100分de名著 カント“純粋理性批判” (1)「近代哲学の二大難問」近代科学が勃興し始めた18世紀ヨーロッパ…


出典:『100分de名著 カント“純粋理性批判” (1)「近代哲学の二大難問」』の番組情報(EPGから引用)


2020/06/01(月) 22:25:00 ~ 2020/06/01(月) 22:50:00

100分de名著 カント“純粋理性批判” [新](1)「近代哲学の二大難問」[解][字]


近代人たちは「科学は客観的な根拠をもっているのか」「科学で世界の全てが説明できるとしたら自由に居場所はあるのか」という難問に直面した。カントはどう解決したのか?


番組内容

近代科学が勃興し始めた18世紀ヨーロッパ。近代人たちは二つの大きな難問に直面した。「科学は本当に客観的な根拠をもっているのか」、そして「科学で世界の全てが説明できるとすると人間の価値や道徳などの居場所はあるのか」。カントは、認識主体によって構成される世界を「現象界」とし、人間が決して経験できない世界そのものを「物自体」と呼んで認識能力が扱える範囲外に位置付けることで、難問を解決しようとするのだ。

出演者

【講師】東京医科大学教授…西研,【司会】伊集院光,安部みちこ,【語り】小坂由里子


『100分de名著 カント“純粋理性批判” (1)「近代哲学の二大難問」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

100分de名著 カント“純粋理性批判” (1)「近代哲学の二大
  1. カント
  2. 認識
  3. 人間
  4. 純粋理性批判
  5. リンゴ
  6. 言葉
  7. 物自体
  8. 問題
  9. バラ
  10. 感覚
  11. 共有
  12. 世界
  13. 発想
  14. 客観的
  15. 現象
  16. 仕組
  17. 思考
  18. 自然科学
  19. 自分
  20. 正義


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人は まるで探偵小説の主人公さながら

「これは何?」
「これは なぜ?」と考え

推論し続けてしまうもの。

そんな人間の思考は
どうなっているのか

認識の仕組みを追求したのが
「純粋理性批判」です。

著者は
18世紀 近代哲学を牽引した

ドイツの哲学者
イマヌエル・カント。

およそ10年もの年月をかけて
完成させました。

テーマに掲げたのは

「人は 何を知り得るのか?
そして 人が知り得ないことは何か?」。

その議論は AI時代が到来した今

「人間らしく思考し 生きるには
どうすればよいか?」という

問いにも つながります。

哲学の歴史に金字塔を打ち立てた
カントの代表作。

第1回は 人間は
どうやって 物事を捉えているのか?

認識の仕組みを読み解きます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

今月は ドイツの哲学者
イマヌエル・カントの

「純粋理性批判」を取り上げます。

伊集院さん ちょっと
まず こんな問いをさせて頂きますが

これは 何でしょうか?

えっ… バラじゃないですか?

もしくは あれですよ
僕に対する気持ちとか。  ああ 深読みが。

まあ いろんな言い方できますけど
そんなとこじゃないです?

じゃあ これはどうですか? 1+1は?
まあ 2ですよね。

2ですよね。
はい。

カントはですね
なぜ 人は皆 こう考えるのか

共通理解ができるのかというところを
深めたんですね。

えっ
それは ひねくれた答えじゃなければ

みんなが これを
「バラ」って言うじゃないですか。

それは どうしてだっていうこと?

それは なぜかというところを
突き詰めたんですね。

そして 「純粋理性批判」は
「名著」のスタッフが言うに 最難関。

「100分de名著」史上で。
今までも 結構
難しいのありましたけどね 最難関?

という話でございます。
はい。

では
教えて下さる先生 ご紹介しましょう。

東京医科大学教授の西 研さんです。
お願いします!

お願いします。
よろしくお願いします。

哲学を通じて よりよく生きるための
思索を続けてきた西さん。

これまで番組でも 難解な哲学書を

身近な問題に置き換えて
読み解いてきました。

そんな西さんにとっても
「純粋理性批判」は

最重要 かつ最難関の一冊だといいます。

まず 西さんと「純粋理性批判」との
出会いは いつだったんでしょうか?

はい。 大学時代のゼミで読んだのが
最初なんですけども

「純粋理性批判」は哲学を志す人にとっては
知らないと恥ずかしいような。

そうなんですけど
ものすごく分厚いし 難解なんで

実は 最後まで読まずに終わった人も
結構いると思ってます。

あっ そうなんだ。 先生も出会った時には
結構 難関だなって感じなんですか?

はい そうですね。

ともかく 文章 長い
段落が なかなか変わらない。

しかもですね これ
発表当時 難しすぎて…

半分 読んだら…

カントを理解してくれる
友人ですら

ちょっと無理っていう感じの
レベルですか?            そうですね。

その そもそも「純粋理性批判」というのは
どういう意味なんですか?        はい。

で 「批判」ですけど これ
悪口を言うということではなくて…

でも こっから後に行っちゃうと

判断できない領域になりますよ
というふうに

要するに 人間が知ることのできる限界が
どこにあるのかっていうのを吟味する。

これが 「純粋理性批判」なんですね。

あの 最初に
「簡単な本ですよ」って言われて

今ぐらい理解できなかったら
もう 不安で しょうがないですけど

「難しい」はベースなんで
まずは聞いてみようってことですね。

あの 何か難しい言葉とかも
出てくるんですけど

何で こんな本を書いたのか
っていうのが分かってくると

あ なるほどって感じで
分かってきます。

もちろん その…

なるほど。

何か 時代背景とか
当時 問題とされていたことが

何かとかを考えると
分かっていくんですかね。  はい。

ヨーロッパの貿易港として栄えてきた
かつてのケーニヒスベルク。

カントは 18世紀
この地に誕生しました。

港町に やって来る
多くの異国の商人たちに

カントは こんな思いを抱いて
成長します。

この考えこそ カント思想の源流であり

近代哲学の姿勢そのものでした。

カントが生まれる前の中世ヨーロッパは
キリスト教中心の世界でした。

人々は教会に従い 真偽も善悪も
すべて 神の教えの下に判定される

いわば トップダウン方式。

ところが 商業が発展すると

人々は 自分の才覚しだいで 自由に
生き方を選べることに気が付きます。

そんな 「自由の精神」を体現したのが
自然科学でした。

ガリレオやニュートンの
度重なる発見により

教会の権力から離れて 「自分たちが本当に
納得するものを受け入れる」という

ボトムアップの考え方が
市民権を得たのです。

例えば ニュートンが発見した
万有引力の法則。

この 落下するリンゴのように

あらゆる物体は物理法則に貫かれていて

どう動くかを数学的に計算し
予測することができる。

すごい発見ですよね。

しかし ここで
新たな問題が 2つ浮上します。

まず 1つ目の問題。

このように 存在するすべてのものが
因果法則で決定されているとすれば

人間も この法則に縛られているはず。

すると
私たちに 自由はないのではないか?

2つ目は 今 「私」が認識したことは
本当に客観的な世界と一致しているのか?

この難問に対して
2つの立場が生まれます。

1つは 「何事も自分で経験しなければ
認識できない」という 「イギリス経験論」。

人間が主観的に経験したものを
ゼロから積み上げて

認識を作るという考えでした。

例えば 「私」が
見て 触って 食べることで

初めて リンゴという認識が生まれます。

しかし この考えに立つと

人間は 主観の外に
抜け出せなくなってしまい

自然科学の客観性をも疑う事態に
発展してしまいます。

一方 「大陸合理論」と呼ばれる学派は

人間には 合理的に物事の真理を
捉えられる知的能力が

先天的に備わっているのだと
主張します。

この能力を使えば
人間の死後や 神の存在に至るまで

世界を 理詰めで認識できるといいます。

しかし 意識の中では
完全に構築できていても

「結局 頭で こしらえただけではないか」と
指摘されたら 反論の余地なしです。

2つの学派は対立し
哲学そのものが 存亡の危機に陥ります。

カントは もはや調停不可能と思われた
2つの学派の間に立ち

哲学救済策ともいうべき本を
10年かけて 書き上げます。

それが 「純粋理性批判」でした。

カントは 人間の認識が
どう成り立つのかを解明し

この難問への答えを 自身の手によって
導き出そうとしたのです。

難しい。
まあ でも 何か ぼんやりと

ぼんやりとは
入り口には来てるような気がするけど。

こういう時代だったんだなという
ところさえ つかめれば大丈夫ですよね。

では 著者カントを
簡単に見ていきましょう。

まず ちょっと見て頂きたいポイントは
ここですね。

「純粋理性批判」を発表した年齢 57歳と。

遅咲きと
言っていいんじゃないでしょうか。

で また意外なのが この ゴリゴリ難しい
「純粋理性批判」なんですけども

実は ジャーナリスティックな
感覚があって

港町ですから いろんな商人が来ます。

そういう人たちを招いて
一緒に会食したりして

世界の情報に 非常に通じてた。

その人がですね…

ず~っと考え込んでた。

そういうことになるわけです。

その考え込んじゃった理由が

さっきの 2つ問題がありますよっていう
あれなわけですね。

はい そうです そうです。
で その2つというのが こちらでした。

はい。
最初は 「物心問題」っていうんですけど

要するに…

こういう問題なんですね。

VTRでもありましたけれども
自然科学が すごく発達してくる。

こういう 一つ難問ができちゃうんですね。

あと もう一つは 普通 僕らは
大体 実験と観察をもとにして

自然科学って 作ってますから。
はい。

だから 客観的な世界 そのまま
捉えてるって思ってますよね?

でも 厳密に考えると…

このことを 僕は 自分の仕事の
おしゃべりで思うことがあって

え~と すべての しゃべったことは

しゃべった途端から 嘘である
みたいなこと ちょっと思ってて。

目の前に リンゴがあって
一番特徴的な「赤いよ」って言った時点で

黄色い部分のことを
もう 一切 話せなくなったりとか

彼が
すごい複雑な表情をしてたとしても

おおむね笑っていれば 「いや
笑ってたんだよ」って言った時点で

これは事実じゃなくて

僕が認めたようにしか 話せないって
いうのを思うことがあって。

ですよね。
そういうことです。

それ もう
ばっちり カントそのものです。

ちょっと おおまかに分かったところで
具体的に読み進めていきましょう。

二大難問への答えを模索するカントは

人は どのようにすれば
皆が共有し得る知識を作ることができ

どのようにすると
共有できる知識から逸脱するか

それを明確にすることで
答えを導き出そうとします。

そのために まず
人間は 物事をどう捉えるのか

認識の仕組みの解明に取りかかります。

カントは 第一に

心の外に客観的にあるはずのものを
「物自体」

人間の心に入ってきたものを

「現象」と名付けて
区別しました。

また ここで
リンゴに ご登場願いましょう。

我々 多くの人間は リンゴを
当たり前のように 赤色だと認識します。

しかし 例えば猫は 目の構造上
赤を認識できません。

恐らく リンゴは灰色に見え

リンゴ イコール 赤という概念は
ないでしょう。

カントによれば 我々は生まれながらに

外すことのできない眼鏡をかけて
リンゴを見ているようなもので

実際に それが どうなっているのか
誰も知ることはできないといいます。

物自体が 感覚器官を刺激して
得られた情報を頼りに

主観 すなわち
心に現象として現れたものを

私たちは 「リンゴ」として
認識しているのです。

実は 従来の考え方によれば
客観的な対象が まずあって

人は それを そのまま写し取ることで

正しい認識が作られると
考えられてきました。

しかし カントは 物自体という対象は

人間が認識する姿とは
別の姿で存在していて

それを 決して知ることはできない。

人間に備わった認識の仕組みが
「人にとっての対象」を作るのだと

発想を ひっくり返したのです。

この発想の転換を
カントは自ら こう呼んでいます。

皆さん ついてこられましたか?

ギリギリ。

だから 生まれた時から

あの バーチャルリアリティーの
ゴーグルをかけられてて

で 俺たちは これを
もう 一切 外すことができないから

そうすると 本当は何があるのか
本当に どんな形なのかも

もう 分かんないよね
ということですかね。             はい。

カントは でも バーチャルリアリティーなんて
言葉もない頃から その感覚だ。

そこで出てきたのが

「物自体」と
「現象」というワードになりました。

「物自体」っていうのは
これは 存在はしてるだろうと。

何かなきゃ 認識できないだろうと。

でも 人間の感覚に入ってきて

いろいろ加工してって
認識できますから

結局 その 人間が認識できるのは

心の中に入ってきた現象でしかない
ってことになってきます。

で こっちは 永遠に
誰も知ることができないものだ。

これが カントの基本の考えですね。
なるほど。

いや 何かね それ ちっちゃい時に
不思議に思ったこと あるんだよな。

ゲンゴロウって 水中 見る目と
上 見る目が 両方あるって聞いた時に

「どう見えてんだよ」っていう。
ほんとですね。

何か その多分 もっと
ややこしいことですもんね きっと。

俺たちの理屈では 一生 分からない。

で それはもう
分かんないんだっていうことで。   はい。

「物自体」って ちょっと
もう 外しちゃう。          外しちゃう。

だけど 例えば ここに赤いバラがあると
みんなが 赤いバラがあると言う。

そういうところは みんな共有できますよ。

「共有できる」という意味なんですよ
客観性というのは。

これ
面白いですよね。
うわ 興味深いわ。

そのためには…

で この際の共通規格っていうのは
まあ バーチャルリアリティーの

こういうゴーグルでも
いいんですけれども…

こういう発想をするんですね。

よく こんなこと考えたなというふうに
まあ 僕なんかは思うんですけど。

カントは すべての主観に 認識を作る際の
共通規格があるというんですけれども

それが こちらですね。
はい。

この共通な規格をですね

カント語で
「認識能力」っていうんですけど

認識能力を 二層構造で考えるんですね。

では 具体的に この二段階の認識能力
見ていきましょう。

カントの言う「認識能力」とは

いわば 人類共通の物差しのようなもの。

この物差しは
2つの能力によって 成り立っています。

第一層目は 五感の感覚を受け取る
「感性」という能力です。

例えば ここに物自体

対象Xがあるとしましょう。

対象Xが 人間の感覚器官を刺激すると

感性は それを受容し
ある形や色合いを持つ像を形成します。

これを 「直観」といいます。

「茶色い広がり」
「その上に 銀色の広がり」

「その上に 緑の広がり」
「その上に 赤が広がっている」。

しかし この像は

まだ 「名もなき像」にすぎません。

悟性は 物事を判断する能力。

先ほどの像を 今度は
「○○は ~である」と

言葉で つかみ直します。

例えば 茶色い広がりは机
銀色の広がりは花瓶

そこに緑の茎があり 赤い花が咲いている
と 名前の付いた像が作られ

ようやく 「赤い花が一輪ある」という
認識が成立するのです。

こういうのって
言葉で説明するの 難しいですね。

まあ ダイレクトに感じるっていう
「ある」って感じるわけで。

ここで 「赤」って言葉を使っちゃうと
違うんだろうけど

「赤い」って感じちゃう。

感じがきますよね。
感じがくるわけですよね。

で その時点が
「感性」ってことですよね?    そうです。

で そのあと 今度 「悟性」っていうのは
あんまり聞かない言葉だよねぇ。

ええ 難しい言葉ですけど。

思考の… する力 判断する力って
いわれるんですけど

「何とかは何とかである」。

だから 感覚的に受け取ったものを
「あ これバラじゃん」って判断したら

悟性も 併せて働いている
ということになるわけです。

で ただ まあ あの…

…っていう考え方。

この発想はですね 僕は なかなか
グレイトじゃないかと思ってるわけです。

例えば 正義なんかでも
カントの発想だったら

「正義の絶対そのものなんていうのは
ないと考えようよ」と。

なるほど。  正義の 実際 感覚
違いますもんね 人によって。

でも 「これは まずいんじゃない?」とか

「これは 俺は やっていいと思う。
セーフだと思うよ」とか

正義という感覚自体は
多分 どんな人間も持ってるだろうと。

そうすると それって何だろう?
というふうに考えると

共有できるものへの思考が
始まりますよね?

「これが 絶対正義だ」って
誰かが言っちゃったら

もう話 もう
終わっちゃうじゃないですか。
はい はい。

何か お母さんたちの会でさ

「とりあえず 子どもたちが楽しいのが
いいのは間違いないよね」っていう。

だけど それに関しての
細かいことに関しては

絶対的なものは
なかなか見つからないって時に

ちょっと もしかしたら
カント的な整理のしかた みたいのは

あるかもしんないですね。    そうですね。
ねえ。

ただ この先いっぱいあるんでしょ?
でも大丈夫です このペースで。

大丈夫 はい。
はい。

西さん 第1回 ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~

♬~


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