歴史秘話ヒストリア「謎の茶碗(ちゃわん)はなにを語る」至宝・曜変天目にも似たその器の来歴や正体を検証…


出典:『歴史秘話ヒストリア「謎の茶碗(ちゃわん)は なにを語る」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「謎の茶碗(ちゃわん)は なにを語る」[解][字]


今、専門家が注目をする謎の茶わんがある。至宝・曜変天目にも似たその器の来歴や正体を検証。行き着いたのは紀州高野山、そして本能寺だった!史上屈指の「お宝」秘話。


番組内容

今、世界中の陶磁器研究者が注目をする茶わんがある。黒い地に薄く青みがかり、丸い文様が散らばる。現存する3つ全てが国宝という至宝「曜変天目」にも似た謎の茶わんだ。番組では、初めて行われた科学調査や8Kカメラでの撮影など、来歴や正体を検証する過程に密着。すると、紀州高野山、そして織田信長が死んだ本能寺の変に行き着いた。史上屈指の「お宝」の謎が、ついに今夜ひもとかれる!?

出演者

【キャスター】渡邊佐和子


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歴史秘話ヒストリア「謎の茶碗(ちゃわん)はなにを語る」至宝・
  1. 茶碗
  2. 曜変天目
  3. 出川
  4. 日本
  5. 小林
  6. 建窯
  7. 新発見
  8. 光彩
  9. 構造色
  10. 調査
  11. 斑文
  12. 本能寺
  13. 高野山
  14. 今回
  15. 時代
  16. 場所
  17. 信長
  18. 専門家
  19. 中国
  20. 注目


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それでも悪ければ病院に行くと。

そのなかに 宇宙を宿す宝があります。

「曜変天目」。
世界に3つだけという 謎の茶碗。

どこかに その4つめがあるとしたら…。

♬~

去年 突如現れた一つの茶碗に
今 注目が集まっています。

番組は
専門家による検証に密着。

8Kカメラによる
撮影も行いました。

大発見なのか?

それとも まったくの
別物なのでしょうか?

専門家の徹底的な検証は
茶碗の周辺にも及びました。

すると 私たちは
意外な場所へ いざなわれます。

ええ。

(発砲音)

そして たどりついたのは…

織田信長が命を落とした…

このとき 最も有名な曜変天目が
失われたはずでした。

しかし…。

本物なら 空前の大発見となる
至宝 曜変天目。

果たして 4つめの茶碗なのか?

その検証の過程を
目撃しにまいりましょう。

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜もどうぞ おつきあい下さい。

今日お送りするのは 「茶碗」の話。

お茶碗といっても 世界に3つしかない
「曜変天目茶碗」のミステリーです。

「曜変天目」の「曜変」は
茶碗の内側に広がる 美しい模様のこと。

「天目」は
すり鉢のような

独特の形の
茶碗のことです。

現存する3つの曜変天目は
どれも 日本にあります。

もちろん すべて国宝。

大正時代 そのうちの一つが
売りに出されたとき

現代の金額で 17億円もの値がつきました。

しかし 番組冒頭でも触れたように

「4つめ」の曜変天目が
見つかったかもしれないという

一報が入ってきました。

「ヒストリア」の独占密着取材です。

去年9月 ICOM京都会議。

世界の博物館関係者が 一堂に会した
国際会議です。

そこで 驚くべき発表がありました。

大阪 東洋陶磁美術館の館長
出川哲朗さん。

中国の陶磁器 青磁に関する
世界的な研究者です。

出川さんは 海外で保管されていた
茶碗の情報を いち早く得て

発表しました。

発表は 多くの研究者の関心を集めました。

(拍手)

去年11月 問題の茶碗が
日本にやって来ました。

持ち込まれたのは 出川さんのいる…

所有者の許可を得た 初めての調査です。

茶碗は 果たして
曜変天目と言えるのか。

出川さんも 実物を見るのは初めてです。

今回 共に調査を行う
小林 仁さん。

中国陶磁器 曜変天目研究の第一人者です。

うわ~ すごいね これ。

この感じが。
そうですね。

出川さんは 可能性を感じました。

一方の小林さんは
納得していない様子です。

これから もうちょっと
よく見ていかないと

分からないのかなあ という気がします。

曜変天目を見るときに
注目すべきポイントは 2つ。

丸い「斑文」と 周囲の青い「光彩」です。

例えば 大阪・藤田美術館のもの。

器全体に白く縁取られた
「斑文」が散らばり

その背後に 青い「光彩」。

キラキラと輝く印象です。

そして 東京・静嘉堂文庫美術館のもの。

縁取りがあり 際立つ「斑文」。

背景の「光彩」は 薄い青から深い紺色まで
さまざまな色合いです。

今回 私たちは 新発見の茶碗を
超高精細の8Kカメラで撮影しました。

すると…。

「斑文」や「光彩」が
新発見の茶碗でも確認されました。

比べると 斑文は
やや はっきりしませんが

青い光彩は 豊かな広がりを見せています。

こういう…。

曜変の色彩。
それを 自然に生み出せる場所は

世界で1か所しかありません。

中国・建窯。

かつて 焼き物が
盛んに作られていた場所です。

宋の時代 日本でいえば
平安の終わりから鎌倉時代。

300年にわたって 曜変天目と同じ形の
天目茶碗が作られました。

その痕跡が こちら。

茶碗のかけらや 窯の残骸が
高さ10mもの 山のようになっています。

現在 この山に残されている
かけらを見ると

釉薬がかかっているところは 黒
かかっていないところは 茶色。

鉄分を多く含む この土地の土を
焼くとできる 独特の発色です。

そして 日本の曜変天目も
釉薬の部分は黒で 底は茶色。

世界中の専門家が
曜変天目が作られたのは

建窯と考えてきました。

ここで 曜変天目を
見つけようとした人もいます。

アメリカの陶磁器研究家
プラマー。

しかし…。

建窯で作られただろうということ以外
曜変天目は ほぼ謎でした。

2012年 曜変天目の研究に
画期的な出来事が起きます。

曜変天目の破片が
建窯と同じ時代に都のあった

杭州で見つかったというのです。

一報を聞いた出川さんや小林さんは
実物を見ようと 杭州に駆けつけました。

出川さんや小林さんたちは
科学機器で分析し

土や釉薬の成分について
明らかにするつもりでした。

ところが…。

調査は できませんでした。

そして 今回の調査。
本物かどうかを確かめると同時に

科学的に分析できる
貴重な機会でもあります。

真ん中に何か 青色が更に入っているのは
珍しいパターンなんですけどね。

入らないわけではないんですけど
ここまでベタッと入るのは。

これ 気泡だね。 これが全部。

(小林)ピンホールみたいなものですかね
デコボコの。

(小林)黒い部分なので
あの… 釉薬の色ですね。

小林さんたちが探しているのは…

シャボン玉や玉虫の羽
CDなどに見られる色で

光の角度で
さまざまに変化するのが特徴です。

曜変天目の構造色は
多くの場合 青く見えます。

(出川)ああ… すごい きれいに見えてる。
こりゃ すごい。

この「構造色」を
更に別の方法で確認します。

新発見の茶碗を 太陽光の下
8K映像で見てみると…。

さまざまな波長の光を含む
太陽光によって

茶碗の青色も 紺色から
白に近い瑠璃色まで含む

多様なものと
分かりました。

出川さんは
曜変天目と言えるという見解です。

確かに 探していた「構造色」は
確認できます。

しかし 小林さんは
構造色の存在を認めつつも

なお 慎重でした。

だから今 問題になっているのは
時代の問題 そして産地の問題ですので

それについては
今の段階では 私は

ハッキリとは 言えないのではないかなと。

構造色という 条件の一つはクリアした
新発見の茶碗。

しかし 曜変天目とされるには
まだ 多くの壁があります。

実は 現代の技術をもってすれば
茶碗に「曜変」を描き出すことは 可能です。

2000年代に入り 日本や中国の陶芸家が
「曜変」に近い模様の再現に成功しました。

鉛やマンガンと一緒に
焼く方法です。

それでも 1, 000個焼いて
1個成功するかどうか。

一方 国宝の曜変天目は

鉛やマンガンを使っていないことが
判明しています。

そして 新発見の茶碗も
顕微鏡による分析で

同様だと分かりました。

今回見つかった茶碗に 七色に輝く
「構造色」は ありました。

では 作られた「時代」は どうでしょう。

それを探る 手がかりが
茶碗以外に残されていました。

この茶碗は いつ作られたのか。

共に伝えられてきた品も
重要な手がかりです。

茶道史研究の第一人者 熊倉功夫さん。

茶碗が入っていた箱に注目しました。

建窯の曜変天目 とあります。

続けて 「壱流」。
一級品という意味です。

更に これを書いた人物の花押

サインがありました。

啄斎。 表千家8代家元
千宗左のことです。

江戸時代後期の茶人であり
すぐれた鑑定家でした。

続いて 古い布の専門家
鈴木一弘さん。

箱に入っていた布の断片は 茶碗を
包んでいた袋だったと判断しました。

横糸が すべて金糸。

この豪華さから
年代が分かるといいます。

箱は 江戸時代後期。
布は 安土桃山時代まで。

つまりこの茶碗も 同時代か
更に古い可能性があります。

中でも 出川哲朗さんが注目したのは
箱を包んでいた風呂敷です。

その隅に ラベルが付けられています。

「普賢院付物」と読むのでしょうか。

その上に 家紋らしきものが
2つ あしらわれています。

茶碗の由来を知る
手がかりになるかもしれません。

実は これらの手がかりが
指し示す場所があります。

高野山です。

標高900mの山上に 100を超える
寺院が並ぶ 真言密教の聖地。

3, 000人が暮らす 宗教都市です。

あ~ これ…

提灯が…。

風呂敷と同じ2つの紋が
ここにありました。

三つ巴は この地の神の紋

五三桐は
豊臣秀吉から
与えられたとされます。

ラベルに記されていた
「普賢院」もありました。

高野山の子院の一つです。

ちょっと ご覧頂きますけれども
包み布がございまして…。

住職に 風呂敷を確認してもらいます。

今 見せて頂きますとね…

新発見の茶碗は どの時代のものか。

風呂敷は 決め手になりませんでした。

しかし…。

出川さんは 普賢院で
更なる手がかりに出会います。

本堂の天井。

徳川家の葵の紋で
装飾されています。

理由は こちらの絵図から分かります。

中央に大きな東照宮。

高野山は 徳川家と
深いつながりがありました。

普賢院の建物の多くは
この東照宮から移築したものです。

では なぜ出川さんは
徳川家の紋に注目したのか。

実は 知られている
3つの曜変天目のうち

2つが 徳川家ゆかりのものなのです。

特に静嘉堂文庫美術館のものは

どう伝えられてきたか
はっきりしています。

3代将軍 徳川家光が

乳母の春日局に
与えました。

そして 春日局が嫁いだ大名
稲葉家に伝えられました。

蓮花院は 高野山の数ある子院の中で
徳川家と最も関わりの深いお寺です。

戦国時代以前からの
菩提寺と言われています。

失礼いたします。
はい どうぞ。

本堂に並んでいるのは

徳川家歴代の将軍や
御三家の当主たちの位牌。

更に こちらの厨子の中には

徳川家康と 2代 秀忠の像が
安置されています。

ええ。

曜変天目と同じ形の
「天目茶碗」で

お茶をお供えした!?

天目茶碗は
古いお寺で
よく目にします。

鎌倉の建長寺では

開祖 蘭渓道隆の像へ
お茶を供える際に用いられます。

蓮花院にある 家康と秀忠の像は
かつて ここに置かれていました。

うわあ
これは すごい。

許可を頂き 中へ。

はあ…。

非常に 何ていうか
すばらしい建物ですね。

ここでも 江戸時代 200年以上もの間

家康の像に 天目茶碗で
お茶が供えられました。

そして ここに像を置かせたのは

3代将軍 徳川家光。

稲葉家に 曜変天目をもたらした人物です。

今回 来てですね…

その後
新たな発見が
ありました。

あの啄斎に関する
記録です。

それを依頼した人物の名前もありました。

紀州徳川家の家臣です。

紀州 和歌山県は
高野山がある場所。

謎の茶碗について 新事実が
現在進行形で見つかっています。

ところで皆さん
少し不思議に思いませんか?

中国産の曜変天目が
なぜ 日本にしかないのか。

40年ほど前 その謎を解くヒントが
見つかっています。

1976年 朝鮮半島南西沖の海底で

中国 元から
日本へ向かったと思われる船が

見つかりました。

積んでいたのは 2万点を超える陶磁器。

100点余りが 建窯の茶碗でしたが
どれも傷ついていました。

つまり日本へは 中古品の茶碗が
輸出されていたのです。

日本でのみ長く愛用されてきた 天目。

その逸品中の逸品が 「曜変天目」でした。

そして 曜変天目は
あの大事件のさなかにも

姿を見せていたのです。

(発砲音)

明智光秀の襲撃で 織田信長が
非業の最期を遂げた 本能寺の変。

このとき…。

本能寺に 曜変天目があった?

事件の前日。

信長は 本能寺で
茶会を開きます。

自ら集めた茶器などを並べ
参加者に自慢したとされます。

信長のコレクション。

もとは 大部分が
室町幕府8代将軍 足利義政のものでした。

義政の別荘だったのが
京都 東山の銀閣寺。

そのため 義政の所蔵品は
東山御物と呼ばれました。

リストが残されています。

「君台観左右帳記」。

義政につかえた僧侶たちが
まとめました。

その中の 「土のもの」
陶器の冒頭に

「曜変」と
あります。

将軍 義政の所蔵品は 応仁の乱の後
将軍家の財政が苦しくなると

売却されます。

およそ100年後
それを入手したのが 織田信長でした。

そして その中に…

曜変天目があった。
そう語る人物がいます。

将軍家の指南役をつとめた茶人です。

証言は 更に続きます。

かつて 本能寺があった…

周辺では
4回の発掘が行われました。

13年前に調査を行った 山本雅和さん。

ひそかな目的がありました。

やはり まあ…

曜変天目こそ ありませんでしたが
別の興味深いものが。

瓦です。

火で焼かれると
瓦は茶色になります。

しかし たくさん見つかったのは
黒い瓦。

つまり 焼けなかった瓦があったのです。

発掘調査と絵図に基づいて
当時の本能寺を復元しました。

焼けた瓦や
木材が出土したのは
境内の西側。

そして 焼けていない
瓦が出土したのは
東側でした。

本能寺は全焼していなかった…。

信長コレクションは
焼け残った可能性がある…。

これを裏付ける資料もあります。

明智光秀が討たれたあと 羽柴秀吉が
京都の人々に出した お触れです。

更に別の資料から
「明智の預け物」とは何か 分かります。

「上様の御物」。 信長の所蔵品です。

信長の茶碗は 光秀を経て
秀吉に渡った。

と するなら…。

信長の曜変天目は どこかに
眠っているかもしれません。

そして それは…。

今回見つかった茶碗は 曜変天目なのか。

この日 3つの条件の一つ
産地を探る試みが行われました。

まず 表面にエックス線を照射し

茶碗に含まれる金属の種類と
割合を特定します。

それを 陶磁器研究家 プラマーが

1935年に採取した陶器片と
照合しました。

新発見の茶碗の土と釉薬に含まれる
金属を 分析したところ

建窯の陶器片と よく似ていました。

茶碗が 中国 建窯産である可能性が

またひとつ 大きくなりました。

曜変天目の3条件
2つを満たしたとも言える

今回の茶碗。

出川さんは 更に調査が必要と
考えています。

茶碗の内側を埋め尽くすように広がる
青の光彩。

そのただなかに 控えめに散らばる
白い斑文。

果たして これは 第4の曜変天目と呼ぶに
ふさわしい器なのか?

専門家による 更なる検証が待たれます。

♬~


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