歴史秘話ヒストリア「激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉」世界を揺るがせた中国の辛亥革命。それを陰で…


出典:『歴史秘話ヒストリア「激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉」[字]


世界を揺るがせた中国の辛亥革命。それを陰で支えた日本人がいた。伝説の実業家・梅屋庄吉の挑戦。不屈の革命家・孫文との知られざる友情の物語が秘蔵資料からよみがえる。


番組内容

中国史上初めて、皇帝の支配に終止符を打った辛亥革命。この歴史的大事件の陰で奔走した日本人がいた。長崎生まれの実業家・梅屋庄吉。秘蔵の日記から、革命家・孫文との運命的な出会いと熱い友情のドラマが浮かび上がってきた。最先端メディアだった映画でヒットを連発し、革命資金を稼ぐ梅屋の挑戦。度重なる武装蜂起の失敗にめげることなく、不屈の決意で清王朝に挑む孫文の苦闘。固い絆で結ばれたふたりを待ち受ける運命とは?

出演者

【キャスター】渡邊佐和子


『歴史秘話ヒストリア「激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

歴史秘話ヒストリア「激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉」
  1. 孫文
  2. 庄吉
  3. 革命
  4. 中国
  5. 当時
  6. 二人
  7. 長崎
  8. 日本
  9. 武装蜂起
  10. アジア
  11. 映画
  12. 香港
  13. 撮影
  14. 支援
  15. 梅屋庄吉
  16. フィルム
  17. 映像
  18. 皇帝
  19. 時代
  20. 出会


『歴史秘話ヒストリア「激闘!中国革命に賭けた日本人 孫文と梅屋庄吉」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、以下バナーから各社のラインナップを調べてみるのもいいかもしれませんね。


AbemaTV




↓NHK 関連商品

悠久の歴史を誇る 中国。

2, 000年にわたり

歴代の皇帝が 君臨してきました。

(砲声)

ところが およそ110年前

世界を揺るがす大事件が起こります。

皇帝による政治を
打倒しました。

中国で初めて 民衆が主役となる
共和国が生まれたのです。

実は この革命を
陰で支え続けた日本人がいました。

♬~

その名は…

アジアを舞台に
さまざまなビジネスに挑んだ…

人生を懸けた大事業を
探し求めていた男は

一人の革命家と
運命の出会いを果たします。

壮大すぎる夢から 付いたあだ名は…

何度 失敗しても
くじけることがなかった

不屈の英雄です。

今回 特別に撮影を許された…

そこから 二人の絆が
浮かび上がってきました。

孫文への 総額10億円とも言われる…

なぜ 異国の革命のため
財産を なげうったのか。

庄吉が
莫大な資金を調達できた秘密。

カギを握るのは

当時
最先端のメディアだった
映画でした。

いらっしゃいませ~!
ありがとうございます。

大ヒットを生む
テーマを探して…

たどりついたのは この世の果て…

大冒険の結末は…。

自由で平等な社会を目指し
武装蜂起に打って出た 孫文。

(砲声)

次々と押し寄せる危機。

激動の時代
二人を待ち受けていた運命とは…。

革命に夢を託した 男たちの物語です。

♬~

♬~

祭りを彩る
中国風の音楽。

舞い踊る龍。

まるで 異世界に迷い込んだかのような
光景です。

ここは 今日の主人公・梅屋庄吉が
生まれ育った長崎。

アジアの異国情緒があふれる港町です。

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

長崎の有名な食べ物といえば

こちらの 長崎ちゃんぽん。

実は このちゃんぽん

明治時代 中国からやって来た
留学生のために

考案されたと言われています。

この街は 食文化をはじめとした
アジアの異文化が色濃く残っています。

長崎に生まれた庄吉が

なぜ 中国の革命に
身を投じたのか。

そこには
革命のリーダー・孫文との

出会いがありました。

今から 120年前 アジア屈指の
国際都市だった香港から

物語は始まります。

舞台は 町の一角にあった写真館です。

当時 写真は高級品。

香港の富裕層が
こぞって撮影に訪れていました。

ここを経営していたのが 梅屋庄吉。
当時26歳です。

では 撮りますね。

実は この男 飛行機もない時代に

アジア各地を飛び回った
ベンチャー起業家でした。

18歳で 朝鮮半島に米を輸出。

続いて 九州の鉱山を経営。

かと思えば
今度は東南アジアで

ゴムの木の農園を計画します。

活動拠点を香港に移すと

流行の兆しを見せていた
写真ビジネスに 目をつけました。

(シャッター音)

ありがとうございました。

仕事柄 政界や財界の要人とも
つきあいがあった庄吉は

現地で 名の知れた日本人でした。

その時 人生を一変させる出会いが
訪れます。

(ドアが開く音)

いらっしゃいませ。

当時の中国ではありふれた
弁髪姿の男性。

その正体は…

突然現れた孫文が 口にしたのは

驚くべき 企てでした。

実は私は 清王朝を倒すべく
動いています。

清王朝を倒す?

はい そうです。

清王朝は 250年以上の長きにわたり
中国を治めていました。

皇帝の権威は 絶大。

しかし 次第に政治が乱れ

ヨーロッパ列強の脅威に
さらされるようになります。

(砲声)

きっかけは アヘン戦争で
イギリス軍に大敗北を喫したことでした。

香港など 一部の地域が植民地となり
列強が支配者となります。

この時 いわれのない
差別を受けたのが 中国人でした。

香港で青春時代を過ごした 孫文。

祖国を救うためには 政治を
根本から変えなければならないと考え

革命を志しました。

清王朝の支配があるかぎり
この状況は 変わりません!

この国には 新しい
民衆による政府が必要です。

何としても
革命を実現させなければなりません!

庄吉には 孫文の言葉を
ひと事とは思えない事情がありました。

生まれる15年前
日本に 黒船が来航。

アメリカの圧倒的な軍事力を前に
開国を 余儀なくされました。

日本も 中国と同じく

欧米列強の脅威に
さらされていたのです。

日本と中国が 力を合わせれば

アジアの独立と平和を
守れるのではないか。

庄吉は決断します。

孫文の革命を
全力で支援すると誓ったのです。

当時は…

梅屋庄吉は
どうやって孫文を支えたのか。

ひ孫の 小坂文乃さんのもとに

手がかりが残されていました。

孫文との関わりを
一切 口外してはいけないという

庄吉の遺言によって
秘蔵されてきた遺品。

革命の熱気を伝える 貴重な資料です。

こちらになります。

これは 秘密の革命活動などについて
記した日記です。

(小坂)梅屋の残した日記で

ほんとに いろんなことが
メモ的に 書いてあるものでございます。

その中に こんな記述が…。

(小坂)「二千円 孫へ」。
「一万円」「五万七千円 孫へ」と

書いてあります。

1円が 現在の1, 000円ほどの価値を
持っていた時代。

この3回の
送金だけで

7, 000万円近くに
なります。

庄吉は 事業で稼いだお金を

惜しみなく
孫文の革命に つぎ込んでいました。

更に…。

孫文先生 梅屋さんからです。

おう。

どうぞ。

庄吉は
ひそかに武器を買い集め

武装蜂起を計画していた孫文に
提供していたのです。

孫文率いる 革命グループからの
武器の注文書です。

「小銃 七千挺」。

「機関銃 七門」。

「大砲 五門」。

まるで 軍隊のような装備を

庄吉は 私財をなげうって
孫文に送り届けていました。

二人の出会いから半年後。

庄吉の支援を受けた
孫文は

挙兵に向けて
動きだします。

しかし 清朝軍は

いまだに 圧倒的な軍事力を
擁していました。

まともに戦っても
勝ち目はありません。

数に劣る孫文たちがとった作戦とは…。

やはり 奇襲… でしょうか。

ああ。 広州を占領して
革命の拠点にしよう。

孫文の計画です。

まず 香港に近い
広州で挙兵。

革命の拠点を
築き

やがて 中国全土に
広げていこう
というものでした。

しかし
最初の武装蜂起は

思わぬ結末を迎えました。

仲間の裏切りで

計画が 清朝側に
漏れてしまったのです。

70人余りの同志が逮捕。

一部は処刑されました。

孫文は 労働者に変装して
広州を脱出。

命からがら 危機を逃れました。

指名手配を受けた孫文は…

革命の夢も
これで ついえたかに見えました。

しかし 庄吉は
孫文を見捨てませんでした。

(小坂)「千三百弗 孫へ」と
書いてあります。

孫文の逃亡資金として
1, 300ドル

現在の価値で400万円を
送金したと記されています。

更に…。

「その後
たくさん出金したが

詳細は記憶せず」。

覚えきれないほど
多額の資金を送っていました。

再起を目指した 孫文。

その不屈の決意を物語るエピソードが
伝えられています。

清朝によって義務づけられ

支配の象徴となっていた
弁髪を

切り落としたのです。

必ずや 革命を遂行する。

決意を新たにした孫文は

日本で 多くの仲間を得て
活動の基盤を築いていきました。

孫文と盟約を結んだ 梅屋庄吉。

戦いは まだ始まったばかりでした。

革命の理想に共感し
孫文の支援を続けた 庄吉。

ここ 長崎で
貿易商の息子として育ちました。

なぜ庄吉が 異国の革命に
人生を ささげたのか。

その手がかりが 長崎にあります。

こちらが 長崎観光に欠かせない
新地中華街。

長崎の歴史に詳しい…

国際都市・長崎で
最も身近な存在だったのが

中国の人々でした。

多くの貿易商が
移り住んでいたといいます。

実はですね…

ですから もう…

日頃から 異国の文化と
触れ合うことができる環境。

ここで 豊かな国際感覚を育みました。

興味深いものがあります。

庄吉
8歳の時の写真です。

足元は 洋風の靴。

手には 洋傘。

更に 頭には
異国風の帽子を かぶっています。

幼い頃から庄吉は

海の向こうの
新しい文化や 考え方に

触れていたんですね。

その後 庄吉は
孫文と共に

革命の ただ中に
身を投じていきます。

孫文は 最初の失敗後も

諦めることなく
武装蜂起を続けました。

しかし 強大な清朝軍を
打ち破ることはできませんでした。

香港で 写真館を
経営するかたわら

ひそかに 革命を支援していた庄吉。

その身にも 危機が迫っていました。

(庄吉)何でだ! どっからバレたんだ!

しゃべったやつがいるんですよ!

密告で 革命への協力が発覚。

逮捕命令が下ったのです。

(庄吉)急げ!

庄吉は 写真館から逃亡。

革命資金を稼ぐ拠点を
失ってしまいます。

追っ手から逃れて たどりついたのは
シンガポール。

国際貿易が盛んな
港町でした。

そこで庄吉は
起死回生のアイデアを思いつきます。

それが 映画です。

当時 映画は 発明から10年ほど。

映像を見せて お金を取るという
画期的なビジネスは

ヨーロッパで
急成長していました。

映画を アジアに輸入すれば
はやるにちがいない。

庄吉は すぐに行動しました。

いらっしゃいませ。
さあ どうぞどうぞ!

ありがとうございます!
いらっしゃいませ~!

ああ!

上映会は大評判。

事業成功の手応えを得ます。

庄吉は 日記に
次のように記しています。

映画が巨大ビジネスになることを
確信した庄吉は 日本に帰国。

映画会社をつくります。

映画で 革命の資金を稼ぐ…

客の心をつかむテーマは何か。

悩む庄吉のもとに
大きなニュースが飛び込んできます。

庄吉は
すぐに葬式の会場へ潜入。

撮影を始めました。

ところが 役人に見つかり

撮影したフィルムを渡すように
命じられます。

絶体絶命のピンチ!

ここで
庄吉は ひらめきます。

とっさに 別のフィルムに
すり替え

撮影したフィルムを 守ったのです。

まだ テレビのない時代

映像でニュースを伝えるという
新しい試みに

多くの観客が詰めかけました。

一方 亡命生活を送る孫文。

国際世論を 味方につけるため
力を入れたのが…

東南アジアに ヨーロッパ
そしてアメリカ。

世界中を飛び回り
革命の意義を伝えました。

「大ぼら吹き」と呼ばれた 孫文。

壮大な夢と
巧みな演説を武器に

聴衆の心に訴えます。

列強の支配から脱却し
東洋に 平和をもたらそうと思えば

必ず 従来の政府に代わる
進歩的新政府を

建設しなければなりません。

そのために
あなた方の力が必要なのです!

(拍手)

こうして 革命への支持を集めた孫文は

強大な清朝軍に
再度 戦いを挑みます。

革命派は 武装蜂起を11回も繰り返し

規模を 徐々に広げていきます。

戦えば戦うほど 多く必要となる資金。

庄吉は 何としても

映画事業で ヒット作品を作りたいと
考えていました。

たどりついたのは この世の果て。

南極の大自然です。

探検家・白瀬 矗 率いる
南極調査隊。

日本初の大冒険に
自らも出資し

独占密着することに
なったのです。

庄吉は
盛大な壮行会を開いて

腕利きのカメラマンを
送り出しました。

しかし 待ち受けていたのは
氷点下20度の極寒の大地。

崩れ落ちる 氷の壁。

視界を遮る 激しい吹雪。

時には 氷の裂け目に
足を取られながらも

撮影を続けました。

この南極探検を収めた
貴重なフィルムが

国立映画アーカイブに
保管されています。

5年前 傷ついたフィルムが
デジタル技術で復元されました。

この映画は 日本最古の
長編ドキュメンタリーです。

ペンギンやアザラシといった
日本人には珍しい動物。

人間の背丈を はるかに超える氷の壁。

そして 何より目を引いたのは

命懸けで冒険に挑む隊員たちの

勇敢な姿でした。

南極探検の映像を 一目見ようと

劇場には
多くの観客が 詰めかけました。

一般公開する時に…

更なる革命資金を得ようと
事業を広げる 梅屋庄吉。

皇帝の支配を打ち砕くため
武装蜂起を続ける 孫文。

二人の運命の瞬間は
刻一刻と近づいていました。

こちらは 当時

中国から移り住んだ商人たちの
集会所となっていた場所です。

雰囲気がありますよねえ。

そして ここには

孫文も 実際に訪れたことがあると
いいます。

蜂起に 何度失敗しても
人々から支持された孫文は

いつしか 「失敗の英雄」とまで
呼ばれるようになりました。

どんな時も前向きだった 孫文。

革命派の集会での エピソードです。

(床が抜ける音)

大人数が詰めかけたあまり

なんと 会場の床が抜けてしまう…

不吉だと心配する人々に 孫文は
「これは…」。

…と言い放ちます。

観衆は大喝采。

転んでも ただでは起きない
「失敗の英雄」でした。

何度も立ち上がった 孫文。

そして 彼を 陰で支え続けた庄吉。

写真館での出会いから 16年。
二人に 大きな転機が訪れます。

(砲声)

当時の様子を映した 貴重な映像です。

武装蜂起に身を投じた人々の行進。

激しい戦闘を物語る 倒壊した建物。

革命の火は
中国全土に広がっていきました。

アジアの独立と平和を夢みた
二人の運命とは…。

中国における革命のニュースは
世界を駆け巡りました。

すると 列強の中では

自国の権益を守るため

革命を 武力で押さえ込もうという声が
上がりました。

カギを握ったのは 大国・イギリスです。

このままでは 革命が危ない。

遊説のため
アメリカにいた孫文が動きます。

急がなければ…。
すぐに ここをたとう。

孫文には 策がありました。

仲介者を通じて イギリス政府を動かし

清朝への支援を
阻止しようと考えたのです。

(ノック)

武器となったのは

大ぼらふきと言われた孫文の
交渉術でした。

孫文は 革命派が戦いを
優位に進めていることを誇張して伝え

猛アピールしました。

(孫文)Please support our revolution.

分かりました。 やってみましょう。

Thank you so much!

イギリスは 清朝に味方することは
得策でないと考え

中立を貫きました。

勢いづいた中国の革命派は

一挙に 大攻勢に出ます。

革命の火が 各地に広がり
清朝軍を圧倒しました。

♬~

孫文は 中国へ凱旋を果たします。

16年前 国を追われた男は

革命の英雄として迎えられました。

共和制国家「中華民国」の建国を宣言。

トップである 臨時大総統に
就任しました。

この瞬間を待ち望んでいたのが
盟友の庄吉です。

「孫文先生は
中国の国父たるにとどまらず

実に 世界の偉人」。

(汽笛)

2年後 中国建国の父「国父」となった
孫文は 日本を訪れました。

歓迎会の写真です。

革命の夢を語り合ってから 18年。

二人は 40代になっていました。

長年の協力に感謝して

孫文から庄吉に贈られた
羽織が残されています。

孫文 自ら筆を執った「賢母」の文字。

なぜ 男性の庄吉に

「母」と記したのでしょうか。

(小坂)孫文先生 ご自身が…

(小坂)…と 思っております。

庄吉は 孫文を ある場所へ案内しました。

そこは 貸し切りの映画館。

庄吉も 贈り物を用意していました。

(庄吉)始めてくれ。

(映写機の音)

映し出されたのは
辛亥革命を記録した 迫真の映像です。

♬~

当時 中国を離れていた孫文が
見られなかった 革命軍の雄姿。

武装蜂起の知らせを聞いた庄吉は
すぐに 現地へカメラマンを派遣。

革命の最前線を
撮影させていたのです。

孫文は 繰り返し
上映を求めたといいます。

♬~

しかし 二人の栄光は
長くは続きませんでした。

孫文の後を継いだ袁世凱が
独裁体制を敷き

皇帝に即位したのです。

更に日本が
中国の山東省に出兵するなど

権益の確保を狙いました。

中国では 日本への抗議運動が激化。

日中関係は 急速に悪化します。

(砲声)

両国は このあと
満州事変を経て

戦争への道を
たどることになるのです。

孫文は 革命の理想を伝えるため
精力的に活動を続けました。

しかし やがて がんに侵されます。

死の3か月前
庄吉に送った最後の電報。

そこには 悲痛な決意が
つづられていました。

…という言葉を残し
孫文は 世を去りました。

波乱に満ちた 58年の生涯でした。

亡き友の遺志を受け継いだ 庄吉は
人生最後の大仕事に取りかかります。

孫文の銅像を作り
中国に寄贈することにしたのです。

革命の理想を伝えたいという
思いからでした。

日中関係が悪化する中
海を渡った庄吉。

待っていたのは
思いも寄らない光景でした。

♬~

異例の大歓迎。

庄吉が 孫文との盟約を守り
革命を支援したことを

人々は忘れていなかったのです。

(川島)…というふうに思いますね。

♬~

銅像の除幕式。

庄吉は
孫文について こう語りました。

「この庄吉 不肖といえども
先生と知り合って 30年余り。

先生のあとに付き従い
中日親善・東洋平和のために

いくばくかの力になれたと
信じております。

私の願いは 銅像を
単なる記念とすることではありません。

人々が 先生の遺訓を守り
統一して努力されることを

請い願うところです」。

♬~

激動の時代 革命に身を投じた
梅屋庄吉と孫文。

二人が追い求めた理想は
今も アジアに息づいています。

♬~


関連記事