど
こんなことやって いいのかな。

お風呂は いいんですよ 先生。
お風呂は みんな入りますから。

銭湯らしさっていうのが
やっぱり皆さん どうです? この…。

(竹山)この富士山ですよね!
(関根)富士山なんだよな~。

これね 建物自体は築90年なんですけど

この富士山の絵は
つい数日前に描かれておりまして

もともとは 大正時代に 初めて
銭湯に絵を描くことを頼まれた人が

静岡出身だったから 富士山を描いたと。

そこから 銭湯といえば
富士山になったようですね。

でもね 富士山の絵に
文句言う人 いないよね。     確かにね。

やっぱり いいよね。
気持ちいいですもん
富士山 見てる方がね。

(関根)ほんと きれい。

今日は 江戸の健康革命ということで
ご一緒して頂きました。

いかがでしたでしょうか?
やっぱり 江戸で

ガラッと変わったってことが
分かりましたね。

やっぱり 入浴と酢飯ですか。

いやぁ あれで全然変わったってことがね
びっくりしましたね。

しかし…。

今の時代に生まれて よかったなと。
(笑い声)

竹山さん いかがでした?
う~ん なんか やっぱり

入浴もそうだし あと酢飯なんかも

きちっと今 結構食べてると
思うんですよ 僕ら 現代では。

でも 多分
そんな健康じゃないじゃないですか

僕みたいにブクブク太ったりとか。

だから よっぽど なんか
ちゃんとしてないんだろうなって…。

自分を反省しましたよね。

自分の健康を ちょっと
しっかりしようと思いましたよね。

ありがとうございました。
(3人)ありがとうございました。

「健康」 それは
今も昔も 人々の最大の関心事。

健康で長生きしたい。

その思いは 庶民も
そして 「偉人」と呼ばれる人々も

変わることはありません。

徳川家康は自ら医学を学び

薬を調合。

徹底した食事管理までして 長寿を保ち
天下統一を成し遂げました。

水戸黄門として知られる
徳川光圀は

隠居後も 好奇心を失うことなく
積極的に人々と交わることで

心身共に健康な余生を送りました。

日本地図の作成に後半生をささげた…

日本全国を歩き回る
旅の出発を決意したのは

当時としては高齢の
50代半ばを過ぎてからのことでした。

そして 江戸の健康ブームの立て役者

「養生訓」を記した…

夫婦そろって各地の温泉地を巡ることを
ライフワークにして 天寿を全う。

健康であれば 人生も また楽し。

楽しい人生は また 健康を呼ぶ。

偉人たちの人生に隠された健康のヒントは
まだまだ たくさんありそうです。

学校でおなじみの漢字ドリル。


関連記事