先人たちの底力 知恵泉「大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術」 髙田明、井森美幸、真辺将之


『先人たちの底力 知恵泉「大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術」』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/12(火) 
先人たちの底力 知恵泉「大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術」[解][字]
好かれる方法教えます!早稲田大学の創設者、総理大臣・大隈重信は、50代から弱点を改造して、急に世間の人気者に。注目のスピーチ術や好奇心の楽しみ方の秘密に迫る。
詳細情報
番組内容
人生、好かれる方法教えます!早稲田大学の創設者、総理大臣・大隈重信は、40代まで自分の才能と信念で突っ走ったら、気づけば周囲がついてこず孤立。そこで50代から弱点を改造したら、急に世間の人気者に!ずっと口べただったのに、みんなが聞きたいスピーチの達人になれた秘けつとは?日米野球に南極探検、頑張る若者を応援し「元気なおじいさん」と親しまれた、好奇心の持ち方とは?年齢制限のない自分改造のヒントに迫る。
出演者
【ゲスト】髙田明,井森美幸,早稲田大学文学学術院教授…真辺将之,【司会】二宮直輝
Capture20180613-071430.jpg 


『先人たちの底力 知恵泉「大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

先人たちの底力 知恵泉「大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術」
  1. 大隈
  2. 演説
  3. 大隈重信
  4. 人気
  5. 日本
  6. 高田
  7. 国民
  8. 自分
  9. 重信
  10. 時代



『先人たちの底力 知恵泉「大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


どんどん進む 高齢化社会!

せっかくなら…

今夜は テレビ通販でおなじみの
高田 明さんと

タレントの井森美幸さんが ご来店。

あ そうだ! 今 このお店でイチオシの
メニューがあるんですよ。

(2人)え?
オススメ。 こちら。

おいしそうでしょ?

う~ん…。

ねえ ちょっと…。
え? おいしさ伝わらない?

高田さん この西郷丼
おいしいんですよ。

ね 豚 使って。 おいしい。

今のだったら 伝わったんじゃ
ないですか。         全然。

もう 今 にわか仕立てで
できるもんじゃないんですよ。

30年! えっ? 今 おいくつで
いらっしゃいましたっけ?

私ですか。 えっとね…

えっ!?
69?

お若いですよね。
お若いですねえ。 見えません。

ちょっと私も もうすぐですね
50に王手がかかるぐらいの感じで。

いくつとは言いませんけど。

愛されたい?
みんなに愛されたい?

それなら ぴったりのお酒が
あるんですよ。

こちら はい。 大隈重信。

明治から大正にかけて 国民的な
人気を得た政治家なんですが…

え~!?

その知恵 見ていきませんか?
どうぞ。                  はい。

明治・大正に活躍した
政治家であり 教育者…

日本の近代化に向けた改革を
次々に成功させたうえ

2度の総理大臣も
務めた大物です。


その最大の魅力は…

その人気ぶりは すさまじく
大隈自身の葬儀では

30万もの人が
会場を埋め尽くすほどでした。

そんな大隈 実は
40代までは

独り善がりな
嫌われ者。

ところが 50代以降
ある知恵を発揮し

年を取れば取るほど
人気者へと変身していきます。

その驚くべき知恵は
彼の話術に隠されていました。

今に残る…

聞く人の心を がっちりつかむ
スピーチ・テクニックの秘密とは?

高まり続ける 大隈人気。

それが絶頂に達するのは
なんと70代!

キーワードは
「人生125歳説」?

近年 新たに見つかった史料から
見えてくる

70代を 青年のように
輝き続けた大隈の

若さと人気の秘けつとは?

人に嫌われた前半生から
元気で愛される 後半生へ。

大隈重信
激動と笑顔の人間ドラマです。

そんな大隈重信の生き方を
読み解くのは…

260時間 この本体の中に
どんどん どんどん…。

辞書はね積んでみたら どれぐらい
多いかというのが分かりますから。

あ~!

すいません…。

実は 高田さんが
テレビ通販を始めたのは 45歳。

個性的な セールス・トークで
視聴者の心をつかみ

小さな自分の会社を 通販業界
トップクラスにまで育て上げました。

今年の春 地元長崎の
サッカーチームの社長に就任。

初めての世界に挑む 69歳
ますます元気です!

人は いくつになっても
自分を変えられる!

大隈重信と高田 明さん

時代を超えた
人気者の魅力に迫ります。

♬~

さあ という事で 大隈は とにかく
多くの人から愛された人で

しかも 年を重ねるごとに
その人気が

どんどん どんどんと増していった
という人物なんですけれども

そういったイメージは
おありでしたか?


いや 全然
私 なかったんですけど。

そのあたりは 学校で習うけども

大隈さんが どんな人物だったかは
分かんないですね。

しかも 50歳からですよね。
…から 人気者に。

なかなか こう 50歳から
人気者になるというのも少ない。

何か あんまり こう
年を重ねると

そういった事が
なさそうじゃないですか。

という事で 本日のコース
ご紹介します。 こちらです。

愛されたいですからね。
あ~! ねえ。

という事で オススメメニュー
こちらの3つです。

まずは 中高年の前半 50代。

大隈も 52歳の時に
大きな壁に ぶつかったんですが

その事が 人気者へと変わっていく
大きな きっかけになったんです。

そこには どんな知恵があったのか
見ていきましょう。

興味ありますね。

江戸時代の終盤 天保9年。

父は 藩の大砲を扱う
軍事技術の専門家。

重信は そんな父の素質を
受け継いだ 勉強熱心な子でした。

生家に残る
重信 子供時代の勉強部屋です。

重信は なぜか梁が壁から突き出た
正面に 机を置いていました。

目の前で 邪魔になりそう。

重信の目的 分かりますか?

時間を忘れて
夜中まで勉強する 重信。

気が緩んで 眠気に襲われると…。

おでこが 梁に激突!

無理やりな
目覚まし装置というわけです。

重信は 藩の学校でも
成績は常にトップ。

それは 有明海独特のハゼの事。

落ち着きがなく
激しく 暴れ回っています。

実は 若き大隈重信は
抑えのきかない 暴れん坊でした。

アメリカの艦隊が 武力を盾に
日本に開国を要求します。

重信は…。

…と大暴れをして
藩校を退学。

親戚一同が心配して 藩校に戻れと
説得しても 完全に無視。

頭は切れるが 暴れん坊。

「これ!」と思い込んだら
聞く耳持たず。


それが 若い頃の大隈重信でした。

やがて 時代は明治へ。

西洋の近代的な知識に詳しい
大隈は 東京で…

大隈は 日本の近代化を
急ぐべきだと主張。

ところが 当時 新政府は財政難。

鉄道計画は お金がかかると
反対され

線路を通す土地さえ
手に入りません。

土地がなくては さすがの大隈も
手も足も出ないと思ったところ…。

なんと 大隈は
海の中に堤防を建設。

その上に 線路を通すという
大胆な方法で

明治5年 新橋・横浜間の鉄道を
開通させてしまったのです。

時代の追い風を受け 大隈は…

また暦を 現在も使われている
太陽暦に変更するなど

次々に 近代的な改革を
成功させていきました。

ところが 活躍の一方で

大隈の友人 実業家の…

こうした 大隈の 人を見下した
独り善がりな性格は

次第に 多くの敵を
つくるようになります。

大隈の場合は もう説明しないで

「こんなバカに 説明してる
場合じゃない」という感じで

どんどん進めていっちゃうので
そういう意味では やっぱり

ちょっと 嫌な感じの
人だったかもしれないですよね。

やがて 時代が変わり…

(カラスの鳴き声)

馬車で移動中の大隈に 突然…。

(爆発音)

爆弾による襲撃。

更に 翌年。

大隈が夢みた
日本の近代化を象徴する

初めての帝国議会議員の選挙が
実現します。

ところが 結果は…

大隈重信 惨敗です。

人生最大の挫折を味わった
大隈重信。

なんと 53歳にして変わります!

自分の考えを人に伝えず
一人で物事を決めてきた 大隈。

この年代を境に…

それまで 一つもなかった
大隈の談話や演説は

このころから だんだん増え

最後には 2, 200もの膨大な数を
残す事になります。

また 帝国議会でも
多くの大臣が 演説を終えると

すぐ 席に戻るのに対して…

相手が聞きたい話
求める話を確かめ

きちんと対応しようと努める
大隈の姿は

まるで 別人でした。

50代での 突然の大隈の変貌は
国民の信頼にも つながりました。

そして ついに…

はい。 という事で 50歳をこえて
自分を変えた大隈の知恵

いかがでしたか?
お手紙。

お手紙ありましたけど…

そうですね。

本人が見たら 「え? 俺って
こんなの?」みたいなふうに…。

ショックを受けるかもしれませんけど。
そんな手紙でしたよね。

忠告しなきゃいけないぐらい
だったのかもしれませんしね。

あ いらっしゃいませ!
これはこれは…。

こんばんは。

ようこそ いらっしゃいました。
どうぞ。       こんばんは。

真辺さん…

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

いや~
今 話をしていたんですが…

そうですね。 多分…

ちょっと聞いて…

…という形で
進んでいった人物だった。

ああ なりがちな時も…。
なります。

高田さんも ありますか?
はい。

だから もう時間 「もう そんなの
聞いてらんない」という事は

僕も 随分ね
若い時はありましたしね。

それはもう やりたい事が
たくさんありすぎてなんですか?

そうそう そうそう。

だから もう「時間はないよ。
次いこう 次いこう」っていう。


これが正しいと思って 突き進んで
やってたわけですけど…

ちょっと これまでのやり方じゃ

どうしようもなくなった
という部分も。      そうですね。

そういう考えだと思います。

会社が やっぱり成長する過程で

例えば 僕
カメラ店も やったんですけど…

もう 4~5人から始めて…

現代でも 会議で意見を言ったり
結婚式のスピーチとか

人から好かれる話し方したいと
思ってる人も多いと思うんですよ。

ですので 大隈の そのスピーチ・テクニック
見ていきたいと思います。

ああ 知りたい。

この映像は
大隈の貴重な演説姿です。

大隈の演説を
当時のジャーナリストや政治家たちは

「大隈以上のものはない」と
口をそろえて たたえました。

大隈の肉声が聞ける 貴重な史料が
残されています。

晩年の大隈が 選挙に際して
自らの演説を吹き込んだレコードです。

スピーチの名手と呼ばれた
大隈ですが…

かつての大隈の演説を見聞きした
人たちの印象は こんな感じ。

「声は通らず 語調も低く
聞く者に感動を与えない」。

「態度 はなはだ揚らず」。

では 大隈は 50代になってから

どうやって 苦手な演説を
上達させたのでしょうか?

そのテクニックの秘密を探るため

大隈が創立した早稲田大学を
訪ねました。

115年前に発足した
歴史ある 早稲田大学雄弁会です。

こんにちは。

さまざまな社会問題に対して
演説活動を行っている 雄弁会。

実は…

入り口のところの この写真とか…

(天野)そうですね。

大事だという事で
ずっと受け継がれてます。

早速 大隈の肉声を
分析してもらうと

私たちが 日頃 スピーチをする時にも
役立つテクニックが

浮かび上がりました。

「これ 言わなきゃ
あれ 言わなきゃ」。

それが できるようになるには…

知らないっていう
沈黙っていう。

次に訪れたのは
大勢の政治家を輩出している…

早稲田大学雄弁会OBの
河内山さんは

大隈の演説のうまさの ポイントは

話す目的を
明確に持っている事だといいます。

それは まねしなきゃいけない
というふうに思います。

更に大隈は
演説の数も こなしました。

演説下手だった大隈を
50歳を過ぎてから

演説の名手へと変えた
4つの極意。

あなたも是非
試してみては いかがですか?

いやもう みんな すばらしいです。
これ僕ね ちょっといいですか。

これは 「はじめ ゆっくり
あと速く」というのは

恐らく 僕は これは…

自分の言い分だけだったら
「いいでしょう いいでしょう

安いでしょう
フリーダイヤル」とか言って

間がなく 言った時には
全然 売れないです。

だから 「2万9, 800円ですよ。
…安いでしょう」って。

おお~!

それだけで 3倍?
それだけで変わります。

確かに その「間」で今
引き込まれましたもん 一瞬。

そしたら 「おっ 私に言ってる。
いい商品って言われてるな」と

こう思うじゃないですか。
確かに テレビ見ながら

問いかけられてるような気は
するんですよね。

それは
何でかというと…

例えば 大阪に行って 京都に
行ってって 演説をした時に

「大阪は 商業の町だから」
というところから始めたりとか

「京都は 伝統的な文化がある町
だから」というところから始めて

これから どうしていくか
というのに つなげてくって形で。


そこは もうね ショッピングも
全く同じなんですよ。

30年近く しゃべり続けましたけど
天気が変わっても 違うし

商品によって 女性向きなのか
男性向きか シニアか 若い人か。

やっぱり必要だと思いますね。

そこの中に 「我見」と「離見」って
あるんですよ。

「我見」というのは 我を見る
「離見」は 離れて見る。

それを感じながら ショッピングで
しゃべっていくんですよね。

大隈は
人気者になったっていっても…

だから 彼の演説 今読むと…

それも必要ですもんね。
ええ。

政治が腐敗してるのは
国民が ちゃんと

監視しないからだ みたいな事が
結構 たくさん出てきて

だから 必ずしも迎合したりとか
ご機嫌取りをしてるわけではない。

いい事だけじゃないんですよね。
ええ。

それのバランスを
すごく分かってらっしゃって

結果的には 芯の大事な部分は

スッと伝わる話し方を
なさってるって事でしょうね。

少し やっぱ高かったんですね。
そうですね。

あれは自然にね…

ボソボソじゃ 伝わらないですから。

じゃ 高い音を出そうというふうに
思ってるわけじゃなくて…。

あれはね よく質問って 僕 取材で
100回ぐらい受けましたけどね

あんなね つくって 声が
高くなるもんじゃないんですよ。

熱が そこに…
声が高くなったりするんですね。

そう 情熱とか 伝えたいとか
分かってほしいと思う気持ちが。

大隈の人気 これだけじゃなくて
まだまだ人気になって

70代でも どんどん
人気になっていくんですよ。

まあ 70代といいますと
仕事を リタイアされて

悠々自適に ゆっくり暮らして
という方も多いと思いますが…

最晩年の 人から愛される
究極の知恵 ご覧下さい。

70歳になっても なお
政党の党首として

政治活動に打ち込んでいた 大隈に
思いがけない悲運が訪れます。

日本が 日露戦争で
ロシアに勝利してから 2年。

大隈は これに対して

国民に 過度の負担を
かけるべきではないと反発。

その結果
政府に近づこうとしていた

政党内で孤立し…

しかし 大隈は
党首辞任の最後の演説で

老いてからの逆境を
ものともしない宣言をします。

大隈 70歳。

ここから始めた 自由な活動こそ

大隈を 国民から絶大に愛される
存在へと押し上げていくのです。

このころから大隈は
世間が驚くような自説を

盛んに唱え始めます。

それが 「人生125歳説」です。

海外の医学研究を
独自に解釈した大隈は

人間は 健康でさえあれば
125歳まで生きられるはずだと

言いだしたのです。

「この先 何でもできる」。

そう宣言した大隈は さまざまな
活動に打ち込み始めます。

まずは 野球!

大隈は 当時
日本で はやり始めていた

野球の発展に貢献します。

更に その後…

記念すべきピッチャーは…

御年71歳の大隈重信。

大きく 振りかぶって…
投げました!

…と思ったら
ボールは 足元を コロコロ。

バッターは 大隈先生に 恥を
かかせるわけにはいかないと

すかさず フルスイング!

(審判)ストライーク!

一説には
これが 日本の始球式で

わざと バッターが空振りをする
慣習の始まりだとか。

次の活躍は なんと
南極大陸への挑戦。

その勇気に感銘を受けた
73歳の大隈は

後援会の会長を務め
寄付金集めに奔走しました。

資金援助の かいあって

国民の 熱狂的な声援の中を
出発した白瀬は

1912年2月 南極に到達。

その場所は今も「Okuma Bay」として
国際的な名称となっています。

70代になってからの
自由で精力的な活動に伴い

大隈の 「人生125歳説」は
日本中に広まっていきました。

帽子を掲げて
観衆に挨拶している大隈。

それを見た人が
その印象を書き記しています。


こうした 国民的な人気を背景に
大隈は…

圧倒的な勝利を収めるほどでした。

この時 大隈は77歳。

自らを青年と称した その生き方を
まさに国民に示したのです。

それから8年後の 1922年。

大隈の死を悼んで
日本中から集まった 参列者たち。

広大な日比谷公園を埋め尽くした
参列者は

30万人に達したといいます。

50代から 国民の人気を集めた
大隈重信 最後の花道でした。

はい。 という事で 人生125歳説
どのようにご覧になりましたか?

いや~ ちょっと びっくりですね。

あと 70代から
新しい事をね 始めるって

あのエネルギーも
すごいなと思いました。

125歳って もう感動ですね。

生きるようになっている?
はい なってると。

これも何年も 講演でも社内でも
全部言い続けてる事なんですけど。

昨年 117
男のギネスだったんですよね。

ああ 世界記録が?
うん。

あと 四十何年あると思ったら
人生 ワクワク。

もう いっぱい
これから人生って思ったら

もう楽しい事ばっかりなんですよ。
へ~!

まだ やりたい事が
たくさんあるっていう事ですよね。

海外 ちょっと
ホームステイをしてみたいなとか。

平均寿命って考えたら 僕
あと10年ちょっとなんですよ。

そんな事 考えたって
面白くない。              あ~。

だから もう四十何年
あと あるって思ったら

あれもこれも あれもやりたい
これもやりたいって

いっぱいあるから。

50年近くあると
確かに いろいろできますね。

プラス思考っていうのは
いいですよね。

そう。 プラス思考じゃないと。

その125歳説が 当時の時代の
空気にも合ったんですかね。

日本が どんどん発展していく
だろうと思われてた時代。

そういう中で
大隈が言いたかったのは

そうすると どうしても
自分が もう これで満足だと

五大国になったから これで日本は
すごいんだって言いたがる人が

出てくるわけですね。

そういう中で いやいや もっと
上を目指さなきゃ 駄目だと。

「ああ そうか」と聞いた人も
思って やっていこう

というふうになっていく
という事だったと思うんです。

高田さんも どうですか
40代の頃から見ると

会社が ここまで成長して

ご自身も ここまで ご活躍
というのは 想像できましたか?

全く想像もしてないし 想像も
してましたというのが答えで

そういうものを目指してる
わけじゃないんで 自分が。

そこは目指してないんですよ。

ただ 今 一生懸命やってる事で
次をよくしたいって

ただ 周りもよくしたいと思ってて
やってただけですから。

結果 振り返ったら できてた
という事なんですか。

それだけなんです。
できてる部分があったと。

でも まだまだ足らないから

ちょっと
あと49年 修業しようかなと。

いや~ でも とにかく今を全力で
生きてるって感じなんですね。

変わっていく事に つながるという
結果という事ですから。

井森さん まだまだ。 どうですか?

何か 今日 こうやって
大隈重信の話を伺ったりね

高田さんの話を伺ったりすると
まだまだ私なんて若いなと思って。

考えられますね。
本当に。 前向きになるし。

そろそろ
閉店のお時間になりましたので

ここで デザートでもね
召し上がって頂きたいと思います。

こちら はい メロンどうぞ。
あっ メロン!

え~ すごい!

しかも それを天皇にですね
献上したんですね。

言っていたという事なんですね。
そうなんですか。

どうぞ どうぞ
召し上がって下さい。

今でも やっぱり何か
高級品な感じしますもんね。

メロンっていうと うれしいし。
なかなか食べられないですよ。

ね 明るい未来を
描いていきましょうよ。

そうですね。
ねえ。

う~ん!
どうぞ どうぞ どうぞ。


関連記事