ザ・ドキュメンタリー 「美空ひばり永遠の歌声~私を支えたひばり歌~」 島津亜矢、野口五郎、原田悠里…


『ザ・ドキュメンタリー 「美空ひばり永遠の歌声~私を支えたひばり歌~」』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/09(土) 
[字]ザ・ドキュメンタリー 「美空ひばり永遠の歌声~私を支えたひばり歌~」
美空ひばりが残した曲はおよそ1500曲。ファンや後輩歌手・関係者に「私の好きなひばり歌」を聞き、今も多くの人を魅了するひばりの魅力を、歌唱映像とともに解き明かす。
詳細情報
番組内容
旅立ちから29年、美空ひばりが私たちに残した曲はおよそ1500曲。歌謡曲から小唄・端唄、ポップス、ジャズまで、あらゆるジャンルの歌を歌い、日本の歌謡界を牽引した歌声は、今も多くの人を魅了している。番組では、ファンやひばりをリスペクトする後輩歌手、関係者へ、お気に入りのひばり歌は何か、そしてそこにはどんな理由があるのかインタビュー取材し、ひばりの魅力を歌唱映像とともに解き明かす。
紹介予定曲
みだれ髪、愛燦燦、柔、悲しい酒、真赤な太陽、芸道一代、人生一路、哀愁波止場、ひばりの佐渡情話、リンゴ追分、お祭りマンボ、津軽のふるさと、港町十三番地、悲しき口笛、東京キッド、ひばりの花売娘、おまえに惚れた
出演者
島津亜矢、野口五郎、原田悠里、三山ひろし、山内惠介(50音順)
初回放送日
2018/6/9
番組概要
日本中を震撼させた「あの事件」、日本中が感動した「あの瞬間」。懐かしい喜び、衝撃…思い返せば、さまざまな感情があふれる出来事があった。「あの時のニッポン」を、貴重な映像や証言と共に振り返る。また、過去だけではなく今起きている事、さまざまなジャンルの新たなドキュメンタリーに挑戦。長期間にわたる取材、徹底的な検証、味わいあるナレーションで、地上波では見られなくなった「ドキュメンタリーの王道」を目指す。
番組ホームページ
<番組ホームページはこちら!>
www.bs-asahi.co.jp/documentary/
制作
BS朝日
Capture20180609-220309.jpg 


『ザ・ドキュメンタリー 「美空ひばり永遠の歌声~私を支えたひばり歌~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

ザ・ドキュメンタリー 「美空ひばり永遠の歌声~私を支えたひばり歌~」
  1. 本当
  2. 美空
  3. 自分
  4. スタッフ
  5. 歌手
  6. 歌う
  7. 阿久悠
  8. 意味
  9. 一本
  10. 鉛筆



『ザ・ドキュメンタリー 「美空ひばり永遠の歌声~私を支えたひばり歌~」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


その歌声で多くの人を励ました
不世出のスター 美空ひばり。

ひばりの歌の力とは?

♬~

♬~

5月29日は 美空ひばりの誕生日。

毎年
この日に行われる「生誕祭」は

ひばりファンにとって
最も大切なイベント。

今年も全国から
およそ1500人が集まった。

どちらから お越しですか?

(スタッフ)あっ 新潟から?
新潟からです。

もう…。

では
好きなひばり歌はなんですか?

私は

『真赤な太陽』って
よかったじゃないですか あれは。

私はね やっぱり
父を思い出すんでね…。

戦死しててね
父の顔 知らないんですよ。

ひばりが私たちに残した曲は
およそ1500曲。

歌謡曲から小唄 端唄
ポップス ジャズまで

あらゆるジャンルを歌い

日本の歌謡界を牽引した歌声は
今も多くの人たちを魅了している。

だが ひばりの功績は
それだけではない。

9歳でデビュー以来

激動の昭和を 歌で多くの人を
励まし 支えたのである。

♬~「花は苦労の 風に咲け」

♬~「勝つと思うな 思えば負けよ」

では 人々を支えた
ひばり歌は何か?

そして ひばりの歌の力とは?

もう 物心ついた頃から
ず~っと輝き続けて 神々しくて

実際に お会いしてからも…。

「一本の鉛筆が あれば
あなたをかえしてと 私は書く」

という 本当に なんか…
胸が詰まりますもんね。

特に美空ひばりさんの歌は

子供の頃から
ずっと聴いてましたから

やっぱり大人になって
改めて聴いても

この人に支えられて 今が
あるんだなというのは感じます。

出会えたからこそ

僕も いっぱいエールを
頂きましたから 今もなおね。

(スタッフ)どうです 『闇太郎』は?

僕にとっては…。

例えば『リンゴ追分』という曲は
ソウルソングなので。

日本人だからじゃないですか。

今でも そうですけども あの…
事あるたびに僕は歌います。

♬~

コードが すごいですよね。

♬~「リンゴの花びらが 風に」

…っていきたいんだけど
ここ 変わってないんですよ。


今 Eマイナーのままなんですよ。

♬~「風に散ったよな」

ワンコードで
ずっと いっちゃって…。

♬~「月夜に 月夜に」

普通 ここ
Aマイナーいきたいんですけども

これがAセブンの
サスフォーいってるんですね。

♬~「つがる娘は泣いたとさ」

これは もう すごいコードですよ。
もう すごい。

で これ追って…。

♬~(ギター)

…じゃないですか。

すごくなんか
のんびりした感じなんですけども

いつでも入れるっていう。

♬~「リンゴ」

…って いつでも入れる
感じじゃないですか。

これって すごいですよね。

本当にね 普通になんかね…
僕ね 『リンゴ追分』に関しては

本当 なんか普通に
誰かが歌ってると

歌ってほしくないなって
思っちゃうんですよね。

普通に誰かが歌うと。

あの… 日本人だけじゃなくて

世界中に 僕は
通じる曲だと思いますよ。

この曲って。

♬~(ギター)

♬~「リンゴの花びらが」

♬~「風に散ったよな」

♬~「月夜に」

野口五郎の
ひばり歌との出会いには

ひばりに『リンゴ追分』など
数多くのヒット曲を提供した

作曲家 米山正夫の存在があった。

僕は 小学校5年生の頃から

作曲者の米山正夫先生の…
近づきたいと。

ひばりさんは 無理なんで…。

いや 米山先生も
無理なんですけど

米山先生の
審査員なさってる番組に

ずっと出まくりましたね。 はい。

それは もう
ひばりさんに憧れたからですね。

(スタッフ)米山先生と…
弟子に入ったときに

ひばりさんのお話をされたことは
あるんですか?

いやいや 言えない言えない
口に出ないです。

いや 口に出せないです。

本当に思う気持ちっていうのは
美空ひばりさんという方は

本当に音楽の神様に なんらか僕は
関わった方だと思ってるので

そう簡単に名前も言えないし…
うん。

聞くのも なんか… 恐れ多い
というぐらいの思いだったので。

「お岩木山のてっぺんを
綿みてえな白い雲が

ポッカリポッカリとながれていて


桃の花が咲き 桜が咲き

そっから早咲きのリンゴの
花ッコが咲く頃は

おら達の
一番たのしい季節だなやー」

「だども
じっぱり無情の雨こさ降って

白え花びら散らすと

おらあ あの頃 東京さで死んだ
お母ちゃんのことを想い出して

おらあ おらあ」

♬~

♬~(演奏)

東京 銀座で行われた
ジャズライブ。

その中心は
ひばりをサポートした専属バンド

「ひばり&スカイ」の
元メンバーたち。

現在
それぞれの道で活躍しているが

その絆は固く
ひばり亡きあとも定期的に集まり

コンサート活動を続けている。

レパートリーは
ジャズやポップスに

そして ひばり歌。

♬~

ひばりと仕事ができたことが
誇りというメンバーたち。

1人1人に ひばりの思い出があり
歌がある。

美空ひばりさんは
どんな方でしたか?

1人の女性として すごく可愛い

魅力ある女性だったですね。
そう思います。

僕にとっては 要は…

歌い方の先生というか
要は 演奏してのね。

ひばりさんの歌い方に
すごい影響を受けた。

あの… ひばりさんの伴奏を
させてもらったということが

なんていうんですかね
宝になってるというか

もう 一生忘れられない
存在ですね。

かなり高熱で ステージ上る前に

40度近くあったんじゃないかなと
思うんですけど

フラフラの状態のときが
あったんですよ。

で 今日は 大変だな これ
って思ってたら

ステージに上がった途端に
ピリッ! となって

もう 走り出すんですよ。

思い出のひばり歌はなんですか?

『髪』。 神津善行さん
中村メイコさん 作詞 作曲の。

途中でトロンボーンソロが
出てくるんですよ。

それがあって 特に好きです。

(スタッフ)そのパートは
自分で担当するんですか?

やりました。

一番好きな曲は…
まあ 全部好きなんですけど


なんだっけ? さっき言ったの?

『裏窓』。

すいません
曲名は 忘れちゃうんです。

出だしが「誰もいない」
って言うんですけど

それかな 一番。

…ってかね 湯藤ちゃんという
ギターがいたんだけど

そのイントロに まず泣かされて

ひばりさんが
「誰もいない」と言うと

もうね その世界に行っちゃって

泣きそうになっちゃう
こっちもね。

そうすると もう…
泣いたら音が出ないわけですよ。

それを堪えるのがやっと
という感じかな。

そういうイメージがありましたね。

♬~

♬~

♬~

このあとは 作詞家
阿久悠が贈った ひばり歌。

その秘蔵映像を公開。

美空ひばりと同い年で

歌謡史に残る多くのヒット曲を
手がけた作詞家 阿久悠。

だが
ひばりに提供した楽曲は少ない。

それは
ひばりを心のライバルとして

作詞活動を続けたからである。

阿久悠は 作詞家としての心得を
自らの著書に こう記している。

その阿久悠が挙げた
ひばり歌は…。

ひばり映画のビデオを
ほとんど持っていた阿久悠が

衝撃を受けたというのが
『悲しき口笛』。

ひばり 12歳のヒット曲である。

♬~

ひばりを生涯にわたって
リスペクトした阿久悠は

作詞家デビューから6年目の
昭和46年

初めて ひばりに
詞を提供することになった。

その歌唱映像が残されていた。

♬~

♬~

♬~

本当に あの… 目覚めて
歌が好きだっていうのは

本当に もう
小学校上がる前からですけど。

♬~

私 九州の
天草の生まれなんですけど。

ちっちゃな町でね。
ところが その当時は

東映の時代劇が とっても盛んで

しかも 私の家の隣に
映画館があったんですよ。

「今日は 映画がありますよ」
っていうんで

その合図で歌を流すんですね。

そうすると 大体が
それが ひばりさんの映画だし

ひばりさんの歌が
流れてくるんですよ。

やっぱり ひばりさんの
歌声に魅せられていって

私が『港町十三番地』とか
覚えて…。

おじいちゃんが
その頃いまして

私が歌を歌うと
おじいちゃんがね

「歌がうまか~ ひばりさんと
いっちょん変わらんごたる」

って言うんですよ。 まあ 天草弁で
「いっちょん変わらんごたる」

っていうのは ひばりさんと
ちっとも変わらないって

褒めてくれるんですね。

『港町十三番地』がきっかけで

歌謡曲の歌手になることを夢見た
原田だったが…。

その後は
歌謡曲とは距離を置き

クラシック音楽を勉強。

鹿児島大学
教育学部 音楽科へ進み

小学校の音楽教師となった。

私は 父が「学校の先生になれ」
って言ってたので。

「学校の先生か歌手になりたい」
って控えめに言ってたんですけど

一応
学校の先生になったんですね。

やはり 本当は ずっと心の中に
押し込めていただけで

やはり 父との約束
学校の先生にならなければ

自分の夢には
行けないと思ってたので。

歌手への夢を捨てきれなかった
原田は

教師を辞め
歌手を目指して活動を開始。

そのとき 再び口にしたのが
『港町十三番地』だった。

演歌歌手を目指そうと思って

それで ちょっと なんか…
声ならしをしてみたんですね。

そしたら 子供の頃は…。

♬~「長い旅路の」

…って歌えてたのが
「よし この歌からだな」と。

♬~「なーがいたびーじのー」

…って こうなっちゃってて
「あれ? あれ? ちょっと待てよ」。

それで もう そこからですから

リハビリするのが
ちょっと大変だったんですよ。

もう 美空ひばりさんどころじゃ
なくなってまして。

原田は
歌手生活36年を迎えた今でも

人をひきつける
ひばりの歌唱力に感服するという。


やっぱり あのひばりさんのね…。

♬~「長い旅路の」

…ってこうね。

普通 私が ひばりさんの
お手本がなかったら…。

♬~「なーがい旅路のー
航海終えーてー」

…って こうやってね。

これじゃもう なんとも面白くも
人の心 打たないですよね。

♬~

♬~

『人生一路』ですよね。

もう それこそ僕の母親が…。

まあ 共働きでしたから

仕事に行く前 車に乗る前に

支度してますね 化粧をして。

それで朝にね
35周年の武道館のライブの

チャンチャチャ チャチャチャとか
かけるんですよ 朝。

それで食事してるんですよ。

それ見てね
テンション上げてるわけですよ。

「よし! 今日も頑張るぞ」
って 自分に負けずにね。

その姿を見ながら
歌っていうのは 奮い立たせる

元気になるためにね
自分に活を入れる

そういう意味でも
力があるんだなっていうのは。

15周年記念の… NHKホールで

僕 初めてリサイタルを
やらせてもらったときに

万感の思いを込めて

「一度決めたら 二度とは変えぬ」
って歌いました。

それは ある意味 その…
自分の歌を教えてくれた

母親に対しての
恩返しでもありましたね。 ええ。

お母さん 頑張ってるよ
っていうような気持ちで。

♬~

♬~

♬~

山内惠介と ひばり歌との出会い。

それは
大のひばりのファンであった

母の影響だった。

『越後獅子』を歌うと 母親が
涙をこぼしてくれると。

どうしてなんだろうと。

「笛にうたれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの」。

母親に聞いたんですよね。

「どうしてこの曲 聴くと泣くの?」
って言ったら

その…
「年端もいかないね 越後獅子

親方さんに しかられながら
回ってる子どもと

あなたが
だぶって聴こえるんだ」と。

年齢がピタッと
はまってるわけですよね。

そうすると親心に
嬉しかったんでしょうね。

自分の懐かしい曲を

こんな小さい子が
歌ってくれたっていうのが。

♬~

再び 「ひばり生誕祭」会場。

「おお寒い……
冷えるわねえ」

「どういっぱい
ところで聞いてくれる」

「こんな淋しい
女のはなし」

♬~

♬~

「ごめんなさい しめっぽい愚痴
聞かせちゃって」

「そろそろ看板だけど
ネッ もう一杯いかが……」

(スタッフ)『車屋さん』?
はい。

♬~

♬~

もう この『ひばりの佐渡情話』に
関しましては

もう 名作中の名作じゃないかと
思うんですよね。

多分 最初は『ひばりの佐渡情話』
だった感じがします。

♬~「佐渡」

あの細かいこぶしが
なかなかできなくて もう。

♬~

♬~

いや~ ひばりさんの歌声を

ず~っと聴いて 子供の頃から
育ってきたんですけど

まさかステージで 自分が
歌うっていうことになるとは

思ってなかったですからね。

もう 何回も何回も寝ても覚めても
『ひばりの佐渡情話』

ずっと聴いて
練習をしたんですけども

やっぱり ひばりさんの面影も
浮かぶような…

皆さんの心の中にですね
浮かぶような そういう歌唱を

しなければいけないと
思ってますから

多少は自分でも意識をしながら
歌いましたね。 はい。

何しろ結構 最初の冒頭からですね
聴かせる所ですから

あそこが やっぱり
肝になってる部分があるので

緊張して もう 本当に…

手足が震えるぐらいの
思いはありましたね。 はい。

♬~「佐渡」

あの細かいこぶしが
なかなかできなくて もう。

あの…
母が教えてくれてたというか


「ここは もうちょっと
こういうふうに感情込めなさい」

「ここは もうちょっと
悲しい歌だから

こんなふうに歌いなさい」
というぐらいの

母が
アドバイスをくれてたんですけど

そのこぶしの
細かい所ができなくて

母に
何度も怒られた記憶があります。

演歌のレッスンをしてるときには
やっぱり 『佐渡情話』とかは

随分
レッスンさせて頂きました。

♬~「佐渡」

あそこの辺りっていうのが
やっぱり…。

♬~「佐渡の」

…って こうドンって
決まるところの難しさ。

音域が広くて
こんなに音域が広いんだと思って。

それをその… ファルセットを
上手く利用しながら

地声との うまく交差をする所で
歌ってらっしゃるんですよね。

それと あと
なんていうんですか…

その こぶしというのか
譜面どおりなんですよ。

変に余計なことを
付けてらっしゃらないんですよね。

よ~く聴くと。

♬~

♬~

ひばりの専属バンド

「ひばり&スカイ」の
元メンバーが明かす

ひばりの素顔。

美空ひばりさんは
どんな方でしたか?

ステージの上と

ステージ下りてからの
ギャップっていうんですか…。

本当 いい意味で
すごい人でしたね。

仕事終わるでしょ みんなで…

昔は デスコって言ってたんだね。

それが聞こえたらしくて

私も連れてってよ みたいな感じで
そういう方でした。

みんな近寄りがたいから
それはしなかったですけど。

逃げてばっかりで…。

逃げて… 来た来たとかって…
ハハハハッ…。

そういう方でしたね。

やっぱり 一緒にやれた
っていうことですね。

他にやりたかった人は
いっぱいいたと思うんですけどね。

僕なんかがやれたのも…
今があるからね。

それが一緒にできたから
今があるっていうことですね。

もう1回やりたいですね。 本当に。

(本間さん)
本当に もう1回やりたいですよ。

(黒田さん)大丈夫
向こうで今 待ってるから。

(一同の笑い声)
大丈夫だよ 待ってるから。

(黒田さん)もうじきだから俺たち。
(本間さん)古希バンドだから。

緊張したっていえば 最初に
「ひばり&スカイ」に入ったときに

スタジオで『悲しい酒』で

ギターで
ワンコーラス弾き終わって

次のタタタタン
タラタン タタタタン…

そのあと ボンってGの音
っていうのを出すんですけど

もう それが… もう見ながら

ここで間違えないように
ここで間違えないだろなんつって

要するに普通に弾いてれば
なんてことはないんですけど

最初の1発出すまでに
もう本当に震えが来るっていうか

それは もう本当に怖かったですよ
はっきり言えば。

♬~

そうですね 最近 よくステージで
歌わせていただいてるのが

『お祭りマンボ』という歌で。

やっぱり あの…

結構 これは 本当にお客様が
喜ばれるんですよね。

♬~「おじさんおじさん大変だ
どこかで半鐘が なっている」

♬~「火事は近いよ スリバンだ」

♬~「何をいっても
ワッショイショイ」

♬~「何をきいても
ワッショイショイ」

♬~「ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ」

♬~「ソーレ ソレソレ お祭りだ」

本当に早口言葉の練習みたいで。

最初は もう冷や汗かいて
なんか一瞬 間違ったりとかね。

スルッといっちゃうのでね。

あの… 本当に早口に聞こえる。

「私のとなりのおじさんは
神田の生まれで チャキチャキ江戸っ子

お祭りさわぎが大好きで」 ねえ。

しかも
すごく韻を踏んでるんですよね。

1番 2番 もう本当に なんか…
あの歌詞のすごさ。

本当に もうなんか
圧倒されますよね。

♬~

♬~

♬~

今 僕が すごくはまってる
ひばりさんの歌っていうか

改めてね こういう歌って
ひばりさんだなって思うのはね

『三年目』っていう
歌があるんですよ。

あの…。

♬~「夜の巷で ひょっこり逢えた
お前と俺とは 三年目」

まあ これをね 美空ひばりさんは
男歌なんですけど


もう これをね 男らしくね。

いい意味で くさく。

もう 焼き鳥を
こう… 食べてるようなね。

そういう歌って 男が歌って

くささが出るのは
当然なんですけど

でも それを男以上にね
美空ひばりという人は

男心をこんなにまでも表現する。

実は 男だったんじゃないか
っていうぐらいね。

そうだよね そうですよねって

なんか こっちが
うなずいちゃうぐらいの

説得力を感じるんですよね。

隠れた名曲ですから。 ええ。

♬~

♬~

♬~

『芸道一代』 そうですね。

これは あの… ひばりさんと
お母さんの物語だっていうふうに

聞いたんですけども。

僕は おばあちゃんが
子供のときから歌い手にしたくて

ず~っと育ててきたんですよ。

なんか その姿にね
すごく似てるんですね。

どうしても やっぱり人って
音楽を聴くと

その曲を聴くと自分のどこかに
似てるんじゃないかとか

重ね合わせたくなるんですよね。

そのときに自分と環境が近いと
より好きになるんですけど

まさにそういう感じで一生懸命。

「この子は 絶対歌手にさせる」
と思って育ててきた

そのおばあちゃんの姿と

僕も一生懸命
おばあちゃんの期待に応えよう。

自分も歌手になりたいと思って
もがいてる。

その姿が こう
思い浮かびましたね。

だから好きなんですよ
この一曲は。

♬~

♬~

♬~

♬~「一本の鉛筆が あれば」

このあとは 平和を願う歌

『一本の鉛筆』への熱き思い。

本当に なんか…
胸が詰まりますもんね。

『一本の鉛筆』は 大好きです。

私 本当に あの…

お恥ずかしいんですけど
この歌は 知らなかったんです。

母が… 毎年ファンの方が

私の誕生会を
してくださるんですけれども

そのときに少し
ミニコンサートみたいなのをやるんです。

そのときに歌う歌を
選曲しているときに

「ひばりさんの
こんな歌があるんだけど

歌ってみない?」
って言われまして

聴きまして
もう 本当に涙が出ました。

そのときから
本当に大好きになって

アルバムにも入れさせて
頂いているんですけれども。

「一本の鉛筆が あれば
私はあなたへの 愛を書く」

「一本の鉛筆が あれば
あなたをかえしてと 私は書く」

っていう 本当に なんか…
胸が詰まりますもんね。

あれは 本当に詞が
ズーンと響いてくる歌ですよね。

この歌は やっぱり なんか…

いつ歌っても
本当に色あせない感じがしますね。

♬~

♬~

ひばりとの
とっておきのエピソード。

渋谷公会堂だったんですけど
ある番組で ご一緒させて頂いて

一番前の席に
審査員の方っていうのが聴く

ヘッドホンがあったんです。

リハーサル ひばりさんが
やってらっしゃったんで

潜って ずっと聴いてたら
もう 夢の世界で。

もう リハーサルが
終わってたんですけど

たぶん 夢の世界に
入っちゃってたんでしょうね

終わったこと気づかなくて

「五郎ちゃん 五郎ちゃん」
って聞こえるんです。

誰か呼んでると思ったんですけど
もう 気付かないんですよ。

ひばりさんが
僕 呼んでるんですよね。

「五郎ちゃん」って呼んで。 え?

はっ! と気付いたら
ひばりさんが僕 呼んでて 真上で。

それで「あんた 審査員みたいよ」
って言われて

もう 心臓がバクバクで。

あの… ひばりさんが

もう どこか
忘れてしまったんですけれども

どこかのスタジオで私も

お隣のスタジオで
収録をさせて頂いてて

「美空ひばりさんが
お隣で収録なさってるよ」

ってスタッフの方が
おっしゃったんで

もう ご挨拶なんか
とんでもないので

聞こえるはずないんですけど

扉の所に耳をくっつけて
聞こうとしたんですけど

全然 聞こえなかったんです。

本当に気配だけでも
もう とってもなんか…

中には 本当に素晴らしい

大きな方が
いらっしゃるんだなという

その空気が
漂うような感じでしたね。

やっぱり
『お祭りマンボ』ですかね。

実は 『お祭りマンボ』のあとに

毎回 着替えるシーンが
あるんですけど

そこで
バンド演奏があったんですよ。

そのとき ソロで

全然 怖いもの知らずで
吹いていたところが

すごく緊張して 結構 最初
ボロボロになったことがあって

それで何回かやっているうちに

ひばりさんが「頑張ってね」って
声かけてくれたんです。

それで すごく印象に残ってます。

(スタッフ)支えになった
ひばり歌はなんですか?

♬~

♬~

♬~

♬~「憎や 恋しや」

このあとは
ひばり 病からの復帰作

『みだれ髪』への思い。

『みだれ髪』っていう歌が
僕を歌のとりこにさせてくれた。

小さい頃はね…

『波止場だよ、お父つぁん』
ってあるんですよ。

♬~「古い錨が捨てられて」

…って言うんですけど
お父つあんを歌ってるわけ。

それを歌うと うちのお父さん

あんまり歌が
好きじゃなかったんですけど

ちょっと嬉しそうな顔してたの。

美空ひばりさんだけは やっぱり
別だって言ってましたね。

♬~

クラシックですよね。

♬~「りんごのふるさとは」

ただ1つだけの発声だけでは
歌い手は通じないということを

ひばりさんは
教えてくれましたよね。

だって… もう だってですね
あの歌を歌うときは

本当にクラシック歌手に
なったような気持ちで歌わないと

表現できないですもんね。

そういう意味では
『津軽のふるさと』っていうのは

ひばりさんのボーカリストとしての
底力みたいなものが

ドーンと こう響く歌。

その歌い手が演歌歌手とか
そのニューミュージック歌手とか

そういうの全部ジャンルを抜けて

どのぐらいボーカリストとして
成立するのかってことが

試される歌が 僕は
『津軽のふるさと』だと思います。

♬~

♬~

小学生の頃
ひばり歌と出会った山内。

中でも衝撃的だったのが
『みだれ髪』だと言う。

叔父や叔母がいたときに
ちゃぶ台の上にのっけてもらって

「ちょっと歌ってみたら」
って言って。

最後
ファルセットに返されるでしょ

あれを子供心に
生意気に真似したんです。

♬~「涙をしぼる」

…っていうふうにやったんです。
そうするとワーッ! と受けて

「天才だ」とかって言って。

天才じゃないのに
その真似したってことが

もしかしたら その… この子は
歌手になれるかもしれない

ましてや子どもが裏声なんかを
使うわけですからね。

でも それは
本当にコピーですよね。

そういう意味では
『みだれ髪』っていう歌が

僕を歌のとりこにさせてくれた。

この歌があったから
僕は 歌手になった。

歌手になりたいと思ったわけで。

これは
一生の道しるべになるだろうなと。

そのぐらいの歌です
『みだれ髪』って。

まあ 永遠の課題曲だと。

この『みだれ髪』は
三山ひろしも歌い継いでいる。

『みだれ髪』。 これはね また…
またいいんですよ。 ええ。

やっぱり 歌の詞の世界もですね

すごく引き込まれるものが
あるんですけども

その詞の世界を 上手に声でですね
伝えるという

その力が やっぱり すごいですね。
感じましたね。

♬~「髪のみだれに 手をやれば」

♬~「赤い蹴出しが 風に舞う」

♬~「憎や 恋しや 塩屋の岬」

ひばりさんの歌声だからこそ
あの歌が やっぱり心に響く

届くものになってるんじゃ
ないかと思いましたね。

実際 自分も この『みだれ髪』を
歌うことになって コンサートで。

歌ってみたんですけれども

まあ そんな簡単に
歌えるものじゃないなというのを

肌で感じましたね。

やっぱり それこそ本当に

命を削りながら歌った
1曲ですよね。

♬~

♬~

♬~

(スタッフ)Tシャツが…。
はい。

ここのために。 合成です。

ひばりさんがいたからっていう…。

♬~

♬~「負けてもともと」

ひばり 最大のヒット曲 『柔』。

この曲で苦難を乗り越えたのが…。

たぶん それも 私
星野先生に言われた気がします。

「この詞 読んでみろ」
って おっしゃって。

『柔』は よく歌わせて頂く機会が
多い歌なんですけれども

いつ歌わせて頂いても
本当に私自身も元気が出ます。

「勝つと思うな 思えば負けよ」。

たぶん それも 私
星野先生に言われた気がします。

「この詞 読んでみろ」
って おっしゃって。

あの頃は まだ若かったですし

10代でしたので
デビューさせて頂いたのが。

よく星野先生の所に
泣きに行っていましたので。

なので先生が
「負けてもともと この胸の

奥に生きてる 柔の夢が」。 はい。

いい詞ですよね。

♬~

♬~

♬~「リンゴの花びらが」

♬~「風に散ったよな」

その1人だと思います。

物心ついた頃から
ずっと輝き続けて 神々しくて

実際に お会いしてからも
もう そばに行っただけで

意識が飛ぶくらい
すごい人って…。

大概の人に 僕は会ってるし

海外でも
いろんな人に会ってるし

ちょっとやそっとじゃない人にも
お会いしてるはずなのに

殊 ひばりさんだけは ちょっと…
うん。

♬~「何をいっても
ピーヒャラヒャ」

♬~「何をきいても テンツクツ」

♬~「ピーヒャラピーヒャラ
テンツクテンツク」

♬~「ソーレ ソレソレ お祭りだ」

特別な人で やっぱり神様が
本当に敗戦の日本人の心が

本当に荒みきっているときに
生まれて デビューして

それで昭和と共に
旅立たれたじゃないですか。

♬~「一度決めたら
二度とは変えぬ」

特に美空ひばりさんの歌は

子供の頃から
ずっと聴いてましたから

やっぱり大人になって
改めて聴いても

ああ この人に支えられて

今があるんだなというのは
感じます。

歌によって自分も勇気づけられて
そして 現在があるので

僕も そういう歌を歌えるような
人間にならなきゃいけない

誰かの支えにならなきゃいけない。

お客様が もしかしたら
あの 暗くなってれば…。

♬~「りんごのふるさとは」

♬~「雪国の果て」

人間の喜怒哀楽を
あれだけ歌で表現できる人は

美空ひばりさんの他には
いないと思う。

怒ったり 笑ったり 優しかったり
切なかったりっていうのが…。

だから それで歌われるもんだから
もう こっちは

大満足しちゃうわけですよね。

隅から隅まで
行き届いた歌なわけですもんね。

ちゃんと演じながらも
そういうの歌ってるわけです。

怒られるかもしれませんけど…。

♬~「知らず知らず 歩いて来た」

♬~「細く長い この道」

よくテレビ番組で ひばりさんの歌
歌わせて頂くとき

後ろに ひばりさんの
こういう感じでお顔が出ていると

本当にひばりさんに
包まれている感じがするのと

あと やっぱり ひばりさんが
いらっしゃる感じがして

本当に緊張するんですけれども
でも実際に…

私なんかが あれですけれども…。

♬~

デビュー以来
今なお 多くの人を支え 励ます

美空ひばりの歌の力。

季節は巡ろうとも
その輝きは色あせることはない。

♬~「愛 燦々と この身に降って」

♬~「心秘そかな嬉し涙を
流したりして」

♬~「人はかわいい
かわいいものですね」

♬~「ああ 過去達は
優しく睫毛に憩う」

♬~「人生って
不思議なものですね」

♬~「ああ 未来達は
人待ち顔して微笑む」

♬~「人生って 嬉しいものですね」

♬~


関連記事