ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中村メイコ×宮嶋泰子 2歳で映画デビュー、天才子役と呼ばれた…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中村メイコ×宮嶋泰子』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中村メイコ×宮嶋泰子


2歳で映画デビュー、天才子役と呼ばれた中村メイコ。1人で何役もの声を表現しドラマを生みだす彼女の代名詞“七色の声”は、今も健在。親友・美空ひばりとの青春秘話も!


詳細情報

番組内容

1934年、著名なナンセンス作家・中村正常と元新劇女優・チエコの一人娘として生まれる。小さなメイコを抱く父の写真が雑誌に掲載され、それが映画製作者の目に留まったことがデビューのきっかけだった。2歳半で映画に出演し、天才子役として一躍有名に。映画の現場で2歳のメイコの世話をしてくれたのは、当時まだ助監督だった巨匠・黒澤明。“黒澤のお兄ちゃん”と慕っていたメイコが、黒澤明との知られざるエピソードを語る。

番組内容2

仕事が忙しく、小学校にもほとんど通えなかったという少女時代に“七色の声”誕生の秘密があるという。一人遊びに夢中になった少女の頃の思い出とは?23歳で作曲家・神津善行と結婚。3人の子供を育てる母親と、12本のレギュラー番組を抱えた女優、という2足のわらじ生活で、長女は作家、次女は女優、長男は画家へと成長。メイコ独自の子育て術を聞く。また、メイコが唯一無二の親友と呼ぶ故・美空ひばりの愛すべきの素顔とは?

出演者

【ゲスト】中村メイコ(女優)

【インタビュアー】宮嶋泰子(スポーツ文化ジャーナリスト)

次回放送予定

次回4月18日(土)は、サイバーエージェント代表取締役社長の藤田晋に、テレビ朝日アナウンサーの小松靖が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、テレビ朝日映像


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中村メイコ×宮嶋泰子』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中村メイコ×宮嶋泰子
  1. ホント
  2. メイコ
  3. 神津
  4. 美空
  5. 子供
  6. カンナ
  7. 中村メイコ
  8. 普通
  9. ママ
  10. 自分
  11. 七色
  12. 大変
  13. 言葉
  14. 歳半
  15. 時間
  16. 面白
  17. 友達
  18. ハハハハ
  19. ラジオ
  20. 子育


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 中村メイコ×宮嶋泰子』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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〈今 テレビを見ている方が
子供の頃から

すでに 彼女は
芸能界で活躍していた〉

どうも。 中村メイコさん。
はじめまして。

立たなくてもいいですか?
はい どうぞどうぞ。

宮嶋でございます。
どうぞ 今日は

よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。

実は 私 あの
「中村メイコ」という名前を

多分 世の中の役者さんの中で
初めて覚えた…。

そうですか そうですか。
名前です 幼稚園の頃に。

あの頃 「七色の声」っていう形で

ラジオのドラマをおやりになって
いらっしゃいましたよね?

NHKの『おねえさんといっしょ』
っていう。

それで うちの母がね

「このドラマは
お一人でやってらっしゃるのよ」

っていうふうに言ってくれて。

いや 私 もう驚いちゃって。
一生懸命 マネしたんですけど。

でも 全然できなくて…。
してみてください。

「お母さん」 「なあに?」
っていう まあ 全然ダメですね。

うまい。
ダメだわ。 いやいやいや…。

でも こんな感じの…
ホントに私にとっては

ある意味 憧れでいらしたので。

♬~「いいないいな
お姉さんといっしょ」

…っていうやつですよね?
ああ いいですね。

あと なんか
『パパ行ってらっしゃい』とかも

ありましたよね?
それは民放になってから。

あっ そうなんですか。
はい。 あれはね…。

♬~「時計がね 鳴りました」

♬~「ちいタン
何時かわかるでしょ?」

「わかりますよ」っていう…。
そう!

その頃ね ダブルレコーディングが
できなかったんですよ まだ。

だから もう… うん。
じゃあ お一人で…?

1人で 今みたいに。

やってらした?
そう。

うわ…。 じゃあ あの
そういう事も含めて

「中村メイコ歴史編」という…
ぜひ。

うわ 長いですよ。
ハハハッ。

よろしくお願い致します。
どうぞ 皆様 お気楽に。

ハハハハ…。

♬~

〈2歳半で銀幕デビューを飾り

天才子役と呼ばれた〉

〈戦後
ラジオドラマで注目されたのが

代名詞となった「七色の声」〉

〈臨場感たっぷりに
しゃべりだけで魅せる演技は

自ら編み出したものという〉

〈文筆でも才能を光らせている〉

〈実体験をもとに
二十歳で書いた小説は

のちに映画化されたほど〉

〈子育ての経験も

仕事の幅を広げるのに役立った〉

〈『紅白歌合戦』で
3年連続 司会を務めるなど

マルチタレントの先駆けとして
駆け抜けてきた

80年余りの芸能生活〉

〈中でも 忘れ得ぬ思い出が

亡き友と過ごした日々だ〉

〈時代と共に移り変わる芸能界を
どう歩んできたのか〉

〈その道をたどる〉

♬~

♬~

♬~

なんかね
技術として練習した覚えも

何もないんですけど

母が作ってくれた
お人形を持って

…とかって言って。

そこから
あの七色の声が生まれた?

そうですね。 「いいないいな」が
生まれたんですよね。

♬~

子育てっていうのも
大変でいらっしゃったんでしょ?

その頃 まだ
洗濯機も乾燥機もない頃で

そのさおの下に
こうやって しゃがんだカンナが

「あっ」…。

「ママのブラジャーさんも
泣いてる」とかって言うから

ここで… あっ
ここが子育ての難しいとこだな。

と思って
パッと口を押さえましたね。

♬~

女王はね
ホントに面白かったんです。

その頃 まだ新婚だから

神津さんと私と
大きなダブルベッドに寝てるでしょ。

って言うんですよ。

通常ね
旦那様が寝て 奥様が寝て

奥様の友達は ここに寝るでしょ?
普通は。

オホホホ…。

神津さんとメイコさんの真ん中。
真ん中。

(スタッフの笑い)
おお きました。

「ああ そうなの」って。
神津さんは困ったらしいですよ。

寝返りも打てなかったって。
ホントですよね。

〈父親は
戦前に知られた

ナンセンス作家
中村正常〉

〈母のチエコは
新劇女優だった〉

〈白いテラスのある
モダンな家で

一人娘ゆえ

両親の愛情を
たっぷり注がれて育つ〉

役者さん始められたのは
何歳の時ですか?

2歳半。
まだオムツが取れてなかったの。

2歳半!?
2歳半。

覚えてらっしゃいますか?
かすかに覚えてます。

当時 新聞に連載で
漫画のフクちゃんっていうのが

とっても有名だったんですって。

で それを映画化しようって
たくらんだ映画会社が

さて あんなにちっちゃくて
セリフがしゃべれてっていう…

フクちゃんに似ててっていう子が
いないかと探していたら

私の父は
しがない小説家だったので

父の訪問記事の中に

私を抱っこして
カメラに入って。

で それを見て 「あっ いた!
漫画のフクちゃんと同じ」。

漫画なんですよ だから。

漫画のフクちゃんと同じ顔してる
っていうんで…。

あっ そう。
はい。

2歳半ですと セリフがあって
それをおしゃべりになった?

それがね 素晴らしい方式だと
思うんですけど

「メイコちゃん 普通に遊んでて」

「いつも おしゃべりするような事
言って」って言われて

で 私は 一人っ子ですから
「遊んで」って言われても

「ご本 読む」とかって
言ったらしいんです。

で 「字が読めないでしょ?」って
言われて

「うん。 だけど 絵を見て

想像してしゃべるから」とか
言ったんですって。

で その中から
「いやん」とか「そうそう」とか

「困ったな」とかっていう部分を
取って

画を合わせるんですって。

はあ~。
すごいですね。

山本嘉次郎さんっていう
名監督のもとに

だから
その頃のね 助監督さんはね

ファースト 黒澤明。
うわっ。 ハハハッ。

セカンド 谷口千吉。
あら。

それで
新米さんのサードが 市川崑。

ハハハハッ。 豪華…!

こういう
ものすごい おっかない…。

で 私は このスタッフの
お兄ちゃんたちの中で

誰が 一番好き? って聞かれたら

「黒澤のお兄ちゃん!」って
言ったんですって。

どうしてって言ったら
黒澤さんって背が高いんですよ。

大きな方でね
有名でいらっしゃる。

で 私は まだ2歳半で
オムツしてましたから

オープンセットに行く時なんか
お迎えの助監督さんが

大抵 抱っこや
おんぶしてくださる。

って言ったんですって。

ご本人に そう言われて
私は恐縮しましたけど。

あっ そうですか。

でも そういうね
映画に出るとか

あの… 大人の世界にポンと
子供が入っていくわけですけれど

それは
お母様 お父様 ご家族の方は

どういうふうに
思ってらっしゃったんでしょう?

なんかね 結構
神経質になってたみたいです。

だから あの… 普通の…
メイコが思うとおりの生活を

撮影所にいる時も
させてくださいと。

今 考えると大変贅沢なね。

父は 「悲劇は絶対やるな」って
言ったの。

だから 私は

「お母ちゃん 行かないで…」
とかっていうのにも

憧れたんですけど 少女時代

「絶対ダメ」って。

「喜劇だけ やってなさい」。
あっ そうですか。

小説家でいらしたんですよね?
そうです そうです。

で 大体 ユーモアを
追求するタイプだったので

戦争中に
「こんな文章は いかん」とか

「ここ直せ」とかって言われる事に
嫌気が差して…。

検閲がありましたもんね
戦争中は。

そうです。
で ペンを折ってしまって。

ああ 断筆された。
はい。

で 私は もう
少し大人になってくると

「パパは どうして

普通のお家のお父さんみたいに
働かないの?」

「ママが かわいそうじゃない」
みたいな事を

延々と演説するんですね
父の背中に向かって。

「お父さんっていうのは 働いて

一家を食べさせていくんじゃ
ないんですか?」とかって言って

朗々と私は演説するんですって。
はいはい。

それで 真新しい原稿用紙を
父の机の上に見に行ったら

「石は黙す」って
書いてあったんですね。

で その頃 私
「石」は読めましたけど

「黙す」っていう字が読めなくて

母に
「なんて書いてあるの?」って。

「“石は黙す"って
書いてあったのよ」

「きっと おしゃべりメイコが

ベラベラ演説してたんでしょう?」
って。

「そうよ。
ママが かわいそうだと思って

“一生懸命 男は働きなさいよ"って
言ったのよ」とか

言ったんですって。

ああ そう。 お母様
なんとおっしゃったんですか?

なんか
ちょっと涙ぐんでましたけど。

〈映画『江戸ッ子健ちゃん』で
デビューして

物心がついた頃には
すでにスター〉

〈周りの友達と同じ
というわけにはいかなかった〉

学校も なかなか行く時間が
なかったって伺いましたけれど。

ほとんど休みがちでした。

学校が嫌いでした 怖くて。
どうして?

仕事場は みんな 「メイコちゃん
メイコちゃん」ってね

優しい人ばっかしですけど

学校行くと… その頃 私 下を
ちょっとパーマネントかけて

リボンつけてたんですね。

で 海の向こうに
シャーリー・テンプルっていう…。

はい シャーリー・テンプル。
すごいかわいい子役さんがいて…。

「なんだ あいつは!」みたいな。

子供たちが来て
怖いんですね。

で 私 怖がりだから

「先生 運動場に出るのは
怖いんですけど」って言ったら

先生が 「そうね
ケガでもあっちゃいけないから

じゃあ ここに入ってなさい」って。

校庭の隅に
元 クジャクがいたっていう

今はいないクジャクの
こんな丸い檻があったんです。

その中へ お休み時間は

私は入れられて。
あら。

で 先生は こんな大きな南京錠を
ガチャッて

外から掛けて。
あら~。

「みんな メイコちゃんに
触っちゃダメですよ」

「外から遠巻きで見ていなさい」。

いや 妙な小学生時代でしたね
それはね。

そうですね 変な子供時代でした。

そういう環境の中で
お子さんの時から

まあ 役者さんとして
色々な お役をやって

どこから 達者なしゃべりは
生まれてきたんですか?

達者ですか?
いや だって

そんな 七色の声なんて
とてもとても できませんし。

いや なんかね

技術として練習した覚えも
何もないんですけど

ただ 小さい時に

お仕事を持った人って
孤独なんですよ。

だから いつも
一人遊びを色々考えるのね。

1人で 母が作ってくれた
お人形を持って

「ママ ご飯にして」 「ハイハイ
待ってよ」とかって言って

1人で遊んでたの。

それで だんだん…
母が手作りの お人形ですから

赤いきれいな きれとか
かわいい模様がなくなって

それで 毛布の端っこで…
毛布で作るんだけど

「これは お兄ちゃんよ」とかって
言うと

「おい! 俺の本 読んでんだろ!
ダメだろ!」とか言って

やってんですって 私が1人で。
色んな お人形 持って。

そこから
あの七色の声が生まれた?

そうですね。 「いいないいな」が
生まれたんですよね。

♬~「いいないいな
お姉さんといっしょ」

♬~「ほんとほんとね
たっちゃんといっしょ」

♬~「お姉さんわらってる
うふふ ふふふふふ」

♬~「お姉さん泣いてるよ
えんえん」

♬~「お姉さん怒ってる こら」

♬~「いいないいな」

…なんて マイクの前で
1人で勝手にやってたの。

ホントに?
はい。

いや 何もかも自分で
やんなきゃいけなかった…。

その声の違いは どこ… どこ?
この喉の辺り…。

私もね 時々 あーって口開けて
見ますよ 自分の喉を。

(一同 笑い)
どうなってんだろう? と。

どこから出てんのかしらという…。
そう。

でも それはね 技術じゃなくて

きっと 小さい時から
本を読むのが好きだったし

なんか こう 発想を音にする
っていう事なんでしょうね。

だから 一番気持ち良かったのは

高級なレースのカーテン
っていう役をやる時なんか

「あら… 風だわ」とかって
言って…。

とか思いながら 楽しいですよ。

〈1955年 ラジオで歌った
あの曲がヒットする〉

〈その時 生かされたのが
他でもない

一人語りで独自の世界をつくる
七色の声〉

その頃の
舞台で『田舎のバス』を歌う時の

後ろでやってくださる
バンドの方っていうのは

あの… クレージーキャッツの
はじめだったんです。

まだクレージーを組む前。
前。 あ~。

じゃあ 皆さん ジャズ系の
すごく そういうのが

上手な方だった。
そうです そうです。

で 皆さん もう
面白がって

「皆様 毎度
御乗車下さいまして

有難うございます」
なんて言うと

あの植木さんが
「モーウー」とかって。

牛のね 声を
やってくださる。

「そんなとこに牛いたら
もう通れねえでネーか」

「チョッと待ってな
あっち行ってろ」って。

「モーウー」とか言って。
あっ そう。

すごい面白かったの。

まあ あの時代 まだまだ
世の中が すさんでいた時に

ああいう歌を聴いて 多分 皆さん

ちょっと なんか
ホッとしたりとか

笑顔が こう浮かぶというか。
そうですね。

アイドルですよね もうね。
そうですね。

変なアイドルですけどね。
いやいや でも ホントに もう…。

まだ 民放ができる前で

NHKは 田村町
っていうところにあって 昔は。

そこから… 私は

茅ヶ崎に住んでたので
神奈川県の…。

とことこ歩いて
新橋駅へ行くんですね。

ガード下で
ホントの靴磨きの男の子たちが

「磨いていってよ お兄さん!」

「まけとくからさ!」とかって
言ってた時代。

ラジオ
生放送しかない頃ですから

小さな こんなラジオで聴いてた
靴磨きの少年が

「メイコ 今から帰んのか?
お前やってたよ」って。

「でもね
ちょっと下手くそだったな」

「靴磨きの男の子はな

あんなふうに
きちっと言わねえんだよ」

「“磨かせてよ!"って
こう言うんだよ」とかって。

「磨かせてよ!」。
そう。

いい先生が いっぱいいたの。

で あっ そうかと思って。
あっ そう。

〈子役から女優に転身した
中村メイコは

二十歳を過ぎると

1年で映画6本に
出演するまでになっていた〉

〈作曲家の夫との出会いは
その頃だ〉

〈神津善行

当時 音大生で
ラジオ音楽を手掛けていた〉

あの まず最初に
神津善行さんって人の

作ってくれた歌を
歌う事になって

で 彼は
これがピアノだとすると

こういうふうに
ピアノに向き合って

で 私は その譜面を
持たされるんですけど

譜面なんて読めなくて。

「最初の この音は
ヘですか? ホですか?」とか…。

はいはい… ドレミファソラシド
じゃなくて…。

「はにほへといろは」…。
そうですね。

「はろいとへほには」っていう…。
はい。

それしかわかんないから

「この音は ヘですか?」
なんて言うと

「ああ?
いや 譜面読めないんなら

じゃあ ちょっと調べましょう」
って言って

その青年がピアノに向かって

いきなり
ボソボソッとした声で

「“した"どのくらい出ますか?」
って言うから

変な事聞くなあと思うけど

なんか歌う事に
関係があるのかと思って…。

「“した"出せ」って言うから。

で 黙ってるもんだから
もう少し大きい声で

「“した"はどのくらい出ますか?」
って言うから…。

思いっきり
あっかんべーしたとこを

パッて振り返ったんですね
作曲家が。 で ビックリして。

「あなた 何やってんの?」

「ドレミファソラシドが
あるでしょ?」

「それの音階の… 君は下の音は

どのくらいまで平気かと思って
僕は聞いたんです」。

「ああ そうですか。 でも
ものには順序があるでしょ?」

「言葉というものは
上はどこまで 下はどこから

そういうふうに言ってください」
とかって

しゃくに障って言ったの。
ハハハハ…。

だから 初対面は
あっかんべーだったの。

あっかんべー。

〈売れっ子の日々は
過酷さを極めた〉

〈やがて 張り詰めていた心の糸が
切れてしまう〉

ホントにもう
あっちからもこっちからも

要請があったんじゃないですか?
そうですね。

何しろ 1日2時間ぐらいしか
寝られないので。

ええっ?
はい。

とうとう
あれは多分 寝不足から来る

ノイローゼだと
思うんですけど…。

ところが 私 すごく
他の事ダメなんですけど

水泳だけうまいんですよ。
あら。

ほいで 死のうと思って
ジャブジャブ海へ入ったのに

なんか こう 伸しかなんかで
優雅に泳いでて

気がついたら 溺れないんだけど
くたびれちゃって。

浜辺で
バターッと寝てたんですね。

はあ~。

はい。
そんな経験がありましたけど。

すごいプレッシャーだとか

まあ 2時間しか寝ない日が
続いていたら

どんなに健康な人でも
おかしくなりますよね。

おかしくなりますよね。 うん。
ええ。

どうしたらいいの? って。

眠~い! っていう感じですね
ホントに。

普通の女の子になりた~い!
みたいな…。

そうそう なりたかった。

普通の女の子になるには

普通の友達がいなくちゃと思って。
はい。

で…。

で あとは
もう名前も有名な俳優さんとか

そういう友達しか
男の友達いないので

黒澤明にしようかなと
思ったんですけど…。

それは なぜかっていうと
あの人 高いところが大好きで

で ザブザブ水の中入るのも
助監督時代 大好きだったから…。

でも それだと撮影所に
バレちゃうもんなとか

色々思って。

それで名刺がたまたま入ってて。

神津善行っていう
名刺があるなと思って。

で そこへ電話をしたんですよ
「また死にたくなっちゃって

今 茅ヶ崎海岸で
死のうと思ったら

水泳が得意なんで
なかなか死ねなくて

今 ボヤッとしてるんですけど」
って言ったら

「すぐ行く!」って言って
来てくれたんですよ。

湘南電車かなんかに

駆け込んだんでしょうね
きっと。 はい。

フフフ…。

まあ だって神津さんの周りにも

こんな方はいらっしゃらない
ですよね?

そうですよね。
もう睡眠時間2時間で

振り回されてるみたいな…
大人の世界にね。

それから じゃあ 神津さんが
助けに来てくださって

「およよ」と
なっていったんですか?

「およよ」だったか…

「ははは」だったか
よくわかんないんですけど

でもね
うまい口説き文句を言いましたよ。

「僕は 一人前のいい作曲家に
なるためには

日本にいちゃダメだと」

「どうしても
ニューヨークに行って

いい音楽学校に入り直して

もう一度 勉強したい」

「そのために
一生懸命アルバイトをして

稼いだお金があるけど

それを君とのデートに
君に暇ができたら

1週間に一度ぐらい
僕とデートしてくれませんか」

「で 使い果たした時に
返事をください」って言われたの。

なんて素敵なんだろう!

自分の夢を諦めて

あなたとデートに
このお金を使います…。

っていう事ですよね。
うわ~。

でも それって
すごい束縛だと思いません?

ハハハハ…。
ビックリしちゃって 私。

で なんと
お答えになったんですか?

「いいですよ。 私はあんまり
たくさんものが食べられないし

安上がりな女の子ですよ」

「だから そのためたお金を

ちょぼちょぼ使ってなさいよ」
って言って。

で 3年ぐらい経って。

使い果たしたから結婚しよう…。

〈結婚は 23歳〉

〈多くの女性がそうするように

仕事は辞めるつもりだった〉

〈それが 今でいう

マルチタレントに
なってしまうのだから

人生は
どう転がるかわからない〉

仕事は辞めると
思ってたんですね。

で いい奥さんになるなんて
思ってたら

冗談じゃない…。

って言われたのね。

やんなさい。

でも そこからが大変でした。

「僕は 母と暮らすぞ」って
おしゅうとさんと一緒に暮らす。

で 子供は3人がいいって言うし。

で 仕事は辞めるなですから
ホントに忙しかったの。

ねえ。

私 3人 子供産みましたけど

ラジオなら
まあ できるっていうんで

ギリギリまで やってましたから。
ええ。

カンナが そうですね…。

ちょっと なんか
おなかの中で動かれると

「あっ 痛っ…」とか言って。

もしかしたら
これ産気づいてんのかな? とか

ちょっと これ
3本 あと録っちゃったら

病院行ってきます
みたいな感じで…。

じゃあ もう
ずっとお仕事は続いてたんですね。

でも 私 思ったのは

結婚されて 私は
なんか 中村メイコ像というのが

新たになったのかなっていう
気がしていて。

当時 あの~ ちょうど

皇太子と美智子さまが…。
美智子さまと私 同い年なの。

ああ! そう。
はい。

だから あのご成婚の時にね

新婚の夫妻で
見送ってくださいっていって

神津と私で ロケ先でね
生ばっかりですから

「なんかメイコちゃん言って」
って言うから…。

みたいな
そんな事を言ってんのが

今でも残ってますよ。
さすが作家の娘ですね。

素晴らしい。
恥ずかしいけど…。

〈レギュラー番組
12本を抱えながら

育児にも
手を抜かず

子供たちの
感性を育んだ〉

〈長女は作家
次女は女優

長男は画家〉

〈気づけば
芸術一家になっていた〉

子育てっていうのも
大変でいらっしゃったんでしょ?

大変っていえば大変ですけどね
楽しい。

あっ そう。
はい。

だから その頃 まだ
洗濯機も乾燥機もない頃で

で カンナのものや私のものを
こう 干してると

そのさおの下に
こうやって しゃがんだカンナが

「あっ 洗濯物が泣いてる。
洗濯物が泣いてる」

「ママのブラジャーさんも
泣いてる」とかって言うから

なんだろうと思って見たら
ポッタンポッタン 雫が落ちてる。

で ここで… あっ
ここが子育ての難しいとこだな。

「それはね…」。

から。
ふんふんってうなずいといて

やがて自分で あれは涙じゃなくて
雫というものなんだ。

自分で こう発見していくから
面白いんだろうと思って

パッと口を押さえましたね。

ああ。 言おうとした事をね。

へえ~ でも素敵。
さすがカンナさん。

カンナさんは
文筆家でいらっしゃるから

そういう発想が もう

お子さんの頃から
おありになったんですね。

そうですね。
不思議な事 聞きましたよ。

まだ 禁煙が
そんなにポピュラーじゃない頃ね。

お父さんがタバコ吸ってると

「ママ…」。

って言うんですね。

「似てるでしょ」って
ああ ホントだと思って。

見ると
ああ そうとも言えるなとか

思っちゃうんですね 私も。
へえ~。

メイコさん自身が やっぱり

小学校 中学校 なかなか
通えなかったっていう事もあって

でも 子供たちは
普通に通わせるっていうので

随分 色んな あの…
齟齬もあったんじゃないですか?

わかんなかったですよ
あの父兄会とかいうものね。

父兄会っていうのに
父と兄じゃないんですよね。

あっ そうですね。
母の会ですよね。

全部お母様方で。
ええ ええ…。

で わかんなくてね。

今の小学校の低学年の頃
今の子供たちって

県庁所在地とか
そういうの全然わかんないのね。

で 「ここの県庁所在地は
どこですか?」って言って

私は旅が多いから

あそこなのに
あそこなのになと思って

カンナ答えればいいのにな
と思って

気がついたら 「はい!」って
手を挙げてたんですよ 私。

後ろで見てるお母さんが?
お母さんが…。

ビックリしちゃって。

「はい 私は わかります」ったら

「ただ今
生徒に聞いておりますので

神津さんのお母様 結構ですよ」
って言われて

すっごい恥ずかしかった。

ハハハハ…。
フフフフ…。

で そんなに… 1クラスだから
大して人数がいないので

「入りが悪いわね」って私が言って

カンナに叱られましたけど。

カンナさんは
なんておっしゃってました?

「そういうものなの」

「また わかんない事があったら
聞きなさい」。

いまだに それが続いてます。

あら。 カンナさんの方が
なんか 監督役みたいですね。

そうです そうです。
あの人がお母さんみたい。

ええ?

だって
父がいけないと思いますよ。

「パパ どうして夕焼けは
空が赤くなるの?」

「今度の理科の問題に出そう」
って言うと

「空が恥ずかしがっているんだ」
って言うんですよ 父が。

うわ~。
だから そのとおり

「空が恥ずかしがっています」
って書いたら

バツがつくでしょ?

先生も なんか詩的な事が
おわかりにならない方なのね。

ねっ。 「違います」とか
冷たく言われて。

ええ~。

〈中村メイコは芸能界で

生涯に二人といない
知己を得ている〉

〈美空ひばりだ〉

〈3歳下の歌姫とは
不思議なほどに気が合った〉

〈メイコが詞を書き

夫の神津が
作曲を手掛けた歌がある〉

〈美空ひばりは
それを好んで披露したという〉

美空さんとは ずっと
仲が良くていらしたんですよね?

そうですね。 なんか…

なんか 仲もいいんでしょうけど

かわいそうな人でしたよ
あの人は。

生後 まもなくっていう感じで
女王様になっちゃったらしくて

あの人ほど なんにもわかんない
なんにもできない人もいないの。

ホントですか?
そう。

ホントに浮世の事は
なんにもわからずに

大スターになって
ずっとスターでしたから。

だから 「メイコ 今度さ

私 珍しく
前奏にのって出ていって

歌えばいい
っていうだけじゃなくて

なんかしゃべるんだって
お客さんに向かって」

「何をしゃべればいい?」
って言うから

「何をって だから

あなたが昨日やった事を
ずっと そのまま言えば

いいんじゃない」ったら
「あら そう」。

心配だから見に行ったら

「ええ~ 美空ひばりです」

「あの~ 私はね 昨日ね

生まれて初めて
デパートへ行きました」。

それで客席は
ワーッていうんですもの。

「ええ~!」っていう
どよめきですよね。

はあ~。
いいですよね。 そんなネタで。

「デパート行きました」で
ワーッていう

そういう人いないと思うの。

いや~ さすが女王は違いますね。
すごいですね。

美空さんとお親しくなった
きっかけっていうのは

どういうところからなんですか?
どういうところ…。

でもね 美空ひばりを
作った人っていわれてますよね

ママが お母様が。
お母様ね はい。

その美空ひばり様のお母様が

突然 我が神津家に
訪ねていらして…。

で メイコちゃんは 小さい時から

お嬢と同じように
スターだったのに

ちゃんと子供も産んで育てて
神津さんのご飯も作ってるから…。

っておっしゃって。

名プロデューサーですね
やっぱり お母様はね。

すごいですね お母様ね。
それでいらして。

ホントに 何もかも珍しがって。
はい。

で 「メイコ 酔っぱらった時でも
子供に見せる?」ったら

「そりゃそうよ。 家へ帰った時は
裸ん坊になるから

酔っぱらっても

“ママ酔っぱらってるでしょ"
とか言われても

“そうよ お酒ってものはね
飲むと こういうふうになるの"

“早くあんたたち寝なさい"って

“まつげ取ってあげる"とか言って

まつげ取ってくれたり
してるわよ」って言ったら

何もかもが珍しくて。
はあ。

「ああ そういうものなの」
って言って聞いてるわけですね。

「へえ~」って言ってました。
へえ~。

じゃあ しょっちゅう
しょっちゅう お休みの時には

神津家に遊びにいらしてらした。
しょっちゅう来てました。

私 その頃 新橋に住んでたのかな。
近かったんですよ。

それで お付きの方が
タクシー止めて

それで 「はい これで」っつって

「中村メイコさんの
こういうお家へ」って言って

走っていくと こんな大きな…。

今 みんな
美空ひばりになりましたね。

マスクで。
変装しなきゃいけないので。

そうそう 久しぶりに見ましたよ。
あんな大きいの。

こういうマスクで
乗ってるわけですね。

教えられたとおり 私の住んでる
マンションの下に来て

「はい どうも」
なんて言うらしいんですよ。

そうすると 「幾ら幾らです」って
運転手さん 当たり前ですよね。

すると
「私は お金は持ってません」

「ツケておいて」
って言うんですって。

それで…。
ツケておいて…。

それで 運転手さん
ビックリしちゃって

「いや ツケは困るな。
なんか証拠見せなさい」ったら

「美空ひばりの証拠?
ウウン!」っつって

おもむろに
その大きなマスクを取って

「リンゴの」って歌ったんですって
アカペラで。

ああ そう。
それしか証拠はないから。

そしたら 運転手さんが

「いや~ 参りました」

「美空ひばりさんの
生歌を聴きました」

「タクシー代は結構です。
どうぞ」って。

おお~ さすが。

ねえ。
女王は違います。

女王はね
ホントに面白かったんです。

その頃 まだ新婚だから

神津さんと私と
大きなダブルベッドに寝てるでしょ。

「私も泊まっていく

このベッド大きいから」
って言うんですよ。

それで 通常ね
旦那様が寝て 奥様が寝て

奥様の友達は ここに寝るでしょ?
普通は。

そういうふうに
ベッドメイクすると

「私は真ん中」って言うんですよ。
オホホホ…。

神津さんとメイコさんの真ん中。
真ん中。

それで 「どうして?」って私が…。

「美空ひばりは
いつでもセンターです」。

(スタッフの笑い)
おお きました。

「センターで幕が下りるんです」。
「ああ そうなの」って。

神津さんは困ったらしいですよ。
そうでしょうね。

寝返りも打てなかったって。
ホントですよね。 ハハハ。

面白い人でした あの人 ホントに。
ねえ。

ひばりさんにとっては
唯一のなんか こう

リラックスできる時だったの
かもしれませんね。

そうですね。 だから あの

私たちって一度も
銭湯っていうんですか いまだに。

みんなが一緒に入るお風呂屋さん。

行った事がないんですよ。
あら。

「メイコ 人と一緒にお風呂に
入った事ある?」って聞くから

「ないない! ないわ それだけは」。
「でしょう?」

「どうするんだろうね みんな。
恥ずかしいだろうにね」

「あんた 裸ん坊でサインしてって
言われても ねえ」とかって。

ホントに困りました。
ああ そう。

〈1989年 旅立つ友を
優しい言葉で送り出した〉

ひばりさん ホントに最後は
もう あの…

大変な思いをされて
お亡くなりになりましたけれども

メイコさんとしては どういう
お気持ちでいらっしゃいました?

私ね 最後の とうとう
そこで亡くなったんですけど

病院に入院してる時も
さすがに会うのは嫌で

電話でね
夜 邪魔にならない時間に

長電話をしてたんですよ。

そしたら ある日ね

今まで聞いた事もないような
暗い声でね

「メイコ 和也の言う事聞いて
私もういっぺん入院する」

って言うんですよ。

「そう どうしたの?」って
一生懸命明るく聞いたら

「かなり悪いらしい」

「だってさ ゆうべ 布団かぶって
小さい声で『リンゴ追分』を

とりあえず歌ってみたんだよ」
って言うんです。

「そうしたらね
この美空ひばりがだよ」って

そういう時もそういう言い方で

「ワンコーラス歌えなかったの
苦しくて」

「だから やっぱり私は入院するね
もう一回」って言ったんです。

悲しくてね。

でも ホントにあの人は

何もかも自分の運命みたいの
わかってたみたいですね。

ああ そうですか。
はい。

じゃあ もう
それが最後になられたんですか?

そうですね。

で 病院に入院してから

その頃 レーザーディスク
っていうのがあって

便利になったっていって
神津さんが

しょっちゅう 色んな映画をね
持っていったんですけど

私は怖くて病院には行けなかった
とうとう最後まで。

ともかく
亡くなったっていう事を聞いて

雨が
ザンザン降る日だったんですよ。

それで 3人の子供と
神津さんと一緒に

青葉台のお家に
駆けつけたら

もう 亡くなって
美空ひばりじゃなくて

なんか 小さな人が
地味な浴衣かなんか着せられて

で こういうふうに

手を組めなかったらしくて
もう 硬くなって。

で お付きの方たちが
ガーゼで一生懸命 結わえて

で こう 横たわってて。

もう 私は そこから先は
何がどうなっちゃったのか。

わかんないくらい悲しかった。

なんか ホントに…。

なんか こう スターという像を

常に演じていなきゃ
いけないっていう。

そうそう そうですね。

だから…

「メイコ また飲みに行こうね」とか
「そうね」とか言っても

そこをスッと美空ひばりって
わかるファンの人が歩くと

「そうだね また飲みに行こう…
どうも ひばりです」っていう。

もう ホントに
私にはできない事ですね。

私も もう大変な年だし
あの人を失ってから怖くないです。

ひばりさんにまた会えると思うと。

「メイコ 長っ尻ね

もう そろそろいらっしゃい」
って言ってますよ きっと。

この世に長っ尻だって。
アハハハ。

〈中村メイコは
80歳で終活と向き合い

身の回りを整理した〉

〈トラック7台分の荷物を
処分したそうだ〉

最近 全部
今まで お家にあったものを

お捨てになったと伺いしました。
捨てましたよ。

男だけ 捨てなかったのは。
ハハハ…。

ホントに。
元々なかったからですけどね。

へえ~ そうですか。

でも いかがですか?
色んなものをお捨てになって

何か変わった事 ございますか?

いや それは
すごく生活が楽になりました。

う~ん。
前は もうホントにね

一人っ子だったから
余計でしょうけど

戦火をくぐり抜けて 疎開して
ずっと持ってきた

ロッパさんから頂いた
キューピーさんだの

エノケンさんから頂いた
なんだのって

山ほどあったんですよ。

で それを捨てる時は
涙が出ましたけど。

わかりますよ。 過去 たくさん
お持ちになってらっしゃるから

一つ一つが大切なんですよね。
悲しかったけど ええ。

そこで決別するのが やっぱり

年を取っていくって
事なんでしょうね。

いわゆる終活の一つですね。
そうです そうです。

でも メイコさんにとって

一番大切にしてきたもの
っていうのは なんですか?

言葉。

なんかね
生活に流されてしまうと

今 誰に何を言われたの
っていうとこが スコッと抜けるから

自分だけが忙しくて 私
これで精いっぱいよっていう時に

「おい」って言ったら
「何!?」って こうなるでしょ。

だけど パッと見たら…
目上の人がいたら

「はい なんでしょうか?」
っていう言葉がスッと出るのが

日本言葉の一番きれいなとこだと
思うのね。

人と人との関係性を 言葉で
上手に表すっていう事ですよね。

メイコさん これから
こんな事やってみたいわ

っていう事って 何か おありに…。
もう ない。

全ての事をやっちゃったから。
ハハハハ…。

でもね 木登り。

フフフフ…。 あの顔。

(スタッフの笑い)

なんか 私 言われます みんなに。

「趣味」っていうところに
「木登り」って書くと

「これだけは なんとか
他の事に変えてください」って

言われましたけど。
木登り なんでお好きなんですか?

なんだか知らないけど
高いとこが好きね。

はあ~。

それで
昔の木登りっていうイメージは

夢があったじゃないですか。

そこに お家みたいの
作っちゃったりね。 うん。

なんか違う… 違うところに
行きたいっていう時に

手っ取り早く行けるのは
木でしょ。

それから こう
上から何かを見るっていう事が

昔は ビルだって そんなに
高いものがあるわけじゃないし

なんか こう 俯瞰して見られる

特別な空間だったんですね
きっと。

俯瞰って魅力的だったんですね
きっと。

今 神津善行さんを
上から見ると

「見るな!」って 頭 押さえます。

ハハッ 参りました。
はい。

ありがとうございました。

やっぱり 心が
子供の時のまんまでいらっしゃる。

ねえ。 でも
私 今日 ホントに思ったのは

子供の頃から こういうお仕事を
されているっていう事は

つらい事も随分たくさんあって

その孤独さが生み出した
一人遊びが

あの七色の声をつくり

そして 今も それを こう
縦横無尽に使われるっていう…。

やっぱり天才だなって思いました。

〈中村メイコが
今 大切にしている言葉〉

こんな感じです。

「公私ともに コメディー 劇で
生きてみたい」。

やっぱり
私に悲劇って似合わないでしょ。

父がね 私が生まれた頃

抱っこしながら
ちょっとでも泣くと

「泣くな 泣くな。 メイコ
君に涙は似合いませんぞ」

「君は いつも
ニコニコしてなさい」。

で ちょっと大きくなって

「どうして
メイコは そんなに いつも

ニコニコしてなきゃいけないの?
パパ」って聞いたら

ちょっと困った顔して
「う~ん まあな…」

「絶世の美人なら
涙もいいものですが・・・」で

あと 何も言わなかった。

だから あっ 美人じゃないんだ
って思った。

〈笑顔の絶えない
人生劇場〉

〈まだまだ 幕は
下りそうにない〉


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