ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺美里×小松靖 …小室の引退についても語ってくれた。


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺美里×小松靖』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/23(土) 
[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺美里×小松靖
美里流!歌詞作りから私生活まで…51歳の素顔に迫る1時間。数々の名曲を共にした小室哲哉の存在とは?「My Revolution」誕生(秘)話、そして小室の引退についても語った!
詳細情報
番組内容
「My Revolution」「サマータイムブルース」など、数多くのヒット曲を持つ歌手・渡辺美里。力強く圧倒的な歌唱力で、聴く者の心に元気を与えてきた彼女が、歌手になったきっかけや、小室哲哉が作曲したデビュー4枚目のシングル「My Revolution」誕生秘話、数々の名曲を共に生みだした小室哲哉の存在、そして小室の引退についても語ってくれた。
番組内容2
18歳でデビューした渡辺は、翌年には、女性ソロシンガーとして日本初となるスタジアム公演を西武球場で開催。以降、20年連続公演という前人未到の偉業を達成した。この西武球場でライブをするキッカケには、驚きの事実があったという…!?また、西武球場をイメージして作った名曲や、西武球場公演の知られざる舞台裏にも迫る。さらに美里流!歌詞作りから私生活まで…51歳、渡辺美里の素顔と、疾走し続ける原動力を探る。
出演者
【ゲスト】渡辺美里(歌手)
【インタビュアー】小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
次回放送予定
次回6月30日は、俳優の椎名桔平に、テレビ朝日アナウンサーの下平さやかが迫る!お楽しみに。
番組概要
様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!
番組ホームページ
<番組ホームページはこちら!>
www.bs-asahi.co.jp/interview/
制作
BS朝日、ViViA
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ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺美里×小松靖
  1. 自分
  2. 小室

  3. 思います
  4. 気持
  5. 思い
  6. 美里
  7. コンサート
  8. ライブ
  9. 西武球場



『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺美里×小松靖』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


こんにちは。
(小松)こんにちは どうも。

はじめまして。
よろしくお願いします。

どうぞ こちらへ。
はい。

これ 手土産です。
あらっ…!

コンサートのグッズで
作ったんですけども…。

えーっ!

曲のタイトルが書いてある
歯ブラシ。

あらーっ!

アナウンサーさんも
口元が命という事で。

『10 years』とか『悲しいね』とか…。

見てください。
『悲しいね』って書いてある…。

ぜひぜひ。
ありがとうございます。

私 あの はじめましてって
申しましたけども

30年前に 実は コンサートで…。

あっ そうですか…。
私は一方的になんですけれども…。

ありがとうございます。

だから 今日
本当に楽しみにしてました。

こちらこそです。
ありがとうございます。

これ ちょうど その…
1988年にリリースした

『ribbon』っていう
アルバムの…。

持ってましたよ。
それの曲が 全部入ってます。

ああ なるほど…!
はい。

これはね… 歯ブラシなんですけど
使えないです。

使ってください ぜひぜひ。

♬~

〈歌手 渡辺美里は
51歳になった〉

〈思わず
口ずさみたくなってしまう

そんな曲ばかりだ〉

♬~「サマータイム ブルース」

♬~「すぐそばの」

〈デビューは

アイドルブーム全盛の
1985年だった〉

〈翌年には
女性ソロシンガーとして

日本初となるスタジアム公演を
成功させている〉

エブリバディー! ようこそー!

〈20年連続での
開催に

体一つ貫いてきた
気概がのぞく〉

〈全身全霊歌手の異名も
伊達ではない〉

〈駆け抜けた33年〉

〈ライブをやらなかった年がない
というのは

プロ意識の高さゆえ〉

〈観客を圧倒するパワーは
どこから生まれてくるのか

伝説のライブ映像と共に
ひも解いていく〉

♬~

♬~

♬~

レッドアロー号の…。

こちらも ダイヤを
決めやすいんですけどっていう…。

すごいですね。

多分 アーティスト これだけいて
鉄道会社から

曲順 決まりましたか? って
言われたのは

私だけだと思います。
いや ないと思います。

♬~

どんどん出てきますか?

アイデアとか
気持ちとかっていうのは。

どんどん出てきたら
いいんですけど

もうね それは もう
作るぞ! って…。

ただ 聴いてくださる方が
まあ その風景を…。

ようにはしてます。

♬~

だから うーん… ちょっと…。

そのタイミングが…。

あの もちろん すごく

全国各地でライブをされていた
っていう 一年通して…

イメージあるんですけども…。

そう 先ほど
ごあいさつしたばっかりの時に


実は はじめましてじゃないって
おっしゃってくださって

あの… コンサートは
どこのコンサートに…?

僕 札幌出身なんですけれども。
ああ そうなんですか!

恐らく 北海道厚生年金会館だと
思うんですけれども…。

すごい詳しい友達がいて
で その友達が

誕生日に 美里さんのCDを
プレゼントしてくれたんですよ。

へえ~… なんか
かなりイケてる友達ですよね。

だって 同級生でしょ?

同級生に
CDとかをプレゼントするって

なかなか
ハードル高いじゃないですか。

めちゃくちゃ高いですよ。 当時
3000円からするじゃないですか。

その方の愛情も感じるし
私に対する愛情も感じるし

小松さんに対する愛情も
感じますよね。

友情を感じますよね。

いっつも一緒に遊んでた
友人だったので…。

で その彼と一緒に

北海道に 渡辺美里さん来る
って言うんで ライブに行った…。

そうですか… 嬉しいですね。

北海道は 本当に もう
デビューの当初から…

ライブハウスの頃から
やらせてもらってますし…。

本当に広いじゃないですか。

だから 札幌まで出てきたら

ライブが終わって
地元に帰るのには

帰れない その日のうちには。
電車なくなっちゃったりとか…。

っていうのを思った時に
あっ じゃあ…。

って思って 北海道だけの

「なんまら会いたかったよ!ツアー」
っていうのをやったんですよ。

なんまら会いたかった。
なんまら会いたかったよ! って。

そうしたら もう

初めてライブに来ましたっていう
方たちもたくさん

地元の方 来てくださって

それがね ツアーの醍醐味で…。

で 留萌で
コンサートをやった時に

留萌って
ほら よく 天気予報とかでも

吹雪の映像とかが出てくる…。
そうですね はい。

そこに行った時に 先ほどの
歯ブラシじゃないですけど

『悲しいね』っていう曲を
歌った時に

『悲しいね』は もう
「白い雪が目の中におちてくる」

「君以外見えなくなる」っていう
歌なんですけど…。

もう 留萌の景色にぴったりで

うわあ これを歌うために 私
ここに来たんだわと思うぐらい

お客さんも そうだ そうだ
っていうふうな感じで

聞いてくださったので

その世界に…
その景色にぴったりの歌を

歌いまくりたいですね。

〈1987年リリースの『悲しいね』〉

〈作曲は あの小室哲哉だ〉

〈1966年 京都に生まれる〉

〈姉弟は 弟が2人〉

〈サラリーマンの家庭だった〉

〈幼い頃から歌に親しみ

10歳で すでに
歌手になると決めていた〉

その頃 一番聴いてた曲とか
アーティストとかって 誰ですか?

ビリー・ジョエル。

ああ~っ… はい。

ピアノもやってたので
ビリー・ジョエルの曲を…。


そういう譜面が
売ってたんですよね。

弾きながら…

『PIANO MAN』とかは
ハーモニカも出てくるんですけど

こういうのを持ってなかったので
弟に持っててって言って

♬~「タラララ ララララ」

って弾いて…
やったりしてましたね。

弟さん こうやって
持ってるんですか? 横で。

そうそう 持っててっつって。
年がら年中 歌ってました。

なんか 歌ってると 本当に
自分自身が 一番

自分らしくいられるような気が
してたので

歌いたいっていうふうには
思ってました。

その
一番自分らしくいられるって

歌ってる時が 本来の自分
っていう感覚なんですか?

どういうものなんですか?

なんか こう
解き放たれるというか

こう見えて
私 とても 人見知りで…。

こう見えてって どう見えてるのか
わかんないんですけど…。

こう もう33年も人様の前に…
舞台に立たせて頂いてますけれど

なんか その… 歌がある
音楽があるってなった時に

一番 自分の感情をそこに…
気持ちをそこに のせられるし

なんか こう 嘘がないし…。

一番 自分の心が自由になるような
気持ちになる感覚っていうのは

今現在もそうですし
子供の頃からそうでした。

ご家族とか 回りに その…
音楽に造詣が深いとか

歌が上手 好きだとかって方が
いたとか そういう事…。

…ではないんですけども。
でも

いつも 俳句の短冊が
うちに飾ってあって 季節の句が。

もうじき夏が来るんだなとか

もうじき こういう季節なんだな
っていうのを

いつも なんか
そういう事で感じてましたね。

あとは…。

親戚が集まってる時に
謡を披露したりしてて

全く 言ってる事
わかんなかったですけど

声質みたいなものに
もし恵まれてるんだとしたら

おじいちゃんに似てたのかなとは
思います。

おじい様の影響っていう…。
あるかもしれません。

うわあ… そうなんですね。

響きみたいなものは
おじいちゃんから。

で 言葉っていうのは
おばあちゃんから。

なんか 知らず知らずのうちに
身近にあった気がします。

〈高校3年の時

松田聖子を発掘した
オーディション

ミスセブンティーンに出場する〉

〈優勝こそ逃したものの

その場で急きょ設けられた賞に
選ばれた〉

〈歌唱賞だ〉

ミスセブンティーンって
どっちかっていうと

アイドル路線っていう
イメージがあるっていうふうに

伺ったんですけど そういう理解で
よろしいんですか?

そうですね。 でも その時代

バンドブームとかもない…
まだ その前ですから

どうやって そういう

デビューのきっかけを
つかんでいいのかっていうのが…。

その ボーカリストオーディション
とかっていうのが

自分でわからなかったので


アイドルのオーディションとか
なんとかっていう事よりも

自分が歌いたいっていう思いを

誰かわかってくれる人が
ここにいるかも

っていう思いのほうが
強かったんですよね。

だから
アイドルになれるかもなんて

そんな恐れ多い事
みじんも思ってなくて…。

なんか レコード会社の人に
歌を聴いてもらったら

1人ぐらい いいねって
言ってくれないかなって思って

応募しました。

選曲 大事ですよね
何を歌うかっていう…。

EPOさんの

『土曜の夜はパラダイス』という
曲を歌いました。

これ 選んだ理由っていうの
なんか あるんですか?

歌謡曲とかとは ちょっと違う…

何か こう すごくワクワクする
そして かっこいい。

で 自分の声が生きる歌だな
というふうに思って。

本番は うまく歌えたんですか?

普通は その デビューできるのは
ミスセブンティーンと

準ミスセブンティーンだけなはず
なんですけど

その時には…。

って 特別に
アナウンスされたんですね。

その日に?
その日に。

そんなのがあります
っていうのはなくて

歌唱賞というのを設けましたって
言われた時に

もしかして 私かもって
その時はね

誰も 何も言われてないのに
私かもって思いました。

あっ そうですか。
うん。

じゃあ そこから こう
世界が変わってくっていう…。

で そのあと ソニーの方から

もう一度 歌を聴きたいんだけど
会いませんか?

っていうふうに言って頂き

二度目のガッツポーズ。
イエーイ 来た! って思って…。

で 私のボーカリストキャリアが
始まるんですけどね。

〈1985年 高校を卒業してすぐ

『I'm Free』で
歌手デビューした〉

〈程なく巡り合う曲で

美里は
トップシンガーに上り詰めた〉

〈『My Revolution』だ〉

〈TM NETWORKで
デビューして間もない小室哲哉が

作曲を手掛けている〉

〈小室サウンドという言葉など
まだなかった時代…〉

〈洗練されたメロディーに
力強い歌声を溶け込ませた〉

♬~

♬~

出世作と言ってもいい
『My Revolution』。

これは 4枚目のシングル
っていう事になるんですか?

ちょっと待ってくださいね。
『I'm Free』『GROWIN'UP』…。

そうですね はい。
4枚目のシングル。

最近ね その枚数とかが

ありがたい事に
たくさん作ってきてるので

何枚目って言われると えっ?
って 時々ちょっと…

数字が わかんなくなっちゃう時が
あるんですけど。

それって 別に 勘定するわけじゃ
ないですもんね。

そうですね。

ちなみに 全部で
何枚 出されたんでしたっけ?

57枚。
57作ですね。

そうですよね。

シングル曲だけで
コンサートやろうと思っても

収まりませんからね。
57曲あると。

本当ですね。
ありがたい事ですよね。

この まあ… 大ヒット作
『My Revolution』ですけれども

どんな きっかけで
生まれたんですか?

これは デビューアルバムの
『eyes』というアルバムを

レコーディングしてる時に…。

直接 伝えたいと思ってくれたのか
スタジオに…。

別の曲のレコーディングを
している所に来て

スタジオの片隅のピアノで

こんな曲なんだけど
っていうふうにして弾いてくれて

私が そのあと
ラララで歌ってみて

すごい いい曲だねっていうのが
最初の出会いです。

最初にビビッと その瞬間…。
へえ~!

もう 曲を聴いた瞬間に
うわ~! って鳥肌が立って

すごい いい曲! って。

ラララで歌っても
いい曲なんだから

絶対すごい曲になりますね

なるねっていう話をした覚えが
あります。

そうですか。

小室さんっていうのは

美里さんにとって
どういう存在なんでしょう?

本当に デビューする前から
私が高校生の頃に

小坂洋二さんという
プロデューサーの方に

私が担当してもらうっていう事が
決まった時点で

あの… レコーディングスタジオに
遊びにおいでって。

レコーディングって
どんな事やってるか

見に 聴きにおいでよ
って言われた時に

そのスタジオで
TM NETWORK…

小室さん率いる TM NETWORKと
大江千里さんが

スタジオの2階と3階でっていう形で
レコーディングをされてて。

その当時は
まだ TM NETWORKも

これからっていう
時期でしたから

まあ かなり… 10個ぐらい
皆さん 上だったのかな。

お兄ちゃんたちが 木根さんと
宇都宮さんと 小室さんと。

周りにいる人たちも
みんな 髪の毛 染めてて

なんか ちょっと…
ちょっと怖かった。

TM NETWORKといえば
そうですよね。

ちょっとね 髪の毛を…。
ビジュアル… はい。

でも 小室さんは
その当時から

偏食で… お魚とかが食べれない
っていう感じで

なので お弁当を頼むのも
ハンバーグとか

そういうものを
みんな いつも出前をとって

美里ちゃんも一緒に
食べてったら? って言われて


お弁当を いつも
ごちそうになっていて。

高校生の時からの
お付き合いですので

まさに 歌謡曲とか
ニューミュージックとか

フォークとかって言われるのとは
また ちょっと ひと味違った

コンピューターを駆使した音楽を
発信し始めた頃だったので

小室さんたちが…。

なんか 面白い事が始まるぞ
ここからっていうような。

どうなっていくのか
わからないけど

何かが生まれようとしてる。

その ザワザワ感みたいなものの
才能が

まさに 芽吹こうとしてる時に
出会えたっていうのは

本当に 私としても幸せな事だな
っていうふうに思います。

〈やがて 小室とは

作詞家 作曲家として
タッグを組み

ヒットを連発していく〉

〈1991年リリースの『卒業』は

2人で作った曲の中でも
思い入れが深いようだ〉

例えば 小室さんは
歌手 アーティストである

渡辺美里という人物…
アーティストを

どんなふうに
評していたと思いますか?

それは わかんない。
ちゃんと聞いた事ないな。

ないんですか?
うん。

あの… 『卒業』っていう曲が
あるんですけど

あの曲は 詩で決まったよね
っていうふうに制作の段階で…。

でも
あのメロディーがあったから

「卒業できない 恋もある」
っていう歌詞が

フワ~って
降りてきたんだけれども

小室さんからは あれは
詩の勝ちだよねって言われた時に

ちょっと嬉しかったですね。

勝ち負けとかないんですけど
お互いが 両方とも相乗効果で

いい曲になっていくんだけども

特に 小室さんは
『卒業』っていう曲が

すごく褒めてくれたな
っていう覚えがありますね。

〈その知らせは突然だった〉

〈才能を認め合った盟友が

今年 音楽界からの引退を
発表した〉

〈渡辺美里は

のちに ヒットメーカーとなる
小室哲哉と

多くの楽曲を世に送り出した〉

〈高校時代から知る盟友は
しかし 今年 引退を発表〉

〈去りゆく背中を
複雑な思いで見ている〉

もう あの… 出会った頃と

今現在のっていうか
ここ十何年の小室さんとでは

取り巻く環境と

あとは 世の中に与える影響力
っていうのも

全然 変わってきてしまっていて

お仕事する事も そんなに
多くはなくなったんですけども

テレビの番組とかで

ちょこちょこ…
時々 お会いしてたんですね。

会う度ごとに

私が知っている小室さんも…
なんていうんだろう。

ほとばしる 音楽に対する

情熱みたいなものを
持ってる小室さんとは

違う小室さんになっているな
っていうのを

友達なりに感じていたので。

なんか これは そういう
引退の発表されてから言うのは

勝手なのかもしれないですけど
友達として見ると

タイミングを
待ってたような気がしちゃって

それぐらい
しっかりと呼吸ができないままに

全速力で走らなきゃいけない
状況が

ずっと続いてたんだろうな。

だから うーん… ちょっと

やめるっていう事を
言いたかったんだろうなっていう。

そのタイミングが…
あのタイミングは

友達として とても悲しい気持ちに
なってしまったんですけど

でも 深く深呼吸して

自分自身の健康も
取り戻した時に…。

そうあってほしいです。

なので 昔から
近いところで見てる私としては

作らずにはいられない
っていう日が

絶対来ると思う。 うん。

そうなった時に…。

〈1986年 美里は
新たな地平に立った〉

♬~「求めていたい
My Revolution」

♬~「My Tears」

〈女性ソロシンガーで

日本初となる スタジアム公演を
やってのけたのだ〉

〈舞台は 埼玉の西武球場〉

〈デビュー2年目で
二十歳になったばかりだった〉

♬~(一同)「D・A・T・E」

〈以来20年 西武球場が
ドームになっても続いた

スタジアムライブ〉

〈意外にも 元々は
軽い気持ちで始めたそうだ〉

美里さんの代名詞とも言える
西武球場でのスタジアムライブ。

きっかけって
なんだったんですか?

あれは その夏の時期に
スタジアムが何日間か

選手の方たちが出かけてる間
ぽっかり空いているので

ここで 何かイベントをやらないか
っていう事を

放送局の方とスタジアムの方たちが
話し合いをされてて

来年 西武球場っていう所で
コンサートをやらない? っていう

声かけてもらってるんだけど
やってみる? って言われて

私は その時
ラジオの生放送の準備をしてて

葉書を読んでたんです。

ああ やってみようかなって
葉書のほうに気持ちがいってて

そんな大層な事が決まるって事も
思わずに

返事をしてしまったとこから
始まって。

えっ?
西武球場のスタジアムライブは

まさかの 話 半分で聞いてて
決まったっていう…。

そうです そうです。
ええ?

ああ… うん。
やる やる… やってみるって。

1年目って 失礼ですけど
お客さんは どのぐらい…?

まあ ありがたい事に
スタンド席の所に

夏だから 白いTシャツの人が
目立つなって

歌いながら見えるぐらい

スタンド席も
たくさん入って頂けました。

それ見た時 どういう
お気持ちになりました?

いや もう なんか
めまいがしました。

人が… 人がたくさんで
ああ… って。

そうですか。
クラッとしました。

暑さもあって。
でも そこから駆け抜けましたね。

そうですね。
だから それがあったからこそ

夏になったら
あの場所で歌いたいとか

あの場所で歌う曲を作ろうって。

『夏が来た!』ができたり

『サマータイムブルース』が
できたりしましたから。

ハロー! ハロー ラヴァーズ!

♬~

♬~「wow wow」

〈いつからか 西武球場ライブは
夏の風物詩となり 延べ

〈押し寄せる人々のため
鉄道会社では

臨時列車 MISATO TRAINを
走らせたほど〉

〈日本のミュージックシーンに残る伝説を

まさに ファンと共に作り上げた〉

西武球場は 美里さんにとっては
どんな場所ですか?

まあ…
ひと言で言うの 難しいですね。

あの… 学びの場でもあったし

自分自身を やっぱり
鍛えてくれた所でもあるし。


それを継続する事によって

私っていう事を
認識してくださった方が

たくさん増えていったし。

もう どんどん どんどん
回を重ねるごとに

この場所に帰ってきた
っていう気持ちになれる。

やっぱ 20年通うと

生まれた子が
成人式を迎えるまでの年月なので

ああ この夏に帰ってきたなあ

っていうふうに思える場所に
なってった事が

自分の中で一番大きな
西武球場への思い。

番組のほうで スタッフと
過去の西武球場の映像を見た時に

どうしても気になるシーンが
ありまして。

美里さんが

泣いちゃって 歌えなくなってる
っていう時があって。

すいません。
いつの時でしょうか?

結構 私 ちょこちょこ…。

ちょこちょこ泣いてるんで
っていうか

感極まる事がね
やっぱね 夏っていう事と

この一瞬にかけるっていう なんか
高校球児みたいな気持ちで

毎年 スタジアムに臨んでたので。

結構… 結構 泣いてるって
ダメですよね。

いえいえいえ…。

どれだろう? 泣いてるのは。

曲でいうと 『いつか きっと』
だったんですけど。

ああ~。

証拠。
これが目に入らぬか! って?

すいません なんか…。
じゃあ ちょっと 1回…。

これは ウェーブが
起こってるとこですね。

(歓声)

♬~

「27歳の時ですね」
「27歳」

抜群のタイミングの
ビッグウェーブ!

リハーサルしたんじゃ
ないの?

イエー! サンキュー!

「なんで泣いてるんだろ 私。
フフフ…」

「これは どういうお気持ちに
なったんでしょうね」

「すごいですね。
この映像なんですけど

どういう気持ちだったんですか?
みたいなのって ちょっとね」

「その時は その時だよ
って話ですもんね」

「まあ ライブなのでね」

「どの曲も
皆さん 思いを一心に

ぶつけてくれてると
思うんですけど」

「特に “いつかきっと"
っていう

その言葉が
象徴するように

それぞれの なんか…

いつの日かきっと
っていう思いを

皆さんが
ワッと歌いだしたから」

「自分の中でも
空回りしてる思いを

みんなが 私の気持ち
わかってくれてる

っていうふうに 多分
解釈したんだと思います」

♬~「汚れた宇宙も
やがて息づいてく」

その先 また何年も
球場ライブを続けるなんて

全く思っていなくて。

今日 完全燃焼しよう!
っていう思いで歌ってるので。

その次の年の契約は
してないんですね。

契約更新 毎年してるわけじゃ
ないんですよ。

でも 球場の方から
また来年も ぜひやってください

っていうふうに
言ってもらったりとか。

あとは 鉄道のほうから…。

レッドアロー号の電車の時間を
決めなきゃいけないので

曲数 分数を
大体 出して頂けると

こちらも ダイヤを
決めやすいんですけどっていう…。

西武さんのほうから?
はい。

すごくないですか? それって。
すごいですね。

多分 アーティスト これだけいて
鉄道会社から

曲順 決まりましたか? って
言われたのは

私だけだと思います。
いや ないと思いますよ。

なんなら もうちょっとで もう

セットリストよこせ! ぐらいな
感じですもんね。

いやいや いやいや…
それは さすがに…。

いや でも
それぐらい自分の中では

球場コンサートっていうのは
自分の中でも 本当に

夏のなくてはならない行事に
なってましたね。

♬~

♬~

〈渡辺美里の
60近いシングルの中で

とりわけファンに愛されている
曲がある〉

〈自ら詩を書き
大江千里が作曲した

『10years』だ〉

「『10years』
いい曲ですよね」

「ありがとうございます」

私も好きです。 はい。

作った時よりも
どんどん どんどん その曲が

また『My Revolution』とは
違う形で 育っていって。

ファン投票では なんと…

小室さん これ 聞いたら
ガッカリするかもしれないけど

『10years』が
いつも一番なの。

あっ そうなんですか?
そう。 『My Revolution』の方が

すごく有名って
思われてるかもしれないけど

コアなファンって思ってる人は
いや 『10years』っていうんで

投票する人が多いんですよね。

あの歌って
どういう意味なんですか?

「あれから10年も この先10年も

振りむかない 急がない
立ちどまらない」っていう。

もう その…
「タララ~ララン タララ~ララン

タララ~ララ~ララン」
ってのは もう…

千ちゃん独特のリズムだと
私は思うんですけど。

千里さんの
その リズムとメロディーに

なんか こう… 「振りむかない
急がない 立ちどまらない」って

「君だけを ぼくだけを
愛したときを」っていうふうに

リズムが作らせてくれた詩
なんじゃないかなと思いますね。


その 10っていう数字が
すごくはっきりしてるけど

「あれから10年も この先10年も」
っていうのが

聴いてくださる方が それぞれの

あの時から10年
これから先の10年って

どうなってるんだろう? って

どうなりたいんだろう?
っていうような事を

重ね合わせやすい曲なのかなって
思います。

作詞っていう意味で
思い出深い曲とか

エピソードって
他に何かございますか?

一番 私の中では新しいアルバム
最新のアルバムの

『オーディナリー・ライフ』。

オーディナリー

「ありふれた」「普通」
っていうのが…。

普通に生きていこうって

すごく当たり前のようだけど
難しいじゃないですか。

そう思った時に
自分には いつも歌があって

聴いてくださる方がいてって…。

季節が
どんどん変わっていく中で

旅をしながら 歌を
届けてきたんだなっていうのを

その『オーディナリー・ライフ』の中には
詠み込んだんですけど。

その歌は 自分の今までを

ギュッとまとめてるというか
集約してるかなとは思います。

♬~

♬~

最近の
ご自身の創作活動っていうのは

今 どんな感じに
なってるんですか?

今 また新しい曲を
この間 作り終えたところで。

ちょっと
早く発表したいんですが

やっぱ いろんな事が整わないと
っていう事で

グッと
こらえてるところなんですが…。

どんどん出てきますか? アイデアとか
気持ちとかっていうのは。

どんどん出てきたら
いいんですけど

もうね それは もう
作るぞ! って…。

作るぞ! って思わないと

やっぱ いつでもどこでも
降りてくるものでもないので。

ただ 聴いてくださる方が
まあ その風景を…

心象風景だけじゃなくて

においまでも
感じてもらえるような言葉を

選ぶようにはしてます。

あと できれば

その時代のにおいっていうのも
入れたいと思う。

その時代のにおいとか 温度
みたいなものが 歌の中にあって

年代を超えて じわじわと
広がっていくような歌が

作れたらなと
日々 思っています。

今の美里さんの
原動力というのは…?

ここまでやれれば合格とか

ここまでやれれば
オーケーみたいなのが

ない世界なので 歌の世界って。

自分の中で
もっともっと こう…

届く歌を
作り続けたいと思いますし

それを届けるには やっぱり
ライブが 何より その…

その日の私の熱みたいなものも
ちゃんと伝わると思うので

ライブは続けていきたいと
思いますし…。

いよいよ このあと
ツアーが始まるという事で…。

6月の29日から全国ツアーで
「M・Evolution Tour」という。

去年のツアーが
ものすごく楽しかったので

さらに 自分自身
もっと進化したいって思った時に

「M・Evolution Tour」っていう
タイトルにして…。

まあ さらに進化した自分を
聴いて頂きたいなと思ってます。

なので いっぱい旅して…。

旅をする事によって
新しい自分の心が

こう なんて言うんだろう…
浄化もされるし 刺激も受けるし

作りたいものが また出てくるので
いっぱい旅を…

歌の旅をしたいなというふうに
思ってます。

やっぱり 歌声から

ものすごいパワフルな印象が
あったんですけれども

同時に 非常に繊細で

こちらの呼吸とか
息遣いまでも

気遣いながら
お話ししてくださって…。

だからこそ あれだけ
ファンの皆さんの心に届く

繊細な世界を作る事が
できるんだなっていうのを

間近で感じましたね。

〈渡辺美里が
今 大切にしている言葉〉

この一瞬を迎えるために
いろんな準備もするし

その一瞬が輝くために
今を生きるために

そのステージを
素敵に輝かせるための毎日…

一瞬一瞬だという思いで。

私自身が コンサートをやるから
っていう事ではなくて

あの… バイトに行くって…。

今日の このバイトの日が
自分のステージって思ったら

不機嫌な顔で
お客さんに対面するよりも

もう1回 この人に会いたいわ
っていうふうな瞬間だったら

最高じゃないですか。
なので そんな思いで 私は

人生はステージだというふうに
思って いつもいます。

〈注がれる視線によって

人は輝きを帯びてゆく〉


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