先人たちの底力 知恵泉「嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”」 岸見一郎、小和田哲男、岡田圭右



『先人たちの底力 知恵泉「嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”」』の番組情報(EPGから引用)


2018/07/10(火) 
先人たちの底力 知恵泉「嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”」[解][字]
周りから嫌われていても腐ることなく立身出世を果たした先人、本多正信と蒲生氏郷の生き方から、嫌われ者の極意を読み解く。今回は信長に愛され、秀吉に嫌われた蒲生氏郷。
詳細情報
番組内容
蒲生氏郷は、13歳の時にその才能を信長に見出され、信長の娘を娶(めと)るほどに目をかけられた。千利休からは「武」「智」の両面で名将と評されたほどだ。しかしその才能が信長亡き後、天下人となってゆく秀吉に警戒され、権力の中枢から遠ざけられる原因となる。氏郷はそんな不遇をどのような発想で乗り越えたのか?落ち込むでもなく、不遇を嘆くだけでもなく、組織に疎んじられながらもたくましく生き抜く知恵を、氏郷に学ぶ
出演者
【ゲスト】哲学者…岸見一郎,静岡大学名誉教授…小和田哲男,岡田圭右,【司会】新井秀和
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『先人たちの底力 知恵泉「嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

先人たちの底力 知恵泉「嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”」
  1. 氏郷
  2. 家臣
  3. 自分
  4. 秀吉
  5. 信長

  6. 時代
  7. 知恵
  8. 蒲生氏郷
  9. 状況



『先人たちの底力 知恵泉「嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”」』の解析用ソース(番組内容ネタバレ注意!)


「出る杭は打たれる」なんて
いいますが

へこんではいけません。

しぶとく立ち上がる極意
お伝えします!

(岡田)ちょっと小腹がすいたなぁ。
そしたら… そし…。

ちょっと 店主! 店主!

ああ はい。
「ああ はい」じゃない。

お客さんが来てんのに
なんや パソコンは打つわ

また しけた顔して何なの!

いや 商店街のホームページを
新しくしようって

私 今 運動を起こしてるんですよ。
いいねぇ。 すばらしいよ。 いいよ。

ところが これが商店街の
会長さんに不評で。      あら。

しかも他のお店の人たちも みんな
そっち側についちゃったんです。

会長側に。
そうなんですよ。

なるほど。 という事は…

そうなんです。
打たれちゃったんです。

打たれちゃった?
もう めり込んでる?

そんな時 ちょっと 小和田先生

何か いいアイデアというか
何か ありませんかねぇ?

そうですねぇ。 そんな時 ちょっと
参考になる先人はいるんですよ。

まあ 例えば…

蒲生氏郷。
初めて聞くなぁ。 蒲生…。

豊臣秀吉に まあ…

まあ 文武両道
兼備の武将なんですけどね。

まあ ちょっとね
秀吉からは ちょっと…。

あっ ちょっと にらまれて。

さっき言った
ちょっと出る杭みたいな感じで。

まさに そうです。
はあ はあ
はあ はあ はあ。 なるほどね。

でも そこで たくましく

やっぱり生き延びたんですね
その蒲生さんは。

そうなんです。
はあ~! なるほどねぇ。

負けずに たくましく
生きられますかね。 よし!

織田信長いわく

「目つきが他の者とは違う。
必ずや名将になる」。

千利休いわく

「文武二道に秀でた
二人といない すばらしい武将」。

その人物とは 蒲生氏郷。

信長や利休に
その才覚を認められながらも

歴史に埋もれてしまった
武将です。

それは なぜか…?

氏郷の前に立ちはだかったのが
豊臣秀吉。

氏郷は秀吉から とことん嫌われ

権力の中枢から
遠ざけられてしまったのです。

彼っていうのは…

…というふうに
秀吉には
映ったのかなと思いますね。

秀吉に嫌われながら

氏郷は豊臣政権で
どう生き抜いていったのか…。

今回 氏郷の生き残り術を
読み解くのは…

心理カウンセラーとして
現代人の心の問題にも取り組み

発表した著書は
ベストセラーになりました。

岸見さんは 氏郷のように
上司に嫌われても

生き抜くすべは必ずあると
いいます。


岸見さんは 蒲生氏郷の人生から

現代にも通じる知恵を
どう導くのでしょうか。

今回は 「嫌われた者の知恵」
という事なんですね。  そうかぁ。

こんばんは。
あ~!

これは これは。 お待ちしてました
岸見一郎さ~ん。

また うわさしてました?
いや うわさしてました。

またね 先生のいい言葉が…。

前回ね お越し頂いた時は
本多正信の

「嫌われる知恵」についてね
伺ってきましたけれども。

今回は…

始まりが違うわけなんですね。
もう嫌われてるんですね。

岸見さん…

確かにねぇ。
という事が分かれば…

誰の評価なのかと。

「あなたは私の事 嫌いなんですね」
と言えばいいでしょう。

でも その言葉で

自分の価値が下がるわけじゃない
という事ですね。

ちょっと待って下さい。
まだ なかなか これはね

簡単に言えども ちょっと難しい。
深いよ。

これは 今日は じっくり
ちょっと教えて頂けねば

店主 分からん これは。
いろいろ聞けそうですねぇ。

でも 岡田さん どうですか?
例えば こう

偉い人とか周りの人から
もう最初から

この人に嫌われてるなっていう
経験とか ないですか?  (笑い声)

厳しい経験やね それは。

嫌われないように 嫌われない
ようにしてしまうのが

先生! 先生!

当然 そうですね。 うん。

「嫌われる勇気」の完結編って
書いたんですが

それは「幸せになる勇気」という…。
そういう事 書いてるので。

うん なるほどなぁ!

小和田先生。 実際 蒲生氏郷は
秀吉からは嫌われていたと。

それは どういうところから
言えるんですかね?

嫌われたというよりか
むしろ なんか

秀吉の方が ちょっと…。

蒲生氏郷が 年は下ですけれど…

そういったあれが ありますね。

冷遇されても めげずに

たくましく生き抜いた
という事ですよね。

これは学ぶべきものが多いかも
分からんね そういうのはね。

今夜はですね こんなメニューを
用意しました。 こちらです!

冷や汁を飲まされた。 うわぁ!

でも ネバネバと粘り強く
いこうじゃないかという事。

確かに この写真 見てもね
写真というか。

粘り強く もみあげも伸ばしてるね
これ!      そこですか。

ここまで伸ばすって なかなか
粘り強いなぁ! この男は。

そんな氏郷の粘り強い生き方に
秘められた知恵

味わってまいりましょう!

岐阜城で
1組の祝言が行われていました。

花嫁は 織田信長の12歳の娘。

そして花婿は
14歳の蒲生氏郷です。

氏郷にとって この結婚は
これまでの自分の人生を

転換させる
喜びに満ちたものでした。

そもそも蒲生氏郷は 1556年
藤原家の流れをくむ

名門 蒲生家の3男として
近江日野に生まれます。

当時 蒲生氏は
戦国大名・六角氏の配下にあり

織田信長と敵対していました。


ところが 氏郷が 13歳の時
六角氏が滅亡。

蒲生家は
信長に付き従う事になります。

その時 信長に人質として
差し出されたのが氏郷でした。

人物を見抜く事にたけている
信長は

氏郷の第一印象を
こう残しています。

信長は 氏郷が
人質であるにもかかわらず

小姓として 自分の近くに置き
才覚の有無を見定めようとします。

ある時 こんな事がありました。

信長が家臣を集めて 夜遅くまで
武功談をしていた時の事。

小姓たちの多くが眠くて
うつらうつらしている中

一人だけ
目を見開いている者がいました。

氏郷です。

氏郷は
ひと言も話を聞き逃すまいと

大人たちの口元を
一心不乱に見つめていたのです。

氏郷を高く評価した信長は 武術や
軍学 学問や歌 茶の道まで教え

一流の武将へと育て上げます。

一方 氏郷もまた
信長の期待に応えようと

初陣で 敵の首をあげるなど
才覚を発揮しました。

信長から武勇を認められた氏郷は
その娘を めとり

人質としての役割も
終える事になったのです。

そして 織田家臣団の
一員として…

日野は豊かな土地に恵まれ 交通の
便も良く商業も発達していました。

敵対勢力も近くになく
氏郷にとっては

心を落ち着かせる事ができる
まさに ふるさとでした。

ところが 1582年
本能寺の変で 信長が討たれます。

後継者争いを制した
秀吉の時代になると

氏郷の境遇が
大きく変わります。

本能寺の変から2年後の1584年
氏郷は

近江日野から
伊勢松ヶ島へ
領地替えを命じられます。

戦での功績により
6万石から12万石への加増です。

しかし 伊勢松ヶ島は 北に
織田信雄という敵対勢力と接し

領内にも 反秀吉勢力が
くすぶっていました。

しかも 当時あった町は
交通の便が悪く

石高に見合うほどの発展を
見せていませんでした。

伊勢松ヶ島に赴いた氏郷は
国境の警備力を高め

領内の反秀吉勢力を
一掃しながら 町づくりに着手。

海運を利用できるように

海岸沿いに新しい町
現在の松阪をつくりました。

ところが ようやく領国経営が
軌道に乗り始めた6年後…。

氏郷は またもや
領地替えを命じられます。

今回は 小田原攻めに対する
恩賞だといいます。

新たな領地は会津の黒川で
石高は 42万石。

伊勢松ヶ島の3倍以上です。

しかし 黒川は
秀吉のライバル徳川家と

最近まで敵対していた
伊達家に挟まれた領地。

伊勢松ヶ島以上に
警戒が必要な土地でした。

加えて 町は未整備で
経済力が低く

海路も使えない
不便な場所でした。

黒川に移る時の 氏郷の言葉です。

天下人に嫌われ
遠ざけられていく氏郷。

このまま腐ってしまうのか…。

氏郷が会津黒川に赴いた頃
肥後の国で一揆が発生しました。


領主は
自力で収める事ができず 切腹。

秀吉から切り捨てられたのです。

領地替えされたあとこそ
きちんと治めているか

厳しく見られているに違いない。

秀吉に嫌われているなら
なおさらの事だ。

氏郷は 自分が天下人から
嫌われている事を客観視し

この状況から
何ができるかを考え始めます。

まず取りかかったのは
町づくり。

伊勢松ヶ島での経験を生かし
それまでにあった町を一新。

これにより 情報や技術が集まり
流通や生産効率が向上。

漆器をはじめとする 独自の商品が
生まれました。

また かつて信長が行った
「楽市楽座」を取り入れ

商売をするための特権や税を廃止。

誰でも自由に商売を
始められるようにしたのです。

隣接する有力大名に対抗するため
軍備も増やしました。

多くの家臣を集めるため…

…を構わず召し抱えたのです。

北の伊達氏は 秀吉にとって

言う事を聞かない
目の上のたんこぶ。

そこで氏郷は 伊達氏に何か
あるたび こまめに秀吉に報告。

会津黒川で 自分が
重要な役割を果たしている事を

アピールしたのです。

こうした功績を
秀吉も認めざるをえず

氏郷は その後 73万石まで
加増を受ける事になります。

町づくりも
隣接する有力大名への対策も

ともに マイナス要素を
プラスに生かそうとする

氏郷の前向きな生き方が
もたらしたものだったのです。

ああ~。
疎んじられても へこたれないと。

そういう事。 今でいうたら

ポジティブ・シンキングというかね
そんな感じですねぇ。

たくましさが必要ですよね。
さあ 小和田さん あの

氏郷は 厳しい土地に移される度に
気持ちを切り替えて

それを乗り越えてきたわけです
けれども どうなんでしょうね。

その時の彼の気持ちというのは…。

あの やっぱり伊勢から…
まあ 会津黒川というのは

今の会津若松ですから まあ当時は
かなり遅れた地域ですよね。

伊勢は もう進んだ地域ですから。

だから 多分
もう相当 落ち込んで

へこんだんじゃないかと
思うんですけどね。

でも へこんだままでは

もう やっぱり武将としては
自滅していきますんで

そこを何とか乗り越えて
まあ 明るくというか

元気に乗り越えようという
そういう強い意志が

氏郷には ありましたね。

当時は…

あの やっぱりね…

…というような形で
殺されちゃいますから。

怖い時代や。

そうやって 粘り強く頑張ったから
領国経営を成功させて。

秀吉も何ていうんでしょう

評価せざるをえない状況にね
なってきたわけですけれども

氏郷のやった事っていうのは…。

すごいんですよ。 やっぱり
近江日野の出ですから もともと。

近江商人の発祥地の
一つですから

もう そういった意味では
商人的な感覚を持ってるんで

そういう経済的なスペシャリスト。

それで 会津の町づくりを
したりとか あと…

だから どんな境遇においても
これは不遇だ つらい 苦しい

不幸だって思わないで…

…という事
すごく大事かなって思ってます。

ドイツに伝えられてる
こんな話があるんですね。

1匹のカエルは
悲観主義のカエル 悲観主義者。

ネガティブね。
落ちてしまったので

ああ もうダメだと思ったけど

最初 少しは
もがいてたんですけども

もう これで自分は
溺れ死ぬと思って

そこで
もう泳ぐのを やめたんです。

そしたら溺れ死んでしまった。

もう一匹の
カエルは楽観主義のカエル。

自分の置かれてる状況で
何ができるかを考えた。

足 もがくしかないでしょう。

一生懸命 もがいていたら

ミルクがバターになった。

はあ~! ええ~っ ええ~っ!

生き延びる事ができた。
うわ うわ うわ うわ… すごいな。

助かろうという以前に…

与えられたものを どう使うかと。

まさに悲観しないで…

まさに今のミルクの話
勉強になる。

いやいや 腐らず頑張ってね

腐らず頑張ったら その先に
またバターから

ヨーグルトになるかも分からへん。
どうなるか分からへんわ。

その先があるよ 本当に。 未来
分からない ほんとに頑張ったら。

でも とはいえ…。
とはいえなんです。 そう。

俺もね 一応 楽観主義者と
言ってるんですけど

たまに収録で あかんかったら…
ほぼ あかんねんけど。

あかんのが芸みたいやけど

たまに やっぱり
引きずる時あるよ。

引きずる時あるよ これは。 ねえ!

楽観主義というのは 簡単に
言えるけど なかなか やっぱり

気持ちの中で 全て100%
ファッとなるのはね 難しい。

日本では…

おっ おっ おっ。
どういう事ですか ちょっと。

これ どういう事なんですか?
先生。

いや それぐらい 人と違う事を
すると 人から たたかれる。

そういうご経験が?
いくらでも あります。

例えば?
本を書いたり ネットで配信。

メッセージを出したら それに
対しては必ず反発をする人はいる。

まあ 確かに今の このご時世。

何かこう メッセージ性のあるの
出したら

賛否両論って絶対ありますからね。
絶対 それは。

でも そういう時に どうしたら

そういう苦境を
切り抜けられるかというと

最初 ちょっと言いましたけどね…

例えばね 例えば

「岡田さんって すごい嫌な人ね」
って言われたら

へこむでしょ 普通。
へこみますよ それは。

でもね その「嫌な人ね」って
言われたからといって

その言葉で 岡田さんの価値が
下がるわけじゃないです。

まあ 価値自体はね。

嫌な気分はなるけど
価値は下がらない。


岡田さん 「最近 スベらないね」
って言われたら…。

これはね なんか複雑な気持ち
俺の場合。

俺の場合は ちょっと複雑やわね。

でも 評価と価値って
また違うんか。

どんな状況でも
2人はね 必ずね

自分が何をしても 言ってもね
批判する。

それぞれの評価が違う
っていう事ですか。

だから 都から遠く離れた所で
自分の理想とする

まあ 国といいますかね 国を
つくるというふうに考えたら

なんか やる気
出るかもしれないでしょ。

僕が カウンセリングをしてきた
経験の中で

よくね 悩みを訴える人が
いるんです。

「暗い」って言われたら嫌でしょう。
嫌ですね。

根暗。
根暗とかね 暗い。 はい はい。

暗い方がいい?
いや 僕は もう本当に。

表向きは明るいんです。
家帰ったら暗いんですよ。

これが問題なんですよ。

優しい自分だったら
受け入れる事できるでしょう。

そうすると…

そういうふうに話をしたら

カウンセリングに来られる
前と後では…

新しいものさし 持てそうですか?
いや だから そのものさしがね

もう巻き尺になってるところに
ちょっと もう絡まってんのよ。

ほんとに 俺のものさしが
巻き尺ですよ ほんとに。

でも まあ… でもね 先生
やっぱり哲学者というか

まあね
いろんな経験されてるから

人間の その本質の
メンタリティーの部分からの

言葉というの
なかなか突き刺さりますね。

ねえ でも まあ いわば
新しいものさしを持つ事で

まあ 上に嫌われてもね
自分に与えられた場所で

最大限の成果を上げて
生き抜いてきた氏郷ですけれども。

実はですね その背景には
また上司とは別の

支えになる存在があった
という事なんですね。

それにまつわる知恵を
見ていきましょう。

能力があるゆえに
秀吉に恐れられ 嫌われた氏郷。

領国経営や伊達家への監視など
隙を見せない対策をしていました。

そして もう一つ
大切にしていた事があります。

氏郷が頼りにしていたのは
いざという時に団結する

家臣たちの存在です。

そのために氏郷は

常に求心力の維持を図るかの
ような采配を振るっています。

例えば 会津黒川に
領地替えになった時の事。

知行割を行おうとしましたが
家臣を増やしたために

十分な報酬を与えられない状況に
陥りました。

そこで氏郷は 家臣一人一人に

どれだけの報酬が見合うか
自己申告させました。

更に
家臣たちだけで会議を開かせ

各人の要求が妥当かどうかを
判断させたのです。

その結果 過大な請求は正され

それぞれが納得する報酬に
落ち着きました。

自分に不満を抱かせない
巧みな方法で

家臣たちをまとめていた氏郷。

更に 心を掴む事にも
たけていました。

氏郷が どのように
家臣と接していたか

それをうかがわせる逸話が
残っています。

それは 氏郷が
まだ 近江日野にいた時の事。

手柄を立てた家臣に 十分な
恩賞を与えられなかった氏郷は

一計を巡らします。

家臣を自分の屋敷に呼んで
酒と食事を振る舞いました。

そしてもう一つ勧めたのが風呂。

当時は 蒸し風呂でしたが

家臣にくつろいでもらおうと
考えたのです。

加減は どうだ?

聞こえてきた声に 家臣は
飛び上がらんばかりに驚きます。

声の主は氏郷で 蒸し風呂の
調節をしていたのです。

この出来事は家中に広まり

皆 氏郷のために 懸命に
奉公に励んだといわれています。

「蒲生風呂」といわれる
この逸話は

氏郷の性格をよく表していると
専門家は見ています。

氏郷は こう書き残しています。

たとえ上から嫌われても
下からの信頼は確保しておく。

そのために氏郷は 家臣からの
求心力を常に維持していたのです。

なるほどね~。
上がダメなら下を固めよと。

まあ 四面楚歌にしない
という事ですけれどもね。

でも なかなか
できないやり方で

うまくまとめたな という印象が
あるんですけれども。

やっぱり この時 氏郷が
与えられた土地というのは…

…という まあ いつ 秀吉に歯を
むいてくるか分かんないような…

そこに 自分が置かれた
というところは やっぱり もう…

というのは知ってますので…

という思いが強いんで…

その結果 家臣団の力のような
ものは どうだったんですか?

やっぱり かなり強くなって

まあ 最初は72万石ですけれども

実質 90万石ぐらいに
なってますんでね

かなりの家臣団がいますので

これは 結構
まあ 秀吉に対しても

相当なプレッシャーになったん
じゃないかなと思いますね。

秀吉も 一目置かざるを
えなくなりますよね。

そんだけのね~
いや すばらしいな。

しかも いろんな ちょっと
問題がありそうな家臣も

どんどん雇うんですよ 氏郷は。
ちょっと問題児を。

だから そういった意味では
そこまで まあ 幅広い…

何ていうんですかね
包容力というかな

それがあった お殿様だという。
確かに そうですね。


その時代だったら いつ
謀反じゃないですけどね

こうなるかも分からないのに
よっぽどな リーダーシップというか

さっき言うたように
愛情と実利 両方バランスよく

しっかりと その辺りを
掌握してたというか。

愛情と実利って 今でいうと

愛情と お金っていう
感じですけれども

他の大名たちと比べても

やっぱ そういうやり方というのは
珍しかったんでしょうかね。

そうですね。

つまり どうしても
殿様なら殿様で

家臣…
あ お前には これだけしか…。

一方通行的な感じ。
一方通行的に。

だけど むしろ
家臣たちの方から

自分は このぐらい欲しい
というところを出して

それで調整していく というね。
しかも

家臣会議を開く というのも…。
はい 家臣だけのね まずね。

これはないですね。
ねえ! その時代では

多分ないですよね。
これ すごいな。

どうですか? 岡田さんは。

どんな時でも
味方になってくれる…。

いや まずね 私ね あんまり
後輩に慕われてないんで。

えっ そうなんですか?
あんまりね そういうので

一緒に なんかこう 飯
行ったりとか少ないんですけど

家臣じゃないですけど
マネージャーですよね 周りの。

その方が やっぱり
味方にならなければ

自分はないなと思いますから
そこは大事にしてるんですけどね。

まあ その上下じゃないですけど

ある意味 そういう関係に近いかも
分かりませんよね。

どんなに現場で苦しくても

どんなにスベっても…。
スベっても… そう!

マネージャーさんは支えてくれると。
支えてくれんですよ。

でも 小和田先生 氏郷のね
風呂を沸かしてって

まるで家族ですよね。
ほんと そう。

当時は やっぱりね
いろいろと…

主君と家臣との関係を
円滑に保つためには

結構 まあ 宴会ではないですけど
呼ぶんですね。

それで 御飯とか お酒飲ませたり
するんですよ。 だけど…

なかなか ないですよね。

存在承認。
つまり…

…という事を伝える事。

家臣にしてみれば 自分はまだまだ
能力もないっていいますか

十分じゃないし
仕事もできてないけれども

この上司は まあ 氏郷は
自分を この存在の次元で

受け入れてくれる
というふうに感じられる事は

すごく家臣たちには
ほんと ありがたい事で。

やる気になりますよね。
そうなんです。

それが その蒲生風呂ですよね。

小和田先生 その時代
やっぱり あれですか?

今も そうかもしれない…
上下関係は はっきりしてたので

異例ですかね?

確かに珍しいです。
珍しい。 すごいですよね~。

これは うれしい事ですよね。

上下の関係ではないと。

横の関係と。

でも別に それは…

これや!
なんと!

これ 今 現代に響きますよ。

役割だけであって
上下関係じゃないと。

そう考えると… ねえ
今でも なかなか難しいのに

当時よくやりましたよね!

その時代に なかなか…。
封建制的な主従関係でね

身分差は大きいのにね。
大きいね。

それが当たり前の時代ですからね。

でもね 蒲生氏郷は

最初から まあ 嫌われていた
という立場でありながら

たくましく
生きてきたわけですけれども

まあ そこには
いろんな知恵がありましたが

改めて どうですか? 蒲生の知恵。

いや そこの環境で
しっかりと自分を持って

そして その状況で
いろんな事を考えて。

先ほどで言うたら
実際に こう 役割分担とか

その時代にないような
そういう考えね。

その状況での ちゃんとした
考えを持ってるって

やっぱ すごい事ですよね。

一切 後ろ向きな発想は
全くなく 前向きに前向きに

それが まあ 楽観という言葉に
つながるかも分からないですね。

やっぱり 左遷されて

普通なら ちょっと腐っちゃう
ところなんでしょうけど

そこを いや 新しい ここが
自分の新天地だというね

まあ そういう理解で 国づくりを
やった というところがね…

結構 何人かいるんですね。
それが…

そういった側面が
あると思いますので

その典型的な一人。
はあ なるほど。 へえ~。

岸見さん そう考えると

最初から嫌われていても 望みは
ありますね。 あります あります。

どうですか?
蒲生の知恵を改めてご覧になって。

だから 好きな人に告白しても

あなたの事 男として
見てなかったとかね

そんな言われたらショックでしょ。
先生 そういう事

なんで俺の方見て言うんですか?
(笑い声)

…というのは
一つの知恵だと思います。

それと もう一つはね
やっぱり仲間の存在ですよね。

うかうかしていたら 他の人は
私を陥れる敵じゃないかという。

そういう世界に生きてると
思ってるけども…

仲間として その部下を… 部下と
いいますかね その家臣たちを

見ていたところが…。
いや これ すごいですよね。

その時代 やっぱり
家臣であろうとも

いつ こっちに
向かってくるんじゃないか…。

でも しっかりと仲間だという。

そこは しっかり愛情を
注ぎ込んだ結果だと思いますよね。

信頼って ほんと難しいんですよ。
うん なるほどね~。

誰も築かないんだったら
自分が築こう というのは

なんか ちょっとこう 自分が
代表して嫌われ者になろうかな

みたいなところと ちょっと
似てるかもしれないですよね。

誰かが
始めないといけないですよね。

誰かがやらなきゃいけないのか…。
どうした? 何 何?

また急に 何? え?

商店街のホームページの話
なんですけどね。

またそれに戻んの!?
結果 ど ど どうすんの? 結果!

どうせ嫌われたんだったら
ものすごいのを作ってやります。

すごいホームページ作ったれ。
もう びっくりするような。

ドカーン! ドカーン! と。
うん。

だからもう 一旦 店休んで
ホームページに集中せぇ!

えっ! それだと
生活できなくなっちゃう。

それだと ほんとに
閉店ガラガラになっちゃうか。

そうですね。 …あっ 今
スベりました?    いいんだよ

それは いいんだよ ほんとに。
ご来店ありがとうございました!


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