そこまで言って委員会NP 「大阪北部地震」「スポーツ名作ルポSP」 ロバート・ゲラー、佐山和夫、門田隆将、大友信彦


『そこまで言って委員会NP 「大阪北部地震」「スポーツ名作ルポSP」』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/24(日)
そこまで言って委員会NP【「大阪北部地震」「スポーツ名作ルポSP」】[字]
辛坊も自宅被災「大阪北部地震」の教訓▽好評シリーズ第4弾!!“不屈の闘志”東大野球部の100年&被災地にW杯を!ラガーマンたちの奮闘&消えた五輪選手の肖像
詳細情報
出演者
【司会】
辛坊治郎
渡辺真理
【パネリスト】
田嶋陽子
桂ざこば
長谷川幸洋
青島健太
須田慎一郎
溝口紀子
竹田恒泰
丸田佳奈
【ゲスト】
ロバート・ゲラー(東京大学名誉教授)
佐山和夫(ノンフィクション作家)
門田隆将(作家・ジャーナリスト)
大友信彦(スポーツライター)
番組内容
◎辛坊も自宅被災「大阪北部地震」の教訓・・・「地震は予知できない」ゲラー教授緊急出演
◎好評シリーズ第4弾!!「ノンフィクションに描かれた“スポーツの信念”」
▽敗れても立ち上がる「東大野球部」100年の挑戦・・・その原点とは?
▽被災地にW杯を!岩手・釜石で夢を追ったラガーマンたちの軌跡
▽2019年大河ドラマ化で早くも話題!“消えたオリンピック走者”波乱の生涯
スタジオ観覧募集
隔週金曜日の収録に、100名の観覧者を募集中。希望の方は、住所・氏名・年齢・電話番号を明記、ハガキでご応募下さい。
〒530-8055
読売テレビ
「そこまで言って委員会NP」観覧係
番組ホームページ
http://www.ytv.co.jp/iinkai/
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『そこまで言って委員会NP 「大阪北部地震」「スポーツ名作ルポSP」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

そこまで言って委員会NP【「大阪北部地震」「スポーツ名作ルポSP」】
  1. 本当
  2. 地震
  3. 日本
  4. 釜石
  5. 東大
  6. ワールドカップ
  7. 島田
  8. スポーツ
  9. 敗れて
  10. 野球



『そこまで言って委員会NP 「大阪北部地震」「スポーツ名作ルポSP」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


>>毎日熱戦が繰り広げられてい
るサッカーワールドカップロシア

大会。
日本は初戦で難敵コロンビアを撃

破し、今夜、セネガルとの運命の
決戦を迎えるが、果たして再び日

本列島を歓喜の渦に巻き込むこと
ができるのか。

>>このサッカー以外にも、最近
の日本では、

スポーツに関する話題が大きく世
間をにぎわしている。

そこで今回の委員会は、

日本のスポーツにまつわる知られ
ざる感動のドラマを、ノンフィク

ノンフィクションシリーズの第4
弾。

>>日大アメフト部の悪質タック
ル問題を機に、大学スポーツの在

り方が問われる中、東京六大学リ
ーグで、

かつて94連敗を記録した東京大
学野球部のひたむきな姿を追いな

がら、

学生スポーツの神髄とは何か、

一つの目標に向かってひた走るこ
との価値とは何か、

その原点を追うルポルタージュ。

門田隆将著、敗れても敗れても東
大野球部百年の奮戦。

>>来年、

日本でラグビーワールドカップが
開催されるが、

開催都市の一つに東日

本大震災の被災地、岩手県釜石市
が名を連ねている。

津波で甚大な被害を受け、多くの
人々が不自由な暮らしを強いられ

る中、ワールドカップの誘致に尽
力した人々の記録。

大友信彦著、

釜石の夢被災地でワールドカップ
を。

>>2020年東京オリンピック
・パラリンピックの開催が2年後

に迫る中、1912年のストック
ホルム大会でマラソンの選手とし

てエントリーし、

日本の近代スポーツの基礎を築き
上げた、金栗四三。

来年のNHK大河ドラマの主人公
に選ばれた男の生涯に迫るノンフ

ィクション。
佐山和夫著、

金栗四三消えたオリンピック走者。

>>彼ら3人の著書をもとに、

おなじみの委員会メンバーが、ス
ポーツの裏側を説明究明します。

そこまで言って委員会NP。
ノンフィクションに描かれたスポ

ーツの信念。

>>こんにちは。

>>忙しかったわ、

今週。
>>そうですか。

いつもいつも。
>>私ね、

自慢じゃないですけどね、

大阪のまいかたいう所に住んでま
す。

>>まいね。
>>まいって呼んじゃうんですけ

ど、

ひらね。


>>まいかたしね。
思わず、まいかたちゃいます、

ひらかたでっせっていうんで突っ
込んで受けたという。

>>でもこれで、皆さん、間違え
なくなるかなと。

>>そうです、私、月曜日あれで
しょ、火曜日、またワールドカッ

プで大騒ぎですよ。
>>大騒ぎでした。

>>今週なんかね、どーん、来て、
わーっと。

>>でもどんって、本当に、本当
に心配だったんですけれどもね。

>>その話、なんかあとで誰か出
てくるらしいね。

>>誰かじゃなくて。
>>なんですか?

>>なんでそこまでアバウトなん
ですか?

きょうはノンフィクションシリー
ズ、これ大好評なんです。

第4弾といたしまして、スポーツ
をテーマにノンフィクション作品

をひもときながら、スポーツの信
念に迫っていただく委員会の皆さ

んです。
>>珍しい人、来てますね。

>>初登場です。
スポーツライター、青島健太さん、

よろしくお願いいたします。
>>よろしくお願いします。

>>やっぱ、

めっちゃ爽やかですね。
>>そうですよ。

>>そんな褒められる番組なんで
すか?

>>声もいいしね。

>>いや、本当にね。

>>男前だし、背も高いし。
元、

意外なことに。

>>意外なことじゃないですよ。
>>プロ野球の選手だった。

>>そうですね、

スワローズでいらっしゃって。
>>そうなんですよね。

>>スワローズ、何年いたんです
か?

>>スワローズ、5年ですね。

>>通算成績は?
>>まあ、

ほとんどヤクルトベンチに座ろう
ズでしたからね。

>>うまい!
>>そしてお隣です。

日本女子体育大学教授、溝口紀子
さん、よろしくお願いします。

>>よろしくお願いいたします。
>>当委員会はパネリストとして

は、そこに座っていただくのは初
めてです。

>>どこ座っても迫力あります。
>>ナジャさんの代わりかなと思

って。
>>いやいや、そんなことない。

>>そしてノンフィクションシリ
ーズ、手がけてらっしゃるお3方、

来ていただいています。
作家・ジャーナリスト、

門田隆将さん、

よろしくお願いいたします。
>>お願いします。

>>お隣。
スポーツライター、大友信彦さん

です、よろしくお願いします。

>>よろしくお願いします。

>>何かお手に持ってらっしゃる
のはなんですか?


>>これはこのあとお話する機会
あるかと思うんですけれども、ラ

グビーワールドカップ釜石開催を、
東北みんなで盛り上げましょうよ

ということで、自転車でそういう
行事をしてまして、そのときに着

ている、これ、東北の地図をアレ
ンジした。

>>どうでもいいですけど、めち
ゃめちゃ焼けてますね。

>>本当、焼けてらっしゃいます
ね。

>>おかげさまで、日当たりのい
い所にい

つもいますので。
>>お隣です。ノンフィクション

作家、佐山和夫さんです。
よろしくお願いいたします。

>>和歌山からいらっしゃった。

>>和歌山県生まれでいらっしゃ
って。

>>和歌山というと、そんな下む
くことない。誰も、

誰もひと言もドン・ファンなんか
言ってません。

>>言ってるし。
>>私ね、田辺市出身なんですよ。

>>ああ!くしくも。

>>だから紹介されるときに、必
ずそれ言われるんですよ。

こんなドン・ファンいませんよね。
年寄りのね。

>>言われてみりゃ、どっか似て
る。そんなこと言ってる場合じゃ

ありません。
今週は大変だったんですから。

>>辛坊さんおっしゃいましたが、
地震、今月18日に大阪で震度6

弱の地震が発生しました。
>>今月18日7時58分ごろ、

大阪府北部を震源とするマグニチ
ュード6.1、

最大震度6弱の地震が発生した。

大阪で震度6弱以上の地震が起き
たのは、

観測史上初めてのことだが。

>>気象庁によれば、

今回の地震は、地殻内部で起きた
直下型地震であり、

震源のごく近くに、有馬ー高槻断
層帯があり、

この活断層の一部が動いたかは今
後解析するとしているが。

>>果たして、

今回の地震の原因はなんだったの
か。

>>今回の地震と南海トラフ地震
は本当に関係ないのか。

>>近いうちに、

大阪で最大震度6弱程度の地震が
再び起きるのか。

このあと、

委員会でおなじみのロバート・ゲ
ラー氏のお話を伺います。

>>地震学を専門になさっている、
東京大学名誉教授、

ロバート・ゲラーさん、よろしく
お願いいたします。

>>こちらこそよろしくお願いし
ます。

>>今回の地震に関して、ゲラー
さんの見解をまとめていただきま

した。
こちらです。

まずは1から。
>>まずはね。

>>下がってください、下がって。

>>まずは地震は断層の滑りで発
生します。


要するに、

不連続面があって、動いて地震に
なる。

だけど、

政府は活断層とそうでない断層に
分けてる。

さらにこの断層が何年以内に何十
%という、全くナンセンスな数字

を出してる。実はどの断層が危な
いのか、どの断層が滑るのか、

前もって言えない。
>>分からないんですね。

>>でも、地震学者の皆さんは、
地図作って、この断層の30年以

内震度6弱以上、発生確率何%っ
て言ってるじゃないですか。

>>それはね、

地震学の皆さんではなく、

一部の政府関係のごよう学者。
>>地震調査研究推進本部。

>>それがひどいのがね、大阪は
ちょっと拡大で分かりますかね?

大阪、拡大すると、大阪の真ん中
の上町台地の辺りが真っ赤なんだ

けど、今回地震が発生した北

に行くほど黄色くなってるんです。
>>だからね、ご指摘のとおり、

これはハザードマップではなくて、
これ、

外れマップですよ。
>>ちょっと皆さん、今、

聞き取れました?

聞き取れました?
ハザードマップではなくて、

外れマップだという、

ゲラーさんがこん身のしゃれをお
っしゃいました。

だってね、これ、地震が起きたあ
と、熊本の所の色も濃くなってま

すけど、

もともと地震の起きた新潟とか、
熊本とか、

東北とか全くそんな確率、

すごい低かったんですよ。
>>そうなの。

>>ここの所に起きている地震は、

この地図上で色の薄い所で起きて
るという。

>>そうなんです。
>>何なんだ、この地図はと。実

際、ひどいのはですね、今回、動
いたといわれる、有田ー高槻断層、

この地図作った人が発生確率何%
だったとか言ってるって、

知ってますか?
>>いや、分からない。

>>0%に近いですよね。
>>これ、

これの発生確率をことし1月1日
更新されたやつでいうと、

30年以内に震度6弱以上の地震
が起きる確率は、0から0.03

%ですよ。

1000年から2000年に一度
って書いてあるわけですよ。

前回、ここが動いたのが1500
年代だから、だから今は、たぶん

起きないだろうっていう。
>>だから間違った数字もそれを

使って、

こういうハザードマップ作りを、
間違ったハザードマップになるの

は当たり前のこと。
>>どうしてその学者たちは間違

うわけですか?

>>メンツと予算獲得のために。

>>予算獲得。

>>メンツと予算獲得。
>>メンツと予算獲得?

最低。
>>あとはお墓に入る前に勲章も

もらいたい。
>>ばかだね。

>>お墓に入る前に勲章をもらい
たい?

>>いちいちうるさいよ!

>>聞こえてるから!聞こえてる
から、

だいぶ耳、慣れてきてるから大丈
夫だから。

>>言いたいんだよね。
>>だから結局ね、これ、地震学

会コミュニティの問題で、これを
作るのは、

ごく一部の政府の人に近い関係の
研究者ですけど、

多くの地震学者はこれは間違いと
分かってます。

>>分かってるのになんでよ。
>>分かってるのに言ってない。

なぜ言ってないか、彼らの親分は、

これで言って予算取ってる、彼ら
自身がその予算で飯を食ってる。

>>親分の顔を出せよ、顔。
>>いや、顔出てますよ。

今回の地震のあとも平然として出
てきて、

今回動いた活断層は、

もしかするとこの断層とこの断層
とこの断層かもしれませんと言っ

てる人ですよね?
>>うん。

>>うんっていう。
>>さっき、ゲラーさんが言われ

た、

正しい予測モデルっていうのはあ
るんですか?

>>ありますよ。

つまり今の学問でどこが危ない、
どこが危なくない、言えない。

日本はいつでもどこでも地震発生
があるという前提に立って防災対

策を決めればいい。
>>ロバート先生、

日本の中で来た場合、

どうしたらええんですか?
われわれは。地震が来た場合、ど

うすれば。

>>対策はまず地震に耐えられる
構造物を作る、

今、

安全と分かってない構造物を、

例えば20年かけてワーストから
解体して建て直す。

こういう対策にもなりますし、景
気対策にもなりますし。

>>この地震学者の人たちに予算
つけるぐらいなら、

耐震補強に金使えと。
>>私、静岡に住んでるんですけ

ど、静岡県、真っ赤なんですよ。
でもそのおかげで、

保険がすごい高いんですよ。
家財保険。

>>地震保険ね。
>>なんで日本全部真っ赤にしち

ゃえばいいのに、日本列島。
>>それとね、

ぜひ今回の地震、

言いたい、

これも被災者じゃないと言えない
ことですけど、はっきりいってマ

グニチュード6.1の地震なんか、

阪神大震災の60分の1、

東日本代震災の万分の1ぐらいの
規模の地震なのに、女の子が死ん

だり、1日電車が止まったりする
ほうがおかしいんだよ、これ。

なんだ、この騒ぎはっていう。
>>都市機能がね。

>>電車一日止めるような地震か
?これって。

>>阪神淡路のときは7.3でし
たけど。

>>線路の安全を確認するために、
念のために電車止めたほうが無難

かもしれない。つまり。
>>ただ、ただですよ、ゲラーさ

んがこれだけ予知、予測はできな
いとおっしゃってる中でなんです

けど、大阪の近辺の皆さんも、本
当に心配だと思うんですよね。

これ、続く可能性っていうのは、
どうしても知りたくなるんですけ

ど、どうですか、

やっぱり警戒していたほうがいい
ですか?

>>だから地震はいつでもどこで
も起こる。


今後の近いうちに、

より大きい地震の発生は全くあり
えないとはいえない。

>>じゃあ、次回、ご出演いただ
くときには、

先ほど名前を出す、

その日本でそれを仕切ってる人た
ちの一覧表を、次、ゲラーさん、

持ってきてください。
>>いいですよ。

>>ありがとうございました。
>>ありがとうございました、ロ

バート・ゲラーさんでした。
>>どうも。

>>続いていきましょう。

>>本題いきますか。
東日本大震災の被災地、

釜石に、

来年開催のラグビーワールドカッ
プを招致した人々の姿を記したの

が、

この作品です。
>>現在、

2018FIFAワールドカップ
が開催されているが、

来年2019年には、

日本でラグビーワールドカップが
開催される。

そして12の開催都市の中には、

岩手県釜石市が名を連ねている。

そう、2011年3月11日の東
日本大震災による津波で、

大きな被害を受けた都市の一つで
ある。

大勢の命が奪われ、

地域のインフラが失われ、

人々が不自由な暮らしを強いられ
ていた釜石市が、

なぜ、

多額の費用を要するスポーツの国
際大会を誘致しようとしたのか。

反対の声や、

冷ややかな見方もあった中で、

招致活動はどのように進められた
のか。

被災地の過酷の現実と向き合いな
がら、

行政の、

ラグビー選手の、市民の、メディ
アの、

>>釜石の夢被災地でワールドカ
ップを。

>>澄み切った青空の向こうに、
雪をかぶった秀峰、

岩手山が雄大にそびえ立っていた。

山々の萌える新葉が、吹き抜ける
風に揺れる。

2011年5月15日。

天に祝福された日曜日の午後、釜
石シーウェイブスは、

盛岡南公園球技場で震災からの初
戦に臨んだ。

東日本代震災の被害から、岩手の、

東北の人たちが立ち上がるための、

それは象徴となるべき試合だった。

象徴にならなければならない試合
だった。

3月11日、長く続いた激しい揺
れ。

30分後に襲ってきた巨大な津波
は、

世界一の湾口防波堤も破壊し、

家をなぎ倒し、ビルを破壊し、

恐ろしい引き波が多くの尊い命を
海の底へと運び去った。

それから2か月。

特別な試合にかける思いは、

試合開始から芝の上で爆発した。

赤いセカンドジャージーを着たの
は、

天の配剤だった。

シーウェイブスの15人は、

まさしく燃える火の玉と化し、走
り、

蹴り、ボールを追った。

>>釜石シーウェイブスは、

元は新日鐵釜石ラグビー部で、1
979年から85年、

ラグビー日本選手権で史上初めて
7連覇を達成し、

北の鉄人と呼ばれた最強チーム。

地元、

岩手県をはじめ、東北地方の高卒
選手を鍛え上げ、

日本代表の司令塔として長くラグ
ビー界を引っ張った松尾雄治やス

ター選手を輩出。

2001年から地域クラブの釜石
シーウェイブスRFCに移行して

いる。
震災後、

釜石市が甚大な被害に見舞われる
中、

釜石シーウェイブスの存続のため
に立ち上がったのが松尾雄治ら、

新日鐵釜石のOBたちだった。
>>釜石の市民は、

今はラグビーなんかやっている場
合か?

と感じるかもしれないけど、

そのとき、

口を開いたのは松尾だった。

シーウェイブスの選手たちは、

震災直後からこれまで、

ボランティア作業をいっぱいやっ
てきたんだから、

あるところで区切りをつけて、

ラグビーに打ち込めるようにして
やらないと。

>>その後のミーティングでは、

復興支援組織の理念の明確化が提
案去れ。

>>釜石シーウェイブスに勝って
ほしい。

勝つことによって市民が熱中して
応援してくれる。

結果、復興の力になる。
V7メンバーが表に出るのではな

く、表に出るのはシーウェイブス。
そのシーウェイブスを支援するの

がOBである。
>>そして、

組織の名称はスクラム釜石に決ま
った。

スクラム釜石の支援を受け、釜石
シーウェイブスは、

震災後初の復興支援試合で、関東
学院大学を下し、

その後も東京遠征では7人制なが
ら、

トヨタ自動車とパナソニックを破
り、コンソレーション準優勝とい

う成績を残す。

>>釜石でワールドカ

ップできませんかね。
>>小さな声でつぶやいたのは、

釜石シーウェイブスのゼネラルマ
ネージャーを務める高橋善幸だっ

た。
もしかして、釜石でワールドカッ

プをやれたらなと思うんですよ。
復興のシンボルになるんじゃない

かと思う。
被災地にも夢、希望が欲しいし。

>>新日鐵釜石V7時代の英雄の
1人だった石山次郎は、

東京に戻り、

スクラム釜石のメンバーにそのこ
とを伝えた。

>>無理無理、とても無理。

スタジアムなんか作れるわけない
っしょ。

まだ仮設住宅も建ってないのに、
そんなこと、考えられるわけがな

い。
>>しかし、

石山はラグビーが被災地の復興に
対して持てる力を感じていた。

>>ワールドカップが開催された
ら、

もっとすごい試合が見られるだろ
う。

それを見るために、

世界中からたくさんの人がやって
来るだろう。

8年先なら、

復興もきっと進んでいるだろう。

今の小学生が高校生から大学生に
なっている。

支援してもらったお礼を、

子どもたち自身の口から、

世界に向けて発信できるだろう。

悶々としていた石山のもとに、新
たな情報が届けられた。

2019年ワールドカップ日本大
会に向けた自治体連絡会議の席で

キット・マコーネル運営部長が、
注目すべき発言を行ったのだ。


ワールドカップの開催地は、すべ
てが大きな都市の大きなスタジア

ムである必要はない。

ワールドカップの試合会場とする
ことに、社会的な意義があれば、

選ぶ可能性はある。
例えば、

地震の被災地だ。

やってみよう。
石山は腹をくくった。

そして、7月13日。
釜石市に対し、

ワールドカップ開催要望書を提出
した。

>>2012年6月2日、この日、

神戸製鋼ラグビー部が、

チーム総出で釜石を訪れ、

甚大な被害を受けた鵜住居地区の
根浜海岸で、釜石シーウェイブス

の選手たちと共に、打ち上げられ、
折り重なったままの木材の除去、

堆積したままの汚泥除去などのボ
ランティア作業に打ち込んだ。

その夜に行われたラグビーワール
ドカップ2019釜石誘致応援プ

ロジェクトの席上で、

神戸製鋼の平尾誠二ゼネラルマネ
ージャーがマイクを持った。

>>釜石でワールドカップを開催
するのは不可能じゃない。

だけど、もっと大切なのは、市民
の支持です。

よく経済効果ということばが使わ
れますよね。

大手広告代理店さんが何百億円だ、
何千億円だという数字を出してき

ます。だけど僕に言わせれば、そ
れは大した数字じゃない。人間の

心に宿る効果。

地域のもたらす勇樹のほうがはる
かに大きい。

釜石の人たちがワールドカップの
試合を見ることで勇気づけられる。

これこそが、ワールドカップを開
く価値だと思うんです。

会場から大きな拍手が沸き上がっ
た。

鳴りやまなかった。
釜石でワールドカップをやろうよ。

きっとできるよ。
夢物語が、市民に向けて、

全国に向けて、明確に発信された
瞬間だった。

>>2015年3月2日。

ワールドラグビー本部で、

2019年に日本で開催されるラ
グビーワールドカップの開催都市

が発表される日。
釜石市の旅館、

宝来館の大広間に詰め掛けた人々
は、

インターネット中継の画面にくぎ
づけになっていた。

日本時間で午後9時42分。

釜石市と読み上げる声の、かが聞
こえた瞬間、

人々は歓喜の声を上げた。

>>かーまいし!

>>夜の闇に釜石の声が響き渡る。

もう夜10時に近い。
近所迷惑じゃないのか。

その心配はなかった。

外は漆黒の闇に包まれている。

周りにあった住宅は4年前のあの
日を境になくなったまま、再建さ

れていない。
町は失われたままだ。

そこに笑みが戻った。

喜びが戻った。

希望が戻った。

>>この本が上梓された翌年の1
0月20日。

平尾誠二さんは、

ワールドカップを待たずに他界し
た。

しかし、

釜石シーウェイブスの、

釜石市民の夢は消えることはない。

>>そこで皆さんに質問です。

釜石の夢ひさいちでわぷをのちょ
…、

被災地でワールドカップをの著者、
大友信彦氏に、聞きたいことはな

んですか?

>>改めて大友信彦さんです。
よろしくお願いいたします。

>>よろしくお願いします。
平尾さん、残念でしたね。

>>本当ですね。
>>見てほしかったですね。

>>本当です、僕ちょうど同じ年
なんです、平尾さんと。

>>そうですか。
>>震災の本当直後の、

神戸製鋼であった神戸製鋼ラグビ
ーフェスティバル、7月だったん

ですけれども、そこで平尾さんと
松尾さんが対談をされて、

そのときに初めて公の所で松尾さ
んが釜石でワールドカップやれた

らいいと、まだ夢物語なんですけ
どねとおっしゃったときに、平尾

さんがそれ、絶対いいよね。

釜石でワールドカップがあったら
絶対行きたいもんっていうふうに、

すごく明るい声でお話しになって
くれまして、本当、それが始まり

の、大きな歯車を回してくれたひ
と言だったと思いますね。

>>この関西の地区とも、

この釜石のラグビーチームってい
うのは関係深くてですね、

阪神・淡路大震災が発生した直後
にボランティアで来てくれたのが、

釜石のラグビーチームだったんで
すってね。

そのお礼ってことで、神戸製鋼の
ラグビーチームが行ったっていう、

そういう流れがあるんで。

>>大友さん、

今回の一連の流れの中でね、非常
に大事な役目を果たしたのは、そ

もそも選手のOBの方々が、復興
支援で、やっぱりチームどうなっ

てるんだ、地元どうなってるんだ
といって、全国散らばってた方々

が集まってきて、ばらばら支援し
てたんじゃ、

らちがあかないと。
どうやって集約するかということ

で、固まって出来たのがスクラム
釜石で、私、本を読ませていただ

いて、この組織の立ち上がりが、
最終的にはワールドカップを開催

するところまでずっと機能する。
この組織を作ったことが、まずも

ってすばらしいと思ったし、

小さな話かも分からないけど、ス
クラム釜石というこの命名。

これが人々が何をやったらいいか
を、

そのネーミングから、

みんなが思いがつながる。

このスクラム釜石が果たした役割
っていうのは、ものすごく大きい

と思うんですけど、

いかがですか?
>>そのとおり。

>>本当に僕もその中に関わって
いましたので、そういうふうに言

っていただくのは本当にうれしい
んですけれども、ただ、

本当にスクラム釜石として活動し
た人たちだけではなくて、

一緒に活動している方以外でもO
Bの方々が、

いろいろな形で支援してらしたの
で、

決してスクラム釜石だけが主導権
を持ったとかっていうことでは全

然ないんですね。
>>すごい、

復興の、やっぱりワールドカップ
が、

復興の力の原動力になるっていう、

すごいいいストーリーで、今の東
京オリンピックを見ると、

復興オリンピックで最初来たのに、

全然、実際、開催地にはならなく
て、

なんかやっぱりそこらへんで商業
主義とか、本当の、アイデンティ

ティーというところが、

ラグビーのワールドカップで教え
られたなと思うし、私が思うのは、

チームアイデンティティーが、

町のアイデンティティーになって
るし、それがまたワールドカップ

の原動力になっていくっていうの
が、これこそスポーツの力だなと

思いますね。
>>みんなが動いたのは、やっぱ

り理念が明確だからだよね、たぶ
んね。


>>本当そうですね。

>>そこを共有できてたから。
>>溝口さんが書いてらっしゃる、

疑問としては。
>>あのですね、

私も実は、今、

袋井市のスポーツ協会の会長で、
8月15日に。

>>会長?

>>スポーツ協会の。

実際、

袋井市と釜石市、交換でラグビー、
うちの息子もやってるんですけど、

私もやってるんですけれども。

交換の。
>>女性ラグビーがあるんですか

>>フロントローですよ、

スクラム組む要員で呼ばれてる。
ストーリーですよ、これ。

>>本当です。
ヤマハのスクールに入っていまし

て、

ヤマハも清宮さんとかが、みんな
でなんとかしようっていうラガー

マンならではっていうか、

やっぱその原動力があって、釜石
自体も、

私も柔道でよく復興の柔道教室と
かで行ってて、ラグビーと柔道っ

て、本当、

親和性があるんですよね。
それの釜石の原動力は新日鐵なん

ですよ。

新日鐵の柔道部、

新日鐵のラグビー部っていうとこ
ろが新日鐵っていう、

やっぱり企業が、

スポーツの土台を、

あったというのがありますね。
>>昔はそれぐらいのことをやる

だけの企業に力があったんですよ。
>>でも水を差すようで申し訳な

いけども、こういう話って、やっ
ぱりお金かかるじゃないですか。

例えばスタジアムだって30億円
とか言われてますよね。

お金の問題、まずあるし、

この実際に釜石でワールドカップ
をやろうっていうところに至るま

での一番のハードルって何だった
んですか?

>>お金のことがもちろん、大き
かったですよね。

このスタジアム作ることにもお金
がかかりますし、

それ以外のインフラの整備のこと
もありますし。

>>結局、そんなスタジアム作る
んだったら、

家作るほうが先だみたいな声は出
なかったんですか?

>>それは常に言われていました
し、

誰もが言われる前から考えていま
したね。

>>ラグビーの専門家来たら、い
っぺん聞いてみようと思ったんで

すけども、五郎丸、最近見ません
けど、どうしちゃったんですか?

>>ヤマハにいますよ。
袋井市に。

>>世界大会に出てこないじゃな
いですか。

>>彼自身がワールドカップの、

前回のワールドカップが終わった
ときに、すごくあそこにもう目標

を絞っていたので、まあ、ある意
味、

燃え尽き症候群みたいな状態で、
もういったん、

ラグビーへの情熱が薄れかけてい
たんですけれども。

>>来年2019年で日本チーム、
大丈夫なんですか?

>>そこのところは、でもとりあ
えず五郎丸さんの話からいきます

と、五郎丸さん自身、そこで、

もう自分のチャレンジをこの外国
の、

今まで誰も声かけてもらえなかっ
たような所から声かかったので、

これ、できるかもしれないと思っ
たら、そこで。

>>僕、ファンなんですけど、来
年出てこないんですか?

>>来年、出るチャンスはもちろ
んゼロではないです。

五郎丸選手がそこまで出たいって
いう気持ちをもっと出していけば

可能性がある。

>>勝てるんですか?
>>日本代表がワールドカップで

優勝できるかどうかっていうのは、
ちょっとこれは、なかなか言えな

いところです。
>>だってサッカーのことを考え

たら、だってこの前だって勝利で
きたし、今夜はこの局でですよね、

24時から。

>>入れてきますね、

ぶっこんできますね。
>>そうですよね、だって分から

ないですよね。
せっかく大友さん、

これ持ってきてくださったんです
から、もう1回、ちょっと見せて

いただいていいですか。
>>これは僕たち、スクラム釜石

の中で、自転車好きな人間が結構
いまして、東北で、

実はもう1か所、

仙台も立候補していたんですが、

仙台は残念ながら選ばれなかった
んですね。

釜石だけじゃなくて、東北全体で、

東北全体に集まってもらおう、

まあ平たく言うと、

お金も落としてもらおうと。
>>いや、そこですよ。

だってさっきお金の話をしました
けれども、

まだまだこれから集めていかない
といけないわけですよね。

>>そうですね。少しでも多く、

東北のほうに関わってほしいなと
いうのが、東北人の、僕の思いで

もあります。
>>平尾さんの意思もありますし、

来年ですからね。
>>もう本当に、スポーツの話は

やっぱり、

一つ一つ感動するね。
>>そうなんですよね。

>>でもひと言でぶち壊すのも簡
単なんですよ。

>>あえてします?

あえていいんじゃないですか。
ラグビーはね、なんだかんだいい

ながら、

森喜朗さんの力って結構大きいで
すよね。

>>森さんの存在も大きいです。
まあ、それはね。

>>でも本当に一面当たってまし
て、

やっぱり、

みんな空気を読んで、段階踏んで、

いろんなことを進めていきたいな
っていう人はやっぱり日本、

多いと思うんですけれども、

そういうの読まないでいきなりい
っちゃう人っていうのは、世の中

に何人かいまして、やっぱり、森
さんっていう方もある意味、そう

いうところを持っていると思うん
ですよね。

>>そういう意味でプラスに出ま
したかね?今回ね。

>>それ、プラスに出る面もあり
ます。

>>ありますよね。
>>なんか、森さんがいるからう

さんくさいよね。
>>そうなんです、これ、

森喜朗さんっていう名前出した瞬
間に全部が吹き飛ぶ。

>>ひどいこと言うな。

そんなことないよ。
>>本当にね、別の僕は森さんの

肩を持つわけでもなんでもないん
ですけれども、森さんの、ある意

味すごい…。
>>もういいです。

ありがとうございました。
>>ありがとうございました。

>>日本大学アメフト部の悪質タ
ックル問題で、

大学スポーツの在り方が議論され
る中、

全国の野球エリートが集まる東京
六大学リーグで、

一度も優勝したことがないチーム
がある。

東京大学野球部。

入学試験が難関のため、

野球エリートが入部しにくく、

ほかの五大学に比べて、

圧倒的に戦力が劣る宿命

を負っている。

戦績は253勝1618敗55引
き分け。

勝率は僅か1割3分5厘。
連敗記録は数知れず、

過去には94連敗を記録。
敗れても敗れても、

それでも挑戦をやめない東大野球
部。

その姿を取材する中で、

学生スポーツの神髄とは何か。

一つの目標に向かってひた走るこ
との価値とは何か。

>>敗れても敗れても東大野球部
百年の奮戦。

>>門田氏が東大野球部に興味を
抱いたきっかけは、

ある一人のOBの存在だった。

島田叡。

太平洋戦争末期、

最後の官選知事として沖縄に赴い
た内務官僚である。

島田は大正11年に入部して以来、

俊足技巧の名選手として活躍した
が、3年のとき、

高等文官試験を目指すために退部
を申し出たという。

ところが、

当時の東大は東京六大学リーグの
加盟校になれるか否かの岐路にあ

り、

本書には卒部生が必死で島田を慰
留したことが記されている。

>>頼む、君なしでは野球部は成
り立たない。

退部を思いとどまってほしい。
>>懇願され、

覚悟を決めた島田は野球部に残っ
た。

結果、島田の活躍で、

東大野球部は晴れて六大学リーグ
の加盟校となれたが、島田自身は

受験を先に延ばすこととなった。
内務官僚となった島田は、40歳

のとき、

大阪府の内政部長という実質ナン
バー2の要職に就いていた。

そして太平洋戦争のさなか、昭和
20年1月11日の朝。

島田は当時の大阪府知事、池田清
に呼び出された。

本書には、

そのときの詳細がこう書かれてい
る。

>>島田君、

君に本省から知事就任の要請が来
ている。

>>はい。
>>島田はそう返事した。

池田は、島田の背筋が伸びたこと
を確認すると、こうことばを続け

た。
>>君に沖縄の知事になってほし

いというんだ。
>>沖縄県。

3か月前の10月10日、

猛烈な米軍機による空爆が加えら
れ、

那覇市が灰じんに帰したことを島
田は報道だけでなく、

内務省ルートの情報からもつぶさ
に承知していた。

知事として赴任することがそのま
ま死を意味することを島田は瞬時

に悟った。
沈黙はどれくらい続いただろうか。

>>分かりました。
お受けします。

>>えっ?

>>驚いたのは池田である。

本省からの要請があったとしても、
辞退する手もある。

しかし島田の返答は予想外のもの
だった。

>>知事、

私が断れば、

誰かが代わりに行くことになりま
す。

それはできません。
私が行かなければなりません。

>>島田はそう言い切った。

子どものころから打ち込んだ野球
を通じて培ったものか、

自分の与えられた職務を守り抜く、
信念と責任感に満ちていた。

>>島田は死を覚悟したうえで、
単身、

米軍の上陸が刻一刻と迫る沖縄に
赴任した。

その後、僅か数か月の県政だった
が、

数々の苦難を克服して、

台湾や沖縄北部への県民の疎開を
推し進め、

20万人に及ぶ県民の命を救った。

そして昭和20年の6月、

島田は糸満市摩文仁の激戦地で消
息を絶ったのである。

3年前から、

東大の野球部員は毎年2月に沖縄
でキャンプを張るようになったが、

その際、欠かさない行事が、

摩文仁の平和祈念公園内にある島
守の塔への参拝だという。

ここには野球部の大先輩、

島田叡がまつられている。

東大野球部の助監督、中西正樹は、

参拝の意義を、本書にこう語って
いる。

>>島田さんは、

本当に生と死がどうにかなるとい
う立場にいて、

覚悟を持っていろいろな決断をさ
れています。

うちのピッチャーたちは最後、

打たれて逆転されそう

になったら、マウンドを降りたい
とか、この場面、

もう耐えられないとか、

そういう表情で助けを求めてベン
チを見る選手がいる。

そういうピッチャーは何人いても
意味がないんです。

覚悟のあるピッチャーが1人いれ
ばいいし、そういうピッチャーが

欲しい。
そのことを島田さんを通して、

学んでほしいと思っています。

>>昭和20年に亡くなった島田
だが、

東大野球部にとっては決して過去
の存在ではなく、今も生きた先輩

であり、

指導者なのかもしれない。

その東大野球部が、昨年の10月
8日、

運命の大一番を迎えていた。

東京六大学リーグ、

法政大学対東京大学の2回戦。

前日の1回戦で、

東大はエースの宮台康平が8安打
2失点、6奪三振で、今季2度目

の完投勝利を飾っていた。

そしてその日の試合に勝てば、

東大は15年ぶりの勝ち点を得る
ことになる。

門田氏は息をのむ名勝負となった
その試合を、こうつづっている。

>>朝方まで降り続いた雨は上が
り、秋晴れの青空の下、

両校選手のほとばしる気迫がグラ
ウンドに充満していた。

>>東大野球部の監督、浜田一志
は、

濱崎、

宮本とつないできた投手リレーの
あとで、

早くも6回から連投となるエース、
宮台を投入した。

>>最終回、

二死3塁。
8対7。

いよいよ土壇場だった。一打出れ
ば逆転、抑えれば試合終了である。

悲願の勝ち点獲得まで、あと1ア
ウトに迫っている。

>>このとき、

島守の塔に祭られている島田の覚
悟が彼らに何かをもたらしたであ

ろうか。
それは定かではない。

ただ、宮台は覚悟を決め、思い切
りストレートを投げ込んだ。

>>あっ。

>>打球はレフトとセンターの間
に飛んでいく。

しかし勢いは宮台が勝った。
捕った!勝った!

平成29年10月8日午後1時3
0分。

ついに東大は勝った。
>>試合後、

監督の浜田のもとには多くのOB
や仲間たちから祝福が寄せられた。

その中には、

かつて4年間で一度も勝つことな
く、

80戦全敗で卒業した代で副キャ
プテンを務めた初馬眞人からのメ

ールもあった。
>>法政戦、ナイスゲームでした。

本当におめでとうございます。
後輩の姿を見ていると、

どうしても自分たちのときを思い
出してしまいます。

私も4年で副将で、

オープン戦を全く打てなくて、そ
れなのに、

監督は最後まで信じて使ってくれ
ました。

感謝の気持ちは今も消えないです。

同時に期待に応えられず、申し訳
ない気持ち、

勝てなくて本当に悔しい気持ちが
いまだに胸にあります。

ことしの4年生は、

僕が直接関わった最後の学年です。

彼らには、

この悔しい思いをせずに、

笑って引退してほしい。

そんな気持ちです。
応援しています。

初馬。

>>メールに見入った浜田の目に
は、みるみる涙があふれてきた。

浜田は取材に対してこう語る。
>>本当に、へぼ監督でごめんね。

初馬からのメールを見て、号泣し
ましたよ。

俺がへぼ監督だったせいで、

お前たちの思いに応えられず、

本当に申し訳なかったと。

>>その浜田の姿を見て、

門田氏は本書を次のように結んで
いる。

>>野球というスポーツが持つ意
味。

なぜ無報酬の学生野球が衰えるこ
となく、

人々の関心と感動を今も生み続け
ているのか。

浜田のことばの中に、

その理由が集約されているのかも
しれない。

>>そこで皆さんに質問です。

敗れても敗れても東大野球部百年
の奮戦の著者、

門田隆将氏に聞きたいことはなん
ですか?

>>パネルオープンしたところで、

改めて門田隆将さんです。
よろしくお願いいたします。

>>なんで、

竹田さんの質問ですが、めげない
のか。

>>そうなんですよね、

94連敗。
さっきのメールの主だって、80

連敗ですよね。
それでも負けることに甘んじてや

ってるんじゃなくて、

勝つつもりで続けてるっていう、
その、

このガッツというか、なんでめげ
ないんですかね?

>>彼らは全くめげないですね。
要するに、

スポーツって勝負の世界じゃない
ですか。

勝利を得るために、

みんな一生懸命やって、

そして勝利を得た人には栄光が与
えられるんだけど、

敗者のほうってあんまり触れられ
ないですよね。

けれども、彼らは、

敗れても敗れても挑戦していく意
義というものを、

やっぱり分かってるんだと思うん
ですよ。

野球というのは、

強い者を集めた、

要するに、

力量のある人間を集めたところが
勝つのかって、それが野球だった

ら、野球というスポーツの限界が
やっぱりあるじゃないですか。

力はたとえ劣っていても、創意と
工夫、そして努力によって、

それを克服できるのが野球ではな
いのかという挑戦を、

100年にわたってし続けてる。
>>でもなんで東大は。

>>似たような質問なんだけどね、

この東大野球部の皆さんは、受験
するときから、

もうすでに、

例えば合格したら野球部に入ろう
と思ってなってる人たちなのか、

それとも大学入ってからたまたま
野球もあったから、じゃあ、

この際やってみるかと思って。

>>多くが野球をやるために東大
に来てますよね。

要するに、今、

青島さん大きくうなずいてくれて
ますけど、要するに自分たちの今

の力量では、早稲田、

慶応、法政、明治に行って、とて
もじゃないが、

その体育会の連中に勝てないかも
しれないけれども、

ここで大学に入ったあとで努力し
て、

彼らを倒すことができるのではな
いかという挑戦をしてるわけです。

>>要するに東大ならレギュラー
になれると。

そういうこと。

>>ああ、なるほどね。
>>だけど、なんでそんなに弱い

のか。例えばね、

例えばイギリスだったら、

イートン校だったら成績の悪い人
にはスポーツやらせないっていう

のがあるでしょ。
そこまでいかないんだ?

なんで?よく分かんない。
>>田嶋さん、野球って、ものす

ごくほら、分析の力も必要じゃな
いですか。

>>そうよ、そんなのに弱いじゃ
ん。

>>東大はものすごい分析するん
です。

>>でも負けてんじゃん。
>>でも分析しすぎて負けてるん

です。
>>なんかそんなの言い訳になん

ないよ。
>>違うんです、アメリカや、特

にイギリスなんか階級社会だから、
勉強できなくても、エリートの子

どもで体力のある人間は、結構一
流大学に行けたりするけど、

東大はもう点数で決まってくるか
ら、そういうのないんです。

>>門田さん、

今の分析し過ぎて負けるを、

もうちょっと教えてもらっていい
ですか?

>>ものすごく、もちろんいろん
な統計の取り方もそうなんですけ

ど、コンピューター使っていろい
ろやって、

そして次は、この球がくるとかっ
て、ものすごい分析するわけです。

例えばボール、

ボールときて、次の球は必ず、ス
トレートが来るとか、

スライダーがどうこうって、それ
を分析し過ぎて。

>>だけどいくら分析したって、
打てなきゃしょうがないでしょ。

>>それがおもしろさかもしれな
いですよね、彼らの。結局、

サラブレッドとロバの戦いで、

ロバが頭を使って耐力に勝とうと
してるところが、

逆にゲームのだいご味なのかもし
れないですね。

>>それでものすごく練習もすご
いんですよ。

だから、自分たちが力が劣ってい
ることが分かってるから、

これでもか、

これでもかって練習をするんです
けど、

それでも負け続けているという。

>>納得いかないのがこれなんで
すよ。

なんで六大学なの?

思いますよね?

>>勝てるわけがないのに、

入る必要がね。
>>これは六大学というのは、

対抗戦の集合体なんですよ。

東都大学と違うんです。

東都大学にも一橋大学とか東京工
業大学があるように国立大学はあ

るわけだけども、東京六大学とい
うのは、

早慶戦とか法明戦とか、そういう
対抗戦が集合となって、東京六大

学となってるから、それを崩すこ
とはもうできないわけです。

青島さん、そのへん、いかがでご
ざいますか?

>>なまじやってたんでね、この
議論になかなか入れないです。

>>最初に野球始めたのは東大で
す。

一高ですから。
昔はめちゃめちゃ強かったんです

よ。

東大に胸を借りる。
>>だってほかになかったんでし

ょう?
>>胸を借りてたんです。戦前の

ずっと前ですけどね。六大学のス
タートでいうと、

ほかの東大を除く五大学では、み
んなでやりましょう、

あと1つやるのに、

東大を誘うということになったん
ですけど、今、門田さん言われた

ように、

最初は一校一校の対校戦をやって
るのを集めた流れですから、

今も相手校に勝つと、

何勝何敗ではなくて、勝ち点とい
う制度でこうやってるところにね、

その名残があるわけですけれども。
>>よくわかんない、だから何?

>>だから、嫌な言い方するとね、
なんか昔ながらのね、エリート意

識の塊みたいなもの。
六大学だからって言うんです。

六大学っちゅうたって、学力だっ
てさまざまだし、

だから今どき、

何が六大学だと。

優劣で入れ替えたらいいじゃねえ
かっていう。

>>でもそこは伝統なんですよね、
青島さんね。

>>入れ替えるにも、六でしかや
ってませんから。

>>いやいや、だからいらないだ
ろ、こんなのっていう。

だからそれを東都大学リーグって
いうのがあって、

強いもん順にだーっと並べて入れ
替えていったらいいだろって話じ

ゃないんですか?

要するに、ここに入ってますって
いう、

なんか俺たちは昔ながらのエリー
トなんだっていう感じがしますよ

ね、これ。

>>これもステータスで、すごく
東大生の運動会って柔道も一緒で、

柔道って実は講道館柔道ってある
んですけれども、

交戦柔道というのも、東大がやっ
ぱり、最初なんですよ。やっぱり

東大生って、

負けの美学と思ってて、負けるこ
とを恐れないんですよ。

そういう強い武っていうんですか
ね、

体のでっかくて強い力の強い人た
ちに知で倒すっていうところに美

学を持ってるんで、負けることを
そんなにあれなんですよね。

>>よく分かるんですよ、負けの
美学があるっていうのはね、

なんか一人よがりの美学みたいに
見えるだけれども、東大はいいけ

れども、ほかの五大学にとって東
大の存在って、どういう存在意義

があるんですか?
全くないじゃない、どうせやった

ら勝つんだから。
>>それは青島さん、どうですか

>>いや、東大とやるのは一番プ

レッシャーがかかりますよね。
>>負けられないから。

>>絶対に勝たなければいけない
から。

>>でもね、分かるよ。勉強で負
けてても、運動でだけは東大に勝

てるって、そういう最後のところ
が。

>>えらい勉強ばっかりにこだわ
りますね。

>>そんなことない、そんなこと
ない。

>>僕らね、相手、東大や思った
ら、ボールでも当てたらあかんや

ろなと思って、ぽんぽん投げる、
こんな所当てたら、あとで美学や

って。
>>ちょっと待って!東大だった

ら、当ててもいいんですか?
>>いいんや。

>>青島さん、書いてらっしゃい
ますけど、島田さんの死生観って、

門田さん、やっぱり今でも受け継
がれてるんですか?

死生観とはって青島さん、

書いてらっしゃる。

>>彼が座右の名にした2つの詩
があって、

一つは石川啄木の快くわれに働く
しごとあれそれをしとげてしなん

と思うという彼の仕事に対する思
いをそのままうたってる、

…の歌。

それから福本日南の後の世に語り
継がれず祭られず、

さらす屍みやびなるらんっていう
歌があるんですけど、この2つを

彼は座右の銘にして、

そのとおりの人生を送ってるわけ
です。

それが彼が敗北の中からずっと、

やっぱり得てきたものではないか
というふうに、私は思いますよね。

>>質問ですけど、門田さんがこ
のご本をお書きになるにあたって、

すごく門田さんの原点みたいなも
のって、どこに一番こころを揺さ

ぶられたんですか?
>>私は44冊もうノンフィクシ

ョン書いてますけど、テーマは毅
然と生きた日本人像なんです。

>>日本人像?
>>日本人像。

毅然と生きた日本人像を私、描い
ておりますので、その一人として

この島田叡さんも描かせてもらっ
たわけです。

勝負って勝つためにはものすごく
しんどいじゃないですか。

しんどくて一生懸命努力する。

けれども負けた人間は努力してな
いかといったら、それは違ってて、

負けた人間も努力してるわけです。

負けた人間が何を得るかというこ
ともスポーツの存在意義じゃない

ですか。
東大が敗れても敗れても百年間、

なんで戦い続けてるかという中に、
その答えが出てくるかなと思って、

それで書きましたけどね。
>>門田さん、

あえて島田先輩と呼びたくなるく
らい、読ませていただいて、

その経緯と、

もうなんというか哀悼の念を抱か
ざるをえなかった、全般ね。

彼は沖縄行くわけだけれども、生
きちゃだめだったんですかね?

生きちゃだめだったんですかね?
ないしはあれ、

メディアの人を先に行かしたりす
るでしょ?

彼が彼は西郷隆盛にも傾倒してた
り、死生観という今のお話の中で

出てきたけど、

ああいう最期を遂げるのは、これ
はやっぱり東大の野球部員だとか、

あるいは自分は野球をやってた者
なんだというバックグラウンドと

かそういう思いもあるんですか?
そういうものではない?

>>その最後の場面で東大野球部
ということではなくて、それはや

っぱり、

当時の日本人じゃないでしょうか
ね。

>>客観的に大学の野球部を見ら
れた門田さんだからこそ聞きたい

ことなんですけれども、大学、日
大の問題があるじゃないですか。

大学って基本的にはプロになろう
と思って部活に入る人って、圧倒

的に少ないと思うんですよね。
そこで得られるものって、自分た

ちのやっている側は熱中してるか
ら、友達だったり、

練習頑張ろうだったりとかだと思
うんですけれども、客観的に見た

ときに、そこで得られるものって
いうのがあったからこそ、

あの島田さんの話にも結び付いた
んだと思うんですけど、

そこのところはどうでしょうか。

>>やっぱりね、

戦って戦って戦い抜く、

そこにいくまでの努力、そして精
進、そして創意と工夫、そういう

ものに対して、

今も若者が魅力を感じてるからだ
と思いますよ。

>>門田さん、いいですか?

ちょっと生意気な言い方かも分か
らないけれども、

敗れても敗れても東大百年の奮戦
というタイトルですけどね、

皆さん方から若干六大学にも意見
があったり、まあ、批判的な話も

ありました。
>>1人だけですが。

>>いや、でもね、

私はこう思うんです。
やっぱりあそこでやってた身とし

て、東大の諸君はみんな思ってる
と思う。

なぜ敗れても敗れても、あの舞台
に立つのか。

それは六大学という伝統のある神
宮球場である、戦いの場が、楽し

いからですよ。
最高に愉快だからですよ。

>>だったらほかも入れてあげよ
うよ。

>>だからです。敗れても勝ち負
けは決まるんだけど、だけどあの

ステージは学生たちにとっては、

もうほかのものに例えようのない
ぐらいね、楽しい場なんですよ。

>>あのね、分からんでもないん
ですよ。

私は早慶戦、

みんな行きましたから。
>>そうですよね、だからなんで

すよね。
>>だからよけいにね、エリート

意識みたいなのが鼻につくんだ、
これが。

>>これ、ファンの裏返しですか
らね。

>>ありがとうございます。
>>どうもありがとうございまし

た。
>>2年後に迫った2020年東

京オリンピック。

日本が初めて参加した1912年
のストックホルムオリンピックで

マラソンランナーとしてエントリ
ーした金栗四三。

しかし、彼はレースの途中、26.
7キロ地点で脱落。

そのまま姿を消してしまう。

消えた日本人ランナーとして注目
を集めることになった金栗四三は、

その屈辱を胸に箱根駅伝、

福岡国際マラソンなどを創設し、

日本の近代スポーツの基礎を築き
上げる。

この金栗四三の生涯は、来年のN
HK大河でドラマ化されることに

なっているが、

>>佐山和夫著、

金栗四三消えたオリンピック走者。

>>ピストルの音で、

全員が走りだした。

スタートしたとたんに、

皆が一斉に驚くほどの速さで飛ば
し、たちまち彼は最後尾になった。

彼自身が言っている。
マラソンの行われた日、

焼けつくような真夏の午後の日が
赤れんが造りの競技場いっぱいに

注いでいた。

>>四三はスタートでこそ出遅れ
たが、その後、疲れてきたほかの

選手を追い抜き、順位を上げてい
った。

>>これなら相当いけるぞと思っ
たのもつかの間、足が痛み出し、

汗が目に入り、15マイルを過ぎ
る辺りから意識がぼんやりし始め

て、

途中で水を飲んだりか

ぶったりしたのがなおいけなかっ
たか。

>>そして26.7キロ地点で四
三はコースを外れ、林の中に姿を

消す。
現地ではそのとき何があったのか。

それを検証するため、

著者の佐山和夫氏は100年後の
ストックホルムを訪れ、

当時のマラソンコースをたどり、

金栗四三の生涯を探ってみようと
考えた。

1891年8月20日、

金栗四三は熊本県の春富村に産ま
れた。

8人兄弟の7番目で、

四三という名は父が43歳のとき
の子だったことを示す。

子どものころ、四三は体が弱く、
泣き虫だったが、彼の住む村には

小学校がなく、最寄りの学校まで
は片道6キロもあった。

この往復12キロこそが、

四三を長距離走者へと導く最初の
道筋となる。

その後、東京高等師範学校に入学
した四三は、

校長で講道館柔道の創始者、

嘉納治五郎に才能を見いだされる。

治五郎は当時、

フランスの教育者で、

近代オリンピックの基礎を築いた
創立者、

ピエール・ド・クーベルタン男爵
から、

第5回オリンピック競技大会への
日本の参加を呼びかけられていた。

そして日本のオリンピック初参加
に向けた国内予選会が行われ、金

栗四三を含め12人が参加した。
四三はこのとき普通の足袋を履い

ていたという。

記録は2時間32分45秒。

足袋はすり切れていて、半分以上
がはだしのまま、

かかとに血豆が出来ていて、

彼はこのあとひとつきほど歩行に
も不自由をすることになる。

>>しかし、彼はたった1回のマ
ラソン経験で、

日本代表としてストックホルムに
行くことになる。

四三は当初、オリンピック出場を
固辞していたが、

嘉納治五郎は彼の翻意を促し、

何事も初めはつらい。
自信もなかろう。

しかし、

苦労覚悟で出かけていくことにこ
そ、

人間としての誇りがあるのではな
かろうか。

スポーツにしてもしかり、捨て石
となり、

礎となるのは苦しいことだ。
だが、

誰かがその任を果たさなければ、

日本は永久に欧米諸国と肩を並べ
ることができないのだ。

このオリンピックを見逃したら、
次の機会は4年後にしかやってこ

ない。
金栗君、

日本スポーツ界のために、

れい明の鐘となれ。
>>100年後のストックホルム

を訪れた佐山氏は、

当時のマラソンコースを車でたど
ってみることにした。

スタート地点となったオリンピッ
クスタジアムは今も現存しており、

スタンドもトラックも、

整然と管理されている。
車でコースをたどると、

そこには緑と色鮮やかな家々の景
観が続いていたが、突然、むき出

しの土地が現れた。

いくつかのクレーンが空を支配し、
土地開発が進められていた。

そこがまさに、金栗四三の消えた
場所だったのだ。

100年前、そこには地元の民家、

ペトレ家があった。

>>恐らく金栗四三は、そこがど
こであるか分からず、

ただ坂道を下るだけ下ってきて、

道路沿いのペトレ家の庭へとふら
ふらと迷い込んだのだろう。

意識を失っていた金栗を見つけた
ペトレ家の人たちは、

彼を休ませ、介抱したことだけが
分かっている。

帰国後、四三は日記にこう記して
いる。

>>この重任を全うすることあた
わざりしは、死は易く、

生はかたく、

恥をすすぐために粉骨砕身してマ
ラソンの技を磨き、

もって皇国の威をあげん。
>>その後、

金栗四三は、マラソンや駅伝の普
及に力を尽くし、

日本初の駅伝、東海道五十三次駅
伝競走を企画。

京都・三条大橋から東京・上野の
不忍池までを昼夜けんこうで走る。

走るというこの競技は、大評判と
なり、今では国際競技となった駅

伝の礎を築く。
そして、その情熱は今や正月の風

物詩となった箱根駅伝につながっ
ていく。

>>四三はアントワープ、パリ大
会と3度のオリンピック出場を果

たし、マラソン普及のため、下関
から東京間、樺太から東京間、さ

らに、九州一周を踏破し、全国走
破を達成。

生涯に走った距離は25万キロ、

地球6周と4分の1だった。

そんな金栗四三の晩年。

1967年3月、

思いがけない知らせがストックホ
ルムから届く。

スウェーデンオリンピック委員会
が、

1912年に開催されたオリンピ
ックの55周年行事に、

金栗を招待したいというのだ。

>>彼らは当時の記録を確認した。

マラソン部門で金栗選手がスタジ
アムの門を出たことは明らか。

しかし、ゴールインはしていない。
かといって、棄権にもなっていな

いのだ。

つまり彼はまだ走り続けているこ
とになっていた。

彼らはそれを完了させたいという。

金栗四三は喜んでストックホルム
を再訪した。

彼は75歳になっていた。
オリンピック委員会では、

スタジアムに正式のゴールテープ
を用意していた。

彼はレースからほぼ55年たって、
やっとそのテープを切った。

日本の金栗四三選手、

ただ今ゴールインしました、

タイム54年と8か月6日5時間
32分20秒3。

これをもちまして、

第5回ストックホルムオリンピッ
ク大会の全行程を終了いたします。

>>そして拍手に包まれる中、

四三はこうコメントした。

長い道のりでした。
その間に、孫が5人できました。

会場からは大きな笑い声と、

さらに大きな拍手が沸いたという
ことだ。

しかし佐山氏は取材先のストック
ホルムで、

意外な事実を突き止めるのだが、

それは本書を読んで確かめていた
だきたい。

>>佐山氏は、

最後に嘉納治五郎が金栗四三を励
ましたれい明の鐘となれというこ

とばによって、

実際に四三はその役目を果たした
とつづり、

2020年オリンピックも近い、

れい明の鐘なるものを実際に立て
てほしいと思う。

もしもそれが完成されれば、

それは金栗四三の真の完走を象徴
すると同時に新しいオリンピック

の何よりのお祝いとなるのではな
いか。

>>そこで皆さんに質問です。

金栗四三消えたオリンピック走者
の著者、

佐山和夫氏に聞きたいことはなん
ですか?

>>改めまして、

佐山和夫さんです。
よろしくお願いいたします。

>>佐山さん、

いい話ですね。
>>そうですね。

>>でもスウェーデンってすごい
粋なことするね。

>>粋なことですね、本当に。

>>びっくりしちゃった、感動的。
>>もうこれは、

ドキュメントにしようというのは、

どういうきっかけなんですか?
まさにどの部分に見せられた?

>>私はもともとスポーツはなん
でも一応好きなんですね。

初めからこれに興味を持ったわけ
ではないんですよ。

私はもともと野球のことを書いて
たんですが、

野球のほうが圧倒的に多いんです
よ。で、これも本当言うと、

野球絡みなんです。
本当は。

実はですね、

こんなこと言っていいのかな、

行った最初は、世界中にいろんな
野球があるんですね。

全部見てやろうと思ったんですよ。

イギリスにある野球を見に行った
んです。

ウェールズ対イングランドってい
うのがあるんですよ、国際試合で、

第86回の大会やるというんで、
2010年でしたかね、電車に乗

っかって行こうと思って、そした
ら前に座ってるおじいさんがいら

っしゃって、テーブルあるんだけ
ど、

それ、

差し向かいになって、なんとなく
話になっちゃって、何しに行くん

だ?って言われてここで、

ウェールズ対イングランドの野球
があるっていうし、1ベース1点

なんですよ。
>>えー?

>>そういう野球のルール。
>>変わったルールですね。

>>1ベース1点っておもしろい
じゃないですか。

でもイニングは2回ですけどね。
>>2イニングですか?

>>全員、アウトになってチェン
ジなんですよ。

>>全然違うんですね。
>>知りませんよ、それは。

>>野球って言えないんじゃない
ですか?

>>持ってるのはベースボールな
んです。

>>それで?目の前に座ったおっ
ちゃんが?

>>だからベースボールなんです
よ。

>>ベースを踏むからね。
>>ベース、なるほど、なるほど。

それはいいんですけど、前の。
>>そのお兄さんと話してたら、

イギリスは古いですねって言った
ら、スポーツのふるさとはイギリ

スなんだよとかいって、だって、

オリンピックで今、

言ってるけど、

そんなのとっくにイギリスって前
から何々オリンピックっていっぱ

いあったんだっていうから、聞い
てみると確かに、

…オリンピックとかいろいろある
んですよ。

びっくりして、あっ、じゃあと思
って、

オリンピック自体の歴史に興味を
持ったわけですね。

そうしているうちに、じゃあ日本
が最初に参加したのは1912年

という、ああ、じゃあ、どなたが
行ったのかなと思ったら、たった

2人でしょ、選手は。

>>行くだけでも船だからとんで
もなく時間かかりますよね。

>>シベリア鉄道ですよ。
>>シベリア鉄道ですか。

>>敦賀へ行ってね、あれはウラ
ジオストクね。

船で渡って。

着くまでに十何日かかってます。
>>そうだろうな。

>>練習するのに途中で止まった
その駅のプラットホームで降りて

走ってるんですね。
だから大変じゃないですか、練習

するの。そんな状況です。
とにかくまあ、そういうことで、

興味を持って調べ始めたっていう
のが最初なんですよ。

スポーツはなんでも好きですから、
柔道で。

>>そうなんですよね。
だから、私なんかは、

柔道の父っていうのは嘉納治五郎
で見てたんで、やっぱり陸上の優

秀な選手を、なぜ、

柔道の嘉納治五郎が見いだせたの
かっていうのと、タイム、

1回しか走ってないのに、実績も
ないのに、

でも、

やっぱり、

この金栗さんがいたおかげで、や
っぱり、いろんなドラマが広がっ

ていくところで、

なぜ嘉納治五郎がこれだけの魅力
のある人を見いだせたのかなとす

ごい思いますね。
>>嘉納さんは、

高等師範の校長ですよね。
校長先生になって、嘉納さんはと

にかく、人間っていうのは、いろ
いろ教育、

肉体もそうだし、精神も両方大事
なんだけど、体をまず鍛えなけれ

ばだめだということで、どの科目
であろうと、必ず学生には日々、

1時間、放課後、運動しなさい、
何かのクラブに入りなさいという

方針をされていたらしいんですよ。
で、金栗さんは、走るところに入

ろうかなと、徒歩部っていう、

陸上、

徒歩部っていうらしいけど、そこ
へ入ってたんです。

だけど、実際問題は、

何も大きな大会があるわけじゃな
いんですよね。

マラソンったって走ったことなか
ったんですよ。

だからクーベルタンに頼まれて、
嘉納さんはじゃあ、日本でもやる

とするか。

だから体育教育はないんですもん
ね、日本に。

予選会を開いて、

やっと走ったのが金栗さん最初な
んです。

>>それでこのお話の核心部分な
んですけど、消えたということで

すよね。

でも消えたっていっても、そのま
まほったらかしにしたわけではな

いと思うんですけど。

そこんところはどうなってるんで
すか?

>>ほったらかしといえばほった
らかしでしょう、それは。

>>ほったらかし?
>>はい。

>>そういうもんなの?

>>適当だったんでしょう。

>>今、

危険って言われるようなやっぱ記
録行動になるんですけど、そうい

うことすらなかったんですよね。

>>理解になかったってこと。
>>棄権じゃありません。

つまり、スタートしましたね。
これはものすごい暑い日で、簡単

に言いますけど、

…人いたんだけど、これ、暑すぎ
てってやめた人もいて68人しか

走らないんですよ。
その68人のうち帰ってきたのが

35人。
帰って来ない連中が半分いますか

ら、1人ずつ全部の人、チェック
できませんよ。

>>そういうことなのね。
>>で、それで、さっきから出ま

したけれども、ペトレさんという
大金持ちの大邸宅があって大金持

ちなんです。
>>今、

ペトレ家で具体的などんなもてな
しをしてもらった?

>>皆さん、飲み物を提供したり、
見物に来た人、

ランナーにも何か飲んでもらおう
と思って、用意してるわけですよ。

なんか人がいらっしゃるなという
ところに入り込んでいって、気を

失ったってこと。
彼だけじゃないんです。

野戦病院のようだったと。
次から次から倒れる。

>>でも、ほかの介護されてた人
たちは、…された人たちは、消え

なかったの?
>>消えなかったんでしょうね。

>>もとへ戻って行ったの?
>>それは分かりませんが。

>>金栗さんだけが消えたんです
か?

>>消えたのは金栗さんだけで。
消えたっていうのはね、要するに

介護されるでしょう、そうしたら、

服着せてもらうわけですよ。
そしてペトレさんの家の人たちが、

別に日本人だからというんじゃな
くて、

とにかくなんとかしないといけな
いと、

君はどうしたらいいんだと、

どうしたいと、

日本人のところに帰りたいと、帰
されてきて、

そこからもう日本に帰ってきちゃ
ったわけです。

つまり、先ほどのお話じゃないけ
れども、

棄権ならば、大会役員が来て、君
はどうだと、

だめた、

棄権にするか。
>>手続きしてないということな

んですね。
>>それすらしない間に帰っちゃ

>>箱根駅伝を、企画というか、

イメージしてっていうのも金栗さ
んっていうことですが、

あのご本によると、

それはアメリカ横断駅伝をやるた
めの予選会の最初、

つもりだったと。

ウルトラマラソンみたいなサハリ
ンから下がってきたり、

東京から下関行ったり、

まあ、

ばんこんに近いようなウルトラマ
ラソンを、がんがんやるじゃない。

彼はどういう人なんですか?
そういう世界観というのは、やっ

ぱり、ストックホルム行ったおか
げで開かれたんですかね。

>>世界を見てきましたね、世界
を見てきたら、この状態じゃ、日

本、何年かかってもだめだろうと
思ってるから、まず人数的に陸上

の選手を増やさなきゃいけないし、
力をつけさせなきゃいけない。

いろんなことを考えますよね。
そして、あれ、なんですかね、

小学校なんかの運動会なんかによ
く招待されるんですね、

みんなの前で走るという、そのと
きにどなたかと一緒に、

ほかの大学の選手と一緒に汽車に
乗って上野駅かどっか、

埼玉県のなんとかと言いましたけ
ど、

そこへ行くときに、

列車の中でおいおい、俺たちでな
んかやろうよと、みんなにね、

そのみんなが注目するようなこと
をやりたいなと、

そうすればアメリカ横断しかねえ
ぞということになりましてね、こ

れ、1人じゃ無理だけど、駅伝に
してやれば行くんじゃないか、

そうするとアメリカ人はもちろん
びっくりするし、

日本人たちも、ああ、これで俺た
ちもやりたいなってなって、急に

その、なんていうかな、

競技に対する興味が増すんじゃな
いかということで、

そしてアメリカ横断するためにや
ろうぜっていって、

練習に、

じゃあ、

>>こういうことありましたよね。

そのことを、

ロンドンオリンピックのときに、
竹田さんのほら、お父様が、わざ

わざスウェーデン行って、

ペトロ家へ行って、

助けてくれたおうちへ行って。

これ、

100年前に、ずいぶんお世話に
なりましたと、

日本はかくかくしかじかで。

>>息子と違って立派なお父さん
だね。

>>今、竹田さん、はぁ?とおっ
しゃってたけど。

>>知らない、知らない。
>>本当ですよ。

>>お礼を言ってくださったわけ
ですよね。

1回は選手は2名だったと。
今度のオリンピックは300だよ

と。

そこまで日本は成長しました。
ありがとうございましたと言って

ね。
>>もうきょう一番分かったこと

は、

竹田さんのお父様、偉かった。

それに比べて息子は。
>>過去形じゃん、変じゃん、ま

だ生きてらっしゃる。
>>結局、そのことがね、

ヨーロッパで取り上げられました。
日本はさすがにすごいと、伝説の

国だと。

100年前のご恩を忘れていない
といって、

これで日本の好感度が上がったん
ですよ。

というふうに伺いました。

>>東京オリンピック成功にも貢
献してる。

>>だから僕が言いたいのは、

金栗さんは生きている。
>>うまい!おっしゃるとおり!

>>おっしゃるとおり。

>>それよりも感動したのは佐山
さん、佐山さん、おいくつ?

>>82になります。

辛坊さん、辛坊さん、

これ聞いてくださいよ。

金栗さんは、ほんまは走ってない
でしょ、

26.7キロしか。
僕、

自分で走ろうと思ったんです。
それで走る練習しすぎて、


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