英雄たちの選択・選「開け!北のフロンティア~熱血商人・高田屋嘉兵衛の挑戦~」 逢坂剛、瀧本哲史、中野信子…


『英雄たちの選択・選「開け!北のフロンティア~熱血商人・高田屋嘉兵衛の挑戦~」』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/14(木) 
英雄たちの選択・選「開け!北のフロンティア~熱血商人・高田屋嘉兵衛の挑戦~」[字]
新たに開業した北海道新幹線の北の玄関口・函館。この街の基礎を築いたのが豪商・高田屋嘉兵衛だった。北前船を仕立て、北の海で巨万の富を稼いだ彼の成功の秘密に迫る。
詳細情報
番組内容
今からおよそ200年前、江戸幕府による蝦夷(えぞ)地開発に大きな役割を果たしたのが、高田屋嘉兵衛である。嘉兵衛は北前船を仕立てて蝦夷地と交易し、莫大な財産を築いた。当時、北海道の北の海域はラッコの生息する豊かな海だった。その高価な毛皮を求めて、ロシアが進出してくる。緊張する北の海で熱血商人・高田屋嘉兵衛は、ロシア相手に、したたかな交渉を繰り広げる。嘉兵衛の北のフロンティアにかける熱い思いをたどる。
出演者
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】逢坂剛,飯田泰之,瀧本哲史,中野信子,【語り】松重豊
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『英雄たちの選択・選「開け!北のフロンティア~熱血商人・高田屋嘉兵衛の挑戦~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択・選「開け!北のフロンティア~熱血商人・高田屋嘉兵衛の挑戦~」
  1. 嘉兵衛
  2. 幕府
  3. ロシア
  4. 思うん
  5. 蝦夷地
  6. 高田屋嘉兵衛
  7. 交渉
  8. 時代
  9. アイヌ
  10. リコルド



『英雄たちの選択・選「開け!北のフロンティア~熱血商人・高田屋嘉兵衛の挑戦~」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


北海道民の長年の夢
北海道新幹線 開業。

目指すは 北の玄関口…

この町を見下ろすように
そびえる銅像がある。

函館発展の礎を築いた商人…

今から およそ200年前。

嘉兵衛は 蝦夷地
現在の北海道に進出し

函館を拠点に
ばく大な富を築いた。

当時 蝦夷地は異境の地である。

蝦夷地まで行ったところに
フロンティアスピリットみたいなのは

ちょっと感じる事ができると
思います。

だが 北の海で 嘉兵衛は
人生最大の危機に直面する。

図らずも
鎖国の禁を破る事になった嘉兵衛。

極寒の地で待ち受けていたのは
敵意をむき出しにするロシア人たち。

身も凍る冬の寒さ。

日本との戦いを想定した
軍事訓練が行われる中

嘉兵衛は抑留の日々を強いられた。

だが 嘉兵衛は動じなかった。

大国 ロシアを相手に
交渉に打って出る。

ロシア側をうならせた
嘉兵衛の策略。

今回も さまざまな分野の
専門家が集結。

高田屋嘉兵衛の
したたかな生きざまに迫る。

不確実性を相手にする
冒険家ではなく

リスクを相手にするビジネスマン。

過酷な環境を乗り越え
活路を見いだしていった嘉兵衛。

彼が切り開いた北のフロンティアとは。

一世一代の大勝負。
高田屋嘉兵衛 運命の選択に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

その時
彼らは何を考え 何に悩んで

一つの選択をしたんでしょうか?
さあ今回は

江戸時代の後期 幕府の役人と共に
択捉島の漁場を開拓して

巨万の富を築いたものの
ロシアの軍艦に拿捕された商人

高田屋嘉兵衛の選択を
取り上げます。


磯田さん 今回は
豪商と呼ばれた嘉兵衛ですね。

嘉兵衛たちが活躍したのは
流通の革命が起きた時代ですね。

江戸時代の終わり頃になって
非常に遠くのもの

特に北海の産物が
大都市へ流れ込む時代ですね。

それを 主に担ったのが
上方の商人たちでした。

勇んで蝦夷地へ出かけて
産物を買ってくるんですね。

しかし これをやっていると
同時期に やっぱり地球の中で

遠くへ遠くへ乗り出したのが
ロシアですから

ロシアと どっかで ぶつかるというか
未知との遭遇が生まれる訳ですね。

未知との遭遇の時代でもある。

上方商人が
流通革命を起こせば起こすほど

ロシアという未知との遭遇が
起きる時代ですよ。

熱血商人 高田屋嘉兵衛
どういう技を見せてくれるか。

今日は ビジネスマン必見っていう
番組じゃないかと思いますね。

さあ まずは 高田屋嘉兵衛が
登場する長編小説も

執筆されています
作家の坂 剛さんです。

よろしくお願い致します。

当時としてはですね
ある程度

国際的視野があった人だろうと
思うんですね。

そのころ もう ずっと前から
鎖国だったのでね

国際的視野を持った人
っていうのは ほとんど

いなかっただろうと思うんですね。
やっぱり 国内だけでね

商売してるよりも
海外を相手にした方が

はるかに商機が広がる訳ですし
海外を舞台に飛躍した方が

商売になる訳で
それは もう きっと

当時も同じだっただろうと
思うんですね。

この方のパーソナリティーを語る時の
キーワードは

「動じない」っていう ひと言だと
思うんですね。

動じない人っていうのは
ビジネスに向いてるとも

言えるんですけれども…

怖いもの知らずみたいな。
おっしゃるとおりです。

すごく怖いもの知らず
罰を罰と感じないという

パーソナリティーになるので…

いろんな事に関して できる
総合的な天才っていう感じ

しますよね。 外交もできます
貿易もできます

船のオペレーション 航海術もたけてます
みたいな人は

必ず 時代の変化の時に
現れるんですが

そういう人なんじゃないかなと
思いますね。


いろんな要素を併せ持つ。
単なるビジネスマンとかじゃなくて

あらゆる事に通じた人みたいな。

万能天才型商人みたいなね。

そういう人って 時代の変化が
ある時じゃないと

出てこないと思うんですよね。
ダビンチとかと 一緒のように

高田屋嘉兵衛を考えるという人
初めて見ましたけど。

全然違う事を
同時にやってる人ですよね。

海っていうのは 全ての場所と
場所を つないでいる訳ですよね。

そこの中で活躍している
というのは 非常に大きくて

嘉兵衛が行っていたビジネス
というのは

北前船 回船業の中でも

買積と呼ばれるビジネスのしかた
なんですけれども

買積と運賃積っていうのが
あって…

商社のような。 別の場所
地理的に遠い場所同士を

つなぐっていうのが
ビジネスなんですね。

北海道 蝦夷地ですね 当時の
…では

魚は ただ同然の代わりに
物資 特に米なんか非常に高いと。

一方で 大坂 江戸では
真逆ですから こういった…

ちょっと どこか似てる気が
するんですよね。

磯田さん 今 北前船の話が
ありましたけれども。

船って あのころのって弱いから
しょっちゅう難破するんですよ。

北前船っていうと
よく千石船だとかいって

大きい船の代名詞のように
言われるけど

千石船っていうのは 150トンぐらい
ですよ トン数で言うと。

イメージで言うと ちょっと大きい
乗り合いの釣り船ぐらいですよね。

小型船です。 こんなもんでね
北海道と行き来するのは

相当リスキーですよ。 怖い。
よく行くなと思いますね。

ああいうものへ乗って
北で商売って

できないんじゃないかって
思います。

さあ それでは 高田屋嘉兵衛が
蝦夷地で成功を収めるまでを

ご覧下さい。

瀬戸内海に浮かぶ淡路島。

幼い頃から親戚の漁師に預けられ
船の扱いを覚えた嘉兵衛。

この経験が 後に海の商人として
飛躍する原点となる。


地元には 今も
嘉兵衛の痕跡が残されていた。

嘉兵衛が用いた商標…

誇らしげに掲げられた この印が
嘉兵衛の偉大さを今に伝えている。

今も淡路島には
一門の子孫が暮らしている。

嘉兵衛の船乗りとしての
素質が うかがえる逸話を

伝え聞いているという。

満潮になると逆流する…

嘉兵衛は 6~7歳の頃

ここで潮の満ち干を
観察していたというのだ。

例えば こういうふうなものを
浮かべるんですよね。

そうすると 普通 上流から下流に
流れるんだけども

下流の方から上流に流れてると。
そういうふうな事で…

嘉兵衛は やっぱり 地道に
自然いうものを見て

やっぱり 風の流れ 潮の流れ

そういうふうなものを見て

天気やとか どこ行ったら
漁ができるとかいうふうな事を

見定めていったと。

好奇心が強く
丹念に自然を観察した嘉兵衛。

その才覚が試される
海の男たちの勝負の場があった。

上方の新酒を
誰が一番に江戸へ届けるか。

船乗りたちの
腕の見せどころだった。

先を急ぐあまり難破する船も
出たという過酷なレースで

嘉兵衛は優勝を重ねた。

淡路島で培った
緻密な観察眼を武器に

嘉兵衛は
名うての船乗りとなっていく。

ここは 大坂への寄港地として
大いに にぎわった。

嘉兵衛は ここを舞台に
新たな挑戦に踏み出した。

北前船を持ち
商売に打って出たのだ。

北前船は 商人に
ばく大な財をもたらした船だった。

その航路は 大坂 兵庫などの
上方から日本海を周り

現在の北海道 蝦夷地までを往復。

その間
各地の港で商品を売買していく。

主な商品は蝦夷地の海産物。

中でも ニシンが
ばく大な利益をもたらした。

ニシンは食用としてだけでなく
農作物の肥料として盛んに売れた。

春の野を彩る菜の花。

江戸時代
菜の花から採れる菜種油は

明かりの燃料として
暮らしの必需品だった。

菜の花の肥料として
蝦夷地のニシンは

商人に
巨万の富をもたらしたのである。

北前船が 一往復で もうける額は
およそ千両といわれた。

現在の価値にして
数千万円もの額だった。

流通経済の歴史を研究する
中西 聡さん。

嘉兵衛が 北前船の交易に
目をつけた動機を

次のように推測する。

嘉兵衛は 日本海の荒波を越え

果敢に蝦夷地へ乗り出していった。

北海道の玄関口として にぎわう
現在の函館。

しかし 嘉兵衛が訪れた当時は
寂れた港町にすぎなかった。

嘉兵衛は この函館を

蝦夷地東部へ進出する拠点と決め
北の海への一歩を踏み出した。

最盛期の高田家の繁栄ぶりは
今も語り継がれているという。

ここには 今から二百数十年前の
1800年の初めに

高田屋の屋敷があったと
いわれてる場所でございます。

桁違いの成功を収めた嘉兵衛。

嘉兵衛は 北前船の事業で

現在の函館繁栄の基礎を
築いたのだ。

果たして 成功の秘密は
どこにあったのだろうか。

その鍵となったのは
蝦夷地の東 択捉島だった。

択捉島の近海は
豊かなラッコの生息地だった。

毛皮が高値で取り引きされる
ラッコを求めて

ロシアは択捉島まで迫っていた。

ロシアの接近を危惧した幕府は

蝦夷地東部へ進出し
択捉島開拓を急いだ。

そこで幕府は
有力な北前船商人 嘉兵衛に

択捉島への航路開発を
命じたのである。

国後島から択捉島までの距離は

僅か20キロ程度。

だが そこは危険な海域だった。

波が荒く
霧が立ち込める この海峡で

あまたの命が失われてきた。

この難問を 嘉兵衛は
いかにして克服したのか。

嘉兵衛の巧みな戦略を物語る
史料が北海道大学に残されている。

嘉兵衛は まず
国後島の山に登った。

そこから じっくりと
潮の流れを観察したのである。


その結果
海峡には3つの潮流が流れ込み

流れが急になっている事を
発見した。

そこで嘉兵衛は あえて迂回して

潮流を1つずつ乗り越え

択捉島西岸
丹根萌に渡ったのである。

こうして
安全な航路を開いた嘉兵衛は

幕府から
択捉島の開拓を命じられた。

かくして 幕府を後ろ盾にした
嘉兵衛の択捉島進出が始まる。

開拓に着手した嘉兵衛を
待ち受けていたのは

先住民 アイヌの人々だった。

島の情報を持たない
嘉兵衛にとって

現地のアイヌの人々の協力は
絶対に必要なものだった。

だが 当時 択捉島には
ロシアの手が迫ろうとしていた。

これは
幕府の役人 近藤重蔵が

ロシア進出の危機を警告した
史料である。

択捉島周辺の島々で
アイヌの人々が

ロシア正教に改宗し始めていた事が
記されている。

択捉島にも
ロシアの十字架が立てられていた。

嘉兵衛が そんなアイヌの人々と
巧みに接した様子が

うかがえる史料が残されている。

こちらになります。

これは 嘉兵衛が部下へ示した
択捉島における活動の心得。

正月などの行事ごとに
酒を振る舞い

病気の際には見舞いに行くように
記されている。

親身に世話をする事で
信頼関係を築いたのだ。

日本の北方史を研究する
川上 淳さん。

嘉兵衛が
アイヌの人々と関わり合う裏には

したたかな
ねらいがあったと語る。

アイヌの人たちが ロシアの方に
なびかないようにするには…

幕府を ありがたく思って
もらわなきゃなんないんだと。

こうして嘉兵衛は
アイヌの人々と協力し

多くの漁場を建設。

ロシアの進出を防ぐだけでなく
幕府にも利益をもたらした。

幕府から厚い信頼を得た嘉兵衛。

しかし このあと 命を懸けた
危機に直面する事になる。

さあ ここで 嘉兵衛が進出した
蝦夷地の位置関係

ご覧頂きましょう。

当時 蝦夷地を治めていたのは
松前藩でした。

嘉兵衛は 松前藩の拠点の
江差や松前の港ではなく

箱館に目をつけたんですね。
この箱館を足掛かりにして

東蝦夷地と呼ばれていた地域から
ばく大な利益を上げていました。

箱館を選んでですね
東の方まで行くという判断に

成功の鍵があったと思いますね。
なぜかというと

松前藩の もう既に
御用商人とかがですね

入り込んでいる江差の方に行って
ニシン漁をやったとしても

あんまり取り組み妙味は
ないんですね。

人が行かないとこに行くと
商売がいいっていうのは

大阪辺りの相場の格言に…

まさに裏道を行って 花の山

金の鉱脈を
掘り当てたっていうのが…。

ただ リスクは大きいですけども。
それを乗り越えられるのは

彼の潮目を読む技術な訳ですね。

多分 高田屋嘉兵衛でなくても
これは もう箱館だな

というふうに思っただろうと
思うんですね。

ただ それを実際に移したところに
実行に移したところにね

高田屋嘉兵衛の読みがあった訳で
この人は 動じないというか

非常に大胆な人だったんだけども
その大胆な中にもね…

だから 潮の目を見たりするのも
まさに そのとおりでね。

だから
3筋のやつを渡る時も

最短距離を みんな
アイヌの人たちは行って

遭難してた訳ですけど
あえて あさっての
方向へ行って

目的の丹根萌へ
着くというような

そういう事
計算をしてた訳ですね。

最後に もやが晴れてみると

丹根萌の山が
すぐ眼前に迫っていてね。

それで アイヌたちが みんな
拍手したかどうか知りませんが

ワ~ッと沸いたっていう話が
残ってます。

やっぱり 情報を見極めるというか
そこが大事なんですね。

単に無謀な大胆さとかね
あれじゃなかったんですよね。

裏付けがあったという事なんです。

そこが やっぱり利口なとこ
だったんじゃないでしょうかね。

そうすると みんなが気付いてない
隠された真実を

見つけられるので 大きく
もうける事ができるっていう…。

この人は かなり変わった人だって
話でしたけど…


そうすると ほかの人から見ると
無謀な事をしているように

見えるんだけど 本人の中では
別に こんな楽ちんな事を

何で みんな気付かないんだろうと
思ってるんじゃないかと…。

だから 結構 自信を持って
大胆な事をしてるのかなと。

(中野)自分は 実は 皆さんは
気付いてないんじゃないんですよ。

気付いてるんだけど 未知だから
行きたくないっていう

不安感があって
見えてるんだけども

未知のものに手を出さない
っていう…

だけども 嘉兵衛さんは
ちょっと違っていて…

そこが ちょっと やっぱり
非凡なところです。

何か全く分からない状況に
チャレンジする。

全く状況が分からないのを
不確実性と呼んで

もう一つは こういう確率で
こういうリスクがあるよというのを

まさに リスクって
呼ぶんですけれども…

嘉兵衛は 徹底して情報収集して
ここに こういうチャンスがあるんだ

だけれども こういうリスクも
あるんだという意味で

不確実性を相手にする
冒険家ではなく

リスクを相手にする
ビジネスマンっていう側面

すごく持ってたのかなと
思いますね。

私 VTRの中で アイヌの人々の
協力を取りつけるのに

例えば 差し入れをしたりとか
お見舞いにまで行くって

何か 本当に細かいところまで
目を配ってるんだなって

思いましたね。
(中野)この人の場合は それを

一般的な人であれば 本当に心から
お見舞いというふうに

見える行為なんですけれども
高田屋さんの場合には

計算ずくで やってるんでしょうね
というところが見えるのが

本当に この人の知性の
恐ろしさっていうかね。

さっき 肖像画が出ましたよね
嘉兵衛の。

私 この肖像画
すごい怖いんですけれど

目が笑ってない
というふうに
私は見えるんですよね。

どうして
そう思うかっていうと
必ず 心から笑う時は

ここの筋肉 動くんですよ
こうやって。

動くんですけれど
この人は目を見開いて…。

(坂)目が笑ってない。
目を見開いて笑ってるんですよね。

それが すごく怖くて この人は

絶対 心 許さない人なんじゃ
ないかという感じがするんですね。

瀧本さんは 嘉兵衛が活躍した
裏側にある時代との関係

というのは どういうふうに
ご覧になりますか?

やっぱり 船って
大事だと思うんですけど

このころ 最先端テクノロジーと
最先端課題って

船だった訳ですよね。 今 IT技術
なのかもしれませんけど。

って考えると 時代の変化の
一番大事なポイントっていうのを

嘉兵衛って人は
やってた訳ですよね。

数十年ぐらい この人は
先を行ってた訳ですよね。

江戸時代の日本の鎖国というのは
すごい壁がキッチリしてるところと

薄く 生け垣みたいなところと
あるんですよ。

その生け垣へ向かって
いったんですね この人 フロンティア。

資本主義って 必ずフロンティアを設けて
そっから ものを持ってきて

稼ぐっていうシステムですから そこに
目がつけられたっていうのが

日本資本主義の中枢である…

さて 蝦夷地で順調に
成果を上げていった嘉兵衛に

このあと
思いがけない事態が起こります。

嘉兵衛は 突如 危機に遭遇する。

ロシアの軍艦に拿捕されたのだ。

嘉兵衛を捕らえたのは…

拿捕の背景には 北の海を巡る
日露間の確執があった。

事の発端は その8年前。

ロシアの使節 レザノフの来日に遡る。

レザノフの目的は
通商関係の樹立だった。

だが幕府は
使節を 半年間 待たせた上

鎖国体制を理由に通商を拒絶。

この対応に激怒したレザノフは
部下に命じ北の島々を襲撃させた。

いわゆる 露寇事件である。

権威を傷つけられた幕府も
黙っていなかった。

すぐさま ロシア船に対する
打払令を発令して対抗した。

そして 発令から4年後。

ロシア船の艦長 ゴローニンと その部下を
蝦夷地の近海で捕縛した。

ゴローニンの部下だったリコルドは
その救出を模索していた。

そこで 日本側の情報を探るため
嘉兵衛を拿捕したのだった。

かくして 嘉兵衛は 部下と共に

ロシアへ連行される事に
なったのである。

カムチャツカ半島にある港町
ペトロパブロフスク。

ここで
嘉兵衛を待ち受けていたのは

敵意に満ちた住民たちだった。

更に 冬はマイナス20度を超える寒さが
追い打ちをかけた。

嘉兵衛は どんな思いで
日々を過ごしたのだろうか。


ここに 嘉兵衛が 後年

事件の経緯を語った記録が
残されている。

そこには嘉兵衛の せっぱ詰まった
思いが記されている。

「ただ どうすれば
帰国できるかという

はかりごとばかり
考えていた」。

嘉兵衛は知恵を巡らせ ひたすら
帰国の方法を探っていたのだ。

嘉兵衛は行動を起こす。

まず 世話係の少年から
熱心にロシア語を学習した。

更に 少年を通じ ロシア国内の
情報収集も図ろうとした。

ねらいは リコルドとの会談。

ロシア語を習得し 交渉によって
状況を打開する道を模索したのだ。

だが 嘉兵衛が目の当たりにした
情勢は緊迫していた。

「大砲24挺を 毎日 引き出し

訓練している」。

「私が どこの国を
恐れているのかと尋ねると

日本に対して備えていると
答えた」。

日を追って深まる両国間の亀裂。

早く手立てを講じなければ
帰国は危うい。

窮地に立たされ苦悩する

嘉兵衛の心の中に
分け入ってみよう。

(嘉兵衛)一刻も早く国に帰らねば。

(嘉兵衛)
だが 私は ロシアに連れ去られ

今や鎖国の禁を破った身だ。

このまま帰っても
罪人扱いされかねない。

一体 どうすればいいのか。

(嘉兵衛)どうやら リコルドたちは

私とゴローニンを交換しようと
考えているようだ。

ならば
その案に乗ってみるのはどうか。

(嘉兵衛)これなら
幕府とロシアの確執は解消される。

どちらにとっても
悪い話ではあるまい。

(嘉兵衛)だが待て。

私の立場は
たかだか 一商人にすぎない。

ロシアの高官であるゴローニンとは
身分が釣り合わない。

そんな交換に
幕府が応じるだろうか。

では どうすれば 幕府は
ゴローニンを差し出すだろうか。

そうだ 幕府が望んでいるのは

ロシアの襲撃で潰された
権威の回復なのではないか。

漏れ聞くところによれば

襲撃は ロシア皇帝の許可もなく
独断で行われたという。

ならば 皇帝が関与したものでは
ないと釈明させれば

幕府も歩み寄るかもしれない。

幕府を交渉の場につかせるには
これしかないのではあるまいか。

だが釈明の要求など 公に
非を認めろと言うようなもの。

果たして
大国 ロシアが受け入れるだろうか。

いや 待てよ。

原点に戻って
もう一度 考えてみよう。

そもそも 事の発端は

レザノフが通商関係を結ぶために
やって来た事だ。

これを結ばなければ
ロシア船は来続け

いつまでも
蝦夷地に平穏は訪れぬ。

ここは思い切って こちらから
通商を持ちかけてはどうか。

これなら ロシアはもとより
幕府の利益にも かなうはずだ。

川上さんは 幕府の内部も

通商の是非を巡り
揺れていたと指摘する。

幕府の中にもね

やっぱり ロシアと通交交渉を
結ぶべきだという考えも

少しは あったんですよ。

そういう考えもあって
嘉兵衛自身にとってはですね

それができれば
一番いいと思っていたと。

(嘉兵衛)
幕府が通商に乗り出せば

関わりの深い私に
交易が委ねられるやもしれぬ。

そうすれば 私の商売も
一層拡大するではないか。

国家間の確執に
巻き込まれた嘉兵衛。

自らの手で帰国を果たすには
どうすればよいのか。

選択の時が迫っていた。

嘉兵衛は
ロシアの軍艦に拿捕されて

極寒の地 カムチャツカに
こう留されるという

大変な事態に陥りました。
早く無事に帰りたいと考える

嘉兵衛の選択肢
ここで改めて見てみましょう。

まず選択1は 幕府が捕らえている
ロシアの高官 ゴローニンとの

捕虜交換です。 そして2つ目は

露寇事件によって傷ついた
幕府のメンツを立てるために

釈明を要求するというもの。
そして3つ目

お互いに利益が上がると
考えられる

通商関係締結の提案です。

さあ 皆さんは どれが
ベストの選択と選ばれるでしょうか?

まず 坂さん。
私は 2番目のですね

幕府に対する釈明要求を
選びますね。

やっぱり 高田屋嘉兵衛としては

まず 自分が生きて帰りたい
っていう事が

あるだろうと思うんですね。 ただ
連れ去られたとはいいながら

外国行っちゃうと
罪人にはならないにしても

ある程度 行動を制約されたりする
おそれがあると。

そうすると 商売が
できなくなる訳ですから

なんとか
そうならないようにしたいと。


そのためには
まず 幕府のメンツを立てて

その仲介をしたのは
自分であるというところで

話をまとめようとしたんじゃ
ないかと思いますね。

私はですね
1番の捕虜交換を選択します。

私が この立場だったら

嘉兵衛ほど不安に対する感受性が
低くはないので

やっぱり
目の前にいるロシア人たちに

釈明要求って できるかしらと
考えてしまいますね。

とにかく やっぱり 身の安全を
図らねばというところと

ロシアがやりたい事を
実現してやるのが

一番 命を奪われずに済む
安全な策じゃないかな

というふうに考えて
行動してしまうと思います。

2番も3番も 合理的な選択肢では
あると思いますけれども

まずは 1にしてしまうだろうと。

私は 2番ですね。

2番なら まとめる事が
できそうですし

どうせなら なるべく高い球を
投げた方がいいと思うので。

本当は 3番が 国境確定とか

通商とか やりたいと思うんですが
現実に無理ですよねと。

だったら せめて 2ぐらい
とっておいた方が

よろしいんじゃないですかって
話をすると思うんですね。

せっかく これだけリスクとって

渦中の人に
なっちゃった訳ですから

何も取らずに帰るのは
僕は悔しいなと思うので

少しでも 高いものを
取りたいと思うので

3になったら
まずいですよねというので 2を。

2なら
みんな合意するだろうっていう。

3と比較してみて下さいって
交渉をして

2に行こうなと思いますね。

私は… そうですね 2。

幕府に対する釈明要求が
基本線になると思うんですが

ここで注目しなければ
ならないのは

嘉兵衛が交渉する相手は
実は ロシアではない

っていうところなんですね。
一番難物の交渉を

しなければならない相手は
幕府なんです。

というのも 蝦夷地対策って

幕閣が替わる度に
コロコロ コロコロ変わりますし

今の幕府 どうも 何にも
決められてないし

高田屋嘉兵衛が
まず やらなければならない事

というのは 幕府側に…

ロシアによる侵攻 露寇事件への
報復措置として

ゴローニンを捕まえているんだけれども
だから その事件自体が

実は ロシア皇帝ではなく
現場が暴走した結果なんですよ。

だから許してねという
こういう解決策があれば

釈放すべきだっていう
ストーリー仕立てを

頭からケツまで
全部 書いてやらないといけない。

変な話 そのあと
ロシアの説得というのは

論理的に行えば
話が通じる相手だから

なんとかなるだろうっていう
感覚で

やはり 幕府のために
2番だったのかなと

思うんですよね。

すごい日本的な感じで…。

(飯田)日本的な解決を
求めざるをえなかったんだと

思うんですよね。
(中野)幕府に対しての

っていう事は 分かりますよね。
うちの上司が

「うん」って言ってくれませんので
是非っていうやつですね。

でも 結局 今 皆さん
選ばれたように

3の通商提案っていうのは

なかなか ハードルが高かった
って事ですか?     そうですね。

これ ちょっと ありえないですね
この段階に至っては。

鎖国は 東照神君 家康以来の
祖法であるっていうふうに

打ち出し始めてますから
この時点になっては無理ですね。

と考えると 僕の考えとしては

少数意見かもしれないが
ゴローニンと捕虜を交換する方が

いいんではないかと。 これは
当時 捕虜交換と同じように

漂流民交換っていう制度は
国際間に しっかりある訳ですね。

朝鮮から日本へ来た人
朝鮮へ戻す。

中国も そう。 人道に基づいて

国から難破して行った人は
戻すっていうのは

当たり前の事として もう
国際間の慣行がある訳ですから

それに従って 自分たちを
帰してくれと ひたすら言って

余計な事には口を挟まず
とにかく帰国するっていうのが

まあ 普通だろうと思うんですよ。

では 窮地に陥った高田屋嘉兵衛は
どの選択をしたんでしょうか?

ここに 嘉兵衛一世一代の交渉が
生々しく記されている。

そこからは
リコルドとの緊迫した応酬が

浮かび上がってくる。

文化9年12月8日 深夜。

拿捕から およそ4か月。

嘉兵衛は 前触れなく
直談判を申し入れた。

ロシア語を覚え もはや通訳も
いらぬほどになった。

私たちを どうしようと
しているのか お聞きしたい。

望むところだ。
今夜は腹を割って話そう。

突然の要望にも
リコルドは率直に応じた。

ここぞとばかりに
嘉兵衛は強く出た。

6年前 レザノフが引き起こした
襲撃事件を激しく非難したのだ。

幕府は ロシアの乱暴狼藉に
大変 憤慨している。

こうした海賊同様の行為は
全て ロシア皇帝の命令ではないのか。

予期せぬ追及に たじろいだリコルド。
思わず本音を漏らした。

あなたに相談したいのは

日本にいるゴローニンたちを
帰国させる方法だ。

嘉兵衛は この言葉を待っていた。

ついに リコルドの望みを
引き出したのである。

嘉兵衛は 畳みかけるように
ゴローニン解放の手段を提案した。

何分 ロシア将校のした事が
いけなかったのだ。

幕府に謝罪文を提出するならば
万事 うまくいくだろう。

幕府へ襲撃を釈明するよう
提案したのだ。

それを聞いたリコルドは
しばらく考えた末

ようやく口を開いた。

襲撃は 一介の将校たちの
仕業であるから

何を どう認めても
ロシアの恥にはならない。

提案を受け入れ
釈明書の作成を約束したのだ。

こうして2人の交渉は決着を見た。

カムチャツカに遅い春が訪れた。

拿捕から9か月。

嘉兵衛は リコルドと共に
念願の日本に向け出発した。

リコルドは ロシアからの書簡を持参し
幕府に提出。

そこには次のように記されていた。

この文書を
幕府は釈明書として受け取り

その面目は保たれた。

晴れて嘉兵衛は ゴローニンと共に
解放の日を迎えたのである。

嘉兵衛との交渉にあたった
リコルドは

後年 事件の経緯をつづった手記を
出版した。

その中で 感慨を込めて
嘉兵衛の行動を たたえた。

武力行使によって生じた
北の海の緊張を交渉で回復し

無事に帰国した嘉兵衛。

そのまなざしは 今も はるか遠く
北のフロンティアに注がれている。

という事で 見事な交渉で
両国間の問題を解決して

帰国を果たした嘉兵衛
という事でしたね。

よく 言葉がね
僅か9か月の間にね。

難しいですよ だって
読めないしね アルファベットなんかね。

耳で聞いても
何か よく分からないし。

それをね よく短時間にね

少年から教えたり教わったり
したという話なんだけれども

よく そんな事ができたなと
思ってね。

もしかすると スーパーラーナーだったかも
しれないっていう。

語学のスーパーラーナーっていうのがいて
これは 知能とかと関係なく

語学を学ぶのに才能のある人
というのがいるんですね。

端々から文法を推測して すぐ
しゃべれるようになるという。

9か月あれば もう十分です
そういう人にとっては。

っていうタイプの人がいるというのと
もう一つは 言語というのは

言語的コミュニケーションだけとは
限らないですね。

表情でのコミュニケーションだったり
相手に対する威圧感だったり

そういうものを
すごく うまく演出できる人が

交渉を うまくやるっていう印象が
すごくあるんですけども

どちらかというと 嘉兵衛
そっちかなという。

だけど嘉兵衛は 商売の中で
いつも語学みたいなの勉強して

交渉困難なのを
してたはずですよ。

まず 東北のズーズー弁。
じゃないと 米が買えない。

そして 今度
アイヌの人たちと一緒に

昆布 売ってもらったり
魚 売ってもらうための交渉。

単語帳から
自分から作ったでしょうね。

渡って帰るっていうと
潮目を読むように

いっぱい情報を集めて
どうすれば この海 渡って

日本へ帰れるかっていう…

どこが泣きどころかとか
どこがポイントかというね。

幕府のメンツを立てつつ

ロシアは これを欲してるんだ
というところを見ながら

商談をまとめるように
したんじゃないですかね。

やっぱり 当時 ロシア側からすると

日本って野蛮な国だったはずだと
思うんですよね。

そうじゃなくて 日本は ちゃんと
リーズナブルな交渉をする国で

文明国だから…

ちょっと新しかったのかなと
僕は むしろ思うんですよね。

改めて
北の海っていう所の舞台を

もう一度
振り返りたいんですけれども。

この時代ね 蝦夷地 北海道
というのは特別な場所なんですよ。

つまり 日本中って どこも
管理されてる土地なんですよね。

つまり たき火 一つできない。

たき火したら
すぐ所有者が飛んできて怒る。

だけど 嘉兵衛は
そうじゃない自由の土地を見た。

身分制だとか
管理されてる土地とか

そういう事だらけで
がんじがらめになってる

江戸時代後期の社会で
もう何やってもいいし

やっぱりね 商売だけじゃ

この人 ないんじゃないかとも
思うんですよ。

やっぱり 蝦夷一途って
呼ばれてんですね この人。

嘉兵衛を 紹介状の中で

「嘉兵衛って どんな人ですか?」
って言うと

「あの人は 蝦夷地一途な人だ」と。
ある種の蝦夷オタクっていうか

彼にとっては すごいロマンのある

やっぱり 一生をかけて
命を懸けるに足る

面白い場所だったんじゃ
ないかと思うんですよね。

当時 江戸の人たちから見ると
よく言われるんですけど

長崎へ行くのは
海外旅行なんですよ。

日にち的にも距離的にもね。
そこへいくと

蝦夷地なんかは 恐らくね
今の距離で言えば

多分 アフリカ辺りに あたるんじゃ
ないかと思うんですね。

ただ そこに対する憧れ
っていうのがあって

近藤重蔵も
その一人だったし

それから最上徳内も
そうですよね。

最上徳内なんか
相当な人物だった
って私は思うので

高田屋嘉兵衛とも
ある程度 共通点が
あるんじゃないかと

思うんです。
そういう人たちが

だんだん だんだん…

高田屋嘉兵衛なんかは そのね

最たるものだというふうな感じが
しましたね。

まさに冒険家という感じの
近藤重蔵や最上徳内に比べると

ビジネスマンでもある。 明治時代の
初期とかの商人だったら

今でも財閥として名前が
残ってるんじゃないかっていう。

そういう人は
何人もいますよね。

実際 ある種のベンチャー起業家
みたいな人だったと思うんです。

その後 北海道 いろんな会社が
できる訳ですけど

いろいろ調べてみると
北前船関係者の人が

やっぱり やってる訳ですよね。
まあ ある種の…

世界的に見ても すごい事やってた
って言っていいんじゃないかな

っていうふうに 僕は思って
非常に この人は

江戸時代っていう
囲われた時代の中に

開いてるとこを 自分で どんどん
広げていって やった人だと。

もっと注目されていい人じゃ
ないかなと すごく思いますね。

乱世に こういう人が出る
っていうふうな印象を

皆さん 持つと思うんですけど
でも 各時代に 一定の割合で

生まれてるはずなんですよ。
一定の割合で生まれているのに

出てこないように見える時代が
あるのは

そういう人が
排除されるからですね 自動的に。

だけれども 乱世は そういう人を
排除していては もたないから

その人たちが活躍できる素地が
出るっていう事なんですよね。

普通の大学を出て 普通の
大きな会社に入ってとかって

多分 いなくて みんなが あまり
注目してないような分野とか

ある種のバイオかもしれませんし

ある種の
宇宙開発かもしれませんし

何か ちょっと危なそうだな
みたいな分野に

そういう人は きっと
いるんだと思いますね。

EQってありますよね。
IQの反対にあるEQって

相手側の気持ちや判断や立場を
考えながら 先回りする能力。

よく 事業で成功する人って
IQ1に対して

EQ3の割合じゃないかって
説がある。

ものすごいEQだと思うんですよ。
(中野)この人の特殊なところは

普通の人がEQっていう時には
本当に心から相手の事を

考えているんだけども
嘉兵衛のすごいところは…

そういう駆け引きのできる人
だった訳ですよね。

いわゆる 侍でもない
この高田屋嘉兵衛っていうのは

なかなかの人物だったな
っていうふうに

思わざるをえませんね。
そういう人は

もう出てこないんじゃないか
って気がするな。

今みたいに… 何て言うのかな
コンピューター社会が成熟しちゃって

人間が自分で考える事を
やめたような時代には

出てこないような気がしますね。
現に 誰か 思い浮かばないでしょ。

王 長嶋 大鵬なんて
出てくるけど

そのあと 一体 誰が出てきたか。
どうも 後世まで残るような

英雄的な人はね どうも 今後
出ないんじゃないか。

見つかって探せるような所に
あるものは

多分つまらないんだと思うんです。
今時点で 全然 誰も 僕も

何の予想も立たない所に

多分 何か すごい人が
いるっていう事が

ありえるかもしれない。

これからは船乗りの英雄は出ない
とか きっと言われたと

思うんですけど…

だから テクノロジーっていうのは
それを簡単に使える事によって

ひっくり返す人が出てくる
っていう事で…。

何かね 船乗りにしておくのは
惜しかったって感じが

してきましたね 今日の
皆さんの話を聞いてるとね。

時代を間違えた人ってのは
何人もいるし

その中の高田屋嘉兵衛も
多分 ちょっと

早く生まれ過ぎたかっていう
感じですよね。

江戸幕府という箱の中に
おさまりきらないスケールを

感じますよね。

船頭の中には こういう人

たくさんいたようにしか
思えないんですよ

古文書を眺めてて。
防災の事とかで いろんな記録

集めるんですけど
建白書を大名に出してたり

富士山が噴火した時の記録を
とったのを見たら

船頭が書いたようなものの中には
すごいのが たくさんあるんです。

だから この時代
広い海を航行してた船頭さんの

知能や能力というのは
相当なもので

嘉兵衛だけが異常な船頭じゃ
なかったんじゃないかと

思う事がある。

いろんな分野で やっぱり
すごい仕事をした人がいますよ。

武士以外でね。
武士は やっぱり 割と安穏と

支配層にいたもんだから
安穏としてた。

むしろ 庶民の方が

危機感を持つ人は持ってただろう
と思うんですよね。

露寇事件で荒らされた時に
北海道が

武士の社会は
何をやったかっていうと

大量に会津藩をはじめ…
最強といわれた会津藩

東北の諸藩を送り込んで

それで 何千人とかいうような
人間を並べたんだけど

起きた事は何かっていうと

北の国で生きるすべを
知らなくて

それで 栄養失調で バタバタと
倒れていって死んだんですよ。

一文の謝罪も得る事は
できなかったんです。

一方 高田屋嘉兵衛は
自分で行って

ロシアを ちゃんと謝らせる手紙を
持って帰ったんですよね。

これ なぜ こうなるんだろうと
思うと やっぱり武士は

届け出がないと
自分の領内だって移動できない。

まあ 離れるといえば
江戸へ参勤交代で行く程度。

こういう環境の中からは
やっぱり 飛び抜けた

外国と交渉するような人物は
出にくかっただろうと。

一方 船を まず手に入れて

壊れりゃ 入った港の大工と
方言で交渉して

アイヌの人とも話をして
こんな産物があるとか

山に上がって潮目を読んで
真っ黒に日焼けした船頭の方が

こういう事は よく分かってたと。
だから 激動の時代っていうか

これから 世の中 動く
っていう時は 意外と

仕事の経験で得た庶民の経験
って言うのかな

予期せず 場面に いっぱい
放り込まれていった人の

経験っていうのは
結構 激変の時代には強いから

そういう きちっとした仕事で
自分たちを きちっと育てるって

自分自身を
きちっと育て上げるというのは

やっぱり 一介の市民の義務だと
今日は すごく思いましたね。

皆さん 今日は
どうも ありがとうございました。


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