先人たちの底力 知恵泉「新しい女の生き方 昭和編 長谷川町子」サザエさんの作者。女性漫画家の草分けとして昭和を…


出典:『先人たちの底力 知恵泉「新しい女の生き方 昭和編 長谷川町子」』の番組情報(EPGから引用)


2020/09/29(火) 22:00~22:45

先人たちの底力 知恵泉「新しい女の生き方 昭和編 長谷川町子」[解][字]

明治から昭和の日本で、先駆的な活躍をした女性を2週に渡って紹介。今回は漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子。女性漫画家の草分けとして昭和を生き抜いた知恵を探る。

詳細情報
番組内容
戦後日本の新しい女性と家族を生き生きと描いた国民的漫画『サザエさん』。作者の長谷川町子は、プロの女性漫画家の第1号ともいわれ、今年が生誕百周年。漫画家で唯一、国民栄誉賞を受賞しながら、その姿はベールに包まれている。外部との交流がほとんどなかったからだ。町子が15歳で漫画家デビューしたのは昭和10年。女性の社会進出はまだ限定的で、女流漫画家など想像もできない時代、自立した女性として生きた知恵を探る。
出演者
【出演】西原理恵子,熊谷真実,中央大学教授…山田昌弘,【司会】新井秀和


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先人たちの底力 知恵泉「新しい女の生き方 昭和編 長谷川町子」
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  13. 漫画家
  14. 何度
  15. 田河水泡
  16. 今日
  17. 昭和
  18. 福岡
  19. 連載
  20. オチ


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女性が輝く社会。

リードしたのは あの愛されキャラでした。

漫画やアニメは 日本が誇る文化。

今や世界中にファンが広がっています。

数ある名作の中でも世代を超えて
日本人に愛されているのが「サザエさん」。

「サザエさん」が誕生したのは

終戦間もない 昭和21年。

もともとは
新聞の連載漫画でした。

父親の存在が まだ絶対的だった時代に

女性たちが はっきりモノを言う
家族の姿は斬新でした。

漫画の歴史を変えた「サザエさん」を
描いたのは 長谷川町子。

家で漫画を読みふけっていただけの少女が
なんと…

女性漫画家の草分けとして
国民的作品を生み出したのです。

しかし 決して順風満帆な
漫画家人生ではありませんでした。

たった一人 部屋に籠もって
アイデアを絞り出すのに苦悩する日々。

「ト ユウワケデ
サザエさんモ コレデ オシマイ」。

実は 何度も
連載がストップしていたのです。

それでも町子は 生涯 独身を貫き

漫画に人生を注ぎました。

世代を超えて愛される
国民的漫画を描き続けた

町子の知恵とは?

今回 長谷川町子の知恵を読み解くのは

同じく家族をテーマとした作品が多い…

主婦の日常や 子育ての大変さを
過激なギャグで笑い飛ばした

「毎日かあさん」で
数々の漫画賞に輝きました。

女性が才能一つで 人生を切り開く術を

西原さんは どう読み解くのでしょうか。

ねえ。 今のVTR見ただけでも
もう 何か 「へえ~」っていう発見が

いろいろありましたよね。
日本の文化財ですって。

でも 分かる気がします。

こんにちは~。
こんばんは いらっしゃいませ。

お邪魔しま~す。
どうぞどうぞ いらっしゃいませ。

どうぞ お掛け下さい。

西原理恵子さんでいらっしゃいます。
(一同)よろしくお願いします。

ねえ ご本人ですよ。
ねえ うれしい。

「毎日かあさん」見てました。

ありがとうございます。 もう恐縮です。
長谷川先生の横に並べられて。

びっくりしてます 自分が一番。

ねえ。 今日 同じ漫画家としてね

ちょっと いろいろとお話を
伺えたらなと思っておりますので。

参考にならないですよ。
いやいやいや 何をおっしゃいます。

そして 山田先生はね
現代家族を 社会学的に

分析されていらっしゃいますけれども。

山田先生は 西原さんの描く家族
っていうのは どうご覧になってますか?

家族を気遣いながら きちんと 何ですか
自分を主張しながらやっていく。

本当に本音で語ってるっていうのが
すごい痛快ですよね。

いや… あのお話は実話から出たというか。

そうなんですよ。 まず 毎日新聞社から
連載の電話がかかってきて

「やりませんか?」って言われた時に
もう夫はアルコール依存症で

そこで ぶっ倒れてて 子どもとか
ギャン泣きしてるんですよ。

とても そんなものが描けるような
状況じゃないのね。

でも つい 漫画家魂で
「やります」って言っちゃって。

で 電話切っちゃったあとに
どうしようかなと…。

どうしようかなと思って
まあ しょうがねえなと思って。

締め切りが毎週木曜日なんですよ。

毎週木曜日は「さあ 今日は朝から
うそをつく日だ」って言って。

で やっぱり やってるもんで
毎週木曜 うそをついてるうちに

十何年 どうにか
形になってくるもんなんですね これがね。

いや~ すばらしい。
ねえ。

いや 今日はですね
新しい女性の生き方ということで

昭和編ということでね

長谷川町子の知恵を味わって
いくんですけれども

同じ漫画家として
西原さんは

長谷川町子に受けた
影響みたいなものってのはあるんですか?

私 そんなに影響受けてないかなと
思ったんですけど

大人になって絵見たら
すごい似てるんですね。

長谷川先生の絵にね。

ああ もう 全部ここから
頂いてるんだと思って いろんなもの。

特に登場人物 みんな かっこつけてなくて
みっともないとことかね。

まんま私 何か パクってんだな。

いや これは気付かなかったけど

本当にありがとうございました
長谷川先生。

そうなんですね。
ねえ やっぱりね

知らず知らずのうちにっていう感じで
影響を受けてらっしゃるんですね。

そうですか。
そしてね 熊谷さんといったら

何と言っても 「朝ドラ」で。
「朝ドラ」で。

長谷川町子さんのお姉さんを
演じられたと。

そうなんです。 内側から。

そうですよね。
長谷川町子先生の

内側から 今日は
話させて頂きたいなんて。

ということですよね。

さあ ご用意いたしましたメニューが

こちらでございます。 ドン!

ふだん もうちょっとひねりを利かせて…。
そうですね。 ふだんは ちょっとね

苦しい感じのダジャレで 結構…。
どストレートじゃないですか 今回。

まあ シンプルだけど いいものは
長続きするかなっていうのがね

やっぱ 今日 いいかなと。
それを言いたくて?

ええ。 で シンプルに
ちょっとしてみたんですよ。

分かりました。 納得いきました。
あっ そうですか。

長谷川町子の最初の知恵
見ていきましょうか。

はい。

こちらの女の子。

昭和2年に撮影された
小学2年生の長谷川町子です。

お姉さんと おそろいの服を着て

随分 おめかしをしていますね。

父親は 福岡で会社を経営していて
裕福な家庭に育った お嬢様でした。

しかし 小学校に行くと一変。

友達の習字に落書きをしたり
男子を物置に閉じ込めたり

結構な やんちゃぶりでした。

その一方で 絵を描くのが大好きな
少女でもありました。

そんな彼女に 転機が訪れます。

13歳の時 父親が病気で急死。

母と姉と妹。

女性だけになってしまった一家は

東京で暮らす
叔父を頼って上京します。

転校先は…

良家の子女が通う お嬢様学校でした。

わんぱくだった町子は
おしとやかな雰囲気になじめず

やがて性格も内気に。

家に籠もることも多くなりました。

そんな町子を癒やしてくれたのが 漫画。

当時はやっていたギャグ漫画を
読みふけりました。

特に 田河水泡の「のらくろ」がお気に入り。

「私は のら犬の黒 つまり
のらくろという者です。

兵隊になって
大いに活動したいのです」。

野良犬の黒が 犬の軍隊に入って

ドジな失敗を繰り返しながらも

知恵と勇気で出世していく
ギャグ満載の物語。

昭和6年から10年にわたって
少年雑誌に連載され

戦前の漫画では
一番の人気を誇りました。

町子は 得意な絵が生かせる
漫画家という職業に興味を持ちます。

でも どうすればなれるのだろう?

町子は 自伝漫画の中で
こう描いています。

ある日「田河水泡のお弟子になりたいなぁ」
と つぶやくと

そばで聞いていた母親が
「ちょっと行って頼んでみなさいよ」と

のんきに言いだしました。

そこで 田河水泡の家を訪ね
「わざわざ九州から会いに来ました」と

大げさに言うと
中に入れてもらえたのです。

そこにいたのは 憧れの田河水泡
まさにその人。

今まで描きためた
スケッチブックを差し出して

弟子入りをお願いしてみました。

そこに描かれていたのは
四季折々の歳時記。

自作の歌も添えてあります。

果たして 水泡の答えは…。

「いいよ。 時々 絵を持ってきなさい」。

なんと その場で
弟子入りが許されたのです。

当時 女性の漫画家は皆無。

男性の視点では描けない
新しい漫画の可能性を

水泡は感じたのです。

弟子入りしてから 町子は
みるみる才能を開花させます。

1年後には なんと15歳の若さで

プロの漫画家として
デビューを果たします。

デビュー作は 少女雑誌に掲載された
「狸の面」。

ある日 主人公の女の子が
山道を歩いていると

盗賊に荷物を奪われます。

そこで 彼女が取り出したのは 狸の面。

その面をつけて狸に成り済まし

さっきの女の子は 狸が化けていたと
盗賊たちをだまします。

見事 お金を取り戻すことができた
というお話。

すると…。

町子のもとには 続々と
漫画の依頼が舞い込みました。

16歳で東京日日新聞に 初めての連載漫画。

19歳の時 国民新聞でも連載をスタート。

いずれも 小学生の女の子の日常を
ユーモラスに描いた作品でした。

まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。

女性漫画家の草分けとして
町子は 華々しいスタートを切ったのです。

しかし…。

21歳の時 太平洋戦争が勃発。

戦火が激しくなるにつれ
漫画どころではなくなりました。

でも なんとかして描き続けたい。

一家は 故郷 福岡に疎開。

町子は そこでも
「思ったことは まず行動!」の精神を

発揮します。

福岡の新聞社に就職すると
挿絵を担当しました。

そこに描いたのは
軍需工場で働く少女たちが

仕事の合間に歌を歌ったり
お花や裁縫を楽しんだりする姿。

どんな試練も 朗らかに乗り越えよう
という町子のメッセージがうかがえます。

そして…

(玉音放送)「堪ヘ難キヲ堪ヘ
忍ヒ難キヲ忍ヒ」。

福岡で終戦を迎えます。

半年後。

町子のもとに うれしい知らせが。

地元 福岡の夕刊紙に連載漫画を
描いてほしいという依頼でした。

戦時下でも たくましく生きる
女性たちの姿を見てきた町子は

女性を主人公にしようと決めました。

そして 昭和21年4月22日。

日本人の誰もが知っている
おてんばなサザエさんの誕生です。

サザエさんが誕生しましたね。
すてきですね。

ねえ。 ここの知恵が
「思ったことは まず行動!」

ということでしたけれどもね
西原さん 田河水泡といったら

大漫画家だと思うんですけど
よくそこに飛び込んでいきましたよね。

もう聞いただけで ゾッとしますね。

もうだって 大先生のところへ
いきなり行くわけですよね。

でも会って下さるっていうのが
すごいですね。

作品をね 持ってった作品が
どんなに こう 切なくて

大事な宝物だったんだろうかと思って。

見たらね あの当時の原画見たら
何度も何度も描いてるんですよ。

もう 練習して消してみたいな。

そのスケッチブックを見てもらった時

彼女って どんな気持ちだったんだろう
なんて思いましたね。

先ほどね VTRにも出てきました。
これね まあ細かくて…。

田河水泡さんに見せた絵ですけれども。
これ14歳ぐらいの時の絵ですよね。

そうですね。
ということは。

これ あの 観察眼がすごいというふうに

田河水泡さんが
言ったっていうことでしたけど。

西原さんの目から見て その辺りって
こう 分かりますか?

観察眼というより…

あ~ 分かりますか。
それでね あの 田河先生

一目見てお弟子さんって言ったのね
このね 線の優しさで

「あっ 僕の絵を 何度も何度も
描いてくれたんだな この子は」

っていうのを 多分 見たと思う…
見て取れたと思うんですよ。

10代の町子ちゃんが 田河先生の絵をね
手が覚えるまで

ずっと描いたのかっていうのが
何か これを見た時に思えて。

すごく いとおしかったんですよ。

何か 田河先生の気持ちになっちゃって
この絵を見た時に。

ああ この子 僕の絵をね こんなふうに
いつも見てくれてたんだ。

それで自分で 田河先生みたいに
描いてみました。

それで… つったら それもまた面白い。

何かね そういうのがすごく伝わってきて。

そうか~。

そういう視点で 田河さんは
見たのかもしれないですね。

へえ。 あとね 熊谷さん
お母さんも すごいですよね。

「マー姉ちゃん」を
やらせて頂いた時に

やっぱり お母さんの存在
っていうのが

一番大きくて。

無一文になって 福岡から
引っ越してきた時に

「明日を思い煩うことなかれ」
って言って

明日のお米もないのに
明日の心配なんか

するんじゃないよっていう
お母さんだったので

多分 お母さんが
背中を押して

「いってらっしゃい」
っていうふうに

言ったんだと思うんですけども。

「ちょっと頼んでみなさいよ」って ねえ?
ねえ。 そう簡単にね。

でも 山田先生 町子が その漫画に
熱中するようになった背景にはですね

学校の雰囲気になじめなかった
っていうことも

あったと思うんですけれども。

それで 籠もったりして 逆に才能を
開花させる人も出るわけですよね。

あっ なるほど。
長谷川さんの場合も

やはり お母さんが…

それはある。 そうだと思いますね。
その意志の強さは感じますね。

そうですよね。
家族の支えですかね やっぱりね。

学校の中では そんなに
目立たなかったかもしれないけど

身近なところで そうやってね
背中を押してくれる人たちが

いるっていうのは… ねえ。
そうですね。 一番ね 心強いですよね。

西原さんは どのようにして
漫画家になられたんですか?

私はですね とにかく絵で
食べていきたかったんで

美術のまず予備校に入ったんです。
美大に行こうと思って。

で そこで まず しょっぱなから
最下位を取って。

うん… ウフフフ…。

で やっと受かった美術大学を
ドアを開けたら みんなの絵があって

この大学で自分が最下位だっていうのが
一瞬で分かるぐらいの実力がもって…。

そのまま こう 閉めちゃって
学校行くのやめましてね。

え~!
そのまま あの…

すぐ撤退して 絵のうまい人が
絶対行かない

絵の描ける仕事ってことで エロ本。
アダルト本のところに行って。

そしたらね みんな 絵の下手な人というか
売れない人じゃないけども

とにかくね 安けりゃね
何描いてもいいし

すぐ その日にお金がもらえるんですよ。

あ~ なるほどね。
だから そこで ず~っとね

お金を毎日もらいながら
1, 000円とか500円とかもらいながら

ず~っと漫画描いてました。

ウケる。 じゃあ いきなり
町子先生みたいに

田河水泡先生のところに…。

なるほどね。
それに「行け」って言ってね

家に金もないのに放り出すお母さんも
どういう神経なのかしらって。

なるほど。 じゃあ もう西原さんとは

まるっきり反対の道を選んでるという。
真逆でございます。 はい すいません。

さて 「サザエさん」。
はい。

ねえ。 昭和21年の4月に。
七十何年前ですよね。

ねえ。 どうでしょう 皆さん
「サザエさん」っていうと

何か こう ひと言で こんな思い出って…。

西原さん どんな感じですか?

漫画の方は すごくみんな怒ってて。

ねえ 泥棒とか空き巣とか
いっぱい出てくるんですよ 酔っ払いとか。

で 私 子どもの頃「世間体が 世間体が」
って親にね すっごい怒られてたんで

すっごい その漫画見て
楽しかった思い出があって。 はい。

そういうことが
笑いになるんだっていうね。

熊谷さんは「サザエさん」っていうと?

小学校 それこそ1~2年ぐらいから
読んでたので。

ちょうど あの 自分の性格を
形成する時に

「サザエさん」が
すっかり入っちゃってるので

おっちょこちょいで 慌てもんで
明るくて大笑いするでいいんだと思って

生きてきちゃってるかもしれません。
染みついちゃって。

影響は大きいですね。
大きいです。

ちょっと 何か もう皆さん
次のVTRを

見たくてしょうがないかのような
内容になってきて。

その「サザエさん」がいかにして
国民的漫画になったのか

見てまいりましょう。 はい。

「サザエさん」の中では
はっきりと自己主張する女性の姿が

しばしば描かれました。

夫婦げんかの仲裁に駆けつけると

痛めつけられていたのは
夫の方だったというオチ。

戦前から日本の家庭は
父親が絶対的存在でしたが

女性も自由に発言し行動できるような
家族の在り方を町子は提言したのです。

臆せずモノを言い
元気で自由奔放なサザエさん。

当時の女性としては画期的な姿でした。

そもそも サザエさん一家は 7人家族。

父 波平と 母 フネ

それにカツオとワカメを合わせた
4人が磯野家。

サザエさんは
フグ田家に嫁ぎましたが

夫のマスオ 息子のタラオと共に
実家で暮らしています。

この家族の構図こそが「サザエさん」を
ひもとく鍵だという評論家に

話を聞いてみました。

女性問題の論客として
長年活躍してきた…

家庭の中で女性の立場が強くなると
男性の役割も変わってきます。

それは マスオさんの描き方を見ると
よく分かります。

マスオさんが借りてきた本に
サザエさんが夢中になってしまい

代わりに炊事当番。

当時 男性が台所仕事をするのは
珍しいことでした。

「サザエさん」の連載時期と重なるように

日本は 高度経済成長を遂げていきます。

その中で 家庭の在り方も徐々に変化。

女性に任せっきりだった家庭内の仕事に
男性も参加するようになりました。

その後 妻の実家で
2世帯暮らしを選ぶ男性も増え

「マスオさん現象」という言葉も
誕生します。

新しい家族像が人気となり
昭和26年からは

全国紙で連載が始まった「サザエさん」。

しかし そのころから町子は
プレッシャーにさいなまれていきます。

毎日訪れる締め切り。

新聞の休刊日以外は休みなし。

アイデアを絞り出す度に
心身ともに擦り切れていきました。

その苦労がしのばれるものが
残されています。

7月にオープンした 長谷川町子記念館。

ここには 町子自身が描いた漫画の表紙
直筆の原画など

およそ1万点が保管されています。

(川口)本当に この写真 私も好きでして

常に先生に見守られてるというように。

生前の町子を知る…

貴重な資料を見せてくれました。

これは「七夕の夜」をテーマに
描いた作品と その下書きです。

星空を見上げるカツオたち。

そこに見知らぬ男性が
オリオン座の場所を聞いてきました。

男性は けげんな顔。

男性が尋ねたのは
星座の位置ではなくて

オリオン座という
映画館だったというオチ。

下書きを見てみると 縦書きで
4つのストーリーを考えていました。

更に よく見てみると
矢印が示されています。

4コマ目のオチの部分。

最初は 波平さんが間違いに気付いて

映画館の場所を教えるオチを
想定していました。

でも 最終的に矢印で示されたように

通りがかりの人が
波平さんの間違いを正した

というオチに変更しています。

一つの作品のために
何パターンもストーリーを考え

更に 一コマ一コマ 吟味しながら
最高のストーリーを作っていたのです。

たった一人で もがき苦しみながら
作品を生み出していた町子。

ついに限界を超えてしまうことも
ありました。

なんと「サザエさん」
39回も連載がストップしていたのです。

しかし こうしたスランプの時 町子には
独自の立ち直り方がありました。

どんな方法だったのか?

漫画に描き残しています。

ステップ1 全てをリセット。

ステップ2 家族に報告。

母親は 無理強いをせず
自由にさせてくれました。

ステップ3 趣味に没頭。

なぜか家族に おだてまくられました。

生みの苦しみなど忘れて 新鮮な気持ちで
また漫画と向き合えたのです。

充電期間を置いて
更に作品の幅も広がり

28年間で 6, 500話以上も生み出しました。

結婚が女性の幸せと思われていた時代に
独身を通した町子。

47歳の時には 胃がんで手術を受けますが
それでも漫画を描き続けました。

平成4年 72歳で その人生を終えた
長谷川町子。

こんな言葉を残しています。

亡くなってから2か月後 戦後の社会に

潤いと安らぎを与えた功績が認められ

漫画家としては唯一の
国民栄誉賞が贈られました。

ということなんですね。

VTR 改めて ご覧になって

何か 新たな発見みたいなものって
ありました?

「サザエさん」は 長谷川さんも
やっぱり あの

生涯独身であったって言いますけども
あの家族が

全部お子さんだったんだなあ
なんて思ったんですね。

はあ~。
そうかもしれませんね。

漫画の中でも いろんな
シチュエーションに変えてるでしょ。

この人がセリフを言わすか
この人に変えるかって。

あれって 自分がタラちゃんになったり
イクラちゃんになったりしながら

波平さんになったりしながら考えて

一番 どれがしっくりくるかっていうのを
何度も何度も あの机の上で

考えたんだろうなと思って。

どの気持ちにもなれるわけですよ。
働いてるし 娘でもあるわけですから。

それで あんな形で すごく自然に
できたんじゃないかなって思って。

なるほど。

山田先生は どうご覧になりましたか?

樋口先生もおっしゃってましたけども

やっぱり…

読み返してみて気付いたのは
波平さんのことを

「パパ」って呼んでるんですよね。
そうね~。

多分 ほとんど もんぺだった時代に
ハイヒール履いて ワンピース着て

かっ歩して「パパ ママ」って呼んでる。

これは 確かに…

時代のすごい…。

思い出したんですけど うちは
サラリーマンじゃなかったんですけど

父と母がけんかすると母が父に向かって
「男女同権の世の中じゃない!」って

よく言ってたんですよ。
で 私は あんまり分からなくて。

それは サザエさんが言ってたんだ。

おかげかもしれませんね。
さっき出てましたよね。

同じようなシーンがね。
そう。

完全に「サザエさん」の影響を受けてた
家だったんだってことに

再発見して驚いてます。

「はあ~」と思って。

今の時代 それぞれの家族のスタイル
っていうものが

あると思うんですけれども
皆さんのご家庭では

家族のつながりとか 家族の役割
いかがですかね。

私 母親とず~っと一緒に暮らしてまして。
今 母親が87かな。

ついぞ やっぱりね
分かり合えなかったですね。

私がしゃべってる時は あの人は
カラオケの出待ちみたいな感じで。

で 私が… あの人がしゃべってる時は
やっぱり私も 何か カラオケの出待ち…。

何か 別のことやってるわけですね。
何かね。

何か聞いてるけど
やっぱ聞いてないんです。

これは 多分 子どももそうだなと思って。

干渉しないと。
うん。

なるほどね。 う~ん。

熊谷さんは どうですか?

うちはですね 結婚して
主人のお母さんとの方が

年が近いんですよね 主人よりも。

なので 私の中では友達感覚で
いさせて頂いてるっていう。

すごい仲がいいです。 主人の妹も含めて
うちのきょうだいも含めて

何か ちょっと「サザエさん」の
おうちみたいになってますね。

まあね 山田先生 現代家族を社会学的に
分析されてるわけですけれども

どうお考えですか?
今となっては本当に…

本当に そう。
ただ その…

…っていうのが 私の関心なので。

本当にそれほど 家族が実は一番
大好きな… 守ってくれる?

何つったらいいのかな。

存在であるっていうことに
この年になって

気が付くことが多いですね。
私の場合は。

それが 血のつながった家族じゃなきゃ
いけないっていうことでも

ないんじゃないかって
私は思い始めていて。

それも思います。

それは別に もちろん血のつながった

もしくは
法律的な家族でもいいんですけれども

そうじゃない関係でもありうる。

長谷川町子さんにとって 本当に

え~っと 漫画の中の世界っていうのが

そういう関係だったのかなと思います。

さあ そしてね ここの知恵が
「勇気を持って休め!」

ということだったわけですけれども

同じ漫画家さんの西原さんは
どうご覧になりましたかね?

怖くて仕事休めないですね。

もうだから 彼女が焼いてるシーン見て
涙が出ながらも

それ どうするの?
そのあとでさ 何か 家のローンとかさ

散財するお母さんとかいるじゃん
どうするの? どうするの? って。

そうか。 そういう感じで あのシーンを
ご覧になってたっていう。

はい。 まあ 自分のスランプというか
できない時っていうのは

もう あの 若いうちは それで
ビクビク震えながら

描いてたんですけれど
もう35年 漫画やってるので

「もういいや!」つって 「誰も
私の漫画なんか見てねえよ!」っていう。

どんどん どんどん 描きながら
だんだん だんだん やさぐれてく

飲み屋のこういうおやじになって。
スランプのように

描けないなっていう時には
その ぼやくというか 何か そういう…。

筆を置くことはないんですね じゃあ。

だって置いたら
二度と仕事なくなっちゃうよ。

本当にフリーって「やりません」
って断ったら

それで終わるんですよ。
それは同じです。

自分の立ち位置だから
分かってるんですよ。

町子先生は来たかも… 来ますけど
私は来ないですから。

いや それは役者も同じ。
そう。 そう。

熊谷さんは どうですか?
もう自分の部屋に入らない。

えっ?
要するに部屋に行くと台本を覚える

資料を見て勉強するとか。

資料だらけなんですよ。
もう すごいんですよ。

なので そういうのを もう
一切 もう やめる。

部屋に入んない 1週間ぐらいみたいな。

もう居間で ずっとテレビ見てるみたいな。

ごはん作ってるみたいな
そんな感じですね。

プチ拒否。
なるほどね~。

いや でもね 今回はその
長谷川町子の知恵を

見てきたわけなんですけれども
最後に西原さん いかがですか。

もう町子先生のね やっぱり
お仕事のしかたを見てると

本当に仕事のし過ぎ 働き過ぎ。

いつも本当に
キリキリ キリキリ痛んで

作品 作って下さった
じゃないですか。

それは あの 今の周りの

同い年の女性たちもね
すごい働いてるんですよ。

何のかんの言いながら みんな。

すごい みんな 誰も休まないし
やめないんですよ。

だから もうそろそろ
こういう働き方やめて

みんなで もうちょっとで せ~ので
なまけない? って

ちょっと思っちゃいました。

そうですね。 ちょっと 長谷川町子の
この人生から

それぞれ感じ取るところが
ありそうですね。

面白かった。

いや 今日は
ご来店ありがとうございました。

どうもありがとうございました。
ありがとうございました。

楽しかった。

昨日は もりもりとカレー。


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