歴史秘話ヒストリア「正倉院宝物 守られた奇跡の輝き」古代、都があった奈良で1300年守られてきた…


出典:『歴史秘話ヒストリア「正倉院宝物 守られた奇跡の輝き」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「正倉院宝物 守られた奇跡の輝き」[解][字]


古代、都があった奈良で1300年守られてきた「正倉院宝物」。8K高精細映像がとらえた、いにしえと変わらぬ輝きと、宝物を守り伝えた日本人の奇跡の物語をお伝えする。


詳細情報

番組内容

古代、都があった奈良で1300年守られてきた「正倉院宝物」。その起こりは、聖武天皇が遺した品を、光明皇后が東大寺の大仏にささげたこと。古代の宝物がこれほど美しい状態で伝えられる例は世界でも極めて珍しい。今回8K高精細映像での撮影が許可された。そこから見えてきたのは、戦災など幾多の困難に見舞われながら、宝物を守り継いだ人々の営みと、いにしえと変わらぬ宝物の輝きだ。正倉院宝物と日本人の奇跡の物語。

出演者

【キャスター】渡邊佐和子


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  1. 宝物
  2. 琵琶
  3. 正倉院宝物
  4. 聖武天皇
  5. 内匠寮
  6. 職人
  7. 正倉院
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  9. 金具
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  11. 香木
  12. 螺鈿
  13. 屏風
  14. センチ
  15. 国産
  16. 調査
  17. 奈良時代
  18. 部分
  19. メートル
  20. 豪華


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新緑に輝く古都…

ここに いにしえより
守り伝えられてきたものがあります。

正倉院宝物です。

はるかシルクロードを通って運ばれた
究極の美意識と技。

古代の宝物が これほど美しいまま
伝えられている例は

世界でも ここだけ。

日本が誇る宝です。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今日のテーマは 「正倉院宝物」。

1, 300年もの間 守り伝えられてきた
宝物です。

(琵琶の音)

宝物が生まれたのは 奈良時代。

時の天皇 聖武天皇の身近にあった
品々を

正倉院に収めたのが 始まりです。

それから 1, 300年。

最近も 新天皇即位に伴う
展覧会が開かれるなど

日本を代表する宝として
あり続けています。

今回 NHKは
初めて 8K撮影を許されました。

高精細映像で 宝物の美を記録する作業は
2年に及びました。

8Kカメラが捉えたのは
いにしえと変わらぬ輝き。

そして 宝物を守り 受け継いできた
日本人の 奇跡の物語。

まずは その誕生から
ひもといてまいりましょう。

物語のきっかけに
正倉院を代表する宝物を2つ

堪能して頂きましょう。

直径27センチ。 豪華に装飾されているのは
鏡の裏側です。

全体を覆う銀色の輝きは 螺鈿。

東南アジア産のヤコウ貝を
切り抜いたモノです。

花の赤は 琥珀。
特にミャンマーの奥地でとれる宝石です。

更に… 中東産の宝石 トルコ石。

1ミリほどに砕かれています。

この鏡が作られたのは 古代中国の唐。
ユーラシア大陸随一の世界帝国でした。

世界の宝で
彩られた鏡は

唐だからこそ
生まれ

日本に もたらされました。

もう一つ 正倉院を代表する宝物を
ご紹介しましょう。

高さ 9センチ。 ササン朝ペルシャで
作られた ガラスの器です。

光を当てると 六角形の模様一つ一つに
無数の輝きが浮かび上がります。

これは?

実は 器の反対側の模様が映り込んだもの。

表の模様が レンズのような役割を果たし
映し出しています。

だから…

このように 正倉院宝物には

「海外」で作られた宝物という
イメージがあります。

ところが最近 そのイメージが
変わろうとしています。

きっかけは
宮内庁正倉院事務所の調査です。

宝物の白い部分を分析したところ…。

塩化鉛は 古代日本で
白の絵の具として使われた物質。

ということは…。

これまで 海外で作られ

シルクロードを通って
運ばれたとされてきた宝物が…。

次々 国産品と分かったのです。

国産の宝物の一つ…

螺鈿が全体にはられた 豪華な琵琶です。

絵の完成度の高さから
唐で作られたと考えられてきました。

しかし 国産であることを示す
塩化鉛が検出されました。

更に…

捧げ物を載せる 鮮やかな台です。

材料の木の調査から
国産であることが分かりました。

では 誰が宝物を作らせたのか?

その人物こそ…

奈良の大仏をつくったことで知られます。

しかし…

当初 その政治体制は
盤石ではありませんでした。

そこで 天皇が目を付けたのが
唐から伝わった宝物。

そして 同様の宝物を
「日本」で作らせることでした。

権威を高めるための 国産宝物づくり。

最近 その実態が
明らかになろうとしています。

舞台となったのは 奈良時代

天皇の住まいや 役所が置かれた
平城宮です。

60年以上にわたって続く 発掘調査。

宝物づくりに関わる発見がありました。

不思議な形をした金具。

後に これとよく似た金具を使った
宝物が見つかりました。

全長 19センチ。
銀で装飾された 小刀です。

どこの部品かというと…

こちら。
ヒモを通すための金具です。

宝物の刀子は 唐で作られたもの。
一方 出土した金具は 国産の品。

唐のものを見本にして
作ったことが うかがえます。

更に 金具が見つかった すぐ近くで
重要な発見がありました。

見つかったのは
幅3メートル 長さ15メートルの工房跡。

金属を溶かす炉などが
出土しました。

工房跡は 他にも2か所
見つかっています。

宝物は そうした工房のどこかで
作られたと考えられます。

宝物そのものの調査からも

工房の より具体的な姿が
明らかになりました。

高さ およそ140センチ。
6枚一組の屏風です。

描かれているのは
木の下にたたずむ 唐の女性。

流れるような筆遣いから

高い技量を持つ
絵師が描いたと

考えられています。

ところが…

材料などの調査から こちらも
国産の品であることが分かっています。

そして この屏風から
意外な発見がありました。

絵の裏側から 奈良時代の役所の文書が
見つかったのです。

内容から 天皇の行事を担当する
中務省という役所が

作ったモノと分かりました。

現在の宮内庁にあたります。

そして この発見で 宝物を作った工房が
特定されようとしています。

それは…。

奈良時代の歴史書によれば
「内匠寮」は

聖武天皇によって
中務省のもとに設置されました。

「内」は 天皇家に関わる組織
「匠」は 優れた職人を表します。

つまり 天皇が作った匠たちの組織
内匠寮こそ

宝物を作った工房と 考えられるのです。

内匠寮が 宝物づくりにふさわしい理由は
もう一つあります。

それまで 平城宮の工房は

木や金属など
扱う素材ごとに
分けられ

それぞれに
専門の職人が
いました。

しかし宝物は さまざまな職人が関わる
複合的な美術品です。

例えば 屏風の場合
骨組みの木枠を作る職人。

下貼りの紙をはる職人。

装飾の金具を作る金工。

更に 絵師まで必要となります。

実は最近 内匠寮に

金工や木工など さまざまな職人が
集められていたことが 分かってきました。

正倉院宝物は 多くが

天皇の革新的な工房によって
誕生したものでした。

正倉院宝物を作ったという職人集団
内匠寮。

近年 その具体的な活動を知る
手がかりが見つかりました。

聖武天皇の妻 光明皇后。

その屋敷近くで見つかった 木簡です。

赤外線カメラで調べたところ
興味深い内容が浮かび上がりました。

まず
内匠寮の文字。

そして…。

(馬場)次の字が
これ 「鏡」という字です。

金偏と よく見ると 見えてきます。

次が 「磨く」という文字になります。

油 五夕
内匠寮に送ると

鏡を磨くための
ものとしてと

書いてあります。

「油を 50ccほど
鏡を磨くため

内匠寮に送った」
という内容です。

実際に 油で鏡が磨けるのか。

昔ながらの和鏡を作る職人に
実験してもらいました。

油は 当時からあった ごま油。

そこに 古代から金属を磨く時に使う
ベンガラを混ぜます。

磨くこと 1時間。

鏡が輝きだしました。

手が映っているのが お分かりでしょうか。

こちらの和鏡 こうして見ると…

とても よく映ります。

古代の人々も このように
使ったのかもしれませんね。

さて 聖武天皇の身の回りにあった
多くの宝物。

それらは どのようにして
今日まで伝えられたのでしょうか?

そのことが分かる宝物。

正倉院の中でも 最高傑作と
うたわれる こちら。

全長 108センチ。
唐で作られた琵琶です。

中央には ヤシの木と

ラクダに乗って琵琶を弾く
ペルシャ人らしき人物。

螺鈿で表されています。

裏面は 更に豪華。

リースのように
花が埋め尽くします。

花の赤い部分は 琥珀。

赤や黄色の絵の具で
模様が細かく描かれています。

では なぜ これらの宝物が 今日まで
伝えられることになったのでしょうか。

そのヒント 宝物を
よく見ると分かります。

高精細映像で拡大すると
ペルシャ人の頭の上に

何本か縦に ひっかいたような
傷が見えます。

実は ここ
弦の下の撥が当たる場所。

琵琶の持ち主 聖武天皇が
実際に弾いた跡と考えられます。

(琵琶の音)

見る人に 聖武天皇の在りし日の姿を
感じさせる 正倉院宝物。

(琵琶の音)

このことが 宝物を今に守り伝える
きっかけとなりました。

上皇様…。

奈良時代の中頃 天皇が亡くなります。

妻の光明皇后は
その死を 嘆き悲しみました。

その悲しみが 皇后に
思い切った行動を取らせます。

それが分かるのが…

宝物の名前が
記された目録です。

その最後に 皇后は
こう記しました。

「これらの品々は
全て先帝が愛用した物。

目に触れる度 生前の姿が思い出されて
泣き崩れてしまいます。

ですから 謹んで
盧舎那仏様に捧げます」。

光明皇后の願いによって
聖武天皇の遺品は

東大寺の倉 正倉院に収められました。

正倉院宝物の始まりです。

その後 倉は固く封印され
宝物は 長く守られることになりました。

とはいえ 宝物は決して
安泰では ありませんでした。

(雷の音)

鎌倉時代には 雷が倉を直撃。

今も その証しが刻まれています。

黒く炭化した 木の壁。
倉の中まで燃えたのです。

更に 源平合戦では
東大寺の大仏殿が全焼。

火は 正倉院に迫りましたが…
奇跡的に勢いが衰えました。

正倉院を襲った危機。

宝物が みずからを犠牲にして
防いだ例もあります。

流木のような不思議なモノ。
こちらも れっきとした宝物です。

香りを楽しむ「香木」です。

ベトナムやラオスの山岳地帯でしか
とれない 貴重な品で

またの名を…

その中に 東大寺の名前が隠されています。

別名が付けられるほど有名な
「天下の名香」です。

この香木が宝物を守った証し。
それは 香木自体にあります。

こちらの付箋を よく見ると…

「足利義政」に 「織田信長」。

時の権力者が 一部を切り取った跡です。

このような跡は
なんと 50か所もあるといいます。

彼らは権力を手にすると 東大寺に
宝物を見せるよう 迫りました。

これに対し 僧侶たちは
蘭奢待を持参。

一部を切り取り 所有することを認めます。

この犠牲によって
他の宝物が守られました。

しかし なぜ 権力者たちは
小さな香木で満足したのでしょうか。

香りの道 香道。

香木をたいて香りを立たせ
種類を当てる芸道です。

香木は 僅か3ミリ四方に切り取り
炭で熱します。

かつて香道は 茶道と同様

貴族や武士の たしなみとして
流行しました。

蘭奢待のような
天下に名高い香木を持つことは

有名な茶器を持つことと同様の
名誉だったのです。

香道の家元のもとに
意外なものが伝えられていました。

それは…。

明治天皇が切り取った 蘭奢待の一部です。

倉に封印された 聖武天皇の遺愛の品は

あまたの困難を経て
今日まで伝えられました。

正倉院宝物の すばらしさ。

その一つが 1, 300年前の輝きを
今に とどめていることです。

では なぜ 輝きは
保たれているのでしょうか?

理由の一つが 倉です。

「正倉院正倉」は 幅33メートル
高さ14メートルの 総檜造り。

宝物は ここで一点一点 杉の箱に収められ
保管されてきました。

実は この倉と箱の二重構造が
宝物を守ってきました。

ポイントは 「湿度」。

一年間 外気や倉の中。

そして 箱の中の湿度の変化を
計測しました。

すると…。

外気は 湿度が大きく変化。

90%を超える時もあれば
50%を下回る時もあります。

ところが 倉の中では
変化の幅が小さくなり…

箱の中では
更に小さくなりました。

倉と箱 2つの木の壁が
外からの湿気を遮り

湿度を安定させていたのです。

守り伝えられてきた宝物。

しかし 誕生から1, 000年もたつと
傷みが目立つようになります。

宝物を救ったのは 数世代 数世紀にわたる
奇跡のリレーでした。

先ほど ご紹介した…

唐の女性が描かれた 見事な屏風です。

高精細映像で拡大すると
不思議なものが見えてきます。

鳥の羽根です。

屏風が作られた当時は
女性の服全体に はられていました。

しかし 長い年月で
ほとんど げ落ちてしまいました。

傷んでいた場所は 他にもあります。

一番左の屏風。
全体的に白っぽい印象です。

一方 女性の顔の周辺は
茶色がかっています。

実は ここがオリジナルの部分。

残りの白い部分は損傷が激しく
江戸時代 史料をもとに描き直されました。

それから200年後の明治時代
大規模な宝物修理が行われます。

宝物の最高傑作…

豪華なこの琵琶も 年月がたち
破損が目立っていました。

江戸時代の末に描かれた
この琵琶の絵です。

白い所は 螺鈿が失われていた場所。

明治の修理で
新しい螺鈿が はられました。

やや明るく 彫り込み線が白いのが
補われた螺鈿です。

数世紀にわたるリレーによって
復活した宝物もあります。

一見キレイな鏡ですが 裏返すと…。

継ぎはぎだらけ。

鎌倉時代 盗賊が倉から盗みだし…

売りさばくために 割ってしまったのです。

その後 破片は取り戻され

そのままの状態で 大切に保管されました。

明治の修理の時 5つに割られていた鏡が
1つに つなぎ合わされます。

実に 600年の歳月を経て

鏡は もとの姿になりました。

世代を超えた
修理によって

宝物は
受け継がれてきました。

宝物を 未来へつなぐ営みは
今も続いています。

正倉院事務所が 近年 力を入れている
科学調査。

素材を特定し 将来の修理に
役立てようとしています。

今回 調査の対象と
なったのは…

表の絵が
問題となっていました。

左には 宴会を楽しむ人々。
右には 獲物を運ぶ2人。

その下に 虎の狩りをする
3人の人物が描かれています。

しかし 年月がたって黒ずみ
もとの色彩が失われていました。

そこで X線や赤外線を当て
絵の具の素材を特定しようとしています。

もとの色を知るためです。

正倉院事務所は 科学調査で分かってきた
情報に基づいて

絵の復元にも取り組みました。

任されたのは 日本画の模写の専門家です。

黒く太い線が折り重なり
よく見えなかった部分。

水色の川 緑色の丘が描かれていることが
判明しました。

そして 2年。
制作当初の色彩が よみがえりました。

鮮やかな服を着た 狩りをする人物。

色彩豊かに表現された 川や丘の風景。

川の真ん中からは
オリジナルの絵では分からなかった

水鳥が浮かび上がりました。

宝物の詳細を知る。

それが 未来につなぐ
重要な助けとなります。

1, 300年の間 奈良の地で守られた
奇跡の宝物たち。

その輝きは 受け継がれていきます。

♬~


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