偉人たちの健康診断「空海 乗り物酔い克服術」 弘法大師・空海 西田ひかる、本郷和人、石井正則、大関浩美…



『偉人たちの健康診断「空海 乗り物酔い克服術」』の番組情報(EPGから引用)


2018/07/04(水) 
偉人たちの健康診断「空海 乗り物酔い克服術」[字]
弘法大師・空海。その人生は苦難の連続。遣唐使船での命がけの航海、密教の奥義を極めるまでの道のり、そして帰国後に苦しんだある病。空海はどのように乗り越えたのか?
詳細情報
番組内容
平安時代、日本に密教をもたらした空海。中国大陸を目指した遣唐使船の船旅では、誰もが船酔いに苦しむ中、ひとり空海は船酔いをものともしなかったという。その秘密を空海がマスターしていた独特の呼吸法から探る。さらに仏教の奥義を極めるために難解なサンスクリットをわずか3か月でマスターできた理由を脳科学の見地から検証。そして帰国後に苦しんだという「心の病」。空海の心を救ったのは「ある習慣」だった!?
出演者
【出演】関根勤,カンニング竹山,西田ひかる,本郷和人,石井正則,大関浩美,【司会】渡邊あゆみ
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偉人たちの健康診断「空海 乗り物酔い克服術」
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  8. ズレ
  9. 語学力



『偉人たちの健康診断「空海 乗り物酔い克服術」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


一人の全く無名の若者が

荒波を乗り越え 命をかけて
中国大陸に渡りました。

当時 最新の仏教思想 密教を
日本にもたらした その男。

「偉人たちの健康診断」
今回は 真言宗の開祖…

注目したのは
天才的な語学力。

空海が書いた…

窮地を脱します。

遣唐使船は揺れが激しく

誰もが船酔いに
悩まされました。

そんな中 空海だけが
船酔いをものともせず

船の上で大活躍。

その謎を徹底究明。

ああ~…。

現代の まか不思議な…

効果のほどをスタジオで検証!

酔う前に読めない…。
読めない。

なんか 目の視点が一定というか
安定してる感じ。

健康のヒントは歴史にあり。

「偉人たちの健康診断」。

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」。

ご一緒して頂くのは
こちらの方々です。

どうぞよろしくお願いします。
(3人)よろしくお願いします。

そして歴史面からは…

よろしくお願いいたします。

さて 今日はですね
弘法大師 空海ですよ。

(関根)
いやぁ テーマ大きいですね。

書の名人っていうね
それから密教を取り入れたという。

歴史的にすごい事をしたという
イメージがありますよね。

西田さんは?
私は そうですね

高野山というイメージが
強いですね。

今 関西に住んでおりまして
何かと季節の変わり目に

お天気予報とかでも
高野山の景色が映し出されて

その印象が強いです。
なんか日本中 どこ行っても

必ず空海さんが
何かやってるという。

穴掘ったとか
空海さんが修行したとか

どれほど ウロウロ ウロウロして
修行してたんだって

いつも思いますよね。
評判いいようです。

(本郷)ほんとですよね。
どういう方なんですかね?

関根さん おっしゃったように
密教を日本に取り入れた方ですね。

言ってみりゃ 日本の
レオナルド・ダビンチみたいな。

そんな空海の健康診断
早速してまいりましょう。

今から1, 200年前

原生林を切り開き
密教の聖地が生まれました。

標高800mの山の上 ここに
117もの寺院が建っています。

高野山のシンボル…

この地で およそ700人の僧侶が
修行をしています。

(読経)

今なお連綿と続く信仰の地。

弘法大師の足跡をたどる巡礼者や
外国人観光客など

年間140万人が訪れます。

この 密教の一大拠点を
築いたのが…

日本を旅立ち
唐の都 長安に向かいました。

そこに 140人以上の人が
乗り込んでいたといいます。

その航海は過酷を極め
難破や座礁などが多発。

およそ4割の人が

日本に帰ってくる事が
できませんでした。

その原因の一つは
当時の船の構造にありました。

とても揺れるのです。


海が荒れた時
最も危険なのは横揺れ。

現代の船には
揺れを抑えるために

左右の船底に
横揺れ防止装置がついています。

魚のヒレのように 横揺れに
合わせて装置の角度を変え

横揺れを打ち消して
船を安定させます。

そんな装置もない遣唐使船は
横波を受けると

途端に激しい揺れに見舞われます。

これでは 誰もが
船酔いしてしまいますよね。

ところが どうやら…

そんな可能性が指摘されています。

それを物語るのが
高野山南院の本尊…

空海が 唐で自ら彫り上げた
秘仏です。

船酔いに関して
こんなエピソードが残っています。

唐からの帰り
空海を乗せた遣唐使船は

大嵐に見舞われました。

沈没寸前の激しい揺れの中

人々は重い船酔いに
苦しんでいました。

空海は船酔いをものともせず
不動明王を取り出し

船の舳先にくくりつけました。

そして 祈り始めたのです。

すると
荒れ狂っていた海が静まり

一行は無事に
帰国する事ができたといいます。

空海という人の性格を考えれば
難破したとか漂流した時に

どうすればいいか
知ってたと思いますよね。

あのお不動様がいれば みんな
助かるんだよっていうふうに

みんなに言えば それで
パニック収まったりするでしょ。

守り神的なものを想定して
そこに意識を集中させる。

そういうノウハウ
あったかもしれませんよ。

なぜ 空海は荒波の中でも
船酔いをものともせず

不動明王を
舳先にくくりつけたり

祈ったりする事が
できたのでしょうか?

そもそも 乗り物酔いは
どうして起きるのか?

人間は体のバランスを

視覚と 耳の奥にある三半規管で
とっています。

しかし 乗り物が揺れると

この2つに
ズレが生じます。

このズレが乗り物酔いを
生み出すのです。

ズレが大きくなると
脳が危険信号を出し

発汗 呼吸 心拍を
コントロールしている…

すると ヒスタミンが
脳から放出され

おう吐中枢を刺激して

吐き気を感じるのです。

そのため…

もちろん 平安時代には
現代のような

乗り物酔いの薬はありません。

どんな対策を
用いていたのでしょう?

日本最古の…

吐き気を抑える聖薬とされた…

生姜の辛み成分である
ジンゲロールには

自律神経を整え
吐き気を抑える作用があります。

ジンゲロールにはですね

抗ヒスタミン薬ほどでは
ないんですけども…

実際にですね オーストラリアで


例えばスキューバダイビングで
潜るような時にですね

船の乗船前に ジンジャー
タブレットといってですね

生姜の塊を飲むように
勧められる事が多々あります。

薬の知識も豊富だった空海は

そうした生姜の効能も

知っていた可能性があります。

この時代のお坊さんっていうのは
先端科学者でもあったので

いろんな知識を持ってまして。

特に空海は
抜群だと思いますけどね。

ですから そういうものを通じて
勉強していた可能性

非常に高いと思います。

空海には
生姜以外にも船酔いを防ぐ

取って置きの秘策がありました。

真言宗の僧侶に
それを見せて頂きました。

ああ~…。

真言密教独特の
瞑想法です。

ああ~…。

息をゆっくりと吐きながら
「ああ~」と唱えます。

ああ~…。

ポイントとなるのは…

まずは 呼びかけるように
吐く事から始めます。

「ああ~…」と吐いて

呼吸の割合としては
吐く方が2とすると

吸う方は1以下だと思います。

なぜ この呼吸法が
乗り物酔いに効くのでしょうか。

検証実験を行いました。

調べたのは
自律神経の状態を示す…

阿字観を始める前の心拍数は…

ああ~…。

いよいよ…

5分後には 心拍数は
66まで下がりました。

かなり
リラックスしているようです。

ああ~…。

続いて脳波を見てみると…。

リラックスして
集中するとですね

α波というのが
出てくるんですけども

すぐ隣にですね
緩やかな脳波が出てます。

こちらが…

注目すべきは
10ヘルツ前後に現れた2つの山。

右がリラックスした時に現れる…

石井さんがありえないと言った
脳波は左側。

深い眠りについた時にだけ現れる
θ波です。

意識があるにもかかわらず
阿字観中に

θ波が出ていたのです。

これだけ脳がリラックスして
集中してるとですね

いろんな情報を脳の方で
キャンセルできると考えられます。

ですので…

阿字観を行う事でリラックスし…

…する事ができるのです。

空海が船酔いをものともせず
祈祷を行い

人々をパニックから
救う事ができたのは

阿字観の呼吸法をマスター
していたからかもしれません。

こちら 遣唐使船を再現した
1/20模型です。

船の科学館から
お借りしてきました。

迫力ありますね。

まず この帆
これ 網代帆っていいます。

(関根)
これ 何で出来てるんですか?

(本郷)
竹とかアシを薄く切るんです。

それで作るんですけど 風がね
スースー通っちゃうんですよ。

あららら… ダメじゃん。
通っちゃうんだ。

(本郷)しかも重いんですよ
そこが非常につらいところで。


(西田)ゆっくり。
当時の船っていうのは

いい風を待ってんですね。
だから今 博多から上海まで

船で行くと
2日かかるらしいんですよ。

大体 当時は数週間かかった。

だから 大体100人ぐらい
乗るんですけど

上に乗れるのは
偉い人だけなんです。

(西田)大半は下?
(本郷)大体 1人当たり
畳半分だったそうです。

(関根)ええ~っ!
(本郷)そんなもんらしいですよ。

ギュウギュウだ。
窓もない 外も見れないから

酔いが ほんとにひどい。
じゃあ 酔って吐いちゃってる人

いたら もう…。
(本郷)みんな ゲロゲロで。

もらい… やっちゃったり。

だから まあ
大変だったんじゃないですか。

こう見てると きれいな船だなぁと
思うけれども

これに乗って行く事を
命じられた人は

すご~く暗くなっちゃった人も
いるんでしょうね きっと。

私だったら 絶対に行きません。

船酔いはどなたでもご体験が
あると思うんですけれども

どうしたら予防できるか
気になりますよね。

今日は専門の方
おいで頂きました。

どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

あの どうしたら酔わない体になる
かって気になるんですけれども

空海は やっぱり優れた能力が
あったって事ですかね?

そうですね 阿字観の呼吸法
っていうのをですね

私 たまたま つい最近ですね

京都の真言宗の総本山で
体験したばかりなんですけども

呼吸法そのものは
そんなに難しくないんですよね。

それを毎日やってるとですね
大体3か月 半年っていう単位で

自律神経 安定してきます。
ほお~ なるほどね。

心配なのは子どもの車酔い
乗り物酔いっていうのは

どうしたらいいんですかね?
実は克服する

確実な方法があるんですね。
あるんですか!

これはですね 宇宙飛行士の研究で
分かった事なんですけども

徹底的にですね
刺激を入れるんですね。

回転椅子のトレーニングを…。
見た事あります。

映画でもありますね。
第1日目 2日目 3日目と

連続してやるとですね
3日目で吐かなくなります。

(竹山)慣れるんだ。
子どもの場合

とことん乗らして
とことん戻すのも…。

お子さんの場合は
さすがにですね

慣れるというわけにいかないので
一番重要なのは やっぱり…

飲んで まず そういう酔いが
起きないという事に

不安がらせない事。
(関根)なるほどね。

(石井)それで 何度も何度も
乗らせるうちにですね

経験量が増えてくるんですね。

そうすると 酔いの症状が
必ず収まってきます。

あと あれですよ 車酔いって
自分で免許取って運転すると

酔ってる暇ないんですよね。

そう 人の運転に乗ってると
酔いますよね。

ドライバーは酔わないです。
あれは どういう事です?

ドライバーは自分の意志で

右に曲がった時には
右側に画面がズレ…。

そうか!
(石井)左は左って 自分の意志で

目から入ってくる情報と耳の情報
にズレが生じないんですね。

(関根)なるほどね!
ところが 助手席とか

後ろ向いて
座ってる人っていうのは

その情報がズレちゃうんですね。
なるほど。

で ズレた情報に対して
それが不快と思う方は

自律神経の非常な乱れが起きて
酔いの症状が起きちゃう。

(関根)なるほどね。

薬に頼りたくない
っていう事であれば

簡単な予防法というのは
やっぱり 頭がグラグラすると

ダメなんですね。

なので ヘッドレストを
つけたりする 車の場合ですね。

頭の動きを抑えてあげる。

こういう椅子の状態よりも
リクライニングにしたりとか…

寝た方のが
酔いは少ないわけですね。

実はですね すぐれものかどうか
ちょっと分からないんですけど

面白いもの 見つけました これ。

(関根)何ですか? これ。
フランスの商品なんですって。

乗り物酔い予防の眼鏡。

こちらの眼鏡
乗り物の揺れに合わせて

青い液体が動きます。

揺れを視覚的に感じる事で酔いを
防ぐという アイデア商品です。

まあ 原理としては面白いです。
(関根)そうすると…。

(石井)
ズレが 先ほど言ったように…。

ズレが緩和される。
(石井)そうです。

耳からの情報を 一応 目で調整
しようというトライアルですね。

なるほど!
(西田)例えば 船のね

船で 窓が一切ないお部屋で
それ かけてたら…。

(関根)いいかもしれない。
(石井)かもしれない。

かもしれない。
(本郷)でも これ
かっこよくないですか?

竹山さん これ
体験して頂きましょうよ。

また 被験者として
よろしくお願いいたします。

竹山さんに 乗馬マシンに乗って
本を読んでもらいます。

スイッチ オン。
いいですか?

いってらっしゃい。

うわ 酔いそう 酔いそう。
(本郷)絶対 僕 酔うわ。

これ 酔う前に読めない…。
読めないですよね。

あの 青い液体は
目に入ってるんですか?

なんか 目の視点は一定というか
安定してる感じ。

なんと
効果を感じているようです。

では 眼鏡を外してみましょう。

ちょっと きついっすね。


うわ 面白いな これ…

新幹線とか電車で本 読む時って
もしかしたら いいかもしれない?

ここまでは揺れてないかも
しれないですけど

先生 いかが判断されますか?

そうですね 私としては
なんともいえないですね。

それは 何ですか 酔い止めの
眼鏡をかけてるんだぞみたいな。

そうですね プラセボ効果という
のは とても効果あるんですよね。

なんとも 私の方からは言い難い。

ここまで 乗り物酔い 船酔いも
乗り越えました空海。

さあ 実は もう一つ越えるべき
ハードルがあったのです。

804年 空海は荒波を乗り越えて

唐の都 長安を目指しました。

長安は
シルクロードの拠点として栄え

さまざまな人種が集まる

人口80万を超える国際都市でした。

空海の目的は 最新の仏教を学び
それを日本に持ち帰る事。

空海は これまで1, 000人以上の
弟子を指導してきた

密教の最高権威
恵果阿闍梨のもとを訪れます。

空海と出会った恵果は なんと
一介の外国人留学僧にすぎない…

なぜ たくさんいる弟子たちを
差し置いて

恵果は 空海を
継承者に選んだのでしょうか?

その理由を明らかにする
恵果の弟子の言葉が残っています。

空海が密教の継承者になれた
大きな理由に

類いまれなる
語学力があったのです。

密教は
インドから伝えられたばかりの

ニュータイプの仏教で
経典のほとんどは

インドの宗教界で
広く使われていた言葉

サンスクリットで
書かれていました。

サンスクリットは
ラテン語やギリシャ語など

ヨーロッパの言葉と
共通のルーツを持つ言葉。

中国語とは文法 発音 イントネーションが
全く異なります。

サンスクリットの…

恵果の弟子たちは
ほとんどが中国人なので

サンスクリットの習得には
大いに苦労しました。

しかし 空海は
難解なサンスクリットを

長安に到着後
インド出身の僧から学び…

恵果の弟子たちは
空海の圧倒的な語学力に

ただただ 驚くばかりでした。

密教の場合は サンスクリット
梵語ともいいますけども

それで書かれた文献とかですね
言葉が多いんですよね。

それを理解できない事には
伝授されないという。

その点で 空海は
完璧にそれができた。

それを恵果阿闍梨も認めたので

自分が持っている全てを
伝授するという

その方向に
向かったんだと思います。

空海は
ずばぬけた語学力によって

密教を究めたいという
強い思いを実現し

その後の日本の仏教に
多大な影響を与えたのです。

なぜ 空海はサンスクリットを

僅か3か月で
マスターできたのでしょうか?

その秘密は 幼い頃から培ってきた
語学力にあるようです。

空海は 774年に
地方豪族の息子として

瀬戸内海に面した…

生誕の地は 四国八十八ヶ所の霊場
善通寺の境内ともいわれています。

善通寺の近くにある…

ここは 空海の父方の祖先
佐伯直氏の墓と

考えられています。

その石室の中から
発見されたのは

朝鮮半島で作られた
青銅で出来た冠帽。

国内でも
数点しか発見例がなく

もともとは
金箔で覆われていました。

更に 別の古墳からは
壁画が発見されています。

外洋でも航行できる船の姿が
描かれていました。

こうした発見から
空海の祖先 佐伯直氏は

海の向こうからやってきた
渡来人を支配下に置く

地方豪族だったと
推測されています。

空海は幼い頃から…

…で育ちました。

外国語を耳にして それを自然に
身につけていったと考えられます。

当時の知識人たちは
中国語を文学として学び

文字を通じて
目から学習していました。

そんな中 耳からも
中国語を学ぶ事ができた空海は

語学を習得する上で
有利な環境にありました。

そういう環境で
生まれ育ったというのは

空海にとって
大変幸せだったと思いますね。

すばらしい!

聞くという ヒアリング中心の
語学学習をすると

言葉の聞き分けや発音の能力が
高まるだけでなく…

言葉には 聞く 話す 読む 書く
という4つの技能がありますが

その中で まず…

…というふうにいわれています。

それは 例えば
「立って」と言われて立ったり

「座って」と言われて
座ったりという教え方です。

あ~…。

人間が言葉を学ぶ出発点は

話しかけられた言葉を聞いて
理解する事にあります。

その能力がベースとなり
話す 読む 書くの順番で

言葉を習得していきます。

外国語を習得する上でも まず…

空海が いかに中国語の能力に
秀でていたかが分かる

エピソードがあります。

空海を乗せて 日本から
唐へと向かった遣唐使船は

東シナ海で嵐に遭い
遭難寸前となります。

その時 正式な…

日本を離れ 1か月後。

遣唐使船は福建省の海岸に漂着。

しかし 国書がないため
現地の役人から

密航船ではないかと
疑いをかけられます。

遣唐大使の藤原葛野麻呂が

役人に向けて
上陸許可願いを出しますが

上陸は許されません。

このまま
帰国するわけにはいきません。

空海は大使に代わって
自らの思いを筆に託して

上陸許可願いを書き上げます。

すると 文章の格調の高さが
役人の心を動かし

一行は
唐への上陸を許されたのです。


空海の書いた手紙は 中国人の心を
捉えて離さないものがあると

上海出身の詩人 荘 魯迅さんは
言います。

文章がダメだと人間もダメだと
いうような感じであってですね。

ですから 外国人が
こんな文章を書くというのは

地方行政長官にとっては
大いに驚いたと思います。

こういう文章を見ると
分かる人間は

熱を入れずには読めない
という感じです。

唐の役人の心を動かした
リズム感あふれる格調高い文章。

その一部を 荘魯迅さんの朗読で
お聞き下さい。

上の4文字と下の4文字が
完璧な形で整っているんです。

非が打てない。

こういう文章は
時がたっても魅力が消えない。

というふうに 中国の人たちは
そういうふうに信じるわけです。

ネイティブ顔負けの表現力で
中国人を驚かせた空海の中国語。

空海は…

脳科学の専門家は 空海が まさに
バイリンガルだったからこそ

サンスクリットを3か月で
マスターできたと指摘します。

ふだんから
2か国語を話している…

そのため バイリンガルの人は
第二外国語を覚えるのは

母国語しか話せない人が
初めて外国語を学ぶよりも

覚えるのが速いのです。

脳の神経細胞は 使えば使うほど

その機能に合った 新しい神経回路
を作る事が分かっています。

新たな言語を覚えていくと
その言語を使うために

脳に新しい神経回路が
作られていくと考えられています。

バイリンガルの人は 左脳にある
言語をつかさどる黄色い部分に

神経回路が多く作られ
脳の機能がアップすると

最新の研究で報告されています。

日本語と中国語を話す
バイリンガルだった空海は

2つの言葉を使う事で 脳機能が
アップしていたと考えられます。

そのため 第三の言語である…

…する事が
できたのかもしれません。

恵果阿闍梨から
密教の奥義を伝授された空海は

当初 20年の予定だった滞在期間を
大幅に縮め…

空海は
幼い頃から培った語学力で

自らの人生を
切り開いていったのです。

すごいですね!

ちょっと次元の違う…。
語学力。

(関根)語学力ね。
そして やっぱり

国を代表で行ってますから
学ぶ集中力が違いますよね。

大変な思いして
行ってるわけですからね。

それにしても先生
空海の語学力なんですけれども

遣唐使船の中に たくさんの人たち
が乗っているわけですよね。

その中でも やっぱり群を抜いて
いたといえるんでしょうか?

どうもね 空海といえば
必ず出てくるのが最澄。

比叡山延暦寺を開いた…。
伝教大師。

伝教大師 最澄ですね。
この方は どうも

中国語は あんまり得意じゃなかっ
たんじゃないか説があるんですよ。

通訳が必ず最澄のそばにはいたと。

だけど 空海のように
語学が達者な人っていうのは

遣唐使として向こうに渡った
エリートの中にも

そうは いなかったんじゃないか
という。

なるほどね。
子どもの頃からね

外国語が 英語がっていうと
やっぱり これ西田さん。

アメリカで生活してる時は 両親
とは日本語を話すんだけれども

その他は全部 英語だったんで…

あと 仕事 15歳で始めて
キャンペーンで関西に行きます。

大阪に行きますっていって
番組に出させて頂いた時に…

そうなの だから 「なんとかやね」
って言われた時に

これ 質問なのか…
どうしていいか…。

あっ そうか。
すごく苦労しましたね。

(竹山)難しいでしょうね 確かに。
(関根)難しいと思う。

そうなってくると やっぱり
どうしたらネイティブ並みの

バイリンガルになれるかって
ちょっと気になりません?

(関根)気になりますね。
よく聞かれるんです。

私は気がついたら
両方 話せてたんですけれど

一番 聞かれます。
はい そこで今日はですね

専門家においで頂いています。

麗澤大学の
言語教育研究科 准教授の…

よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。

みんな気になるところです。

どうすればネイティブ並みに
バイリンガルになれる…

バイどころか トリリンガルに
なりたいぐらいの感じなんですが。

外国語学習は…

…というふうにいわれています。

遅くても 小学校を卒業する年齢
ぐらいまでに始めないと

聞き取りとか発音が
ネイティブ並みにはならない

というふうにいわれています。

僕らは中学から始まりましたし
それから 僕の先生は

もう 日本人なんで 「トム アンド
スージー」とかいうね

全然 ネイティブじゃない英語を
ずっと聞かされてたんですよ。

中学でね。
中学で3年間。

全然 外国人の人に
語りかけられた時に

知ってる単語なのに
理解できないんですよ。

(大関)分からないですよね。

(西田)先生からしたら
何歳ぐらいから

この 耳にヒアリングというの
大事だと思います?

早ければ早いほど
いいんじゃないかなと思います。

(どよめき)

生後8か月!?
そうですね それからどんどん

失われていくので
6歳とか7歳ぐらいになると

かなり聞き分けられなくなると
考えられるので

早くから聞かせるというのは
大事な事かなと思います。


先生 例えば 僕が今 この年で

5年ぐらい
1人でアメリカ行ってて

今からネイティブなんか
もう無理なわけですよね。

この年で行っても しゃべっても
片言みたいになるわけだし。

ご安心ください。

それはですね ちょっと…

この言葉が分かるのは 多分
竹山さん お一人でしょ。

(竹山)ああ 方言ですよね。
「しきらんちゃもん」ですよね。

「僕は それできないよ」だから。

「ちゃもん」ていうのは
「しきらんちゃもん」ていうと

自分に言ってますよね
「僕は そんなのできないから」

とかいう意味ですよね。
こういうのが分かるという事は

これは先生 どうなんですか?
そうですね…

(関根)近いものありますよね。
(竹山)その使い方と一緒なんだ

脳の使い方って。

カナダの研究なんですけれど
認知症の研究で…

(関根)ああ そうなんですか。
よかったですね。

そうですね… 知らず知らずの
うちにバイリンガルなんですね。

さあ 言葉の壁を乗り越えて
密教の奥義を学んだ空海ですが

帰国後の空海の健康診断です。

唐の長安で
密教の奥義を学んだ空海は

806年 日本に戻ってきました。

しかし 空海は
都へ入る事は許されず

太宰府のそばにある観世音寺に
とどまります。

20年と定められた留学期間を
2年に縮めて帰国した

罪を問われたのです。

空海は 唐から
461巻にも及ぶ経典と

たくさんの宝物を持ち帰りました。

恵果阿闍梨から授かったと伝わる
五鈷鈴と五鈷杵。

密教儀式に使われる法具です。

そして…

空海は 太宰府の地で
これら唐から持ち帰った

経典と宝物の目録を作成。

それを朝廷に献上しました。

持ち帰ったものの価値を
朝廷にアピールする事で

帰国を早めた罪を許してもらう
事を期待したのです。

しかし この目録に役人たちは
見向きもしませんでした。

空海の期待は
無残にも裏切られたのです。

そもそもね 自分が
当時の真言密教の

最高の唯一の後継者になったって
いわれても

信じられます?
30そこそこの若造が帰ってきて。

それは誰も信じないのが
当たり前ですよね。

多分 空海という人は
一般のイメージでは

人生が
順風満帆であったかのごとく

思われてるようなんですけど

実際に世に出るのは
結構 時間かかっていて

実は 全てが とんとん拍子では
いってないですよ 実際には。

唐から帰国して3年後。

空海36歳の時
ようやく朝廷からの許しが出て

京都へと向かいます。

しかし このころの空海は
全く無名の僧侶。

生活が苦しく 知人に援助を頼んだ
手紙が残っています。

空海は 40手前にして

ようやく世間に
名が知られるようになります。

きっかけは当時 京都で
活躍していた天台宗の開祖

最澄が
密教の知識を深めるために

空海に
弟子入りを申し出た事でした。

空海は弟子入りを受け入れて
最澄と初めて対面します。

ところが この時…

一体 空海の身に
何が起こって
いたのでしょうか?

最澄に死をほのめかす発言をした
空海ですが…。

その9年後 48歳の時に

再び 死を感じさせる言葉を
残しています。

友人の藤原冬嗣へ送った手紙です。

精神科医であると同時に
空海の研究者として

高野山大学の修士課程で学んだ
保坂 隆さんです。

死を意識させる発言を繰り返す
空海の言動に

危険なサインを感じるといいます。

強い抑うつ感情
抑うつ状態にある患者さんに

よくある事なんですけれども…

ですから 体の病気が重篤で
死んでしまうというふうに

言ったんではなくて…

…と考える方が
妥当だと思ったんです。

保坂さんが
空海の死をほのめかす発言が

体の病ではなく 心の病によるもの
だと考えた理由の一つに…

…があります。

空海とゆかりの深い…

ここに残されている
空海直筆の貴重な文献が

それを物語ります。

灌頂とは
初めて密教を学ぶ時や

修行者が上の位に上がる時に
行われる 密教の儀式です。

空海が最澄に「もはや命が
尽きようとしている」と言った

2か月後には 最澄をはじめ…

灌頂は 師匠から弟子へ
心血を注いで行われる大切な儀式。

かなりの体力がなくては

これほどの数の弟子に
行う事はできません。

重篤な体の病気だったら
僅か2か月で

ここまで回復するのは不自然。

うつ病など 心の病の可能性が
疑われるというのです。

うつ病は 精神的 身体的な
ストレスなどで

脳に機能障害が起きる病気です。

ふだんの生活が送れないほどの…

…などの症状が現れます。

痛みや しびれなど 体の症状を

伴う事もあります。

な人ほど…

完璧主義の人が
仕事や介護などで忙しくなると

手を抜く事ができず
過重労働に陥り

ストレスを
抱え込んでしまうためです。

そんな空海を 心の病から救ったと
考えられるものがあります。

それは 山の中にありました。

空海が修行の場とした…

標高800mの原生林の中に
築かれました。

空海は 弟子と共に
原生林に分け入って

修行を行っていました。

高野山の表参道 町石道は

紀ノ川沿いにある九度山から
高野山へと通じる

全長24キロの
山道です。

現在もトレッキングコースとして
多くの人に愛されています。

空海は町石道を
何度も行き来していました。

こんな話が残っています。

ある日 年老いた空海の母が
高野山を一目 見たいと

故郷の四国 讃岐から
やってきました。

しかし 高野山は女人禁制。

そこで 空海は麓の寺で 母に
暮らしてもらう事にしました。

年老いた母を案ずる空海は
なんと月に9回も

24キロある山道を
下ってきたといいます。

更に 空海は徒歩で丸2日かかる
都と高野山の間を

年に何度も行き来していました。

実は この山歩きが
空海を心の病から救ったと

保坂さんは考えています。

…という事も科学的に
立証されているものですから

山歩きをするという事が

役に立ったのではないかな
というふうに思ってます。

そのメカニズムは こうです。

人間はストレスを感じると

ストレスホルモン コルチゾールが
分泌されます。

この状態が続くと コルチゾールの
影響を受けやすい…

それが うつ病の
原因だと考えられています。

運動を行うと
神経の栄養となるタンパク質

BDNFが体内でつくられます。

BDNFは コルチゾールによって
破壊された

神経細胞を修復します。

それによって うつ病が改善すると
考えられています。

うつ病の運動療法は
有酸素性の運動と

無酸素性の運動を組み合わせた
コンバインドと呼ばれている

運動療法が すごく効果があると
いう事はいわれているんですね。

そう考えると
山登りのような運動は

筋トレに相当するような
無酸素性の運動と

それから この たくさん酸素を
吸うような有酸素性の運動の

両方が合わさった運動なので
これは私は 図らずもですね

空海が このコンバインド
トレーニングをしている

というような印象を受けますね。

自然をこよなく愛した空海は
こんな言葉を残しています。

「空海林泉未だ飽かず」。

「若い頃から山中で
修行を続けてきたが

年を重ねても
林や泉を見ていると
飽きる事がない」

というのです。

お寺の中で執筆だけやってると

結構 鬱屈するんじゃないですか。

そうなった時に
やっぱり山に入る。

その繰り返しを ずっと
してたんだと思いますよね。

完璧を追い求め 何事にも
全力で立ち向かうという空海は

妥協を知らない性格故に
歴史に名を刻む偉人となりました。

しかし その性格は
うつに陥りやすいという

諸刃の剣でもあったのです。

空海は 愛する山を歩き回る事で

心と体のバランスを保とうと
していたのかもしれません。

ほお~… なるほどね。

真面目だったんですね。

それが故に いろいろと悩む事も
あったんでしょうけれども

でも回復できてよかったですよね。
(関根)そうですね。

山歩きが やっぱりね
あれ 気持ちいいですもんね。

あの 森を歩くと。

四季を感じて。

今日は空海の健康診断を皆さんに
見て頂いたんですけれども

いかがでしたでしょうか?
やっぱり遣唐使としてね

すごい事やったっていうのが
改めて あの船を見てね

今日は ほんとに
空海さん 大変だったなと

よくやってくれたなと
いうふうにね。

あの なんか 現代人への
メッセージみたいなものが

すごくいっぱい見つけられて
今日 帰ったら

新しい事に また勉強する…。

私は 基本的に真面目すぎるって
いうの ないんですけれども

根詰めすぎずに
運動も忘れないというのは

今日から
すぐ改善できる事かなと思って。

竹山さんは?

なんか 空海って
伝説の人っていうか

お釈迦様とか 実は存在して
ないんじゃないかぐらいの

人とずっと思ってたんですけど
今日 これ見ると やっぱり

空海っていう人生が
ちゃんとあって

後半の部分とか
ちょっと山に籠もって

すっきりしたら下りてきて
働いてっていう…。

それ 僕 今 この仕事してて
イライラしたりすると

一人で山に
キャンプ行ったりするから

そんでまた そこで過ごして
また下りて働いたりするから

意外と一緒なんだなっていう。

まあ 空海の方が
よっぽど立派ですけど。

先生 この空海という人は
今 日本にとっては

どういう人物だと…?

日本人というのは
外国から何かを持ってきて

考え方とか文化とかね
持ってきて

それを日本的に
ほんとに かみ砕いて

それで 新しいものにする
っていう事が

すごくうまいと
いわれてるわけですよね。

空海という人は
全く そのとおりの人で

思想も美術も
最先端のものを持ってきて

日本的なものに
つくりかえていった

そういう
草分けみたいな人なんですね。

ほんとに立派な人なんですね。
(関根)そうですね。

いらっしゃってよかったですよ。

1, 200年前 空海が訪れた長安。

現在の西安です。

ここには 今も書の街があります。

道具を売っているだけではなく

路上では 多くの書家が
腕を競い合っています。

空海の名は 1, 200年の時を超えて
この街でも語り継がれています。

日本人 空海は
確かに立派な僧侶でした。

しかし この街では
優れた文章を書き

並ぶ者がない書の大家として
知られているんですよ。

空海は留学中
長安で流行していた

飛白と呼ばれる書体に
心を奪われ

それを会得し
日本にもたらしました。

刷毛を使って
かすれと うねりを生み出し

文字を躍動させるように描きます。

サンスクリットを表す梵の字。

空海は 書は人の心を描くものと
考えていました。

空海は 筆をとり 書を描く事で

自らの心と向き合っていたのです。

果てしなく続く山並み。


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