逆転人生「親子2代の夢を実現 世界が認めたウイスキー」ウイスキーセットが1億円!世界最高賞を受賞した酒を…


出典:『逆転人生「親子2代の夢を実現 世界が認めたウイスキー」』の番組情報(EPGから引用)


2020/05/25(月) 22:00:00 ~ 2020/05/25(月) 22:45:00

逆転人生「親子2代の夢を実現 世界が認めたウイスキー」[解][字]


ウイスキーセットが1億円!世界最高賞を受賞した酒を生み出した男の反骨と執念の物語。国内消費量が右肩下がりの冬の時代。社長の職を投げうって、父が残した原酒にかけた


番組内容

秩父の小さな蒸留所でウイスキーの製造を手がける肥土伊知郎さんが主人公。3年連続で世界最高賞。ウイスキーセットが約1億円で落札されるなど世界から注目を集める。実家は日本酒の酒蔵。父は洋酒ブームに触発され、ウイスキーの製造も始める。その後、人気が低迷し消費量が激減。父はウイスキーを諦めてしまう。一方、伊知郎さんは父の原酒に可能性を感じる。反発しあう親子。息子の反骨心と執念が、奇跡の大逆転を呼び込む。

出演者

【司会】山里亮太,杉浦友紀,【ゲスト】ウイスキー製造会社社長…肥土伊知郎,【出演】木本武宏,磯山さやか,ウイスキー評論家…土屋守,【語り】寺本勲


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逆転人生「親子2代の夢を実現 世界が認めたウイスキー」ウイス
  1. ウイスキー
  2. 原酒
  3. 伊知郎
  4. 土屋
  5. 磯山
  6. 自分
  7. 肥土
  8. 個性
  9. 木本
  10. 時代
  11. 社長
  12. 当時
  13. お父さん
  14. 気付
  15. 蒸留所
  16. ウイスキー造
  17. 愛好家
  18. 消費量
  19. コア
  20. バーテンダー


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20年前 実家の酒造会社が経営破綻し
営業譲渡を余儀なくされました。

当時 取締役だった私が
目をかけていたのが

父が仕込んだウイスキー。

しかし 経営を引き継いだ企業の反応は…。

国内の消費量が落ち込む中

私は 父の原酒400樽分を引き取り
事業を始めました。

更に 借金をして蒸留所を建て

自分で
一から酒造りも始めたんです。

ところが 十数年後…。

私の作ったウイスキーセットは

香港のオークションで
およそ1億円で落札されました。

今や 世界中から人気を集める
ジャパニーズウイスキー。

その中でも 私の酒は注目株。

コンクールで
世界最高賞も受賞したんです。

捨てられる寸前の原酒。

ウイスキー人気の落ち込み。

大逆風の中 私は なぜ
今日にたどりつけたのか?

♬~

夜の街は
高級洋酒ブームに沸いていました。

癖がないんです。
ああ。

ウイスキーは
社会的ステータスの象徴。

売り上げも増え続けていました。

そのブームに触発され

ウイスキー造りに
力を入れたのが私の父。

江戸時代から続く
酒蔵の20代目でした。

(伊知郎)「本場仕込み」って
どういうことだよ?

(伊知郎)ふ~ん…。

父は 当時としては珍しく

本格派のウイスキーを
目指していたようでした。

私も酒造りへの興味を持ち
大学では醸造学を専攻。

卒業後は 大手酒造会社に就職し
営業マンとして働きました。

そして 6年後。

伊知郎 ちょっといいか?

ん? ああ。
(豊)相談なんだが…

俺も年を取ったし…

私は父と一緒に こだわりの酒造りを
しようと 実家に戻ったんです。

ところが…。

どういうことだよ!

お前には この酒を造って
売ってきてもらう。

そうだ。 うちは…

このころ 会社の業績が悪化。

父は 大型機械を導入し

大量生産の日本酒を販売することで
売り上げを伸ばそうとしたのです。

(木本)なるほど。
はぁ~!

ちょっと 店長! 店長!
お待ち下さい お待ち下さい。

そこを何とか お願いできませんか?
いやぁ こっちも商売でやってるんでね。

店長!

量販店などに営業しても

大手メーカーの知名度や
価格設定には勝てません。

そっか…。
(磯山)確かになぁ。

私は我慢ができなくなり
父に詰め寄りました。

うちはさ
手塩にかけて造った大吟醸とか

ウイスキーを
売ったほうがいいんじゃないか?

ダメだ! うちは
こいつを売っていくんだ。

今の時代
ウイスキーなんてものは売れん。

90年代に入ると
かつてのウイスキーブームは去り

国内消費量は
右肩下がりだったのです。

(磯山)おじさんのイメージは
ありましたね ウイスキー。

それでも 私は
父の気持ちが理解できませんでした。

本当に父が仕込んだウイスキーに
可能性はないのか?

私は 樽から原酒を取り出し
飲んでみました。

これ…!

その味に 私は衝撃を受けました。

当時 日本では
口あたりが良くなるように

ブレンドされた
ウイスキーが一般的でした。

それに対し 父の酒は
とても癖が強かったのです。

私は 父の原酒を持って
ある場所を訪ねました。

いらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。

ウイスキーを売りにするモルトバーです。

早速 バーテンダーに飲んでもらうと…。

うん…。

そうですか!

でも 今 売れてるのは もっと飲みやすい
ウイスキーなんですよね?

そんなことないですよ。
最近だと こういったスコットランドの

個性的なものを
楽しむ方が増えてますね。

(磯山)なるほど。
好きな人は好きだ いるんだ。

棚に並んでいたのは
本場から仕入れた数百種類のウイスキー。

客は それを飲み比べ…

あっ こうやって
飲むんだ。

まさに 本場さながらの
愛好家たちが

少しずつ
増えているというのです。

こうやって ちょっと香りやって。
(木本)香ってね。

この時 私は気付いたんです。

確かに
ウイスキーの消費量は右肩下がり。

でも このグラフからは
読み取れない もう一つの現実がある。

父が仕込んだウイスキーは
売り物になるんじゃないか?

しかし 私の思いは
なかなか理解してもらえませんでした。

おい 伊知郎!
(伊知郎)なんだよ。

お前 最近
夜な夜な飲み歩いてるらしいな。

(伊知郎)いや それは
ウイスキーを売ろうとして…。

(伊知郎)なんでだよ!

プロのバーテンダーが親父のウイスキーを
おいしいって言ったんだよ!

諦めんの早いって!
そんなもんより…

お父さん かたくなだ。
どうしたんでしょう?

必死に訴えても なしのつぶて。

私の中で 父に対する不信感が
どんどん膨らんでいきました。

味だけは本当に間違いないんだから。
もう嫌だって言ってんだよ!

お前のな
営業努力が足らないんだよ!

感情をあらわにして お互いを責めたて

親子の亀裂は
深まっていったのです。

やりたいこと真逆ですもんね。
ぶつかりますよね。

そして 2000年9月。

はい 申し訳ございません…。

おい! 今月末の支払い
どうするつもりなんだ!

社長を出せ 社長を!
(伊知郎)申し訳ございません!

負債が 39億にまで膨らみ

民事再生手続きを申請。
(木本)そこまでやったんや。

取引先の皆さんに迷惑をかける
最悪の事態でした。

いや もう これは…

そんな中
更に事態を深刻にする出来事が…。

伊知郎さん!
(伊知郎)はい どうしました?

社長が…。
(磯山)えっ? えっ?

もしもし!
☎社長が今 突然倒れられまして

伊知郎さんも早く来て下さい!

債権者への説明に向かう車の中で

父の体調が急変したというのです。

江戸時代から続く家業が
破綻し

大黒柱も緊急入院。

私がウイスキーに抱いた夢は
一気に遠のいてしまいました。

いやぁ すごいですね…。

念願のね
家業を一緒にできると思ってたら…。

そうですね。
とんでもないことになりましたね。

お父さん 体調は回復されたんですか?
ええ。

あのあと しばらくしてからは
復帰できたんですけども

江戸時代から
ずっと造り酒屋をやってきた。

それが そこで途切れてしまう
っていうのは

父からしたら 相当なショック
だったんじゃないかなと思いますね。

心労も重なって その状態で倒れられたと。

ゲストのお二人
初めて聞いたんですけど ウイスキー好き。

ほんとですか?

疑いから入るパターン?
そこですか?

(笑い声)
いやいや ちょっと待って下さいよ。

お二人お好きで しかも

こちらの肥土さんとこのお酒も
飲んだことある?

よく飲んでます。    よく飲んでる?
はい。

え~!
もう大好きで。

でも なかなか手に入りにくくない?
そうなんですよね。

だから今日 憧れの肥土さんに
お会いできてね 一番言いたいのは

「もっと造って下さい」っていう
クレームを入れたいんですよ ほんとに。

ここで 再現ドラマで描かれた時代の
ウイスキー事情を整理しておきましょう。

70年代は 日本は
高級洋酒ブームに沸いて

消費量
うなぎ登りだったんですね。

ボトルキープが サラリーマンの
いわば憧れだったんです。

このころ 肥土さんのお父さんも
ウイスキー造りを始めます。

80年代に この状況で
肥土さんのお父さんが

本格的なウイスキーを
目指したっていうのは

どういうこと… かなり
珍しいことなんですか?

肥土さんのところのように
ああいうポットスチルを入れて

本格的にウイスキーを造る
というのは

結構 珍しかったかも
しれないですね 80年代でね。

当時ね お父様の造られた時の

それを うちの父がウイスキー好きで
家にあったんですよ。

え~!
はい。

で 飲んだら もう なんか
自分の中では もう

「無理!」っていうような
味やったんですけど 父親は

その 「無理!」っていうのを
おいしくなるようになったら

お前 大人やって言われたんですよね。

ところが 83年をピークに
焼酎などの人気に押され

どんどん消費量が減っていきました。
(木本)すごい下がり方ですね。

肥土さんは バーに通う中で
この消費量のグラフからは分からない

ウイスキーの可能性に
気付くんですが

それが コアな愛好家の存在
だったんですよね。
そうですね。

実際に バーに行くと ウイスキーの
ユーザーじゃないと思っていた

若い人や女性の方も
ほんとに楽しそうに

シングルモルトウイスキーを
飲んでるんですね。

飲み比べる楽しさが
そこにあると。

そういうことに気付いた
消費者の方たちがいっぱいいたと。

これ おもしろいなといって
ある意味 ウイスキーの魅力に

その時に気付いちゃったみたいな
ところがあって

これは可能性あるんじゃないかなと。

せっかくウイスキー好きのお二人に
来て頂いているので

ウイスキーの個性の違いを
ゲストのお二人にも

楽しんで頂こうと思います。
なるほど。

3つのウイスキーを試飲して頂きます。

今回ですね 土屋さんには
3つのウイスキーにピッタリの

愛称を考えて頂きました。

皆さんには どのウイスキーを
指しているかを当てて頂きます。

こちらです。

まず 「幸運の女神のほほえみ」。

そして 「頑固者 偏屈 愚直」。

更に 「華やかな貴婦人」。

(木本)ウイスキー好きって言っても
山ちゃん。          はい。

(木本)奥深いんですよ?
いやいや でも ほら…。

(土屋)
これ どこまで言っていいんですか?

ヒントなんか要りませんよ 土屋さん。
この二人をなめないで下さい。  (笑い声)

まっすぐ 素直に
スッてくるね。   (磯山)そうなんです。

あっ いった。

なるほど。

恥ずかしい…。
いえいえ。

違う!
フワッて こう…。

何それ! そんなに違うもんなんですか?
全然違うんですよ。

フワーン!って感じです 今。
それはもう じゃあ あれじゃない?

それは思ってる
ちょっとは思ってるけど。  恥ずいよ。

後半 あんまり
映らないかもしれない。   (笑い声)

C C C。

えっ?
はっ!         えっ 何?

これ スモーキー。
すごい個性な…。

個性強いですよ。
わ~お! 一番個性的に。

(土屋)木本さん パーッと
スモーキーって出てきた。 すごいですよ。

ほんとですか?     (土屋)うん。

(木本)こういうの
インスピレーションが…。 そうですよね。

舌で感じたことを書けばいいんだもんね。
答え いきましょう。

では 一斉にどうぞ!
せ~の はい!

さあ このようになっております。

「幸運の女神のほほえみ」が
木本さんはB 磯山さんがC。

はい。
うわ~! でも…。

BとCで迷ったんですが。

答えは こちら!

(笑い声)
これはひどい。

正解は…

これはひどい これはひどい。

磯山さん えっ ちょっと…。

お代頂いて
帰ってもらえます?

逆にすごいよ
全部外せるって。
おかしいな~。

このスモーキーさは
ほほえんでるかと思ったんだよ!

(土屋)まだ10年早いですね。
(笑い声)

(2人)恥ずかしい。
いやぁ…。

楽しいじゃないや 楽しいじゃないや。

父が倒れたあとは 私が社長になり
業績の回復を目指しました。

しかし 結局うまくいかず

ある企業に 営業を
譲渡することになったんです。

いやぁ 今日からお世話になります。

よろしくお願いしますね。
ええ こちらこそ…。

雇われ社長となった私。

当然 いくつか条件を課せられました。

その中で どうしても
納得できないことがあったんです。

今後の経営に関してですが…

なんだって!?

父が造った400樽分の原酒を
全て廃棄するというのです。

大好きな二人からしたら
信じらんないこと…。

2003年 ウイスキーの
消費量は 更に減り

全盛期の3分の1に
なっていました。

それでも 私は
コアな愛好家は増えていると訴えました。

しかし…。

おお~!

辞めたはいいが
400樽分もの原酒をどこに置くのか?

私は 知り合いのツテをたどり

ウイスキーの製造免許がある
福島の酒造会社を訪ねました。

どうぞ お座り下さい。
はい 失礼します。

どうか
樽を置かせて頂けないでしょうか?

お願いします!

言葉に詰まった 社長の山口さん。

ここでも
ウイスキーの販売量が減り

製造を中止していたのです。

私の訴えには半信半疑でしたが

ちょうど空いている倉庫があり
樽を置かせてくれるといいます。

埼玉と福島を
トラックで
20回往復し

400樽分の原酒を
運んだんです。

その後 私は わずかな資金で
有限会社を立ち上げ

商品化に向けて動きだしました。

すごいな。 逆風しか吹いてないとこで
よくいきましたね これ。

まずは 全ての樽から原酒を取り
香りや味をチェック。

味に深みを出すため 複数を混ぜ合わせる
ブレンドを行いました。

こうして 最初の商品 600本が完成。

いらっしゃいませ。

早速 知り合いのバーや酒の販売店に
営業に行きました。

ほんとですか?
ありがとうございます!

しかし その後
追加注文は期待どおりには入らず

在庫は なかなかさばけませんでした。

愛好家をターゲットにすると

当然 本場のウイスキーが
ライバルになります。

一つ一つが まさに個性の塊。

その中で 存在感を放つのは
とてつもなく難しいことだったのです。

今の時代
ウイスキーなんてものは売れん!

言ってて つらかったろうな。
お父さんも これ。

この時 私は ウイスキーが売れず

日本酒の大量販売に走った父の気持ちが
少しだけ分かった気がしました。

でも ここで妥協しては
父と同じ道をたどってしまう。

本場と比べても 個性が際立つような
酒を造り出せないか?

実は 私にはその秘策がありました。

シェリー酒やワイン ブランデーなどの
熟成に使われた中古の樽を購入。

原酒を詰め替えることで

樽に染みついていた味や香りが
乗り移っていくのです。

更に 私は
詰め替えした原酒をブレンドせずに

樽ごとに 別々の商品として
販売することにしました。

原酒の個性を一切丸めず
とがった味で勝負に出たのです。

その酒は なんと
イギリスの専門誌によるコンテストの

ジャパニーズ
ウイスキー部門で金賞を受賞。

え~!
うわ~!   すばらしい!

このニュースは
日本のマスコミでも取り上げられました。

すると…。

(バーテンダー)かしこまりました。

すいません。

(バーテンダー)少々お待ち下さい。

徐々に 私のウイスキーを注文する客が
増えていきました。

おいしいですね!

売り上げが伸びるにつれて 私には
ある思いがわき上がってきました。

専門家にも相談を持ちかけましたが
大反対されました。

当時 ウイスキー造りの
知識も技術もなかった私。

それでも
夢を追い続けることに決めたんです。

すごい!
(磯山)すばらしい。

懐かしいですね。

僕 思ったのは 他の樽に原酒を入れてみて
味やってみたらいいって

ひょっとしたら 原酒 全部無駄になる
ぐらいのことが起きるかもしれないって

怖くないですか? あの試し方。
そうですね。 ただ

バーをこう ほんとに
何軒もまわる中で そういった

「フィニッシュ」っていうんですけど
途中から樽を替えるという。

その手法やって 実験していた
会社もあったんですよ。

それ 飲まして頂いた時に

もともとの原酒と フィニッシュ
かけたものが こんなに違うんだと

このやり方はありだなと思って
チャレンジしてみたんですよね。

絶対 このやり方で おいしくなるな
というのも 自信あったわけですか?

なるほど 希望的観測で。

失敗したのもあるんでしょ?
この樽に入れたら間違ったみたいな。

そうですね。 でも 多分これは…

(土屋)なるほどね。
そっか 個性を出す。

長い目で。
そうですね。

今日さ 僕らも 何かこう ちょっと
親近感を覚えるというか…。

何か ひと事じゃない感じですよね。

お笑いタレントも なかなか思うように
売れなかったりして

いろんな方から
「それじゃ売れないよ」とかって

いっぱい いろんなこと
言われるじゃないですか。     はいはい。

磯山さんは どうなの?
自分がこうね 頑張ってきて

岐路に立たされたことみたいなの
あったりするの?

グラビアで
デビューをした時に

「痩せなさい 痩せなさい」って
ものすごく言われてたんです。

そのあと 10年後ぐらいに

企画で ダイエット企画みたいな
それをやってって言われたんですけど。

ふくよかな方が好きっていう方が多いのは
イベントとかでは分かってたので。

結局 痩せたんです。

負けてね 根負けして
企画をして 痩せたんです。

そしたらやっぱり コアな人たちが
めちゃくちゃ悲しんで。   そりゃそうよ。

…みたいな感じになって

やっぱり 私の個性って

ぽっちゃりだったんだなっていうのも
気付きましたし

コアなファンっていうのが…。
コアなファン大事ね。

愛好家が。
愛好家がいたんです。

皆さん 気になっていた 樽替え。
試して頂こうと思います。

もともとの原酒は 同じです。

シェリー樽 そして ビール樽に
詰め替えしたものを準備しました。

9年熟成です。

続いて シェリー樽。

はっ! 違う…。

シェリー樽のやつは
奥に じわ~っていくよりも

舌の上で しばらく
ず~っと広がるんですよね。

ビール樽!
わっ! えっ?

(土屋)ホップかな…。

ビールの香りっていうか…。
(土屋)ホップ。

ホップですね だから。

面白い!

なんやったら ちょっと のどごしに
残る感じがありますね 香りが。

えっ! そんな変わるんですね。
そうですね。

ただね 一から新たに原酒を仕込む
ということに関しては

土屋さんは大反対だったと。
人のやることなんであれなんですけど。

ただ あの当時を考えれば 大変難しいな。

向かい風 ビュンビュン吹いてる時でも
行こうって 行けるっていうのは

どういった気持ちからなんですか?
そうですね。

やっぱり そのウイスキーの魅力に
自分自身が気付いちゃったんですよね。

それと やっぱり 自分の選択肢は
このウイスキー造りだというふうに

決めたあとは 実は 気持ち的には
すごい楽になって

あとは この自分がやりたい夢を
実現するために

どういうふうに動いたらいいのか
っていうことだけに

フォーカスすることができた。
なるほど。

どうにかして ウイスキー造りの技術を
身につけたいと思った私は

知り合いのツテをたどって
協力者を探しました。

たどりついたのが
バーテンダーから紹介された 坂本さん。

当時 大手洋酒メーカーの取締役でした。

こんな時代に蒸留所の建設とは
思い切りましたね。
ええ…。

当時 坂本さんの会社でも…

国内消費量が落ち 買い手がいない
というのが その理由でした。

そこで 私は…。

つまり 買う人がいれば ウイスキー造りを
再開できるってことですよね?

まあ… それなら商売になりますから
会社も反対はしないと思いますが。

えっ!?

坂本さんは 会社に掛け合い

1か月だけ
蒸留所を稼働させてくれました。

私は ずっと泊まり込みで
製造の基礎を学んだんです。

決断までのスピードが。

更に 翌年。

なけなしの資金をはたいて
スコットランドに渡りました。

老舗蒸留所にお願いし

短期間ですが 研修生として
受け入れてもらったのです。

そこで 私は 酒造りの技術以上に
大切なことがあると気付きました。

帰国した私は 蒸留所の建設に向けて
本格的に動きだしました。

あちこち見回って決めた場所は
秩父の山の中腹。

そこには スコットランドにも負けない
自然環境があったんです。

そして2007年 小さな蒸留所が完成。

個性的な味や香りを出すために
さまざまな工夫を凝らしました。

その一つが 発酵に使うタンク。

主流は 金属でしたが

あえて 国産のミズナラを
使うことにしました。

一つの賭けでもありましたが

私は 自分の直感を大事にしようと
心に決めていました。

これ…!

父のウイスキーを味わってから13年。

思えば 自分の直感を頼りに
突き進んできたのです。

そういった…

発酵槽のほか 蒸留に使う
ポットスチルにもこだわり 特別に設計。

へえ~!

更に 貯蔵庫の床は
あえて土をむき出しにしました。

秩父の自然の影響を受けやすくすれば
個性が際立った酒になると考えたのです。

そして…

これだ! これが俺のウイスキーだ。

私は ついに 自分のウイスキーを
売り出すことにしました。

販売本数は 7, 400本。

全国の酒店から予約を受け付けると…。

えっ 社長!
どうした?

これ 見て下さい。

(伊知郎)えっ 完売!?

おめでとうございます!

あっという間に完売。

なぜ人気が急上昇したのか?
そうよ。

実は数年間
私は さまざまなイベントに参加し

こだわりの酒造りを
発信し続けてきました。

待ちわびてたんだ それ聞いて。

「絶対うまいじゃん
この人の造るの」って。 はぁ~!

そして何よりも 本場でも認められた
父の酒の評判が広がり

期待が膨らんだのだと思います。

おいしいな。

…っていうふうに
思えるようになってきたんですよね。

その後 しばらくして…。

入んなよ 親父。
ああ。

私は すっかり疎遠になった父を
思い切って蒸留所に誘いました。

立派な蒸留器だ。

家業の経営破綻から15年。

父は ずっと罪の意識を
引きずって生きてきました。

見回るうちに 和らいでいく父の表情。

江戸時代から続く酒蔵の歴史が
復活したことで

心の傷が少し癒やされたようでした。

親父 どうだ?

今日は…

このあと 私は 自分の原酒と父の原酒を
ブレンドしたウイスキーを造りました。

2018年 その酒が なんと
世界有数のコンテストで

最高賞を受賞したんです。

すごいな!
(磯山)いや すごい。

その複雑な味わいは

父と私の人生が醸し出したのだと
自負しています。

(拍手)

いやぁ だから…

伊知郎さんの原酒とお父さんの原酒を
ブレンドしたお酒が 世界一。

すごいですね これは。

いやぁ ちょっと
ほんとにドラマチックすぎて

こんなことってあるんだっていうぐらい
感動のストーリーでしたけど。

そのウイスキーの大逆転も
ありましたけど

親子も この関係 絆も大逆転したな
と思ったら ほんと泣きそうになる…。

ウイスキーで
親子関係が最悪になって

ウイスキーで
親子関係が最高になるっていうね

この落差というか
そこ たまんない気分で…。

とりあえず 今
僕 一番思ってるのは…

で こんな話 聞いたんだって
父親に教えたいです。        確かに。

でもね こうやってね 肥土さんの原酒
見事 花開いたんですけども…。

あれ? 土屋さん ちょっと…。

僕ですか? あの~…。

そうですよね。   言い訳するわけじゃ
ないんですけど。

でも 肥土さんのところの
このウイスキーの持ってる意味ってね

おそらく…

(土屋)そういう冬の時代が
あったからこそ

長く長く寝た原酒を
肥土さんは使い

これを世代を超えて

父の代のウイスキーと
自分の代のウイスキーが

普通 ジェネレーション
ミックスしないですよ。 ですが

ウイスキーの世界って やっぱり
そういうことが起こるんですね。

何か… 全然ダメな時代の時とかに
今の話聞くと グッと刺さりますよね。

冬の時代 そうなんですよね。

要らない冬の時代なかった
ってやつですもんね。

さあ 肥土さんは 今 お父さんの存在を
どのように捉えてらっしゃいますか?

父っていうのは 人生にとって
すごい大事な存在だったんだなと

本当に強く感じることができたのと

本当に いい原酒を残してくれた。

ほんと父には感謝ですよね。

今まで そういう気持ちが ずっと
なくなってたと思ってたんですよ。

すごい わだかまりがあって。

それが… その わだかまりが
本当になくなって

大嫌いな父を
大好きになっちゃったんです。

今年2月 秩父で
ウイスキー祭が開かれました。

国産ウイスキーの飲み比べができるのも
イベントの売りの一つ。

ここ10年ほどで 日本各地に蒸留所が
オープンしたのです。

若者や女性も多く訪れ
ウイスキーの個性を楽しんでいました。

今 私たち親子の夢は
現実になろうとしています。


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