英雄たちの選択「楠木正成は悲劇の忠臣か」 磯田道史、杉浦友紀、萱野稔人、小谷賢、呉座勇一


『英雄たちの選択「楠木正成は悲劇の忠臣か」』の番組情報(EPGから引用)


2018/05/31(木) 
英雄たちの選択「楠木正成は悲劇の忠臣か」[字]
皇国思想の象徴として奉られてきた楠木正成。ところが壮絶な最期を遂げる湊川合戦の3か月前不可解な「選択」をしていた。正成の知られざるリアリストとしての素顔に迫る。
詳細情報
番組内容
1331年後醍醐天皇が天皇親政を目指し鎌倉幕府討幕に立ち上がると、獅子奮迅の活躍で建武新政の立役者となった楠木正成。2年後に足利尊氏が離反した後もあくまでも天皇の命に従い、最期は無謀とも言える戦いの末、自刃して果てた。忠君の鑑(かがみ)とされる正成だが、近年その実像が少しずつ明らかになってきている。実は天皇に背くとも思える行動をとっていた正成の真意はどこにあったのか?最新研究から見えてきたものは?
出演者
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【コメンテーター】萱野稔人,小谷賢,呉座勇一,【語り】松重豊
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『英雄たちの選択「楠木正成は悲劇の忠臣か」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択「楠木正成
  1. 正成
  2. 尊氏
  3. 楠木正成
  4. 武士
  5. 後醍醐天皇

  6. 時代
  7. 自分
  8. 鎌倉幕府
  9. 本当



『英雄たちの選択「楠木正成は悲劇の忠臣か」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


東京 皇居外苑の一角に建つ
勇壮な騎馬武者。

大楠公として
歴史に名を残す英雄である。

険しい峰に山城を築き

奇想天外な戦法で
大軍を翻弄した…

…って思うかもですね。

更に 天皇の命令に従い
悲劇的な死を遂げた忠臣として

長く語り継がれてきた。

ところが 近年の研究からは
忠義の家臣とは違った

新たな正成像が浮かび上がる。

果たして
楠木正成の真の姿とは…。

正成は ある意味
ベンチャーをやるような…

武略の天才にして 悲劇の闘将

楠木正成の知られざる実像に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は 大楠公として知られる
楠木正成が主人公です。

鎌倉時代から南北朝への転換点に
現れた武士ですが

数々のエピソードの中でも
特に語り継がれてきたのは

足利尊氏との戦いで
非業の死を遂げた

湊川の戦いですよね。 ところが

正成は 実は その3か月前に

尊氏を あと一歩のところまで
追い詰めていました。

その時 正成は
どんな葛藤を抱えていたのか

歴史を左右する選択を
取り上げていきます。

磯田さんは 楠木正成
どのように捉えていますか?

楠木正成 面白いですね。

日本で最も有名になった
土豪といいますかね。

小学校の頃 この人に
面白くて憧れてね

工事現場の土の山の上で
千早城ごっこってやったんですよ。

上から 石とか
いろいろ落っことして

「足利軍!」とか 上から叫んで

やっつけてるつもりに
なるという

一人山城ごっこを
やった覚えがありますよ。

謎が多いんだけれども
これ ずっと語り継がれて

日本史にすごい影響しますよね。
今年 明治150年ですけど…

…という事だって
否定できないし


戦前の歴史まで
いい事にも悪い事にも

楠木正成っていうのは…

今日は しっかり
それを見てみたいと思いますね。

磯田少年も夢中になった
楠木正成。

まずは 謎多き楠木正成が
どのようにして

歴史に登場してきたのか
ご覧頂きます。

150年にわたった
武家の政権 鎌倉幕府と

時の天皇 後醍醐帝との対立が
表面化する。

我が子への皇位継承を望む
後醍醐は

それを阻む幕府に
不満を募らせていた。

天皇に政の実権を取り戻す事を
もくろんでいたのだ。

これに
河内の土豪 楠木正成が応えた。

現在の大阪府南部を
拠点にしていた正成は

武力と財力を兼ね備えた
有力者だった。

当時 中国 宋からの
銭の普及を背景に

交通や流通を
取りしきる事で

台頭した武士たちがいた。

正成も そうした武士の一人
だったと考えられる。

彼らは 権威を振りかざし
権益を独占する鎌倉幕府に

憤りを感じていた。

(一同)オ~!

正成は
後醍醐天皇のもとに はせ参じ

こう語ったという。

「天下を改めるのは

武略と知謀の2つでございます」。

そう言い残し
河内国に取って返した正成は

500の手勢を率いて
山城 赤坂城で蜂起した。

幕府は30万ともいわれる
大軍勢を差し向け

赤坂城を攻撃した。

正成は 武略と知謀を駆使して
迎え撃った。

押し寄せる幕府軍に
大木や岩を落としたり

熱湯を浴びせたりと

武士らしからぬ戦いぶりで
大軍を撃退した。

これに手を焼いた幕府軍が

兵糧攻めに転じるや
正成も戦法を変える。

「しばらく
この城を落ちて

正成 自害したる体を

敵に知らせんと
思うなり」。

戦死者20~30人を
城内に固め置いた正成は

激しい雨の夜を待って
城に火を放ち

闇に紛れて赤坂城を脱出した。

幕府軍は 焼け跡の死体を見て

正成たちが自害したと思い込んだ。


だが 倒幕戦に敗れた後醍醐天皇は
隠岐に流され

正成の行方も
ようとして知れなかった。

赤坂城脱出から1年後

正成は突如 紀伊で挙兵する。

神出鬼没の戦いぶりで 瞬く間に
河内一帯を取り戻した正成は

金剛山の支脈に
新たな根城として

千早城を築いた。

今回は 私 杉浦が

正成の築いた千早城に
行ってきました。

ひえ~。
「ひえ~」って…。

ここが登り口です。
登る前から疲れてる。

これは急ですね。

え~ こんなに傾斜があると
思わなかった。

ご… 560段!
そっか…。

登りますか ハハハ
登りますよね そりゃね。

はあ…。

挑んでる感じだな これ。
よいしょ。

ちゃんと 機能性の…。
そうですよね。

しっかり登山スタイルで
足元固めてますよね。

一応 山ガール風にしてみました。

きつそうだな。

みんな
鎧 甲冑着てるんですもんね。

すごいね 甲冑着て これ登るの。

よいしょ。

段が バラバラなんですよね。
そうです そうです。

何度か… 4回ぐらい
休みましたかね。

(荒い息遣い)

よいしょ。

よいしょ… はあ~ 着いた!

広~い。 時間どれぐらい
かかりました? トータルで。

30分くらいは かかりました。

そうして やっと着いたのが…

急に視界が開けるので
気持ちがいいですね。

地元の教育委員会で
文化財を担当する

吉光貴裕さんに
案内してもらいます。

急でした。
お疲れさまでございます。

どういうふうに
使われていたんですか?

そうですね。
恐らく この周り一帯から

敵が攻めてくるのを想定して
いろんな塀が出来てたりとか

ここに やぐらが組まれたり
したのかなとはいわれています。

ここ すごい
見晴らしのいい場所ですけど

ここから敵を見ながら戦ってた
場所なんじゃないかなと。

へえ~。 いや~。

もしかしたら 普通の山の
尾根のトップになりますので

そういった場所で
木が植えてあったのを

楠木正成の時代に
平らにしたんじゃないかなと

考えられています。


千早城は
更に峰の奥へと続いていました。

木陰入ると涼しいですね。
気持ちいいですね。

もう本当に急な斜面なんで…。
そうですね。

ここから見たら
多分 もう下は…。

お~ 急。

ここを まあ 鎌倉幕府軍は
攻めてこれないでしょうね。

来れないですね これは。

ちょっと 私
近づくのも怖いですもん。

歩いてみて思ったんですけれど

結構 奥行きのある山城なんだなと
思いました。

本当に あそこが攻め落とされたら
次 次 次

最後 ここも落とされたら
遠くは金剛山の方まで

逃げられるように
していたみたいなので。

本当に自然地形を利用した
要塞だったといわれていますね。

どこまで行っても
たどりつかない感じとかが

確かに戦意を喪失させるような
お城だなと。

千早城から およそ15キロ離れた

河内長野市の名刹…

国宝の木像大日如来坐像は

正成が生きた鎌倉時代には
安置されていたと考えられる。

ここに 幕府軍の襲来に備えた

正成直筆の書状が残されている。

正成は 関東から
幕府軍が
攻めてきた場合

寺を挙げて防ぐように
依頼していた。

千早城というお城が
ありますので

その外郭として
その一つの砦としてですね…

正成らは 寺院と
密接な関係を築いていたという。

基本的に土豪なので 別に偉そうに
してる訳でもないですし

やっぱり…

生活基盤を持ってた
そういう土豪だと思いますね。

字は 割と おおらかですし
非常に品がありますし

細かく物事を考えながら
でも そういう…

ちゃんとした…

そういう感じは受けます。

鎌倉幕府の大軍が
千早城に襲いかかった。

正成は 幕府軍に油を浴びせて
火を放つなど

またしても
奇手奇策で大軍勢を撃退する。

寺社勢力の協力もあり
籠城は100日以上に及んだ。

中世の武士を研究する
生駒孝臣さんは

正成の粘り強い戦いを
こう見ている。

金剛山系に住んでいる
住民ですとか

いろんな人たちと結んでいって
そして そこから

金剛山系の中ですよね
その辺り一帯を使って…

畿内の武士たちというのは 割と…

生き方をするんですね。
ですので

正成も そうした
かつて商人的武士とか

職人的武士なんて言われ方を
してたんですけど

そうした交通とか流通に携わる…

後方からの支援を受ける正成は

逆に大軍勢の幕府軍の兵糧を
脅かした。

持久戦に持ち込まれた
幕府軍の戦意は下がる一方だった。

正成奮戦の効果は
日本各地に波及した。

千早城一つ落とせない
鎌倉幕府を

恐るるに足らずと見た勢力が
各地で蜂起した。

激変は幕府内部にも及んだ。

幕府軍の大将 足利尊氏が
後醍醐天皇方に寝返ったのだ。

尊氏は瞬く間に京都の幕府拠点
六波羅探題を攻め落とす。

尊氏と同じく
幕府方の武士 新田義貞も

鎌倉を襲撃し壊滅させた。

ここに 鎌倉幕府150年の歴史は
幕を閉じる事になる。

隠岐を脱出した後醍醐天皇は
正成に先導され 京都に凱旋した。

後醍醐は 念願の天皇親政

建武の新政を開始する。

後醍醐は 所領争いなどに
前例を顧みない判決を下し

破格の人事を
次々と断行していった。

地方の土豪にすぎなかった正成も
天皇の親衛隊長ともいえる

武者所に大抜擢される。

異例ずくめのスタートを切った
天皇中心の政治。

しかし
それは やがて 武家だけでなく

朝廷内にも 大きなわだかまりを
育てる事になる。


ネットワークをうまく使ったり
奇手奇策など

この楠木正成の大活躍が

鎌倉幕府を倒すきっかけに
なりました。

大きく時代が変わったんですね。
そうですね。

ここから300年
随分 日本は変わります。

つまり…

それまでは 鎌倉幕府だとか
朝廷だとか

中心が
すごくあった訳ですけれども

ここから300年間
織田信長が出てくるまで

統一の方向というよりは やっぱり
土豪の時代になっていくんですね。

この河内の土豪であった…

大きく見ると 正成が依拠していた
権力というのは

鎌倉幕府が依拠していた
権力の形と

かなり
違ってるんですよね。

鎌倉幕府というのは
武家政治

最初の大きな権力に
なりますけれども…

武家が それぞれの土地で
農民たちの生産を管理しながら

そこで年貢を納めさせて 権力を
維持するという形なんですよね。

例えば
流通の要衝を押さえる事で

自分の経済的基盤を確立すると。

それぞれの土地に根ざした
権力と

ネットワーク的な経済に根ざした
権力という事で

そもそもタイプが違ったんですよ。

それが 鎌倉幕府に風穴を開けて
崩壊させたというのが

大きい図式なんですよね。

それは軍人としてですけれども。

その特徴は 私 3つある…

3点ほどあると
思うんですけれども

一つが 兵站重視

もう一つが
情報重視。

更には負け戦を
やらないと

この3つの特徴が
あったというふうに
思います。

まず 兵站重視というところは
よく これ

戦争とか戦史において
いわれるんですけれども

素人は戦略や作戦を語りたがる

しかし プロは 兵站を語る

というふうな言葉が
ありましてですね

これは 本当に
戦慣れしている人ほどですね

兵站 要は補給の重要性を
よく知っていると。

更に 正成がすごいのはですね
粘れば粘るほど

自分の頑張ってるという情報が
うわさになって…

磯田さんがおっしゃったように
ローカルな存在のまま

全国に影響を及ぼした
というのは まさに

これが如実に表している訳ですよ
この例が。

いろんな意味で うまく
情報も使っていたんですね。

それは もう…

やっぱり あの当時に
ああやって お湯をかけるとか

油をかけて火を放つとか
あれは もう

ありえない戦法だった…?
あれ 鎧は

とっさに脱げないですから
お湯かけられたら

すごい事になるんですよ。
もう熱くて 熱くてですね

転げ回っちゃう訳ですよ。
あれ 品よく作ってあるけど

排せつ物まで入ってたというね。
え~!

史料には…
そういう史料もあるのね。

そうですか。
嫌だよ。 熱く煮たやつで

あんた 臭うよ 本当に。

いろんな奇想天外な作戦

人の想像しないような
作戦をやる。

そこがすごい
っていうのが

やっぱり一般的な
イメージだと
思うんですけど。

一番すごいところ
というのは

退ける事 つまり
逃げられ…。

普通の武士は
逃げられないんです。

普通の農業経営中心の
農業中心の武士だと ともかく

自分の土地が大事だから
土地を守る

という発想になりますけども
ネットワーク型の武士であれば

ここが潰されたら
次 別の所に行けばいい

あっち行けばいい
っていうふうに…

それは 正成が…

土地に こう 依拠してないから。

土地に しがみつかない
という事ですね。

要するに 戦争の目的が自分たちの
土地の防護ではなくて

人間さえ生き残っていれば
流通でも銭でも

どこからか入ってくるから。
これは私の想像ですけど

私としてはね ちょっと やむに
やまれぬみたいなところも

あったかなと思う。 足利みたいな
伝統的な名門武士みたいなのが

いい土地は
みんな取っちゃってる訳ですね。


だから 楠木みたいな新興武士は
農業で食っていこうとしても

いい土地がないから それじゃ
食っていけないですよね。

それじゃ食っていけないから
ある意味 しょうがなくて

商売の方向に 流通の方向に
活路を見いだした

というような側面も 私は
あるんじゃないかなと思ってて。

今風に例えるならば 不景気で
どこにも就職できなくて

就職試験で全部落ちて
しょうがないから…

そういうようなところもある。

正成は ある意味
ベンチャーをやるような…

さあ ここで 今回
私が身をもって体験してきた

千早城の険しさを是非 皆さんにも
見て頂きたいと思いまして

こちら…。

現れました。

私が登ったのは この… 中でも

一番傾斜が緩い所なんです。

しかも 当時は当然
石段はなかった所なんですが

でも きつかったですよ。

登ってみて分かりましたけど
本当に ものすごい所に

籠城したんだなと
改めて思いましたね。

正成は 戦いの目的を
よく分かってたんじゃないかと

思うんですよね。 要するに…

要する… 諦めさせる。

それをしっかりと
実行できたという事ですよね。

それを可能にしたのが
この千早城の奥に広がる

金剛山系だったんですね。

ちょっと角度を変えて
見てみましょう。

ぐるっと…。
大きい山の固まりですね。

(呉座)この地形とかを見てると

獣道とか そういう
隠れ道みたいな つまり

地元の人しか知らないような
ルートというのが

多分 いくつかあるんですよね。
そういうのは

攻めてる幕府軍は
分からないから

補給を完全にシャットアウトする事が
できない訳ですよね。

一方 楠木正成の側は
そういう地元の武士たちを

味方につけてるので その…

更に言えば そこから…

もちろん 楠木正成が非常に
天才的な武将だったというのも

もちろん そうなんですけれども

基本的には
個人プレーではなくてですね

摂津とか河内とか そういった…

結局 だから
地元の人しか知らない地形の癖

というものを
最大限に利用するというのと

地元の生活に溶け込む
という事ですよね。

地元の人が生活する中で

その戦いを支援してくれるような
そういった仕組みを作る。

(呉座)ゲリラの鉄則ですよね。

地元住民を味方につける
というのは。

さあ その共に戦った人たちへの

正成の思いを感じさせるものを
見てきました。

ご覧頂きます。

鎌倉幕府の大軍との激戦を
耐え抜き

建武の新政実現の
立て役者となった 楠木正成。

正成の人となりを
しのばせるものが

地元の墓地に残されていました。

正成が建てたと伝わる供養塔…

楠木軍の戦死者は
村人の墓石に囲まれるように

祭られていました。

この墓地には もう一つ
正成が建てたといわれる

供養塔がありました。

ああ これだ。

お~ 寄手塚。

幕府軍の戦没者が 敵ではなく
寄手と呼ばれています。

明らかに。 背が高いし

建てた場所も ちょっと
何て言うか 小高いとこに。

さっき もっと平場に建てられてる
感じがしましたけど。

そもそも 何で敵のために
って思いますけどね。

そういう気持ちがあったのかな…。

戦での死者を敵味方とも
手厚く弔った楠木正成は

平穏な時代の訪れを
願っていたのかもしれません。

しかし
鎌倉幕府倒幕から 僅か2年。

旧幕府残党の反乱を抑えるため

鎌倉に下っていた足利尊氏が
後醍醐政権から離反する。


反乱の鎮圧後も
上洛の命令に従わず

鎌倉を動かない尊氏を

後醍醐天皇が
討伐しようとしたためだった。

ところが
尊氏は この戦いに勝利し

京都を制圧する事になる。

比叡山へ逃れた
後醍醐天皇のもとに

正成ら朝廷軍は集結した。

態勢を立て直した朝廷軍は

朝敵となった尊氏軍に
総攻撃を仕掛けた。

正成率いる軍勢は
市街戦でも見事な働きを見せ

5万騎ともいわれる尊氏軍を
洛中から駆逐した。

ここで正成は 一計を案じた。

またしても 自分が
戦死したと偽装して

勝ったはずの朝廷軍が

あたかも散り散りに
敗走しているよう

見せかけたのだ。

尊氏は 洛中に戻るや

逃げる朝廷軍に
追っ手を差し向けた。

正成の狙いは ここにあった。

手薄になった洛中の尊氏軍に
総力を挙げて襲いかかったのだ。

尊氏軍は 慌てふためき

逃亡する者
自害する者

中には 出家して
僧になってしまう者まで

いたという。

この機を逃さず 攻めたてた正成は
ついに尊氏を追い詰めた。

しかし 正成は思いも寄らない
光景を目の当たりにする。

優勢な朝廷軍の中から

逃げる朝敵 尊氏軍に付き従う
武士が多数いたのだ。

彼らは 所領の拡大など
倒幕の功績による

後醍醐天皇からの恩賞が
十分ではないと

不満を持っていたのだった。

混乱する戦場で 正成は
歴史を左右する選択を迫られる。

この時の正成の心の内に
分け入ってみよう。

尊氏の軍勢を
ここまで追い詰めたのは

千載一遇の好機。

ここで討ち取らなくては
いずれ逆襲に遭うのは明らかだ。

後醍醐天皇を
支えてきた身としては

尊氏の首を取る事こそ最大の役目。

尊氏を倒せば 帝は
平安な世を築けるに違いない。

だが 劣勢にもかかわらず

尊氏と共に逃げる武士の
なんと多い事よ。

これは ひとえに 帝の政に
不満を抱えていた証しではないか。

たとえ
尊氏を討ち取ったとしても

この先
帝の治世は危ういやもしれぬ。

やつらを
我が方に引き戻さなくては

騒乱がやむ事はあるまい。

ならば
ここは一旦 決戦を避けて

天下平定のために
尊氏を取り込む方策を

思案すべきではないか。

しかし 帝を説き伏せ
尊氏との間を取り結ぶ事など

果たして できようか。

ここまで引き立てて頂いた
ご恩に報いるためにも

尊氏の首をあげる事こそが
務めではないか。

うむ…。

日が落ちるまで あと僅か。

尊氏を討ち取るか否か

正成は歴史を大きく動かす選択を
迫られた。

という事で
足利尊氏を追い詰めた正成は

厳しい選択を迫られました。

ゲストの皆さんが 正成の立場なら
どちらを選ばれるでしょうか。

まずは 呉座さん。

私はですね 2の
「追撃をやめる」を選びます。

それは つまり
そもそも 建武の新政

後醍醐の政治に
不満を持っている武士が

非常に多い訳ですね。
だから…

そういった反乱が その後も

続いてしまう可能性が
ある訳ですね。

萱野さんは いかがでしょうか?

私も 2の「追撃をやめる」ですね。
同じですね。

はい。 まず理由は 何と言っても
この時代 もはや

公家の政治に戻る事はできない
という事ですね。

それぞれの土地に根ざして
ある種の合理性の下で

統治をしていくという…

…という認識が背景にあります。

2人は 2の「追撃をやめる」に
されていましたけれど

小谷さんは どちらでしょうか?

私は 1の「尊氏を討ち取る」を
選びたいと思います。


なぜでしょうか?
はい。

そもそも
尊氏を取り込むとかですね

混乱を収拾させるとかですね
武家をまとめるとか

そういうのは 天皇や公家が
考えるべき事であって

軍人である正成が
考える事じゃないんですよ。

正成は あくまで
これは現場指揮官ですから

現場指揮官に命ぜられているのは
足利尊氏を取れと

たたけという事ですから それは…

そもそも これ 足利軍というのは
朝廷 官軍に比べれば

非常に強大で強い訳ですよ。

やっと奇策を用いて 一矢報いて
ちょうど敗走し始めたと。

これは 今取らないで
いつ取るの… みたいな話

それは今でしょと。
そういう事です。

僕もね 実は小谷さんと同じ1

「尊氏を討ち取る」なんだよね。

もう今… 今でしょと。
そう。

今のひと手間
あとの十手間になる可能性がある。

というのは それぐらい尊氏
っていうのは やっぱり人材で

強い足利に
戦の非常な才能を持った

求心力のある男がいる訳ですよね。
逆を考えると

足利には
尊氏以上の人材はいない。

ここは…

それで足利を取り込んで
さんざんに 今度は後醍醐天皇に

もう あんまり
無理言わんといて下さいと。

足利を取り込める形での
政権作りをやらないと

もう二度 反乱起きたら
収拾が無理ですという

そういう外交をやるというか
政治をやるという方法が

いいんじゃねえかなと
思うんだけどね。

どうでしょうかね。
そもそも これ

現場判断で やめてもですよ…

それを考えると ちょっと
難しいんじゃないですかね。

そこが この2の
「追撃をやめる」という選択肢の

最大の問題点になると思います。
ただですね

もし 後醍醐天皇を
説き伏せるためには

どうしたらいいのか
というふうに考えたら…

1人では絶対に
説き伏せられないとすれば

自分が間に立つからという形で
尊氏を連れてきて

武家というのは こういうもので

これからの時代というのは
武家の時代なんだと。

だから ここで尊氏を しっかりと
自分のもとに置いて

彼にもう 武家に対する
コントロールを任せなければ

世の中 統治できないんだ
という形で

説得するしかないと思うんですね。
ですので 討つ事は…

そうなんですよ
そうなんです。

これ どこかで説き伏せなきゃ
いけないんですよ。

結局 ここで尊氏を討ったら
後醍醐は ますます

もう傲慢になっていきますよね。

どうやって説得するんですか?
そこが難しいんですよね。

そこが難しい。
やっぱり 負けてる尊氏に

たくさんの武士が
付き従ってるという…

えっ あんまり解決に
なってないんじゃないかな。

いや でも 討ち取っても
解決にならない。

楠木正成は 現在の
兵庫県芦屋市の一角に陣を構え

足利尊氏との一戦に臨んだ。

尊氏を追い詰めた正成。

このまま
一気に決着をつけるのか。

正成の下した選択は…。

室町時代の軍記「梅松論」に
この時の様子が記されている。

「終日 激戦を
繰り返し

夜に入って
何を思ったか

正成は退いた」。

正成は
あえて尊氏を
追撃しなかった。

都に戻った正成は 後醍醐天皇に
思い切った策を進言した。

「どうか 尊氏卿を召し返されて

和睦をして頂きとう存じます」。

「戦に敗れた尊氏軍に
朝廷方の輩までが

付き従っていきました」。

「どうか 帝に徳のない事を
お分かり下さい。

尊氏たちの反撃を受ければ
禦ぐ術はございません」。

「武略の道においては

いやしき正成に
間違いはございません」。

「今すぐ ご決意下さい」。

だが 正成覚悟の進言は
一笑に付され

聞き入れられる事はなかった。

多分 正成のプランというか
頭の中には…

考えていたと思われます。
つまり

足利尊氏こそが 建武政権下で
働いている武士とか

そうした人たちを一番抑えられる
というか

一番…

正成の進言から 僅か2か月後

九州に落ち延びていた尊氏は

大軍勢を率いて
京都に進軍を開始した。

正面から戦えば
明らかに不利な状況で

正成は こん身の武略を巡らす。

それは
天皇を再度 比叡山に逃し

京都を空にして
尊氏軍を引き込み

兵糧のルートを
新田軍と絶った上で

市中殲滅戦を
展開する
というものだった。

正成らしい
弱者の兵法だった。

だが 正成は公家たちから
耳を疑う言葉を浴びせられる。

戦いもせずに 帝が1年に2度も
都から逃れるのは

権威失墜につながる。

今まで勝利してきたのは
武士の戦略ではなく

帝の運によるものである。

さっさと出陣せよ。

さては 勝ち戦を行う
知謀 えい慮はなく

討ち死にせよとの
帝の命令か。

かくして 菊水の旗印の下

僅か500騎で
兵庫・湊川に向かった正成は

足利の大軍を相手に
激闘を繰り広げる。

刀折れ矢尽きた正成は
弟 正季と誓った。

「七度 生まれ変わっても
朝敵を我が手で滅ぼさん」。

後世 七生滅賊と呼ばれる契を
交わして

楠木正成は自刃した。

正成は足利尊氏を
政権に復帰させる選択をしました。

が 後醍醐天皇は
それを受け付けませんでした。

結果的に正成の選択は

失敗に終わったようにも
見えるんですが

小谷さん どう思われますか?

正成という人はですね 軍事的には
非常に現実主義的なですね

リアリストだった訳では
ありますけれども…

それは 誰でも足利尊氏を
抱え込む事ができれば

それは いいんですけれども
それは あくまで理想論であって

そこに至る道筋というのが
欠けてるように思うんですよ。

…というふうに
いわれますけれども

やっぱり 政治家というのは 常に
ちょっとした可能性のために

いろんな事をやる訳ですよ。
だから 正成は ただ

後醍醐天皇に進言して
それで駄目だと言われてですね

諦めて湊川に行っちゃう
という事になるので

やや 私 そこが
あっけなかったかなと。

私は 正成が むしろ
政治に通じていたからこそ

大局を見る事が
できていたからこそ

ここで選択を
結果的に誤ったというかですね

追撃しなかったんじゃないかな
というふうに思うんですよね。

一つ その後の…

…という事を予想できなかった
という事ですよね。

あなたには徳はないんですよ
っていう事まで言ってるのに

相当思い切った事を
言ってる訳ですよ。

かなり勇気を出して
言ってるんじゃないかなと

私も思ったんですよね。

最終的には じゃあ …であれば

勝つ戦術を考えますので
それを行って下さいと言っても

それすら従ってくれなかった
という事で。

しかも これまでの活躍を

それはもう 帝の運がよかったから
って言われてしまっては

ちょっと 正成も何か

気持ちのよりどころを
どこに持っていったらいいのか

分からないなと
思ったんですけどね。

だから
先に起こる事だけじゃなくて

これまでの事すら うまく
認識してもらってなかった

という事ですよね。 あくまでも…

後醍醐天皇だったんだなって。

人徳の徳がある人。 だから

得を ちっとも くれなくなった
後醍醐天皇は

徳がない人というのが
リアルな中世の連中からすると

もう 気分な訳で… 多分 会議で
言っちゃったと思うんですよ。

思わず。
はい。 そうしたら もう

言っちゃったもんだから
出ていけっていう

戦争しろって言われると
やっぱり

行き場がなかったんでしょうね
楠木さんもね。

そうまでして
従う必要があったんですか?

ものすごい恩賞を
もらっている事は

事実なんですよね。 尊氏だって
後醍醐とは戦いたくなかった。

それは やっぱり
ものすごい ばく大な恩賞を

もらったからですね。
楠木正成も そうで

どこの馬の骨とも
分かんないような…

これは もう 普通だったら…

やっぱり その恩は
やっぱり裏切れない。

う~ん。

一旦は その決戦を避けた
尊氏との戦いを

命じられた正成ですけど

これは どうすれば
よかったんでしょうか?

私は軍事的には 2つぐらい
方法があったんじゃないかと

思います。 一つは まず 正成の…

兵を整えるとか何とか
言ってですね

一旦 戻る訳ですよ。
その間に 足利軍が

ぶわ~っと上洛してきて…

で 勝った方につくと。
(笑い声)

ちょっと もう 一回
見守っていると。 そうですか。

もう一つは
命じられたように出陣をする。

湊川方面に行く訳ですよ。
ところが

要は
寡兵で大軍と平地で戦うのは

これは ちょっと あまりに
やっぱり無謀ですから

まず…

正成的には もう
迎撃の準備はしましたと

口実はつく訳ですよ。
また そのあと考える。

どうでしょう。
(呉座)要するに

決断を先送りするって事ですね。

呉座さん いかがですか?
(呉座)そうですね

これ 湊川の戦いって
つまり 正成は

死ぬのが分かってて出陣した
というふうに

一般的には
いわれてるんですけど

正成って合理的な人間なので

必ずしも そうとは
言えないんじゃないかなと

私は思っているんですよね。

近代の戦争と
前近代の戦っていうのは

大きく性質が違うところがあって
それは…

つまり 湊川の戦いって
基本的には…

ここで 正成は
直義の陣に突撃する訳です。

ここで重要なのが 尊氏は

後醍醐とは
戦いたくない人なんですね。

尊氏は もう じゃあ
後醍醐に降伏しようって

言いだすかもしれない。
そういう…

その僅かな可能性に賭けた
もしくは 小谷さんみたいに

見守って 状況を一回 ちょっと

冷静に見た上で どっちにつくか。
でも やっぱりね

先ほど出た小谷さんの作戦って
いいと思うんですよ 僕。

六甲山だとか山脈の上に
砦を築いて

そこへ立てこもる訳ですよ。
それで 悪いけど

「どうぞ どうぞ
後醍醐さんを攻めに

都まで入って下さい」って
やる訳ですよ。

足利尊氏が都へ入ってくるったら
ここで公家や後醍醐天皇は

慌てて比叡山へ逃げる。 つまり…

そこで もう一戦 やればいい訳で。

「やっぱり 私が言ったとおりに
なったでしょう。

今度は言う事 聞いて下さいよ
後醍醐天皇」って

迫れる訳ですよね。 だから
割に ありだと思うんですけど

やっぱり それ なぜか
やらなかったですね 正成は。

もう 疲れたんでしょうね。
もう これ 何度もやるのは。

常に寡兵で戦うというのは
緊張感がありますよ。

いつ負けるか分かりませんから。

これは もう 自分が最後は 誰も
裏切れないという事になれば

自分が最終的に戦死するのが
一番いいだろうという事で…

もう それを選んだという形
だったんじゃないかな

という気がしますね。

その死から およそ500年後

楠木正成は 黒船来航に始まる
幕末動乱の渦中で

再び注目を浴びる事になる。

長州で松下村塾を開いた…

松陰は
徳川幕府倒幕を計画した廉で

死罪に処せられる。

松陰が死の間際に門下生に向けて
したためた遺書「留魂録」。

松陰は その巻末に

正成の七生滅賊の誓いを
読み込んだ辞世を残した。

正成を忠君の鑑とあがめた
松陰の精神は

桂 小五郎 後の木戸孝允はじめ

長州藩士たちに受け継がれる。

彼らは天皇に命じられ
死地に赴いた正成に

長州藩を重ねた。

維新達成後も 学校教育を通して

正成の忠君ぶりは
広く深く国民の心に

すり込まれていく。

正成が自害の時に誓ったとされる
七生滅賊は

いつしか 七生報国に変わり

太平洋戦争末期
沖縄戦での特攻は

正成の旗印からとった
菊水作戦と名付けられた。

間近に迫った敗戦まで

楠木正成の死に際は
戦意高揚に利用された。

楠木正成は死後およそ500年たった
明治維新にも

大きな影響を
与えていたんですよね。

呉座さん この長州藩士たちは
正成のどのようなところに

共感していたと考えますか?

もちろん 今出てきた木戸孝允とか
高杉晋作みたいに

結構 上級の武士も もちろん
参加してるんですけど

それだけじゃなくて 下級武士も
多く参加してるんですよね。

例えば 伊藤博文なんていうのは
戦国時代で言えば

足軽みたいなような
下級武士の家です。

下級武士なんていうのは
そもそも

政治に口を出す資格が
ない訳ですね。

その時に 彼ら…

そういうふうに
だから 自分たちは

正成みたいに なりたいんだ
っていう気持ちがあった訳ですね。

何か これ だから当時
長州藩の尊皇の志士たち

勤王の志士たちの間では

「正成をする」という言葉が
はやる…。

動詞化するんだよね。

京都の祇園とかで
何かお酒を飲みながら

「俺たちは正成をするんだ」と。

「正成をする」というのは
正成のように

天皇への忠義を貫いて死ぬんだと。
そのぐらい正成というのは

彼らの中での理想像に
なっていく訳ですね。

幕末にかけて 天皇の権威が
上がれば上がるほど

みんな そうなって 先ほども
出てきた長州藩士たちは

主君の前で 非現実な作戦や
政策方針を決めようとなると

当然 現実主義者が
まともな反論をしますよね。

そうしたら みんな
わんわん泣きながら

やりたい人が 楠木正成公の

湊川の戦いのような話も
ありますが

そういう場でやらないんですか
とか言うと

もう みんな感情論で
泣いちゃって 泣いちゃって

そしたら いつの間にやら
そっちの…

でも そういう…

太平洋戦争の末期になりますと

必ず特攻とか
玉砕的な作戦をする前に

湊川をやれと言われる訳ですよ。

正成こそは 本人は とりあえず…

そこを全部 捨ててですね
最後の…

せっかく あんな日本史上
もう本当に

5本の指に入るぐらい
すばらしい武将なのに…

本当は 戦争は動機ではなくて
結果が大事なんですよね。

動機が美しくても 負けちゃったら
全然 結果が伴わなかったら

意味がないものなんですよ。
だけど それをよく取り違えると。

正成の死を考えると それを…

ですので
権力者が 権力ある人間が

正成のようになれというのは
大きく問題だと思いますね。

それは 自分の事を棚に上げて
忠誠心だけを求めるという事は

形になりますから やはり…

正成って 本当にすごい…
日本史上でも やっぱり

特筆しているのは
一貫して人気があるんですよね。

江戸時代になって創作された
エピソードを見ると

楠木正成っていうのは
新田開発とか治水とか

そういう それの名人であると。

農業指導の達人。 そんな事
「太平記」に書いてないんですよ。

書いてないのに
勝手に そういう話を作る。

つまり 江戸時代は 戦のない時代
戦争のない時代なんで

戦のない時代に
武士が戦に強いっつっても

しょうがないんですよね。
戦争の天才であるという事は

別に意味がない。
先ほど太平洋戦争末期に

玉砕とか特攻の見本として
扱われたという話…

これは本当に
あくまで末期の話で

つまり 太平洋戦争って
ご存じのように

最初は日本
調子よかった訳ですね。

真珠湾作戦みたいな感じで
奇襲作戦を敢行した訳ですね。

この段階では むしろ
正成の天才的な軍略

つまり 戦力では負けていると。

そうやって 敵の大軍を
やっつけるんだというところが

強調された訳ですね。
だから その

正成って
一貫して人気があるんですけど

中身が全然違う。

投影されるというところ。
そこが すごく面白いところで

そういう意味で
この楠木正成像が

どんどん時代によって
変わっていく…

さあ 磯田さん 最後に
今回 楠木正成をご覧になって…。

そうですね
正成自身の事 考えると

彼は やっぱり はっきり
異端として発する訳ですね。

異端のゲリラ戦をやる訳ですよ。

だけど 異端者同士だったはずの
後醍醐天皇が

正統の正統中である
天皇の座について

玉座に座った瞬間に 正成も
正統のやる行為に取り込まれて

もう正規戦をやれと言われて
それで結局は 飲み込まれて

時代の波に
消えていった訳ですよね。

だから 異端を自覚している人に
私 言いたいんですけど

新しい状況に対応できる
異端の者として

自分が自覚したら もう

異端のまんまに
行ってほしいですね。

途中で下手に正規な
正統なものに寄ったりすると

飲み込まれるから
異端は最後まで異端でやって

新しい世界を
やっぱり やってほしいなと。

正成 徹底して最後まで
異端のままで

ゲリラ戦を
僕は やってほしかったと思うね。

今の人たちにも
それを言いたいと思いますよね。

いや 本当に 興味深いお話

皆さん 今日は
ありがとうございました。


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