こころの時代~宗教・人生~ “豊かな終わり”を人々に迎えて欲しいと語るのは医師の徳永進さん。多くの命と向き合って…


『こころの時代~宗教・人生~「“豊かな終わり”を見つめて」』の番組情報(EPGから引用)


2018/06/30(土)
こころの時代~宗教・人生~「“豊かな終わり”を見つめて」[字][再]
“豊かな終わり”を人々に迎えて欲しいと語るのは鳥取市でホスピスを備えた診療所を開く医師の徳永進さん。“死は人生の一部をなす姿”と語る徳永さんが見つめる命とは?
詳細情報
番組内容
“豊かな終わり”を人々に迎えて欲しいと語るのは医師の徳永進さん。多くの命と向き合ってきた末に2001年に鳥取市でホスピスを備えた診療所を開いた。徳永さんは“死を目前にしたときの人の真剣さ”に感動しているという。死を“人生の一部をなす姿”ととらえ、逝く人、送る人たち、共に心を通わせながら“その時”を迎えるのが理想の姿という。誰しも避けたいが必ずおとずれる“死”を通して徳永さんが見つめる命とは?
出演者
【出演】医師・野の花診療所院長…徳永進,【きき手】住田功一
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『こころの時代~宗教・人生~「“豊かな終わり”を見つめて」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

こころの時代~宗教・人生~ “豊かな終わり”を人々に迎えて欲しいと語る
  1. 言葉
  2. 患者

  3. 自分

  4. 在宅
  5. 病院
  6. 私たち
  7. 家族
  8. 看護婦



『こころの時代~宗教・人生~「“豊かな終わり”を見つめて」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


♬~

♬~

♬~

鳥取市の住宅街に
一軒の診療所があります。

開業したのは 2001年。

外来患者の診察だけでなく

ホスピスを備えているのが
特徴です。

深呼吸 はい。

院長の徳永 進さん。

病と闘う人たちを最期まで
支えたいと立ち上げました。

どんなぁだ?

えらい?

医師となって 40年以上。

これまで あまたのいのちと
向き合ってきました。

もうしばらく頑張れそうだけど
どんなぁだ? ご自分では。

生きるっちゅう事。
ハッハッハッハ。

それでいきましょうか?
ええ。

どんな事があっても 自分らしく
豊かに過ごしてほしい。

元気になりました。

サーッと行っちゃう…。
ハッハッハッハッハ!

患者に笑顔を絶やしません。

医師・徳永 進さんに

日々 見つめている
いのちについて聞きます。

患者さんと接してらっしゃる姿を
拝見してますと

いつも ユーモアたっぷりに
笑ってらっしゃるんですけれども。

これはやっぱり 接する時に
こうしようという

徳永流の
何か考えがあるんですか?

不真面目なんでしょうね
根本的にね。

(笑い声)

もうちょっと礼儀正しい方が
いいなと思うんですけれども

なかなか
患者さん自身 家族は

深刻な問題に
向かってられますよね。

その深刻な問題に
向かってられる

同じ位置には
どうしてもなれないので

ちょっと どうしたら肩の力が
和らぐかな みたいな事を

考えるんですけれども

自分が 同じ気持ちになれないので
逃げてるとも言えますけれども。

一緒に深刻に… まあ
なれないという事もあるけども

深刻になれたらいいかというと
ちょっとまた難しくてですね。

で ああいうふうに ちょっと

言葉は あまり
よくありませんけど

少し空気をちゃかすというか
和らげる。

先ほども 外来に来られた
患者さんは 肺にも転移して

限られた時間だと思うって
言って

ご主人と2人暮らしで
来られたんですが

それで緩和ケアをって
おっしゃってたんですけど

原発が卵巣だったんですね。

もともとの がんのあった場所が。
ええ 卵巣がん。

で いろいろのがんによって
違うんですけども

そういう乳がんとか前立腺とか
卵巣というホルモン系のがんって

中には 穏やかな経過である事が
あるんですね。


でも その時に
ふっと こう言ったんですよ。

決心をしておられたんですね。

「でも 決心されても意外と長くて
いのちが。

あ こんな長かったんけと
予想外の事もありますからね

あまり深刻にならないで下さいね」
みたいなの言うと

「あっ あるんですか そんな事」
とか言ってですね。

過緊張とも呼んだんですけど
緊張が過ぎる。

どうしても みんな
過緊張になっていくんですよね。

過緊張は いいものを
生まないんですよね。

過緊張である事で
痛みは強くなるし

睡眠も妨げられるので

でも 過緊張にならざるをえない
その場面で

過緊張をどうやったら 和らげる
事ができるかっちゅうのは

宿題ですね。

それを
実践してらっしゃるというか。

人とのコミュニケーションの中で。
時々ね。

だから 笑えるといいなって
いうのがあるんですよ。

笑えると 痛みもちょっと
和らぐかもしれないし。

でも 最初から最後まで
笑っておればいいかっていうと

そうじゃないんですけど。

笑うっていう事ができた時は
ありがたいなぁと。

アルフォンス・デーケン先生の
ユーモアの定義に

「にもかかわらず笑う」が
ユーモアの定義だったんですね。

上手な定義だなと思って。

がんで 死が近づいている
にもかかわらず笑うって

できるかなっていうような事が
思うんですね。

でも 失礼になる事があっては
いけないけど

私の場合は
なりやすいタイプですけども。

ご本人たちは 大変な深刻な時間を
迎えておられるので

にもかかわらず笑う
といってもですね

非常に謙虚でないといけない
という事は分かりつつ

でもね
こういうのがあったんです。

がんの末期の女性が

たまたま東京から帰ってきて
下さったお嬢さんが来て

ほっとして だけど病状はどんどん
悪くなって しんどくなって

で 嘔吐がきて はうようにして
水洗トイレに行った。

で 娘さんが こう
背中をさすりながら。

そうしたらですね
嘔吐をされるんですけど

終わったあとに 最後にですね
間違って

ウォシュレットのボタンを
押してしまったというんですよ。

急に ふぁ~と出てきたのを
うわぁ~って

口を それでちょっと
ゆすいだりして

娘が大笑いしたと。 それを見た
ご本人もハハッと笑ったと。

その時にですね その話を聞いた
私は すごいと思ったんですね。

ファインプレーだと思った。 それって
思いがけない事ですよね。

で もう笑える状態ではないと
思っている。

そこまで 心も体も ある意味じゃ
追い込まれてるにもかかわらず

ウォシュレットで笑ったらですね
思ったんですけど

ユーモアって こうしたら ユーモアになる
とか そんなんじゃなくて

その場にいると 必ずね
笑わずにはおれない事に

時間っていうか 人生っていうか
時の流れって出くわすんですよね。


なので あまり肩肘張って ユーモアが
大事なんだとかいう事やめて

共に過ごしてると 思わず笑う。

その時に あぁ そうか 笑いって
こんなもんなんだなってね

思った事があって。

全部 教えられるんですよ
場面 場面で。

患者さんに?
うん。 そうか…。

だから 思いがけない事が
起こるんだっていうのが

大好きな一つの捉え方なんですね。
臨床の。

徳永さんは
地元 鳥取市の総合病院で

内科医として 20年以上にわたり
勤務していました。

そこで出会ったのが
死を間近にしながらも

懸命に生きようとする患者の姿。

その様に
引きつけられていきます。

治療に追われる日々の中で
募ってきたのが

自分が
死を迎えようとしている患者の

本当の支えになっていないのでは
という疑問でした。

53歳を迎えた時 徳永さんは
患者一人一人と その家族に

じっくり向き合う治療を
行いたいと

診療所を開いたのです。

細分化されて 専門化された
医療もある。

それを またみんな
求めていくわけですけれども

そんな社会の中で この診療所が
求められるというか

この診療所がやるべき あるいは
やりたいというものは…。

近代国家っていうか 近代技術を
獲得した この国ではですね

病気の場合だと みんなが
ベルトコンベアーに乗せられるっていう

感じがするんですね。
それで 健診を受けましょう

早期がんだったら
この治療をしましょう

この画像診断を受けましょう。

老いになったら 老人施設が
いくつかありますので

この人は こういう老人施設に
行きましょう みたいな。

なんか みんなが ただ
ベルトコンベアーに乗っとれば

なんか社会が それなりに
ポンポン ポンポン はじいてくれて…。

振り分けてくれると。
くれると。

最期の場面では
痛みコントロールをしましょうとか

告知はこうですって
全てが決められる社会を…

みんなが求めたから そうなって
きたっていうとこもありますけど。

でも 人間って意外と 一人一人
独特でして そこに味がある。

私たちは どれが正しいかを
いつの時代もそうですけど

決めるのが好きなんですね。

で 正しい方向をやろうと
するんだけども

一人一人に会ってみたりすると

その人のなりだなっていう
感じなんですけどもね。

なので その人に合ったような
パターンを

いかようにでも持てた方が
ワンパターンでいくよりは大事だなって。

そうは言っても
なかなか難しいものもあって

そういう時には
いろんな薬物ですね。

そういうものの
お世話になる事が多いので

片っぽでは そういう

薬によってのマネージメントを
どうするかは必至ですしね。

それ以外のものが持っている
みんなで歌を歌った時とか

孫が来た時とか 家に帰った時とか
いろんな あの…

お風呂に入ったあととかですね
痛みが和らぐ事が多いんですね。

それと 薬物以外のものは
一体 何なんだろうというのを

また探すのが楽しいというか
大切だしね。


徳永さんは
一日に何度も病室を回ります。

患者と話して表情を読み取り

求めているものを探ろうと
努めています。

「海に行きたい」という
患者がいれば 一緒に船に乗り

「魔女になりたい」という
患者がいれば 共に楽しむ。

人生を豊かに全うできるよう
患者と手を携えています。

痛みは どうでしょうね?

前立腺がんの末期と診断され

他の病院から
2か月前に移ってきた…

今 闘病の支えとなっているのは

院内に展示された
下雅意さん撮影の写真。

地域の自然の豊かさを
多くの人に知ってもらいたいと

撮りだめてきたものです。

たとえ ホスピスに身を置いても

自分らしく
過ごしてもらいたいと

徳永さんが写真展を提案しました。

あっ どうも。 お世話です。
失礼いたします。

ここに入院されて

よもや写真展ができると
思ってなかったでしょう?

思ってませんね。

随分 患者として悩んだ時には

何らかの形で救ってほしいって
いう気持ちが 焦りが出るんです。

だけど やっぱり こちらに来ると
なんかね 空気も違えば

それから 診療所内の看護師さんや
その全体のスタッフさん

一丸となっておるのが もう
まざまざと この目に浮かぶ。

それがちょっと やっぱり
僕のここを支えてるっていうかな。

徳永さんが
今の境地に至った背景には

死に直面した多くの患者から
聞いた言葉があったといいます。

私たちは やっぱり
ガイドラインとか マニュアルとか

そういうものを
必要とするんですね。

やっぱり素人でいきますから

海に ぼちゃんと最初はめられても
バチャバチャするしかないのに

まず こうしてっていう
指導 受けないと

ちょっと泳げないので そういう
マニュアルにしろ ガイドラインにしろ

いろいろ 作法ですね。

それは 縦書きの言葉として
ある事で救われるんです。

医療の現場には
そういうものがあると。

でも それだけで
事を済まそうとすると

なんか
そしゃくできないんですよ。

なんか 自分の言葉ではないし。

医療者は難しくてですね
自分の言葉 出しにくいんです。

職業者としての使命とか
プライドとかモラルとかがあって。

でも それでいくと患者さんの側も
それで返してくる事があって

一つも交流しないんですね。
でも じ~っと聞いていますと

患者さんが自分の言葉で ぽそっと
しゃべられだす事があるんですね。

それには 繕いがないんですね。

で そういう言葉は なんか
不思議な力を持ってるんで

でも 社会を整えるために
私たちは いろんな…

上からおりる言葉でですね

それを1の言葉と
私は呼んでるんですけども

近代語で IT語で
マニュアルのある言葉でっていう。

特徴はですね 1の言葉の
いのちがないって事です 言葉に。

2の言葉っていうのは
おぎゃあから始まり

うんこ しっこだったり
あ~ あったかぁだったり

あ~ おいしいなぁとか

しゃっくりが出た
そんなんでもですけど

そういう自然な言葉は 2の言葉の
中に たくさんあるんですよね。

でも ついつい1に走るんですよ。

で また そう話しながら
思い出したんですけど

「尊厳死を 尊厳死を」って言う
患者さんがいたんですね。

「どっか痛いとこありますか?」
と聞いても「尊厳死を」って言う。

「何か食べたい物…」
「尊厳死を」って なんか。

「尊厳死を」 食べるんかいな
と思うぐらい。 それでですね

そのころ やっぱり言葉としては
はやって…。

今も はやりますけど
安楽死をとか 尊厳死をという

1の言葉で。

で おばあちゃんに 「本当に
尊厳死しか言わないですか?」

「おとうさん 尊厳死しか
言わんのです」って言ってて。

「誰か好きな人とか
そんなのない?」って聞いたら

孫が好きだって。
京都に孫娘がいる。

7月の夏休みに
帰ってくるっていうんです。

「お孫さんの名前 何ですか?」って
言うとですね

「ユカ」って言ったんです。

「尊厳死を」と言ったら
諦めようと思ったんですけどね。

「ユカ」って言ったので
尊厳死以外に言葉があるって

初めて その時 気が付くんですよ。
ほんで その日が来たんです。

お孫さんが来た。
ええ 来た。

その部屋に行って ラウンジにいた時に
私がちょうど

最終便だったんですけど
会って

「あっ あなたか ユカさん?」って
聞いたら

「先生 おじいちゃん
会いましたけど 痩せていて

もう治らないでしょうか?」って
聞いたのでね

私は こんなんだから

「ううん ユカちゃん 治らん 死ぬ」
って言ったんですよ。

「でも あんたが帰るのを
待っとった。

あんたが一番好きなんだって」って
言ってね。

「おじいちゃん 何か言った?」って
言ったら

「言いました」って言うんですよ。

「ユカ おかえり 勉強しよるか」
って言ったっていうんですよ。

ユカ おかえり 勉強しよるか
これ 2の言葉なんですよ。

その人の2の言葉があった。
あったんですよ。

でね ついつい私たちは
1の言葉って思うと

1だけで勝負するんです。
でも 2はあるんですよね。

それを どこかで出会えたり

あるいは 出会うきっかけに
なる事ができたりしたらね

臨床は和らぐんですよ。

なので 2の言葉探しが
要るなと思いながら

忙しくなるとね
1で終わっていくんですよね。


つまり どんな段取りで
どんな治療で

次は どんな薬飲んで
ちゃんと薬のみましたかって

もう それですよね
患者にとってはね。

なので それでないと
やっていけない部分があるので。

臨床の大きな本質ですけど。

でも 2の部分を持ってる事を
ちょっと知っとかんとですね。

それに出会えると
解けるというか 膨らむというか。

理解 承知しにくい死が
ゆっくり 時間はかかるけども

分かる場合があるっていう。
その事が。

でも 何かやってると
やっぱり2の言葉の…

「道が歩ってみたいです」っていう。

「何がしたいですか?」とも
聞くわけですよね。

そしたら 「かつおが食べたい」も
ありますが

「道が歩きたいです」っていう時は
びっくりしましてね。

死の前に道歩きたいって この人
どういう事だろうと思って

一緒にまた
お連れして行くんですね。

家の前に コンクリート道があって
右に曲がると スーパーがある。

そのスーパーに買い物に行って
主人の好きな酒のさかな

つまみを作ってやりたい
っていうのと

家で 縫い物をちょっとしたいと
いうふうにおっしゃってですね

それは 生活の中の
健康である時は

皆が ごく
当たり前にしてきた事を

やっぱり死を前にして
思い出されるのは

ごく普通の
暮らしにつながる事を…。

その一つが
「道を歩ってみたい」ですよね。

で そういう具体語が
残ってましてですね

その人から教えられた事は

そうか 日常の一つ一つが勝負
なんだ というような事なんです。

だから みんな患者さんが
言った事なんです。

私が組み立てようとしてる事は。
なるほどねぇ。

徳永さんは 「死は豊かだ」とも
おっしゃってるんですけど

これは どういう意味ですか?

あの… 豊かでありたい

豊かと捉えたいって
思うっちゅう事なんですけど。

私たちは 死はやっぱり
どっちかっていうと

あってはならないもの
っていうか

閉じ塞ぎたいもの
あるいは 見たくないものとか。

人には言いたくないもの
みたいな

ネガティブな言葉に
どうしても置きがちなんですね。

でも そうなんだろうかなっていう
問いを含んでる言い方なんです。

実際に臨床に出て そういう
患者さんの死に出会った時に

それは本当に 本物の死ですね。

一人一人の違う形の
本物の死に出会って

死ってすごいなっていうのを
医療者っていう立場で

どこがすごいかっていうと

ずっと生きて動いてる人間を
見てる日々ですけど

臨床に行くと そこで初めて
死した人を見るわけですね。

人間の姿っていうのは そういう
生まれて動いてるところから

こういうふうに死体になるところ
っていうもの

みんなが持っているという事を
思うわけですね。

だから 生きて元気な サラリーマンの時
だけが人間というわけじゃなく

さまざまな
老いて認知症になった時も

それは人間じゃない
のではなく人間で

いろんな時期の いろんな姿を

実は みんな持っている
という感じがあってですね

そういう意味で 死っていうのも

その全体の中の一つの姿ですから
あぁ そっか 今まで はねのけて

なるべく 健康で生きてる人間を
正しい姿としようとして

死を 外そうと
してたかもしれないけど

違う 違う 死さん 死さん
死もここに入って

で ようやくまっとうな一つのもの
っていうのがあってですね。

その時 もう一つ 死は豊かと
思ったのは そういう事が…

まあ 死の発見っていう言い方する
とオーバーですけど あったし

それから 死を前にした時の
人の心の動き

まあ 悩み 悲しいが
あるんですけど

それはとても
ふざけてませんでですね

本人も真剣ですし 周りもこの事は
まさか我が家に なぜ私がって

思いながら
逃げずに真剣なんですね。

他の事々は 締め切りが来ても
ちょっと事情があってだとか

まあ なんか延ばしたり
まともに受けない事があったり

とりあえずの事で そこを対応する
みたいな事がありますけども

それでないと
社会生活やっていけませんけど

死の時だけは 結構みんな
真剣なんですよね。

その時の表情とか言葉とか
心の動きがですね

やっぱり大変では
あるんですけれども

真実感があってですね それは
見事だなというのがありますね。

患者さんが ここに来られて
前いた病院の先生にね

これは 胆のうがんの肝臓浸潤で
末期であるから

手術も抗がん剤もできないって
言われたっていう

その日に来られたんです。
そして こうおっしゃいました。

「先生 私は死を受容しましたから
でも 商売やってますので

家で過ごしたい」。
自転車で何か配達をされていた。

「家で最期を遂げたいと思います。
よろしく」って

気合いが入ってたんですよ。

その方は60ぐらいの方でしたかね。
で だんだん弱っていかれて

看護師さんが
訪問看護でも入ってて

トイレも難しくなったり
するような時でした。

で 本人に 痛いか 食べれますか
便通は 寝れますかって聞くと

ご本人はですね 「おい おかん
どうだったいな」と聞くんですよ。

「わし 痛いかいな」って
で 奥さんが それを代わりに。

「わし 食えるかいな」って

「おかゆと梅干し
食べられましたか」って。

自分が全面委任してるんですね。

これは面白かったんですが
ある日 こうおっしゃったんです。

「先生」って言って 四つんばいに
なって土下座するんです。

「この場になって
お恥ずかしゅうござんすが

わし 生きとうござんす」って
言われたんですね。

えっ 死を受容したって
言ったじゃん みたいな感じに。

宣言されてましたね ええ ええ。
ほんで その時ですね

前だったら 「どっち?
はっきりしてよ」みたいに

言わなかったかな
まあ 思うかもしれない時に

私は 動けなかったんです。
わっ 言ったと思って。


どこっていうとね「この場になって
お恥ずかしゅうござんすが」って

その前口上にですね
まずやられた感じなんですよ。

「生きとうござんす」って言われた
言葉がですね

さっきで言うと
本物の言葉ですから。

その人の人生背負って
出てきた言葉ですね それはね。

だから 逆に はは~って
こっちが はは~っていう。

で 頑張りましょうっていう
形になって。

その時 教えられたのはですね
いのちっていうのは ほんとで

根本的に
生きようとするっていうか。

夕顔の種をまくと つるが
いろんな障害物をこうしながら

上へ行きますね。
光に向かって行くっていうので

向光性みたいに言うんですけど

あれを 生きる性
「向生性」みたいな能力を

種は持ってるんじゃないか
と思って。

その方が おっしゃったのも
それに近いものだと思ってですね。

ほんで 最後に でも そのつるは
どうなっていくかっていうと

最終的には 地に
ぼきっと落ちるんですけどね

私は みんなが一粒の夕顔の種を
持っているというようなのが

分かりやすいと思ってですね

その種は生きようとする
というのが根本的な姿勢ですよね。

でも 最終的には 地に
向地性っていうか 地に向かうと。

というような能力も持っている
という種だと思ってるんで。

真反対こそ 臨床にはちゃんと
真実味があってですね

いろんな真反対が こう
いろんな形である。

そこが 現場っていうか
臨床というか 人生というか

ああいうものの値打ちだろうな。

私たち どっちか1つに
したがるんですよ。

そんな事 あるわけがない。

常識や前例が 必ずしも通用しない
臨床の現場。

施す手だての
限られた患者を前に

治療だけでなく
どうケアするのか

医療に対する考え方が
変わっていったといいます。

食欲はどう?
食欲はあります。

お迎えが もし来た時
どうしましょう?

(笑い声)

そっか。 それがいいね。

もうちょっと 来いでもいい。

船磯っていう
漁村があるんですよ。

そこに 女の人が
末期でおられてですね

「もう少し 入院して検査したり

輸血なんかしませんか?」って
言ったら その患者さんは

「ううん ここで死ぬ」って
おっしゃるんです。

で 迫力あってですね
やっぱり 海のおなごというか

浜のおなごは強いなとか思って
「そうですか」って言うと

看護婦さんがですね 「私 ちょっと
この人 頭洗ってないし

足も なんか汚れてるみたいだから
洗う」って言うんですよ。

で 「先生 ちょっと悪いけど

洗面器でお湯くんできて」
みたいな。

初めて上がった
その漁師さんのおうちで。

誰もいなかった。
旦那さんは漁に行ってたんですよ。

シロイカとりにね。
誰もおらん所で。

お湯 お風呂からくんで
持ってくると

ペットボトルみたいなのが
あってですね

「先生 これにお湯を入れてきて」
って看護婦さんが言うんですよ。

で 持って行ったら
ペットボトルの方ですけど

「穴が開いてない」って
看護婦さん 言うんですよ。

「穴 開けてきて」って。
主治医は 私だったんですけどね。

(笑い声)
とりあえず 先生 やってと。

ほんで 「千枚通しが どこにあるか
どうか分からん」って言うと

「漁師さんの家だから
何かいろんな 細い包丁かなんか

あるんじゃないですか」と
看護婦さんが言うので

行ってみたら
本当にありましてね 細いのが。

よう知っとるなと思って。
で 開けるんだけど

手をケガしそうだったんで
で 持って行くと

「あぁ 3つしか開いてない。
まあ いいです

5つ開けてほしかったけど」って
言いながら ハッハッハ…。

「先生 シャンプー」って言うんですよ
看護婦さんが。

初めて上がった家で…。

まあ お風呂だろうと思って
そこに行って。 で シャンプー。

そしたら泡が立たんのですね。
コールタールみたいな肌で。

しばらく洗ってなくてね。 ええ。

ほんで だんだんと
泡が立ちだしたんです。

そしたら 看護婦さんがですね
足を洗うと言うんですね お湯を。

で それも あかが出るんですね。

1か月以上 入っとられなかったか
なんかでですね。

最後にタオル3本を 「私が代わり
ます」って 看護婦さんが言って

台所に行って ガスをバンと出して
熱いお湯が出るようにして

熱々のタオルを3本つくって
持ってきたんですね。

そして 顔にペタッとつけて
額の方もつけて

もう一度 ジーッとタオル置いて
10秒か15秒した時でしたかね

その患者さんが 「気持ちいい~!」
って言ったんですよ。

見事でしたね。

で 足も 足浴っていうんですけど
してくれて

ほんで 「失礼します」って
帰っていくんですけどね。

私は ただ 腹水せん刺と
輸血しようかな

みたいな事ばっかり
考えとったんですけども

「そんなものは要らない」
とも言われて。

そういう医療 治療行為は
今 要らないとおっしゃった。

そしたら 看護婦さんは
出番がちゃんとあってですね

その事を気持ちいいって
言った時にですね

う~んと まあ うなるわけです。

それで思った事は
こうだったんです。

患者さんが いろいろ
病んで 老いて

がんの末期を迎えて
亡くなるという時に

最初の手術とか抗がん剤は 医療
医者たちがやるっていうのを

cureっていうの まあ
決めがちなんですけど

そういう時に そういう現実が
確かにありますね。


そういうのが終わると
「あと 看護婦さん」と言って

そこからは careっていう言い方を
するんですけれども

よう考えてみますと
事の始まりから

careもcureも入り混じってる
っていうのが

私の感じだったんですよね。

何か線を引いて ここからは cure
治療ですね 医者たちの仕事。

ここからは 看護婦さんや
介護士さんのcareというのでは

ないのではないかって
いうような事を思うんですね。

徳永さんは 自宅での緩和ケアを
広める取り組みを始めています。

おじゃまです~。

今から半世紀ほど前までは

半数以上の人が 自宅で亡くなって
いましたが 今は1割ほどです。

多くの人は 慣れ親しんだ家で
生を全うする事を望んでいます。

しかし
設備や家族の負担の重さから

病院に頼る事になってしまうのが
現状です。

やっぱり家がいいですか?
家がいいです。

それは どうしてですか?

優しい海の男ですな。
ええ 花を飾って。

患者にとっての心安らぐ場は
やはり自宅というのが

徳永さんの思いです。

皆さん より高度な医療
ここに行けば助かるという事で

病院で高度な治療を受けよう
っていう方 多いですよね。

それは とりあえず
いいと思うんですけど

でも 人間がですね
そういうような事を通して

あらゆる死は もうなくなりました
っていう近代医療でですね

言えるかっていうと
死の数は変わらないんですよね。

あぁ そうですね。
そこで 私 思ったんですが

当面 やっぱり救われます。
でも 当面 救われますけれども

やっぱり宇宙というか
人体というか 人間のいのちには

別の仕組みの限界が
あってですね

やっぱり ある程よい人数が
この人口の中では

やっぱり いのちを閉じてもらって
いこうという仕組みがですね

CT PET MRを超えて
あるんじゃないかと

また変な気持ちを思うんですよ。

そこまでは 私たちが
操作できないじゃないかって。

にもかかわらず あんまり

近代医療の方に
みんな行くんだけど

そこはそこでの
役割があるけども

全部の事を
そこに期待する事は

できないんじゃないかって
思うんですね。

なので その次は まあ 別な方法で
手助けをしようとする。

看護にしろ 介護にしろ
あるいは 在宅の医療チーム

意外とあるんですよね。 そっちに
意外と目が向かないんですよね。

そのための
いろいろな機械などの条件も

今は
整ってきてるんだそうですね。

そうですね。 在宅でも
栄養の多い点滴を打てますし。

もちろん
胃ろうを希望されてる場合は

胃ろうは家でもできますし。
ただね あれなんですよ。

今 言ったものは
病室にもあるようなもので

病室を家に移動する事が
在宅ではないというのは

一個大事な事でして

病院のようなものをつくるという
事を目的にはしてないんですが

そういう役割を果たしてくれる
ものたちがそろった。

しかし その自宅 在宅で
それができるのでマルではなくて。

全然ね。
それ以外ですよ 在宅の意味はね。

病院なんか行くと やっぱり
司令部がしっかりしてますから

そこに従順に従うみたいな
主従関係はどうしてもできちゃう。

まあ できなければいけない場面も
あるんですけど

でも在宅だと独立していく。

その人たちを私たちが
「いかがですか?」と言って

逆に言うと家来になって
主従関係の逆転みたいなもの。

その逆転が心地よいんですよね。

医療や介護や看護が
そこに 応援する形になると。

そうですね。 それがありがたい。

で みんながおっしゃるのは
家へ帰りたい。

アンケートでも圧倒的に多いけど
現実は 実現性が少ないんだけど

帰られた人がおっしゃるには
何がいいかなっていうと

庭の花が見えたりする。
ええ。

孫がいる。
近所の人の声が聞こえる。

それから この風が
「まあ この風」っておっしゃって

もうその 海の風だったり
それが におったり。

それから 家のやっぱりお母さんが
台所で たまねぎ刻んで

それに 今だったら そら豆の
みそ汁を作ったりしてくれる

手作りの料理って
やっぱり違うんですね。

ありますね。 においとか味とか。
そういうものが その家のもので。

言葉も違ってくるんですよ
患者さんたちの。

「分かりました はい 今日楽です」
というような病院で言ってても

「おい おかあ ああ
ここへ持ってこい」ってなんかね

言葉が自然に戻るんですよね。
表情もですしね。

その事がね
意外と とても大事でね。

変な言い方ですけど

死を迎えやすい 支えになってる
っていうのがあるんですね。

痛みについても

病院では これぐらいの痛み止めが
必要だったのに

なんかちょっと少なくなってる
っていうの

多くの在宅をやってる
医療者たちが口をそろえる事で

「何で?」っていうふうに
言いますね。

今 システムは進みましてね

訪問看護 訪問介護
デイサービス 訪問入浴

それから 医療機器の人たち
っていうふうに

さまざまな医療器具とか資源を

使う事が
できるようになったんです。

介護保険の充実もあって。
制度もね ええ。

それで亡くなって
それはそれで家で亡くなって

うまくいったと
思ったんですけども

その方は ある時 ものすごう
落ち込んで来られたんです。

「私は何を
母にしたんでしょう」っていう。

私たちは 在宅はまあ そこそこ

社会資源を使いながら
できたなと思って

そんなに悪い経験とは
思ってなかった時に

娘さんが
そうおっしゃった時にですね

しまった! と思ったんですね。

皆さんが在宅を
最終的に選べない理由に

みんな 家族に迷惑かけたくない
という

ものすごい大きな柱が
一本あるんですよ。

迷惑だけはかけたくない。

これは日本中
共通した心境なんですね。

その迷惑をかけないために

介護保険を
しっかり使ったんですけども

少しぐらいの迷惑をかけられて
自分がおむつを交換したとか

という思いを ある程度あった方が
よかった という意味なんですね。

迷惑なしにしちゃうと やっぱり
なんか 別な後悔というか

それが生まれるんですね。

私たちは迷惑は確かに ない方が
いいって気持ちは分かるけど

迷惑は時に宝だで というような
事も思うわけなんですね。

ある程度の その 労力や苦労や
ドキドキ ハラハラというのもあった方が。

ないといけないですね。

あとで すごい後悔が
襲ってきたりするし

その死を
受け入れられなくなるんですね。

「お母ちゃん ごめん」
っていうような。

ごめんでなくて
うまく最期を迎えられたのにと

こっちは思うんですけども。

なので そこの
残された者の後悔というのを

少しでも減らすためには

社会資源を使い切るって事を
目標にしなきゃいけない。

それに支えてもらいながら
やっぱり 変な言葉ですけど

お互いに手を汚して
もちろん手は洗って

そうしながら やれた方が
つくっていけれるっていう。

つまり 人の死にご本人はもちろん
どう向き合うかという事を考える。

その家族や
そばにいる人も一緒に

どう死を見つめるか
という事を考える。

その時間や考えや納得や
悲しみや というものが

それぞれ醸し出すものがあると。

ある。 別々にね。
人それぞれ 家族それぞれ。

それを どっかに 「はい
お願いします」って委託すると

やっぱり それは起こらない。
みんな抱えて

家でみなければいけない
という意味じゃないんですね。

委託っていう部分を 死はですね
昔は家で亡くなる事が多かって

83%ぐらい 昭和23年 家でみた。

昭和49年に5割5割になって
最近 逆に家が 13%

病院が 75ぐらいになった
というような場合も

思い浮かべるんですけど
死を委託しだしたんですね。

私たちは いろんな事を委託する
社会になってきてですね

老いも 「はいはい」っちゅうね
「あ あ 死か」っていって

なんか委託しだす社会に
どうしてもなりやすい。

パッケージになって
頼んでしまう。

これは ある患者さんですけど
お父さんは 90歳のがんの人で

転移して 肺炎も
誤嚥性肺炎が起こって

でも お母さんの病院での死が
かわいそうだったので

家でみたいと言われて
家でみておられたんです。

60歳のお嬢さんが一人で。

で そのやり取り見てますと
やっぱり

なかなか大変だったんですけども
ある時 行きますと

だんだんお便所に行けなくなって
ポータブルトイレで

そこまで ようやく下りれるとこに
まだお便所まで行けてたのが

だんだん行けなくなって
ポータブルトイレ。

で 「昨日の夜 抱き抱えると
もう一歩で ポータブルトイレだったのに

父は失禁してしまった。

だから 私もお父さんも
びっちゃんこになって

夜中 大変でした。
でも それから寝て

10時まで寝れましたので」と
おっしゃった時にですね

もう これは 何とかして
みんなでバックアップしないと

お互いが びっしゃんこになられた
姿があって。

で 終わられて 亡くなった時に
そのお嬢さんから手紙が来て

「私は 父の事が嫌いだ
ず~っと嫌いだと思っていた。

1か月間は ああやって
頑張ってやってみた。

で 十分やれたかなと
思うんだけども

今 父の遺影がここに 机の上に
あるんだけど それ見てると

あぁ 自分はお父さん
好きだったんだなぁと。

ずっと嫌いだばっかりで
反発してたんだけど

本当は好きだったんだという事を
気が付かせてくれたのは

あの1か月の父との向き合い方が
あったおかげだと思います」

というんです。 その時にですね

「死は豊か」っていう言葉の
一面ですけれども

そのようにして
嫌いっていう言葉を

好きだったっていうふうに
変えさせる力さえ 実はあるのに

もし 死を遠ざけて どっかで
ああ どうですって帰ってきた時

遺体だったとすると
何の変化もないんですよ。

死という出来事ともに
1か月なさった中に

嫌いを好きに変える
何かがあったというと

これは 死の豊かさ以外にないと
思ってですね 例えばですけど。

でも 大事なのは おしっこ
びっしゃんこ お父さんも私も

あそこなんですけど その事は
委託してたら 経験しない事。

で 委託しないから
こんなひどい目に遭ってとか

お嬢さん
思われたかもしれないけども

振り返ると
あの時のびっしゃんこを通して

嫌いが好きに変わる事を
自分の中で教えてくれる

というのがあってですね。
だから でも 「じゃあ 皆さん

ここでおしっこを お互いに
びっしゃんこして下さい」って

言ったって これはできないので。
そういう形のものではない。

マニュアルにしちゃったらね
急に起こらないんです。

出くわす事ですね そこで。
そうなんです。 さっき言った

思いがけない 出くわす事。

それが 臨床には
全部あるんだけども

それを上から統合しようとか
統治しようとすると

出会わないんですよね。

この診療所を開いてから
20年近く。

徳永さんは ここから
旅立っていった人々の事を

常に心に留めています。

亡くなられた方のご家族が
あとで来て

名前と日にちを書いて頂いて。

じゃ ここで亡くなられた方の
お名前と日付…。  そうですね。

果たして この方たちに
最善を尽くせたのか?

徳永さんは 自問自答を
繰り返しています。

みんながみんな やっぱり
在宅ができるとは限らない。

在宅だったら全てがマル
病院は… なんて事はない

という事に気が付くんですね。

で 無理無理 在宅を押しつけては
大体 失敗するんです。

あぁ そうですか。 行きつ戻りつ
される方も いらっしゃいますね。

あっ あります。
病院と在宅とって。

最近 思った事は 病院での死は
じゃあ そういう大切さを

ないがしろにした死だったですか
とか言われると

いやいや そういう事になった
場合もあるかもしれないけど

そうとばかりは言えない。

じゃあ ホスピスで行われる
死のみとりは尊い死で

死の中でもランクがちょっと上の
吟醸 および大吟醸ですかって

言われると そんな事はなかろうと
思うわけですね。

じゃあ 在宅の 家での死こそが
ほんまもんの

清く正しい高価な死ですか
っていうと

そういう問題じゃないだろうって
いうふうにくるとですね

私は あの… どっかで
自分の中である

ランク付けと言ったら
おかしいですけど

こういう死の方が大事だとか
いうようなところがあったんです。

病院であれ ホスピス
緩和ケア病棟であれ

在宅であれ 診療所であれ
その死についてですね

ランクを付ける
まあ 誰も付けてない

私だけ 付けてるんだと
思うけども

それは等価 等しい価値
というものではないか。

死は等価である。

で ついつい私たちはですね
より安らかな

行き届いたケアがある
というふうにして

ランキングで競った感じが
あったんですよね。

でも ちょっと待って
死は等価っていう事が

まず先にあって
いいんじゃないかって。

がん以外に非がん
あるいは がんを抱えても

突然な心筋梗塞だとか脳卒中

思いがけない死が入ってきますが
そういう時に

あ~ ××だったらよかったのに
みたいなふうに言う事はなくて

まあ やむをえず起こった
そういう出来事ですね。

そういう事は なかなか
受け入れ難いと思うんですけど

どこかで 死は等価。

家族としてはですね
どうしても

あの時 ああすれば
よかったんじゃないか

あの時 違う道があって
あっちの枝分かれの道の方に

行ったらよかった というふうに

まあ そういう後悔が残ると
先生もおっしゃいましたけども

どうしても後悔は残ると
思うんですけれども…。

それはあります。
でも より後悔しない

あるいは 軟着陸できる死を
つくり上げるのは

どうしたらいいかというと

カンファランスという言い方も
あるけども

私はよく
重要会議って呼んでますけど

家族が急に重役に
初めてなったなって言いながら。

そこで ぼそぼそと
言い合うんですよね。

で 意外とですね みんな
そんな事 問われた事がないので

お母さん 苦しそうですが
この薬使うと 鎮静といって

意識が少し遠のきますけども
本人の苦しみはなくなりますが

どうしたらいいと思いますか
みたいなの聞かれるとですね

そんな事
ふだん聞かれませんから

初めての質問に対しては
ちょっと うっと考えるわけ。

で 何かしゃべるわけです。
とにかく楽がいいです みたいな。

あぁ そう思ってるんだ 自分はと。
自分でも思われるんですね。

みんなライブですからね ライブの
やり合いっこ するわけですね。

で スタートした時に やっぱり
苦しい時も集まるわけです。

薬の種類を変えようかと思うけど
どうですか。

すると そうしてやってもらえ
ますかっていうふうな意見を

参加できるわけですね。

であっても まだ
長い事があるんですね。

きょうだいは交代で
泊まるわけです。

先生はもう
一両日中というふうに言ったし

それもありうるからって
もう きょうだいで。

ただ 最近みんな
忙しく働いとってですね

泊まる事さえ
難しいわけですが

それ やりくりして
なさったりする。

簡単に言うと その事に

参加をどうしたかっていうとこが
あるんですよね。

それは意外と みんなの中で承知
できる一つの事になるんですね。

死に参加していくっていう。

付き添いにどういう順番でって
考える事も参加だと。  …ですし。

お母さんが あぁっとか言うので
ちょっと待ってよ

「看護婦さ~ん!」って
自分が看護婦さん 呼んだと。

看護婦さんが来て 取ってもらって
あれから楽になった。

呼んだのは俺だみたいな まあ
いろいろ役割があるわけですね。

そういう登場人物として
みんなが出てくると

死について 何か
了解しやすくなるものがある。

一番 了解しにくいのはですね
ある時 電話がかかったと。

「急変です」って病院に行ったら
もう救急室かICUで 何かされて

主治医が出てきて 「なんか急に
亡くなりました」って言われると

なかなか承知できないんですよ
その言葉を。

もちろん じかにも触れてません。
そういう死さえ あってですね

その時に なかなか難しい
気持ちになるんですけど

どっかで参加する事ができると

死が少し自分の中でも
解けてくるし

死そのものも軟化されていくん
じゃないかという感じがあって。

後悔しだすと ほんとで
いろんな事 後悔するんだけど

別の事で
参加したんだっていうふうに

肯定的に捉える事も
いっぱいあるのでね。

なので 一緒に海に
こぎだそうっていう感じですよね。

その 共に航海したかどうか

波を乗り切ったかどうか
というところなんですね。

乗り切るっていうのが ちょっとね
乗り切れなくてもいいんです。

ちょっと移動したでも
いいかもしれないし。

途中 乗った
という事かもしれないしね。

やや沈没も含めてですね。
なんか そう…。

だって死って
とらえどころがない

えたいの知れない
大きいものですからね

乗り越えたぞ とは
なかなか ならなくて

そういう 何か包まれてるもの
なんです 私たちが。

解決もできず 解明もできず。
そこがやっぱり大事なところで。

解明もできないものの中を
航海してるっちゅう姿なんで。

で 死はそれを
教えてくれるんです。

私たちは
解明できないものの中で生まれ

そして 解明できないものの中に
向かって航海するようだというか。

だって 他は全部 近代科学で
解決へ解決へ というふうに

導こうとするんだけど 根本は
解決はないんじゃないかという事。

100%のいい出来
っていうのはない?

なくていいし
あろうはずもないし。

願望としてはあるけども なくて
よかったんじゃないかってね。

なくても
よかったんじゃないかって。

いのちを授かったがゆえに
避けて通れない 終わりの時。

徳永さんは
人には いのちが離れていく時

それを受け入れようとする力が

あらかじめ
与えられているのではないかと

感じるようになったといいます。

人生ですね 人生 例えば
こんな結婚式を挙げたいとか

こんな家を建てたいとか
実現するかどうかは別として

いろんな事を思い描いて
そこに持っていきたいって

人間 思うわけですけれども

死の瞬間を
こうありたいというのは

これは なかなか思いどおり
できないですよね。

そう 本当にそうですね。
思いどおり 絶対できない。

絶対できない?
絶対できない。

死の場所さえもね 自分は
家がいいと思ったとしても

そうはならない事が多いですし。

とりあえず 思ってみるのは
みんな自由なんだけども

こいつばっかりは 思いどおりには
ならないよねがいいと思いますね。

こういう死に方がいい
という格好でですね

だんだん痩せて モルヒネが効いて
家族に手を握られながら

「よく頑張ったね」って
意識がもうろうとして 静かに…。

思うのは自由なんですけどね。
でも こればっかりは

思いどおりにならないというのが
やっぱり一番いいですね。

何か いろんな伏兵が現れる
というふうにも。

私 思うんですけど
一番の伏兵は身体ですよ。

身体って いろんな臓器で
成り立っとってですね

ここで 肺炎が起こるかとか

ここで胆管が
炎症を起こすかとか

ここで ばい菌が
何で入ってくるんやとか

思いがけない事が起こる
大きな装置なんです。

それ みんなが一個ずつ
持っとって。

理由は これが
大きな自然物だからなんですよね。

一つの宇宙だから
自分たちの意思で

ここで熱出せとか下げとか
白血球ここで頑張れとか

指示できないんですね。
予想外の事が起きる。

それから もう一つ予想外は
やっぱり

家族っていう人たちの気持ち
みたいなものもあってですね

そういう気持ちは
一人一人 別だから

俺の言うとおりにしろって 本人が
意思を持ってるつもりでも

なんか認知症というような事が
起こったりとか

あるいは そうでなくて
せん妄っていうものを

みんな起こしやすいんですね。

すると 元のその人ではない人に
なりうるんですね。

すると家族が代わりに こうして
やって下さいみたいな事言うと

待て待て 俺はこうしてほしいって
言ってたはずだけど

というふうにして
登場人物 家族によって

何か違う流れにも
なったりするんですね。

それから さっき言った自分自身の
心理の変化というのも

もちろん ありますしね。
本人の意図したとおり

こういう死に方が
俺はいいと言っても

なかなか たどりつけない
という事が多いので

最初から思わん方が
いいんじゃないかなと。 ハッハッハ…。

でも 多くの人が
こうありたいと思うし

そして その段になるとですね
こんなはずじゃなかったのに。

きっと私などは 心乱れて
非常に みっともない事で

大声を出したり みっともない
暴れ方をしたりとか

いろんな事があるんじゃないかと。
そこが不安な要素ですね。

あれ いいですよね。 それね
もう大好きですね そういうのね。

それも見事な一つの形ですので

あれ 是非やって
みたいな感じなんです。

そういう患者さんがあってですね
確かに手を焼くんですけども

みんながやっぱり いやさるね
とか言って認めるんですね。

言い方としては
18号の あの困ったさん

今日 意外とおとなしいけど
大丈夫だろうかみたいな感じでね。

私 きっと困ったさんに
なっちゃうと思います。

それで 静かすぎると ちょっと
あれ? っと思ったりする。

でも そういう人であっても 体の
状況によって最期の時が来ると

やっぱり堂々と
向かっていけるんですね。

堂々と。
堂々と死を
受けていくんですよね。

そして 脱水を
上手に起こしてですね

もういいって
食べる事も もういい。

「感謝しとるで」というような言葉
さえ 吐かれる人もあってですね。

で きれいな下顎呼吸っていう
これも宇宙ですから

自分がしようと思って
できる呼吸じゃないんですけど

…といって顎を使ったり
この辺の筋肉使ったり。

もう ここの筋肉が駄目だから
何とか息をするっていう

最後の現象ですね。
そうですね。 それを

生きようとして というよりも

死への旅立ちの呼吸みたいに
思えてですね

それを その人の意思ではなくて

その 宇宙が持ってる
表現のしかたとして

そういう呼吸をされてですね
その時を迎えていかれるんですよ。

その死へ向かっていく力みたい
なのが この困ったさんにも

この間 大変小さいお子さんでした
けど その小さいお子さんにも

そういう死へ 堂々と向かっていく
力があるのを見ると敬服しますね。

とりあえず 人の そういう
死んでいかれる力を見てると

人間も やるな~って。
変な言い方ですけどね。

そういう力を
みんな秘めてられる。

誰しも そういう力を持ってる。

つまり 死の方に
確実に向かっていかれる。

帰りたいだろうし
もうそんな事をやめて

途中でサボりたいだろうけど

正面 真面目に
向かっていかれるんですよ。

で そういう何というか
渾身の態度というか

誠実な態度っていうのを
誰もが秘めておってですね

それまでは ひきょう者と
言われるような事もあったり

うそつきって言われるような事が
たとえ あったとしても

死を前にすると
ほとんどの人が誠実に

そこの方に
向かっていかれるという。

それに敬意を覚えたんですね。

でも 考えてみた時にね
この間ですけど

ここの玄関の看板
書いて下さったのは

哲学者だった
鶴見俊輔さんなんですけど

俊輔さんが お父さんの死を見る
場面が ちょっと書いてあって

その時 父は死に向かって
入っていったかな

というような言葉だったんですね。
ちょっと正確じゃないんですけど。

その言い方がですね
私としては 腑に落ちるというか。

まだ ゆっくりですけど
下顎呼吸が始まったりっていう

それでもう逃げてこない

そっちに向かって入っていくって
いうの 死に向かって入って…

死へかな 死へ入っていった。
そして亡くなるというんですけど。

それ 読んだ時に思った事はですね
いのちの回路

回路というのは 回る道ですけど
という事でした。

赤ちゃんが生まれてくる時に

赤ちゃんは この産道をこうして
こうして よし 次はこれやって

こうしようかって きっと
考えてないと思うんですよ。

生命誕生の時に
赤ちゃんは回路をですね

もちろん帝王切開っていう方法が
あるので あれですけど

産道を通られる場合ですけど
やっぱり不思議な回路を

や~めたって戻らずにですね
難渋される事はあっても

自分の意思ではなく
何か分からない回路で

おぎゃあって生誕される。

生誕の回路が 本人にとっては
無意識であったみたいに

ある時から
死への回路があってですね

そこからは まるで産道のような
形で ううっとしながら

ううっと死の方へ向かって 入って
いかれるという言葉がですね。

で いのちの回路っていうのは
生まれる時からありまして

そして回りながら
死の時にも死への回路があって

じゃ どっから その回路は
始まっとんだっちゅうのが まあ

分からんところが
面白いところなんですね。

今日はどうも
ありがとうございました。

こちらこそ どうも。

♬~

♬~


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