徹子の部屋 押阪忍&栗原アヤ子&DJ OSSHY親子 ~自慢の息子がディスコ通いの不良に…~


『徹子の部屋 押阪忍&栗原アヤ子&DJ OSSHY親子』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/04(月)
徹子の部屋 押阪忍&栗原アヤ子&DJ OSSHY親子[解][字]
~自慢の息子がディスコ通いの不良に…~押阪忍さん&栗原アヤ子さん&DJ OSSHYさん親子が今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
日本教育テレビ(現テレビ朝日)第1期のアナウンサーで、フリーアナウンサーの先駆けだった押阪忍さんと、テレビタレントの先駆けとなった栗原アヤ子さん夫妻がゲスト。今回は、ディスコDJとして活躍する長男・DJ OSSHYさんも登場!
◇番組内容
昨年、定期健診で腹部大動脈瘤を抱えている事が判った押坂さん。当時82歳。もし破裂したら助からないと言われ思い切って手術を受ける事に。押阪さんの励みは、妻が作る御節料理を自宅で食べる事だったという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
Capture20180604-203939.jpg 


『徹子の部屋 押阪忍&栗原アヤ子&DJ OSSHY親子』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

徹子の部屋 押阪忍&栗原アヤ子&DJ OSSHY親子
  1. 本当
  2. ディスコ
  3. DJ
  4. 息子
  5. 奥様
  6. 押阪
  7. 初めて
  8. 大変
  9. 自分
  10. 主人



『徹子の部屋 押阪忍&栗原アヤ子&DJ OSSHY親子』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


(黒柳)さて 今日の旦那様は

フリーアナウンサーの先駆けで

クイズ番組の… スポーツ番組とか

クイズ番組 スポーツ番組の

司会などなさいます。

奥様は テレビタレントの
先駆けでいらっしゃいまして

結婚なさる時は 奥様の方が

ちょっと
有名でいらっしゃいました。

去年 押阪さんは…
あっ 押阪さんって ご主人なの。

ご主人は 押阪忍さんです。

奥様の栗原アヤ子さんで
いらっしゃいます。

去年 押阪さんは
腹部大動脈瘤という

大変なご病気をなすった。 でも
お元気で何よりでございます。

(押阪)ありがとうございます。
でも すごいのは

82歳で 手術なすって
すっかりお元気。

すっかりでもないんですが
90パーセント台ぐらいまでは

戻ったんじゃないかなと
思ってますね。

すごいですね でもね。
まあ 考えましたけどね。

10月… 去年の秋に

9年前に大腸がんの手術をして
がんとは もう そろそろ

お別れしましょうよ
という事でですね

CTを撮ったんですね。

がんは もう どうって事はない。

でも どうも
変なものがあるという事で

3センチぐらいのものがですね
非常に大きくなっている。

これが その 瘤…
こぶたんですね。

腹部大動脈瘤という事で…。

でも 破裂したら怖いんですよね
そういうのって。

これが こんなんなっててね
こういう風に膨らんでるんですね。

これが パーン! と
風船のようにいっちゃうと

もう 即… という風なね。
そうですよね。

ビックリなさいましたでしょ?
でも そんなのが

育ってるっていう事を
お聞きになって。

ええ。 ですから
まあ 心配してね…。

いつ破裂するかもわからない

5センチになったら
破裂するかもって言われたのが

4.8センチだったんですね。
あら…。

だから 危ないという事で
思い切って手術に踏み切りました。

あっ そう。
これ 病院でのお写真?

ああ… 半分死んでますね。
(栗原)そうですね。 ええ。

手術のあと
すぐ 集中治療室に行きまして。

内科 外科… 交通事故の方も
いらっしゃいますしね


いろんな方が生死の間で
頑張ってらっしゃるっていう

そういう部屋で
頑張らせていただきました。

そうですってね。
でも なんか 目 覚めたら

集中治療室なので
ちょっと驚いたんですって?

驚きましたね。
驚きました 本当に。

目覚めてね…
5時間 寝てましたから。

そうですよ。 普通は まあ

入院室の方にいらっしゃる
とかっていうのは わかるけどね。

そこに 集中治療室に
いらっしゃったのがね…。

ここは どこだっていう感じで。
すごい…。

でも 82歳で
全身麻酔っていうのも 大変…。

でも よく お元気になりましたね。
まあ そのまま

眠ってしまうんじゃないかと
一時 思いましたね。

だから 5時間後に
目が覚めたっていう…

目が覚めた時は
あっ! ああ… と思いました。

良かったですよね。
でもね その

全身麻酔というものの

のどから麻酔をするのも
1つ入ってたんです。

管をね 入れたからね。
それも加わってたんですね。

じゃあ あとで
声が大変でしたでしょ?

もう それが大変でね。
声帯が傷ついたんじゃないかと

今でも… しゃがれ声は
仕方ないんですが

でも 2週間ぐらいですね
変な声になりましてね。

やっぱり そうでしょうね。
これ どうなのかなと

ちょっと
一時 不安にはなりました。

でも 病院に入っていらした時に
奥様のお節を

お正月に召し上がるのが目標で
頑張った?

フフフフ…。
はい あの…。

自分の家内の事を言うのは
なんなんですが

この人のね お節というよりは
お雑煮がね

これは 変な話 絶品です。

そうなんですか。 すごい すごい。

このお雑煮が食べたくて。
それで 暮れに手術をして

新年は自宅でという気持ちで
まあ いたしました。

この雑煮は うまいです。
このお雑煮ね

何が入ってるお雑煮なんですか?
このお雑煮は

ブリが入ってるんです。
ブリを使うんですよ。

九州の方?
主人の故郷が岡山なんですね。

そうね。
ですから もう そういう…。

割とブリを使うんですね。
おいしいブリを… 塩ブリを


もう 2~3日前から
塩をしておいたものを

湯がいて作るんですけれども。

まあ 結構 作るのに
時間がかかるんですね。

そうでしょうね。
だって 生臭くなっちゃうと…。

そうなんですね。
もう 非常に 我ながら これも

結婚して すぐ覚えさせられて

お正月は このお雑煮を
作ってくださいって言われて。

お世話になってます。
それは どなたかに…?

どなたがおっしゃったの?
これで作ってくださいって。

もう これは もちろん こちら…。
あっ ご主人が? そうなの。

おやじが
かなり細かかったもんですから。

だから おやじから伝授というのは
あったみたいですね。

そうですね。 おじいちゃまがね
結構 なんだかんだ

私の… なんていうんでしょうか?

嫁入り修業ならぬ
指導をしてくれました。

でも 当時として やっぱり

フリーアナウンサーに
おなりになった

そういう先駆けの方と

タレントの
そういう先駆けの方とが

ご結婚なさるという事ですから
やっぱり ちょっと周りではね…。

そうですね 共働き夫婦
っていうのが なかなか…。

珍しかった。
はい そうですね。

我々… 私の年代ですと

ほとんどが もう 専業主婦に
なってしまいましたし。

もう随分… だって
ご結婚あそばしまして

もう 随分になるでしょ?
55年…。

55年ですかね 今年。
忘れましたけどね。

まあ そんなようなもの…。
あっという間に… ハハハ!

テレビ朝日の
第1期のアナウンサーという…。

すごいですよね。
テレビ朝日のアナウンサーで

いらっしゃったんですから。
はい。

NHKでは ちょうど同じ頃

野際陽子さんが
入ってらしたんですってね。

テレビ朝日っていうのは
局舎がなかったんですね。

アナウンサーになっても
行く所がない 勉強する所がない。

だから お前は NHKで
勉強させてもらえという事で

それで預かっていただいて。
それで野際陽子さんとバッタリで。

まあ あの 同窓なんですよ。

奥様は そういうんじゃなくて
タレントでいらした。


はい。
それで まあ…。

テレビタレントというね 言葉が
当時…。

あら 可愛い!

テレビタレントという言葉が
あったんですよ。

今は使いませんもんね。
だんだん慣れて

「タレント」に
なっちゃいましたけどね。

そうですよ
「タレント」っていう風にね

今 なっています。

でも お料理番組に
奥様が出てらっしゃる時に

お母様に
よく似てらしたんですって?

押阪さんの。
マザコンなんですよ。

このテレビ朝日のね
場所は違いますけど

材木町時代ですけど。
ええ。

そこで お料理番組の
聞き手をしてたんですね。

それで 私が ニュースなんか
終わって 部屋に帰って

ボーッと 収録の画面見てましたら
この方が出てるんですね

生放送時代だから。
だから なんとなく

フーンなんていうのが
2~3週 続きましてね。

それで ああ なんとなく まあ
いい感じだなという風な事で

友人が紹介してくれまして。
ああ そうなんですか!

面立ちが まあ…。

本当に 20代…
二十歳ぐらいでしたかな?

そうですね。
まだ 二十歳そこそこぐらい。

若いんですが
なぜか 私 マザコンですから

自分の母親のイメージを こう
重ねちゃったんです 面差しに。

ようございました でもね。
それで まあ なんとなく

そういう事になりまして。
あのね 28年前に

押阪さんが『徹子の部屋』に
出てくださった時に…。

ありがとうございます。
奥様の事をおっしゃってるんで

ちょっと
ご覧いただいていいですか?

あっ そうですか。
なんか言ってましたか?

「テレビを
ご覧になってらっしゃる方はね

もう 押阪さんっていうと
こういう温厚な感じのね…」

「違います! 短気です」

「阪を押して忍べ」というぐらい
おやじがつけたぐらいで

おやじが短気なんでね
息子にですね

忍という名前を
つけたらしいですね」

「でも ほら 一見ですよ
一見… じゃあ 一見

こう 穏和な司会者の方という…」

「全てが演技です!」
「演技なんですか?」

「私は1年生に上がる頃に
母親を亡くしましてね

もう バタバタバタッと
戦時中でしたから

小学校3年の頃に
祖母が亡くなりまして

もう おやじ1人と私1人だけで

たった2人だけで

ずって その…
成長過程があったんです」

「今でも 母親が生きてたら

こうもしてやりたい
ああもしてやりたいというね

そういう その マザコンという部分が
すごくありましてね

今でもあります。 ずっと その

亡き母の事を思い続けていた
という部分がありましてね」

「そういう方を旦那様になすった
奥様は大変です」

「ところがですね
面差し似てただけでね

ぎっちょんちょん
全然 似てなかったというか」

「非常に優しい人なんですが

なかなか 女の方は どこかで
したたかでございますね」

「そうなの?」
「なかなか 操縦法うまいですよ」

あんな事おっしゃってたんですよ。
ねえ! そうだったんですね。

よくしゃべってますね。
恥ずかしい… ぎっちょんちょん。

ぎっちょんちょんだって。
老いては妻に従えという風には

思ってます はい。
本当にね。

でも お元気で
本当に ようございました。

そんな大病をなすったのにね。

まあ 毎日のようにですね
車の操縦は… 運転が

あんまり上手じゃないんですが
毎日来てくれました。

すっかり
お元気におなりになったのがね

何はともあれ ねえ
お仕事だって なんだって。

爆発するかもしれないと
言われてですね

そういうものを持っていて
明日の事が気になるっていうのは

やっぱり イヤですもんね。
そうですよ。

大きい声 いつ出すか
わかんないしね そんな事。


ですから 退院はしたものの
やっぱり 阿藤快さんとかね

ひょっとしたらというのを
聞いてますから。

やっぱり 手術をして
良かったんだろうかな

という風には思っております。

腹部大動脈瘤っていうのができた。
そうですね。

でも 良かったですね。
おかげさんで。

オリンピックまではね
元気でいたいという風に

思ってます。
そうですよね。

だって… もう 大変でしたもんね。
オリンピックの

一応 担当者でしたから。
あの時はね。

一応 民間放送の
端くれとしてですね

末席を汚してましたので。
東洋の魔女の時の…。

はい 東洋の魔女。
東洋の魔女がやってる時の。

バレーボールの。 あの時
ずっと中継なすったでしょ?

ええ 民間放送としてですね。
すごい! うん。

NHKの でも 画面の…
モノクロの画面をお借りして

それを見ながらですからね。
すごい。

だから 苦労しました。
どこ行っても借りてるのね。

ハハハ…! ラジオはね
ラインが通ってたんですよ。

テレビは その頃 成長期で

まだ 民間放送がね…。
そうでしたよね。

お借りしてたんです
NHKの画面を。

でも
その手術をなすった年の年末?

奥様は こんなに
つらい年末はないと

お思いになったんですって?
なんか。

やはり 忙しくて…。
年末は それでなくても

主婦たちにとっては
やる事が たくさんありますよね。

そういう中において

まず 元気で帰ってきてくれれば
いいという事もありますけれども

果たして
家での養生がどうなるのか?

そうですよね。
はい。 それが まず第一でしたし。

奥様 きちんと
してらっしゃる方だから 余計ね。

きちんとしてません!
してません?

してません! ええ。
割と… 能天気じゃないんですが

陽気ですから。
だから いいのかな?

アハハ…!
そうかもしれないですね。

やっぱり このほのぼの感って
いうんですかね

笑顔というんですかね
多少 外れてるところが

いいと思います。
なるほどね。

ただね あの… 一番困った事は
私にも持病がありますので。

呼吸器のね。
あっ 呼吸器の…?

呼吸器障害で。
酸素ボンベ… 酸素ボンベも

時々しながらですね
やってくれたわけです。

それがありますのでね
家の中でも

酸素ボンベを吸いながら
動いたりすると…。

肺スエヒロタケ感染症
っていうんですって?

一時ね。 その病気の時に

最初にね 呼んでいただいた事が
あるんですが。

「今 そうやって 昔と同じように
おしゃべりになれるっていう事は

声をお出しになるたんびに…
夢のよう?」

「夢のようです」

「もう 一時は 本当に そのために

声を失ってしまうかなと
思うぐらいに もう全く…」

「今でも まだ
本当の声じゃないんですね」

「恥ずかしいんですけれども」

「でも 全く…
せき込みが激しくて

こういう対話というものが
全くできませんでした」

「あなたが退院なすった時に
ご主人のおっしゃった言葉が

素晴らしいって
皆さん おっしゃったけど

“我が家の太陽が
帰ってきました"って

そういう風に ご主人が
おっしゃったんですからね」

「ありがとうございます」
「きっと そういう風な

お母様だったんでしょう
いつもね」

「何しろ 母親は いつも
明るくなきゃね いけませんし」

「ましてや お仕事してらっしゃる
弱みも ちょっと…」

「ねえ? あるかもしれないし」
「ありますから」

「なおさら もう 子どもに
心配かけまいっていう気持ちが

バカを言ったりして」

「“お母さん
本当に病気なの?"って

いつも息子が心配しながら
逆に 驚きながら帰るぐらいの」

今日 ちょっと ここでもって
ご長男に

おいでいただいているので。
ありがとうございます。


ご長男ね 実は
ディスクジョッキーを

やってらっしゃる
息子さんなんですけども。

はい OSSHYといいます。
フフフ…。

ありがとうございます。
OSSHYさん。

ちょっと コマーシャルのあとで。
はい。

実は 息子さんは
まあ タレントっていうのかな?

そういう事でいらっしゃるので…。
ちょっと ご自分で

自己紹介していただいて
こちらにおいでいただきましょう。

どうぞ。
ありがたい事ですね。

♬~『愛がすべて』

全国の皆さん こんにちは。

安心 安全 健康的な
ディスコの魅力を伝えています

私 DJ OSSHYと申します。

BGMに流れているナンバー

1975年の
日本のディスコならではの

大ヒットナンバー。
私は 当時10歳でした。

Stylisticsの
『愛がすべて』をBGMに

お邪魔させていただきます。
私 DJ OSSHYです。

どうぞ こちらにおいでください。
(拍手)

どうぞ。 フフフ…。
こんにちは。

どうぞ こんにちは。
はじめまして。

なんですか? 息子さんと
お出になるの初めて?

初めてです。
成人になってからは初めてですね。

成人になって。
こんな小さい頃は よくね…。

お仕事をおやりに
なるようになって 初めて?

初めてです。
どうですか? お父様と一緒に…。

ご長男の
DJ OSSHYさんですけど

お父様とお出になるのは
どんな感じ?

いや 緊張ですね やはり。
やっぱり そう?

ええ。 私 今日は
スタジオにお邪魔する時に

4時間半前に
スタジオに入ったんですけども。

あら 大変。
両親は1時間前ぐらいでしたね。

やはり ここのキャリアの違いは

やっぱり まじまじと
感じさせていただきました。

でも DJでいらっしゃるんで
その 耳にやるやつが…。

それに ピカピカさせたのは
あなたの それ 趣味?

私の趣味といいますか 友人が…。
いいですよね。

私 そういうの大好きだから
なんでも。 ねえ。

それ 耳に当てると
どんな格好になるんですかね?

こんな感じです。
あっ そうです。

聞こえるわけですもんね。
あら 素敵ですね。

私も いろんなもの
ピカピカ 持ってるんですけど

さすがに
それ持ってなかったんですけどね。

私も 今度やってもらおうかな?
それ なんかの時に。

ぜひ! やってください。
いいと思う。

お似合い。
必要ですもんね しょっちゅうね。

そうそう そうそう…。
はい それはそうですね。

じゃあ ちょっと…
DJしてらっしゃるところの

息子さんのVTRを
ちょっと拝見いたします。

ありがとうございます。

あっ すごい! ディスコだ。

アハハハ…!
あら!

「1日限りの3世代昼ディスコ」

「このナンバーから
まいりましょう」

「合言葉は レッツ…」

(観客)「ディスコ!」

♬~

「ラストまで楽しんでいきますよ」

「親子3世代の昼ディスコへ
ようこそ!」

えっ! 今でも
あんななんですか ディスコって。

はい。
ここのところ全然行ってないから。

今はですね 映画で

『Saturday Night Fever』
という映画が

1978年に日本で公開されて

今年で40年の年なんですね。
そうそうそう。

そうしますと 当時 二十歳で
リアルタイムで

映画をご覧になった方は
還暦なわけですね。

そう! すごい。

それで そのご子息 お嬢様

はたまた
お孫さんまでいらっしゃる。

そういう
親子3世代ディスコというのを

先日 お昼間に開催しまして。
おやりになったの?

はい。
3世代ディスコ。

とっても にぎわいましたよ。
「昼間」で いいですよ。

「お」は いりませんよ。
はい かしこまりました。

(2人)ハハハハハ…!
厳しいです。 はい。

でも あれですかね 押阪さん

この方が
DJをやってらっしゃると


お聞きになった時は
どんな感じでした?

反対でした。
あっ… そうね。

だって その… 感覚がですね

当時 DJというのは

帽子をこっちへ かぶってですね
で なんとなく たばこくわえて

なんとなく
こういう風にやってる。

そうそう そうそう。
手が 両手ちょっと下の

レコードの所に 手をこういう風に…。
レコードをね こんな風にして。

で 参加してる男女がね

やや不良っぽさがある
というようなイメージが

昭和の男ですからね
抜け切れなかったんですね。

それが今では違う。 3世代。
だから やっと 認めました。

あっ そうですか。
じゃあ それまでは

息子さん 大変でしたね。
大変でした。

本当に ここ数年の間で
ようやく口を利いてくれるような。

この数年の間? あなた
そんなに大きくなってるのに。

はい。
でも 公に

息子がDJをやってるって事は

おっしゃらなかったんですって?
今まで。

はい。 聞いてはいましたけどね。
その… 何回かは行きました。

行って
だんだん変わってるんだなと。

来てる方々がね。
ディスコやなんかに。

ええ。 あっ 親子もいるんだ。
肩車したお父さんが踊ってるんだ。

あっ だんだん
ファミリーになってきたんだ

というようなものを
実感しましたので

これは いいと。 これは…。
許す? ハハハ…。

あの… 平昌オリンピックでね

閉会式の時にDJが務めたでしょ。
あっ そうそう そうそう。

あれでね やっぱり これは
ワールドワイドなんだと思って。

それで 今度 日本で
オリンピックやる時に

親子でやりたいと DJを…
思ってらっしゃるんですって?

おだてちゃダメなんですけどね。
ダメ? あっ ダメですか?

そう。 これは あの…。
いいじゃないですか。

選手の方もね 応援の方もね

世界からいらっしゃるわけですね。

ですから 終わったあと
どこかでね

ちょっと楽しみたいという時に
ディスコなんかへ行きたいと。

そういう意味では やってくれ
という気持ちはあります。

いいじゃありません? ねえ。
はい。

身近な目標の1つでもあります。
目標ですよね。

目標。 オリンピック…
東京オリンピックに。

目標ができて
良かったじゃないですか

なんであれ。
そうですね まあ 私とすれば

ありがたいですね。
そこで認めてもらえれば。

で 各国の選手が 応援団の方がね
ああ 良かったというような

雰囲気にね。
そうですよね。

それも1つの
おもてなしかなと思うので。

そうですね。
レコードもいろいろ…。

レコードっていうか
ディスクもいろいろね 探して。

ちょうどいいのね。
でも そういう…

息子さんが だんだんそういう事を
お始めになった時に

栗原さんは… アヤ子さんは

ちょっと どうしようかなと
お思いになりませんでした?

えー… 私は あんまり…。

この人は
ストレートに入っちゃったですね。

もともと童謡歌手でしたからね。

音楽が大好きなので。
そうか。 童謡歌手。

そう。 それで…。
じゃあ 全然ね。

本当に 中学生時代にも
部屋に閉じこもっては

カセットで いろんな音楽を…
つなぎをやってたり。

で ちょっと 遊び…
「今 音されたら困るから」って

何やってるのかなって思うと

お友達へのプレゼントの
カセットテープを作ったり。

だから 静かにしてないと
いけないのね 周りはね。

それで 今度は
大人になって就職しますよね。

就職先では ちゃんと
サラリーマンなんですけれども

帰りには もう

ディスコのアルバイトを
やってたらしいんで…。

その内容は
わからないんですけれども

ちょっと… なんで こんな
帰りが遅いのかなと思うと

こっそりと こういう所で

修業をしてるっていう事を
打ち明けて。

割と そういう話は 母親には

なんでも言ってくれたので。
なるほどね。

一生懸命 真面目にやってました。
これ なんの写真です?

これはね 剣道を
教育の中の一環として

主人のね… やっぱ 男の子は
きちっと 礼を知りながら

強くなって育ってほしい
っていう事は ずっと剣道…。

テレビ朝日は
日本教育テレビというね

一時 名前があったんですよ。
まあね そうですよね。

だから 教育をね
しなきゃいけないと

思ったものですから。
でも やっぱり 武道はいいです。

我々 共働きで
外にずっと出てましたので

そういう意味では 子どもたち
可哀想な思いをするかもしれない。

でも逆に 僕の両親は こうやって

テレビ出る人なんだみたいな

なんか
違った人間なんだみたいに

思われてもいけないから

あなたたちは
絶対 普通の人なんだ。

そんな 親が どうであっても

普通に生活しなさい
っていうような事で

結構そういう厳しさはありました。
あっ そうなんですか。

でも そういう所で
お育ちになって どうです?

はい もう
典型的な昭和の両親といいますか。

悪かったね!
厳しい父 優しい母。

こういう両親に育てられたという
印象の方が強いんですけども。

先ほどの剣道につきましても
そうですし

いろんな習い事を 子どもの頃から
やってまいりまして。

私が その… 高校時代に
入学した時に

初めて自分の意思で

これをやりたい
という風に思った分野が

ディスコDJだったんです。
あっ そうなんですか。 えー…。

それまでは自分の意思で
動くという事よりも

むしろ 両親の方から…
まあ 父親の方から

習わされるっていう事の方が
多かったと思うんですね。

ところが まあ そこで
自分の自我の芽生えとして

初めて選択したのが
ディスコDJの道だったんですね。

なるほど。 だから
反対も何もないですよね。

あなたのね 最初の…。

多分 相当 驚かれたと思います。
そうですよね。

「驚かれた」って
敬語は いらないです。

そうですよね。 親に…。
厳しいです。 言葉遣いも厳しい。

でもね 私
主人が心配してるのは

周りの環境が あまり
良くないんじゃないかっていう

不安があったようなんですね。
でもね

「僕の友達は みんな
いい子なんだよ」って言って

お友達をよく連れてくるんですね。
お家に。

それで もう その子たちとは
もう 今でも仲良く 私も。

で その子がね
みんな いい子なんです。

あっ そうですか。 じゃあ 安心。

お父様だけが
ちょっと心配っていうね。

そう! 心配性。
なんでも心配性なのね。

心配性です。
うん…。

なかなか
認めてもらえませんでしたね。

でも 彼の良さっていうのは
音楽ジャーナリスト

って言うんですかね
音楽通なんですね。

それで プロデューサーも
やってらしたんでしょ? ラジオ局で。

はい。
ラジオ局でラジオの番組の

制作を いろいろと
させていただきました。

ただ DJ… 音楽をつなぎで
流してという事ではなくて

それに
プラス 語れると言いますかね。

それが 人様より ちょっと
違うような気がしたので

これは後押しをしなきゃ
いかんだろうと思っております。

わかりました。
良かった 良かった。

でも 本当に去年 押阪さんが

腹部大動脈瘤が
うまく手術がいったので

こうやって
ご一緒にテレビにもね

出ていただける事になって
ようございましたよね。

もう うれしいです。
ありがとうございます。

息子さんは 初めて 押阪の息子と
なんかで名乗ったのは

去年の事なんですって?
そうなんです。

子どもたちに向けて
15年ほど前から

ファミリーディスコという
イベントを企画していて

それで昨年ですね

今度は 高齢者の方
認知症患者の皆さんに向けて

ディスコのイベントを
企画したんです。

その会場でですね

やはり 来場されてる
参加者の患者さんが

80歳の方々とか
90代の方々までいらっしゃって

自分の自己紹介する時に 初めて

両親の名前を出しまして。
あっ おっしゃったの?

そしたら 皆さん
よく ご存じだったでしょ?

はい。 それで いきなりワーッと
会場が沸いたものですから。

そこで… そこでつかみをとって
それで イベントを進行したという。

なるほど。 でも 今
おっしゃってたんですけど

高齢者ディスコっていうのを
お始めになりまして

大学院の介護研究者の皆さんと
コラボで おやりになって。

やっぱり
それは いいお仕事ですよね。

はい。 もう… こういった動きが

全国各地で
開催できるといいなというのが

今の願いでございます。
そうですよね。

いくつになったって
体 動かしてね

楽しくするっていう事は
必要な事ですもんね。

車椅子でも上半身でね

こう アクションしてくだすったら
うれしいですね。

『ディスコの力』っていう本を
お書きになったそうですが

いかにディスコがいいか
っていう事ですよね。

はい。 ディスコ自体の魅力
というよりも

ディスコがもたらす
効果的な事というか

そういう
エネルギーみたいなものを

人々に どういう形で
もたらしていくのかという事を

自分なりに書かせていただいた
という本でございます。

でも あれですよね
今日 こういう風に

一緒にお出になって
居心地 良かったですか?

いやあ ありがたいですね。
本当に感激です もう。

そうですか。 ようございました。
幸せですよ あなたは。

はい。 幸せです。
黒柳さんに…。 本当に。

親戚の人の会みたいに
なりましたけど

みんな 元気でいきましょう。
(3人)はい。

本当にありがとう存じました。
ありがとうございます。

ありがとうございました。
ありがとうございました。


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