先人たちの底力 知恵泉 “愛”を止めるな!井原西鶴~人生を楽しく生きるために 個人が自由に振舞うことが許されなかった…


出典:『先人たちの底力 知恵泉▽“愛”を止めるな!井原西鶴~人生を楽しく生きるために』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉▽“愛”を止めるな!井原西鶴~人生を楽しく生きるために[字]


江戸時代の作家・井原西鶴は、恋に命をかけた男の破天荒な物語で大ヒット!次々に愛の物語を書いた西鶴のメッセージを、映画「カメラを止めるな!」の上田監督が読み解く。


番組内容

江戸時代の作家、井原西鶴の処女作『好色一代男』は、人を愛することだけに命をかけた男の破天荒な物語。全国で売れに売れ、西鶴は次々に「愛の物語」を書いていく。一目惚れに命をかけた美少女の恋。男と男の友情を超えた心の絆。身分や家柄が重視され、個人が自由に振舞うことが許されなかった時代に、西鶴は心のままに誰かを愛することの尊さを描き、多様な愛のあり方を肯定し、人間の魅力と生きる喜びを高らかに歌い上げた。

出演者

【出演】映画監督…上田慎一郎,壇蜜,早稲田大学教授…中嶋隆,【司会】新井秀和


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先人たちの底力 知恵泉 “愛”を止めるな!井原西鶴~人生を楽しく
  1. 西鶴
  2. 自分
  3. 恋愛
  4. 知恵
  5. 小説
  6. 世界
  7. 一人
  8. 今日
  9. 最後
  10. 時代
  11. 人間
  12. 多分
  13. 武士
  14. 井原西鶴
  15. 一日
  16. 失敗
  17. 借金
  18. 若侍
  19. 世之介
  20. イカダ


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あなたの人生に…

血で血を洗う 戦国時代。

人々は つらく不安定な現世を憂い
憂世と呼んでいました。

天下太平の世になると
人々の心が明るくなり

「浮かれる」という字で
広く表現されるようになります。

そして 元禄時代
あるブームが巻き起こります。

日本に それまでなかった
庶民が楽しむための娯楽文学。

人間の魅力と生きる喜びを
高らかに歌い上げる

全く新しい小説でした。

ブームの火付け役は 作家 井原西鶴。

処女作は「好色一代男」。

人を愛することに命をかけた

プレーボーイの
豪快奔放な生きざまを描いた物語です。

この小説は売れに売れ
庶民から武士に至るまで

多くの読者を獲得しました。

一躍 売れっ子作家となった西鶴は

次々に
愛の物語を書いていくことになります。

一目ぼれに命をかけた 美少女の恋。

男と男の 友情を超えた心の絆。

身分や家柄が重視され

個人が自由に振る舞うことが
許されなかった時代に

西鶴は 心のまま

誰かを愛することの尊さを
描き続けました。

今回 西鶴の知恵を読み解くのは…

撮影は続ける! カメラは止めない!

代表作…

制作費 たったの300万円。

ジャンルは ゾンビもの。

出演者は
全員 無名俳優。

更に 37分にも及ぶ
驚異のワンカット長回し。

そんな劇場長編デビュー作が
口コミで評判を呼び 全国でメガヒット。

制作費の1, 000倍 30億円を超える
興行収入を たたき出します。

「カメ止め」という言葉が
流行語大賞にノミネートされるなど

一躍 社会現象となりました。

上田さんの映画にあふれているのは
さまざまな愛。

ユニークなキャラクターたちが繰り広げる
予想のつかない展開で

観客を魅了してきました。

愛の伝道師 西鶴の知恵を
上田さんは どう読み解くのでしょうか。

愛してる 愛してない

愛してる 愛してない 愛してる…。

お花に謝りなさい。

(笑い声)
ごめんなさい。

こんなに むしられちゃって。
ごめんなさい。

花から愛されないようじゃね
女から愛されないわよ!

ごめんなさい。

すいません。
何をやってるんですか もう。

目を覚まして下さい。
こんな お客さん いるんだから。

そうですよね。 すいません。
恋ですか? 恋煩いですか?

ちょっと
あんまり多くは語れないんですけど

自分の世界に浸っておりまして…。

と まあ…。
(笑い声)

区切りましたね。
こんな感じで

今回も始まりましたけれども
江戸時代の作家 井原西鶴の

愛の知恵を味わって頂こうと
思うんですけれども

映画って… ラブストーリーって
とっても多いなっていう印象が…。

人気ジャンルですね。
あっ そう? やっぱり人気ジャンル?

人気ジャンル。 特に 日本は もう
ラブストーリーばっかじゃないですか。

大体 売れっ子俳優と売れっ子女優がね
キャッキャ ウフフして…。

そうです。 壁ドンして。

でも 何か 一方で 最近の若者がね

恋愛離れが進んでるなんて聞くことも
あるんですけれども

その辺り どうですか?
楽しいもの いっぱいありますもんね。

そうですね。
携帯見ればね

全て世界とつながっちゃうし
いろんな映像 見放題。

誰とでも つながれる。

楽しみが多様になってきた
っていうことなんですね。

学生と ふだん接してらっしゃる先生
その辺り…。

学生さん 教員の前じゃ アレですよ
そういうアレ 見せないけどね

だけど 僕らは こういった飲み屋で
口説いたり 振られたりしたわけだけど

それは 何て言うかね 恋愛っていうのはさ
自分 変えていくことじゃないですか。

そうですね。
自分 変わっていくでしょう?

そういうことを いとうような
若い人の発想があるから

自分の世界を作っちゃって
そこから はみ出したくない。

恋愛しちゃうと 人を好きになっちゃうと
何か はみ出しちゃう。

だから まあ いい意味では 距離の置き方
というふうになるんだろうけども

それでは 本当に 僕らの感覚で言うと

恋愛してんのかな
という形になっちゃうよね。

壇蜜さんも
ちょっと前に ご結婚されて…。

はい 結婚しました。
今 幸せ絶頂なんじゃないですか。

沈黙してます…。

えっ 幸せかどうか分かんないです。
えっ そうなんですか。

多分 死ぬ間際に
あの時は幸せだったんだなと

思うと思うんですけど…。
幸せって 確かにね 何か

言ってる方が
ホンマかなって思いますけどね。

なるほどね~。
「今 私 すごい幸せ~」って。

「うそつけや」って思います。
言い聞かせてる感じがあるというか。

さあ あの~ 今日はね
井原西鶴の愛の知恵なんですけれども

先生 西鶴は かなりいろんなタイプの愛を
描いてるっていうことですよね。   はい。

それまでの日本の いわゆる
恋愛とか 人間の描き方っていうのは

どうだったんですか?
簡単に言っちゃえば

やっぱり 美男美女ですよね。
美男美女で

描写のしかたも 決まりきった描写をする。

西鶴っていうのは
キャラクターを変えるんですね。

決まりきった典型的なキャラクター
物語の主人公を変えて

それで 話を作っていくという
そういうところがありますね。

江戸時代っていうと 身分制が強いって
イメージするかも分かんないけども

西鶴 そういう捉え方をしないんですよね。

つまり 身分っていうのは 職業の違いだ。

どんな職業に就こうが…

…っていうふうに捉えるんですね。
だから そこが新しい。

はあ~。
だから 僕らのイマジネーションを

刺激するんですよ。 物語を読んできて。

さあ そんな西鶴の愛の知恵を見ていく
今夜なんですけれども

こういったメニューを
ご用意いたしました。

こちらです。

これは分かりやすい。
あなたのことが杉焼…。

あなたのことが好き…。
あなたのことが好き…。

あなたのことが好き…。
すごいドヤ顔されますね。

そうですね。 だいぶシンプルですもんね。
ドヤ~っていう。

「あなたのことが好き」って言いたくて
杉焼って考えたと思ってません?

杉焼って 実は ちゃんとあるんです
メニューが。  何だって。

「料理物語」っていう本があるんですが

その中に レシピが書いてありまして

西鶴の作品にも 随分出てきます。
(上田 壇蜜)へえ~。

あのね 肉や魚に
杉の香りをつける料理ということで

ご用意いたしました。
はい。

こちらでございま~す。
杉の香り。

燻製とは違うんですよ。 香りをつける。
嗅いでみて。

今日は タイに杉の香りを…。
ほんのり 何か…。 でも いい匂いする。

これ 花粉 大丈夫ですか?
あっ 香りなんで大丈夫。

ん!
おいしいですね。

すごい! ちゃんと タイに味ついてる。
シンプルなおいしさですね すごく。

ごはんが欲しくなりますね。
えっ!?                  ライス!

じゃ とりあえず
知恵 見ていきましょうか。

ごはんも ないの?

作家 井原西鶴のデビュー作「好色一代男」。

主人公 世之介は 色事しか頭にない男。

その無軌道な生き方が
滑稽に描かれています。

28歳の時 強盗の容疑で投獄された世之介。

この
一歩間違えば命がないという状況でも

優先するのは 恋。

隣の牢にいた人妻に惚れた世之介。

文を交わして口説き
まんまと相愛の仲になってしまいます。

その後 世之介は
現代の価値で 500億円相当の遺産を相続。

雲の上の存在だった有名な遊女たちと
遊びまくり

遊女の中で最高位の
吉野太夫を身請けします。

今で言えば スーパーアイドルと
結婚するようなものです。

これだけだと ただの荒唐無稽な小説にも
思えてしまいますが

そうではありません。

近世の恋愛に詳しい…

「一代男」からは 女性の視点を意識した

西鶴の先進的な恋愛観が
かいま見えるといいます。

世之介を…
31歳の時だと思うんですけれども

評する言葉に
「女の好む」という言い方をしてます。

第四巻の世之介の姿を描写した場面。

…とあります。

女性に好かれてこそ
よい男であるという

現代では
当たり前の感覚ですが…。

少し遡った時代の説話集では

平安時代を代表するモテ男 在原業平が
このように描写されています。

つまり
恋愛において 女の感情は軽視され

女は 男からの情けを一方的に受け入れる
存在として描かれていたのです。

西鶴以前
「仮名草子」の時代までっていうのは

男が考える良い男の条件というのは

ずっと… あの~
長い経験を持って 知恵を持って

そして 財力があって 身分があって

というふうな まあ いわゆる
成熟した男性と考えていたわけです。

でも 西鶴は
そんなものは 良い男じゃない。

良い男っていうのは 決めるのは女だって
言ってのけたわけですね。

そのことが やっぱり 非常に衝撃的なこと
だったんじゃないかなと思います。

鮮烈なデビューを飾った 西鶴。

いよいよ 恋愛の本質を
追求していくことになります。

「一代男」から4年後の「好色五人女」。

西鶴が 実際に起きた事件を題材に書いた
モデル小説です。

「五人女」は
許されない恋に身を投じる女たちの物語。

当時 親が決めた相手以外と
結ばれるためには

家を捨て
人の道を外れる覚悟が必要でした。

収められている5つの話の中で
特に有名なのが 「八百屋お七」です。

お七は 16歳。

振り袖の似合う 美しい娘でした。

天和2年の師走。

お七は 火事に見舞われ 寺に避難します。

そこで出会ったのが 吉三郎という少年。

お七が 吉三郎の指に刺さったトゲを
抜いてやったことが きっかけで

二人は恋に落ちます。

後日 お七は 自ら吉三郎のもとへ出向き
結ばれます。

しかし 翌朝
母親に連れ戻されてしまいました。

そんな思いが募るうち

お七は とんでもない考えに至ります。

なんと お七は自分の家に火を放ちます。

そして 放火の罪で
火あぶりの刑に処せられてしまうのです。

恋に殉じた少女のはかない人生。

この話を通じて
西鶴が伝えたかったことは

何なのでしょうか?

「五人女」というのは それぞれが
幸せな結末を迎えてないんです。

じゃあ その恋の中で
悲惨な結末に終わる彼女たちは

かわいそうかっていうと
そうじゃなくて

恋をする中で初めて輝いている。

西鶴は 恋愛小説を通じて

さまざまな愛の在り方を
描いていきました。

「男色大鑑」は

男同士の恋愛にテーマを絞って
書かれた作品です。

当時 武家社会をはじめ さまざまな階層に
男同士の恋愛 男色の文化がありました。

今 この「男色大鑑」に
注目が集まっています。

漫画化したり 読みやすい現代語に
訳したものが 続々と出版され

女性を中心に人気を博しているのです。

現代語訳の編集を手がけた…

「男色大鑑」の特徴は 純愛。

この漫画の中にも 究極の純愛とも呼べる
エピソードが収録されています。

江戸で 美しい若侍に一目ぼれした武士。

若侍の後を
ひたすら追うことを決意します。

参勤交代にも ひそかに ついていきます。

でも 一度たりとも言葉は交わしません。
遠くから見守るのが 精いっぱい。

そんな生活が 3年目に入った頃

武士は
物乞いにまで身を落としていました。

若侍の屋敷の前で 一人 雨に打たれます。

明日まで生きていられるかも分からない
状況でした。

その時 若侍の家来が話しかけてきます。

私の主人が
あなたを屋敷に入れてもよいが

そのかわり 最後に 刀の試し斬りを
させてもらえないかと言っておる。

武士は 命と引き換えに
若侍のそばに行けるのならばと

この話を受けます。

武士の首は落ちませんでした。

実は 若侍の方も ずっと
武士の気持ちに気付いていながら

もどかしい思いを抱えていたのでした。

ついに 通い合った二人の心。

武士が 命がけで
いちずな思いを貫いたからこそ

恋が成就したのです。

このように 「男色大鑑」には

命を捨てる覚悟で恋をする男たちの姿が

バラエティー豊かに描かれています。

全身全霊で人を愛することの意味を

時には コメディータッチで
時には シリアスに

時には ロマンチックに描いてきた西鶴。

この振れ幅の大きさにこそ
西鶴の人間観が表れていると

染谷さんは考えています。

西鶴が小説を書こうと思った
意図というのは…

西鶴は否定しないんですよ。

だから 全てのものを肯定するというか
見返りを求めないで

命がけの世界… 命がけの恋に
走っていく男たちっていうのも

これも 人間の一つだから。
それを肯定してあげるというところが

西鶴の深さというか 広さというかね。
底なしですよね。

そういう彼の人間観っていうのは

本当に 底なしの深さと広さが
あったんじゃないかと思いますね。

いろんな愛の形が描かれてましたけど…。
みんなね

命がけですよ。
すごい現代的な感覚を持って…。

何か 許されないっていう描写も
あるんですけど

書き手自体は
それを許してるっていうのが

すごい みんなの救いになったんだと
思うんです。

現代にも その当時の世代にも
世界にもいたと思うんですよ。

そういう道ならぬ恋をしてる方って。
だから 励みになったんだろうなって。

その気持ちを分かってくれてる人が
いるっていうね。  そうですね。

色恋に乱れるシーンもあれば
プラトニックなジャンルもあるしって。

そうですね。
「男色大鑑」の場合は

極めて プラトニック。
そうですね。

非常に純粋な侍同士の恋愛というもの
潔癖さみたいなもの それを強調して

西鶴は描くんですね。
へえ~。

高潔ですよね。
もっともっと高潔なものですね。

そうそう…。 だから要するに そうですね
ある純粋さみたいなものが

価値観になったというか。
へえ~。

そう ピュアラブって言い方がいいと思う。

PL。  新しい。
PL。

(笑い声)

実際に 私も女子校育ちなんで

男性 男性同士の小説が 一時期すごい
はやった時期もありましたし

その漫画も 漫画から漫画にっていう
同人誌的なものに はまった時期も

たくさん そのクラスメートの間では
みんなドキドキしながら。

どういうところに魅力を感じて
みんな 読んでたんですか?

やっぱり 自分の性っていうのが
一切ない世界だから

一人と一人の男性同士を とことん見れる。

しがらみが…
やっぱりその 自由であるって

しがらみがないのが
とってもよかったんだと思います。

男女の恋愛って
まだ やっぱり ちょっと早かった。

思春期の私たちには。
あまりにも登場人物が多すぎて。

そんな中で そのPLの場合だと
やっぱり男性 男性という個性と個性が

一緒にいるから
ず~っと その2人を見てられる。

で 安心できるっていうのが
そこにありましたね。

なるほどね。
シンプル イズ ベストだなって。

コーンフレークと牛乳でいいんですよ。

(笑い声)
さあ そして ここの知恵がね

「命がけで楽しんでこそ、 恋」という
ことだったわけなんですけれども

これは?

人間というのは いろんなことを通じて

恋愛なんかを通じて訳の分からない
不条理な世界に巻き込まれて

理屈で言えない恋愛を経験して
結果的には 死ぬかも分からないけども…

そういう発想で
多分 書いていると思うんですね。

人が好きであり
人を見るのが好きなんでしょうね。

うん。 まあ 西鶴は下戸だったんで
多分ね お酒飲まないで

人の酔っ払い方をじ~っと見てるタイプの
男じゃなかったかと思いますけどね。

たまに そういうのいますでしょう。
飲み会に一人いますね 介抱係。

恋に限らず どうでしょう
命がけで楽しむっていうことって

何か 意識してらっしゃることとかって
あったりしますか?

でも 僕は 何か多分 昔から
リスクを取ることが好きだったんですね。

何か…。
例えば もう時効だから言いますけど

高校2年生の時に イカダで…

イカダで?
はい。        さらっと言われましたけど。

はい。 高2の夏に 何か でっかいことを
しようっていうことになって

僕ら 滋賀県出身なので琵琶湖
ここを横断しようと。

イカダで これを横断したやつらは
いないはずだと。

で 手作りイカダを作って
横断しようとしたら。    木でイカダを?

はい 木で作って。
で まあ ちょっと遭難したんですよ。

ええ~!
もう本当に感謝しているんですけども

NHKさんで行方不明というふうに
報道して頂いて…。

(笑い声)
ある意味 でっかいことですね。

そうですね。 そう行方不明って報道されて
琵琶湖全域にパトカーが出動して

ヘリコプターも飛んでって
すごい大騒ぎになったんですけど…。

どっちかって迫られて 最初こう
板切れでビート板代わりにして

最後 なんとか
対岸まで たどりついてっていう。

多分 何かちょっと…

なるほど。 ちょっとムチャ感
無理ゲーが好きなんですね。

そうなんです。
何か 命の危険が ちょっとないと

命が燃えないというか。
あ~。

でも それだけねえ 自分の命をかけて
何かを成し遂げたいっていう

そういう人だったのかもしれませんよね。

命を心配しないから
タブーに対して 無頓着になれるし

書きたいもの書くっていう。

そんな さまざまな愛を描いてきた
西鶴なんですけれども

いよいよ 最後の知恵でございます。 はい。

デビューから およそ7年。

48歳になった
人気作家 西鶴に異変が起こります。

脇目も振らず
小説を書き続けてきたはずの筆が

突然 止まってしまうのです。

このころ 西鶴は
作家の命ともいえる目を病んでいました。

私生活でも苦労が多かったようです。

妻を亡くしたあと 独身を貫きましたが

3人いた子どもたち全員に
先立たれたといわれています。

「西鶴織留」という短編集に
自身の実体験ともとれる

こんな文章があります。

体も心も弱っていく西鶴。

小説以外の活動も
うまくいかなくなっていきます。

西鶴は かつて大観衆の前で
一人 句を詠み続けるイベントを行い

24時間で4, 000句を詠むという
伝説を作ったはずでしたが…。

このころ
弟子と一緒に 俳諧に挑戦するものの

僅か20句ほどで中断してしまっています。

俳諧を一つのきっかけにして

もう一回 ちょっと
自分を取り戻そうみたいなのは

あったのかなという気はしますね。

でも いかんせん
もう老いを感じたということが一つ。

まして あんだけエネルギッシュに
俳諧を詠み 「浮世草子」を書いた

エネルギッシュな人ですから
その老いっていうのは

普通の人以上に
感じたんだと思うんですよ。

ところが
西鶴は ここで終わりませんでした。

2年の活動休止期間を経て
再び筆を執ります。

元禄5年 51歳の西鶴が世に出した
「世間胸算用」。

大みそかを舞台に
借金の支払いに追われる町人たちの姿を

しみじみと描いた作品です。

ふだんから
商人としての心がけを
忘れず

大切な大みそかに
備えなさいとあります。

当時は 借金をまとめて大みそかに
返済するというのが習わしでした。

お金を用意できない貧乏人にとっては
気が気でない一日だったのです。

情熱的な恋愛を描くことで有名になった
西鶴でしたが

最晩年に取り組んだのは
弱者に寄り添う…

例えば こんな話。

ありがたい法話が聞けるという
とあるお寺でのこと。

その年は 大みそかと節分が
重なってしまったため

法話を聞きに来たのは
たったの3人でした。

3人のおさい銭では
灯明の油代にもなりません。

住職は 参拝者たちを
やんわりと追い返そうとします。

お参り下さった皆様は
まことに ご奇特なことです。

ここをもって信心と申せます。
どうか今日は お帰り下さい。

すると 老婆が涙ながらに語りだします。

私は 怠け者の息子に言われて
ここへ来ました。

私が神隠しに遭ったことにすれば

借金取りから逃れられると言うのです。

…と 信心から
お参りしたわけではないことを

ざんげします。 続いて 隣の男が…。

私は 入り婿の身なのですが

商売に失敗して家を追い出され
泊まるところがありません。

信仰する宗派は違うのですが
ここに参りました。

法話ではなく
宿が目当てだったことを告白します。

そして 最後の一人が打ち明けます。

実は 酒は飲みたいし 体は寒いしで

法話を聞きに集まった人たちの
草履や雪駄を盗んで

酒代にするつもりで来ました。

救いようのない わびしさの中
不意に笑いが込み上げ

一座は和みます。

「世間胸算用」に貫かれている
哲学があります。

どんなに哀れなものでも
その中には 必ず おかしみがある。

哀れだけで成り立っているものなど
この世にないという考え方です。

いかなる時も 人と自分の存在を
いとおしく感じられる人生観。

西鶴が最後にたどりついた境地でした。

人間を描き 愛を描き続けてきた井原西鶴。

翌年 52歳で この世を去りました。

辞世の句です。

人生50年という時代に
2年も長く生きて

余計に月を
見ることができた。

西鶴らしい ポジティブな幕引きでした。

最後は人間愛を描いたね こういった
作品だったということですけれども。

哀ればっかじゃない。
うん。 そこに おかしみもあると。

でも 目が ちょっと悪くなって

で 自分のお子さんが3人とも
自分より先に死んじゃって。

僕も子どもが今いるので そのつらさって
想像するに 本当に…。  一人になっても。

でも 多分 書くことで
救われたんだろうなとも思いますね。

そうだと思いますね。
うん。 その悲しみとかを

エンターテインメントじゃないですけど…
に 昇華して

作品に落とし込む場がなければ
余計に つらかったんだろうなと思うので。

やっぱり正気を保つためにっていうのも
あるかもしれない。

あの~ 先生 2年間 筆が止まってた
っていう話がありましたけれども

あれは何て言うんですか
こう いわゆるスランプといいますか

そうとっていいんですか?
そうですね。 恐らく西鶴は

今まで書いてきた自分の小説の方法を
変えようと思ったんじゃないかと

思ってるんですよね。
今までの小説というのは 西鶴は…

はいはい 引用していたものが。

それがですね 「胸算用」に…
「世間胸算用」ですが。

…に なると僕らが読んでいっても
全く方法が新しいんですよ。

そこは その2年間は決して無駄ではない。
皆さん おっしゃったように

やっぱり悲しいわけですよね。
体も弱くなってるし。

それでも前に前に進もうという
今までやってきたことを否定して

更に新しく 新しい小説を書こうという
そういうバイタリティーっていうのは

やっぱり並大抵ではない。
しかも 大みそかの一日だけに限定する

というような手法というかも
それまで全くなかったっていう。

なかったです はい。
一日の。 たった一日の出来事。

ねえ この設定とかって映画監督としては
ちょっと気になるところは

あるんじゃないですか。
いや 今は それは当たり前にあるので。

それを全くなかった時に
一番最初に編み出した人なんだと思って。

やっぱり 「大河」みたいな
20~30年の長い時を描くような場合って

逆に何て言うんですかね 広がりが
なくなってしまう時があるんですよ。

逆に…

限定する場合って多いんですね。

だから 大みそかの一日に限定する
ということによって

その周りにある広い世界を
描こうとするっていうことが

発想が この時に作ったってことですよね
西鶴が。

でも その晩年に もうね
いろんな自身の衰えとか

悲しみ 苦しみがある中で ゼロを1にする
という そのパワーというか。

それは とんでもない。

しかも 笑いの中で描くんですよね。
だって普通は 悲しい話ですよね。

つらい 悲しい話なんだけど
それを笑いの中で描こうとする。

そこはね やっぱり すごいなと。

こちらですよね。 「哀れにも又おかし」
ということだったわけなんですけれども。

チャップリンとかも言ってますよね
クローズアップだと悲劇だが

引いてみると喜劇だっていうようなことと
多分おんなじじゃないんかなと

思いますよね。 目の前にある
嫌だったこと つらかったことって

2年後 3年後
大体 笑い話になるじゃないですか。

うんうん。   あの時は ああだったねって。
そうそう…。

自分は 20代の前半の頃
結構さまざまな失敗をしたんですよ。

詐欺にだまされて借金を背負ったり

小説が全く売れなくて
また借金を背負ったりして。

借金のネタ多すぎません?
一時期 代々木公園で

ホームレスをしてたことがあって。
で 僕 二十歳になってから

ブログっていうものが出来たので
ブログに日記を書きだしたんですよ。

毎日書いてたんですよ。 そうなると
ホームレスをしてるっていうことも

例えば 今日はガムシロップ1個しか
食べれなかったということも

ネタになるんですよ。
あ~。

ガムシロップって すごいですね。
今日はガムシロップだけだったんだ~。

今日は ホームレスの人に怒られたと。

ここは 俺の縄張りだと怒られた
みたいなこととかが

何か 普通に過ごしていたら
つらいことじゃないですか

悲しいことじゃないですか。 でも 俺は
何か これはブログに書けるぞと。

どん底ではない。
なるほどね。

はあ~。
やっぱブログを書いてたりしてたことが

すごく訓練になったと思いますね。 この
エンターテインメントの映画を作る時の。

基本的には やっぱり どっか自分を
別な自分が見るというような視点

それが やっぱり「おかし」というところに
つながるんじゃないかな。

客観視するということですね。
うん ということになると思いますね。

それ 恐らく何かを作っていくことの
基本じゃないですか。

自分さえも客観視して
距離を置いて 見てしまうという。
確かに。

しかも自分も救われますしね
その相手も笑わせられるし。

「哀れにも又おかし」にする方法を
自分も知っといた方が

いいかもしれないですよね。

先生 実際
どう受け止められてたんですかね?

これ ヒットしたんですか?

そこは やっぱり なぜ駄目…。
「日本永代蔵」の方が

何度も版を重ねて よく読まれたんですね。

それは なぜかという問題があって
僕は もう単純に 西鶴が先行き過ぎたと。

あ~ ちょっと感覚がね。

エッジが効き過ぎて。
そうそう。 売れるというふうには…。

ちょっと時代じゃなかったのかも
しれないですよね。     そう思います。

だから 西鶴の
ず~っと やってきたことを見ていくと

これはすごいなと思うんだけど だけど

いきなり これ
「胸算用」バンと出された人は…。

生まれる時代
間違えちゃったパターンですね。

だって一日に限定した話とか
見たことない人たちだったんですもんね。

そうです。
「何だ これは?」っていう。
時間が だから

毎回 大みそかに戻るっていう そんな構成
見たことないっていうことですもんね。

まあ 大体 人間っていうのは
一般的に言って

既存のものを ちょっと変えると
受け入れるんですよね。

それが全く変えられると
拒否反応を示しますでしょう。
はいはい。

そうか ついていけなくなっちゃうんだ。
だから それじゃないかと思いますけどね。

一回 じゃあ 皆さん 「24」見ればね
こんなことにはならなかったんですよ。

「24」を? 江戸時代の人が?
見てれば もっとね。

もっと井原イズム いってたはずなんです。

「24」を まず受け入れられない。
(笑い声)

さあ 井原西鶴
見てまいりましたけれども

最後に 上田さんが考える
西鶴流の愛の知恵。

その極意は何だったと
お考えになりますか?

愛の知恵…。
ちょっと難しいですね。

ほら 机が動いちゃったよ。
ごめんなさい。 ちょっとね

慌てふためいてしまいましたけど。
慌てて。

この人は どんなことでも肯定する。

こういう愛の形があっても
いいじゃないか。

まあ こういう
例えば 大みそかに借金をして

苦しい人たちがいる。 何か その人たちに
駄目出しするんじゃなくて

「うん こういう人たち いるよ」って。

「どう? こういう人たちも 人間として
魅力的だろ?」っていうような

目線があるというか。

あったんだなと思いましたね。

今って 結構 僕は思うんですけど
何か失敗してしまった人に対して

すごいじゃないですか。

ちっちゃい傷を化のうさせるまで
ほじくりますよね。

何か ちょっとした失敗だったり
まあ 大きな失敗もありますけど

何か失敗を犯してしまった人に対して
何か 寛容さがないふうに

ちょっと感じる時があるんですね。
許さないというか。

う~ん 何か そういう時代には
学ぶべきところがある気はしましたよね。

何かね。
愛だけじゃなくて

そのね 人と人を認め合う
何か そういう感じのメッセージも

ひょっとしたら西鶴は込めてたのかも
しれないなっていう感じがしますよね。

何か うまくいかなかった人生さえも
肯定するような感じがしましたね。

いや~ 今日は
どうも ご来店ありがとうございました。

また お待ちしております。
お店が長く続きますように。

昨日は 青豆ごはん。


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