ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 藤田晋×小松靖 サイバーエージェント社長・藤田は若干24歳で起業…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 藤田晋×小松靖』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 藤田晋×小松靖


サイバーエージェント社長・藤田は若干24歳で起業。ITバブルの波にのり、当時史上最年少で東証マザーズ上場。今挑むのは、今月名称を変えたネットTV・ABEMA。その狙いは?


詳細情報

番組内容

藤田は1998年に起業し、2年後、26歳で東証マザーズに上場。約225億円の資金を得て時代の寵児となるが、すぐにITバブルが崩壊。株価が低迷し、会社存亡の危機を経験した。しかし、その後着実に売り上げを伸ばし、2014年には東証一部に上場。日本を代表するネット企業に。今、社運をかけて挑むのが2016年に開局、今月から名称変更したインターネットテレビ「ABEMA」。若者を中心に人気だが、年間200億円もの赤字を出しているという。

番組内容2

話題は多岐にわたる。福井県の田舎町で華やかな世界に憧れた少年時代。雀荘で働き、人を見る目と経営の要所を学んだ学生時代。26歳で上場、時代の寵児から一転、ITバブルの崩壊による苦悩の日々。元ライブドア・堀江貴文、楽天・三木谷浩史、USEN・宇野康秀、村上ファンド・村上世彰…有名経営者との知られざる人間ドラマと修羅場。話題の番組の舞台裏から「ABEMA」にかける想いまで。小説のように波乱万丈な起業家人生を明かす。

出演者

【ゲスト】藤田晋(サイバーエージェント代表取締役社長)

【インタビュアー】小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、テレビ朝日映像


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ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 藤田晋×小松靖
  1. 会社
  2. 藤田
  3. 宇野
  4. サイバーエージェント
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  6. ホント
  7. AbemaTV
  8. 起業
  9. 当時
  10. 意味
  11. 麻雀
  12. コミュ障
  13. 結構
  14. 言葉
  15. 営業
  16. 仕事
  17. 上場
  18. 普通
  19. アルバイト
  20. ダメ


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AbemaTV





〈IT事業で財を成した男には

原点ともいうべき趣味がある〉

ここは… あっ…。

(藤田)あっ こんにちは。
こんにちは!

今日は よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

お世話になります。

あっ ここが会場ですか?

まあ
麻雀ファンの聖地みたいな…。

うわ~… 今日は
ここでお話を伺えるという事で。

そうですね。
立派なスタジオ…。

そうですね。
麻雀専用スタジオで

この大きさっていうのは
もう 前代未聞だと思いますね。

ですよね。

麻雀っていうのが
これまで 結構マイナーなもので

個人の配信みたいなので
やってたんですよね。

で 非常に そのアマチュア感の
ある映像だったのを

一気にプロ化しようという事で

お金をかけて作ったという事
ですね。

お金をかけて作った…。
まあ このスタジオですね。 はい。

すごいね~。

これ AbemaTVで
放送されてるわけですけれども

今日は
そのAbemaTVも含めて

そして藤田社長は
一体 どのような半生を経て

現在に至るのかっていうところを

お聞かせ頂きますけども
よろしいですか?

よろしくお願いします。
今日は よろしくお願いします。

♬~

(鐘の音)
(拍手)

〈早くから

インターネット広告事業を展開し

今や 国内トップシェアを誇る〉

〈時代の寵児と呼ばれた
IT社長だ〉

〈起業は 24歳の時だった〉

〈役員2人とアルバイト1人〉

〈3人でのスタート〉

〈ITブームを追い風に
2年後には

当時史上最年少26歳で

〈時価総額 およそ700億円は

ネット社会にあって

将来を見込まれた証しに
ほかならない〉

〈それが程なく
ネットバブル崩壊〉

〈死んでわびろと投資家に迫られ

買収の危機にも直面する〉

〈困難に見舞われながらも
窮地を脱すると

そこから
売り上げは右肩上がり〉

〈2014年には 東証一部に

市場を変えるまでに
なっていた〉

〈昨年度の売り上げは
4500億だ〉

〈2016年
社運を賭けた勝負に出る〉

〈テレビ朝日と共同で

AbemaTVを
立ち上げたのだ〉

〈今月からは 「ABEMA」と
名称を新たにした〉

〈国内最大級のコンテンツを
そろえる

インターネットテレビとして

ニュース ドラマ スポーツ
麻雀などを

無料で提供する〉

さて 台風が近づく沖縄ですが

あさって30日が
県知事選挙の投開票日になります。

♬~「相当ありがとう今夜」

〈ネットテレビ事業は 実は

3年連続200億の赤字続き〉

〈それでも手を引かないのには
訳があった〉

♬~

♬~

♬~

「詐欺師だ」とか 「だまされた」
って言う その株を買った人。

「サイバーエージェントは
ここがダメだ」とか

「藤田は どうしてダメだ。
こういう事をしていた」

みたいな感じで
いっぱい言われ始めると

強烈だったんですよね。

まあ 想像以上というか。

♬~

昔は もう 髪も長いし

コミュニケーション障害
コミュ障といわれる…。

コミュ障 いわゆるコミュ障。
ええ。 コミュ障だったし。

一方で僕らは
社交的な会社じゃないですか。

要は 営業や…
まあ そういうふうに。

そういう意味では

♬~

もう生まれながらに…。

麻雀から すごく学びましたけど。

麻雀 イメージ悪いですけど
僕は 子供の教育とかにも…。

藤田さん 改めて
よろしくお願い致します。

はい お願いします。

2016年から 私 AbemaTVで
お世話になりまして。

2年半ほど やらせて頂いて。
そうですね。

AbemaNewsのメインの

『ABEMA Prime』の
キャスターをやってくれて。

ありがとうございました。

こちらこそ ホントに
お世話になりまして。

藤田さんのイメージって
やっぱり その…

革命的な事をなさる…。
なんていうんでしょうかね。

フロンティアだっていう部分と

日本の大企業の…
経済をつくってきたような

重鎮たちにも なんか こう
好かれるタイプであるって

そこをうまく
両方できるっていいますかね。

だって ねえ…。

まあ でも やっぱり…
僕は やっぱり その

先輩に対する敬意っていうのを
まず持ってるし。

それが どれだけ大変…
つくり上げてきたものか

っていうのは 自分でも経験して
よくわかってるつもりなので。

そういう意味では
他のIT経営者よりは

ちゃんとしてそうに見え…。

あっ でも それで得してるとこ
ありますね。

(スタッフの笑い)
あります。

いや あの 決して

してそうに見える
って事じゃない…。

〈1973年
福井県鯖江市に生まれる〉

〈父は カネボウに勤める
サラリーマン〉

〈本人いわく 中流家庭で

いつか大成する事を
夢見ていた〉

藤田さんは 一体… 幼少期

どんなお子さんでいらしたのか
っていうところから…。

普通ですけど。
普通?

はい。
ハハハハ…。

普通と言ってもね
普通じゃないと思うんですよ。

ホントに普通なんですよ。
あっ そうですか。

結構 経営者が成功すると

自叙伝とかで 幼少期を こう
話を盛っちゃうというか

大げさに言いがちでは
あるんですけど

まあ ホント 僕は
普通の4人家族の

平凡な中流家庭というか。

僕の父親の父親…
おじいちゃんですね。

…は実業家で 結構大きく
事業をやってたんですけど

会社
倒産させちゃってるんですよね。

それで 家族を 結構
大変な目に遭わせた事があって。

長男だった父は
サラリーマンになるっていう事が

まあ ある意味
誇りに思ってたんですよ。

で そのサラリーマンの
父親を見て

カネボウの社宅で こう
みんなと同じような

平等みたいな間取りの部屋に
住んでて

こんな人生は嫌だと
僕は思い始めたんですよね。

やっぱり
1回しかない人生なんで

ミュージシャンでも
プロ野球選手でもいいけど

何か こう 大きく…

なんか華やかな
目立つような事をしたい

というふうには思ってた
って感じですね。

バンドを組んで
いらしたんですか?

はい。 それは もう
中高6年間やってたんです。

そういう 福井の田舎で こう

閉塞感のある世界にいる
僕たちとしては

それを話し合ってる事自体が

すごく こう 開放感があったり
ワクワクする話だったんで。

まあ ただ やっぱり
中学 高校となるうちに

自分に可能性があるものが
狭められていくじゃないですか。

別に
野球選手になれるわけじゃないし

ミュージシャンは
実は目指してたんですけど

それも 才能がないのは
自分が一番よくわかってたので。

それで あの~
バンド仲間たちに…。

悔し紛れに言ったのが
起業家を目指すきっかけになった

っていう感じですね。

なぜか そこで じゃあ 例えば

「藤田は何やりたいの?」って
友達と話した時に

起業家っていう事をチョイスした
っていう事は もう…

何かがあったんだろうな
っていうふうに思いますよね。

いや 正直 消去法というか。

消去法ですか!? あれ?

〈在学中は しかし
勉強そっちのけ〉

〈麻雀にいそしみ
プロを目指すほどだった〉

入学して最初の方は
学校に行って 普通に

新歓コンパとか そういうのにも
出たりしたんですけど

しばらくしたら もう
麻雀荘に入り浸っちゃいました。

そうですか。

やっぱり なまじ強かったんで
すごいハマっていくんですけど

まあ 当然のように留年しました。

大学の勉強は
そんなに あれですか?

面白くなかったですか?

う~ん まあ 面白くない以前に

雀荘に行きたいっていう…。

ハハハハ…!

引きが強くて。
あっ そうですか。

いや でも そこまで… 逆に

夢中になれるものがあった
っていうのは すごいなと…。

夢中というよりも
中毒に近いんだと思うんですけど。

雀荘で もう そのまま
アルバイトもする事になって

「どうせ ずっといるんだから
藤田君 店員になったら?」

って言われて。
「はい わかりました」みたいな。

店員さんっていうのは
どういう事をする…?

店員は 主には 1人で入って…

1人で来たお客さんと
一緒に打つんですよ。

なるほど。
打ってない時は

飲み物を出したりとか
するんですけど。

で やっぱり
強い店員さんっていう事ですか?

そうです。 それは もう
その月の通算成績が出るので

僕が強いというのは
数字から出てたんですよね。

どれぐらい強かったんですか?

あの 大半の…
メンバーというんですけど

メンバーの人
負けちゃうんですけど

僕だけ
ずっと毎月勝ってたんですよ。

それで 自分もプロになろうかな
っていうの

その時 頭をよぎったんですよね。
はい。

それを選択してたら

今の起業家としての自分は
なかったんで

危なかったんですけど。

どこで こう
やめられたんですか?

あの~ やっぱり

麻雀店員として働いている
人たちを見ていった時に

ちょっと失礼ながら
かなり… なんですかね こう

待遇も良くないし こうなっちゃ
ダメだっていうふうに…。

まだ大学生だっただけに
思えたっていう感じですね。

〈将来の事を考え
麻雀を断ったあと

次に夢中になったのは
アルバイト〉

とりあえず
なんか わからないけど…。

雀荘とかバーで働いてても

全然近づくような気がしないから。

それで 学生でも雇ってくれる
会社を探して

営業のアルバイトを
始めたんですよね。

それが たまたま
青山学院の向かいにあった

青山にある
ちっちゃな広告代理店で

オックスプランニングセンター
っていう

誰も聞いた事ない
社名だったんですけど…。

飛び込み営業と言われる
アポイントも取らず

突然訪問するような
営業だったんですけど

1日100件以上
飛び込むんですけど。

うわ~。 1日100件?
100件といえば

もう 心も体もやられる
っていうような仕事で

で それをこなしてるうちに
根性があるヤツだと思ったのか

他の仕事も 色々
やらせてもらえるようになって。

で 経営陣とも仲良くなって
というふうにしてるうちに

まあ 10歳年上なんで
大した年齢も変わらない人たちが

社長だ専務だってやってて。

しかも すっごい 会社経営って
大変なんだぞって話を

僕に こう
飲みながら話してくるんです。

っていうふうに
思い始めたんですよね。

〈会社経営の興味は

やがて目標に形を変えていく〉

〈起業の際
背中を押してくれた人がいる〉

〈リクルートから独立し

のちに USEN社長となった

宇野康秀だ〉

〈当時32歳〉

起業するっていう選択肢も
なくはなかったんですけど

まずは どっかで 修業 もう一回
してみたいというのがあって。

その時に…

当時の僕のアルバイト先の
ライバル会社みたいなのがあって

それが 今 USENの宇野さんが
つくってた会社で。

その宇野さんの話を聞いてると

ものすごく こう 熱い事を
大きな目標を…

聞いてる人は
恥ずかしくなるような事を

サラッと言ってるんですよね。

「いつか 日本で一番の
会社になるんだ」みたいな事を。

それを聞いた時に なんか
福井県の時に…。

僕としては
もう それ聞いた瞬間…。

ちょっと
働き方改革の真っただ中で

言いづらいんですけど…。

なんで そんな事できるんだ?
って事をやってましたからね。

もう 自分に対する先行投資だと
思ってましたから。

そういう意味では
新卒の給料なんか

すごく安いんですけど

それ お構いなく
ものすごい働いてたんですよね。

1年目から 5000万円という
成績を上げたという…。

そうですね
粗利益でっていう事ですね。

そんな人は周りにいないですよね。

当時
あまりにも働きすぎてたんで

給料に見合ってないみたいな事を
言う人がいたんですけど

そんな事 考えてないんですよ。
今 頑張れば

将来 そこで経験値を積んで
実力…

仕事ができるヤツになれば
あとから回収できる

と思ってやってた
って感じなんで。

早くも1年目で
大きな変化がやって来たと?

はい。
もう仕事に夢中になってたし

僕は 就職した会社が
すごく気に入っていたので 僕は。

居心地も良く。

辞めようとか
全然考えてなかったんですけど

僕がアルバイトしてた
オックスプランニングセンターの役員で

内紛が起きて
専務が辞めるという話を聞いて

僕を一番かわいがってくれてたの
専務だったんで

その専務に会いに行って
「一緒に会社つくりましょう」

という話に
なっちゃったんですよね。

〈かつての上司を社長に
共に起業する計画は

結局 頓挫してしまう〉

〈宇野の意外な言葉に
心が揺れたのだ〉

1年目の1月の初日の 出社日に

「会社辞めます」というふうに
言いに行ったんですよね。

そしたら 結構
思ったより大騒ぎになって。

すぐ 宇野さんから
電話かかってきて

「話を聞かせてくれ」という事で

「こうこう こういう企業プランで
起業します」。

そしたら 宇野さんから

「じゃあ」…。

っていうふうに
言われたんですよ。

ちょっと コロコロ 心変わりして
恥ずかしいんですけど

こっちの方がいいと
思っちゃったんですよね。

こっちの方がいいと?
はい。 社長をやった方がいい。

そうですもんね。 即社長ですから。

より早くキャリアアップしたい
という気持ちがあったのと

やっぱ 準備する段階で

自分が 一番
社長に向いてるんじゃないかって

うすうす思ってたんですよ。

そこで… なんか まあ
たもとを分かつ事になって

僕一人で 起業する事になった。

今のエピソードの
ポイントというのは

宇野さんが 「いや 行くな」と
引き止めるぐらい

当時は 業績を上げ

将来性があるっていうふうに
見込まれたって事ですよね?

宇野さん その当時も
言ってたんですけど

そういう… 藤田が優秀だから
っていうのが半分と

もう半分は…。

それは 同じ経営者になった今
すごく よくわかるんですけど。

単純に辞めて こう見切りを付けて
自分でやるんじゃなくて

やっぱり…。

だから出資すると。

まさか 入社1年目で

起業の夢が
かなってしまうという。

まあ 夢がかなうっていっても
まず…

僕が1人で起業するという事と

出資してもらえる事が
決まった以外は

事業内容も何も考えてなくて。

どういうふうに始まったんですか
その会社っていうのは。

それが決まったあとに まず
仲間を集めなきゃいけないんで

同期の…
今は もう 副社長の日高を

「同期を1人
連れてっていいですか?」

というふうに
宇野さんにも確認して

オッケーをもらって
連絡したんですよ。

それから 日高と 事業内容を
検討したって感じですね。

じゃあ
実質 社員2人で始まって…。

まあ 役員2人とかですね。
役員2人…。

場所とか… オフィスっていうか
どうしたんですか?

オフィスは
原宿の結構いいオフィス

最初から借りたんですよね。

家賃40万ぐらいか。
はい。

1000万しかなかったんで
トータルで持っている資本金が。

それが その家賃… 敷金とかで

大体 半分ぐらい
なくなったんですよ。

なるほど。
で もう

4月から営業スタート
みたいな感じなんで。

不安感なかったんですか? 当時。

今だったら
相当 不安になると思います。

あっ 逆に今?

ただ 当時
24歳で 会社 起業してるんで

訳わかってなかったんですよね。

〈1998年
サイバーエージェントを設立〉

〈役員2人に アルバイト1人〉

〈大きな目標を掲げた割には
いささか寂しい船出だった〉

〈今や
グループ全体で

4500億の
売り上げを誇る

サイバーエージェント〉

〈社員5000人の大企業は

22年前 3人でスタートしていた〉

1998年に会社つくったんですけど
当時

そうすると
技術者のすごく先進的な人が

ネット業界には いるんだけど

営業とかマーケティングは
非常に弱かったんですよ。

なるほど。

という事で
サイバーエージェントという会社を

つくったんですよね。

で そこから広告代理業が

今も大きな事業の柱に
なってるんですけど。

なんでサイバーエージェント
っていう名前なんですか?

これも自慢できた話じゃ
ないんですけど

あの… まあ ネット系をやろう
っていうのは決めてたんですよ。

当時はITが盛り上がってきて…。
盛り上がってきてというか

まだわかんなかった
状態だったんで。

ちょっと 前夜ですね。
はい。

でも なんか やっぱり 名刺持って
アポイント取って話す時に

うさんくさいと
思われたくないのがあって。

ちょっと申し訳ないんですけど

電通のグループ会社で
サイバー・コミュニケーションズとか

サイバーキャッシュっていう
ソフトバンクグループの会社とか

ちょっと似てるので 割と

大資本の会社があったんですよね。
なるほど。

それっぽい感じにしよう
って事になって。

参考にするという。
ええ 参考にっていうか

まあ なんだろう…。

それっぽい雰囲気の名前で

名刺にお金をかけよう
って事になったんですよ。

〈ネット社会の夜明け前〉

〈可能性を模索し
朝9時から深夜2時まで

週110時間働いた〉

〈同じベンチャー企業で
互いに会社を支え合ったのが

ホリエモンこと 堀江貴文だ〉

元々 そういう

営業とかマーケティングに強い
会社ですよという事で

技術力は なかったんですけど

そこの技術力の分野を

堀江貴文さんがやっていた

オン・ザ・エッヂっていう会社。

ライブドアの前身というか
名前変える前の会社ですね。

オン・ザ・エッヂに任せていて

オン・ザ・エッヂは そういう
営業力やマーケティング力がないのを

サイバーエージェントに任せて。

ようなとこ あるんですよね。

堀江さんのところっていうのは
技術力はあったんですね?

堀江さんは 完全な
技術屋さんだったんですよね。

Geekっていうふうな
ネット上の言葉があるんですけど。

ギーク。
ちょっとオタクって意味ですよね。

オタクみたいな感じですね。
もう 見た目からして

この人は技術者だって
一瞬でわかるような。

まあ 今 堀江さんっていうのは
堀江さんじゃないですか。

はい。
だけど 昔は もう 髪も長いし

コミュニケーション障害
コミュ障といわれる…。

コミュ障 いわゆるコミュ障。
ええ。 コミュ障だったし。

まあ 変な人たちだったんですよ。

オン・ザ・エッヂの人たちって。
へえ 面白い。

一方で僕らは
社交的な会社じゃないですか。

要は 営業や…
まあ そういうふうに。

そういう意味では
足りないところが

すごく補完関係が
あったんですよ。

で 堀江さんと息も投合して

次々 共同事業を
やっていったんですけど…。

例えば 「今からでも
“Yahoo!"を超える

検索エンジンって
作れちゃう」とか。

それに僕が乗っちゃうと…
「やろう」と。

回収するのは僕なんですよね
やっぱ。

(スタッフの笑い)
やりきらなきゃいけないというか。

そういう意味では
責任感が非常に強いんで

逆にいうと 責任感が強いが故に

気軽に…
「そんな簡単じゃないよ」って

「言わないで」って
言いたくなるんですけど。

でも それは両方必要で…。

〈やがて 時代も追いついてくる〉

〈アメリカのシリコンバレーが
世に知られ

瞬く間にインターネットが普及〉

〈ネットビジネスが
急成長したのだ〉

始めてから
ちょうど1年ぐらい経った頃に

突然 渋谷近辺が

渋い谷なんでビターバレーと
呼ばれ始めるんですね。

それが名前を変えて
ビットバレーというふうに言われ始めて

その直前にアメリカで
シリコンバレーの会社を中心に

株価が高騰していったんですよ。

日本でも
株が上がりそうだという事で

ネット企業の株を買え
っていう事になったんですけど

ネット企業で上場してるとこ
日本は まだほとんどなくて

これから上場しそうなところの
株を買いたいという事で

ネット企業で上場してない会社に

ベンチャーキャピタルとか

投資家が
殺到し始めたんですよね。

サイバーエージェントは もう
会社つくってすぐ

そういう取材対応とか
すごい頑張ってて

僕が
よく取り上げられた事もあって

投資家が殺到し始めて。

もう ちょっと信じられない…。

ちょうど 我々
会社をつくったのが

1998年の3月で

その2000年の3月
ちょうど丸2年経った時に

僕は もう
上場しちゃったんですよね。

26歳。

という感じだったですけど。

(司会)真ん中が弊社の代表取締役
藤田晋でございます。

よろしくお願いします。
(司会)よろしくお願い致します。

〈市場では
1520万円の初値が付き

時価総額はおよそ700億円〉

〈225億もの資金を調達した〉

〈時代の寵児となった藤田が

直後にまさか
地獄を見る事になろうとは

誰が予想しただろう〉

2000年3月に上場するんですけど

その翌月の2000年4月から

早くもネットバブルが
崩壊し始めたんです。

はあ~。

株価が暴落すると
損してる人は怒り始めるんですよ。

「詐欺師だ」とか 「だまされた」
って言う その株を買った人。

当時は
なんでもかんでも上がってたんで

買ったはずなんですけど
上がらずに ずっと落ちてる。

で 10分の1ぐらいまで
落ちていくんですけど。

その過程で やっぱり大損した人が
ものすごい怒ってて。

怒ってるのを見た
やっぱり メディアが

なぜ みんなが怒るのか
っていう取り上げ方を

今度はしてくるんで。
逆回転のように

「サイバーエージェントは
ここがダメだ」とか

「藤田は どうしてダメだ。
こういう事をしていた」

みたいな感じで
いっぱい言われ始めると

もう お手上げなぐらい。

今でいうと炎上のような状態に
どんどん入ってる。

世の中もメディアも

大変に藤田さんの事も
サイバーエージェントの事も

もてはやした時代があって。

まあ それは わかっては
いたつもりなんですよ。

持ち上げられたのも
実力以上に持ち上げられたし

それによって
相当な恩恵を受けたんで

逆も しかりだぞっていうのは

みんな 周りの人も
言ってくれていたし

わかってたんだけど
実際にその場に立ってみると

強烈だったんですよね。

まあ 想像以上というか。

そのネットバブル崩壊

そして 会社の株価が
低迷していたっていう この時期

どうやって乗り越えたんですか?

正直 振り返ると

ただ耐えてたとしか
言いようがないんですけど

我々 上場した時
225億円 調達してるんですよ。

ネットバブルだった事もあり。

それを十分に使えず

200億円ぐらい
まだ余ってる状態で

それを株式の価値が
時価総額っていうんですけど

時価総額
割り込んでいったんですよね。

100億円切る…
80億円ぐらい下がっていったと。

経営っていうのは やっぱり
結果を出すのに時間がかかるので。

少なくとも1年 2年 3年って
かかってくるんで

その期間を耐えるしか
ないんですけど

ホント ただ耐えてた
っていう感じですよね。

忍耐で耐えてるうちに

今度は
M&Aコンサルティングの

村上ファンドの村上さんが
株を買い始めたんですよ。

〈サイバーエージェントの株を

大量に取得した村上世彰と

藤田は 200億の現金を巡り
対立する〉

さっきあったように
200億の現金がある会社が

100億未満で
売ってるような状態なんで。

で 村上さんは株を買って

「持ってる現金を
株主に返すべきだ」

という証言してるんですけど。

…と主張し始めたんですよ。

将来性と成長性を見込んで
集めた金であり

それをやってる最中なんで

今 返すわけにいかない
という事で

交渉してたんですけど。

結構 難しい局面に陥って

誰かがその気になれば…。

その時間はヒリヒリしますね。
いや~ きつかったですし

1回 諦めかけたんですよね。

僕が出身である
USENの宇野さんが

やっぱ 会社のカルチャーが
近いんで

誰かに会社を
支配されるぐらいだったら

宇野さんに頼もうと思って

宇野さんに
頼みに行ったんですよ。

〈業績は落ち込み 株価も低迷〉

〈もはや 身売りしか道はないと

宇野社長に打診した〉

〈その時の心境を
著書にこうつづっている〉

まあ 僕からしてみると

宇野さんが買うのは
当たり前だと思ってたんですよ。

もう はっきり言って。

200億金がある会社が
80億 90億で売ってるんで

当然 こんないい話は
ないですから。

だから もう
お世話になった宇野さんに

それも含めて いい話で
持ってきたつもりで言ったら

「いらねえよ お前の会社なんて」
って言われて。

宇野さんは突き放したんですね。
突き放した。

で 頭が真っ白になって

どうしていいか
わからなくなったんですけど

また必死になってる時に…。

っていう形になったんですね。

三木谷さんが。
そうです。

三木谷さんが 「やっぱり

ベンチャー企業が
たたかれてるから助けなきゃ」

っていうふうに言ってくれて。

ホワイトナイトって
いうんですけど

助けてくれたって事ですね。

三木谷さんから
「信念を貫けよ」っていう

シンプルな言葉を言われて

「足元の四半期とか半期とかで

なんとか言われたとおり
黒字化してみせたりとか

っていうのは意味がないんだ」
っていう事を言われて

もう それで結構
腹がくくれたというか。

結果…。

それじゃあ インターネットという
大きな市場で

日本にもメガベンチャーを
出そうという事で

証券取引所が
新しくできたりとかしている。

それに僕は共感してましたし
そこにベクトルを合わせて

成功例になりたいと思って
やってたので

「信念を貫け」という言葉で
それを思い出して

やったって事ですね。

〈三木谷の支援もあって
会社は息を吹き返し

そこから 大躍進が始まった〉

〈ネット広告を軸に

アメブロやゲームといった
新規事業を開拓〉

〈売り上げも
ぐんぐん伸びていき

気付けば 日本を代表する
IT企業になっていた〉

投資をしていれば つまり

種まきをしていれば
その時は黒字化しない…。

先に実はなるけれども
その時は やっぱり その

マーケットから それから

株主からの付き合いも
あるっていう中で…。

まあ みんな
わからないですからね。

それ もっと言うと
社員ですらわからないですよ。

「これ ホントに利益出るのか?」
みたいな。

やっぱ それをこう…。

それを証明するまでは
かなり長い時間

忍耐力を
要するものだと思うんですよね。

だから
その忍耐が大事だっていうのも

それも三木谷社長から教わって

あまり こう 面と向かって
目の前の業績と向き合ってると

社長業って結構
思い詰める人多いじゃないですか。

中小企業の社長とかでも

よく 「首をくくりたくなる」
みたいな事言うのは やっぱ…。

アドバイスを受けて。
趣味がなかったんで 仕事しか。

「何がいいですか?」って聞いたら

「ワインか乗馬か
ゴルフがいいんじゃない」

って言われたんですよ。

で 今 ワイン大好きですけど
そんな飲んでなかったし

「乗馬ってなんだろう?」
みたいな感じだったんで。

(一同 笑い)
「乗馬ってなんだろう」…。

だから ゴルフは始めたんですよ。
ゴルフ。

しばらく結構 それでハマれて

まあ 時間をやり過ごすのに

ちょうどいい趣味見つけた
っていう感じだったんですけど。

趣味の時間を取らないほど

そこまでは お仕事で
突っ走ってたわけですもんね。

それは そうですよね。

やっぱり 24で会社つくって
26で上場してるんで

息継ぎなしで働きまくってないと
そうはならないですよ。

私は AbemaTVの
AbemaNewsチャンネルの

『ABEMA Prime』という

基幹ニュース番組と
位置付けられた番組を

開局当初から やらせて頂いて

まあ 司会を
2年半やったんですけども

アナウンサー人生 変わりました。
ああ そうですか。

まあ ネットで
人気者になりましたしね。

いや もう 人気者かどうか
わかりませんけども…。

こんばんは。

手のひらから
世界に繋がるニュース番組

『ABEMA Prime』。

〈局アナでありながら

時に自分の会社を批判するなど

ネットユーザーと
真摯に向き合った小松は

多くの支持を集めた〉

外が すごいですもん。

外 まず 見に来てくださってる
お客様が もう…。

うちわ。
(石井)うちわを。

小松さんのうちわを。

(向井)自作ですよね 皆さんね。

(石井)すぐできるもん
じゃないですよ だって。

視聴者さんからのコメントも
あります。

「頑張り屋さんで 自分の意見を
はっきり伝えられる小松さん」

「小松さんは社畜だけれども

自分の組織に間違いがあるならば
声を上げられる正義の社畜だよ」

ああ いえいえ。

「正義の社畜」 いい言葉ですね。

〈インターネットテレビで
小松が感じたのは

こんなに…
この仕事 20年やってきて

まあ 同じメディアの世界にいて
景色が変わるんだなと思って。

それが やっぱり ちょっと…
そうですね

驚きの連続でしたね
その経験というのは。

それは やっぱ
反響があるって事ですか?

それが 一番大きいです。

う~ん。 言ってるさなかから
コメントが並びますもんね。

AbemaTVって
こう コメントを書いて

それが見られるようになって
画面に流れてくるんですけど。

そうなんです。
私が発言したら

それに対する色んな賛否の声とか
上がったりとかして。

そのインタラクティブなものが

やっぱり その…
ネットならではですし

でも ネットでも こういう形態
って 今までなかったよな

っていう事を
毎日 やらせて頂いて

ホントに興奮の…

新しい経験の連続でしたね。

やっぱり あの…
アナウンサーがかんだだけでも

やっぱり
ちょっと面白いかみ方したら

「かんだ かんだ」
言いたいんですけど…。

コメント欄にね。
コメント欄に並んでるの。

まあ そこから 実際 なんらか
アクション起こすにしても

やっぱ 可能性を
十分 秘めていて

やっぱり テレビが
dボタンみたいな話だと

まだ そこには追いついてないな
っていう感じがしますね。

あれだけでは
インタラクティブとは ちょっと言えない。

サイバーエージェントの
藤田晋社長が

お見えになってまして…。

(石井)
お越し頂いちゃってるんですよ。

(拍手)
(石井)ありがとうございます!

すみません。
ありがとうございます。

〈藤田が中心となって仕掛けた
ABEMAは

無料という事もあり

3年連続
年間200億の赤字を出している〉

〈けれど 藤田は
それも投資と動じない〉

これを…。

「なんとかなる」というのは
ちゃんと収益も上げられ

安定的に コンテンツを
提供できるサービスになる。

まあ そのための先行投資を
ずっと やってるんですけど。

いやあ 世の中のユーザーの

やっぱり
関心の移り変わりが早くて

そこを どうやって
きちんと捉えた上で

そして ビジネスに転換していくか
っていうのは

これは難しい…。

まあ でも
総合プロデューサーとして

AbemaTVもサービスから
企画してるんだけど

やってる事は
ホント シンプルで…。

そうじゃなくて
若者は こうだろうとかって

あてずっぽうになると
今度は間違えるので。

だから…。

まあ それは簡単な事なんだけど
これをズバッと言えるって

それなりの権力者がやらないと
ダメなんで

まあ AbemaTVでは
社長兼プロデューサーとして

やってるという感じですね。

じゃあ 逆に テレビは
どうしたらいいんでしょうか?

これは テレビが コンテンツが
どうのこうのというよりは

テレビデバイスに映るテレビ
という不便さというか… 今の。

要は AbemaTVを

スマホでも見れるし

タブレット端末でも見れるし
テレビデバイスでも見れるんで。

タイムシフトでも見れるし

追っかけ再生でも見れるしとか
やってると

テレビの方…
やっぱ ネットの方が便利だな

って事に
結局なっていくんですよね。

だから…。

7時からの番組は やっぱり

7時に テレビの前に行かなきゃ
いけないっていう事の

やっぱり 不自由さっていうのが
どうしてもあるんで

やっぱり ホントは そこから
打開しなきゃいけないんで

キーパーとかを
僕に作らせてくれれば

めちゃくちゃいいのを作る
自信あるんですけど。

まあ ちょっと
調整が面倒くさそうで嫌ですけど。

やっぱり ユーザー目線で…

使ってみて
ユーザー目線で これいいね

っていう事を突き詰めていく…。

まず
そこが 一番大事なんですけど

ホント それを
マネタイズも考えずに

好きな事 言える立場っていうのは
やっぱり社長とか

そういう人じゃないと
なかなか言えないんで。

まあ そういうのもあって

自分でやってるっていうのが
あるんですけど。

〈藤田は 今年

エンタメ界に
貢献した人物に贈られる

渡辺晋賞を受賞〉

〈今 力を注いでいるのは麻雀だ〉

〈プロリーグのチェアマンを務め

その魅力を伝えている〉

ビジネスと麻雀っていうのは
共通点があるっていうのは

やっぱり
ホントに そうなんですか?

それも みんなより早く上がって
「ロン」って言えば

他の手を伏せさせられるんで。

早く上がるか
大きい手をなんとか作って

逆転するかしなきゃいけなくて。

これ もう人生そのもので

もう生まれながらに
すごいイケメンで

金持ちの家に生まれてるような
配牌を手にしてる人もいれば

ホント クズみたいな配牌から
それでも頑張ってる人もいて。

やっぱり…。

将棋とか囲碁とかって
完全な平等な中で

しかも
全部 情報が伏せられていない。

麻雀 イメージ悪いですけど
僕は 子供の教育とかにも…。

ものだと思いますから

そういう意味では
教材にしてもいいと思ってますね。

藤田さんは

21世紀を代表する会社をつくる
という…。

それは
サイバーエージェントの会社の

ビジョンとして
掲げてるんですけど

まあ 我々は
素晴らしい会社をつくろうと

すごい会社をつくるんだ
っていうのを

そもそもの起業の目的にしていて

すごい会社をつくるために

それに ふさわしい事業を
立ち上げなきゃいけないし

それに ふさわしい社員を
集めなきゃいけない

ふさわしい モラルある会社に
しなきゃいけないという事で

すごい会社にするっていうのが
目標なんですよね。

で 20世紀で やっぱり あの…

SONYとかHONDAのような
会社が

世界に誇れる日本企業に
なりましたけど

我々 まだまだ ほとんど

ドメスティックな
日本国内の会社なんで

これから頑張って

世界に誇れるような会社に
していきたいと。

藤田さんの おっしゃる事で
いつも 私は感銘を受けるのは

会社っていうのは

1人でできない事を
みんなでやる場所なんだって。

だから 今 「会社」っていう言葉を
繰り返し おっしゃったところに

やっぱり そこへの思い
っていうのは あるんだなって。

そうですね。
やっぱり 会社自体が

みんなでつくる
芸術作品みたいなもので

同じものは二度とできないような

素晴らしいものだと思ってるんで

すごい会社をつくっていく
というのが

我々のビジョンであり
最大の目的という事ですね。

人のね… 何人分の人生を もう
生きたんだろうっていうぐらい

壮絶な事もあったでしょうし

でも それを乗り越えて。

しかも穏やかに。

こんな大変な思いしたんだよ
っていうテンション

一切ないじゃないですか。

すごいですね。

継続するっていう… うん。

だから みんな ついていくんだな
って思いました。

〈藤田晋が
今 大切にしている言葉〉

まあ あの…

やっぱり
新しいものを生み出す時

会社をつくる時も
そうなんですけど

やっぱり
たった一人の熱狂というのが

みんなを巻き込んで
形にしていくんだと。

今は AbemaTVも

もう 熱狂と… 僕の熱狂によって

最後まで やりきろう
というふうに考えて

心に刻んでる言葉という事です。

〈その渦に

人を巻き込む
力こそ

トップに必要な
求心力〉


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