歴史秘話ヒストリア「楠木正成 巨大な敵に勝つ方法」鎌倉幕府打倒へ時代を動かした楠木正成。なぜ、一介の武士が…


出典:『歴史秘話ヒストリア「楠木正成 巨大な敵に勝つ方法」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「楠木正成 巨大な敵に勝つ方法」[字]


鎌倉幕府打倒へ時代を動かした楠木正成。なぜ、一介の武士が日本を支配する巨大な敵に勝利できたのか。「ゴルゴ13」さいとう・たかをさんの劇画とともにその秘密に迫る。


詳細情報

番組内容

日本の歴史は、小が大を制する「奇跡の勝利」で動いてきた。その最たるものが、鎌倉幕府打倒につながった楠木正成の戦いだ。後醍醐天皇の討幕運動に応じた正成に押し寄せる幕府軍。何万もの大軍を前に、他に味方もない小さな山城の楠木軍はあえなく粉砕される、と思いきや、事態はまったく逆に…なぜ一人の武士が、日本を支配する巨大な敵に勝てたのか。「ゴルゴ13」さいとう・たかをさんの劇画とともにその秘密に迫る。

出演者

【キャスター】渡邊佐和子


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歴史秘話ヒストリア「楠木正成 巨大な敵に勝つ方法」鎌倉幕府打倒へ
  1. 正成
  2. 武士
  3. 幕府軍
  4. 楠木正成
  5. 河内
  6. 後醍醐天皇
  7. 和泉
  8. 鎌倉幕府
  9. 幕府
  10. 天皇
  11. 当時
  12. 場所
  13. 現在
  14. 尊氏
  15. 勝利
  16. 相手
  17. 大軍
  18. 楠木氏
  19. 一人
  20. 山城


『歴史秘話ヒストリア「楠木正成 巨大な敵に勝つ方法」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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弱き者が 桁違いの相手に立ち向かい
勝利する。

そのことは
歴史を大きく動かしてきました。

うぁ~!

1, 400年前。

強大な蘇我氏を倒し
古代日本を改革した

中大兄皇子と中臣鎌足。

織田信長は
今川義元の大軍を破り

天下に 名をとどろかせます。

(砲声)

日露戦争で 日本は大国ロシアに勝ち
世界的な強国となりました。

(いななき)

その中でも 最も厳しい状況から
歴史を動かしたのが

こちらの人物です。

♬~

およそ700年前の侍です。

鎌倉幕府の大軍と
わずかな兵で戦い 勝利。

新たな時代を
切り開きました。

「ゴルゴ13」などの劇画で知られる
さいとう・たかをさん。

劇画「太平記」で
正成に魅了されました。

坂東武者は
命知らずと言うが

確かに そのとおりだな。

今だ!

うわああ!
ああっ!

さいとうさんの劇画から

天才軍略家・正成に迫ります。

正成は 強大な敵・鎌倉幕府を
なぜ 倒すことができたのか。

強さの秘密が 山道に?

これ 今 後ろ見ると
すごい急ですねえ。 狭いですし。

楠木正成 奇跡の勝利。

実は 2度あります。

相手は…

後に室町幕府を開く
まさに強敵。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
なんまんだぶ なんまんだぶ…。

尊氏との戦いのカギは
うわさ話でした。

奇跡の勝利で時代を動かした
楠木正成。

最新研究で迫ります。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今日 ご紹介するのは
武将・楠木正成です。

楠木正成が活躍したのは

700年ほど前。

鎌倉時代の末から

南北朝時代に
さしかかる頃。

後醍醐天皇の
鎌倉幕府打倒に加わり

たった一人で奮戦。

天皇方勝利の
原動力となりました。

ただ 歴史学的に
正成の動向が確認できるのは

この戦いの 5年ほどの間のみ。

それ以前のことは もちろん

正成の両親など
楠木一族についての史料も僅かで

ほとんど 何も分かっていません。

正成が 歴史の表舞台に登場するまでに
何があったのか。

楠木氏のふるさと 河内国
現在の大阪府東部に残る痕跡や

研究者が語る人物像から迫ります。

大阪府 千早赤阪村。

楠木正成が治めた土地です。

当時から棚田が広がる農村で

正成は この地に根ざして暮らす侍でした。

隣の国 紀伊の武士との合戦に
勝つなど

いくさ上手としても知られていました。

そして 30半ば 人生が動きます。

詔を伝える。

(正成)ははっ。

≪「さきの相模守
平高時法師…」。

時の天皇である後醍醐天皇が

鎌倉幕府を倒すため
力を貸してほしいと言ってきたのです。

長く幕府と対立していた 後醍醐天皇。

このころ 幕府に追われていました。

天皇は 京都の笠置山で挙兵します。

更に 周辺の武士に 味方するよう
声をかけました。

正成も その一人です。

軍記物語「太平記」には
正成が これに応じたのは

「武士として この上ない名誉と
考えたから」とあります。

しかし専門家は
正成が 天皇側についたのは

名誉や忠誠心だけが
理由ではないといいます。

当時 鎌倉幕府は
混乱していました。

実権を握る北条高時は

「田楽」といった踊りを好み

肝心の政治は人任せ。

しわ寄せは 武士たちに来ました。

50年ほど前の蒙古襲来の後

幕府は 満足する恩賞を
用意できませんでした。

武士たちは困窮しました。

もはや鎌倉には ご恩じゃ 奉公じゃと
尽くすかいもないと

ここらの武士という武士は
皆 嘆いておるわ!

さようであろうのう。

[ 心の声 ] 幕府は
武士のためのものではのうなった。

わしの とるべき道は…。

後醍醐天皇の意向を知った
明くる月。

正成は 天皇のいる笠置山へ
向かいました。

(公家)その方には
いかなる はかりごとがあるか。

思うところを 残さず申し上げよ。

(正成)はっ。 では。

天下のことは 武略と知略
この2つによって決まりまする。

「武略」。
ただ 軍勢をぶつける戦いなら

国中の兵を集めても
関東には勝てませぬ。

(公家)何 勝てぬとな?

衰えたといっても
相手は 全国の武士を率いる鎌倉幕府。

対する後醍醐天皇の兵力は
ごく僅かです。

(正成)しかしながら 「知略」ならば

関東は ただ 鋭き刃を砕き
堅き鎧兜を破るのみ。

そして こう言い放ちました。

後醍醐天皇の挙兵から 1か月後。

ついに 鎌倉幕府との戦が
始まりました。

天皇が立て籠もる笠置山に
襲いかかる幕府軍。

一方 正成は
河内の赤坂城で
挙兵します。

しかし 兵は 僅か500。

幕府は 赤坂城へ

4万とも言われる兵を

差し向けました。

(いななき)

正成の城を見た
幕府軍の武士は…。

正成たち目がけて
登ってきます。

楠木が せめて1日なりとも
持ちこたえてくれんと

恩賞にあずかることもできんぞ!

すっかり 相手を見くびっていた幕府軍。

しかし…。

正成は それも
読んでいました。

坂東武者は命知らずというが

確かに そのとおりだな。

よく 狙って射よ!

今だ!

この時のために 正成は
弓の名手を集めていました。

うわああ!
ああっ!

うおおっ!
ぎゃああっ!

幕府軍の死傷者は
たちまち 1, 000人を超えます。

(兵たちのおたけび)

そこへ 城の外に潜ませていた別動隊が

襲いかかりました。

(正成)それ! 遅れるな!

正成も 城から打って出ます。

予想もつかない行動で
幕府軍を大いに悩ます 楠木軍。

更に 奇想天外な戦法は続きます。

ひしゃくに 熱湯をくみ

それを…。

何をするのじゃ!

何とか 城の塀に近づいても…。

うおおっ!
うわあああ!

取りつくと倒れる塀。

多くの敵を一度に倒す
正成のわなでした。

騎馬武者の一騎打ちなどを
良しとした当時

正成のゲリラ戦法に
幕府軍は 打つ手がありませんでした。

幕府軍は 作戦を切り替えます。

しかも この時

後醍醐天皇が幕府軍に敗れ
捕らわれの身に。

孤立した正成は…。

皆 よう戦ってくれた。

名もなき我らが 鎌倉の大軍を
ここまで苦しめたのだ。

まずは 上々の出来よ。

一旦 城を落とす。 我らも討ち死にじゃ。

(2人)はっ。

え?

その日の夜
赤坂城に 火の手があがります。

幕府軍は やっと正成に勝てたと
思いました。

しかし 正成は生きていました。

敵を油断させ
時を稼ぐ作戦だったのです。

さあ 正成の反撃が始まります。

河内の村を治め
河内の山城で戦う 楠木正成。

当然 楠木氏は

先祖代々
河内に暮らしていた一族と

誰しも思うところですが…。

楠木氏は 本来 河内国とは
無関係な一族だったという説があります。

当時の 武士の名字は
その多くが

住んでいた場所の地名に
ちなんだもの。

ところが…。

では どこかというと…

現在の静岡県静岡市に
今も地名として残っています。

楠木氏っていうのは

この 静岡にあった
楠村を名字の地とする

得宗被官だったのでは
ないかという説が

提起されました。

そして 得宗被官というのは

大体 鎌倉時代の後半にかけて…

静岡出身というのも意外ですが

もっと驚くのは 楠木一族が

鎌倉幕府 北条氏の家来だったかも
しれないということ。

そのうえで
幕府打倒を選んだとしたら

正成の先見の明は
相当なものだったようです。

山城を基地に
何十倍もの幕府軍を苦しめた 正成。

その山城の跡は
今も 河内の山々に見ることができます。

ということで 早速行ってみました。

私が訪ねたのは 上赤坂城。

正成が 幕府軍から逃れる
さなかに築いた

山城です。

一体 どんなお城なのでしょうか?

攻める幕府軍の気持ちで
登ってみましょう。

結構 急な傾斜が
ずっと同じように続く道ですね。

そうですね。

これ 今 後ろ見ると…

そうですね。

相手の姿が見えないですし。

攻めにくそうな場所は 他にも。

和泉さん 結構 ここ 急に
えぐれたような地形になってます。

(和泉)はい そうなんです。 これ あの…

あっ 堀なんですね。

ちょっと 草で見えづらいですけど。
(和泉)そうですね はい。

で また正面は
更に大きな堀ですね。

この場所には 当時 堀がありました。

堀には 橋が架かっていましたが

いざという時は 外すことができました。

堀と橋。

そして 両側が切り立った道。

正成は 城づくりも
巧みだったことが うかがえます。

いよいよ頂上へ。

お~ 見えてまいりました。

(和泉)着きました。
あ~! 遠くまで。

こんなに 広々としてるんですね。
(和泉)そうなんです。

でも 正成が この城をつくったのは
幕府から隠れていた時ですよね?

(和泉)なるほど なるほど。

それほど強い信頼関係を
なぜ 築けたのか。

当時の絵図に
その疑問を解くヒントがあります。

水分明神。

現在 千早赤阪村にある…

水をつかさどる水神を
祭っています。

正成は 農村の命ともいえる水を
公平に分配することで

地元の人々の信頼を得たと
考えられています。

更に 地元の有力寺院とも
結び付きを強めました。

金剛寺も
正成と つながりのあったお寺です。

私の思うには
お商売つながりやと思うんですよ。

流通つながり。

正成の本拠に近い金剛寺は

当時 街道が交わる要所でもありました。

商売をするには 絶好の場所です。

自然と 多くの人が

商売で利益を得ようと集まります。

その中に
正成がいても おかしくありません。

近年 正成の住まいの跡とされる場所で
発掘調査が行われました。

すると 中国製の磁器が
大量に見つかりました。

商いを通じて
力を蓄えていった楠木正成。

その富で 地元の寺にも寄進を行い
関係を深めたと考えられるのです。

(和泉)ちょっと行ってみましょう。
はい。

正成が築いた
地域の人々とのネットワーク。

実は その根底に 正成自身の
人間的な魅力もあったようです。

あ~! こちら 古いですね。

(和泉)楠木正成がですね 建てたと
伝承の残る 供養塔であるという。

正成が 幕府軍との戦いで亡くなった
家来のために作ったと

伝えられています。

実は もう一つ「塚」が…。

ああ また 同じような形の。
(和泉)そうなんです。

「寄手塚」という名称なんですけども。

寄手塚?
(和泉)どういう伝承か分かりますか?

え? 寄手…。

はいはい。

そうなんです。

はい。
え~!

およそ1年がたち
反撃の時がやって来ます。

正成が姿を見せたのは
千早城でした。

直後 鎌倉幕府の送った大軍に
包囲されます。

幕府軍は 今度は最初から
兵糧攻めに出ました。

ところが…。

千早城の楠木軍は
まるで こたえた様子がありません。

それも そのはず。

正成は 山中の抜け道から

千早城へ
兵糧を運ばせていました。

ルートを開き 運んだのは

もちろん
正成に協力する地元の人々です。

本当に こう まあ みんなでですね…

そのまま籠城すること 3か月。

実は 正成には
ねらいがありました。

…と思いますね。

正成の奮戦に

特に 西日本の武士たちの心は

揺れ始めます。

そこに ある情報が広まります。

幕府に捕まり 隠岐へ流されていた
後醍醐天皇が脱出したというのです。

武士たちは
反鎌倉幕府に傾きます。

伯耆の名和長年。

播磨の赤松円心。

戦いは 一気に
西日本中に広まりました。

そして ついに
あの大物が兵を挙げます。

幕府軍 司令官の一人で
名門・足利家の棟梁…

正成討伐に加わっていた高氏は

逆に 京都にある幕府の出先機関
六波羅探題を攻め滅ぼします。

更に関東では
新田義貞が鎌倉を攻撃。

北条一族 そして幕府は
打倒されました。

正成 ただ一人の戦いが起こした…

柔軟な発想 人とのつながり
そして 諦めない心。

正成は 勝ちました。

楠木正成が生まれ育ち
幕府軍と戦った地域は

現在 大阪府で唯一の村
千早赤阪村となっています。

正成は 今でも村一番のヒーロー。

マンホールを
整備する時

こんなことが
あったそうです。

現在のデザインは
中央 やや下に 文字があしらわれたもの。

しかし 初めの案は
楠木正成の鎧兜でした。

ついに 鎌倉幕府は倒されました。

正成には 河内での平穏な日々が
待っているはず… でしたが

運命は 正成を
更に困難な戦いへ向かわせます。

後醍醐天皇は
新たな政治を始めます。

「建武の新政」です。

楠木正成は 功労者として

河内 摂津 2か国を与えられました。

戦で荒れ果てた
河内の復興に取り組みます。

例えば 水神を祭る 建水分神社。

現在の場所に移し
社殿を新築しました。

当時の匠が
技巧を凝らして建てた本殿。

今では
重要文化財に指定されています。

楠木氏の
菩提寺だったという…

ここにも 正成ゆかりの建築があります。

しかし ご覧のとおり1階のみ。

三重塔の つくり途中の姿と
言われています。

なぜ こんなことに?

実は 正成が すぐ
次なる戦いに巻き込まれたからなのです。

建武の新政が進むにつれ

倒幕に参加した武士の中に
天皇への不満が高まっていました。

戦の褒美や
その後の待遇などで

貴族の方が
優遇されたからです。

出陣いた~す!

(一同)おう! おう!

やがて 多くの武士が
後醍醐天皇に背きます。

中心にいたのは
あの 足利尊氏。

正成は 天皇のもとに残りました。

迎え撃つは 楠木正成
新田義貞 北畠顕家たち。

「京合戦」と呼ばれる戦いです。

京の都の北 下鴨神社。

攻め寄せてきた足利軍 5万。

守る正成の兵は 一千足らず。

正成に勝ち目はない。
そう思われた時…。

正成は 兵に盾を連結させ
城のようにします。

そこから 矢を射かけました。

あっ…!
ぐぁっ!

(いななき)

退け~!

敵が退けば 盾を外して すかさず攻勢に。

正成の「動く城」は
敵を退けました。

一方 戦い全体は一進一退。
そうした ある日のこと。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
なんまんだぶ なんまんだぶ…。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
なんまんだぶ なんまんだぶ…。

御坊 何をしておいでじゃ?

私は 楠木判官に ゆかりある者にて。

昨日の合戦で 新田 北畠
それに楠木殿も討たれましたゆえ

せめて供養をと なきがらを
探し求めているのでございます。

そは まことか…!
はい…。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
なんまんだぶ なんまんだぶ…。

正成の戦死は
直ちに 尊氏の耳にも入ります。

正成のものと思われる
首も見つかりました。

首はさらされ
正成の死は 広く知れ渡ります。

同じ頃 天皇側の軍勢が

一斉に 都の外へ
逃げ始めました。

新田 楠木勢
いずれも都を落ちてゆく様子にて…。

断じて逃すな!

我が手元の兵を繰り出して
追い打ちをかけよ!

はっ!

尊氏は 手持ちの軍勢を
追撃に向かわせます。

すっかり手薄となった 総大将・尊氏の陣。

その時!

今だ! 足利を蹴散らせい!

(一同)おう!

そこには 戦死したはずの正成が…。

死んだという 偽の情報を広める。

兵士たちを逃げさせ
足利軍が追いかけるようにしむける。

全て 正成の計略でした。

足利軍の本陣は
正成たちの総攻撃で 大混乱に陥ります。

大軍を擁しながら負けた足利尊氏は
九州へと 落ち延びました。

またもや 奇跡の勝利をおさめた 正成。

ところが…。

この時 それまでなかった光景を
目の当たりにします。

敗北したはずの尊氏に
ついていく

大勢の武士たち。

3か月後 尊氏は勢力を盛り返し
再度 攻め上ってきました。

迎え撃つ 正成。

はるかに少ない兵で
果敢に戦いました。

足利軍を さんざんに苦しめ
しかし 追い詰められていきます。

天皇のもとに駆けつけ 5年。

楠木正成の戦は終わりました。

それから600年。

実に 太平洋戦争の頃まで

正成は 天皇の忠臣というイメージで
語られ続けました。

そして戦後
正成像は変化していきます。

1958年 新聞に連載された…

その一節 正成と息子・多聞丸との会話。

河内の楠木正成に会うてくれと
言われて…。

村に根ざした人物として
描かれた正成。

河内の大根は まことは
もそっと大きゅうて 立派で

うまいのじゃがのう。

うん 芋は よう育ったのう。

そして 去年。

正成のふるさと・河内が
文化庁の日本遺産に登録されました。

金剛寺や 歓心寺など
正成ゆかりの場所です。

♬~

大きな敵に挑み
時代をも動かした 楠木正成。

再び 光が当たっています。

♬~


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