先人たちの底力 知恵泉「家康をつくった“小牧・長久手の戦い” 天下人への布石」今回は秀吉と家康が直接対決した…


出典:『先人たちの底力 知恵泉「家康をつくった“小牧・長久手の戦い” 天下人への布石」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「家康をつくった“小牧・長久手の戦い” 天下人への布石」[字]


徳川家康を天下人にした戦いは関ヶ原の戦いではなくそれまでの戦いに鍵がある!その戦いに迫るシリーズ。今回は秀吉と家康が直接対決した唯一の戦い「小牧・長久手の戦い」


番組内容

秀吉と家康が直接対決した唯一の戦い「小牧・長久手の戦い」。しかしこの世紀の決戦は、その勝者がどちらなのか微妙にわからない。信長の仇(かたき)明智光秀を打ち破り、当時、天下制覇へとまい進していた秀吉に戦いを挑んだ家康。兵力は10万対3万と圧倒的に不利!ところが実際の戦いでは家康が「三方ヶ原」の教訓を生かして見事勝利!にもかかわらず講和という意外な決着に!その曖昧な結果が家康の天下取りの布石になった!

出演者

【出演】日本ラグビーフットボール協会会長…森重隆,中井美穂,歴史家・作家…加来耕三,【司会】新井秀和


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先人たちの底力 知恵泉「家康をつくった“小牧・長久手の戦い”
  1. 家康
  2. 秀吉
  3. 自分
  4. 長久手
  5. 小牧
  6. 信雄
  7. 知恵
  8. 信長
  9. ラグビー
  10. ワールドカップ
  11. 家康軍
  12. 織田家
  13. 本当
  14. ベスト
  15. 今回
  16. 三河
  17. 小牧山
  18. 相手
  19. 徳川家康
  20. 日本


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あなたの人生のターニングポイントに
なるかもしれませんよ。

動乱の戦国時代に終止符を打つ
きっかけとなった…

この戦いで徳川家康は
天下統一へと向かいました。

しかし その16年前

家康の天下統一への布石となる
戦いがありました。

後に天下人となる者同士
羽柴秀吉と徳川家康が直接対決した…

江戸時代の軍学者
頼 山陽は言います。

対する…

圧倒的に家康は不利な状況。

正面からぶつかれば
全滅する可能性もありました。

しかし この戦いこそが家康にとっての
ターニングポイントだったのです。

小牧・長久手の戦いに
どんな家康の知恵があったのでしょうか。

今回 一緒に家康の知恵を
ひもといてくれるのは…

日本ラグビー界の総指揮者として

あのラグビーワールドカップを
成功に導きました。

1970年代 新日鉄釜石で
選手兼監督として大活躍した森さん。

高校時代からラグビーを始め

明治大学卒業後
新日鉄釜石を日本一に導き

黄金時代を支えました。

森さんが活躍していた頃
ラグビーは大人気。

日本選手権のテレビの視聴率も高く

スタジアムは
観客で埋め尽くされていました。

現役引退後 地元
福岡高校ラグビー部の監督に就任します。

前へ前へ ボール。

90年代に入り 日本のラグビー人気は低迷。

ニュージーランドに大敗すると
ますますファンは離れていきました。

2015年 日本ラグビーフットボール協会
副会長に抜てきされた森さん。

その年のワールドカップでは

日本が なんと
優勝候補 南アフリカに番狂わせの勝利。

その4年後 森さんは

日本でのワールドカップの年に
会長に就任。

日本は ついにベスト8にまで
のし上がり

日本中がラグビー一色となったのです。

日本ラグビーを強くし
人気復活へと導いた森さんと

知的な策略で天下人への布石を打った
徳川家康の知恵を

読み解いていきましょう。

今回も家康の知恵
読み解いていこうと思いますけれど

ご来店ありがとうございます。
お邪魔しております。

あの~ 森さん。

今回はね 小牧・長久手の戦い
ということなんですけれども

これ ご存じ…?
いや 僕 全然知らない。

あんまり歴史勉強したことないからね。
いやいや…。

教科書に1行あったかなぐらいの
イメージしかないんです 正直。

でもターニングポイントだったんですね?
これが。

ねえ。 加来さん この小牧・長久手の戦いが
家康研究において最近注目されてると?

そうですね。 本能寺の変で
織田信長が亡くなった時に

次の天下人は誰になるだろうかと思った。

豊臣秀吉が最終的には
政権を取るんだけれども…

へえ~。
家康という人は
信長の同盟者だったんですけども

本能寺の変の時も出てきたんですけど
遅れたんですね。 秀吉よりは。

次狙ってるよという意思表示を
したかったんだと思うんですけど

間に合わなかった。

へえ~。

今回はね 関ヶ原の合戦に布石を打った
家康の知恵を見ていくということで

メニューは こんな形で用意しました。
こちらです。

ハッ! えっ 何?
家康の?

家康シャンパン?
これ 家康ラベルの…

やった~。
ありがとうございます。

関ヶ原の戦いがメインだとするとね
この小牧・長久手の戦いは

その前の食前酒のようなものだったんじゃ
ないのかな~ということで

用意いたしました。 飲みましょうかね。
わあ うれしい!

食前酒というよりですね…

家康の性格全てが出てる
戦いだと思います。

食前酒ではない?
ええ。

じゃ やめます?     (3人)いやいや…!
それは ちゃんと出してもらって。

ねえ そうですよね。
それと これとはっていう… ね。

いやいや 真骨頂ですから。
いいですね。

ということで…。 すいません。
どうぞ どうぞ どうぞ。

ありがとうございます。 じゃあ。
あ~ すいません。 いただきます。

この食前酒を頂きながら
家康の知恵 味わっていきましょうか。

乾杯。                   (2人)乾杯!
いただきます。

おいしい。
おいしいですね。

これから知恵 見ますからね?
忘れないで下さいね。  そうだった。

徳川家康と豊臣秀吉の人生を大きく変えた
戦国時代の大事件といえば…

天下統一を目前にしていた織田信長が

明智光秀の謀反によって 滅ぼされました。

この時 秀吉は信長の家臣で
家康は同盟者。

2人は それぞれの思惑を抱いて
行動します。

いち早く動いたのは秀吉でした。

すぐさま明智光秀を山崎の戦いで破り
信長の敵を討ちます。

この戦いによって
織田家の後継者争いに

大きな発言力を
持つこととなった秀吉。

信長の次男
織田信雄と手を組み

織田家を利用して
勢力を拡大しようとします。

秀吉に対抗したのが
信長の三男 織田信孝と

筆頭家老の柴田勝家でした。

両者は 賤ヶ岳の戦いで対決。

秀吉は 勝家を討ち滅ぼし
信孝を切腹させたのです。

勢いに乗った秀吉は
たった1年の間に 22か国を制覇します。

一方 家康は信長の同盟者という立場。

織田家の後継者争いには
関わることはありませんでした。

家康は 秀吉のいる大阪とは反対の
東へ領土を拡張し

甲斐 信濃を獲得。

自らの守りを固めていきました。

そんな中 秀吉は
大規模な大坂城の築城を開始。

本格的に天下取りを目指します。

着々と勢力を広げる秀吉にとって

織田家の利用価値が
なくなっていきました。

そして 信雄の存在を疎んじ始めるのです。

これに気付いた信雄は
秀吉討伐をもくろみます。

そして
父 信長の信頼を得ていた家康を頼り

秀吉を討つための協力を要請したのです。

家康は迷いました。

秀吉は既に大大名。

家康と信雄の領地は
合わせても たったの8国。

全く勝ち目はありません。

しかし 家康は…

圧倒的な力の差にもかかわらず

なぜ家康は 秀吉と敵対することを
決めたのでしょうか。

そこには 家康の知恵があったのです。

信長の死後 家康は
秀吉が巨大な勢力を握っていく様子を

内心 苦々しく見ていました。

そのため
実は 信雄に話を持ちかけられた時

家康は これをチャンスだと
思っていたのです。

家康には こんな思惑が
あったのではないかと

小和田哲男さんは言います。

だから これはもう…

アピールするといっても
負けるわけにはいきません。

家康は
兵力の差は圧倒的に不利であっても

入念にリサーチを行い
準備を整えていきます。

まずは情報収集。

三方ヶ原で武田信玄に大敗した家康は

敗戦から信玄の戦法を学んでいました。

地形から全国の武将たちの内情まで
徹底的なリサーチを行い

彼らに調略を仕掛けていきます。

家康には 秀吉を倒すための
大義名分がありました。

それは 織田家の正統な後継者 信雄と
織田家を守るということ。

家康は 織田家を潰そうとする秀吉に
敵対心を抱く武将を調べ上げ

この大義名分を掲げ
四国の長宗我部元親や

紀伊の雑賀衆 根来衆と手を結びます。

最終的に家康は 北条氏も抱き込み

壮大な秀吉包囲網を作っていったのです。

更に家康は ある策を講じます。

秀吉は 織田家に背く賊軍だという
檄文をばらまき

徹底的に秀吉の印象をおとしめたのです。

天正12年3月。

信雄は 秀吉に内通していた
自分の家老を誅殺。

秀吉への対決姿勢を明確に表明します。

3月17日
戦いの火蓋が切って落とされました。

先に動いたのは秀吉側。

秀吉傘下の武将
池田恒興と森 長可が先手を打って

織田領の
尾張 犬山城を占拠したのです。

その2日後 家康も迅速に動きます。

敵よりも早く
小牧山を占拠するためでした。

犬山城の近くで
戦闘が起こることを予測した家康は

濃尾平野を見渡せる小牧山に
本陣を築いたのです。

小牧山を家康に占拠されたことを知った
森 長可は

すぐに小牧へ向かって兵を進めました。

しかし 家康は
素早く この動きを察知すると

小牧山近くに陣取っていた森を攻撃。

突然の家康軍の襲来に驚いた森は
犬山城へ敗走するしかありませんでした。

小牧での局地戦を
制することとなったのです。

家康の巧みな戦略に
秀吉は大いに不安を抱きます。

そこで秀吉は
自ら前線で指揮を執ることを決意。

3月28日 兵を引き連れ

小牧山から僅か5キロの楽田に陣を構え
家康と対じしました。

この時 家康軍1万7千に対し
秀吉軍 なんと10万。

圧倒的に不利な状況でしたが 家康は
秀吉と対決の姿勢を崩しませんでした。

織田信雄の申し出を受けて
全国の武将に呼びかけ

秀吉との戦いに挑んだ家康。

その名は
天下にとどろくことになったのです。

いや やっぱりクレバーですね。
自分に時間がある時に

自分のできる地位の時に
何をするのかっていうことが

その後々を決定していくんだなってことが
すごくよく分かりますよね。 すごい。

家康という人は 物学びが好きなんですね。

だから いろんなことを
知恵を人からもらうんですね。 ええ。

今回の戦い
小牧・長久手の戦いを見てましてもね

今まで成功した事例を
そのまま使ってるんですよ。

小牧の戦いの時は 十五代将軍の足利義昭。

義昭が 信長を倒そうとした時にやった
織田包囲網というのがあるんですね。

その織田包囲網を自分も作って

その中核部分で
武田が突っ込む予定だったところを

自分がやろうとしてるわけです。

動けないようにした。
はあ~。

この時 いくつなんですか? 徳川家康。

40代の頭ですね ええ。
一番大きかったのが…

もう秀吉が天下を取るだろうと
みんな思ってるところへ 持ってきて

いや 自分がいるんだぞと
私を忘れないでくれよということで…

これは実に大きいことですね。
へえ~。

一方の秀吉側の 何かこう
甘さみたいなのは あったんですか?

もう要するに大軍ですから
行けば降参するだろうと

まあ 相手をなめてたわけですね。
総指揮官がいないもんですから

みんなバラバラに
自分らの利益のことだけ考えて

突っ込んでいったりするわけですね。
で 家康にギャフンとやられてしまう。

ものすごいバイタリティーですね。  ええ。
そうですね。

天下取るっていうのは。

やっぱり 家臣たちも望んでるんですね。
ここで手をあげてくれというのをですね。

「手をあげる」といいますとね 去年の
ワールドカップ開催国に手をあげる

ここには
どういう思いがあったんですか?

2011年だったと思うんですけど
招致が決まったのが。

結局 アイルランドとかスコットランド
ウェールズとかイングランド

いわゆる伝統国で ず~っと
ワールドカップ 回してたんですよ。

それじゃあ 世界のワールドラグビーとか
使ってるけど

ワールドじゃないじゃないか
っていうことで アジアに…

アジアで大会したいということで
日本が手をあげた。

まさか ワールドラグビーの首脳陣も
こんなに盛り上がるとは思わなかった。

ええ。 「じゃあ 一回やってみろ
アジアで」みたいな。 ところが…

随分 違いますね。

直前まではラグビーワールドカップって
いろんなとこに張り出されてあったけど

みんな そこまで乗ってなかったですよね
国民っていうか 私たちも。

本当そうですね。
あれ何か
やっぱり1戦勝っただけで ウワ~ッて。

そうですよね。
ラグビーに対する期待っていうのも

だいぶ違いますか?
そういう意味じゃ日本代表が強くないと

やっぱり これだけ盛り上がらないと
思いますんで…

国民の人たちも
ショボンとなってしまうんです。

そっか。
大変ですよね。

過去の自分たちとも
戦わなきゃいけないけど

メンバーはね
どんどん代わっていくわけですから。

目指すところを
はっきり持っていかないと。

この成功で
子どもたちがラグビーをし始めるとか

ものすごく希望者が多いらしいんです
スクールに。

それは もう本当
うれしい悲鳴なんですけど。

あの~ どうなんですか
今回 そのワールドカップで

まあ ブワッと盛り上がりましたけれども
そのちょっと前

人気が低迷していた頃ですね
人気回復のために

どういう取り組みをされてたんですか?
国内ではトップリーグ作ったし

いろんな手は打ったんですけども
一番よかったのはワールドカップですね。

ワールドカップが来たっていうことが
やっぱりガ~ンと。

あと やっぱりメンバーが
国籍が豊かだっていうことも

何か今の時代に すごく
マッチしたなと思います。
もう みんな。

いろんな立場の人が一つになって
ねえ 勝負に挑んでる姿って。

そう言われると戦国時代とかも
本当そうですよね。

いろんなところから やって来た人を
どれだけ 一つの… 掌握していくか

魅力がある自分でいられるか
っていうところが勝負なんですね。

小牧・長久手の戦いなんかはですね
相手が秀吉ですから 一番強いわけです。

それに挑んでいくわけですよね。

徳川家康の家臣団は
もう必死の思いであるとともにですね

やる気が
もう どんどん上がってくるわけですね。

誇らしいですよね。
見てる ほかの大名たちは

「あっ 家康がいたな」と。

いい戦いをしたんですね。
名乗りを上げて いい戦いをした。

まさにワールドカップですよ。
あ~ そうだったんだ。

あの~ 中井さんは どうですか?
ご自身のお仕事の中で

積極的に手をあげたような
ご経験とかって。

私 割と流れに乗っていくっていう
ゆるっとしたタイプなんですけど

指名された時に
必ず 自分が乗っていけるだけの準備を

いかに時間がある時にしておくか
っていうことと

どうしたいか 自分の人生を
これからっていう

イメージを持っておくっていうことは
すごく重要ですよね。

あと 文句をあまり言わない。
文句言ってても

いいこと何も起きませんので。
やっぱり いいことを言っていくと

そのうち何かにつながってくる
っていう感じがするので

なるべくイメージを膨らませて
いいことを呼び込むような

いいことを言っていくっていう。
今 ここ来てよかったです。

文句言わないって。
文句ばっかり言ってる…。

私もそうなんです。 だから戒めです。

いざ 手をあげたいと思った時に
やっぱ 準備してないと

ちょっと遅れちゃいますもんね。
はい。 誰にも見られなくても

準備だけはしておくし
あと 信頼できる人を何人も。

この方のお話を聞きたいと思ったら
自分の方から出向いて

話を聞きに行くとか
そういうことをしておくっていうのは

いいんじゃないかなと思います。

家康は 武田信玄に三方ヶ原で
さんざん やられて

やっぱり 敵の考え方で
敵の作戦の中でやられることは

いかに惨めなことかっていうことが
勉強したんでしょうね。

だから今度は 自分のグラウンドで
自分のやり方で 自分の作戦で

相手と戦いたいと。 それで小牧・長久手を
リードしたんじゃないかと思いますね。

さあ そんな家康なんですけれども
秀吉軍に にらまれて

圧倒的な
不利な状況なわけなんですけれども

ある知恵を使ってですね
ピンチをチャンスに変えたということで

2つ目の知恵でございます。

濃尾平野を挟んで対じする
家康軍と秀吉軍。

お互いに相手の様子を探り合い
にらみ合ったまま

こう着状態が続きました。

家康は この間に
小牧山城の守りを固めます。

高さ8mの巨大な土塁を築き

迎え撃つための土木工事を
迅速に進めたのです。

更に 城の東側に4つの砦を築き

城が包囲されないようにしました。

その長さは およそ4キロ。

この砦に鉄砲隊を置き
秀吉軍をせき止めようとしました。

こう着状態が続く中…

家康は 先に動けば不利になると
籠城を決め込んでいました。

一方 小牧山で敗退したことで
秀吉も慎重になり

家康の出方を探っていたのです。

4月に入り 動いたのは秀吉側でした。

功を焦る池田恒興が
秀吉に中入りという作戦を進言します。

成功すれば
敵軍を瓦解させることができました。

小牧に くぎづけになっている
家康軍の隙をついて

極秘に別働隊を
家康の本拠地 三河に送ります。

こうして家康軍を混乱させ

更に三河を
一気に潰せるという作戦でした。

しかし 敵の領地に軍を進める
この作戦は…

家康に知られてしまえば
周囲を囲い込まれて

攻撃される危険が
あったのです。

家康を警戒していた秀吉は
そんなに うまくいくはずがないと

反対します。

しかし この時
秀吉の甥の秀次が

自分が大将になりたいから
行かせてほしいと

秀吉に懇願します。

身内に甘い秀吉は
しかたなく出陣を許しました。

秀吉は 秀次を総大将とし

池田恒興 森 長可が率いる
2万の軍勢を

三河へと送り込んだのです。

その2日後 秀次軍は
三河との国境 長久手にたどりつきます。

この時の家康軍の動きが
「当代記」に残っています。

4月8日 早朝。

夜を徹して追いかけた家康軍が
朝食の準備を始めていた秀次軍を発見。

そのまま背後から襲撃したのです。

実は家康は こう着状態の時も
徹底して情報を収集し…

家康軍は極秘のうちに出陣し
秀次軍を追跡していたのです。

後ろから攻撃されることを
全く予想もせず

油断して 陣を崩していた秀次軍を
家康が急襲。

こうして長久手の戦いの火蓋が
切って落とされました。

まさか家康に追撃されるとは
思ってもいなかった秀次は

不意をつかれ 大混乱に陥ります。

総大将 秀次はなすすべもなく敗退。

そのまま逃げ帰ってしまいます。

家康は追撃の手を緩めず

池田恒興…

森 長可を
次々に討ち取ります。

総大将を失った秀次軍は
全滅に近い総崩れとなり

ほうほうの体で逃げ帰りました。

家康が 長久手での局地戦で
またも大勝利を収めたのです。

秀吉は 家康が勝利したことを知ると
すぐさま自ら兵を率い

長久手に向かい
家康をせん滅しようとしました。

しかし…

秀吉の完敗です。

ここで事態は意外な方向へ展開します。

局地戦に負けた秀吉は
家康との直接対決を避け

軍勢を伊勢の織田信雄の方へと向けます。

信雄の領地に侵攻すると
城を次々と攻め落とします。

そして 信雄のいる長島城へと
迫っていきました。

到底 勝ち目はないと思った信雄。

ところが秀吉は
そんな信雄に講和を持ちかけました。

ヘビににらまれたカエルのように
信雄は 家康に相談もなく…

このことを知った家康は
急いで本拠地 三河に戻ります。

信雄が秀吉と講和を結んでしまったことで
織田家のために戦うという

大義名分を失ってしまいました。

家康は考えました。

このまま勢いに乗って
もう一度 秀吉と戦うべきか。

それとも 自分も講和を結ぶべきか。

もし これから秀吉が本気になって

総力を結集して攻撃してくれば
家康軍は全滅する可能性もあります。

熟考の末
家康は 秀吉との直接対決を避け…

秀吉の勝利で幕引きされたように見えた
両者の対決。

しかし 家康は ここで一旦引くことで

事態を自分の有利な方向へと進めます。

秀吉は局地戦といえども
直接対決で敗北した家康に

負い目を感じていました。

家康の実力を思い知らされた秀吉は

家康を何としてでも自分の家臣にして
引き込みたいと考えます。

そして自分の妹 朝日姫を家康に嫁がせ

更には 母親である大政所を人質として
家康のもとへ送り込みます。

しかし 家康は
ここで秀吉と駆け引きを行います。

2年もの間
秀吉の家臣になることを拒み

秀吉をじらし続けたのです。

このことは全国の武将の間で話題となり

更に家康の存在感を
知らしめることとなったのです。

家康にとってみれば ここで…

その後の家康の存在感 特に…

長期作戦というかね
長期戦略を この時点で家康は

もう切り替えていますね。
シフトしてますね。

その後 秀吉の家臣となることを
受け入れた家康は

秀吉政権下において頭角を現します。

五大老の一人として秀吉を支え
地位を築いていったのです。

小牧・長久手の戦いから16年。

家康は 関ヶ原の戦いで勝利を収めます。

秀吉の死の2年後でした。

小牧・長久手の戦いで

家康は 局地戦の勝利で
大いにアピールした上で講和を結び

一旦引くことで力を蓄え
後の天下取りの布石としたのです。

びっくりしましたね。
策略家でもあるし 頭いいし

で 武士であるし。 そこが やっぱり
ほかの武将と違うような気がしますね。

すごい先が見えてますよね 何か。

ここにたどりつくために 今 自分が
すべきことは何かっていうことを

的確に知っていたので
天下人までたどりつくっていう。

小牧山から出ていって
長久手の戦いになるんですけども

あの時も 一番大きいのは
たくさんの兵が一気に…

家康の兵が消えるわけですよね。 でも
それを秀吉は捕捉できなかったんですね。

これは なぜかというと
付城という戦法がありまして

織田信長がよく使ったんですけれども
敵に向かって兵を入れておきながら

後ろからサッと兵を抜くんですね。
へえ~。

目の前の敵は それが分からんわけですね。

それに さんざん
家康はつきあわされてるので

そのやり方のタイミングとコツを
分かってるわけですね。

ところが 一方の方の
長久手で負けた方の秀吉軍というのは

やったこともない連中がですね
信長のまねしてですね 中入れという…

今回の場合でしたら
三河を直接攻撃するという。

これ 極秘で分からないようにして
やらなきゃいけないんですけども…

ところが その無理のあることを
ちゃんと見てて どこでたたいて

どうするかっていうのを
リサーチして全部獲得してるわけですね。

だから実に賢い。 秀吉が「しまった!」
ということで追いかけてきますよね

その時も
ちゃんと逃げきってるわけですね。

ねえ。 ここの知恵がね
「戦いは引き際を間違えるな!」

ということだったわけなんですけど
どうご覧になりました?

もし ここで戦ってしまったら
どっちも困るんですね。

家康は 勢力的に必ず最後は負けます。

しかし 秀吉にしてみたら
ここで引っ掛けられたらですね

これから始める九州征伐とか
いろんなとこに

支障が出てくるわけですね。
主力軍を ここに置いとかなきゃ

いけなくなってしまいますからね。
だから お互いの思惑があるわけですね。

で 秀吉が同盟者である信雄を攻めてる。

その時に どうしたかというと…

もう ここで
ほとんどの 自分のやりたかったことは

やってみせたわけですね。
戦術では勝ってるわけですから。

俺はやったぞということで
ここでもう はっきりしてるわけです。

家康も秀吉も四六時中そんなことばっかり
考えてるんでしょうね。

ねえ こんなとこで飲むなんて
できないですよね。

ず~っと そうなんでしょうね。
森さんは あれですか?

四六時中考えてないですか? ラグビーは。
いや 四六時中じゃない。

飲んでる時は忘れてますから。
忘れてますか。

誰が敵か味方かは
いっつも考えてたでしょうね。

家康は 飲んでる時ぐらいは
仕事忘れたかったかもしれませんけども。

とにかく…。
大変ですよね。               ええ。

どこで引くか。
特に難しいのは引き戦なんですね。

秀吉もそうです
メンツ潰されたわけですから。

本当なら ここで突っかかって
勝負したいんですけども…

これをどうするかという時に
家康を褒めるんですね。

大したやつだと こう言うわけですね。

すごい時代ですね。
本当ですよね。

よかった… 今で。
(笑い声)

森さん これまで 例えば試合の中で

いい引き際だったなみたいなものって
あったり…?

いや~ あのですね 引くことはないと
やっぱり 攻めた方が強いでしょうね。

そうですか。
ええ。 やっぱり 攻めて攻めて…

勝つために戦うわけですから

引くなんていう選択肢は
ないのかもしれないですけど。

こういう家康とかの戦いとかは
そういうのあるんでしょうね 駆け引きが。

あると思いますね。
僕らのラグビーは あんまりないですよね。

とにかく攻めよう…。
いや ラグビーでも戦う国とか

戦う相手によって
戦法って違うんじゃないですか?

もちろん もちろんあります。
家康も一緒で

秀吉とする時は
それを想定してるんですね。
なるほど。

武田信玄とやる時は
また別に想定してたんです。
なるほど。

ミーティングするのと
その辺は変わらないと思いますね。

すごい。 スポーツと近い感じですね。
こっちは まあ 本当に負けると

死んでしまいますから。
命かかってるからね。 でも 何か

同じメンバーとやるわけですから…

相手を突く時にね。

(笑い声)

行けるかもしれませんよ。

森さん 去年 ワールドカップで
ベスト8まで日本が勝ち進んで

どうなんですか この結果っていうのは

いろんな布石を打ってきた結果
っていうことなんでしょうか?

それは もちろん2015年から
つながってると思うんですね。

南アフリカに勝ったっていう自信から
来るものだと思うし

その4年間を何しなきゃいけないか
っていうことを みんなが考えて

選手たちが やっぱり頑張らないと いくら
監督が ガーガー ガーガー言っても

選手たちが頑張らないと駄目ですから。
グラウンド出る時に…

練習してグラウンド出る時に
肩こう持ってダ~ッと

キャプテン リーチマイケル中心に
こうやって。

やっぱり そこが
心一つになってますもんね。

ああ そうですね。
もう 「やるぞ!」みたいな。

こっちも そういうふうになりますから。

次につながりますから
ワールドカップで取るんじゃないですか?

ねえ 本当ですよね。
でも 長い目で見ると

このベスト8も次への布石という。
もちろんそうですね。

次は もう…。 でも 2023年は
やっぱりフランス大会は

ベスト4とか期待するんですよね。
そんな甘いもんじゃないっていうことを

皆さんに言っときたいんですけど。
いやもう ベスト8…。

もちろんベスト4狙いますけど
とにかく練習しなきゃ駄目だということ。

チームが一つになんなきゃいけない。

しかし 家康も
すぐには天下取りませんでしたけれど

最終的には取りましたからね。
ステップアップしていきますよね。

少しずつ 多分 勝ち癖みたいなもの
勝つ時の感覚みたいなことを

チームやスタッフが覚えていくことで
多分 次につながっていく。

レベルが どんどん上がっていくと。
そういう目標を持ってないと

また強くなんないですからね。

ベスト4になろうとか
世界一取ろうとかいうような気持ちで

やっぱり 一つになっていくっていうとこ
ありますから。

その応援ですかね 観客の皆さんの
ファンの皆さんの力っていうのは

どうでした?
あります。 もう すごかったです。

だからダブルタックルとか
ダ~ンって行くじゃないですか。

「ギャ~!」とか… 「すごい!
何で あれ痛がらないの?」とか。

痛がってる暇ないですもんね。

何か ふだん出ない力が…。
出ます。        押されるって よくね。

まあ 終わってベスト8になって
丸の内でパレードがあった。

すごかったですよね。
あの時なんていうのは 本当 みんな

こっちが「ありがとう」って
言いたいんですけど 向こうの

ファンの方から「ありがとう!」とか何か
うれしかったですね。

本当 力もらいましたもんね。

不思議ですよね スポーツの持つ力。
力がね すごいですね。

いや~ 今回はね 家康の知恵…

ということで見てきたわけなんですけど
全体通して中井さん どうでしたか?

どうしても自分自身が
未来が見えない時って

どんどん視野も狭くなってくるし
小さくなっていくんですよね。

そうなってくると周りに人も
寄ってこなくなったりしますから

やっぱり自分が いつも視野を
大きく持てるような人間でいないと

駄目なんだなっていうのと
あと 先生が「オリジナリティーが

実はなかったんだよ」と おっしゃった時に
オリジナリティーがあることだけが

いいように言われるじゃないですか よく。
でも そんなことなくて

自分自身の持ってるものを
いいところを伸ばしていく。

ということで
自分の人生いいんだなと思って

何か すごいエールをもらった気がして
すごくうれしくなりましたし

家康に すごい親しみというか
覚えるようになりました。

そしてね 天下人となった
家康なわけなんですけれども

どうでしょうか 森さん
今後の日本ラグビー界

天下を取るために 今後の野望は?
そうですね。

そう言われると気合いが入るんですけど。
背筋が…。

それから あとはアジアで
リーダーシップをとれるような国に

ラグビーのですね なっていきたいな
というふうに思いますし

それから
ラグビーのよさを全国の人たちに

いろいろ指導していきたいなとか
何か いろいろ思ったりもします。

まあ いっぱいあります。 ええ。

今日は ご来店ありがとうございました。

ありがとうございました。
どうも ありがとうございました。

シャンパンがない。 最後にね…。

そっか 最後にちょっと…。
いやいや… うそうそ。

昨日は鯛のおさしみ


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