歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治(おだ・うじはる)がゆく」 「最弱」で歴史ファンに大人気?…


『歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/13(水) 
歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」[解][字]
「最弱」で歴史ファンに大人気?な戦国武将「小田氏治(おだ・うじはる)」。このオダ様、20回近くも合戦に負けたが、しぶとく生き残る。その「奇跡」の秘密とは―?
詳細情報
番組内容
戦国「最弱」として歴史ファンにも大人気!?の小田氏治。常陸国、現在の茨城県にいた武将だが、記録にあるだけでも20回近くも合戦に負けている。相手も北条氏康や上杉謙信、豊臣秀吉といった強敵ばかり。しかし、家臣にも領民にも慕われ続け、自分を敗った相手の誰よりも長生きした。なぜ「最弱」は「勝利」したのか―小田氏治、不死鳥の奇跡の秘密を解き明かす。
出演者
【キャスター】井上あさひ
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『歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」
  1. 氏治
  2. 小田家
  3. 家臣
  4. 謙信
  5. 小田氏治
  6. 小田城
  7. 北条
  8. 関東
  9. 小田
  10. 北条家



『歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


♬~

30年以上 大人気の

歴史シミュレーションゲーム…

すわっ かかれ!

上杉 伊達 武田。

そんな中で
最近 大人気の武将がいます。

それが 「不死鳥」…

もちろん 実在の人物。

常陸国 今の茨城県にいました。

特徴は なんといっても…

負けた回数
なんと20回近く。

でも その度に…

そして 穏やかに
天寿を まっとうできた

不思議な戦国武将なんです。

「信長の野望」
ゼネラルプロデューサーの

シブサワ・コウさんは
人気の理由を…。

不死鳥のごとくね
何回も よみがえって

自分の小田城を取られたり
取り返したりって

繰り返してるっていう

困難な事の
連続なんですけれども

不撓不屈の精神というか

そういう武将も

今どきの若い人たちや
ゲームファンからすると

人気なのかな。

「戦国最弱」小田氏治
その敵は…

いずれも
戦国の最強スターたち。

しかし…。

たとえ 討ち死にしようとも
我が城 取り返す覚悟じゃ!

強敵と戦う氏治を
支えたのは…

何度 敗れても
何度 城を奪われても…。

ひるむな! かかれ!

家臣や領民も
弱~い氏治を助けます。

それがしが
お屋形様の御身代わりとなり

敵の目を 引きつけまする!

戦国一 弱かった。

でも 諦めなかった男
小田氏治の…

ご覧頂きましょう。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。

今夜も
どうぞ おつきあい下さい。

今回の主人公は 小田氏治。

400年余り前
常陸国 茨城県にいた

一番弱い 戦国武将です。

戦国時代の「オダ」といえば
ご存じ 織田信長。

実は 小田氏治とは
ほぼ同年代です。

しかし たどった人生は
全く逆でした。

信長は 「桶狭間の戦い」での
大金星のあと

ここぞというところでは
連戦連勝。

一方の氏治は
初陣が 早速の負け戦。

そのあとも 連戦連敗でした。


けれども 49歳で
非業の最期を遂げた信長に対し

氏治は 71歳。 長生きしました。

これまで 戦国の人物というと
「強さ」が語られがちでした。

けれども今日は 連戦連敗
「最も弱い」人物を通して

これまでとは違った
「戦国時代」を ご紹介します。

関東中の信仰を集めてきた
筑波山の麓に広がる

茨城県つくば市。

今から およそ500年前
戦国時代の中ごろ

氏治は この地を治める
名門 小田家に生まれました。

小太郎よ。
はい。

この地を守るのが
そなたの務めじゃ。

小田の当主としての誇りを
決して 忘れてはならぬぞ。

はい!

このころ 時の室町幕府は

国ごとに「守護」を置き

支配を委ねていました。

守護になれるのは
高い家柄の武士だけです。

小田家も 常陸の守護となる
資格がある名門でした。

地元の名刹…

小田一族ゆかりの
貴重な品が伝えられています。

こちらが…

小田家の初代が寄進した鐘。
800年も前のものです。

鐘に刻まれた
「大将軍」とは

初めて幕府を開いた

源 頼朝の事だと言われています。

小田家は 武士の頂点
将軍・頼朝から

常陸を任されたという

誇りを持っていました。

その初代 知家から
300年余り。

長く居城だったのが
この小田城です。

最新の発掘調査から

都の貴族のような
小田家の繁栄が

明らかになりました。

…と思われます。

当主が暮らす 本丸部分。

その半分は 巨大な池が2つもある
優雅な庭園でした。

京都の足利将軍の屋敷に

よく似ている事も分かりました。

鎌倉時代には
常陸の小田っていうと もう

常陸の守護を務めてますので

もう 名門中の名門ですね
やっぱり。

鎌倉以来の名門というのが もう

プライドとしてありますのでね。


この家をね
次に つなげていくのは

自分の使命だ みたいな。

まあ 名門意識というかね
そういったのは

当然 持ってますね
小田家の人は。

氏治は18歳で この誇り高い
小田家を継ぐ事になります。

関東きっての名門たる
小田の家を

一層 盛んにしていくぞ。
皆の者 よろしゅう頼む。

(家臣たち)はっ!

氏治は プライドとともに

こんな一面も…。

飲め。
はっ!

若輩の私などに
恐れ入りまする。

気にするな。

小田氏治で面白いのは

結構 やっぱり
仲間意識というか

家臣たちを大事にする。

毎年 大みそかから
お正月にかけて

家臣重臣たちを集めて

連歌の会を開く。

一種の連帯感。

つまり 和の精神というかな
輪になるというね。

そういう考え方を 結構

小田氏治
率先してやってますんでね。

領民に対しても 同じでした。

どうじゃな 今年の物成は。

へえ おかげをもちまして
上々にごぜえます。

皆が よう働いてくれるからじゃ。

当時の記録に 氏治の性格は
こう 記されています。

26歳の時 そんな平穏な日々は
大きく変わりました。

(家臣)お屋形様 北条が
攻めてまいりました!

(氏治)何!?

北条とは

小田城から 100キロ余り離れた
小田原で勢力を誇っていた

戦国大名・北条家です。

台頭して
まだ日が浅いものの

武力で他を圧倒。

関東制覇をもくろみ

常陸にも
兵を進めてきました。

氏治家臣の城
海老島城が

まず
標的となりました。

家臣救援のため
氏治は 直ちに出陣します。


兵は2, 000。

北条軍に対し 湿地帯を挟んで
陣を敷きました。

北条軍が 湿地帯を進めば

泥に足を取られ
極めて不利。

攻めあぐねて
撤退するはずでしたが…。

≪(兵たちのおたけび)

(家臣)ほ… 北条が
攻め寄せてまいりました。

ばかな!

北条は 苦戦をものともせず
攻撃に打って出ました。

慌てふためいた小田軍は

泥まみれの
北条軍に

兵の半分余りを
討たれ

総崩れと
なりました。

初代の早雲からして やはり…

あとは もう
攻め込まれるだけ。

なんと氏治は

先祖代々の居城 小田城まで
あっさり奪われてしまいます。

家臣の城に逃げ込むのが
やっとでした。

新たな戦国大名の猛威に
なすすべもない 「名門」氏治。

しかし 戦には弱くても

氏治は ただの「弱い」武将では
ありませんでした。

直ちに 小田を攻める!

たとえ 討ち死にしようとも
我が城 取り返す覚悟じゃ!

敗北から 半年もたたずに
小田城の奪回作戦を開始。

北条軍が
ほぼ引き揚げた隙をつき

なんとか 城を奪い返したのです。

よそに移っても

まあ 多分 領主として
やっていけたと思うんですけど

やっぱりね この小田城に

まあ 固執したっていうかな
固執した。

単なる ふるさとという意味
意識ではなくて

ここは やっぱり
生きがいにしていたっていうか

アイデンティティーにしてた
という側面があります。

氏治も ここでやめておけば

「戦国最弱」とまでは
言われなかったかもしれません。

でも 実際は…。

関東の平穏を乱す 凶賊め。
わしが 懲らしめてくれるわ。

氏治は 作戦成功に勢いづき

城を奪った敵を討伐すると
言いだしました。

お屋形様
お気持ちは分かりまするが

まずは 小田の守りを
固められては…。

いや 時を移さず攻めるべし。

敵も 今 我らが兵を起こすとは
ゆめ 思うまい。

この戦いの結果は…。

苦楽を共にした
兵の多くも失いました。

後の記録でも

強く
非難されています。

さすがの氏治も
今度ばかりは… と思いきや。

前のように
城を取られたわけではない。

勝ち負けは 戦の常。

今日の負けなど
すぐ取り返せようぞ。 のう?

いわゆる 今の言葉で言うと…

戦いで負けて
即 敗北ではなくて

これは もう
一度 負けてもね

また 次 がんばりゃいいんだ
っていう そういう生き方の

天才と言うとあれですけど

まあ ちょっと
そういう印象は持ってます。

どんなに負けても
「負けない」氏治。

しかし 戦国乱世の
本当の荒波は

このあと やって来ます。

かつて 小田氏治の領地があった
茨城県には

小田家の由緒を物語る品が

いくつも残されています。

この鎧兜も
そうしたものの 一つ。

小田家の家紋…

「六」の形は

源 頼朝も連なる 源氏の祖
六孫王を示すとも言われます。

家柄が
源氏の流れである事を誇るもの。

しかし…。

氏治の時代 「家柄よりも実力」
という世に なりつつありました。

氏治が苦しめられた 北条家。

あるいは 斎藤道三。

そして 織田信長。

当時の有力大名は
いずれも

力で のし上がった者
ばかりです。

そして 「実力」なら

日本一とも言える大名が

満を持して

関東に
乗り込もうとしていました。

その大名は
「戦国最強」とも称される

越後の上杉謙信。

最強の男の登場に

最弱・氏治の運命は

どう 動いていくのでしょうか?

小田氏治と北条家の戦いは
続いていました。

そして 負けるのは
もっぱら小田方でした。


そんな うわさも
小田家を困らせました。

氏治が 近くの城主たちに
救援を頼んでも

負け戦の巻き添えを恐れて
誰も応じなかったといわれます。

しかし 一筋の光が!

(家臣)お屋形様!

越後の国主
長尾景虎様 関東へ御出陣!

おお! ついに来るか!

長尾景虎
後の上杉謙信が

関東に
軍を進めてくる。

なぜ 氏治は
喜んだのでしょうか?

謙信出陣の目的は…

武勇を
足利将軍に見込まれ

命じられたのです。

実力派の上杉が
関東へ出てくると。

つまり 上杉が出てくれば

関東の北条氏の
違法な軍事行動も

これは 抑えられる。

氏治の場合には
一種の その 期待感を持った。

常陸小田城主
小田氏治にござりまする。

北条討伐のため はせ参じました。

氏治にとって…

勇猛な謙信に味方する者が
続々と駆けつけます。

11万まで膨れ上がった
連合軍は

北条方の武将を
次々と蹴散らしました。

ついには 北条家の本拠
小田原に達しますが

そこで 謙信は
「壁」に突き当たります。

ここが…

そそりたつ 文字どおりの「壁」。

高さ10m余り
傾斜は 50度を超える

堅固な土塁でした。

ちょっと登ってみましょう。

おおっ やっぱり
かなり急な勾配ですね。

北条家は 当時 最先端の
土木技術を駆使した

強力な防御施設を
張り巡らしていました。

北条家を率いる氏康は
この小田原城に立て籠もります。

それは 「時間」を味方につけた
巧妙な作戦でもありました。

実は 田植えの時期が
近づいていたのです。

なかなか 城に攻め入る事が
できない謙信。

田植えが目前になった春
やむなく撤退します。

この年の冬 謙信は
再び 関東へやって来ますが

困難な小田原攻略には もう
手をつけようとしませんでした。

だからといって やめるわけに
いかないのは氏治です。

[ 心の声 ] このままでは むざむざ
北条のえじきになるだけじゃ。

氏治の領地は 北条の勢力圏に
極めて近い まさに最前線。

強力な味方がいなければ

押し潰されるのは
あっという間です。

苦悩した氏治は

驚くべき決断を下しました。

小太郎を呼べ!

長男の小太郎に 氏治は…。

よいか 心して聞け。

わしは 北条につく。

そなたには 人質として
北条へ行ってもらいたい。

小太郎 すまぬ。
いえ!

我が家の役に立てるとは
武士の誉れにございます。

氏治が選んだのは
あくまで 家を守る事。

長男を差し出して

北条との和睦を決めたのです。

この決断は
上杉謙信を激怒させました。

[ 心の声 ] 助けてやった恩も忘れ
小田め 裏切りおったか!

謙信は
氏治に矛先を転じました。

謙信の軍勢が
小田城へ殺到する様子が

記録に残っています。

「猿が
こずえを渡るがごとく速く

虎が 山を走るがごとく
猛々しく…」

兵の数も
小田軍3, 000に対し

謙信の軍勢は
倍以上の8, 000。

何か 策はなきか…。

見よ あの辺りを!

敵の備えが手薄じゃ。
あそこへ押し出すぞ!

氏治の「負け癖」が この時も…。

こちらは 川じゃったのか!
ああっ!

川を背に 軍勢を
展開してしまった氏治。

これでは勝てません。

まさに 背水の陣というね。

つまり これ以上は
後に引けないって事でしょ。

つまり 後に引けない
という事は…

氏治は さんざんに打ち破られ

小田城も
謙信の猛攻にさらされました。

小田城の発掘で
激戦の証拠が見つかっています。

もはや これまで。

城を枕に 討ち死にせん。

負けても負けても
生き抜いてきた氏治も

ついに 最期か。


(家臣)恐れながら!

それがしが お屋形様の
御身代わりとなり

敵の目を引きつけまする!

家臣が戦う間に
氏治は 城を落ち延び

今度も 命だけは助かります。

小田城には 謙信配下の
武将が置かれ

謙信自身は 越後へ
帰っていきました。

城も領地も失った どん底。

さすがの氏治も
将来に絶望しかけましたが…。

わしらの主は 氏治様じゃ。
年貢は 氏治様に差し上げるぞ。

かつて領民だった農民たちが

変わらず 氏治に
年貢を届けてくれたのです。

氏治を支える人々は 他にも…。

(家臣)いささか
策がござりまする。

策?
(家臣)はっ。

家臣たちの「策」とは

一人が降伏したふりをして
敵方に潜入。

攻め込む機会を作る事でした。

浅はかな氏治には
愛想が尽きました。

何とぞ 臣下にお加え下さい。

入り込んだ味方の手引きで
夜襲をかけます。

弱い小田家は
家中も乱れている。

そんな評判を
逆手にとった作戦は 大当たり。

1年ぶりに 城を奪還します。

[ 心の声 ] 皆 かたじけない…。

しぶとい小田家に 謙信の軍勢は
再び侵攻してきます。

不死鳥・小田氏治。

今回も迷わず 徹底抗戦…

しませんでした。

もう二度と
お手向かいいたしませぬ。

それゆえ
先祖より受け継ぎし 小田の城を

どうか我らに…。

いわば 「土下座」の策で
謙信に臨みます。

なんと これも成功。

謙信から…

七転び八起きで
乱世の綱渡りを続ける 氏治。

そのゴール手前で
あの天下人が立ち塞がります。

先祖に父に託された
小田の魂とも言える領地や城を

さんざんに踏みにじられた 氏治。

しかも この後
その城を失う事になります。

そうした小田家が
持ちこたえるため

氏治だけでなく 家族たちも

それぞれ 務めを果たしました。

北条家へ
人質として送られた

長男の小太郎 友治。

氏治の娘も
家を守るため

領地が近い結城家に

「側室」として
入りました。

実は この 娘のつないだ縁こそ

後の氏治や 小田家の命運を
大きく左右する事になるのです。

氏治が どうにか
上杉謙信とのいざこざを収め

北条方の武将として
再出発した頃。

戦国の世は
新たな動きを見せていました。

織田信長が 京の都に上り
天下取りへ歩み始めたのです。

新たな覇者を呼ぶ
時代のうねりは

関東にも押し寄せました。

氏治と同じ 常陸の武将
佐竹義重も

関東支配の野心を抱きます。

義重は 馬上の敵を真っ二つ

八の字に斬って捨てたとも
言われ

「鬼佐竹」と呼ばれました。

義重の軍勢は 小田の領地にも
しばしば攻めてきました。

…と土地を荒らした事を
義重は 手紙に記しています。

傍若無人な振る舞いに
氏治は激怒しました。

[ 心の声 ] 決して許さん!

氏治は 逆に
佐竹の領地へ攻め込み

とりでの1つを
攻撃しました。

驚いた事に この時は勝ち戦。
意気揚々と引き揚げます。

≪えいえい! おう!
えいえい! おう!

(氏治)ありゃ 何じゃ!

(足軽)お屋形様!

ま… 前の山に 佐竹のやつらが!

(家臣)して 数は?
そう 多くはねえようで… へえ。

山に佐竹が…。

懲らしめたはずの佐竹軍が

なぜ 意気盛んなのか?

しかし 敵軍の数は
少ないようです。

小田軍は 意見が分かれました。

ご案じめさるな!
さしたる数でなし。


直ちに攻め上がって ことごとく
討ち取ってくれましょうぞ!

いや 数の少ないのは
罠という 何よりの証し。

彼奴らは捨て置き

一刻も早う 城へ戻るのが
上策と心得まする。

いま一度 敵をたたくか。

はかりごとを疑って
相手にしないか。

「強気の大将」氏治の選択は…。

敵は小勢じゃ。
一気に蹴散らしてくれる!

そして いつもの事に…。

敵 目がけて
山を駆け上る小田軍。

(銃声)

待ち構えていたのは
佐竹の鉄砲隊と あまたの兵。

やはり 罠でした。

氏治たちが
山で右往左往している間に

佐竹の別動隊が
小田城を急襲。

攻め落とします。

氏治は これで3度
城を失ってしまいました。

更に こうした時

いつも難を避ける
家臣の城も

今回は 佐竹軍に
奪われました。

やっとの思いで
小さなとりでに逃げ込んだ 氏治。

歌を一首 詠んでいます。

「世の中には 正しいことわりが
あるはずだが

実際は失われていて
涙が流れるばかりだ」。

氏治の苦難をよそに
戦国の激動は 続きました。

天下統一目前だった 信長が

「本能寺の変」で落命。

後を継いだ 羽柴秀吉は

破竹の勢いで
全国を平定していきます。

残ったのは 東北の伊達家

そして 関東の北条家だけでした。

歳月も 瞬く間に過ぎ

気がつけば 20年。

「最弱」に甘んじたままの氏治は
どうなっていたか。

既に 60歳となっていた氏治は
居場所を転々としながら

小田の名を
細々と守り続けていました。

30年も生きられれば上々の
戦国時代。

超高齢とも言える氏治は
すっかり やる気が…。

佐竹が陸奥にて
伊達と合戦のよし。

うん…
小田の城は手薄になるのう。

いかにも。

兵を集めい! 出陣じゃ!

(家臣たち)おう!

この時 なんと氏治自身が
太鼓を打ち鳴らし

兵を鼓舞したと記されています。

ひるむな! かかれ!

しかし 20年の月日が
たっていたのは

氏治だけではありませんでした。

氏治が愛した
優美な城の面影は消え

難攻不落 鉄壁の要塞が
そこにありました。

おお…。

(すすり泣き)

ついに 小田城が 氏治の手に
戻る事はなかったのです。

天は 氏治を見捨てませんでした。

この金の盃は 小田家が

徳川家康から褒美として
賜ったとされるものです。

そのいきさつは
というと…。

豊臣秀吉が
関東の北条家を
滅ぼした時の事。

北条方に身を置いていた氏治も
窮地に立たされます。

そこへ現れたのは
意外な救いの手でした。

救いの主は…

側室の一人が
氏治の娘です。

実は 徳川家康の次男で

結城家には
養子で入っていました。

我が父を お助け下さりませ。

側室の懇願に

秀康は 氏治を客分として
召し抱える事にします。

結城家に迎えられた氏治には
思わぬ再会も 待っていました。

父上 お懐かしゅうございます。

(氏治)そなたには 人質として
北条へ行ってもらいたい。

およそ30年前 小田家を守るため
北条家に送った 長男・友治も

結城家に来たのです。

せっかく お主が

北条のところに行ってくれた
というのに… このざまよ。

まことに あいすまぬ。

いいえ 父上も私も
こうして生きておりまする。

いずれ 雪辱の時も参りましょう。

(氏治)まだ わしにも
楽しみはあるようじゃな。

氏治の子・友治は

天下分け目の
関ヶ原をめぐって

徳川方 東軍として参戦。

戦いが
家康の勝利に終わると

論功行賞が行われました。

あの金の盃は この時

小田家の働きを賞して
与えられたと伝えられています。

「戦国最弱」小田家は
戦国の 最後の最後に

命を保ち
勝者の側に立つ事ができました。

関ヶ原の 1年余り後

ようやく安心したのか

小田氏治は
71歳で 世を去りました。

謙信よりも 北条よりも

信長・秀吉よりも長く生き

穏やかに終えた生涯でした。

氏治が亡くなって
およそ1年後

江戸幕府が開かれます。

太平の世 氏治の子孫は
意外な職業に就きました。

それは 兵法を説く軍学者。
合戦の研究家です。

氏治の領地があった 常陸。

かつての領民たちは
氏治を しのび続けました。

江戸時代も中ごろ。

氏治の150回忌の法要が
執り行われています。

氏治が世を去って 1世紀以上。

それでも 100人あまりの人々が

集まりました。

氏治の領地の一部
現在の…

ここに 民を思う
氏治のよすがが残されています。

氏治が 亡き母の供養に
造らせたという…

その御利益は…。

子どもたちの健やかな成長を
見守る 氏治の仏様。

負けても負けても諦めず

領民と家のため
必死に戦い続けた 小田氏治。

その心は 今も ふるさとを

静かに見守っているのかも
しれません。

♬~

♬~


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