ザ・ドキュメンタリー 「皇室スペシャル 退位までの遥かなる旅路Ⅱ」 大震災後以降6度目になる福島ご訪問の…


『ザ・ドキュメンタリー 「皇室スペシャル 退位までの遥かなる旅路Ⅱ」』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/16(土) 
[字]ザ・ドキュメンタリー 「皇室スペシャル 退位までの遥かなる旅路Ⅱ」
大震災後以降6度目になる福島ご訪問の最新情報をお伝えします。さらに、和装に込められた美智子さまの想いや、新皇后への道を歩まれている雅子さまとの絆をひもときます。
詳細情報
おしらせ
※野球中継延長により、放送時間変更の場合あり
番組内容
ご退位の日まで残り1年を切った天皇陛下と美智子さま。6月には天皇皇后として最後の全国植樹祭にご出席のため福島県へ。原発事故によって危ぶまれた日本の未来…過酷な暮らしを余儀なくされてきた福島県民にずっと心を寄せ続けてきた両陛下。大震災後以降6度目になるご訪問の最新情報を詳しくお伝えします。
番組内容2
また、ご成婚から59年。皇太子妃として皇后として国民に接し、国際親善も務めてこられた美智子さま。中でも印象的なのが、国民や海外の人たちを魅了する凛とした和装のお姿です。美しき和装に込められた想いをひもときます。さらに、6月にはご成婚25年の銀婚式を迎え、新皇后への道を歩まれている雅子さま。“自信に満ちた笑顔”には、美智子さまとの絆…秘められた想いがありました。
初回放送日
2018/6/16
番組概要
日本中を震撼させた「あの事件」、日本中が感動した「あの瞬間」。懐かしい喜び、衝撃…思い返せば、さまざまな感情があふれる出来事があった。「あの時のニッポン」を、貴重な映像や証言と共に振り返る。また、過去だけではなく今起きている事、さまざまなジャンルの新たなドキュメンタリーに挑戦。長期間にわたる取材、徹底的な検証、味わいあるナレーションで、地上波では見られなくなった「ドキュメンタリーの王道」を目指す。
番組ホームページ
<番組ホームページはこちら!>
www.bs-asahi.co.jp/documentary/
制作
BS朝日
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ザ・ドキュメンタリー 「皇室スペシャル 退位までの遥かなる旅路Ⅱ」
  1. 美智子(さま)
  2. 両陛下
  3. 着物
  4. 雅子(さま)
  5. 平成
  6. 訪問
  7. 陛下
  8. 福島
  9. 皇后(さま)
  10. 着物姿



『ザ・ドキュメンタリー 「皇室スペシャル 退位までの遥かなる旅路Ⅱ」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


まるで 美智子さまのお心が
映し出されたかのような

和の装い。

誰もが憧れる
美しすぎる美智子さま。

皇后としてのお着物姿も
あと1年で見納めです。

世界の人たちを魅了した

美智子さまの
和の装いに込められた深い思いを

数々のエピソードで
ひも解いていきます。

そして…。

ご成婚25年の銀婚式を迎えられた
雅子さまが

最近よくお見せになる

美智子さまから受け継がれた

そこに秘められた
雅子さまのご決意とは?

さらに
美智子さまがサプライズ演出!?

この時 新皇后への

世紀のバトンタッチが
行われていたのです。

今回で 震災後6度目。

最後になるであろう福島ご訪問。

2泊3日
陛下と美智子さまの思いの全てが

ここにありました。

それは 強い関心を持たれてきた

福島第一原発周辺の

日本を代表する影絵作家
藤城清治さんが

あえて現場に赴き
描こうとした訳。

そこには 危ぶまれる日本の未来

両陛下と
相通じる思いがあったのです。

今月2日 来日中の
ベトナムの国家主席夫妻を

お訪ねになった天皇皇后両陛下。

これまで 美智子さまは
多くの公式の場で

美しい着物姿を
披露されてきました。

♬~

皇室に入られてから59年。

皇后としての着物姿も
あと1年で見納め。

美智子さまの
和の装いに込められた深い思いを

これから ひも解いていきます。

♬~

ご成婚の翌年の昭和35年9月。

初の海外ご訪問でアメリカへ。

最初の訪問先 ハワイ。

多くのアメリカ人を前に
緊張の面持ちでしたが

その後 陛下と美智子さまは

確かな手応えを感じられるのです。

お二人は アメリカ人から
大歓迎を受けたと

皇室ジャーナリストの
渡邉みどりさんは話します。

その理由は

これは 渡邉さんが

当時の宮内庁関係者から
見せてもらった

一覧表の内容です。

帯や履物など 数が少なくても

着物との組み合わせで
印象が変わるのです。


こちらは
裾と袖に鶴が描かれた訪問着。

日本の代表的な

♬~

そして この着物は

大輪の菊と桐が刺繍された
豪華な一枚。

アメリカ人の女性は皆
その美しさに目を奪われました。

♬~

さらに こちらは

紅白の梅文様の訪問着。

卓越した着物の
コーディネート力を発揮された

美智子さま。

♬~

こうして
16日間のアメリカご訪問で

17着の着物を見事に着こなし

国際親善デビューの大役を
果たされたのです。

実は アメリカでたくさんの着物を
お召しになったのには

もう一つ
特別な理由がありました。

戦時中
敵国民として収容所に入れられ

戦後も苦労を重ねてきた
日系移民のために

着物をお召しになった美智子さま。

その思いに 日系移民たちは
心を打たれたのです。

そして 2年後の昭和37年

パキスタンと
インドネシアご訪問で

赤道を通過された際

機長から記念の証明証を
渡された時の一枚です。

美智子さまの着物は

アメリカご訪問の際に
お召しになっていた

梅文様の訪問着。

金色のぼかしに つややかな
紅白の梅が描かれています。

同じ年の11月 陛下と共に

フィリピンを訪問された
美智子さま。

これは 大統領官邸の

マラカニアン宮殿で撮影された
一枚ですが

この時の美智子さまの着物も
梅の柄でした。

実は アメリカご訪問の時の着物

インドネシアで
お召しになっていた着物

そして
フィリピンでの着物は同じもの。

渡邉さんは この梅の柄を見た時に
ピンときたそうです。

美智子さまの梅の着物は

渡邉さんが
東宮仮御所の応接間で見た

日本画家 前田青邨の
『紅白梅』の絵に似ていたのです。

♬~

実は この梅の着物

その後 渡邉さんが
当時の東宮侍従に取材したところ

美智子さまが あの絵のようにと
あつらえた着物だったと

わかったそうです。


美智子さまの勝負着物。

なぜ 前田青邨の梅を

美智子さまは
選ばれたのでしょうか?

実は 香淳皇后は

画集を2冊も出すほどの
日本画の腕前。

その香淳皇后の絵の先生が

『紅白梅』を描いた
前田青邨だったのです。

美智子さまは
香淳皇后への敬愛の念を

この梅の着物に
込められていたのかもしれません。

美智子さまと着物。

その原点は?

これは 昭和34年4月10日

美智子さまが
実家の正田家から嫁ぐ日の写真。

その後ろで
娘の姿をじっと見つめているのが

着物姿の母 富美子さんです。

この時に着ていた着物を
あつらえたのが

個性的で華麗な着物で知られる
京染呉服の店です。

二代目の高橋泰三さんは

美智子さまがお召しになる着物を
作っています。

平成24年
来日したマレーシア国王夫妻を

おもてなしされた時の着物も
その一つです。

七五三の振り袖。

美智子さまの着物姿の原点です。

そんな美智子さまの
着物姿といえば園遊会。

美智子さまを始め

妃殿下たちが
着物でずらりと並ぶ姿は圧巻です。

♬~

園遊会でお召しになる
美しい着物。

それは 美智子さまならではの
心配りだといいます。

園遊会は
天皇陛下と美智子さまの主催。

皇后としての品格を
保つだけではなく

招待客のおもてなし役である事を
考慮し

着物を選ばれているといいます。

平成25年の春の園遊会では

仲むつまじく
腕を組んで お出ましに。

円満 調和 ご縁などの
願いが込められた

七宝文様の袋帯に合わせた
訪問着は…。

小付とは 小さな文様の事。

小付をたくさん集めた柄は

まさに
美智子さま好みだそうです。

10年ほど前から

美智子さまを始め
出席される女性皇族の方々は

洋装と和装を
1年おきにお召しになっています。

ところが
平成21年の春の園遊会では

美智子さま お一人だけが
着物姿でした。


実は そこには
招待客に対する

美智子さまの心遣いが
隠されていたのです。

平成21年の春の園遊会。

女性皇族の方々が
洋装でお出ましになる中

美智子さま お一人だけが
着物姿でした。

それは 美智子さまの
お心遣いだったといいます。

実は その2カ月前

美智子さまは
テニスコートで転ばれ

左膝後十字靱帯を
痛めていたのです。

洋装だと ヒールのある靴を
履かねばなりません。

そこで 美智子さまは
歩きやすい草履を。

♬~

平成2年10月に行われた
即位の礼。

翌日には

イギリスのチャールズ皇太子と
ダイアナ妃など

参列した国賓を招き

両陛下は
特別な園遊会を開かれました。

♬~

招いた
世界各国の人たちに

この時の美智子さまは
渋い金茶の地に

日本らしい
白梅の文様が印象的な

松竹梅の訪問着を
選ばれました。

♬~

♬~

そして 平成3年

即位後 初めての海外ご訪問で
マレーシアへ。

この時 美智子さまが選ばれた
着物の文様には

特別な意味が込められていました。

平安時代より伝わる遊び
貝合わせ。

その二枚貝をしまっておく箱は
貝桶と呼ばれています。

二つで一つの二枚貝は
夫婦和合の意味を持ち

それを納める
貝桶を模した文様は

吉祥の印とされています。

陛下と共に
国と国を結ぶ懸け橋になりたい。

そうした ご決意の
表れだったのかもしれません。

平成19年5月に訪問された
リトアニアでは

こんな特徴のある帯を
締められていました。

これは 江戸時代を代表する
画家の作品を模したものです。

作者は 尾形光琳。

金箔の屏風に鮮烈に描いた
燕子花の群生です。

確かに
平成22年5月に来日した

カンボジアの国王を
お迎えになる時も…。

♬~

さらに 平成24年5月

エリザベス女王の在位60周年の
祝賀行事に参加された時も

燕子花の帯を
お締めになっていました。

着物で

皇后として国際親善に臨まれる
美智子さまは

着物に
深い思いを込められていました。

♬~

平成2年に行われた
礼宮さま

今の秋篠宮さまと紀子さまの
納采の儀。

紀子さまがお召しになった
振り袖は

美智子さまが紀子さまのために
あつらえたものです。

さらに

紀子さまが
締められていた

丸帯
唐錦菊葉紋は

美智子さま
ご自身が

納采の儀で
お締めになったもの。

実は その帯は

美智子さまが香淳皇后から
譲り受けたものだといいます。

それは 代々受け継がれる
特別な帯。

平成5年4月の

皇太子さまと雅子さまの
納采の儀でも…。

渡邉さんに
よると

この時に

雅子さまが
締めていた

七宝華紋の
丸帯は

美智子さまが

婚約発表の際に
されていたもの。

平成17年
紀宮さまのご結婚。

この時 美智子さまは

特別な着物を
お譲りになっています。

それは 平成3年に
美智子さまが皇后として初めて

海外ご訪問になった時

お召しになった
もの。

あの
吉祥を表す

貝桶の文様のある
着物です。

紀宮さまは 美智子さまの
大切な着物をお召しになって

結婚披露宴に臨まれたのです。

そして 美智子さまの
着物に込められた思いは

次の世代へと受け継がれています。

平成23年
悠仁さまの着袴の儀では

秋篠宮ご一家そろって
着物姿に。

眞子さまは水色

佳子さまは
ピンクの振り袖で華やかに。

眞子さまは
初の海外ご訪問で

着物姿の国際デビューも
果たされています。

皇后としての美しい着物姿も
あと1年で見納め。

番組後半では
皇太子妃から皇后へ

59年の着物の歩みに注目します。


先月30日 皇居 宮殿で

来日した
ベトナムの国家主席を歓迎する

宮中晩餐会が開かれました。

平成になってからの国賓は
今回で63件目。

天皇陛下が晩餐会を開かれるのは

これが最後となる
可能性もあります。

晩餐会には
皇太子さまと雅子さまもご出席。

皇太子ご夫妻は 今月9日に

ご成婚25周年の銀婚式を
迎えられました。

さかのぼる事 34年前

陛下と美智子さまが
銀婚式を迎えられた時の記者会見。

この時 あの伝説のお言葉が
お二人の口から…。

(記者)お互いに 何点ぐらい
おつけになるでしょうか?

まず
殿下の方から お願い致します。

銀婚式を迎えられた
皇太子さまと雅子さまにも

記者会から

「互いに何点を差し上げたい」
という質問がありました。

皇太子さまのお答えは?

一方 雅子さまは
皇太子さまに対して…。

先月 そんな雅子さまに
素晴らしい出来事がありました。

(拍手)

(拍手)

雅子さまの腕に手を添えて
並ばれる美智子さま。

まるで

「雅子をよろしくお願いします」と
あいさつをされているかのよう。

それは
世紀のバトンタッチだったのです。

♬~

今年の

皇居前には
朝から長蛇の列ができ

この日の参加者は

平成に入って最多の
12万6720人に達しました。

万歳! 万歳!

美しいブルーのドレスを
身にまとう雅子さまも

笑顔で手を振られていました。

この時 雅子さまが

胸元につけられていたブローチに
注目していたのは

『女性自身』の皇室担当記者
近重幸哉さんです。

雅子さまがつけていたのは

パールやダイヤがちりばめられた

華やかなデザインのブローチです。

昭和45年10月

美智子さまの誕生日写真。

そこには
あのブローチが。

美智子さまが愛用されていた
ブローチを

雅子さまが
譲り受けていたといいます。

実際 皇太子妃として
初めての海外ご訪問

平成6年の中東歴訪の時

雅子さまの胸に

あのブローチが輝いていました。

そして 平成25年

オランダ国王の即位式のため

11年ぶりに
海外ご訪問を果たされた際にも…。

雅子さまにとって
いわば 勝負ブローチ。

今年の新年一般参賀で

美智子さまのブローチを
お使いになったのは

新皇后への
ご決意の表れなのかもしれません。

毎年1月 両陛下をはじめ

皇族方がおそろいになる
講書始の儀。

ここに 雅子さまは
15年ぶりに出席されていました。

さらに
3月に皇居東御苑で開かれた

音楽大学卒業生による演奏会での

美智子さまと雅子さまの
ご様子にも 注目が。

♬~(歌とピアノ)

美智子さまからのお言葉に
笑顔でうなずかれる雅子さま。

これは
本格的な回復の兆しではないかと

長年 皇室を取材してきた
近重さんは言います。

5月13日 母の日。

皇太子ご一家を乗せた車が皇居へ。

この日 雅子さまは
美智子さまから

ある大事なお務めを
受け継がれるための

第一歩を踏み出しました。

向かった先は

皇居の森の高台にある

今から100年ほど前に
建てられたもので

ここで 毎年 春から初夏にかけて

美智子さまは
蚕を育てているのです。

当時 生糸は
日本にとって重要な輸出品目で

明治の昭憲皇太后が
養蚕業奨励のため

皇后のご公務として
始められました。

昭和の時代 長年続けてこられた
香淳皇后から

美智子さまが
ご養蚕を受け継がれたのは

平成2年の事。

それが 今 奈良時代の
貴重な宝物を救うという

驚きの事態にまで
発展しているのです。

これは

とても美しく
繊細な生糸になりますが

他の品種に比べ
繭が小さく 手間のかかる事から

養蚕農家でも
ほとんど育てなくなっています。

宮内庁でも 飼育中止の意見が
上がりましたが…。


美智子さまのご決断で
飼育が続けられた小石丸。

これが
意外な成果に繋がりました。

6年前
皇居東御苑の三の丸尚蔵館では

美智子さまの
ご養蚕の足跡を紹介する

特別展が開催されました。

ご見学に訪れた陛下と美智子さま。

これは
小石丸の繭を育てる時に使う

藁蔟という道具。

美智子さまが
自らお作りになったものです。

手間ひまかけて作られた
小石丸の繭から…。

つやがあって 毛羽立たない

優れた特性を持つ
美しい生糸が生まれるのです。

この貴重な小石丸の生糸が
奇跡を生みます。

正倉院で
朽ち果ててしまう恐れのあった

奈良時代の織物のきれを

美智子さまが育てられた
小石丸の生糸によって

よみがえらせる事ができたのです。

その偉業は
海外でも紹介されています。

美智子さまは

後世にも残る文化的事業に
大きな足跡を残され

皇后のご養蚕に
新たな意義を見いだされました。

さらに 美智子さまのご養蚕は
国際親善にも生かされています。

来日したベトナム国家主席の
夫人が着ていたスーツは

去年 両陛下が
ベトナムを訪問された際に

それは
御養蚕所で作られたものでした。

そうした中 雅子さまは

皇居のご養蚕を受け継がれるため
皇居を訪問されたのです。

そして その3日後の5月16日。

美智子さまと雅子さまの間で

ついに あの世紀のバトンタッチが
行われたのです。

東京の明治神宮会館で開かれた
全国赤十字大会。

赤十字社の名誉総裁である
美智子さまは

皇后として最後の全国大会。

雅子さまは副総裁として
15年ぶりのご出席となりました。

(司会)秋田県 スズキカツオ様。

美智子さまから

医療やボランティア活動で
功績のあった個人や団体に

メダルと賞状が授与されました。

(拍手)

来年からは 皇后として
名誉総裁を受け継がれる雅子さま。

この時 現場で取材していた
近重さんは…。

日本赤十字社の名誉総裁は
歴代皇后が務めるもので

美智子さまも
今の雅子さまと同じように

皇太子妃時代は名誉副総裁でした。

美智子さまは ご公務の合間に
日赤に何度も足を運び

災害で救護した時に使う

産着を縫うお手伝いをした事も
ありました。

そして 昭和から平成になり

名誉総裁を受け継がれた
美智子さま。

毎年
功労者を労ってこられたのです。

今年の大会では

海外の紛争地域で
救護活動を続けてきた

看護師の報告がありました。

食べるものもなく

あふれんばかりの
海の水はあるのですが…。

名古屋第二赤十字病院の看護部長
伊藤明子さんです。

(カメラのシャッター音)

そして 赤十字大会も終わり

美智子さまが
会場から退場される時でした。

式次第では
美智子さまが先に足を進め

そのあとを
雅子さまが歩かれるのですが…。

(拍手)

♬~

雅子さまの腕に手を添えて
並ばれる美智子さま。

お二人で客席に向かい
深くお辞儀をされたのです。

♬~

会場からは
温かな 大きな拍手が起きました。

(拍手)

それは まさに
世紀のバトンタッチだったのです。

一方で
長期ご静養中の雅子さまも

皇后へのご決意を
新たにされていました。

(ショコラの鳴き声)

雅子さまのそばには
いつも犬がいました。

実家の小和田家には
ショコラという愛犬が。

ご成婚後には

赤坂御用地に紛れ込んだ犬が
産んだ子をもらい

お二人は
ピッピと まりと名付けられ

家族の一員として
愛情を注がれていました。

さらに
愛子さまが成長されると

動物病院からもらい受けた犬
由莉を飼われるように。

そんな雅子さまが お忍びで

毎年のようにお訪ねになる場所が
あります。

それは 学習院のイベントの際
設けられている

アイメイト協会のブースです。

GOOD。 右手を大きく
足に合わせて振っていきましょう。

アイメイト協会は
視覚障がい者への支援と

盲導犬の育成訓練を行っています。

握っている左手から
左右の動き 感じると思います。

(横山さん)GOOD GOOD
GOOD。 うまいね。


雅子さまは
視覚障がい者やスタッフに

積極的に
お声掛けをされているそうです。

家族や犬を大切にされてきた
雅子さま。

そうした
優しい社会であってほしい…。

銀婚式の文書回答からは
そんな思いが伝わってきます。

陛下のご退位まで1年を切る中

美智子さまから雅子さまへの
バトンタッチが始まっています。

(拍手と歓声)

先週土曜日 両陛下のお姿は
郡山駅にありました。

これで最後になるであろう
福島の旅です。

車に乗られてからも
ずっと手を振られるお二人。

大震災後 これで6度目にもなる
福島ご訪問。

皇室ジャーナリストの
神田秀一さんは

両陛下の思いを こう推察します。

両陛下が向かわれたのは

浪江 双葉 大熊 富岡の
主に4つの町から避難した人たち

およそ440人が暮らしています。

(歓声)

両陛下は テーブルを囲む形で
住民たちと懇談されました。

(伏見さん)はい。

(伏見さん)はい。

(伏見さん)はい。

(伏見さん)はい。
ありがとうございます。

この時 言葉を交わした
伏見敏夫さんは…。

そのあと 両陛下は

この日の宿泊先
スパリゾートハワイアンズへ。

(歓声)

美智子さまー!

(歓声)

昭和41年の開業当初から
行われている

フラダンスショーは
今も大人気です。

♬~「見上げてごらん夜の星を」

地元の人々を勇気づけるため

被災地の元気な姿を
見てもらうため

震災で施設が閉鎖している間
国内外の公演を行ったのです。

フラダンスは
多くの人に感動と勇気を与え

東北復興のシンボルとまで
呼ばれるようになりました。

そんな思いで
アウリィさんらフラガールたちは

両陛下にダンスを披露したのです。

♬~(音楽)

ダンスをご覧になった両陛下は

アウリィさんに近づかれ
労いのお言葉を…。

2日目は

太平洋沿岸部の雫地区で
両陛下は

津波で亡くなった25人の犠牲者を
慰霊されました。

♬~

そして 近くの
海岸防災林整備地で行われる

全国植樹祭へ。

大震災後 初めて
被災地で行われる植樹祭。

両陛下にとって
これが最後のご臨席です。

美智子さまは
アカマツをお手植えに。

津波で破壊された防風林。

その再生のために必要な
木の苗木を植えられました。

最後になる植樹祭で 両陛下は

一日も早い福島の復興を
願われたのです。

3日目は
台風の接近で激しい雨。

実は この日の朝 美智子さまは
38度を超える発熱があり

ご視察が危ぶまれていました。

しかし 美智子さまには

病を押してでも
赴きたい場所があったのです。

そこは 相馬市の原釜地区。

大震災の時には

9メートルを超す大津波が
押し寄せた場所です。

この地区では 207人が犠牲となり

4年前に
慰霊碑が建てられています。

雨が降りしきる中

美智子さまは力を振り絞り
慰霊碑に向かわれたのです。

震災で殉職した消防団員の
遺族にもお会いになり

慰められました。

(スタッフ)こんにちは。
菊地さんですか?

74歳になる菊地キイ子さんも

美智子さまのお言葉に救われた
一人です。

自宅は
この原釜地区にありました。

自宅も店も流され
義理の妹が犠牲に。

菊地さんは
多くのものを失ってしまいました。

予想だにしなかった

当時 菊地さんたち家族は

避難所の小学校に
身を寄せていました。

すると 震災から2カ月後
思わぬ出来事が…。

美智子さま!

避難所を訪れたのは 両陛下。

菊地さんは 美智子さまから
慰めのお言葉を受けたのです。

すると さらに
美智子さまのサプライズが!

ダンボールの上にあった帽子を
気に留められ…。

小学生になったばかりだった孫は
今や中学生。

孫の柚花さんは
その時の帽子を持っていました。

菊地さんは 今 息子さんと懸命に
和食店を営んでいます。

さらに 両陛下は

同じ原釜地区にある卸売市場も
ご視察になっています。

今も 出荷できる魚の種類は限られ
試験操業中。

クロダイやカサゴなど
7種類は出荷できません。

風評被害と闘っている
漁業関係者に

心を砕かれる陛下と美智子さま。

この日 出荷が可能な
カレイとホッキ貝を

その場で購入し
持ち帰られました。

決して万全とはいえない
体調を押して

全てのご公務をこなされた
陛下と美智子さま。

これで最後になるであろう
福島の旅。

心を寄せ続けてこられた
お二人の姿が

全てを物語っていました。

♬~

実は
今回の福島ご訪問で両陛下は

いわき市から南相馬市へ
常磐道での移動中

ある施設を
ご覧になる予定になっていました。

それは 高速道路から
6キロほどの場所にある

福島第一原子力発電所。

その周辺は いまだ
帰還困難区域になっています。

お二人の思いを
神田さんは こう推察します。

なぜ それほどまでに 両陛下は

福島に 心を
寄せ続けられるのでしょうか?

そこには 震災前からの
深い繋がりがありました。

最初のご訪問は
ご成婚の2年後 昭和36年。

盛大な歓迎を受けました。

お二人は 福島市にある
視覚障がい者の支援学校を訪ね

あん摩マッサージ指圧の研修を
視察されています。

♬~

翌日には いわき市に移動し

小名浜港で開かれた
全国放魚祭にご出席。

タイやアジの稚魚などを
放流されたお二人。

美智子さまは
まだ慣れていないご様子でした。

天皇皇后として初めて
福島を訪問されたのは

平成7年の
国体開会式へのご臨席。

(歓声と拍手)

平成11年10月には

相馬市で開かれた
全国豊かな海づくり大会へ。

この時も お二人は

ヒラメなどの稚魚を
放流されましたが

さすがに
慣れた手つきの美智子さまです。

さらに 両陛下は
馬の伝統行事をご視察に。

(拍手)

それは この相馬地方で
1000年余り続いてきた

伝統行事 相馬野馬追です。

騎馬行列や競馬 そして

上空に放たれた旗の争奪戦などが
行われます。

(アナウンス)「取った!」
(会場の笑い声)

通常は 毎年7月末に行われる
野馬追ですが

この時は 特別に

この小さなグラウンドで
開催されました。

その時 両陛下のそばにいた
阿部多一さんは…。

騎馬行列の神輿を見ている
陛下の表情が

特に印象的だったそうです。

こうして 両陛下は
福島の伝統文化や自然

そして 人々と
触れ合ってこられたのです。

実は お二人は

この ひと月前にも
福島を訪問されていました。

そこには 出迎えた人たちに

優しい笑顔を投げかけられる
お二人の姿が。

こう語るのは

地元で卸売市場を営む
菊池俊一郎さん。

一体 何があったのでしょうか?

前の年の 平成10年8月

福島県南部の白河地方を
豪雨が襲い

阿武隈川や支流が氾濫しました。

氾濫した川の水が
卸売市場を襲ったのです。

商品は 全て廃棄となり

被害総額は
3億円に上りました。

卸売市場では
犠牲者は出なかったものの

隣村の福祉施設では
5人の命が奪われたのです。

(歓声)

この豪雨災害から1年後の
平成11年9月

白河地方を慰問された両陛下は

卸売市場にも
お越しになりました。

この写真は
その時に撮影された一枚でした。

こうした悲劇は
二度とあってはならないと

願われた両陛下。

しかし…。

平成23年3月11日
東日本大震災。

政府は 原子力緊急事態を宣言。

福島県民は
避難を強いられる事になります。

この緊迫した現状の中で
陛下は…。

当時の侍従長 川島裕さんに
こんな相談をされたそうです。

陛下に原発事故の報告をした
当時の菅総理は

最悪のシナリオの中に

両陛下の避難も考えたと
話しています。

しかし 陛下は…。

そうした中 陛下は

ビデオメッセージで
こう 訴えられたのです。

両陛下は その後
さらなる情報収集に動かれます。

皇居に招かれた専門家の一人
唐木英明さんです。

唐木さんは 中でも

美智子さまからのお言葉が
印象的だったと言います。

草間朋子さんも 美智子さまから
皇居に招かれました。

美智子さまのご質問は
尽きる事なく

1時間の予定が
40分も延長になったそうです。

過酷な状況が
次々と伝えられる中で

両陛下が 初めて
福島を訪問されたのは

ちょうど2カ月後。

福島市と相馬市の避難所を
お見舞いし

温かい言葉をかけられました。

避難を余儀なくされた人々は
増え続け

ピーク時には 16万5000人ほどが

ふるさとを離れて
暮らしていました。

翌年には 全村民の
一日も早い帰還を目指していた

川内村へ。

ここで 両陛下は
放射性物質の除染作業をご視察。

すると 両陛下は
突然 作業員の近くまで歩まれ…。

じかに現状を聞きたい。
そんなお気持ちが伝わってきます。

美智子さまは このご視察のあと

福島の人々を
こう気遣われました。

さらに 原発事故から2年後には

全村避難を強いられていた
飯舘村へ。

両陛下が訪問されたのは
精密部品の製造工場。

ここでの お二人の目的は

放射線量がわかる

ガンマカメラ開発現場の
ご視察です。

現在 ガンマカメラは
さらに小型化され

ドローンに搭載する実験を
繰り返しています。

(森岡さん)まあ こういった形に
なるかと思うんですけど…。

まだ除染の終わっていない
森林などを

上空から測定する事で

その対応策も
考えられるといいます。

こうして 原発事故に
強い関心を示されてきた両陛下。

そんなお二人の思いを知る
人物がいます。

それは 日本を代表する影絵作家

藤城清治さん
94歳です。

実は 去年

両陛下が
那須で静養された時

藤城さんの美術館を
お訪ねになっていました。

館内には
数多くの藤城さんの作品。

その中で 両陛下は

一枚の絵の前で
立ち止まられました。

そこに
描かれていたものとは?

童話をテーマにした作品や

愛らしいキャラクターで
表現された

メルヘンチックな作品で知られ

独特の世界を
つくり続けています。

美智子さまとの親交は長く

お忍びで
何度も展示会に足を運ばれるなど

非常に親しい間柄です。

雅子さまも
藤城さんのファンです。

愛子さまが1歳になる頃
展示会に訪れた事もありました。

実は 愛子さまご誕生を記念して
作られた影絵も

展示されていたのです。

タイトルは

昇る朝日は 輝く未来を

そして 宙に浮く樹木は
生命力をイメージしたものです。

(女性)愛子さまに…。

そんな藤城さんの
那須にある美術館を

去年 静養中の両陛下が
お訪ねになりました。

そこで お二人は

一枚の絵の前で
立ち止まられました。

絵のタイトルは

川には サケが遡上する様子が。

ススキが咲き誇り

その中に
たった一つ 希望の花 ヒマワリ。

遠くには原発。

折れ曲がった鉄塔が

事故のすさまじさを
物語っています。

壁の残骸に刻まれていたのは
宮沢賢治の

「世界がぜんたい
幸福にならないうちは

個人の幸福はあり得ない」
という言葉です。

福島第一原発付近を描いた影絵。

この作品を作るために
藤城さんは…。

大震災の翌年 防護服を着て

原発から わずか
2キロほどの場所まで近寄り

スケッチしたのです。

この時 88歳でした。

サケは戻ってきているのに
人は戻れないという無常さ。

両陛下は 真剣なまなざしで

この絵を
ご覧になっていたそうです。

この絵の向かい側には
原爆ドームの影絵が。

81歳の時の作品です。

ドームの前には
ハスの池が広がり

空には 祈りの象徴 折り鶴の群れ。

その折り鶴に向かい 手を広げる
少年と少女の姿。

そこには 21歳で終戦を体験

原爆の恐ろしさを知る
藤城さんの

平和への願いが
込められているのです。

これは 南三陸町の庁舎跡。

藤城さんは現場に赴き

積極的に
作品を描くようになったそうです。

現場に行き
肌で感じる事でわかる事もある。

藤城さんの思いと両陛下の思いは
繋がっていたのです。

それは
多くの命を奪った原爆。

最悪の状況にあった原発事故。

これ以上
悲劇を起こしてはならないという

強い危機感からだといいます。

昭和61年4月26日。

ソ連のチェルノブイリ原発4号炉が
メルトダウンし 爆発。

広島型原爆の400倍という量の
放射性物質が拡散しました。

その時 皇太子だった陛下は…。

それから23年経った
即位20年の会見でも

チェルノブイリ原発事故に
触れられています。

当時のソ連政府の
情報開示が遅れた事で

健康被害が拡大してしまったと

原発事故の問題点を
指摘されたのです。

さらに
東日本大震災のわずか2カ月前

チェルノブイリ原発のある

ウクライナの大統領が
来日した時には…。

陛下は 原発事故のその後に

強い関心を
寄せ続けてこられました。

そして 同じ悲劇が
福島で起きたのです。

今回の福島ご訪問では
天候が悪く

両陛下は 常磐道で移動中
車の中から

福島第一原発を見る事は
できませんでした。

それでも お二人は

原発の方向を
じっと見つめていらしたそうです。

まだメルトダウンした
燃料の回収にめどは立たず

汚染水の問題も解決されない
福島第一原発。

最後になるであろう福島ご訪問。

両陛下の願いに
どう応えていくのか。

私たち一人一人に
問われているのです。

このあとは
皇太子妃 そして皇后として

世界の人々を魅了してきた
美智子さまの着物姿で

59年の歩みを
ひも解いていきます。

これは 美智子さまが
婚約発表の際に

正田邸で撮影された
貴重なカラー写真です。

♬~

一方 こちらは
翌年1月の納采の儀の写真。

華やかな大振り袖に

香淳皇后から譲り受けた

丸帯をお結びになっています。

ご成婚後は

着物での国際デビューを
果たされた美智子さま。

♬~

♬~

インドでは かつての皇帝が
妻のために建てた霊廟

のちに世界遺産となった
タージ・マハルへ。

♬~

昭和37年には
パキスタンとインドネシアへ。

熱い国での強行軍。
それでも美智子さまは

涼やかに
着物をお召しになっていました。

昭和39年には
中米 メキシコへ。

30万人の大観衆が
お二人を出迎えました。

ここでも 美智子さまは

可憐な着物姿で
人々を魅了します。

お召しになっているのは
手描き友禅の訪問着。

濃淡のある若草色のぼかし

バラの花を染め抜いた
美しい着物です。

同じ年の12月には
タイをご訪問。

♬~

美智子さまがお召しになっていた
着物は

空を映したような青地に
白い椿が咲いたもの。

世界の人々に
日本の美を伝えられたのです。

皇后になられたあとの
着物姿は

さらに品格のある
凜とした たたずまいに。

♬~

♬~

国際親善で人々を魅了する

美智子さまの着物姿がありました。

(歓声)

このあとも
美智子さまの誕生日映像と共に

皇后30年の思いを
ひも解いていきます。

毎年 誕生日に公開される
美智子さまのお姿。

いつも陛下との
仲むつまじいご様子が印象的。

還暦を過ぎてからの装いは
ほとんど着物です。

だろうと思いますよ。

平成16年に

70歳の古希を迎えられた
美智子さまは…。

平成23年に喜寿を迎えられた
美智子さま。

東日本大震災が発生した年の
誕生日映像には

東北沿岸に咲く浜菊が
映っていました。

その花言葉は

被災した人たちを
勇気づけていらっしゃいました。

平成26年

80歳の傘寿を迎えられた
美智子さまは

翌年に
戦後70年を迎えるにあたり…。

平成29年 83歳の誕生日。

陛下が退位される事について

率直なお気持ちが
つづられていました。

ご成婚から59年。

陛下と美智子さまは
互いに寄り添いながら

国の安寧と国民の幸せを
願われてきたのです。

そして 今年8月。

天皇皇后として最後の
終戦の日を迎えられるのです。

今回が最後になるであろう
福島ご訪問。

退位されたあとも
陛下と美智子さまは

大震災 原発事故の影響で苦しむ
福島県民に

心を
寄せ続けていかれる事でしょう。

そして 終戦から73年の夏。

天皇皇后として最後の
終戦の日を迎えられるお二人。

あと318日

退位までの遥かなる旅路を
歩まれていくのです。


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