徹子の部屋 永瀧達治&フランソワーズ・モレシャン夫妻 ~国際結婚・年の差婚・格差婚…時代を先駆けたおしどり夫婦~


『徹子の部屋 永瀧達治&フランソワーズ・モレシャン夫妻』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/13(水)
徹子の部屋 永瀧達治&フランソワーズ・モレシャン夫妻[解][字]
~国際結婚・年の差婚・格差婚…時代を先駆けたおしどり夫婦~永瀧達治さん&フランソワーズ・モレシャンさん夫妻が今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
永瀧達治さん&フランソワーズ・モレシャンさん夫妻がゲスト。
◇番組内容
結婚当時は国際結婚というだけでも珍しかったが「夫が妻より13歳も年下」ということで、世間で騒がれた2人。さらに世界的有名ブランドの美容部長だったモレシャンさんに対し、永瀧さんはテレビ番組のAD。いわゆる格差婚だった…。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
Capture20180613-183926.jpg 


『徹子の部屋 永瀧達治&フランソワーズ・モレシャン夫妻』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

徹子の部屋 永瀧達治&フランソワーズ・モレシャン夫妻
  1. 達治
  2. フランス語
  3. 本当
  4. フランス
  5. 日本
  6. 自分
  7. モレシャン
  8. 金沢
  9. フランソワーズ
  10. 思って



『徹子の部屋 永瀧達治&フランソワーズ・モレシャン夫妻』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


(黒柳)はい。 本日のゲストは

ご夫婦でございます。

このお二人が国際結婚とか

年下夫の先駆けとして
話題になったのは

43年も前の事でございます。

今なお大の仲良しという

フランソワーズ・モレシャンさんと
ご主人の永瀧達治さんです。

どうぞ お入りください。
(拍手)

現在 金沢にお住まいで

お二人 今日は 新幹線で
おいでくださいました。

いまだに仲がいいという
お二人です。

フランソワーズ・モレシャンさんと
永瀧達治さんです。

どうぞ お座りくださいませ。
どうも。

あら まあ 永瀧さん
すてきなベストをお召しで。

ありがとうございます。
ねえ きれいな… ねっ。

ちょっと説明してください。

2年前ほどの
彼女からのプレゼントで…。

誕生日プレゼントで。 パリで。

ちょっと つかぬ事を…。
フランス製?

フランス製でね パリでも

お店はね 1カ所しかないです。

そういうものを作って
売ってるのは。

そうですかね。
昔風で ちょっと いいですよね。

割と好きだったものですから
それ知ってて。

この頃 こういうの
見つからなかったから

「見つけた 見つけた」と言って。
よかったですよね。 そういうね。

さて お二人とは
随分 長い事 お知り合いで

モレシャンさんとは 60年ぐらいの
長いお付き合いでございまして。

フランス語講座の番組で

外国人講師を
していらっしゃいまして

私とNHKの一番古い建物…。
この頃 そうですか?

ああ そうです。
本当にね お奇麗でね。

私が見てたとこによると

NHKの昔の古いね
スタジオの所で

モレシャンさんが私の後ろで

「先生! 渡邊先生!
先生!」ってね

しょっちゅう大きい声で
呼んでいらっしゃったのよ。


それがおかしくてね。
そうでしょうね きっと。

わあ~ すっごいな。
フランス人の女の人って

ああいう強い性格なんだってね
思って すごく驚いたんですけど。

その時 あれなんでしょう?
あれから1回 お辞めになって…。

日本からね 1回
お帰りになったね 向こうにね。

そうですね。 10年間…。 だから
本当は 日本で住んだのは

今まで50年間ですね。

60のマイナス10。

10年間。
そう 10年間。

で いったん帰国なさいまして

そこで結婚してらしたんですよ
前の旦那様と。

それで 別れて それで…。
なんか おっしゃいましたよね?

前のフランス人の旦那さんと
別れて。

で また日本にいらっしゃって。

それで 今度
達治さんと結婚なすった。

その時 さっき言ったように

非常に… 国際結婚という事も
あったんですけど

ご主人が 年がお若いという事で。
ええ。

今 なんでもない事だけど
当時 やっぱり みんなは

色んな事 言ったんですか?
僕が25~26ぐらいでしたね。

それで フランソワーズが
一回りぐらい上でしたから。

38?
国は違う 年は違う。

大騒ぎでしたけどね。
子供がいる。

しかも こっちは再婚でしたから。
そうそう 子供がいる。

お嬢様 お元気なの?

元気みたいです。 ありがとう。
今 フランスですね。

そうか そうか。

それで お二人とも
執筆業を中心に…。

特に ご主人の方は
シャンソンの翻訳とか

そういう事を?
ええ 評論とか 翻訳とか

プロデュースとか 音楽出版業とか
色んな事を…。

まあ とにかくフランスの
シャンソン関係の周りを

色んな事して
自分でレーベル持ったり

色んな事やってましたけどね。
ごめんなさい。

私は フランス人として…。
外国人としてでも


言えてると思いますけれども

あの時代…
ちょっと待ってくださいよ。

(フランス語)

という事は 達治 なんて言うの?
1958年。

そうそう。 という事は あのね

日本までやってくるという
フランス人はね 私だけでした。

あの時ね。
それから フランスでですね

ちょっとバカにされて。

「あなたは
どうして日本へ行くの?」

「どうして そういう遠い国?」
「どうして?」とか大変でしたよ。

それで また
達治と出会いがあって

再婚した時ですね。

「どうして 日本人と?」
「どうして?」…。

だから 私の人生はね
いつも「どうして?」なの。

あっ そうなの。
国際結婚でって言われて

それで 年も離れてるし。
そう。 それから…。

当時は その頃は また格差婚でも
ありましたからね。

そうですよ 有名で。
こっちは有名。

こっちは シャネルの美容部長で
来てますでしょ。

あの時
シャネルの美容部長だったの?

2度目にいらした時は。
そうですか。 その時は なんか…。

僕は 他局ですけれども
TBSでADやってた…。

朝の番組 『モーニングジャンボ』
という朝番組で。

そこで お会いしました。
そこで出会ったんですよ。

なんか その時に
モレシャンさんの番組を

お作りになりたいと
お思いになった?

割と あの当時の…。

毎日毎日の
『モーニングジャンボ』ですから…。

そうそうそう どんどん。
アシスタントディレクターでも

割と「永瀧ちゃん
今度 これ やっといて」とか

「企画 考えといて」とか
色んな事を頼まれるんですよ。

で 自分で自由に
20分ほどコーナーもらえたので

割と あの当時のテレビは
やりたい放題でしたね。

そうですよね。
それでモレシャンさんの事を…。

ゲストに招いて…。
番組 作りたいと思って…。

やっぱり モレシャンさん
魅力的でしたか?

えっとね…。
ハハハハッ。


…でなければ困りますね。
本心は うちの父親の方が

よく知ってたぐらいで。
フランスの事を

とにかくフランス人から…。

トピックスじゃないと
いけないから

フランスの事をやって
自分の好きな音楽を

バックにかけようと。
たまたま新聞 見てたら

モレシャンが10年ぶりに
帰ってきたっていうので

これはいいやと思って電話して。

本当は達治は 私の事
あまり知らなかったでしょ。

私は
日本から出てしまいました時

あなたは 12歳ぐらいだったのね?
そうそうそう。

お父様の方が私の事を
よく知ってたんですね。

京都のお寺の
坊ちゃんなんですって?

お寺じゃないんですけれども
父親 まあ…。

うちの家は ずっと
お寺だったんですよね。

そうなんですか。 ええ~。

でも フランスにも
留学なすった事あるんですって?

ええ。 僕は二十歳で
飛び出したような… フランスへ。

それで 当時は 留学というよりも

なんか 遊学ですかね。

ヒッピーのごとく
片道切符で飛び出して。

もちろん
大学も行きましたけれども。

そうですか。 じゃあ フランス語は
ちょっと おできになったの?

もう その頃は 日常生活には
困らないぐらいは…。

大学で勉強するぐらいは
できましたから。

お会いしましたでしょ?
そのTBSの番組の

準備のために
何回もお会いしまして。

あの時ですね 達治はね

一度もフランス語できると
教えてくれなかった。

いつも日本語?
日本語だけ。

それで なんですか。
1カ月間経ってから

実は 僕は…。
「フランスにいたので

フランス語できます」と…。
あら まあと思ったんですね。

あのね フランス語って やっぱり
嫌われるんですよ できると。

若いのに。 当時は特に。
そうかもしれない。 生意気。

生意気でキザで…。
そうそう。

フランス語の
できるヤツなんていうのは

テレビ局で いじめに遭いそうで。

ですから 割と仕事場では
自分はフランスに…

パリにいたとかっていう事は
あんまり言わないで…。

そうでらしたの。
でも モレシャンさんは

永瀧さん ご覧になった時に
ひと目ぼれだったんですって?

結構ね あのね そうですね…。

相当おかしいわね
「結構ね」って…。

「結構ね」って… ホホホホッ。
変な日本語でしょ?

相変わらず。 ごめんなさいね。

結構 そうですね。
ミーティングで

例の番組のために
すごく達治は 一生懸命

いい20分 作ってくれたのね。
あなたのために。

そのために
結構 打ち合わせ 必要でした。

最初の打ち合わせ。
ある日曜日の夜の7時。

ホテルのロビーとか。

それで達治は…。
歩いてきました。

ええ~。 私は見てて。 う~ん。

この男は おいしいですねって
思ったんです。

私は 38歳ですから 大人でしょ?
30?

38歳でした。
38歳。 うん 大人だから。

足が長くて かっこよくて。

あのね ちょっと いけない事です。

かっこいい人 好きですね。
いいじゃありません。

それは当然ですよ。
やっぱり かっこいいね…。

これですよ。
こんな背 高いんですもんね。

そうそう そうそう。
まあ 痩せてたわね 達治。

当時の髪形ですね。
本当。 本当ね。

でもね あのね 達治

私がね 達治を見たでしょ?

それで あら? やっぱり 私よりも
ずっと若いみたい。

ですから 自分にですね 「お前はね
いくらか興味があっても

駄目 駄目 駄目。 年」と
思ったんですよ。

やっぱり そんな事
フランスの方でも思うの?

もちろん あの時でも
フランスで やっぱり

あんまり そういう年上の女性と

結婚とか お付き合いは
そんなになかった。


今 大統領に負けてますから。
ああ~ 今の大統領…。

今の大統領 マクロンさんは…。
24年下。

ちょっと これ
知らなかったんだけど

美輪明宏さんが あなた方の
結婚を進めるのに当たって

色々 尽力してくださったって?
そうそう そうそう。

尽力というかですね
相談したんですよ。

ちょうど僕らが その仲になって
週刊誌が…。

当時でも週刊誌があって
嗅ぎつけたところがあって。

で 僕の行ってる飲み屋に
取材に来たって言われたから

ついにバレたかと思って。
それで たまたま その日に

美輪さんが家へ遊びに来て。

で 僕もシャンソン関係の
仕事してますから

美輪さんとか こう話してて
たまたま3人だったので

「いや 実は こんなふうに
なってるんですよ」と。

そしたら 美輪さんが
「書かれるよりも先に

発表しちゃいなさい」と
胸張って。

「いいじゃない もう。
国が違っても

年が違っても関係ないわよ」
って言われて

それに勇気づけられて
僕は すぐに…。

ああ それ よかったですよね。

よかったわね。
本当に美輪さんはね 大好き。

大尊敬してますし
達治も もちろん。

そうですよね。
その頃 お二人にとって

思い出の曲があるそうで。

『黒いワシ』っていうの?
『黒いワシ』というですね…。

♬~『黒いワシ』

バルバラというシャンソン歌手が
歌ってるんですが。

そのバルバラが なんとなく
彼女に似てるんですよ。

ちょっと貴婦人というか

マダムの美しさで 黒い髪で。

それで この曲を
僕がTBSで彼女を最初に…

出演してもらった時の
バックにもかけたんですよ。

これを?
ええ。 だから

なんか 僕の頭の中には
バルバラの思いがあって。

すごくファンでしたから。
なるほど。

それがフランソワーズに
重なってしまったのかなという。

フフフフッ。

どうせ 達治は…。

「どうせ」って
いけない言葉ですかね。

でも いい意味で…
いい意味でフランス語できるし。

私は まあまあ日本語…
変な日本語ですけど…。

でも お上手よ。
できるし。

達治は フランスの文化 歴史
よく知ってますね。

私は まあまあ 日本の文化と歴史
すごく興味があるし。

この頃 わびさびについて
勉強してますけれども。

ですから 大丈夫ですね。
気が合うんですね。

気が合う… はい。
ちょっと ごめんなさい。

ご結婚なすって9カ月目に
『徹子の部屋』に出てくださって。

その時のVTR ちょっと
見せて頂いていいですか?

ああ。

「あら」
「本当に」

「まあ すてきね」

「6時半に起きて
お化粧したりとかね」

「けれども どっかで…」

「まあ 朝 忙しい時でも…」

声が まだ若いね。
声が まだ若い。

「それから
うれしいだけではなくて…」

「湧いてくる?
本当にうれしそうで」

へえ~。
若かったわね。

今は そういうメモは
どうですか? そういうメモは。

えっ?
小さいメモを

しょっちゅう
色んなとこに置いてあるって。

今は もう 電話でね。
私はね 毎週…。

私たちの本家 金沢です。

でも 私は 金沢
大好きですけれども

3日間半とか4日間 東京です。


それで あとの残ってる日は
金沢ですね。

そうすると 金沢いないと

毎朝9時に達治はですね
電話してくれるの。

「まだ生きてるのか」って。
パリに行っても そうです。

そうなの?
そうそう そうそう。

時差があるから大変ね。
そうそうそう。

でもね 朝の9時に
電話してくれるでしょ。

次の9時まで
なんにも来ないから

その間に死にましたら どうする?

だから 次の日の9時まで待って。
生存確認で。

でも でも でも
8時間も経つかもしれません。

夜も9時に電話してほしいな。
そう?

出ないじゃない。 夜 忙しいから。
ハハハハッ。

遊びに…。
パーティーに行ってたり

お食事会…。
そうね。 9時なんていったらね

ちょうど
お食事やパーティーのね

真っ盛りの時ですもんね。
そうですか。

永瀧さんは 「歩くGoogle」とか
言われてるって本当ですか?

歩くGoogle そうですね。
グズグズ?

歩くGoogle。
Google。

ああ~ 歩くGoogle…。
なんかあったら

とにかく「達治!」と
呼ぶんですよ 電話でも。

ちょっと ちょっと ちょっと
「達治!」と言わないわよ。

「達治」と言うの。
そうそうそう。 「達治」と呼ぶの。

優しく言うのね。
確かめないとね。

どっかに誰かと食事したりして

僕が金沢に
籠もったりしてますでしょ。

急に電話がかかってきて 「あれは
なんていうの? あれは」とかね。

人の名前とか なんかが出ない…
言葉が出ない時には…。

歩くGoogle。
だから もう 辞書みたいなもんで。

そうですよね。
これは フランス語で なんて…。

フランス語まで
聞いてくるんですよ。

日本語で言ってフランス語まで。
そうなんですよ。

「フランス語では
なんて言うの?」って。

日本で住んでるでしょ?
ですから フランス語

もちろん 母国語ですけれども

朝から晩までは日本語ですからね。
あなたはね。

360…。
365日?

そうすると たまには
「あっ 達治 あのね

フランス語で…」。
「恥ずかしい」 例えば。

「恥ずかしいって なんと言うの?
フランス語で」。

「ああ honteuxです」
「あっ そうだ」 ハハハハッ。

でも そうですよね。 毎日毎日
日本語で話してらっしゃると

そう簡単にフランス語が

パッと出ない事も
あるかもしれませんよね。

たまには。 たまには たまには。
逆にフランス語で出ても

日本語で なんて言うんだっけ
みたいな…。

本当 そういう意味では もちろん
フランス人と日本人だから

普段もチャンポンばっかりでしょ。
だから ごまかしてしまうんです。

自分で言葉を 日常生活の中でも。
ちゃんと きちっとね。

そうそうそう。
どっちかに決めないで。

それで やっぱり 時々
「えっ?」と思って。

これは フランス語では
こう言うんだけど 日本語で

なんて言うんだっけみたいな。
僕でも 逆のあれがありますよね。

そんなこんなで早50年近く。

そうですよね。 大変 長くね。

でも 生まれも育ちも関係のない
京都のお寺の…。

僕は 関西ですけど。
関西。 そうね。

金沢にお住まいになったのは
どういう?

まず 書斎を
探しに行ったんですよ。

本書いたり 翻訳したり 色々して。

やっぱり
籠もれるような所という事で。

金沢って なんとなく

まだ あの当時は
新幹線もなかったし…。

私も大好きですよ。

すごく ある意味で
隠遁みたいな感じでね

憧れがあったんです。
隠遁が憧れ?

それで すごく景色のいい
マンションを見せられて

「これは
ちょっと大きすぎるけども

いいや」と思って。


これ マンションから
見える景色ですか?

それは いいですね。
浅野川と…。

浅野川。
手前に浅野川があって

古い旧市街が見渡せて

正面が兼六園なんですね。
そうなんですか。

森みたいになって
緑になってる所が。

だから これは この景色は
いいなと思って。

でも 色々 私生活にも
こだわりがあって。

ソファの位置とか 色々 随分…。
これは 家内ですね。

フランソワーズが全部
任してます インテリアは。

畳の部屋
必ず1つあるじゃないですか

マンションの中では。
この畳の部屋

どういうふうに使おうかな。
サロン? サロンというか

リビングルームにしましたね。

なんか
照明に関するこだわりがあって。

ああ そうです。
それ ほら 見てご覧なさい。

本当だ。 奇麗ね。
oui oui oui oui.

あのね 上からトンと…。

電気がくると?

電気がくると なんですか?
影? あまりないです。

でも 影はない生活なんてね…。

やっぱり あの… あの本。
何?

達治 達治 この本。
「この本」って?

(フランス語)

フランス語で。
『陰翳礼讃』ね。

『陰翳礼讃』。 はいはいはい。
私のバイブルの1つですね。

ですから やっぱり
人間の気持ちのために

両方 必要です。 明るければ暗い。

でしょ? もちろん。
そうですよね。

こういう照明のやり方って

今では 普通ですけれども…。

でも この水屋みたいな…。
水屋って言うんですか?

このお台所の これ。

これは 中国の家具ですね これは。

それも あの… 収納です。 ほら。

随分 収納できますよね これね。

CDのために。

ですから 機械の音のために

コンセントがとか
あるじゃないですか。

それは この家具にですね
ちょっとガガガガッ

穴を開けて そこから通って。
だから 全然 見えない。

でも あれ 表から見たら
随分 大きいけど

フタが閉まっちゃってると…。
あんなに いっぱい物が

入ってるもんね。
あれは とってもいいですよね。

あっ ほら ほら。
あれは 水屋ですね。

突き当たりがね。
そうそう そうそう。

奥にあるのは。 ですから
本 私は だらけですから。

きっと 徹子さんも同じでしょうと
思いますけれども。

でも これ いい考えですよね。
そうそう。

そう もう…。
これは 廊下です。

でも この廊下ですね
1メーター30ですかね。

ですから いいチャンスだと思って
ですから 廊下はね 全部…。

棚にして。 書棚。

棚にしました。
なるほどね。

まあ そういうところは
なんて言うんですかね

外国の方は
お使いになるのは上手ですよね。

昔は フランスなんかだったら

テレビが
ちょうど出てきた頃には

テレビも家具の中に
入れてしまってましたからね。

なるほどね。
やっぱり 電化製品とか

そういうものを見せちゃ
合わないと 家具と。

家具が古いですから だから
そういう感覚なんでしょうね。

さっき 水屋の中に

テレビ入ってましたよね?
なんかね。

テレビじゃないですけど あの…

CDカセットの…。
これ これ。

あれ テレビじゃない?
あれは ラジオ…。

まあね CDのね。

そうそうそう。 とスピーカーね。

でも これ 閉めちゃえば
水屋になるっていうね。

でも まあ あれですよね。

金沢って 私も大好きですけど

やっぱり 住むのには
いいですか?

僕は ある意味で 隠遁と称して

もう40年 とにかく 本当に

フランソワーズの仕事も
手伝ってましたし

自分の仕事もあるし 本当 僕ら

土日なんかないような状態で

馬車馬のごとく
仕事してましたから

だから 僕は 自分で
別に表現者でもないし

自分から出ていく…。 ある意味で
裏方の仕事ですからね。

ですから どこかで区切りを
つけたいというのもあったり

また フランソワーズも
年上ですから

フランソワーズの…。
いくつ年上だっけ?

一回りです。
一回り? そうそうそう。

ですから ちょうど
フランソワーズの介護も

そろそろ始まるかわかんないです。
ネコも ちょっと年取ってきて

ネコの介護も
あるかわからないと思って

もう 区切りをつけて。

そういう生活に憧れてたんですよ
とにかく。

達治はね。

そういう 本当に
馬車馬のような生活じゃなくて

ゆっくりと買い物に行ってとか。

ご飯作ったりとかね。
最高の場所というのが

金沢だったんじゃないかなと。
それまで 色んな縁があって

友達もいましたので。
あっ そう。

ちょっとコマーシャル挟んで
なんか2人で

最近 遺言状を
お書きになったそうなんで

その話なども ちょっとね。
日本では あんまり

ハッキリと遺言状の事は
言わないんだけど。

ちょっとコマーシャルです。

そんなに大っぴらに
するもんじゃないんですけど

でも そちらの国では
皆さん ハッキリと

遺言状なんかは ちゃんと書く?
ええ。

あのね
テレビで「死ぬ」という言葉

使えるかどうかわからないけども
やってもですね 死なないもん。

そうそう そうそう。
それで安心して

いつでも亡くなっても
ちゃんと全部

片付けてあるの。 ねえ。
あとで 色々 やっぱり

自分がいなくなる事を
前提としても

あとで もめられるのも嫌だし

自分がもめるのも
嫌じゃないですか。

でも 1つには お墓が…。

達治さんのお寺のお墓が

あなた お好きなんですって?
そうです。 京都の光悦寺に…。

入りたい。
だけど 次男は そこにいけない?

はい。 まあ 普通はね
長男が家を継ぎますから。

うちの兄が継ぐんですけど。
でも それ どうしても

モレシャンさん そこ入りたいから
お家に遺言状で

「そこに入れてくれ」と書いて…。
うちの父親の遺言状があって

それで もう その遺言状
残ってるんですけれども

「お前たち夫婦も永瀧家の墓に
入っていいから」と。

どうせ
そんな大家族じゃないんだから

という遺言状を
残しといてくれたんですよ

うちの父親が。
よかったですよね。

ですから 一応
京都に入れるという事です。

それは よかったですよね。
それは いい事ですね。

私 不思議ですね。

21歳の時
一番最初に日本に来た時

日本の墓地 見てて

木が…。 青山墓地でしたから

もちろん 木とか奇麗でしょ?

そうすると
日本で死にたいと思ったんです。

やっぱり…。
しかも 京都で死ねるし。

そう 京都です。
しかも 有名なお寺で死ねるし

よかったじゃない。
よかったわね。 達治のおかげで。

でも 仲良し夫婦の
秘訣っていうのは

どういうとこにあると
お思いですか? それだけ長く。

43年? 結婚してらして。

いつも いつも仲いいわけじゃ
ないですけれども。

でも
お互い忙しかったんですよね。

全然 一緒にいる時間はなくてね。

一緒になってる時があっても
仕事の話をしたり

仕事の関係の色んな事があったし。
だから 本当

40年以上 馬車馬のごとき生活を
してきたから

僕は 今 ゆっくりネコのお世話と
女房のお世話ができるんです。

なるほど。
でも 社会問題とか政治について

意見が合うんですね。
そうでしょうね。

私たちには とても大事な事です
それは。

60年前にお会いしてからだ。
そう。 お元気ですね。

おかげさまで。
ありがとうございました。

お互い様で…。


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