ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 岩下志麻×小松靖 10代で清純派女優デビュー、瞬く間にスター街道を駆け…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 岩下志麻×小松靖』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 岩下志麻×小松靖


10代で清純派女優デビュー、瞬く間にスター街道を駆け上がり、戦後の日本映画界を盛り上げ続けている岩下志麻。女優人生62年を聞くロングインタビューは見逃せない!


詳細情報

番組内容

1941年、東京・銀座生まれ。両親は新劇俳優。伯父は歌舞伎役者の4代目河原崎長十郎。岩下も小学生の頃から日本舞踊を習う。高校2年の時、NHKの連続ドラマ「バス通り裏」でデビュー。だが、女優になる気はなかったという…。1960年、成城大学入学と同時に松竹に入社。デビューの翌年、映画「あの波の果てまで」三部作で主演を務め、一躍、清純派女優のトップに躍り出る。そしてデビュー2年目。女優の礎を築いてくれた恩師と出会う。

番組内容2

26歳で10歳年上の映画監督・篠田正浩と結婚。引退を心配される中、女優を続けたワケとは…。また、子供を授かり、長い女優人生で一度だけ女優を辞めようと思った時の胸の内を語る。岩下の当たり役と言えば「極道の妻たち」。初めての主演は45歳の時だった。シリーズはいずれも大ヒット。撮影現場の舞台裏から、役に入り込み過ぎて起きた日常生活の珍事まで、赤裸々に語る。そして79歳の今、どうしても挑戦したい役について明かす。

出演者

【ゲスト】岩下志麻(女優)

【インタビュアー】小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

次回放送予定

次回4月11日(土)は、女優の中村メイコに、スポーツ文化ジャーナリストの宮嶋泰子が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、テレビ朝日映像


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ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 岩下志麻×小松靖 10代
  1. 岩下
  2. 女優
  3. ホント
  4. 結婚
  5. 当時
  6. 作品
  7. 篠田
  8. 松竹
  9. 映画
  10. 極妻
  11. 瞽女
  12. 自分
  13. 挨拶
  14. カメラ
  15. ハハハハ
  16. 岩下志麻
  17. お話
  18. セリフ
  19. 京都
  20. 近眼


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 岩下志麻×小松靖』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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どうも。
どうも。 こちらへどうぞ。

ありがとうございます。

岩下志麻さんです。 本日は
どうぞ よろしくお願い致します。

どうも。 よろしくお願い致します。

お会いできて光栄でございます。
どうも。

今日は また 素敵な和装で…。

ええ。 4月なので 桜の模様で…。

ホントです。
ええ。 しだれ桜です。

いやあ 美しい。 まさに もうね
全国各地に 桜咲いてますんで…。

そうですね。

ちょっと せっかくですので…。
えっ?

帯も… 後ろも…。
帯も? はい。

うわ~!
ハハッ。

帯は 万葉花といって

色々なお花が
入ってるんですけれど…。

片身替わりといって
白と紫に分かれてる。

こちらと こちらで?
ええ はい。

そうですか。
はい。

〈港町 横浜を代表する
ランドマークの一つ

ホテルニューグランド〉

〈館内の随所に

90年を優に超える歴史の重みが
うかがえる〉

〈このホテルには
甘い思い出があるそうだ〉

素晴らしい所ですね。
そうですね。

ホントに
いいホテルだと思います。

ゆかりがあるというふうに
伺いました。

ええ。 結婚する前に よく
ここで デートをしまして…。

山下公園に行ったり

それから
港の見える丘公園に行ったり…。

フフフ…。 やだ。
行きました。 アハハ…。

デートコースで?
はい デートコースで。

ここで
ステーキをね よく食べました。

そうですか。
はい。

どんなステーキなんですか?
ここのステーキっていうのは。

えーっと どんなステーキかは
忘れてしまいましたけど

とにかく おいし… やわらかくて
おいしかったんですよね。

あら…。 ねえ。

今日は そんな思い出話も含めて
ぜひ お聞かせください。

はい。 よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。

♬~

〈10代のデビューに始まった
彼女の歩みは

日本映画の黄金時代から
今に至るまで

輝かしい軌跡を描いてきた〉

〈気鋭の映画監督
篠田正浩と結ばれたのは

26歳の時〉

〈夫と組んだ作品では どれも皆

ミューズとしての存在感を
放っている〉

皆様 お呼びくださりまして
ありがとうごぜえます。

〈例えば
1977年の『はなれ瞽女おりん』〉

瞽女さん 陰気なものより

パーッとしたもの やってくれよ。
はい。

♬~(瞽女唄)

お前も飲めや。
ありがとうごぜえます。

〈盲目の旅芸人を演じた岩下は

36歳で…〉

を獲得した〉

〈一方で あの『極妻』シリーズが
大ヒット〉

〈娯楽作から芸術作まで
活躍のジャンルは幅広い〉

〈押しも押されもしない大女優は

思いも寄らず
チャーミングだった〉

♬~

♬~

♬~

と思ったんですよ。

はい。
ええ。 それで…。

って言ってしまったんです。

で 私 当時 清純派でしたから

…と思ったらしいんですけれど。
でしょうね。

うわ~ それだ!
ああ そうです。

もっと低い声ですけどね。
カメラに向かって言ってください。

いやいやいや…
ちょっと恥ずかしいですよ。

1回 カメラに…。
ええ? 1回?

ええ~ どうしましょう。
3 2 1 キューで

いきましょうか 私が。
3 2 1…。

やっぱり そっか。
だから…。

あれの日本版をね
ぜひ やりたいなと思って…。

がするんですね あれね。

その…。

なかなかドラマチックな作品を
お選びになりましたね。

ドラマチックですよね。

基本的に 私は

〈岩下志麻は

太平洋戦争が勃発した1941年

東京 銀座に生まれた〉

〈新劇俳優を両親に持ち

伯父には 歌舞伎役者

四代目
河原崎長十郎がいる〉

〈小学生時代から
日舞を習っていた岩下は

高校2年で女優デビュー〉

〈ふとした きっかけで

NHKの連続ドラマ
『バス通り裏』に出演する事になり

いつの間にか
将来が決まってしまったそうだ〉

♬~『バス通り裏』

小さい頃は どんなお子さんで
いらしたんでしょうか?

小さい時はね
すごく 人見知りが激しくて

なんか お客様が来ると すぐ
母の陰に隠れてしまうような

そういう感じの女の子でした。
ああ そうですか。

ええ。 だから
どうして 女優になれたのか

不思議なんですけれど…。

きっかけっていうのは
じゃあ 幼少期というよりは

随分あとに やって来る
っていう事なんですか?

そうですね。 もう 全然
女優さんには興味がなくて…。

へえ~。
それで あの…

お医者様になりたかったんですね。
ええ。

それで 中学の時に

家の近くに ちょっと
精神を病んだ方がいらして

それで
みんなに冷やかされてて…。

そして このお方の病気を
治してあげられるような

お医者さんになりたいなって

中学生の時に
そう思ったんですね。

それから 猛勉強を始めまして

もう 夏休みも
1日も休んでないです。

あっ そうですか。
ええ。 ねじり鉢巻きして…。

あっ まさに こんなになって?
ホント ええ。

元々
お勉強 お好きだったんですか?

割と好きでしたね。

じゃあ 成績も
まあ 割と いい方でっていう…。

うーん… まあまあですね。

あっ そうですか。
はい。

それで お医者様を目指して
やってたんですけれど

ちょっと 原因不明の病気に
なってしまって

それで
1年 留年しまして…。

まあ それで 辞めて

ぼんやりして
目標を失ってる時に

父の知り合いの方が

ちょうど NHKにいらして

それで
『バス通り裏』という番組に

「本当の高校生を探してるんだけど
出てみないか?」

って言われまして

それで出演したのが
初めてなんですけれど…。

そのお声が掛かった時
っていうのは

正直 どういう
お気持ちだったんでしょう?

うーん… 「やってみようかな」

っていう感じぐらいの
軽い気持ちで…。

7時15分から 夕方のね。
ええ ええ。

なので 学校のかばんを持って

学校から直行で
スタジオに行ってまして

それで
本番を終えて帰ってました。

それまで 全く お芝居も…
何もやった事は

なかったわけですよね?
ないです 全然。

で 生放送のテレビドラマに…。

ええ。
どんな感じだったんでしょう?

いやあ もうね 最初の本番の時は
上がっちゃって…。

それで コップで

こう 水を飲むだけのシーンが
あったんですけど

そのコップの手が震えちゃって

口元に どうしても行かなくて
耳に行っちゃって…。

ハハハ…。
うわ~。

どうしても ここへ来ないで
耳に行っちゃって

それで カメラの方が
パーッと逃げてくださって

それを映さないで
くださったんですけれど…。

とっさに こう 違う所を撮って…。
とっさに。 ええ ええ。

生放送ですから。
ええ そうです。

でも こう行くのは…
こうなっちゃうっていうのは

ものすごい
緊張感 伝わってきました。

すごい緊張感だったんですね。

全く
やった事なかったんですもんね。

そうです。

でも まさか たまたま

こういうきっかけでやった
お芝居が

今に繋がってるって…。
ええ。

わからないもんですね 人生。

ホントですね。
まさかと思いますね 自分でもね。

〈1960年には

成城大学に進むと
同時に

松竹に入社〉

〈当時の松竹は
原節子 岸惠子

田中絹代などを擁する

まさに
女優王国だった〉

〈岩下と同期の

倍賞千恵子 鰐淵晴子は

「松竹三人娘」と名付けられる〉

〈早くも 翌年

主演映画 『あの波の果てまで』が
大ヒット〉

〈一躍 清純派女優のトップに
躍り出る〉

本格的に女優の道に入っていった
っていうのは

どういう経緯だったんですか?

『バス通り裏』をやって

それで 松竹の木下惠介監督が

それをご覧になってて

「松竹に
いらっしゃいませんか?」と

声を掛けてくださって。

それで 松竹と大学と一緒に

入学し 入社をしたんです。

ただ もう
松竹は忙しくなっちゃって

それで もう 大学も

中退になっちゃったんですけどね
結局は。

割と こう
じゃあ 流れにのっていこうかな

っていうようなところが
あったりするんですか?

そうですね。 あんまり こう

自分の意思を強く持ってっていう
あれではなかったですね 当時は。

だから のんべんだらりと…。
ハハッ。

こう 与えられたスケジュールを
ただ こなしていくと…。

ただ それに対しては…

まあ
それに関しては一生懸命やる

というスタンスだったですね。

与えられたスケジュールって
言いましてもですよ

相当過密だったっていうお話も
聞きます。

そうです。 年間 軽く10本は
映画やってましたから。

映画をですか!?
ええ。

今じゃ考えられないですね。
そうですね。

13本の年もありましたね。

だから 3冊ぐらい
いつも 台本を持って…。

もう 睡眠時間 4~5時間。

ええ。

当時の松竹って
どんな感じだったんですか?

いやあ もう
ホントに女優王国でね

素晴らしい女優さんが
いっぱい いらして

もう…。 ハハハハ…。

そこに入った当時っていうのは
どんな感じでした?

全く 右も左もわからないって…。

いやあ
とにかくね 先輩の女優さんに

ご挨拶をね しなくちゃいけない
っていう意識があって…。

私 ど近眼なんですよ。

ど近眼?
ど近眼で。

目が そんなによくなかった?
視力が。

もう 2メートルぐらい離れると

どなたか
わかんなくなっちゃうような

ど近眼だったんです。
…なもんですから

ご挨拶をとにかく 忘れ…

し損なっちゃいけないっていう
緊張感が すごくありまして…。

挨拶 大事ですね。
ええ。 ですから もう

すれ違う人 すれ違う人に

「おはようございます」
「おはようございます」

やってたんですよ 新人の頃は。
ですよね。

そしたら ある先輩女優さんが

1日のうちに3回
衣装替えをなさいまして

衣装が3回 替わられたんですよ。

3回 1日に ご挨拶しちゃって

「3度目よ」なんて言われて…。

ハハハハ…。
ハハハハ…。

〈デビューから2年〉

〈撮影所で
忘れ得ぬ出会いが待っていた〉

〈あの巨匠監督 小津安二郎〉

〈小津の遺作 『秋刀魚の味』で
ヒロインに抜擢される〉

〈妻に先立たれた父親に 笠智衆〉

〈岩下は
父や弟を支える娘を演じた〉

名作と言われる そして
時代を代表する作品にも

どんどんお出になっていく。
『秋刀魚の味』という…。

はい そうです。
この時のお話も教えてください。

そうですね。 小津先生はね

クセとかテクニックが
お嫌いでね

ホントに もう
なんていうんでしょう…

お人形さんみたいになって
白紙になって

先生が その役柄に色を塗る
っていうんでしょうかね。

そのような演技指導なんですよ。

で それが
自然体でなくちゃいけないし

小津先生のリズムに
合ってなくてはいけないので

もう テストが最低…

私なんかは
50回は テストがありましたね。

50回!?
ええ。

50回やって
初めてカメラを回すんですか?

そうです。

ご… 50回…。
はい。

それで 一度なんかは もう
失恋したシーンで

巻き尺を

右に2回 回して
左に2回半 回して

また右に3回 回して
左に2回 回して

ポロリと落として
じっと考え込むっていうね。

セリフが なんにもない
失恋したシーンなんですけど

それは

フフフフッ。
100回!?

ええ。 なんで こんなのが
できないんだろうと思って

もう 家へ帰って
落ち込みましたけれど。

やっぱり 小津先生のリズムに
合ってないのと

やっぱり 私が どこかで

2回 3回 2回半とか こう…

なんか こう 段取りに
なってたんでしょうね。 ええ。

で 先生は 自然体がお好きだから

こう 自然になるのを

お待ちになってたんだと
思うんですよ。

そういった演技指導
あるいは撮影手法

それ 岩下さんからすると

どんなものだっていうふうに
感じました?

やっぱりね 終わってからね

そこの
失恋の巻き尺のシーンを見て

とっても悲しみが出てるのね。
変に声に…

泣いたり それから わめいたり
しゃべったりするよりは

無言で巻き尺を
こうやってるだけで

悲しみが出てて。

それで やっぱり 小津先生の演出
って すごいんだなって

試写を見て思いましたね。

それと 先生が

「人間の感情っていうのは
そんなに単純じゃないよ」と。

そうおっしゃったんですね。

多分 私は失恋したっていう事で

悲しい顔をしてたんじゃないかと
思うんですよ。

だから その言葉っていうのは

ものすごく それ以後の私の
演技の原点になりましたし…。

大変 小津先生には
勉強させて頂きました。

〈だが
仕事が波にのり始めた時期に

周囲をあっと言わせた〉

〈社内の反対を押し切って

同じ松竹の監督

篠田正浩と結婚したのだ〉

ここで 岩下さん
人生の転機がやって来ます。

ご結婚という…。
はい。

これは どういう
なれ初めだったんですか?

えっとですね 1回目に

その『乾いた湖』やりましたけれど

それから 3本ぐらい
篠田の作品に主演してまして

その頃は お茶も飲みに行った事
なかったんですけど

司馬遼太郎さんの『暗殺』
っていう映画を

京都で撮る事になって

京都のスタッフが多いですから
東京から行った人 少なくて

夜 2人…

5時に 大体 撮影終わると
2人になる事が多かったんですね。

それで お食事でも行きましょうか
っていう事になって。

で 私 当時
すごくお酒を飲んだんで…。

2人で2升!?
ハハッ。 はい。

岩下さん
元々 お酒 お強いんですか?

私 当時 すごい飲みました。

あら~。
ウフフッ。

芸能界は 結構 お酒の横綱がね
誰々とかあったんですが

私 大関ぐらいに
いつも名前がありました。

(2人の笑い)

そうですか。 でも
よほど盛り上がったんでしょうね。

そうですね。 きっと…

随分 長くいた記憶が
ありますから。

すごい情熱的に
映画の事を色々話すじゃない?

それが すごく自分の勉強になって
ためになって

なんか
楽しかった記憶はあるんですね。

でも あの… 結婚のきっかけは
打ち上げなんですけどね。

マンボが 当時
流行ってたんですね ダンスの。

それで ちょうど まあ

私と篠田がマンボを
踊るタイミングになりまして

マンボ踊ってる時に
篠田の顔を見てたら

ああ 私 この人と結婚するなと
思ったんですよ。

はい。

ええ。 それで

…って言ってしまったんです。

そしたら 篠田がビックリして

足止めて
お席に戻っちゃったんですね。

で 私 当時 清純派でしたから

とんでもない清純派がいると
思ったらしいんですけれど。

でしょうね。 まさか そのセリフ
出てくると思いませんもんね。

そう。 私もね 愛してるとか
この人といたいとか

そういう気持ちが
あったわけでもないのに

突然 言ってしまったんですね。

で それが きっかけで

だから お付き合いが
始まったんです。 ハハハハッ。

なんですか?
その時のひらめきというか…。

なんかね 私の直感っていうのか

なんか結婚すると思ったんですね。
思い込んだんです。

監督 ビックリしたでしょうね。

ええ ビックリして ホントに
不良少女と思ったみたいです。

不良少女…。 そのギャップがね。
ええ。

そこから 程なくして
ご結婚って事になったんですか?

そうですね。 大体2年ぐらい
お付き合いしたのかな。

それから結婚しましたけれど。
あっ そうですか。

そうしますと
押しも押されもせぬ

今を時めく映画女優ですよ。
ええ。

それで結婚となると それは また
センセーショナルな…。

そうですね。
当時は 結婚 即引退ですからね。

あっ やっぱり そうですか。
ええ。

今みたいにね 結婚して離婚して
子供つくってって

そんな時代ではありませんので

ホントに反対が すごくて。

それで 松竹の方も
台本 こんなにいっぱい持って

「こんなに作品を用意してるのに

あなたは
なんで1人の男の所有物に

なろうとしてるんですか?」って
言って

家に 毎日のように色んな方が

入れ代わり立ち代わり
みえましたけれど。

そりゃ 説得されますよね。

「じゃあ やめます。 もうちょっと
延ばします」とかって

普通だったらなりますけど
ならなかったんですか?

それがね なんか
あんまり反対されるんで

ダメだったら 私は女優として

元々ダメなんじゃないかなと
思っちゃったんですね。

意地っ張りなのかしら。
なんでしょうね…。

それで まあ 篠田も…。

っていうふうに
言ってくれたので

私も そうだと思って
結婚に踏み切りました。 はい。

押し切ったんですね。
そうですね。

周囲の反対を…。
はい 押し切りましたね。

まあ これは もう
愚かな質問ですけども

その時に決めて 結婚して
よかったですか?

そりゃ もう
その時 結婚しなければ

私 きっと独身でしたね 今も。

ええ。 多分 結婚する相手には
出会えなかったと思います。

やはり 女優っていうのは

どうしても こう
色んな事がありますから

それを
受け止めてくれる人じゃないと

女優は務まりませんから。

そういった意味で
監督さんっていうのは

わかってくれてますからね。

もう 私 普通の職業の方だったら
3日で追い出されてますね。

どうしてですか?

例えば 役を持ってきちゃうんです
私の場合は 家へ。

だから 明るい役だと
明るくなるんですけど

沈んだ役だと
沈んだまんま家へ帰るし

なんか 怖い役やってると
怖いまんま家へ帰るんで。

ハハッ。
だから 素人のご主人だと

それを受け止められなかったと
思うんですよね。

篠田の場合は
「ああ あの役やってるから

今 これだな」みたいな
わかると思うんですよ。

だから あの…

すごく大目に
見てもらえたんじゃないかなと

思うんですけどね。

〈もう女優を辞めようか〉

〈たった一度だけ
そこまで思い詰めた事があった〉

〈1967年 女優 岩下志麻は

夫 篠田正浩と共に

映画制作の独立プロダクションを
設立する〉

〈『心中天網島』は

篠田が才能を遺憾なく発揮した
野心作〉

治兵衛さん
これで20と9つ。

お前は 私に愛想尽かす気かえ?

お前こそ 約束の身請けもできん
この治兵衛に…。

知らん 知らん。
お前のために お前のために…。

なあ 治兵衛さん。

〈作品は高く評価される〉

〈制作費こそ わずかだったが

チケットの手売りも含め

映画作りの楽しさに
魅了されたそうだ〉

♬~

〈一人娘に恵まれた時 32歳〉

〈女優を辞めようか…

そう思い詰めたのは
この時期の事だった〉

ご自身にとって 今 振り返ると

ご出産というのは 改めて
どんなものだったんでしょう?

やっぱり 子供を産んだ事は
私の人生の中で

最高の喜びですね。 ええ。

やはり
産んでおいてよかったと思います。

一方で 大変忙しい時期でも
あったんじゃないのかな

というふうに思うんですけれども
女優として。

ですからね 子育てがね
やはり 人任せになりましたんで

その時期で
例えば 子供が はいはいしたり

たっちし始めたりすると

もう 離れがたくなるんですよね。

でも それを振り切って
仕事行ってましたから

その当時は ホントに もう

子供をこんなに犠牲にして
私は仕事していいのかなって

悩んだ時期が随分ありますね。

どうされてたんですか?
その感情を。

そうですね もう
イライラ イライラしてましたけれど。

篠田がね 私が女優を辞めるか

あるいは もっと
子供のそばにいてあげる職業にね

私 転職したいって
言ったんですよ。

そしたら お前から女優を取って
何が残るのと。

フフッ。
なんにも残らないじゃないって。

って すごく断言してくれて

それが私は
ものすごく励みになって

今までやってきたんだから
続けようっていう決意が

新たになりましたね。

〈1977年 夫とのタッグで

岩下は またしても
傑作を世に送り出す〉

〈盲目の旅芸人を描いた
『はなれ瞽女おりん』〉

♬~「またも涙の顔上げて」

〈おきてを破って
男と関係を持ち

一座を追放された瞽女 おりんは

原田芳雄演じる脱走兵と出会い
2人で さすらいの旅を始める〉

おみゃあさ なんで おらの体
抱きなさらんのじゃ。

いつこだいらで会うた時も

ゆうべ 井崎屋でも

一緒に寝ていて なんでや?

なんぞ 訳がありなさるのかや?

おりんでごぜえます。

お母様?

〈俳優にとって
目は演技の要と言っていい〉

〈だが 岩下は
盲目の瞽女を演じて

見る者の心を揺さぶり…〉

を手にする〉

〈この時 36歳だった〉

この作品のお話を
ぜひ聞かせて頂きたいんです。

はい。 これはね 私…。

その暗闇に慣れる事が
まず大事だと思って

もう 目をつむって
顔を洗ったり お化粧したり

廊下歩いたり
自分の部屋で何かやったり

洋服 着替えたりとか。

それで暗闇に慣れる事から
まず始めました。

目が見えないという役ですから…。
ええ そうです。

大変 ご自身が
不得意とするところから

まずは克服という。
そうですね。

それで お三味線が…
旅芸人ですから

お三味線が
うまくなくちゃいけないので

お三味線の稽古も

ちょうど準備期間が
結構ありましたので

お三味線の稽古をしたり。

それから あと 瞽女さんに
3人… お会いしに行って。

まだ生存してらしたので。 ええ。

そしたら 私たちが着いたらば

瞽女さんが目が見えないのに

ダダダダ ダダダダッと
階段を下りてきて

夜8時ぐらいだったんですけど

私たちのために 電気をパチッと
つけてくださったんですよ。

で ああ 目が見えないって
こういう事なんだって

人様のために
電気をつけるんだって思って。

目が見えないっていう事を

その時 すごい実感しまして。

瞽女さんに色々と
笠のかぶり方とか

それから 三味線の持ち方とか

色んな事を伺って

随分 参考になりましたね。

それから 盲学校に行って。

それで 目が見えない方が
100人ぐらいいらっしゃる講堂で

目の見えない方たちを見てたら

涙がボロボロ出てきちゃって。

私 自分が近眼ですから

目に対して
すごい敏感なんですよ。

それで もう 涙が止まらなく
なっちゃったんですけど。

校長先生が
ここの端から向こうの端まで

目隠しして とにかく
歩いてくださいと言われて

それで その人たちの間を縫って

講堂の端から端まで

目隠しして 杖をついて
歩いたんですよ。

そしたら どうしても

何度やっても
左へ行っちゃうんです 私は。

もう 最後に目隠しを取ると

左の角にいるんですよ。
はあ~。

それで
「どうしてですか?」って言ったら

人間っていうのは

耳がよく聞こえる…
目が見えないと

耳がよく聞こえる方に
行っちゃうんだそうです。

それで 私は

芝居の中で
何か人がセリフを言った時に

聞こえる方の耳を
ふっと出してから

セリフを言うとかね。

そういうのに
応用させて頂きましたけれど。

役作りの上では
すごく参考になりましたね。

そして 共演された
原田芳雄さん。

お二人のコンビネーション
っていうのは また これは

映画の見どころの一つでした。

そうですね。
原田さんがよかったですね。

私 当時は
知らなかったんですけれど

お亡くなりになる2年ぐらい前に
テレビに出て

『はなれ瞽女おりん』の時に

自分はね 岩下さんが盲目だから

見えちゃいけない存在だと。
はいはい。

だから 岩下さんが

なるべく僕を見ないようにしてた
という事で

撮影現場でね

ほとんど原田さんの姿が
今思うと見えなかったんですよ。

あっ! あえて
視界に入らないように。

ええ 入らないようになさってた。

で もう その話聞いて
感激しちゃって。 ええ。

もう そこまで気を使って
くださってたんだわと思って

私ね 原田さん…
今日も原田さんいないと思って

原田さん 私の事嫌いなのかしら
なんて思ってたんですよ。

そしたら 盲目の私の

いわゆる
おりんさんの気持ちを察して

もう 姿を
いつも隠してくださってたのね。

だから ホントに
優しい方だなと思って。

フフッ。 ホントに涙が出ました。

〈その後 岩下は

映画 『極道の妻たち』で
新境地を開く〉

〈1986年に公開されると
大ヒット〉

〈シリーズ化されて
以後8作まで制作され

『極妻』は
岩下の代名詞となった〉

多くの皆さんは
やはり岩下さんを

『極妻』
こちらで主演されたっていう

イメージをお持ちになってる方
多いと思います。

『極道の妻たち』。
はい。

最初に来た時は
どう思いました?

そうですね。
それまで篠田の作品も

それから松竹の作品も

あの~ 全然 そういう感じの
作品じゃなかったんでね。

ちょっと 最初は躊躇しましたね。

入れ墨もしなきゃなんないし
ピストルも撃たなきゃなんないし

今まで
経験した事のない役なんでね。

それで
篠田たちとみんなで ある時

伊豆に海水浴に行ったんですよ。
ええ。

そうしたらば 隣のテントが
ちょうど本物さんたちの

一家の…
ちょうど あのグループで。

みんな…
5~6人の方が入れ墨して

それで
「お前 あの役をやるんだよ」って

篠田に言われて。

私 「あら~ できるかしら」と
思って。

フフッ…。 とても その時ね

すごく衝撃的だったんで
色んな 入れ墨のね 格好が。

だから
ちょっと心配だったんですけどね。

まあ 監督が
五社英雄監督だったんですよね。

それで 「大丈夫だ」と。

「僕に任せなさい」と。

もう 今までに出なかった
粋とあだっぽさをね

この映画で出してあげるって
言われまして。

ついに 「やろう」というふうに
決心しました。

かっこよかったですね~。
そうですか… どうも。

いや~…。

でも… まあ 当たり前ですけど

その役作りっていったって

どこから手をつけようか
っていう事じゃないですか。

そうなんですよ。 ええ。

それでプロデューサーに

極妻さんの家にね 3日間
住まわせてほしいと頼んだら

とんでもない! って怒られて。
ハハハ…。

それで それはできなくて

岩下志麻の極妻でいいんだ
という事で

私が まあ ヘアスタイルから

着物の着付けから
歩き方は外股でとか

もう 全部 そういう…

いわゆる極妻像を作って。

あまりにも有名なセリフが…。
ああ…。

「覚悟しいや」ですね。
ああ~ それですよ~。

それですよ。
ええ ええ。

「あんたら」…。
「あんたら 覚悟しいや」です。

うわ~ それだ!
ああ そうです。

もっと低い声ですけどね。
カメラに向かって言ってください。

いやいやいや…
ちょっと恥ずかしいですよ。

よかったら 1回 カメラに…。
ええ? 1回?

ええ~ どうしましょう。
3 2 1 キューで

いきましょうか 私が。
3 2 1…。

ちょっとね やっぱりね
着物の着方とかね

立ち方とか 色々あるんですよ。

やっぱり そっか。
だから…。

ちょっと こう 後ろにね
襟を 奥襟でって…。

外股で こういうふうに立って
やらないとね なかなか…

あの声が出ないんですね。
ああ そうですか。

これは やっぱり
全部1つなんですね? こう。

そうですね。
まず 立ち方がすごい大事ですね。

どうやって立つんですか?
えっ? 立つ時ですか?

立つ時は もう こうなりますね。

こうなりますね。
うわ~。

こう… もう 外股で。

右足 前 ちょっと外股で…。

「あんたら」って こうなります。
うわ。

あっ ちょっと反ってますか?
この背中は。

そうですね。
ちょっと 上から こう…

上目線で こう…
上から ものを言うみたいなね。

うわ~ ちょっと 手の置き位置。

ハハハハ…。
素敵~。

それは… 本物以上っていうか…。

いやいや。
いや~ ありがとうございます。

〈撮影中は
役になりきる岩下の事

愉快なエピソードには
事欠かない〉

撮影現場を離れて
お家に帰っても

役から なかなか
離れられないんだっていう

お話をされてましたけども

この時はどうだったんですか?

この時はね 京都のホテルで
ずっと生活だったんですね

京都の撮影所だから。
はい。

だから 京都のホテルで
随分 失敗しましたね。

もう 台本読んでて
電話がかかってきて。

それで… 台本 ちょうど
読んでる時に電話がかかってきて

ふっと受けて。
「わてや」ってやって…。

(2人)アハハハ!

ホントにやっちゃったんですか?
やっちゃいました。

で 何 言ってんのよ! なんて
お友達に言われて

あっ いけない なんて思ったり。
フフフフ…。

怖… どこの怖い家に
電話かけたのかと思いますよね。

それから もう
家の近所に あの…

パトカーが巡回してて

「危険人物が入りましたから

皆さん 戸締まり
気を付けてください」って

珍しいんですけど。
で その時に

「わてがいるから大丈夫や」って
まあ お手伝いさんにね…

フフフフ…。
言ってしまったりして。

お家にいるだけなのに?
ハハハハ…。

でも なんか
こっちも安心しちゃいますよね。

なんか 大丈夫なんじゃないかな
みたいな…。

いやいや。 「何 言ってんですか
奥様」って言われました。

ハハハハ!
なんか でも やっぱり

あれだけのですよ?
手下の方とかも従えてですね

位の高い組の… 組長の
奥さんなわけじゃないですか。

実生活でも なんか こう

影響力 行使できるんじゃないか
みたいな…。

たま~に東京へ帰るんですけど
新幹線の中で

よく本物さんに
ご挨拶されました。

フフフフ…。
はい…。

本物の方に? 筋の方に。
ええ。 ご挨拶されましたね。

あれ? 存じ上げてる方かな?
と思うと

よく見ると 隣に

同じような着物を着た女性が
乗ってたりするんですよ。

同じヘアスタイルで。

で 「あっ これが本物さんだ」
と思って。

私も 丁重に挨拶をして…。

あの~ フフフッ。
…事が何度かありますね。

いまだにね もう

LINEのスタンプになったりね
色々… 色々してますから。

ホントに皆さんね

覚えててくださるんだなと思って
嬉しいですね。

〈去年 岩下志麻は

一人のカメラマンとの
コラボレーションで

写真集を出した〉

〈撮影した下村一喜は

美しい女優を
より輝かせる事で定評がある〉

〈下村いわく
岩下は 孤高の美女だそうだ〉

♬~

ああ 素晴らしい写真 どれも…。

そう。 下村さんはね ホントにね

技術がおありになるからね

もう ホントに
魔法をかけたようにね

きれいに撮ってくださるの。

もう ビックリしちゃうの。

もうポーズのつけ方もね
独特ですし

現場の雰囲気の作り方も
お上手だし

とにかく 美を
追求なさってらっしゃる方なので。

おすすめのといいますか

ご自身のお気に入りの写真
もし おありになったら…。

もう どれも もちろん…。
私 あの

下村さんの写真は
みんな好きなんですけど

これなんかは
結構 オシャレっぽくて。

ちょっと じゃあ見せて頂いて…。
好きですね これ。

これですか? こちらの。
ええ。

どういったところが
ポイントになりますか?

これは なんか この白と

それから洋服の焦げ茶の
バランスがすごく良くて

なんか下村さんっぽいなあと
思って。

これは 今の寄りですね。

いい表情されてますね また。
そうですか。

表情をね やはり
すごく 作るのがお上手ですね。

それは
ちょっと『極妻』っぽいでしょ?

そう。 『極妻』っぽいですね。
ええ。 これは 『極妻』っぽく

ヘアも着物の着付けも
『極妻』っぽくしたんですけどね。

この若さと美を保つ秘訣
っていうのを…。

まあ
規則正しく生活はしてますね。

で 3食きちんと食べて。

で 朝起きると
結構 屈伸運動きちんとして。

ええ。 それで洗顔してからは
ストレッチ体操をして。

うん。
で 週1で太極拳に行って。

ええ 太極拳やって
体幹を鍛えるっていいますか

姿勢が良くなりますよね あれね。
はあ~。

食べ物は もう お好きなものを
召し上がるっていう感じですか?

そうですね。 ええ。

何がお好きなんですか?

トマトが一年中… 大好きで

一年中食べてます。
ああ そうですか。

それと 夜は必ず お豆腐と
それから もずく。

お豆腐は たんぱく質があって
いいっていうし

それから もずくは
髪の毛にいいっていうから

もずくも食べてますね。

いいますもんね。
ええ。

海藻類は。

今は 休日は
お孫さんと過ごされるのが

大変楽しみだというふうに
伺っていますけれど。

いや~ この頃はね…。

前はね 休日 孫とね

トランプやったり
オセロをやったり。

それから
ダイヤモンドゲームをやったり

え~ 将棋やったり
色々して遊んだんですけど

もう 最近は
孫もおっきくなってしまったんで

あんまり相手にしてくれなくて。
あららら…。

フフフフ…。
そうですか。

たまに みんなで
お食事に行くぐらいですね。

〈岩下には 今

ぜひとも
挑んでみたい役があるらしい〉

これから これを
やってみたいんだっていうふうに

思ってるような事
ございますか?

そうですね。 あの…

グロリア・スワンソンのやりました
『サンセット大通り』。

あれの日本版をね

ぜひ やりたいなと
思って…。

何年も前から もう
脚本にして頂く

準備は
してるんですけれど。

なぜ 『サンセット大通り』が
やりたいんでしょう?

やっぱりね あの~ なんか…。

っていう感じがするんですね
あれね。

アメリカの…。
そうですね。

映画の黄金時代…。
黄金時代。

無声時代にね
大活躍した女優さんが

名を忘れ…

名前も
もう忘れられつつあるのに

執事がいて。 執事が

まるで 今でも大スターのように
その人を扱って。

ファンレターが
いっぱい来ましたよって言って

自分で書いて ファンレターを。
彼女に渡して。

彼女は その錯覚の中で

自分は
まだ大女優であるというふうに

思い込んで
生きてるわけですよね。

ある種
もう狂気だと思うんですね。

その狂気の部分っていうのに
すごくひかれましたね。

なかなかドラマチックな作品を
お選びになりましたね。

ドラマチックですよね すごくね。
ええ。

基本的に 私は
普通の女の人の役よりは

ちょっとエキセントリックな
女性の役の方が好きなので。

はい。

それは見てみたいですね~。
はい。 ぜひ もう 一本

その映画を ぜひやって…
やりたいと思ってます。

燃焼させたいと思ってます。

燃焼… もう まあね。
はい。

お話を聞かれてた皆さん
わかると思うんですけれども

ホントにお優しい。

そして とっても
なんといいますか 可憐な…。

あのドスの利いた声とは
また 全く違うね

かわいらしい一面…
といったら失礼ですけれども

触れた気がして… はい。

とても素敵な時間を
頂いたと思います。

〈女優 岩下志麻が
ずっと大切にしてきた言葉〉

「愛は 愛を生む」です。

人間には
愛というのは必ず必要で

例えば夫婦愛であったり

隣人愛であったり
友人愛であったり

色んな愛の形があると
思うんですけれども

やっぱり人を愛する事によって

その方からも愛を頂ける。

やはり 愛がなければ

人間は生きていかれないと
思います。

愛は大切なものだと思います。

〈不安と混迷の
今だからこそ

そのシンプルさが
心に響く〉


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