アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」 マイケル・ジャクソンら全米の…



『アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」』の番組情報(EPGから引用)


2018/07/03(火) 
アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」[字]
伝説の名チャリティーソング「We Are The World」誕生の舞台裏!マイケル・ジャクソンら全米のスター歌手が集った奇跡のレコーディングでの珍騒動&秘話!
詳細情報
番組内容
あなたも絶対に知っている名曲「We Are The World」誕生の舞台裏!マイケル・ジャクソンが手がけ、ボブ・ディラン、スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスら全米のスター歌手が集って作ったチャリティーソングなのは有名だが…!!たった一晩で行われたレコーディングでは事件続出!?一癖も二癖もあるスーパースターたちが起こした珍騒動と感動秘話とは?奇跡の一夜の知られざる真実!プリンス不在の真相も!
出演者
【司会】沢尻エリカ,【語り】濱田岳
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『アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」
  1. We
  2. プリンス
  3. マイケル
  4. Are
  5. The
  6. World
  7. スター
  8. シーラ
  9. Day
  10. me



『アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


♬「We are the world」

全米のスターが
力を合わせて生んだ名曲…

そのスタジオで起きた
知られざる事件とは。

♬~

(指を鳴らす音)

マイケル・ジャクソン。

ダイアナ・ロス。

スティービー・ワンダー。

(指を鳴らす音)

あらゆる壁を飛び越えて集まった
オールスターが歌った

「We Are The World」。

それは まさに 一つの奇跡でした。

♬~

アフリカ・エチオピアの飢饉で
苦しむ人々を救うため

アメリカのスター 45人が参加した
チャリティーソング

「We Are The World」。

まさに 史上空前のチャリティーソング!
なのだが…。

集まったのは 一癖も二癖もある
スーパースターばかり。

事件が山ほど
起きていた!

運命の分岐点は…。

午後10時に始まって 夜通し…

翌朝の8時まで行われた
レコーディング。

その様子は
ずっとビデオに撮影され

後に ドキュメンタリーとして
公開されました。

しかし その中で

ほとんど映像のない
時間帯があります。

この2つの
「空白の時間」には

これまで語られた事のない
「We Are The World」の真実が

隠されていました。

まずは 午前1時~2時ごろの
謎の空白ですが…。

誰もが超一流のスターばかり。

何事か起きない方が不思議です。

そんなスターたちを
そもそも集めたのが この人。

「We Are The World」の発起人

歌手の ハリー・ベラフォンテ。

代表曲は こちら。

♬「Day-O,  Day-ay-ay-o」

♬「Day-light come and me
wan' go home」

1950年代から活躍した
メンバー最年長の彼。

思いも寄らぬ形で
「空白の1時間」を

終わらせる事になります。

世界一有名な
チャリティーソングが生まれた

奇跡の一夜。

その知られざる真実に迫る

アナザーストーリー。

アメリカのオールスターが集った
「We Are The World」。

全ての始まりを告げた男は
ここ ニューヨークに住んでいる。

(チャイム)

(取材者)Hello.
Hello.

1927年生まれの 今年91歳。

両親のふるさと ジャマイカから
ニューヨークに渡り

22歳で歌手デビュー。

まだ黒人差別の
激しかった時代に

圧倒的な歌唱力で

ヒットアルバムを
連発した。


♬「Day-O」

♬「Day-ay-ay-o」

♬「Day-light come and me
wan' go home」

♬「Day」

♬「me say day,  me say day, 
me say day,  me say day, 」

♬「me say day-ay-ay-o」

更に キング牧師の
公民権運動や

ネルソン・マンデラの
アパルトヘイト撤廃運動にも尽力。

音楽界きっての
社会派として

後輩たちの深い
尊敬を集めてきた。

ボブ・ディランも マイケル・ジャクソンも
ブルース・スプリングスティーンも

私から見れば みんな
かわいい坊主たちさ。

みんな 私をリスペクトして
集まってくれた。

あの日は 人生最高の日だったよ。

♬~

「We Are The World」の
レコーディングが行われたのは

ここ ロサンゼルスのスタジオ。

全員足せば
レコード売り上げ 10億枚以上。

そんな
スーパースターたちが

ベラフォンテの呼びかけで
集まった。

そもそも なぜ ベラフォンテは
これほどのメンツを集めたのか?

話は レコーディングの
3か月前に遡る。

イギリス BBCが スクープ報道した
エチオピアの大飢饉。

飢饉は1年以上前から
続いていたが

独裁者メンギスツは政治介入を
恐れて公表せず 事態は悪化。

700万もの人が

いつ死んでも おかしくない
状態にあるというニュースに

ベラフォンテは
強い衝撃を受けた。

(ベラフォンテ)でも知った以上は
何か しなくてはならない。

変えなくてはならない。

どうするかと考えていた時

イギリスの若い ボブ・ゲルドフ
という男が仲間と歌を出したんだ。

「やられた!」と思ったよ。

♬~

「We Are The World」収録の
1か月前

イギリスで発売された
「Do They Know It's Christmas?」。

「エチオピアの人々に
寄付を送ろう!」という

歌手ボブ・ゲルドフの呼びかけに

スティングや
フィル・コリンズなど

イギリスの人気歌手が集結。

300万枚を売り上げ
利益は全て寄付された。

アメリカのアーティストとして
これは負けていられない。

何をやるべきか はっきりしたよ。

そう決めたんだ。

ベラフォンテの呼びかけに
手を挙げたのは

確かに世界一といっても
過言ではないメンツ。

みんな やる気満々だった。

キング・オブ・ポップ
マイケル・ジャクソン。

当時 日本でも大人気の
シンディ・ローパー。

「Bone in the U.S.A.」が

世界11か国 ナンバー1を
飾ったばかりの

ブルース・スプリングスティーン。

ただ 問題が1つ。

これだけのアーティストの スケジュールを
ノーギャラで抑える事を

所属のレコード会社に
納得させなければならない。

ベラフォンテは裏での調整を
1人の男に任せた。

(チャイム)

「We Are The World」にも
ライオネル・リッチーをはじめ

3人の顧客が参加。

アメリカのショービズ界 指折りの
顔が広い男だった。

私の役目は全員に

「今回は一銭も もうからない」と
納得させる事だった。


ふだんは 1ドルでも多く
稼ぎたい連中にね。

まず最初に やったのは 皆が見る
プライムタイムのニュースに

エチオピアの大飢饉のニュースを
かけてもらう事だった。

繰り返し いい時間帯のニュースに
かける事で

アメリカ国内の世論を
高めていった。

そうやって レコード会社を

NOと言えないところに
追い込んでから聞いたんだ。

「まだ利益を上げたいですか?

それとも人々を
救いたいですか?」ってね。

作戦は功を奏し

アメリカのスーパースターが
続々参加を表明。

だが ベラフォンテは
それだけで満足せず…

1つ大きな注文をつけた。

ただ歌うだけじゃなく
レコーディングを全部

ビデオに収めたいって伝えたんだ。

「あそこに私の仲間がいる!」
ってね。

ビデオについても
なんとかレコード会社が了承。

最後に残ったのは
どんな歌を歌うか。

「We Are The World」を
作詞作曲したのは

ライオネル・リッチーと
マイケル・ジャクソン。

当時マイケルは アルバム「スリラー」の
大ヒットもあって超多忙。

最初は 歌うだけの予定だった。

だが 本人たっての
希望で曲作りに参加。

これが この曲の
運命を変えた。

♬~(ドラム)

♬~

マイケル・ジャクソンとは
デビューアルバムから ずっと共演。

マイケルが書く曲には
欠かせない人材だ。

今 演奏しているのは もちろん…。

♬~

この曲の どこを
マイケルが書いたか

ロビンソンは
今も細かく記憶している。

(ロビンソン)あの曲の盛り上がる所は
全部マイケルが書いた。

例えば サビ…。

♬「We are the world」

ひと言で胸を つかまれる。
あれがマイケルさ。

彼の書いた歌の中でも

「We Are The World」は
とびきりスローだ。

マイケルは こう言っていたよ。

たとえ 英語の分からない人でも

あのサビの部分は 絶対に歌える。

♬「We are the world」

Very good.

最高のメンバー
最高の曲を そろえて

迎えた本番。

ロサンゼルス A&Mスタジオ。

この日
ロサンゼルスで

アメリカ最大の
音楽賞の一つ

アメリカン・ミュージック・アワード
授賞式が開かれる。

スターたちが集まれるのは
この一日だけ。

授賞式を終えたスターが
続々集合。

マイケルの「スリラー」も手がけた
名音楽プロデューサー

クインシー・ジョーンズの
指揮のもと

全員でのコーラスから収録開始。

立ち位置は もめないよう
クインシーが事前に決め

名前を書いたテープを
床に貼っていた。

♬「We are the ones
who make a brighter day」

♬「So let's start giving」

マイケルが 世界の誰でも
歌えるように書いた

コーラスパート。

ねらいどおり
すぐにハーモニーが生まれた。


収録は極めて順調。

ビデオも その様子を
克明に捉えていた。

♬「We are the world」

しかし…

突如 映像が途絶える。

1時間の空白。

その間 現場では
大きな問題が起きていた。

参加したスターの1人が
消えてしまったのだ。

それが この人 カントリー歌手…

最初は しっかりコーラスの
パートに参加しているが…。

最後の方になると… 消えている。

集合写真にも いない彼。

一体 何が。

そもそもの発端は
スティービー・ワンダーさ。

彼が コーラスの最後に

どうしてもスワヒリ語を入れたい
って言いだしたんだ。

アフリカに届けるんだから
と言ってね。

みんな 「どんな言葉だ?
発音は どうするんだ?」って

議論が始まった。

そしたら いきなり
ウェイロン・ジェニングスが どなったんだ。

…って言って
出て行っちゃったんだ。

部屋の空気は もう最悪さ。

その後 どうなったのか
映像には残っていない。

現場にいた記者のメモによれば…。

「そもそも エチオピア人は
スワヒリ語を しゃべらないぞ」。

「いや
スワヒリ語と アムハラ語

両方しゃべるはずだ」。

「間違ったら
大恥かくぜ」。

「ドイツ人に英語で
歌うみたいなものよ」。

「もう 俺の歌の歌詞で
よくないか?」。

結局 スワヒリ語案は却下。

英語の歌詞で再開。

スティービー・ワンダーは がっかり。

周りは げっそり。

コーラスパートの
収録が

終わった時は
午前2時を回っていた。

1時間のロスだ。

そもそも もめたのも
緊張のせいだ。

スターが多すぎて
ピリピリしていた。

あの時 急に マイケル・ジャクソンが
いなくなってね。

ギスギスした感じに
耐えられなくなったんだろう

捜したら トイレの個室で
丸くなっていたよ。

やばいな みんな この先レコーディングを
続けられるかなと思った。

そしたら…

その時の様子が
映像に残っている。

(笑い声と拍手)

(レイ・チャールズ)♬「Day,  me say day
me say day,  me say day」

♬「me say day-ay-ay-o」

突然 ベラフォンテの あの曲。

歌いだしたのは…。

ベラフォンテに次ぐ年長者…

レイ・チャールズ。

♬「Day-light come and
me wan' go home」

(歓声と拍手)

続けとばかりに
次々 歌いだすスターたち。

♬「Day-O,  Day-ay-ay-o」

♬「Day-light come and me
wan' go home」

重い空気は 一気に変わった。

♬「Hide the deadly
black tarantula」

♬「Day-light come and me
wan' go home」

ベラフォンテへの尊敬の思いが
みんなを本当に 一つにした。

これで いけるって ホッとしたよ。

当の本人は どんな思いで
この曲を聴いたのだろう?

(動画音声)♬「Day-ay-ay-o」

♬「Day-light come
and me wan' go home」  (手拍子)

みんなのリスペクトを感じて
本当に うれしかった。

言葉よりも歌を聴く方が
よく分かる。

アーティストっていうのは
正直 もめる事は多い。

でも それは
表現のために必死だからだ。

そして多少もめても
すぐに まとまる事ができる。

それが 一流のアーティスト
ってやつなんだ。

いいものだろ?

♬「Day-light come and me
wan' go home」

(歓声と拍手)

大先輩へのリスペクトで
なんとか まとまったスターたち。

しかし ここから完成まで6時間。

まだまだ問題は 山積みだった。

♬~

「空白の1時間」に
起きたトラブルを

なんとか くぐり抜けた 午前2時。

今度は ソロパートの
リハーサルが始まります。

ソロに選ばれたのは…

マイケル・ジャクソンや
ボブ・ディランなど

スターの中のスターだけ。

この時 使われたのが
こちらの楽譜です。

誰が どこのソロパートを歌うか
名前が記されていますが

この中に たった1人…

全員の期待を裏切って
姿を見せなかった人物がいます。

(バイクのエンジン音)

生涯売り上げ1億枚以上を誇る
スーパースター。

本当なら 同い年のスーパースター

マイケル・ジャクソンとの
夢の共演が実現するはずでした。

一体 なぜプリンスは
ドタキャンしたのか?

それを誰よりも知る人物がいます。

(指を鳴らす音)
シーラ・E。

長年 プリンスと恋仲だった彼女。

今回 初めて
プリンス欠席の生々しい理由を

告白してくれました。

これまで語られる事のなかった
プリンスの真意。

恋人だけが知る
アナザーストーリー。

「We Are The World」には

サビのコーラス部分以外に
もう1か所

マイケル・ジャクソンが
手がけた部分がある。

♬~

曲調が 一気に盛り上がる

この歌きっての見せ場…
なのだが

担当したヒューイ・ルイスは 代役。

現場で急きょ依頼され

マイケルに レクチャーを受けて
本番に挑んだ。

♬「just believe there's
no way can fall」

Yeah!
(笑い声)

楽譜を見ると

本来 この おいしいパートを
歌うはずだったのが プリンス。


マイケルが最高の お膳立てを
したのにもかかわらず

姿を現さなかった。

「いくらマイケル・ジャクソンが
嫌いでも 欠席するなんて」。

「隣で歌うのが
そんなに嫌なのか」。

プリンスは明確な理由を
語らないまま

2016年
この世を去った。

Hi! コンニチワ!

あれから33年
沈黙を保っていた シーラ・E。

あの日 参加したメンバーの中で

最もプリンスに近い存在だ。

真実が知りたいのね。

確かに 私しか真実は知らないわ。

初めて明かされる真実。

それは 実に衝撃的だった。

家族そろって打楽器奏者のシーラ。

英才教育を受け 10代から
スターたちのバックで演奏。

ソロのアーティストになるつもりは
なかった。

♬~(「When Doves Cry」)

そんな彼女の人生の
新しい扉を開いたのが

そう プリンス。

独特のエロチックな世界観で
ヒットソングを連発。

1980年代 同い年の
マイケル・ジャクソンと並びうる

ただ一人の存在となっていた。

♬~

♬~

表現が極端だから
変人扱いされるけど

何度も聴くと クセになる。

だから あんなにヒットしたの。

私は 彼ほど音楽的に
才能のある人を知らないわ。

そんなプリンスに 歌手としての
才能を見いだされたシーラは

1984年 プリンスのプロデュースで ソロデビュー。

デビューシングルから
いきなり

ダンスチャート
1位を飾る。

そのまま プリンスの全米ツアーに
参加したシーラ。

2人は急速に恋仲になっていく。

「We Are The World」参加の声が
2人に かかったのは

そんな時だった。

参加を承諾したシーラ。

しかし プリンスは…。

(シーラ)…って言っていたわ。

だって次の日に すぐ
ツアーのステージがあったから。

主役の自分が徹夜して倒れて

ステージに支障をきたす
わけにはいかない。

だから 行けないかもって。

迎えたレコーディング当日も…。

シーラは1人で
スタジオへ向かった。

10代の頃から何人ものスターと
共演してきたシーラ。

だが スタジオの中の光景には
度肝を抜かれた。

(シーラ)マイケル・ジャクソンは
実は大丈夫。

前に会った事あったし。
スティービーも会った事ある。

でもね
レイ・チャールズは初めてで

「うわっ 本物だ!」って思ったし

洗面所で 隣が
ダイアナ・ロスだったりするし

それに なんといったって
ブルース・スプリングスティーンよ。

思わずハグしちゃった。

「ボス 大ファンです」
って言ったらブルースが

「君の曲 大好きだ。
マジでいい」って言ってくれて

「え~ ボスが私の事
知ってるなんて!」ってなって。

もう大興奮よ。

まずは 全員が そろっての
コーラスパート。

歌手デビューして1年のシーラは
緊張しきりだった。

♬「There's a choice
we're making」

(シーラ)もう私の周りは
大物だらけでしょ?

サングラスを下げて必死で…。

(小声で)♬「We are the world, 
we are the children」

プリンスとツアーの時は
「シーラ・E!」って

ド派手に出てくるけど
あの時は もう…。

(小声で)♬「We are the world」

だって ハリー・ベラフォンテに
クインシー・ジョーンズに

レイ・チャールズよ!

♬「Day-light come
and me wan' go home」

(歓声と拍手)

歌手の大先輩たちに囲まれ

夢のような時間を過ごしていた
シーラ。

しかし このあと事態は
思わぬ方向へと進んでいく。

ソロに選ばれた者が
練習を開始。

「We Are The World」のレコードでは
シーラはソロを歌っていない。

まだ歌手デビューして間もない
ゆえだと思われてきたが…。

今回 本人から
驚きの発言があった。

1時か2時ぐらいかしら。
ソロの準備ができた時

私も そこにいてほしいって
言われたのよ。

本当よ。 ケン・クラゲンから
あの時 そういう話があったの。

私に ソロのパートを
歌わせるって。

一体 どういう事なのか?

正直に言おう。

同い年ながら
一度も共演した事がなく

犬猿の仲と噂
されていた2人。

初めて2人が共演 しかも
並んで歌うパートができれば

話題性は抜群。

クラゲンたちは強い期待を込めて
収録用の楽譜に

プリンスの名前を入れ込んだが
出演の確約はなかった。

だから…。

スタジオで待たされていた私に

プリンスに電話を かけてほしい
って言ってきたのよ。

ソロを歌わせてくれる。
その言葉を信じたシーラは

言われるがまま
プリンスに電話を かけた。

彼は ツアーの疲れで
ヘトヘトだったの。

次の日には移動して また
ステージに立たなきゃいけないし。

それでも最初に電話した時は…


私も 「来た方がいいわよ」って
話したの。

(シーラ)すると いきなり聞かれたの。

だから私 「ソロを
歌わせてくれるらしいんだけど

出番を待っているの」
って伝えたの。

そうしたら彼…

そうこうしているうちに

ソロパートの練習は
どんどん進む。

だが シーラには
一向に お呼びが かからない。

私は ずっと
電話ばっかりしていたのよ。

眠かったけど ずっと。

何度かけても
プリンスの答えは同じだった。

3時過ぎに クインシーと
クラゲンに囲まれて

最後に もう一度だけ
かけてくれって言われたの。

「最後の お願いだって」
って言ったら

プリンスは 真面目な声でね…

「もういい。 君はホテルに戻って
寝てろ」って言われたの。

結局 午前3時過ぎ
シーラはスタジオを後にした。

プリンスを呼ぶ最後の手段として
彼女を利用した事は認める。

だって彼からは 「行かないつもり」
と言われたけど

はっきり NOと
言われたわけではなかった。

絶対にダメじゃなければ
どんな手でも使う。

それが私の仕事だ。

シーラは ホテルで
プリンスと会った。

「歌えたのか?」って聞くから
「いいえ。 あなたと電話したあと

『私の出番は本当にあるの?』
って聞いたら

連中 『ごめん なくなるかも
しれない』って言いだしたの。

あなたの言うとおり 私は
利用されたのね」って答えたの。

でも 嫌な話はそれだけ。

むしろプリンスに自慢したのよ。
「私 あそこで

今まで会った事もないような
すごい人たちに会えたのよ」って。

「きっと あなたも
会いたかった人ばかりよ」って。

翌日 プリンスの欠席は
大ニュースに。

マスコミは 「マイケルとの確執が
原因だ」と書きたてた。

違う 全然違うわ。

彼は行くつもりはあった。

だけど連中が 私に「うそ」をつき
道具のように使ったから

怒って行かないと決めた。
それだけよ。

謎に満ちていた
プリンス欠席の理由。

それは 恋人シーラが
ないがしろにされた

「怒り」からだった。

しかし彼は ただ怒り続けて
終わる男ではない。

レコーディングから3か月後の
4月23日。

シングルとは別に発売された
アルバム盤の「We Are The World」。

ここに参加を求められた
プリンスは オファーを快諾。

とっておきの曲を提供したのだ。

それは いつもの官能的な歌とは
全く違うものだった。

♬~

♬~

♬~

本当に名曲よね。

私 これ初めて聴かせてもらった時
泣いたの。

プリンスってふだん スキャンダラスで
エロチックな曲を書くじゃない?

でも この曲は全然違う。

心の底から
世界を憂えて描いている。

彼は 「We Are The World」を
歌わなかっただけで

困った人を
助けたくなかったわけじゃない。

むしろ助けるためなら
自分の最大限の力を使って

最高の曲を仕上げて 提供する。

一度は ああやって
もめた相手でも

「この曲をどうぞ。 もちろん
ギャラは要りません」ってね。

プリンスの貢献は絶大だった。
彼の未発表の曲だ。

普通に出せば
ナンバー1シングルになるのに

我々のアルバムに提供してくれた。

おかげで シングルとアルバム
両方 売れに売れて

想定の3倍以上の寄付を
行う事ができたよ。

結果的に 「We Are The World」の
プロジェクトに大貢献した プリンス。

ただ 音楽ファンとしては
心残りが1つ。

プリンスとマイケル
夢の共演が見られなかった事。

それはね…

マイケルは ずっとプリンスと
共演したがっていたのよ。

あの「BAD」の時もそうね。

マイケルからプリンスの
スタジオに曲が送られてきた。

一緒にやりたいって。

「We Are The World」の2年後に
マイケルが発表した 「BAD」。

プリンスが参加を断ったのは
ファンなら よく知る話だが

実は その裏では
こんな事があった。

誰も知らないと思うけど

プリンスは マイケルの曲を
一から作り直して…

それはもう すごかった。

彼のボーカルも入れて
私もパーカッションを演奏して

完璧に出来上がったの。

なのにプリンスったら
最後の最後で

「んじゃ 消すか」って
消しちゃったのよ!

「こんな失礼な事は やめて
僕らの曲をやろう」とか言って。

だから私 思わず 「ハッ?」って。

でも それは嫌っていたから
じゃない。 むしろ逆。

だって プリンスと私は よく
マイケルのコンサートに行ったのよ。

見つかると騒ぎになるから
こっそりとだけど。

尊敬しているし 愛しているから
共演したくてもできない。

彼にとってマイケルは
そんな存在なのよ。

だからって
消さなくてもいいのに。

天才って面倒ね。

(笑い声)

いよいよ最後 ソロパートを
録り終えるだけとなった午前4時。

ここにも
空白の時間帯がありました。

実は この時
あるゲストが登場しています。

アフリカ出身の2人の女性。

メイキング映像には 彼女たちの
スピーチを聞いたスターが

次々と涙する姿が見られます。

しかし この午前4時の出来事。

肝心のスピーチ部分が
ほとんど映っておらず


一体どんな話をしたのか
謎のままでした。

今回番組では 2人のうちの1人

クリッシー・キニャンジュイとの
コンタクトに成功。

特別に出演してもらう事が
できました。

アフリカから来た彼女は

どんな気持ちで
この収録を見守ったのか。

初めて明かす思いに迫る
アナザーストーリー。

ビデオに残っているスピーチは
短い感謝の言葉だけ。

アフリカからのゲストは
他に「何」を話したのか。

そして このあと
どうなったのか。

収録に立ち会った
記者のルポに

僅かに記された名前だけを
手がかりに

今回 コンタクトを試みた。

その結果…。

クリッシー・キニャンジュイ。
現在 66歳。

ほら いた。 グレーのドレスを
着ているのが 私です。

早速 この時の事について
質問をしようとすると

逆に あちらから質問を受けた。

日本で 大きな津波があった時は

日本のミュージシャンは
チャリティーをやりましたか?

やったの? やってないの?
どちらですか?

大きさは いいの。
やったのね。 よかった。

悲劇が起きた時に
立ち上がれるかどうかが

人の本当の価値だから。

「We Are The World」の
きっかけとなった

アフリカ・エチオピアの大飢饉。

この実情を語るために呼ばれた
キニャンジュイだが

実は彼女 エチオピア人ではない。

ケニアとエチオピアでは
言葉も全然違うんです。

ケニアでは
スワヒリ語をしゃべるけど

エチオピアは しゃべらない。

でも 国境は接していて
情報は入ってきていました。

エチオピアのすぐ南に位置する
ケニア。

当時 「東アフリカの優等生」と
呼ばれるほど安定していた。

しかし 隣国エチオピアでは
軍事独裁政権のもと

粛清や虐殺の嵐が吹き荒れていた。

エチオピアは 長く独裁政権で

国に都合が悪い事は
報じられていませんでした。

1年の半分は ケニア。
もう半分は ロサンゼルスで

ベビーシッターとして働いていた
キニャンジュイ。

1985年1月
ロサンゼルスの仕事仲間から

ある大スターが
人を捜している事を聞いた。

だから 私も行ってみたら
どこ出身か聞かれて

「ケニアです」って言ったら

「エチオピアは隣の国だよね?」
と言われて。

だから私
知っている事を話しました。

ケニアとエチオピアの国境は
砂漠地帯。

そこを 1983年
ひどい干ばつが襲った。

ケニアは 北は砂漠ですが
南は豊かな農作地帯だったので

何とか助かりました。

その話を スティービーにしたら

「We Are The World」の現場で
話してほしいって

招待されたんです。

それから間もなく訪れた
「We Are The World」 収録の日。

夜 リムジンが迎えに来たんです。

私が住んでいたロサンゼルスの
小さなアパートに。

現在は消息不明の
もう一人のゲスト
ゼムタとは

リムジンの車中で出会う。

彼女は エチオピア人だった。

彼女 飢饉で 祖国の人 特に子供が
たくさん亡くなっている事を

とても悲しんでいました。

スタジオに入った
キニャンジュイ。

スターたちの見せる表情に
驚いた。

♬~

思っていたのと全く違いました。

最初は スターの気まぐれでしょ
なんて思っていたんです。

でも
あのマイケル・ジャクソンも

世界一のスターなのに
必死な表情でした。

みんな本気で考えてくれて
いるんだなって分かりましたよ。

そして…

2人は スターたちの前に立つ。

メイキング映像には
映っていないが

先に スピーチしたのは
キニャンジュイだった。

あの時 せっかく ああやって
話す機会を頂いたので

思ったままを話したんです。

そのあと もう一人の彼女が
感謝を述べました。

この事を世界に知らせてくれて
ありがとうって。

全部 話が終わって
スターたちを見たら

皆さん しっかり受け止めて

泣いている人も
たくさんいました。

それを見て
彼らなら あの飢饉の悲惨さを

ちゃんと伝えてくれると
思いました。

あれは
アフリカで起きた中でも最悪。

二度と起こしては
ならない事でしたからね。

アーティストたちが泣いているね。
よく覚えているよ。

私は 彼女たちのスピーチが

歌を すばらしいものにした
決定的な原因だと思うよ。

誰のために歌うかが
はっきりした時の

アーティストほど
強いものはない。

スティービーが
2人を連れてきてくれた事に

心から感謝したよ。

「We Are The World」っていう

みんなをハグするような
タイトルの歌で

本当によかったと思う。

これは ひと事じゃない。

自分たちの問題として取り組む。

それが一番 大事なんだ。

この歌を歌う意味を
はっきりと認識したスターたち。

最後の収録が始まる。

♬~

♬~

♬~

♬~

収録から2か月後に発売された
「We Are The World」。

ヨーロッパからアフリカまで
世界中で チャート1位を記録。

総額6, 300万ドルの収益全てが
寄付された。

あれから 33年。

仕事を引退した
キニャンジュイは 今

アメリカで使わなくなった
子供服や靴を集め

アフリカの子供たちに届ける
ボランティアを行っている。

あの時の経験で
誰かのために何かをする事が

自分のためでもあるって事が
よく分かったんです。

今 アフリカは
どんどん成長しています。

いつか 今度は
アフリカから他の地域へ

援助を届けられたらいいですね…。

10時間のレコーディングで
創り上げられた

奇跡の歌 「We Are The World」。

このあと たくさんのチャリティーソングが
生まれましたが

これを超えるインパクトのものは
現れていません。

「We Are The World」は

もう超える事のできない
高すぎる壁なのか。

「それは違う」と言う人がいます。

このプロジェクトの生みの親
ハリー・ベラフォンテ。

現在91歳の彼から 今回 全ての
アーティストに伝えたいという

「ある言葉」を預かってきました。

「We Are The World」の2年後

1987年には
ユニセフの親善大使に就任。

危険な紛争地帯も 精力的に
巡ってきたベラフォンテ。

「そこまで
チャリティーに突き動かされる

理由は何か?」と聞くと

意外な答えが返ってきた。

私が世界を巡っていたのは
自分のためさ。

腹をすかせて泣いていた子供も

抱きしめれば
笑顔になってくれる。

死に瀕している人も
手を握れば 握り返してくれる。

それは 責任感というよりも

アーティストとしての喜びを
満たしただけさ。

戦争を終わらせようとした人は
たくさんいるよね。

だけど とても難しい。

でも 私はね できると思っている。
アーティストならね。

我々は 人々の目を奪い
耳を傾けさせる事を

何よりの喜びとしているから。

もし 世界中のアーティストが
力を合わせて

「今は ここを見て」って

一つのスポットライトを
当てる事に成功すれば

戦争だって止められるんだ。

とにかく…

アーティストが自分の喜びを
最大限に追い求めて

その力を集めれば
世界は変えられるはずだ。

これよりも もっと大きな形でね。

♬~


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